オーストロネシア語族,ケニァ Austronesian languages, Kenyah

SHINICHIRO HONDA

オーストロネシア語族は,台湾,インドシナ半島,マレー半島,東南アジア島嶼部,太平洋の島々,マダガスカルに広がる言語集団である。マレー語,ジャワ語,タガログ語など,1,200以上の言語が存在すると言われる。

台湾先住民の諸語が言語学的に最も古い形を保っており,考古学的な証拠とあわせて,オーストロネシア語族は台湾からフィリピン,インドネシア,マレー半島と南下し,マダガスカル島および太平洋の島々に拡散したとされる。


Map of expansion of Austronesian languages. Based on the Atlas historique des migrations by Michel Jan et al. 1999 and “The Austronesian Basic Vocabulary Database” 2008

400のオーストロネシア諸語の系統樹を構築し,オーストロネシア語族の起源と拡散を調べた結果,オーストロネシア語族の起源は,約5,230年前の台湾であると報告されている。オーストロネシア人は,拡散(pulse)と休止(pause)を繰り返しながら,太平洋に広がっていったという。(*1)

最初の休止は,台湾とフィリピンの間の海峡を渡ることが困難であったためで,新しい航行方法の発明によって,フィリピンへの進出が可能になった。その後,インドネシア,マダガスカル,西ポリネシアへと言語集団が拡散した。東ポリネシアへの進出前に2回目の休止があったが,航海技術の進歩によって,東ポリネシア,ミクロネシアへと拡散して行った。


Figure 1. Map and language family tree showing the settlement of the Pacific by Austronesian-speaking peoples. The map shows the settlement sequence and location of expansion pulses and settlement pauses. The tree is rooted with some outgroup languages (Buyang and Old Chinese) at its base. It shows an Austronesian origin in Taiwan around 5200 years ago, followed by a settlement pause (Pause 1) between 5200 and 4000 years ago. After this pause, a rapid expansion pulse (Pulse 1) led to the settlement of Island South-East Asia, New Guinea and Near Oceania in less than 1000 years. A second pause (Pause 2) occurs after the initial settlement of Polynesia. This pause is followed by two pulses further into Polynesia and Micronesia around 1400 years ago (Pulses 2 and 4). A third expansion pulse occurred around 3000–2500 years ago in the Philippines. (*2)

DNAの調査では,Y-DNAハプログループO-M119系統が,オーストロネシア語族の地域で高頻度で見られる。頻度が高いのは,中国南東部,台湾,フィリピン,インドネシアである。一方,オセアニア,東南アジア本土,中国南西部,中国北部,韓国,日本では頻度が低い。

男性の系統から見ると,台湾先住民とインドネシア人の男系は,タイ・カダイ語族の集団から派生した可能性が高く,二つの集団は,互いに別々に進化してきたという。(*5)


Geographic distribution of sampled populations and migration routes suggested by Y chromosome analysis. The codes for the population samples are the same as those in Table 1. Green arrows indicate expansion of Daic; blue arrows, Taiwanese; orange arrows, ISEA. The origin of Polynesians, purple arrows, remains controversial in paternal lineages. (*5)

良渚文化の2つの遺跡からは,O-M119系統のみが発見され,その頻度はほぼ同じであった。O-M119系統は,台湾先住民,中国南西部のタイ・カダイ語族集団で高頻度で見られることから,良渚文化の人々,台湾先住民,タイ・カダイ語族の男系の間には,遺伝的に密接な関係があることが予想されると報告されている。(*6)


Locations of the archaeological sites, cultures and the distributions of Y SNP haplogroups (*6)

人間は,同一集団内での婚姻はタブーであり,女性は他集団に移って,他集団の男性と結婚する。言語や農耕文化の伝搬には,女性が果たした役割が大きかったと思われる。一方,男性の移動は,先住の集団のテリトリーによって阻止される。

人間の超協力タカ派戦略によって,文化(情報)と女系の遺伝子は情報プールおよび遺伝子プールに拡散するが,男系の遺伝子は闘争(選択)するか,未開地(ニッチ)へと進出する。

なお,人間の存在と,男系女系という遺伝情報は同一ではない。mDNAもY-DNAも,人間の膨大な遺伝情報のごくわずかな部分にすぎない。mDNAおよびY-DNAの分析によって,男系女系のそれぞれの系統はわかるとしても,遺伝情報のすべてが男系女系の系統で遺伝するわけではない。

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オーストロネシア語族に属する人々に,ボルネオ島のダヤック族がいる。ダヤック族には,数十の部族が存在し,焼畑農業と狩猟採集を生業にしている。おもな部族のグループには,ガジュ(Ngaju),アポ・カヤン(Apo Kayan),イバン(Iban),カダザン・ドゥスン(Kadazan-Dusun),プナン(Punan)などがある。(*7)


Various indigenous Malay and Dayak homeland in Indonesian Borneo. In contrast to the coastal Borneo which is predominantly inhabited by ethnic Malay and Banjarese people, the Dayak groups were located further in the inland Kalimantan. Apart from Kalimantan, the Dayak groups can be found in the Malaysian state of Sarawak and Brunei.(Author:Gunawan Kartapranata)

ガジュ(Ngaju)は,バリトリー川流域に住み,中カリマンタン州の人口の18%を占める。高床式の大きな家屋で,数家族が協同で生活する。貴族,平民,奴隷の階層が存在するが,ケニァに比べてその区分はゆるやかである。言語はガジュ語である。近縁の部族には,オット・ダヌム(Ot Danum),ルアガン(Luangan),ブヌア(Benuap)などがいる。


Ngaju people of southern Borneo as depicted by the first explorer to Borneo, Carl Schwaner, 1854.

