情報プール、よみがえるマルサス Information pool, rising Malthus

マルサスによれば、人間の人口は等比級数的に増加するが、利用資源量を超えて増加することはできない。ダーウィンの進化論に大きな影響を与えた『人口論』(1798年)には、次のように書かれている。(*1)

Population, when unchecked, increases in a geometrical ratio. Subsistence increases only in an arithmetical ratio. A slight acquaintance with numbers will shew the immensity of the first power in comparison of the second.

「人口は、抑制がなければ、等比級数的な比率で増加する。生活物資は、等差級数的にしか増加しない。 数字を少しでも知っていれば、後者に比べて、前者の力の莫大なことがわかるであろう。」

Necessity, that imperious all pervading law of nature, restrains them within the prescribed bounds. The race of plants, and the race of animals shrink under this great restrictive law. And the race of man cannot, by any efforts of reason, escape from it.

「必然的に、強大ですべてに浸透する自然の法則は、その数を定められた範囲内に制限する。植物種も動物種も、この強大な制限の法則のもとで縮こまる。そして人間も、いかなる理性の努力によっても、それから逃れることはできない。」

人口が等比級数的に増加するというのは、次式で与えられ、増加率mはマルサス係数と呼ばれる。

dx/dt=mx
x(t)=x(0)emt
x:人口
t:時間
m:マルサス係数

人口が、定められた範囲内に制限されるという理論は、ピエール=フランソワ・フェルフルスト(Verhulst,1838)によって数式化されており、ロジスティック方程式と呼ばれる。

dx/dt=rx(1-x/K)
x(t)=K/(1+C・e-rt)
C=K/ x(0)-1
K:環境収容力

しかし、じっさいには、世界人口は増大しつづけており、マルサスの理論は人間にはあてはまらないと考えられてきた。


World human population (est.) 10,000 BC–2000 AD.

ところが、近年、東アジアやヨーロッパ諸国では、出生率が大幅に低下しており、世界人口は、2100年ごろから、減少に転じると予測されている。


世界人口 1800-2100年(国連 (2004) 及びアメリカ国勢調査局の評価・推計に基づく) (Author:Loren Cobb)

マルサスとロジスティック方程式によれば、1国の経済成長率が大きい(dx/dtが大きい)ほど、その国の出生率は大きくなるはずだ。

統計では、1人当たりGDPと出生率のあいだには、負の相関があり、GDP/人が大きい国ほど出生率は小さくなる。これは、一般には成熟した先進国では、経済成長率が小さいためだ。


1人当たりGDPと出生率の関係(187か国) (*2, 3)

経済成長率と出生率の関係では、それほど明確ではないが、正の相関が見られる。経済成長率が高い国ほど、出生率が大きくなる傾向があり、ロジスティック方程式と矛盾しない。


経済成長率と出生率(187か国) (*2, 3)

上図でもわかるように、同じ経済成長率であっても、出生率が大きく変動することがある。経済学者のジェフリー・サックスは、貧困国の出生率の変化について次のように指摘している。(*4)

「イランではこの革命によって若い娘が学校に通えるようになり、女性の識字率が急上昇したために、出生率が急激かつ大幅に低下した」、「女性教育の普及によって、女性が労働力に加わると、金を稼げるようになり、それにつれて家で子育てをする「コスト」も高くなる。教育、法律、社会改革を通じて、女性は力をつけるようになり、出産に関しても自分で選択できるようになる(それまでは、夫や家族の他のメンバーが選択をしていた)」(貧困の終焉)

また、GDP/人が大きな国では、低所得の層ほど、結婚、出産を敬遠する傾向がある。韓国、日本、アメリカでは、子供を増やしたくないのは、「子育てや教育にお金がかかりすぎる」という理由がもっとも多い。スウェーデンやフランスでは、高年齢のためという理由が多いが、一般には高学歴ほど出産年齢が高くなるので、子供の教育に大きなコストがかかるということであろう。


子どもを増やしたくない理由(*5)

ドーキンスは、「この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである」、「私たちの脳は、遺伝子に対して反逆できるほどには十分に、遺伝子から分離独立した存在なのである」と書いている。(*6)

人間が遺伝子に反逆できるということは、脳における情報の変異速度が、遺伝子の変異速度を凌駕しているということだ。

生物は、系の外部に、エントロピーが増大したエネルギーや物質を排出することで、系の内部のエントロピーの増大を防いでいる。生物から見ると、「生産」とは、エネルギーと物質を「獲得」することであり、「消費」とは「自己複製」することである。なお、物質の獲得にはエネルギーが必要なので、利用資源はエネルギーに還元される。


e:エネルギー
s:エントロピー

遺伝子から見れば、獲得したエネルギーを、すべて自己複製に利用するのが有利である。子供の教育に大きなコストがかかるという理由で子供を増やさないということは、遺伝子の複製よりも、脳による情報の複製に大きなエネルギーが必要であることを示している。

ヒトは、変異した情報を蓄積する生物であり、時間とともに情報が蓄積し、情報プールが増大する(情報(知識)の変異速度)。情報プールの巨大化によって、脳による情報複製のエネルギー消費が、遺伝子複製のエネルギー消費を上まわるようになったと考えられる。

ヒトは、情報プールの増大によってマルサスの理論を克服してきたが、情報プールの巨大化によって、マルサスは、200年後の現代によみがえった。

文献
*1)Thomas Robert Malthus. (1978) An Essay on the Principle of Population.
*2)The International Monetary Fund
*3)The World Bank Group
*4)ジェフリー・サックス. (2005). 貧困の終焉. 早川書房, 2006.
*5)内閣府. (2010) 少子化社会に関する国際意識調査.
*6)リチャード・ドーキンス. (1976) 利己的な遺伝子. 紀伊國屋書店 増補新装版 2006.

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ポトラッチと熊の霊送り Potlatch and sending off the bear

狩猟採集民が大型動物の仔を飼育する例として、北方漁撈部族の「熊の霊送り」がある。

アイヌのクマに関する儀礼は2種類あり、ひとつは狩猟現場で殺したクマに対する儀礼で、もうひとつは、飼育したクマの儀礼だ。クマのメスは、冬ごもり中に仔熊を出産するが、アイヌは、冬眠中の母熊を狩猟し、仔熊を生きたまま捕獲した。捕獲した仔熊を1~3年飼育してから、儀礼をおこなう。


Ainu. Originates from Mr Ludvig Munsterhjelm’s expedition to Sachalin (Sakhalin) 1914(National Museum of Denmark)


イオマンテ、1930

クマを祭る儀礼は、ヨーロッパ、アジア、北米の極北から亜極北の狩猟民族のあいだにひろく存在する。ただし、仔熊を飼育してから殺し、饗宴を催す儀礼は、アイヌ、ニヴフ(ギリャーク)、ナナイ(ゴルド)、オロチ(ナーヌィ)、ウィルタ(オロッコ)、ネギダル(エルカンヴェイェニン)、ウリチ(オルチャ)など北海道、サハリン、アムール川下流域の部族だけに見られる。


仔グマ飼育型クマ送りの広がり(souce:北の異界 古代オホーツクと氷民文化)(*1)

アイヌは、狩猟、漁撈、採集と初歩的な農業をおこなう社会である。男性は狩猟と漁撈に従事し、女性が採集とヒエなどの栽培に従事する。狩猟採集が生業の中心だが、サケ、ユリ、ヒエなどの保存食を貯蔵して定住する。

