血縁選択,延長された表現型 Kin selection, Extended phenotype

SHINICHIRO HONDA

ダーウィンは,『種の起源』8章で,不妊アリ(働きアリ)の存在について,次のように述べる。

If a working ant or other neuter insect had been an ordinary animal, I should have unhesitatingly assumed that all its characters had been slowly acquired through natural selection; namely, by individuals having been born with slight profitable modifications, which were inherited by the offspring, and that these again varied and again were selected, and so onwards. But with the working ant we have an insect differing greatly from its parents, yet absolutely sterile; so that it could never have transmitted successively acquired modifications of structure or instinct to its progeny. It may well be asked how it is possible to reconcile this case with the theory of natural selection?
働きアリやその他の無性の昆虫が普通の動物であったならば,わたしは,ためらうことなく,すべての形質は自然選択によってゆっくりと獲得されたものと考えたであろう。すなわち,わずかに利益が高い変異をもって生まれた個体によって,それが子孫に受け継がれ,それがまた変異して,さらに選択され,それが次々と続いたものだと。しかし,働きアリは,その親とは大きく異なり,しかも完全に不妊である。そのため,獲得した形質や本能の変化を,継続してその子孫に伝えることができない。この例を,自然選択の理論とどのように調和させることができるかという疑問が生じるであろう。

This difficulty, though appearing insuperable, is lessened, or, as I believe, disappears, when it is remembered that selection may be applied to the family, as well as to the individual, and may thus gain the desired end. Breeders of cattle wish the flesh and fat to be well marbled together. An animal thus characterized has been slaughtered, but the breeder has gone with confidence to the same stock and has succeeded.
この難題は克服できないように見えるが,わたしは,軽減されるか,あるいは消失すると信じる。自然選択は,個体に対してと同じように,家族にも適用されるであろうことを思い出せば,望ましい結果を得ることができる。牛の育種家は,肉と脂肪が適度に混ざり合うことを望む。そのような特徴を持ったある牛が屠殺されても,育種家は自信を持って同じ家系の牛を選び,成功した。

ダーウィンの”that selection may be applied to the family, as well as to the individual”(自然選択は,個体に対してと同じように,家族にも適用される)という予想を理論化したのは,ハミルトン(1936-2000)である。

rB > C
r:利他的行動の受容者と行為者が特定の同祖的な遺伝子を共有する確率,血縁度(relatedness)
B:利他的行動の受容者が得る繁殖利益(benefit)
C:利他的行動によって行為者が失う生殖コスト(cost)

F = W + rB-C
F:包括適応度(inclusive fitness)
W:利他的行動の作用が無い個体の適応度

ハミルトンは,利他的行動の受容者と行為者の血縁度に,受容者が得る繁殖利益を乗じたものが,利他行為者が失う生殖コストよりも大きい場合に,その遺伝子の頻度が増大するとした。

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ドーキンスは,延長された表現型の例として,まず,造作物をあげている。小石を接着して巣をつくるトビケラの幼虫,材木でダムをつくるビーバーなど。また,複数の個体に存在する遺伝子の共同的な作用による例として,シロアリが作る塚,ビーバーのペアが作るダムを示している。

次に,寄生者が宿主(寄主)を操作する例として,宿主カタツムリを開けた場所に行かせて鳥に食べさせる吸虫類,カニに寄生してカニを去勢するフクロムシ,宿主のコクヌストモドキ幼虫が変態できないようにする胞子虫,宿主ミツバチを水中にダイヴさせるハリガネムシ,鳥に食べられるように宿主ヨコエビを操作する鉤頭虫類などをあげている。

遠隔作用の例として,ある雄によって受精したばかりの雌のマウスは,二番目の雄からの化学的影響にさらされると妊娠をさまたげられるブルース効果をあげている。

表現型は,遺伝子の発現であって,つまり,ドーキンスの言う遺伝子の「乗り物」(vehicle)のことだ。そして,個体の外にある表現型のことを「延長された表現型」と呼んでいるにすぎない。

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ドーキンスの論敵のウィルソンは,マーティン・ノヴァックの理論に基づいて,次のように書いている。

「ワーカーはゲームのプレーヤーではない。真社会性が確立しても,ワーカーは女王の表現型の延長,つまり,女王自身の遺伝子と生殖相手となる雄の遺伝子が交互に発現したものなのだ。事実上ワーカーは,女王が自分をかたどって作ったロボットなのであり,そのおかげで女王は単独生の場合よりも多くの女王や雄を生みだすことができる。」