アポ・カヤン(Apo Kayan)は,サラワク州,北カリマンタン州,東カリマンタン州,西カリマンタン州に点在している。ケニァ(Kenyah),カヤン(Kayan),バハウ(Bahau)などの部族がいる。ケニァは,高床式のロングハウスに集団で生活し,複数のロングハウスで一つの集落を形成する。カヤンは一つの集落全員が,一つのロングハウスに住む。ケニァには,首長,貴族,平民,奴隷などの世襲階層が存在する。


A young Kenyah family in North Kalimantan, pre-1944.

イバン(Iban)は,西カリマンタンのカプアス川下流に住んでいたが,上流に移動しながら勢力を拡大した。周辺部族を攻撃して,首狩りを行っていた。集団内はきわめて平等主義で,競争心が旺盛で威信を重要視するという。


Portrait of Iban Dayaks, with the man in war attire in Borneo c. 1920–1940.(Author:Ishikane)

カダザン・ドゥスン(Kadazan-Dusun)は,サバ州東部に住む人々で,ドゥスン(Dusun),カダザン(Kadazan),ルグス(Rungus)などがいる。言語学的には,フィリピンの人々に近く,ロングハウスに住み,平等で威信を重視するという。カダザン・ドゥスンのY-DNAハプログループは,東アジアに広く分布するO2-P31であり,台湾からの遺伝的影響は見られないという。


Kadazandusun priests and priestesses attires during the opening ceremony of Kaamatan 2014 at Hongkod Koisaan, the unity hall of KDCA(Author:CEphoto, Uwe Aranas)

プナン(Punan)は,ボルネオ島の内陸部に暮らしている狩猟採集民の人々を指す。ペナン(Punan),バサップ(Basap),オット(Ot)などがいる。


Portrait of a Punan Dayak group at the river, Borneo. 1905-1914.(Author:Tak diketahui)

井上 真氏は,ケニァ族について,次のように報告している。(*8)

「もともとケニァ族の社会には,首長,貴族層をはじめとして五つの世襲身分があった。第一階層は首長層で,村によって「パレン・ビウ」,「パレン・ラン」などと呼ばれていた。首長層の特徴は,純血を保っていることで,下位の階層に属す異性と結婚した場合,子供はもはや首長層からはずれるのである。これに対して,貴族層すなわち第二,第三階層は,階層間の結婚を数多く経験している。第二階層は,「パレン・クラヤン」,「パレン・アサ」,第三階層は「パニェン・アサ」などと呼ばれる。これら首長・貴族層は,狩猟採取民であるプナン族との交易権を独占し,それによって得た森林産物を中国系およびマレー系の商人へ販売することにより,富を集中させていた。ケニァ族自身が集めた沈香,樟脳,胃石(サルの胆石やヤマアラシの結石),サイの角,ヒョウやクマの牙などの森林産物も,たいていは首長・貴族層の所有とされていたようだ。彼らはこれらの森林産物でもって,商人から陶磁器の大きな瓶,大小さまざまな色のビーズでできたネックレス,トラの牙(ボルネオにはトラはいないから),長く伸びた耳たぶに吊るすイヤリングなどを入手したのだ。第四階層は住民の大部分を占める平民層である。「パニェン」などと呼ばれる平民層の中には,製鉄技術,丸木舟つくりなど特別な技能をもつ職人たちも含まれる。そして,第五層は「ウラ」,「レレン・ダウン」などと呼ばれる奴隷層である。通常は,戦争で負けた村の首長層の子供たちが,奴隷層を形成する基となる。子供たちは首長層の家に住み込み,彼らに奉仕する。だから,むしろ平民層よりも有利な政治的・経済的保護を受けることもあったという。村の女性と結婚して,自分の家をもつこともできたそうだ。また,もしも優秀ならば,貴族層の女性と結婚して平民層へ格上げされることもあった。」