「かつて、北海道各地のコタン(集落)では、盛大なイヨマンテ(霊送り)が盛んに行なわれていたという。狩猟、採集民であったアイヌ(人間)にとって、イヨマンテは重要な位置を占めていた。アイヌにおける最も一般的な「送り」は、ふつう「熊の霊送り」といわれるイヨマンテである。この祭事は、アイヌにとって村を守る神であるコタンコロカムイ(村の守り神=しまふくろう)送りに次ぐ重要な祭儀でもある。アイヌの神々はカムイモシリ(神の国)で生活をしているが、アイヌモシリ(人間の国)に姿を現わすときはハヨクペ(仮装)して現われると信じられている。キムンカムイ(山の神)は熊の姿、レプンカムイ(沖の神)はしゃちの姿、コタンコロカムイはしまふくろうの姿になって現われる。これらの神々が、アイヌに食物や毛皮を与えるために、人間の国に遊びに来るのである。この「熊の霊送り」には、二通りの行ない方がある。一つは熊猟を行ない、そこで仕留められた成獣が対象となる「カムイホプニレ」である。これは仕留めた熊をその場で解体して、魂をていねいに神の国へ送るものである。もう一つは、一定期間、熊を飼育し神の国へ送り返すというものである。春先に、冬ごもりの穴の中で子熊を捕え、捕えた熊を人間の子と同じように養い、成長するとセッ(檻)に移して飼う。その子熊は、神から飼育するように預けられたものと考えられているので、ていねいに扱い育てられる。ときには、婦人の乳によって赤子のように育てられることもあったという。熊の霊送りは、早ければ子熊を捕えたその年の十一月末から冬にかけて、おそくとも三年目の十一月から一月にかけて行なわれる。しかしその形態は、それぞれのコタンによって、また、それぞれの家系によって違うとされる。神からの預かりものである熊を、神のもとへ送り返す祭儀である熊の霊送りは、ふつう三日間行なわれる。一日目は、神への報告と守護を祈る。二日目が本まつり。そして三日目は、神への祈りと別れを惜しむ儀式の後、人間の国から神の国に魂を送る式を行なう。そこでイヨマンテは終わる。熊の霊送りはアイヌ独自の祭儀ではなく、北方ユーラシアから北アメリカにかけて広範に行なわれていたという。これは前述したように、共同体としての重要な「まつり」であるからであろう。アイヌには山で仕留めた成獣にしろ、村で大切に育てた子熊にしろ、殺すという観念はまったくなく、あくまで「神の国から人間の国へ遊びに来た神を元の神の国へ送り返す、子を親元に帰す」という考えから、祭儀が行なわれてきた。・・・
熊を送る日が決まると、男たちは数日前から準備に追われる。ヌサ(祭壇)に祀るイナウ(木幣)、屋内に飾るイナウル(けずりかけだけの木幣)、ヘペレアイ(花矢)などの製作にである。白老には儀式用の飾り矢が二種類ある。一つは「チノイェアイ」といい、模様が曲線状に施されている。もう一つは「チトッパアイ」で、部分的に平たくけずったような模様が施されている。これらの花矢はまつりの当日に熊に向かって放たれ、またヌサ(祭壇)に束にして飾るためにつくられる。その数は、送る熊の雄、雌によって違っているという。ヌサには、熊に持たせるヘペレシケ(みやげ)を飾る。「ヌサに飾ることによってみやげが何倍にもなって神の国に届く」とされているからである。ヌサにはヘペレアイ(花矢)のほか、串にさしたニッオシト(串だんご)、サッチェプ(干し鮭)、クー(弓)、イカヨプ(矢筒)、エムシ(刀)、タンネプイコロ(長い宝刀)、エムシポイコロ(短い宝刀)、シントコ(行器)などがあり、これらにイナウルをつけて飾る。」(聞き書 アイヌの食事)(*2)


蝦夷島奇観(1860)(*3)

飼育した熊の霊送りは、いつごろからおこなわれてきたかわかっていないが、擦文文化(7~13世紀)に由来するという説やオホーツク文化(3~13世紀)に由来するという説などがある。もっとも古い文献記録としては、1643年にオランダ東インド会社のフリース船隊が、サハリンでクマ檻を目撃したという記録がある。

熊の霊送りは、「神の国から人間の国へ遊びに来た神を元の神の国へ送り返す」儀礼というのが通説である。しかし、人類学者のあいだでは、さまざまな意見がある。

「北海道のオホーツク海沿岸部で展開したオホーツク文化(4~9世紀)には,住居の奥に熊を主に,鹿,狸,アザラシ,オットセイなどの頭骨を積み上げて呪物とする習俗があった。それらの動物のうち熊については,仔熊を飼育し,熊儀礼をしたあと,その骨を保存したことがわかっている。これは,中国の遼寧,黄河中流域で始まり,北はアムール川流域からサハリン,南は東南アジア,オセアニアまで広まった豚を飼い,その頭骨や下顎骨を住居の内外に保存する習俗が,北海道のオホーツク文化において熊などの頭骨におきかわったものである。豚の頭骨や下顎骨を保存するのは,中国の古文献によると,生者を死霊から護るためである。」(春成, 1995)(*4)

「北海道のアイヌは、クマ、ワシやシマフクロウを飼育し、それを送る儀礼を行なっていた。この「飼い型」の送り儀礼の成立を考える上で、筆者が強調したいことは、飼い送られる動物の共通点は、和人社会との交易のなかで、それらは商品(交換)価値が高く、かつ飼育しうる動物であったことである。筆者は、送り儀礼の思想大系は北方諸地域に広く分布するかなり起源的には古いものである一方で、その一亜型である「飼い型」の送り儀礼は、アイヌらの北方交易が進展していく中で成立したものであると主張したい」(岸上, 1997)(*5)

「生きている仔グマの授受がオホーツク文化内の交流、さらには、オホーツク文化と続縄文文化との異文化交流に重要な役割を果たした可能性」(増田, 2002)「子グマ・ギフトをともなう飼いグマ祭りは、従来強調されてきた集団内だけでなく、異集団間の絆を強める機能、あるいは交渉を円滑にすすめる役割をも果たした」(天野, 2002)。(*6)

「ギリヤークとオルチャの熊祭については所謂‘氏族’組織との関係が明かにされている・・・1)アイヌの熊祭は地縁集団としてのshine itokpa groupを独立単位とする団体的儀礼である。2)各shine itokpa groupに属するlocal groupsの間で,また各local groupの家々の間で,習慣的な順番乃至序列があり,個々の家で飼われたクマの殺戮儀礼はその順序に従って挙行された。・・・local groupには中核がある。それは共通の男子祖先から出たとする父系男子親族Shine ekashi ikiruから成る。首長はその中核ebasi ikiruの出身であるのが普通である。・・・熊祭の時季がくると祭礼の実施に先立って各Shine itokpa groupでは,local groupの首長達が,習慣的序列によって筆頭にくる首長の家に会合して,各local groupに於けるクマ殺戮儀礼実施の日取りを決める。その順番は習慣的に定まっていた。・・・クマの飼育は食物のみでなくその獲得に要する時間と労力の浪費である。しかしそれが社会的宗教的価値を生む。またそれは”熊送り”儀礼を通して社会の統合に役立っている。この意味でクマの飼育を伴う熊祭は北西海岸インディアン社会に於けるpotlachに比較し得るものといえよう。potlachは根本的には食物余剰に依存している。」(渡辺, 1964)(*7)

最上徳内の『蝦夷国風俗人情之沙汰』(1790年)には、以下のようにある。

「蝦夷村々乙名の家に飼置く赤熊成長し、大赤熊と成りたるを撰び、其乙名、其赤熊に向ひ因果因縁を解示して曰、大幸なる哉我熊、能く聞け、此秋の氏神の牲犠に備ふなり。必未夾は人間と變生すべし。依て是を樂んで潔く牲犠に立つべしと云含、其後其赤熊を縛縊し、一室に索(ひき)到り、前後左右より繋き留め、土人大勢群集し枷、杻、桎を容れ、堅固に囲ひて。扨、首前に幣を建て、鉾、太刀、長刀、其外種々の長[武]器を飾り、其後其村の乙名を初、其親類及び近郷近村の乙名及び長立たる者集りて大祭禮の祝儀あり。此時、家格、新古等に因りて其席に前後上下ありて其席々に急[屹]度着座あり。於レ是射禮あり。銘々次第を揃て矢を放つ。蟇目の射法の如し。其式禮終れは、赤熊猛勢弱り死に臨んとす。此時を待、大勢群り、棒責にして殺す也。殺し終りて後其死骸に種々の供物をそなへ、佛家の百味の飲食をそなへ、施餓鬼供養するに似たり。此式禮終わりて、其供物を似て近郷近村の老若男女に分ちあたへ、賑恤する事甚し。其後其熊を、皮を剥き、肉を料理て喰ふなり。扨、皮は首を正面に向け、耳鐶を掛け、靈前に飾り置く。前庭には二行に旗幟を建て武具を飾り嚴重に見へにけり。祝儀の大酒宴あり。赤熊の肉を肴とし次に鹿肉、狐肉、魚肉澤山にして終日終夜にぎはふ也。是を毎秋乙名家、豪富の名利とする。此時は衣服を改め、器財寶物を披露し、藝術を以て鳴り、才徳器量を輝して格式を採んことを策となり。才徳爵祿を布くは此大祭禮の入用を一人にて度々するを以なる也。土人此大祭禮を名つけて、イヨウマンテといふなり。年中海上にて漁獵を無難にする祝儀なりといふ。」(高倉編, 1969)(*8)

