イネの起源2:Origin of Oryza sativa

SHINICHIRO HONDA

イネ科(Poaceae)イネ属(Oryza)の植物は、熱帯、亜熱帯地方に広く分布し、20種あまりが知られている(*1)。イネ属植物の多くは、森の中の日陰の水辺に生息する多年生植物であるが、栽培イネを含むAAゲノムをもつ種は、開けた場所を好み、日当たりのよい川岸や湖沼、湿地、氾濫原などに分布している。


イネ属(参考:農業生物資源ジーンバンク)

人間によって、栽培化(domestication)されたのは次の2種である。

イネ(ジャポニカ、インディカ)
栽培:Oryza sativa L.
野生:Oryza rufipogon Griff.

アフリカイネ
栽培:Oryza glaberrima Steud.
野生:Oryza barthii A. Chev.

野生イネのO. rufipogon(ルフィポゴン)の分布域は、東南アジア、南アジア、ニューギニア、オーストラリア北部である(下図)。


O. rufipogon(ルフィポゴン)の分布(souce:農業生物資源ジーンバンク)

ルフィポゴンには、多年生の系統と1年生の系統があり、1年生の系統は、O. nivara Sharma et Shastry(ニヴァラ)と分類されることもある。1年生の系統を、ルフィポゴンの亜種として扱うときは、O. rufipogon subsp. nivaraと書かれる。

多年生ルフィポゴンは、日当たりがよく、一年中、土壌水分が存在する川辺、湖沼、湿地などに生息している。多年生なので、その性質は、栄養繁殖力が強く、競争力が強く、開花期が遅く、他殖率が高い。栄養繁殖力が強いということは、稔実しない性質(不稔)が強いということである。メコンデルタの農民たちは、多年生野生イネのことを「ゴーストライス」と呼んでいるが、その理由は、多年生野生イネは、穂をつけても種子ができないためという。(*2)

一方、1年生ルフィポゴンは、日当たりがよく、雨期と乾期があって、乾期には土壌が完全に乾燥する場所に生息し、浅水の川辺、低地、氾濫原などに分布している。その性質は、多年生と逆で、種子繁殖し、開花期が早く、種子が確実にできるように自殖率が高い。

気候図で見ると、多年生ルフィポゴンは、Af(熱帯雨林)、Am(熱帯モンスーン)、Aw(サバナ)、Cwa(温帯夏雨)にまたがる広い気候帯に生息しているのに対し、1年生ルフィポゴンは、雨期と乾期があるAw(サバナ)のみに分布している。


Köppen World Map(Author:Peel, M. C., Finlayson, B. L., and McMahon, T. A.)

もともと、ルフィポゴンの祖先は多年生であり、日当たりがよく、周年で水が存在する川辺や湖沼に生息していたが、1年生の形質を持った系統が、定期的に環境が攪乱されてライバルが少ない場所(ニッチ)に進出したのであろう。サバナ気候帯では雨期と乾期がくり返されるために、定期的に浸水する浅水の湖沼や河川の氾濫原が形成される。そのような場所は、多年生草本や樹木が進出することが難しい。

前回、栽培イネの起源地は珠江中流という報告が予想どおりだったと書いたのは、以下の理由による。

そもそも、『栽培植物の起源』(1882)を著わしたアルフォンス・ドゥ・カンドール(1806-1893)以来、栽培植物の原産地には、その原種となる野生型が存在することが前提である。野生原種が存在しなければ、栽培型が生じるはずがない。野生イネのルフィポゴンは、長江流域には生息しておらず、分布域の北限は珠江流域である。

そして、新石器時代初期の古い稲作の考古学的な証拠が確認されているのは、長江流域のみである。すなわち、野生原種のルフィポゴンが存在し、かつ長江と距離的にもっとも近いのは珠江流域である。イネの起源地として、もっとも可能性が高いのは珠江流域だろうと思っていた。

1万年前は現在より気温が3~4℃高く、長江流域まで、野生イネの分布が広がっていたという主張もある。しかし、コムギの栽培化の例では、野生コムギの利用が始まってから、栽培型があらわれるまでに1,000年以上を要している。オオムギでは1,500年以上、黄河流域のアワでは4,000年もの時間がかかったと考えられている(2018.3.15ブログ参照)。