世襲の階層は,服装や入墨によって表示され,女性は腕や脚に階層を表す入墨を入れた。男性の場合は,入墨を見れば戦歴などもわかったという。

ケニァには,原初的な暦の技術が伝承されていた。

「かつて種まきの開始時期は,次のような独特な方法で決められた。まず,村のロングハウスの近くに,木製のまっすぐな円筒形をした支柱を,地面に対して垂直に立てる。この支柱の周りはしっかりと囲われ,囲いの中はできるかぎり平らに,そして滑らかにされる。次に,予言者が,印をつけた杖を支柱の根元から放射状に横たえる。この印は,左腕を横に広げて杖の端を脇の下に当てた状態でつけられている。さて,正午の影の長さが短くなりはじめ,上腕の中心部に達したとき(だいたい八月下旬~九月上旬)が,種まきの最適時となる。現在,この方法は用いられず,独立記念日(八月一七日)までに火入れをおこなうようにしている。二度焼きが終了して数日から一週間後の八月末,礼拝をしてから村一斉に播種を実施した。種まきに当たっては,男性が掘り棒(Tugan)を使って穴を開け,その穴に女性が陸稲の籾を数粒入れるだけで,土はかぶせない。掘り棒は,木製の杖のような形状をしている。ケニァ族の人々は,不作に対する危険分散の意味もあって,粒の大きさ,乾燥に対する耐性,痩せた土壌への適応性などの異なる何種類かの米を利用している。なかには一〇種類以上の米を利用している村もあるが,ロング・ベタオ村の場合三種類のみであった。」

ケニァが暮らすボルネオ中央高地は,ほぼ赤道直下である。正午の影の長さが一番長くなるのは,夏至と冬至の日で,春分と秋分の正午には太陽は真上に位置する。「正午の影の長さが短くなりはじめ」というのは,夏至から秋分(あるいは冬至から春分)に向かう時期である。

正午に影の長さを測るには,正午を知る時計が必要である。昔は時計がなかったので,正午を知るには,南北の方向を正確に知らなければならない。方位を知る方法は,古代中国の『周礼・考工記』や『周髀算経』に書かれている。

「置槷以懸,眡以景。爲規,識日出之景與日入之景。晝參諸日中之景,夜考之極星,以正朝夕。」(槷を置き,縣を用いる。影を用いて観察する。日の出の影から日の入りの影まで識し,規(円)をなす。昼は日中の影を参照する。夜は極星を調べる。よって,朝夕を補正する。)


インディアンサークル法

ボルネオ島東カリマンタン州サマリンダの気候は,一年を通じて日中は30℃前後,夜は23℃前後である。降水量は年間2,102mmで,年間を通じて降雨がある。


サマリンダの気候

一年を通じてあまり気候が変動しない熱帯性気候の場所で,農作業の為の暦の技術が発明されたとは考えにくい。ケニァに伝わる暦の技術は,イネなどの栽培植物と一緒に,他の場所から伝来したと思われる。イネや暦が中国南東部からボルネオに伝来したとすると,新石器時代の中国南東部でも,暦の技術が存在したのではないだろうか。

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また,エルマン・R・サーヴィスは,メラネシアのトローブリアンド諸島民について,次のように書いている。

「呪法の祭式や儀式は,トローブリアンド諸島民のすべての行動に浸透している。日々の行動のうち,もっとも単純なもの,たとえば農耕作業のような行動でさえも,実用的な技術としての呪術が必要となる。各村落は,特別な農耕作業用呪術師をかかえており,彼は,その地位と特別な知識を母の兄弟からうけつぐのである。焼畑,開拓から種まき,雑草とり,そして収穫という連続的局面を通して農作業のすべての局面は,呪術師がその儀式をつかさどることによってはじまる。彼はまた,植物自体が生長の連続的過程を成しとげるように,呪術によって援助の手を差しのべる。さらに,その呪術師は,農作業労働者の行動を統制し,仕事が時間どおりに行われているか,怠けものや遅刻者がでないように監督する。漁や,カヌーづくりなど,実際の生活のすべての側面に,呪術のほどこしが同じように織りこまれている。」(*9)

Reference,Citation
*1) Gray RD, Drummond AJ, & Greenhill SJ. 2009. Language Phylogenies Reveal Expansion Pulses and Pauses in Pacific Settlement. Science, 323: 479-483.
*2) Simon J. Greenhill and Russell D. Gray. 2009. Darwin, language, and two great Pacific voyages. New Zealand Science Review Vol 66 (3) 2009.
*3) Kayser, M.; Choi, Y.; Van Oven, M.; Mona, S.; Brauer, S.; Trent, R. J.; Suarkia, D.; Schiefenhovel, W.; Stoneking, M. (2008). “The Impact of the Austronesian Expansion: Evidence from mtDNA and Y Chromosome Diversity in the Admiralty Islands of Melanesia”. Molecular Biology and Evolution. 25 (7): 1362–74.
*4) Hurles ME, Sykes BC, Jobling MA, Forster P. The dual origin of the Malagasy in Island Southeast Asia and East Africa: evidence from maternal and paternal lineages. Am J Hum Genet. 2005;76(5):894-901.
*5) Li, H., Wen, B., Chen, SJ. et al. Paternal genetic affinity between western Austronesians and Daic populations. BMC Evol Biol 8, 146 (2008).
*6) Li, H., Huang, ., Mustavich, L.F. et al. Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River. Hum Genet 122, 383–388 (2007).
*7) 井上 真. 2005. ダヤック. 講座世界の先住民族 東南アジア. 明石書店.
*8) 井上 真. 1991. 熱帯雨林の生活. 築地書館.
*9) エルマン・R・サーヴィス. 1958. 民族の世界. 講談社, 1979.

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