最上徳内の記録で注目すべきは、「氏神の牲犠に備ふ」、「鉾、太刀、長刀、其外種々の長[武]器を飾り」、「近郷近村の乙名及び長立たる者集りて大祭禮の祝儀あり」、「家格、新古等に因りて其席に前後上下あり」、「是を毎秋乙名家、豪富の名利とする」、「衣服を改め、器財寶物を披露し」などだ。

また、招かれる部族は、「召客トテハ三十里程ノウチノ乙名ヲ使ヲ以テ招寄セ、近所七八里ノ内ハ小児マテ不残、前日ヨリ相集リ」(北海記)(*8)との記録があり、240キロの範囲の氏族や部族を招いていたことになる。『北海記』は、1785~1786年に幕吏が蝦夷地を巡見した際の記録である。

これらのことから、飼育した熊の霊送りは、北方漁撈部族によるポトラッチであると思われる。ポトラッチは、部族間の財の相互贈与と、部族の戦力の信号化(Signalling)によって、戦闘による共倒れを抑止し、部族の資源獲得権を調整するシステムだ。クマは、部族間で相互に贈与される財のひとつであり、ポトラッチのシステムのなかから、大型動物の「飼育」という行為が生じたと思われる。

北方漁撈部族は、食料をサケや海獣に依存しているが、サケや海獣は部族のテリトリーを超えて移動するので、捕獲権をめぐって紛争が頻繁に発生したのであろう。(漁撈部族の貯蔵食料)(ポトラッチ:漁撈部族間の相互贈与)

熊の飼育には大きなコストが生じるが、コストが大きいほど部族の戦力を誇示することができる。そして、そのコストは、全面戦闘による共倒れにくらべれば、はるかに小さい。

なお、国家規模のポトラッチとしては、「朝貢」がある。朝貢がさかんにおこなわれたのは、古代中国やアケメネス朝ペルシアが知られている。朝貢を受けた側は、贈与された財の数倍から数十倍の財を返礼として贈与し、贈与する財が多いほど、相手より上位にあることを示していた(Signalling)。朝貢のコストは、大きいように見えるが、軍事費や戦争にくらべればはるかに小さかったので、経済的に優れた安全保障システムであったといわれている。


アケメネス朝ペルシア帝国の都、ペルセポリス(BC520~)のレリーフ(Author:Phillip Maiwald)


6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯、鄧至、狼牙修、倭、亀茲、百済、波斯、滑/嚈噠からの使者

文献
*1)宇田川 洋. オホーツク「クマ祀り」の世界. 北の異界 古代オホーツクと氷民文化, 2002.
*2)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*3)秦檍丸. (1860) 蝦夷島奇観.
*4)春成秀爾. (1995) 熊祭りの起源. 国立歴史民俗博物館研究報告 (60), 57-106.
*5)岸上伸啓. (1997) アイヌの「飼い型」の送り儀礼と北方交易. 民博通信 76, 109-115.
*6)増田隆一, 天野哲也, 小野裕子. (2002) 古代DNA分析による礼文島香深井A遺跡出土ヒグマ遺存体の起源―オホーツク文化における飼育型クマ送り儀礼の成立と異文化交流―. 動物考古学 19.
*7)渡辺 仁. (1964) アイヌの熊祭の社会的機能並びにその発展に関する生態的要因. 民族学研究 29(3):206-217.
*8)池田貴夫. (2007) クマ祭り(飼育を伴うクマの霊送り)の研究 : 民族文化情報とその表現をめぐる諸問題. 名古屋大学.

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名人農家が教える有機栽培の技術

昨年から、新井俊春さんに無理を言ってお願いして、書いていただいた本がようやく発行できることになりました。新井俊春さんは、1955年に群馬県甘楽町の農家に生まれ、30代のころから有機農業に取り組んできました。施設トマト、露地野菜などで、高い有機栽培の生産技術を有し、甘楽町有機農業研究会の代表も務めています。甘楽町有機農業研究会は、2010年日本農業賞食の架け橋賞優秀賞、2014年環境保全型農業推進コンクール最優秀賞など受賞しています。

『名人農家が教える有機栽培の技術』
発売 2019年8月10日
新井俊春 著
発行 月曜社
税込価格 2,916円(本体価格 2,700円)
四六版 304ページ
巻頭カラー写真 76枚
本文写真(白黒) 約200枚
図データ 38
表データ 49

これほど詳細で実践的な有機栽培の技術の本は、これまでに、なかったと思います。有機農業の生産者だけでなく、多くの栽培者にとって、必読の文献と思います。はっきり言って、値段の10倍の情報の価値があると思います。

初刷り部数はそれほど多くないので、早めに入手したい方は、近くの本屋さんに予約してください。

なお、Radixの会の会員の方は、会員価格で入手できます。後日、事務局のほうから、申し込み方法の連絡があると思います。


農薬をまったく使わず20段まで栽培するトマト(中玉)

猛暑の夏でも色むらがでない
pho8-12(2)
露地のミブナ、ノザワナ、コマツナなど
pho8-13(4)
施設のミニチンゲンサイ、わさび菜、ミブナなど

在来種コマツナ

ノザワナ、芸術品のような野菜ばかりです

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目次

1章 有機農業への転換 8
養蚕業の衰退 8
トマトとネットメロンの栽培 10
有機農業へ転換 15

2章 堆肥づくり 18
堆肥と腐植 18
自家製堆肥の材料 22
堆肥化の過程 24
水分調整 24
C/N比(炭素率) 27
堆積と切り返し 29
熟成 31

3章 土と作物 32
腐植と団粒 32
窒素の吸収 34
地上部と根の伸び方 37
養分吸収 40
結球野菜、ホウレンソウ、ジャガイモ 40 /ネギ、長期どりの果菜類 42 /根菜、カボチャ 43

4章 土壌診断と生育診断 45
堆肥の入れすぎ 45
土壌の診断 48
土壌pH 48
電気伝導度(EC) 50
陽イオン交換容量(CEC) 51
塩基飽和度 52
塩基バランス 53
観察の重要性 55
作物の栄養素 58
窒素(N) 58/カリウム(K) 60/カルシウム(石灰、Ca) 60/マグネシウム(苦土、Mg) 62
微量要素と土壌 63
ホウ素(B) 63/マンガン(Mn) 66/鉄(Fe) 67

5章 トマトの栽培 68
トマトの特徴と作型 68
培養土 70
播種 73
鉢上げ、育苗 76
土壌養分の診断 77
施肥とうね 80
マルチ 84
栽植 86
定植 90
かん水 92
整枝 96
着色対策 98
追肥 99
被覆資材 102
扇風機 103
受粉 103
収穫 104
診断と対策 105
窒素(N) 105/リン酸(P) 106/カリウム(K) 106/カルシウム(石灰、Ca) 108/マグネシウム(苦土、Mg) 111/異常茎 112/乱形果 113/窓あき果、チャック果 114/網入り果 114/裂果 115

6章 トマトの病害虫対策 118
病原菌の特徴 118
菌類(糸状菌) 121
葉かび病 121/すすかび病 122/灰色かび病 122/輪紋病 124/白絹病 125/菌核病 126/うどんこ病 127/萎凋病 127/根腐萎凋病 129/褐色根腐病(コルキールート) 129
細菌(バクテリア) 130
斑点細菌病 130/かいよう病 131/青枯病 132
ウイルス 134
モザイク病 134/黄化えそ病(TSWV) 135/黄化葉巻病(TYLCV) 136
害虫 138
土壌病害対策 143
太陽熱消毒 143/土壌還元消毒 145/糖蜜を利用した土壌還元消毒 146/カラシナ土壌還元消毒 147

7章 ニガウリの栽培 148
ニガウリの特徴と作型 148
播種 149
鉢上げ、育苗 150
施肥、うね立て 152
定植、支柱立て 154
誘引 156
収穫 157
害虫対策 159