栽培型があらわれるには、「無意識の選択」(収穫する、捨てる・種播きする)を、1,000年以上も続けなければならない。そのため、栽培イネの起源地は、ルフィポゴンが1,000年以上も安定して大群落を形成できるような場所でなければならない。もともと気候的にルフィポゴンが生息できない長江流域が、すぐにそのような場所に変わるという想定には無理がある。さらに、植物が生存するには、その遺伝子を安定して存続させる種子拡散者の存在が不可欠である(後述)。

オオムギの例では、オオムギの起源地から離れたSekher al-AheimarやSalat Camiでは、周辺に野生オオムギが自然分布しておらず、遺跡からは栽培オオムギのみが出土している。これは、長江流域の遺跡から栽培型のみが出土し、野生イネの存在が確認されていないことと同じである。

また、インディカが栽培されている東南アジアや南アジアでは、新石器時代初期の古い稲作の証拠は見つかっておらず、稲作文化は北方から南下してきたことをうかがわせる証拠が多い。つまり、最初に栽培化されたのはジャポニカであり、その後にインディカが生まれたであろうことは予想されていた。

インディカが生まれた過程は、パンコムギが生まれた過程とよく似ている。パンコムギが、エンマーコムギ(栽培)とタルホコムギ(野生)との交雑によって生じたように、インディカもジャポニカ(栽培)と1年生ルフィポゴン(野生)との交雑によって生じたにちがいないと思っていた。

そして、何よりも、ダーウィンの「創造の一つの中心」説から考えれば、栽培イネの起源地(創造の中心)も一つであり、「創造の中心」から、食料の再生産様式(農耕文化)と栽培型遺伝子が周辺に拡散する過程で、新たな遺伝的形質が生じたはずだ。

倉田氏らの論文には、興味深い報告が含まれている。多年生ルフィポゴンから、ジャポニカが栽培化される過程で、「粒の幅」、「粒の重量」、「柱頭露出度」の3つの強い選択的一掃(selective sweep)が生じたという。さらに、その3つは、「脱粒性」や「草型」と比較して、きわめて強い選択をうけていた。(*3)


a, Whole-genome screening of domestication sweeps in the full population of O. rufipogon and O. sativa. The values of πw/πc are plotted against the position on each chromosome. The horizontal dashed line indicates the genome-wide threshold of selection signals (πw/πc > 3). b–d, A large-scale high-resolution mapping for fifteen domestication-related traits was performed in an O. rufipogon × O. sativa population. The domestication sweeps overlapped with characterized domestication-related QTLs are shown in dark red, and the loci with known causal genes are shown in red. Among them, three strong selective sweeps were found to be associated with grain width (b), grain weight (c) and exserted stigma (d), respectively. In b–d, the likelihood of odds (LOD) values from the composite interval mapping method are plotted against position on the rice chromosomes. Grey horizontal dashed line indicates the threshold (LOD > 3.5). (source:Nature volume 490, pages 497–501)

コムギとオオムギでは、野生型と栽培型を分かつもっとも重要な形質は、脱粒性-非脱粒性であると述べた。ところがイネの場合では、非脱粒よりも、「粒の幅」、「粒の重量」、「柱頭露出度」のほうが重要であったことになる。

栽培化は、ダーウィンが予見した「無意識の選択」によって実現する。具体的には、収穫する→捨てる・種播きするという作業をくり返すことである。「粒の幅」と「粒の重量」という形質が選択されたのは、収穫の際に、できるだけ粒が大きな稲穂を選んだからであることはあきらかである。「柱頭露出度」については、はっきりとはわからないが、稲穂の柱頭露出率が高いのは、一次枝硬よりも、二次枝硬着生頴花であることが知られている。つまり、柱頭露出度が高いほど、二次枝硬の受粉率が高くなり、1穂当たりの着粒数が多くなるのかもしれない。

つまり、米を収穫する際に、米粒が大きく、粒数が多い「大きな穂」を選んで収穫していたと考えられる。しかし、同じイネ科植物で、種子を利用するにもかかわらず、ムギとイネでは、栽培化にかかわる形質が違うのは、どうしてなのであろうか?