ウィルソンは,血縁選択説を否定する根拠として,上記の論理を持ち出している。しかし,ワーカーは女王のロボット(延長された表現型)にすぎないという指摘は,ワーカーの利他的行動の説明にはなるが,血縁選択説を否定する論拠にはならない。

なお,ウィルソンは,社会性動物の例として,シロアリ,アリ,ハチ,キクイムシ,アブラムシ,アザミウマ,ツノテッポウエビ,ハダカデバネズミ,アフリカの野生のイヌ,人間などをあげている。

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アリは,性フェロモン,道しるべフェロモン,警報フェロモン,誘引フェロモン,集合フェロモン,巣仲間識別フェロモン,死体認識フェロモン,縄張りフェロモン,帰巣フェロモン,幼生識別フェロモンなどの化学物質を利用して,社会的な行動を実現していることが知られている。

さらに,20成分以上の化合物からなる体表炭化物をもち,その種類や組成比は,種,コロニー,カースト,日齢などによって異なる。触角で複数の化学感覚タンパク質が複合的に作用し,個体の体表炭化水素の情報を認識しているらしい。

サムライアリの新女王は,交尾を終えると,クロヤマアリの巣を探して,単独でその巣に侵入する。クロヤマアリは,侵入したサムライアリ女王を攻撃するが,サムライアリ女王は攻撃をはねのけながら,クロヤマアリ女王の部屋にたどり着き,クロヤマアリ女王に襲いかかる。襲撃されたクロヤマアリの女王は,巣の外に逃げてしまう。

クロヤマアリ女王を追い出したサムライアリ女王は,巣にいるクロヤマアリに攻撃されるが,このときクロヤマアリ女王に成りすます物質を放出する。すると,クロヤマアリの働きアリは,サムライアリ女王を自分たちの女王と認識して,世話をするようになる。

クロヤマアリは,サムライアリ女王が産んだ卵の世話をして,サムライアリが殖える。サムライアリはエサを集めたりせず,働きアリが不足してくると,クロヤマアリの巣を集団で襲撃する。

襲撃されたクロヤマアリは,侵入してきたクロヤマアリを攻撃するが,このとき,サムライアリは,フェロモンに似たプロパガンダ物質を放出して,クロヤマアリを混乱させる。サムライアリは,その混乱に乗じて卵を奪い,巣に持ち帰る。

サムライアリは,1年に40回ほどクロヤマアリの巣を襲撃して卵を奪うが,1つの巣のダメージを小さくするために,複数のクロヤマアリの巣を代わる代わる襲撃するという。

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クロヤマアリのワーカーの行動を見れば,ワーカーは女王のロボット(表現型)にすぎないというウィルソンの指摘のとおりである。

しかし,クロヤマアリのワーカーが表現型にすぎないとしても,血縁選択の効果が無いとは言えない。血縁選択というのは,遺伝子選択のことだからである。

クロヤマアリのワーカーがサムライアリの世話をしようが,クロヤマアリが絶滅しないかぎり,クロヤマアリ遺伝子は存続する。

もし,環境中にクロヤマアリしかいなければ,クロヤマアリの闘争相手はクロヤマアリなので,クロヤマアリ同士の闘争コストが大きくなる。

サムライアリとクロヤマアリは,ともにヤマアリ亜科であり,もとは同じ遺伝子プールに属していた。サムライアリは,クロヤマアリ同士の闘争コストを肩代わりしているとも言える。

補足)論理的におかしな点があったので書き直した。

文献
*1) Charles Darwin. (1859). The Origin of Species, The sixth edition, 1872.
*2) リチャード・ドーキンス. (1982). The Extended Phenotype, 延長された表現型. 紀伊国屋書店, 1987.
*3) E. O. ウィルソン. (2012). The Social Conquest of Earth, 人類はどこから来て,どこへ行くのか. 化学同人, 2013.
*4) Hamilton W.D. (1964). The genetical evolution of social behaviour. II. J. Theor. Biol. 7 (1): 17–52.
*5) 和田綾子, 秋野順治, 山岡亮平. (2008). アリが触角で診たセミオケミカルミクロコスモス. 生化学第80巻第5号, 385-398.
*6) Masaru K. Hojo, Kenichi Ishii, Midori Sakura, Katsushi Yamaguchi, Shuji Shigenobu & Mamiko Ozaki. (2015). Antennal RNA-sequencing analysis reveals evolutionary aspects of chemosensory proteins in the carpenter ant, Camponotus japonicus. Scientific Reports volume 5.

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