8章 葉菜類の栽培 161
品目と作型 161
コマツナ(小松菜) 162
ミブナ(壬生菜) 164
ノザワナ(野沢菜) 165
ミニチンゲンサイ 166
わさび菜 167
肥料と施肥 168
整地と鎮圧 170
播種 172
播種の間隔 173
収穫 176
栄養診断と土壌養分の診断 177

9章 野菜の病害虫対策 180
有機栽培と病害虫 180
生物学的な分類 181
作物をとりまく環境 186
水はけ 186/風通し 188/日当たり 189/温度 190/栄養分 190
菌類(糸状菌) 191
菌核病(スクレロティニア) 191/黒班病(アルタナリア) 193/白絹病(スクレロチウム) 195/うどんこ病 197/萎凋病、つる割病など(フザリウム) 199
原生生物 202
疫病(フィトフトラ) 202/べと病 205/白さび病(アルブゴ) 206/根こぶ病(プラスモディオホラ) 208/立枯病 213
細菌(バクテリア) 216
軟腐病(ペクトバクテリウム) 216/シュードモナス 218/腐敗病 219/斑点細菌病、黒斑細菌病 220/キサントモナス 221/ジャガイモそうか病 223
ウイルス 227
害虫対策 230
除草 230/窒素施用と害虫 232/防虫ネット、不織布 233/不織布のべた掛け 235/被覆資材のトンネル掛け 236/雨よけハウスでの害虫対策 238
線虫 239

10章 野菜の品質保持 243
品質保持の重要性 243
日持ちの内的要因 244
収穫後の鮮度の変化 246
品質劣化の現状と改善点 249
萎れ 250/黄化 252/とろけ(腐敗) 253/カビ 255/裂根、裂球、裂果 256/芯部や先端の変色 258

11章 施設、資材、機械、道具 261
施設 261
肥料 263
遮光ネット 265
ロータリー 267
プラウ 271
プラソイラ 273
管理機 274
鎮圧ローラー、播種機 274
整地道具 275
除草道具 276
マルチの穴あけ 277
ネギの定植道具 278
調整、荷づくり 279

あとがき 280

参考文献・引用文献 284

ポトラッチと家畜化 Potratch and domestication

レヴァントでのヤギ、ヒツジ、ウシの家畜化(遺伝的変異)は、PPNB期にトルコ南東部でおきたことがわかっている。これらの動物は、イヌとは異なり、「意識的」に飼育がはじまったことはあきらかだ。ただし、飼育=家畜化(遺伝的変異)ではない。野生の動物が遺伝的に変異して家畜になるには、「無意識」の選択と繁殖がおこなわれなければならない。


チャヨヌ遺跡の各層から出土する動物の種構成とその相対的な割合(*1)(*2)


チャヨヌ遺跡から出土したウシ(左)とアカシカ(右)のサイズの変遷(*1)(*2)

しかし、どうしてこれほど古い時代に、大型の草食動物を飼育するという、やっかいでめんどうなことをはじめたのであろうか。

草食動物は草原や森で勝手に植物を食べて生きているのだから、必要なときにそれを捕獲するのがもっとも合理的だ。世界中の狩猟民や漁撈民たちは、無秩序に動物を捕獲しているわけではなく、狩りや漁ができる場所(テリトリー)が、厳格に定められている。つまり、たとえ野生の動物であっても、集団の所有権(資源獲得権)が確定している。また、産卵期や繁殖期に捕獲しない、必要以上に捕獲しない、幼体は捕獲しない、若いメスを捕獲しないなど、猟期、捕獲量、捕獲対象などについて、細かい制限や規範があり、野生の動物の繁殖を管理している。

レヴァントでも、古い時代から動物の管理がおこなわれていたことは、遺伝学や考古学の調査からうかがえる。キプロス島では、12,000年前から、イノシシ、ムフロン、ベゾアール、オーロックス、ダマジカ、アカシカ、キツネなどの大型の動物が運びこまれていた。(*3)

また、家畜ヤギは、ハプロAとCがトルコ南東部で家畜化されたが、ハプロCは、もともとは南部ザクロスまたはイラン高原に生息していたベゾアールの系統であり、これがトルコ南東部に移されたあとに家畜化されたと考えられる。(家畜ヤギの起源)

家畜ヒツジも、ハプロタイプがクラスターⅠ(トルコ南東部)とクラスターⅡ(イラン高原)の2つの系統に分けられ、地理的に異なる2つの母系が存在する。また、現在のキプロスムフロンは、イラン高原などに生息していたムフロンの系統であった。(ヒツジの起源)

キプロス、ヤギ、ヒツジなどの例から、12,000年前のレヴァントでは、野生の動物を長距離に移動させる何らかの社会システムを有していたと思われる。そして、レヴァントの12,000年前は、ギョベクリ・テペの建設がはじまった時期と一致する。さらに、PPNB後期の家畜化は、ギョベクリ・テペの放棄と同時期だ。

これらのことから、ベゾアール(野生ヤギ)やムフロン(野生ヒツジ)は、ポトラッチにおける相互贈与の財のひとつであったと考えられる。バンド内で食料を相互贈与するばあいは、捕獲した動物をすぐに分配できる。しかし、他の部族に贈与するばあいは、干し肉などの保存食料にしないかぎりは贈与することはできない。しかし、ヤギやヒツジを生きたまま捕獲して、生きたまま運べば、腐敗せずに価値が維持されるので、財として贈与することができる。ただ、大型の動物を生きたまま捕獲して運ぶのはかなりやっかいである。そこで、仔畜または若い個体を捕獲し、しばらく飼育してから運んだと思われる。ただし、仔畜を飼育するだけでは、家畜化(遺伝的変異)はおこらない。

動物の家畜化において、もうひとつ重要なことは、乳の利用である。地中海地域で飼育されているヒツジとヤギの群れは、ほとんどがメスである。オスは、若いうちに屠殺される。現代でも、ヒツジの肉の多くが、ラムとして消費される。ラムは、生後1年未満のオスの仔羊で、永久歯が生えていない。メスは仔を産ませるためにそのまま育てられ、1年を超えたときに妊娠しなかったメスがホゲットとして消費される。ホゲットは、1歳以上2歳未満のメスだ。マトンは、経産のメスで、2歳以上で4歳ごろまでに消費される。

BC2600年のウルのスタンダードでは、牡牛やヒツジの群れの先頭にヤギが描かれている。


ウルのスタンダード、饗宴の場面、牡牛、山羊、羊(BC2600)


ウルのスタンダード、戦争の場面

西アジア、中央アジア、南アジア、ヨーロッパ、モンゴル、ツインドラ地帯、東アフリカなど、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の牧畜民は、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダ、トナカイなどの家畜の乳を利用する。アラブ系牧畜民バッガーラでは、次のように群れの管理がおこなわれているという。

「小頭数の牡畜のみを残し,群の大部分を牝畜で構成させている.牝畜の妊娠・出産・泌乳には選ばれし少数の牡畜のみで要を成すことから,多くの牡畜は生後間もなく間引かれることとなる.30頭の牝畜に1頭の牡畜を交尾のために留める程度である.牝畜は,乳の出が悪くなると,物々交換などに出されたりして,随時更新されていく.ここに,より多くの乳を搾るために,牧畜民による家畜の育種・選択がおこなわれていることが理解される.また,家畜から乳を搾るためには,母仔を分離し,別々の群にして放牧し,母畜の乳が減らないように仔畜への哺乳を制御する必要がある.仔畜に口かせを付けたり,母畜に胸当てを付けたりすることもある.また,本来は自らの仔のみに許容するはずの哺乳を他種動物(ヒト)が搾乳できるようになるためには,仔畜を利用した催乳など,乳を横取りするだけの技術が必要となる.更に,搾乳は群を身近に留めるためのコントロールにも利用されている.搾乳のためには,母仔分離をする.母仔は,匂いと鳴声で互いを認識し合っている.この契られた母仔関係により,母仔を別々の群に分離しても,母畜は仔畜のことが気になり,遠くに行こうとはしない.つまり,搾乳のために母仔を分離し,仔畜群を宿営地の近くに留めておけば,母畜群の集団も結果的に宿営地の近くに留まることになる.」(平田, 2011)(*5)