古代より、北アメリカの先住民は、イネ科マコモ属植物の種子を食用としてきた。アメリカでは、“wild rice”というのは、マコモの種子のことを指している。


wild rice(マコモの種子)


19th Century tribal women harvesting wild rice in the traditional manner.(1853)(Author:S. Eastman)

マコモは、湖のほとりや流れのゆるい河川の浅い水の中で生息している。先住民は、登熟したマコモの穂をカヌーの上に引き寄せ、穂を木の棒(ノッカー)でたたいて脱穀し、マコモの種子をカヌーの中に落として収穫していた。

なお、農家以外の人にはよくわからないと思うが、「脱穀」とは籾を穂軸からはずすことで、日本語では、「コク」「扱く」「稲扱き」という。籾殻をはずすのは「脱稃」で、「スル」「摺る」「籾摺り」という。脱穀は、「稲扱き」のことをいう場合と、「籾摺り」までを含めていう場合がある。昔の農家はこのような混用はしなかったが、今は言葉があいまいになっている。なお、「精米」、「精白」、「搗精」は、玄米の皮部と胚芽を取ることで、「ツク」「搗く」「米搗き」という。ちなみに、私の田舎では、精米することを「カツ」「搗つ」と言っていた。

栽培イネのジャポニカがルフィポゴンから栽培化されたときも、アメリカ先住民のように、舟を使って収穫していた可能性がある。このような収穫方法では、籾がしっかりと穂軸に固着しているよりも、適度にはずれやすいほうが、収穫の効率がよい。このため、非脱粒の形質よりも、「大きな穂」の形質のほうが、より強く選択されたのであろう。

ブータンでは、現在でも、適度に脱粒性があるイネの品種が栽培されているが、それは、イネを足で踏んで脱穀(稲扱き)するためだ。非脱粒性のイネの品種だと、足の皮がむけてしまって苦痛だという(*2)。また、アフリカでは、脱粒性の野生イネを、籠を振って収穫する方法が行われていた。

じっさいに、河姆渡遺跡からは、木製の櫂が多く出土している。中国南部でイネを栽培化した人々は、舟をさかんに利用していたために、比較的短い時間で、珠江から長江への稲作の移動が可能だったのかも知れない。ポトラッチに見られるように、漁撈部族は、遠く離れた部族同士が財を贈与交換する文化がある。


河姆渡出土の木製の櫂(source:中国航海博物館)

また、長江下流域の上山遺跡や河姆渡遺跡では、穂摘具などの収穫道具が出土しておらず、崧澤文化(6,000年前)以降に、石犂や鎌が出土する。同様に、長江中流域の彭頭山遺跡でも収穫道具は出土しておらず、石刀や鎌が出現するのは屈家嶺文化(4,500年前)以降である。「石刀」というのは、日本の考古学では石包丁と呼ばれる穂摘具のことで、石刀は黄河流域から長江流域へ伝播したと考えられている。(*4)


磨製石刀:新石器時代晚期、大馬璘文化、台湾南投埔里鎮愛蘭里大馬璘遺址出土(source:中央研究院歷史語言研究所)。台湾に農耕文化が伝播したのは、5,500年前とされている

以上のことから、イネの栽培化は、野生イネの穂を棒でたたいたり、手で()いだり(しごいたり)して収穫することから始まったと思われる。穂摘具で収穫するようになったのはかなりあとで、穂摘具を使用するようになってから、非脱粒性の形質が強く選択されるようになった。

追記:舟を「コグ」(漕ぐ)は、稲穂を「コグ」(扱ぐ)と同根ではないだろうか。

さらにもうひとつの理由は下記
火山と栽培植物の発祥中心地

文献
*1)農業生物資源ジーンバンク
*2)佐藤洋一郎.(2008)イネの歴史.京都大学学術出版会
*3)Xuehui Huang, Nori Kurata[…]Bin Han,(2012)A map of rice genome variation reveals the origin of cultivated rice,Nature volume 490, pages 497–501
*4)槙林 啓介.(2013)栽培体系の形成と伝播・拡散から見た先史中国の稲作と地域社会.国際常民文化研究叢書3

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