一方、モンゴルの遊牧民では、飼育している家畜の群れのメスの割合は50%以下で、オスは去勢されて飼育される。

「春営地では,新生仔や母畜の一部がそれ以外の個体と区別して管理される.仔ウシは,生後数日間は寒さとカラスやオオカミの襲撃から守るため,そして母をキャンプに連れ戻すためのおとりとして,また人間が搾乳するために勝手に哺乳させないように,放牧には出されず囲いの中にとどめおかれる.仔ヤギは,寒さに弱く,自由に哨乳させると飲み過ぎて下痢し,また母を見失って迷子になりやすく,母ヤギの方も仔を取り違えて母子ペアの組み合わせに齟齬が生じやすいなどの理由で,ゲルや囲いの中で数週間育てられる.仔ヒツジにはそのような問題がないとして母と一緒に放牧に出される.だが仔ヒツジと出産前後の母ヒツジだけは,それ以外のヒツジ・ヤギ群とは分けられ,キャンプからより近い場所で放牧される.仔ウマは,キャンプから遠く離れた場所で生まれて母やほかの群れメンバーとともに行動する.牧民は春にはウマを数日間にわたってキャンプに連れ戻さないで自由に遊動させるため,仔ウマの誕生に気づかないことも多い.夏営地では,仔ウシと仔ヒツジ・仔ヤギがキャンプ周辺で草を食べはじめるようになる頃にヒツジ・ヤギの搾乳も始まり,仔はキャンプ周辺で,母は離れた場所で放牧される.その後ウマも搾乳期に入り,毎朝キャンプに連れ戻されるようになる.朝,仔ウマは1頭ずつキャンプ内の仔ウマつなぎにつながれ,噛乳できない状態で1日中過ごす.仔ウマがつながれていると,母をはじめ,1頭の種オスによって統率された群れの大部分がキャンプ周辺にとどまる.秋営地に移ると一般にウマとヒツジ・ヤギは搾乳しなくなるため,仔を母の群れに入れて一緒に放牧する.ウシは通年搾乳するため秋以降も仔と母を分けて放牧する.9月初旬には,ヒツジ・ヤギの早すぎる妊娠を防ぐためにヒツジ・ヤギの種オスの管理を外部に委託する.10~11月頃,ヒツジ・ヤギの種オスが群れの中に放たれ,冬営地ではヒツジ・ヤギの全個体が一群として放牧される.以上をまとめると,ハイルハンでは一般的に,年間をとおして家畜を4つ以上の放牧群に分け,別々の場所で放牧している.このように放牧群を分ける理由は次の5つである.(1)1日に移動できる距離や放牧中の移動速度の異なる個体は一緒に放牧できない.(2)新生仔を保護する.(3)仔をおとりとして母を含む群れ全体をキャンプに繋ぎとめる.(4)搾乳量を確保するために,仔畜が自由に哺乳できないようにする.(5)ヒツジ・ヤギについては出産時期を限定するため,性成熟に達したオスとメスを一定期間遠ざけておくことによって交尾を管理する.」(風戸, 2006)(*6)

「牧民は,新しく生まれてくる仔と母との組み合わせをひとつももらさず認知し,成長後も母系の系譜上に位置づけてよく覚えている。ハルザイ(27歳,男性)に,彼の所有する羊・山羊の系譜関係を写真付きの個体カードをもとにたずねたところ,全個体の母子関係を教えてくれた。男性は群れの通年的な母子関係の総合的な知識では女性をしのぐ。しかし,新生仔の母子関係については女性の記憶に頼ることがある。・・・冬の大切な仕事として、家畜の種付けの調整がある。種オスはいつも慎重に選ばれている。選ばれなかったワカオスは去勢される。」(風戸,1999)(*7)

話がそれるが、この「オスを去勢して群れに残す」という群れ管理の方法が、モンゴル帝国の武力と多民族支配の背景にあるのではないだろうか。モンゴルの兵士は全員騎馬で、何頭もの替え馬を連れて長大な距離を行軍した。また、従わない異民族に対しては残忍であったが、帰順する異民族の支配者を殺さず登用した。

家畜の管理と搾乳に仔畜が利用されていたことは、ウバイト期やウルク期の印章からもうかがえる。


Ubaid temple inlaid frieze: cow pen with lunar crescent (Delougaz 1968)


Cylinder seal depicting cows emerging from the cow pen (Delougaz 1968)


Cylinder seal and impression: cattle herd at the cowshed. White limestone, Mesopotamia, Uruk Period (4100 BC–3000 BC).

考古学の調査では、2007年の報告がある。西アジアの新石器時代の遺跡から出土した動物骨を分析し、生後2か月以内のオス(ラム)の割合や、2~4歳のメス(マトン)の割合から、乳利用について調べている。西アジアの新石器時代の遺跡では、ヒツジとヤギの肉利用だけをおこなっていた遺跡はほとんどなく、多くが肉と乳の両方を利用していた。乳利用がおこなわれていたと思われるもっとも古い遺跡は、BC8000年紀前半とBC7000年紀の例があり、西アジアではPPNB中期にはすでに乳利用がおこなわれていたと考えられている。すなわち、ヤギとヒツジを飼育するようになってから、それほど間を置かずに、乳利用がはじまったという。(*8)


TABLE 3. – Frequencies of the main types of harvest profiles of sheep and goats which have been examined in this paper for Near Eastern and Mediterranean Early Neolithic periods. (*8)

直接的な乳利用の証拠としては、2008年の報告がある。西アジアのBC7000年紀の遺跡から出土した土器から乳の脂肪酸が検出されており、とくにトルコ北西部の遺跡に顕著だったという。(*9)


Figure 1, Map showing the locations of sites providing pottery for organicresidue analysis. (*9)

Table 1 Details of sites, dates, sherds, and lipids and their concentrations. (*9)

仔畜をおとりにして動物の群れを管理し、乳を利用したのが牧畜のはじまりであると指摘したのは、梅棹忠夫だ。

「草原の有蹄類のむれを手にいれて、その乳をしぼれるようになった鍵がございます。その鍵はなにかといいますと、家畜の子どもなのです。これを人質にとってしまう。・・・乳しぼりと去勢の二つの技術を前提として、牧畜という生活様式が完成したとわたしはかんがえる」(『狩猟と遊牧の世界』)(*10)

しかし、このような見方は、「乳を利用する」あるいは「牧畜する」という目的が先にあって、その目的を実現する手段として、「仔畜を人質にする」ということであろう。これは、「栽培」という目的が先にあって、野生植物を栽培する過程で栽培植物が生まれた、あるいは、アリはアブラムシを牧畜するという目的が先にあって、野生アブラムシを牧畜する過程で家畜アブラムシが生まれたという論理と同じだ。

そもそも、動物を飼育するのは、動物を食料として利用するためであり、動物を食料にするには、アボリジニ、サン族、漁撈民たちのように、管理狩猟をおこなうのがもっとも効率がよい。管理狩猟でもっとも重要なのは、テリトリー(資源獲得権)を獲得することである。

やっかいでめんどうな動物飼育をはじめたのには、理由が存在するはずで、その理由は、ポトラッチにおける財の贈与と思われる。ポトラッチにおける財の相互贈与は、ライバル部族同士の戦闘を抑止し、部族の資源獲得権を確保するためだ。ポトラッチによって資源獲得権を獲得するために、ベゾアールやムフロンの仔畜を飼育するようになったと考えられる。

仔畜を飼育するなかで、結果的にベゾアールやムフロンの群れを自分たちのテリトリー内にとどめておくことが可能になり、さらに、乳を利用できるようになった。肉と乳を効率よく利用するには、人に慣れず、乳の生産量が低い個体は殺して肉として利用する。逆に、人に慣れて乳がよく出る個体は選択されて繁殖するので、家畜化がすすんだと考えられる。

PPNB期の終わりにギョベクリ・テペが放棄されたのは、ヒツジ、ヤギ、ウシなどの家畜化によって草食動物の所有権が確立し、動物の捕獲権をめぐる調停の場としてのポトラッチが廃れたからであろう。ポトラッチのために家畜化がはじまったが、家畜化がはじまったことで動物の所有権が確立し、ポトラッチの必要がなくなった。

文献
*1)本郷一美. (2002) 狩猟採集から食料生産への緩やかな移行 : 南東アナトリアにおける家畜化. 国立民族学博物館調査報告 33 109-158.
*2)本郷一美. (2008) ドメスティケーションの考古学. 総研大ジャーナル 13 30-35.
*3)Jean-Denis Vigne, Antoine Zazzo, Jean-François Saliège, François Poplin, Jean Guilaine, and Alan Simmons. (2009) Pre-Neolithic wild boar management and introduction to Cyprus more than 11,400 years ago. PNAS September 22, 2009. 106 (38) 16135-16138.
*4)三宅 裕. 西アジア型農耕と家畜の乳利用. ユーラシア乾燥地域の農耕民と牧畜民, 六一書房, 2013.
*5)平田昌弘. 牧畜の本質と特徴―生業構造の民族学的視点から. ユーラシア乾燥地域の農耕民と牧畜民, 六一書房, 2013.
*6)風戸真理. (2006) 遊牧民の離合集散と世話のやける家畜たち:モンゴル国アルハンガイ県におけるヒツジ・ヤギの日帰り放牧をめぐる労働の組織化と群れ管理. Asian and African Area Studies, 6 (1): 1-43.
*7)風戸真理. 遊牧民と自然と家畜-遊動と家畜管理. モンゴルの家族とコミュニティ開発, 日本経済評論社, 1999 p21-50.
*8)Vigne, J-D. and D. Helmer. (2007) Was Milk a ‘Secondary Product’ in the Old World Neolithization Process? Its Role in the Domestication of Cattle, Sheep and Goats. Anthropozoologica 42: 9-40.
*9)Evershed, R., Payne, S., Sherratt, A. et al. (2008) Earliest Date for Milk Use in the Near East and Southeastern Europe linked to Cattle Herding. Nature 455: 528-531.
*10)梅棹忠夫. (1976) 狩猟と遊牧の世界. 講談社.

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イヌの起源 Origin of the dog

テリトリー遊動や貯蔵段階の管理採集の担い手は、女性であった。すなわち栽培植物や初期農耕文化は、女性の活動から生じたと思われる。一方、管理狩猟の担い手は男性であったために、動物の家畜化については、男性の役割が大きかったと考えられる。遺跡からよく出土する女性像が、ギョベクリ・テペから見つかっていないというのは象徴的だ。ギョベクリ・テペは、部族間の管理狩猟をめぐる交渉と調停の場であったと思われるからだ。

もっとも早くに家畜化された動物は、イヌとされている。イヌの起源は古く、かつ複雑なために、長いあいだ議論がつづいてきた。イヌ(Canis lupus familiaris)の原種は、オオカミ(Canis lupus、タイリクオオカミ、ハイイロオオカミ)であることがわかっている。オオカミは、ユーラシアと北米に広く分布しており、32の亜種が報告されている。

2016年の報告では、多くのオオカミは、2.5万~8,000年前に、数が大きく減少しており、これは、最終氷期の終焉と大型動物の絶滅が関係していると考えられている。イヌは、現在は絶滅した後期更新世のオオカミ個体群に由来すると考えられており、分岐後に各地のオオカミと交配していた。(*1)


Figure 3. The maximum likelihood tree of 30 sequences. Numbers represent node support inferred from 100 bootstrap repetitions. The reference genome boxer was not included. The Israeli golden jackal is the outgroup.(*1)


Figure 5. Demographic history inferred using PSMC. Following Freedman et al. (2014) and Zhang et al. (2014), we used a generation time = 3 and a mutation rate = 1.0 × 10−8 per generation. The Tibetan wolf 1 and Inner Mongolia wolf 4 are shown in all the plots for comparison purposes. (A) All the Asian wolves; (B) all the European wolves, Middle Eastern wolves, and Indian wolf; (C) dogs; (D) Mexican wolf and Yellowstone wolves.(*1)


Figure 6. Demographic model inferred using G-PhoCS. Estimates of divergence times and effective population sizes (Ne) inferred by applying a Bayesian demography inference method (G-PhoCS) to sequence data from 13,647 putative neutral loci in a subset of 22 canid genomes (because of limitations in computational power). Estimates were obtained in four separate analyses (Methods; Supplemental Table 6). Ranges of Ne are shown and correspond to 95% Bayesian credible intervals. Estimates are calibrated by assuming a per-generation mutation rate of μ = 10−8. Mean estimates (vertical lines) and ranges corresponding to 95% Bayesian credible intervals are provided at select nodes. Scales are given in units of years by assuming an average generation time of 3 yr and two different mutation rates: μ = 10−8 (dark blue) and μ = 4 × 10−9 (brown). The model also considered gene flow between different population groups (see Table 1).(*1)

2017年の研究では、イヌの祖先とオオカミの分岐は41,500~36,900年前と報告されている。また、東南アジアのイヌが分岐したのは、23,900~17,500年前であるという。イヌの家畜化は、イヌの祖先が他のオオカミと分岐したあとで、東南アジアのイヌが分岐する前ということになるので、40,000~20,000年前におきたと述べている。(*2)


Figure 5 Demographic model regarding ancient and contemporary dogs and wolves.
(a) The best model fit to both modern and ancient canid data using ADMIXTUREGRAPH on the whole-genome data set. This model had four f4-statistic outliers. Branches are indicated by solid black lines (adjacent numbers indicate estimated drift values in units of f2 distance, parts per thousand), whereas admixture is indicated by coloured dashed lines (adjacent numbers indicate ancestry proportions). Sampled individuals/populations are indicated by solid circles with bold outline. Wolves are labelled as ‘wolf’ and dogs are labelled according to their continental origin. (b) Divergence times of contemporary dogs and wolves inferred using G-PhoCS. Mean estimates are indicated by squares with ranges corresponding to 95% Bayesian credible intervals. Migration bands are shown in grey with associated value representing the inferred total migration rates (the probability that a lineage in the target population will migrate into the source population). The divergence time for HXH and NGD and modern European dogs is inferred using a numerical approach. The proportion of Indian village dog ancestry in CTC is inferred by NGSadmix and the proportion of South China village dog ancestry in HXH and NGD is inferred by f4-ratio test, shown in red.(*2)

オオカミの家畜化は、どのようにおきたのであろうか。アリは意識的にアブラムシを「家畜化」しなかったように、4~2万年前の人間も意識的にオオカミを家畜化しなかったであろう。オオカミと人間が「延長された表現型」の関係になるには、オオカミの無意識の選択と繁殖がおこなわれなければならない。

アフリカを出て、ユーラシア大陸の内部に侵入した人類は、マンモスなどの大型哺乳類を狩猟の対象にしていた。ロシアのドン川の川岸にあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群は、上部旧石器時代(オーリナシアン)の遺跡で、マンモスの骨が大量に出土している。コステンキ14(Kostenki 14)から出土した38,700~36,200年前の男性の骨から、DNAが抽出された。分析の結果、この男性の肌や瞳の色は濃く、中央シベリアの24,000年前のマリタ(Mal’ta)遺跡から出土した少年と近縁であったという。さらに、ヨーロッパの中石器時代の狩猟採集民、現代の西シベリア人、多くの現代ヨーロッパ人へとつながっていた。また、この男性は、東アジア人とは遺伝的に疎遠であったことから、西ユーラシア人と東アジア人は、36,200年より前に分岐したと考えられている。(*3)


Mammoth bones in Kostenky(Author:evatutin)


Fig. 2. Relationships of the K14 sample and MA1, MHG, NEOL,modern Europeans, and the modern populations in the Yeniseiregion . This representation is a possible topology consistent withthe results presented in this study in the context of the relation-ships described by Lazaridis et al.(21) for the modern Europeanpopulations and Raghavan et al.(23) for MA1. Present-day pop-ulations are colored in blue, ancient poplation in red, and ances-tral populations in green. Solid lines represent descent withoutadmixture events, and dashed lines show admixture events. Ar-rows do not depart from ancient samples (K14 and MA1) becausethey represent relationships of population ancestry. We only showthe topology of the potential population tree: There is no notion oftime in this representation. The treeisnottheresultofamodel-fitting procedure but rather a possible topology consistent with thekey results (A, B, and C) of this study.(*3)

新生代第四紀の大量絶滅は、最終氷期とその終了後(7万~1万年前)におきている。絶滅の原因は、気象変動および人類の活動と考えられており、おもに大型の動物が絶滅した。とりわけ大きな打撃を受けたのはゾウ目で、デイノテリウム科、マストドン科、ステゴドン科、ゴンフォテリウム科、ゾウ科マンモス属が絶滅した。

オオカミは、シカ、イノシシ、ヤギなどを捕獲することはできるが、マンモスを襲うことはできない。一方、4万年前の人間は、マンモスなど動きが遅い大型動物を捕獲できるが、シカなどの走力が優れる動物は、弓矢がないと捕獲するのは難しい。

人間がマンモスのような大きな動物を捕獲すれば、臓器、皮、骨などの捨てる部分が大量にでるはずだ。ふつうのオオカミはマンモスを食料にできないが、人間の近くをうろつくオオカミは、捨てられたマンモスの臓器を食料にすることができる。

人間の近くで暮らすオオカミは、生存に有利なので、その遺伝子は存続できるであろう。すなわち、つねに人間の動きに注目して、人間の近くで暮らすオオカミの形質が、遺伝子プールのなかに増えていくと考えられる。

人間の側から見ると、マンモスを捕獲できるときは、人間の近くで暮らすオオカミの存在は有利でも不利でもない。しかし、マンモスを捕獲できずに食料が不足したときは、オオカミが捕獲したシカを横取りしたり、わなを仕掛けてオオカミを捕獲して食料にしたりするであろう。つまり、人間の近くをうろつくオオカミは、人間にとって不利ではない。

たとえば、わたしの家でも、食べ物が不足する冬になると、毎晩、タヌキが生ごみ堆肥をあさりにくる。アライグマ、ハクビシン、タイワンリスは、庭のカキ、ビワ、クリ、カンキツなどを食べてしまうので退治したいと思うが、タヌキは、人を攻撃しないし、ゴミしか食べないので、退治しようとは思わない。わたしが100年前の人間なら、タヌキを捕獲して、食べるであろう。ちなみに、うちの子供が小学生のときに、わなを仕掛けてタヌキを何度か捕まえたことがある。人間のゴミに依存するタヌキは、子供でも捕まえられるくらいに、簡単に捕獲できる。タヌキと日本人の関係は、「延長された表現型」の関係にあると思われる。

人の近くで暮らすオオカミの遺伝子プールで、人を恐れず人を攻撃しない形質が生じたとする。この「人慣れオオカミ」が、キャンプに入ってきたときに、もし食べ物が不足していれば、人はこれを捕獲して食べてしまうであろう。しかし、食べ物が十分にあれば、人慣れオオカミが、ゴミ捨て場の臓器を食べても放置するであろう。

つまり、マンモスが捕獲できるときは、人慣れオオカミに臓器を与え、マンモスが捕獲できないときは人慣れオオカミを食べればよいので、人慣れオオカミを「貯蔵食料」としてキャンプの周辺に置いておくのが合理的だ。人慣れオオカミを食料にするときは、人によく慣れる個体を残し、人を攻撃する個体を食べるので、次第に人に慣れる個体が選択され、イヌが成立したと考えられる。

以上のように考えると、40,000~20,000年前におきたイヌの「家畜化」というのは、イヌの祖先のオオカミの個体群が、人間の近くで暮らすようになった“humanization”(ヒト化)の段階であった可能性もある。

ナトゥーフィアン初期に定住化がはじまったときに、レヴァントのネズミの種類と臼歯の形状に変化がおきたことは述べた(ナトゥーフィアン=貯蔵社会への転換)。このネズミの遺伝的な変化を、だれも「ネズミの家畜化」とは呼ばない。人間の近くに棲むネズミは、日本語では「イエネズミ」、英語では“House mouse”と呼んで、ペットや実験で使う家畜のマウスと区別している。

アジアのイヌが分岐したのは、23,900~17,500年前と報告されているが、マンモスを求めてアジアに移動する人間といっしょに移動したのは、イヌ、人慣れオオカミ、ヒト化オオカミの3とおりの可能性がある。ヒト化オオカミ→人慣れオオカミ→イヌへの形質変化は、行動においては飛躍的な変化だが、遺伝的な変化は小さいので、連続的にしか見えないはずだ。

いずれにしても、オオカミとヒトの「延長された表現型」の関係への変化がはじまったのは、ヒトの拡散遊動段階だったことは間違いないであろう。

文献
*1)Zhenxin Fan, Pedro Silva, Ilan Gronau, Shuoguo Wang, Aitor Serres Armero, Rena M. Schweizer, Oscar Ramirez, John Pollinger, Marco Galaverni, Diego Ortega Del-Vecchyo, Lianming Du, Wenping Zhang, Zhihe Zhang, Jinchuan Xing, Carles Vilà, Tomas Marques-Bonet, Raquel Godinho, Bisong Yue, and Robert K. Wayne. (2016) Worldwide patterns of genomic variation and admixture in gray wolves. Genome Res. 2016 Feb; 26(2): 163–173.
*2)Laura R. Botigué, Shiya Song, Amelie Scheu, Shyamalika Gopalan, Amanda L. Pendleton, Matthew Oetjens, Angela M. Taravella, Timo Seregély, Andrea Zeeb-Lanz, Rose-Marie Arbogast, Dean Bobo, Kevin Daly, Martina Unterländer, Joachim Burger, Jeffrey M. Kidd & Krishna R. Veeramah. (2017). Ancient European dog genomes reveal continuity since the Early Neolithic. Nature Communications 8:16082.
*3)Andaine Seguin-Orlando, Thorfinn S. Korneliussen, Martin Sikora, Anna-Sapfo Malaspinas, Andrea Manica, Ida Moltke, Anders Albrechtsen, Amy Ko, Ashot Margaryan, Vyacheslav Moiseyev, Ted Goebel, Michael Westaway, David Lambert, Valeri Khartanovich, Jeffrey D. Wall, Philip R. Nigst, Robert A. Foley, Marta Mirazon Lahr, Rasmus Nielsen, Ludovic Orlando, Eske Willerslev. (2014) Genomic structure in Europeans dating back at least 36,200 years. Science28 Nov 2014 : 1113-1118

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ギョベクリ・テペとポトラッチ Göbekli Tepe and Potratch

人類がもっとも早くに建設した大型建造物とされているのは、ギョベクリ・テペ(Göbekli Tepe)である。ギョベクリ・テペは、トルコ南東部のカラジャ山の100キロほど西に位置する。一般には、PPNA(Pre-Pottery Neolithic A)期の遺跡とされており、初期の遺構はBC9130~8800の年代と考えられている。

Lab-Number       Context               cal BCE
Ua-19561            enclosure C         7560~7370
Ua-19562            enclosure B         8280~7970
Hd-20025            Layer III              9110~8620
Hd-20036            Layer III              9130~8800

遺跡は、20もの円形遺構からなり、200本以上の石灰岩の柱などで建造されている。最大の石柱は、長さ6メートル、重さ10トンにもなる。(*1)


Göbekli Tepe. Schematic plan of excavated structures.(Deutsches Archäologisches Institut, Berlin)(*1)


Göbekli Tepe(Author:Teomancimit)


Fox(Author:Zhengan)


Aurochs, fox and crane(Author:Teomancimit)


Gobeklitepe animal sculpture

T字型の柱には、ヘビ、キツネ、イノシシ、ツル、オーロックス、野生ヒツジ、ロバ、ガゼル、ヒョウ、ライオン、ヒグマ、ハゲタカ、クモ、サソリ、図象などのレリーフが彫られている。


* Sometimes a larger number of snakes (> 5) has been depicted in close association. This strong coherence suggests that we are dealing with a unity. For statistical reasons, we decided to count such associations only once, but added the real number of individuals depicted in brackets.
** Including the net-like object (snakes ?) and the three bucrania.(*1)

遺跡では、住居は見つかっていないが、シカ、ガゼル、イノシシ、カモなどの動物の骨が多数出土している。骨には人為的に解体された痕跡があり、集会のために用意された食べ物の廃棄物と考えられている。

発掘者のクラウス・シュミットは、ギョベクリ・テペは石器時代の宗教施設と考えていた。死者崇拝あるいは祖先崇拝の中心的な場所であり、石柱に刻まれた動物は死者を守るためという。しかし、遺跡からは、墓は見つかっていない。また、PPN期の遺跡でよく見られる女性の像も見つかっていない。(*1)

なお、T字型の石柱は、Nevalı Çori、Hamzan Tepe、Karahan Tepe、Harbetsuvan Tepesi、Sefer Tepe、TaslıTepeなど、周辺の遺跡からも出土している。(*2)


Nevalı Çoriの石柱(Hauptmann, 1999)(*3)

ギョベクリ・テペはPPNB期のあとのBC8000年ころに放棄され、建造物は埋められた。なぜ埋められたのかはわかっていない。

一般に、欧米の研究者たちは、ギョベクリ・テペを宗教施設と考え、宗教の起源をここに求める傾向が強いようである。ギョベクリ・テペに見られる当時の人々の行為が、その後の世界の神話や宗教につながっていることは確かであろう。しかし、当時の人々の行為を、「宗教行為」と見るのは、早計であろう。


Fertile crescent Neolithic B circa 7500 BC (Author:Bjoertvedt)

前に、ポトラッチは、北米海岸やポリネシアなどの漁猟部族の社会で発達したシステムではないかと述べた(ポトラッチ:漁撈部族間の相互贈与)。これらの漁撈部族の特徴は、狩猟民でありかつ貯蔵社会であるということだ。また、漁撈の場が海であるために、テリトリーの境界がはっきりしていない。利用資源の捕獲権が確定していないために、資源をめぐって紛争が生じやすい。

モースは、ポトラッチを以下のように定義している。

「第一に、相互に交換や契約の義務を課すのは、個人ではなく集団である。契約の当事者は、氏族、部族、家族などの法的組織である。彼らは、特定の場所で直接に顔を合わせたり、あるいはその首長を介したり、あるいは同時に両方の方法で対峙する。彼らが交換するものは、財産や不動産など、経済的に有用なものだけではない。この交流は、宴会、儀式、兵役、女性、子供、舞踊、祭事、見本市であり、経済的取引は要素の一つにすぎない。財を渡すことは、永続的な契約の一部にすぎない。最後に、これらの供与と返礼は、贈り物として自発的な行為にまかされているが、突き詰めると、私的あるいは公的な戦闘の上に、厳格に義務づけられている。われわれは、これを全体的な供与のシステムと呼ぶことを提案する。」(*4)

さらに、ポトラッチにおける三つの義務をあげている。

・贈る義務:贈与や歓待は、同族以外の人々に与えなければ意味がない
・受け取る義務:贈り物やポトラッチを拒否することはできない。贈与や歓待を拒否することは、返礼を渋っているとみなされる
・返礼の義務:贈与に対する返礼の義務は強制的である。返礼をしない者は面子を失う

人間の超協力タカ派戦略から見れば、ポトラッチは、部族間の紛争を抑止するための契約であると同時に、部族の戦力を信号化(Signalling)して誇示する行為であろう。集団同士の戦闘では、全面戦闘になれば、紛争が長期化して双方に大きな損害がでる。貯蔵によって食料供給が安定しているときは、食料をめぐって殺しあうよりも、戦闘を避けたほうが有利になる。(パン属、ホモ属、ヒトの進化的な安定)(武器と資源獲得の不確実性

自然界では、同種の個体間で、戦力の信号化の例が多くみられる。オスの威嚇、示威、顕示などの行動や形質の変化がおきる。

ゴリラのドラミング
ゾウアザラシの鼻
ライオンのオスのたてがみ
マントヒヒのマント
マンドリルの鼻筋
ニワトリの鶏冠

これらは、じっさいの戦闘では役に立たないが、無駄な小競り合いを少なくしたり、全面戦闘を避けたりして、共倒れを抑止する効果がある。

(話がそれるが、キリンの首が長くなったのは、高いところの葉を食べたからではなく、オス同士が首で闘ったからであろう)

ギョベクリ・テペが、カラジャ山の近くに存在するのは、単なる偶然ではあるまい。カラジャ山の周辺は、コムギ、マメ類などが最初に栽培化され、テリトリー貯蔵段階から、農耕段階への転換がおきた場所だ。(栽培コムギの起源

つまり、PPNA期のカラジャ山の周辺では、狩猟と貯蔵の両方の生活様式が存在していた。さらに、ウシ、シカなどの大型草食動物は、草を求めて季節的に大移動するので、大型動物の捕獲権が確定しない。すなわち、ポトラッチが成立する条件がある。

巨大な石柱は、大勢の人間と強固な組織が存在しなければ建造することは不可能である。巨大な石柱を競いあうように繰り返し立てたのは、部族の生産力と武力の大きさを誇示するためであろう。石が巨大なほど、その部族の戦闘力が大きいことを意味するので、部族間の紛争や交渉において有利になる。

すなわち、石に刻まれた動物や図像は、氏族(シ、clan)もしくは部族(tribe)をあらわしていると思われる。このような、柱に建造者の氏名を入れて力を誇示する行為は、現在でも神社の玉垣などでよく見られる。


和貴宮神社(京都府宮津市)の玉垣には、北前船の往来などによって西日本一帯から参詣した豪商らの名が残る(Author:漱石の猫)

文献
*1)Joris PETERS, Klaus SCHMIDT. (2004) Animals in the symbolic world of Pre-Pottery Neolithic Göbekli Tepe, south-eastern Turkey:a preliminary assessment. Anthropozoologica 39(1)
*2)Bahattin Çelik. ŞANLIURFA BÖLGESİNDE “T” ŞEKLİNDE DİKMETAŞ BULUNAN YERLEŞİMLERİN FARKLILIK VE BENZERLİKLERİ. June 2014
*3)Hauptmann, H., Frühneolithische Steingebäude in Südwestasien. In: Karl W. Beinhauer et al., Studien zur Megalithik: Forschungsstand und ethnoarchäologische Perspektiven / The megalithic phenomenon: recent research and ethnoarchaeological approaches, Beiträge zur Ur- und Frühgeschichte Mitteleuropas 21, (Mannheim 1999).
*4)Marcel Mauss, The Gift, 1925(贈与論)

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多年生植物の栽培化:オオウバユリ、バナナ Domestication of perennial plants:Banana

イネ科植物の栽培化は、狩猟採集段階から農耕段階への転換をうながした。一方、ウリ科植物では、テリトリー遊動段階の狩猟採集社会においても、植物と人間が「延長された表現型」への関係へと変異することを示している。

わたしの田舎では、山採りしてきたワラビ、ゼンマイ、コゴミ、ワサビ、ミョウガ、タラノキなどを家の周囲に植えて、山に行かなくても収穫できるようにしている。田舎の言い方では、「イケル」(生ける、活ける)とか、「イケテオク」という。


家の周囲のミョウガ、ゼンマイ、コゴミ、ヤマウドなど

現在でも山村では、山菜を収穫するときには、管理採集がおこなわれている。

「山には所有者があるが、山菜をとるためにはどこの山でも無断で入ってよい。しかし、山の行儀は正確に守らなければならない。つまり、山菜や野草の命を絶やさないことである。ゆりややまいもを掘ったときは、鱗片の一部を埋め、やまいものむかご三粒を穴に埋めもどす。たらの木の芽をかくときも必ず一芽残し、追芽(後から出る芽)は欠かない。(田沢湖町)」(『聞き書 秋田の食事』)(*1)

ユリの鱗片やむかごを穴に埋めもどす行為は、「種子拡散者」としての行為であり、意図していなくても、食料として有用な遺伝子が選択されて、遺伝子プールの中に広がっていく。

オオウバユリは、高さ1.5~2.0mにも成長する大型のユリで、本州の中部以北と北海道に分布する。これは、ウバユリの変種とされている。オオウバユリは、鱗茎に豊富にデンプンを含み、古来より食用にされてきた。とくにアイヌでは、「トゥレプ」と呼ばれ、保存食としてきわめて重要であった。

「おおうばゆりはアイヌ語では「トゥレプ」といい、アイヌの食料としては古くから知られ、しかも有名である。鱗茎から澱粉を採取することはよく知られているが、採取時期には生で焼いて食用とすることもある。その場合、鱗茎には多くの繊維があり、口の中で多少気になるが、一枚一枚にした鱗茎の端を持って歯でしごくようにすると、澱粉質の部分だけが口に残る。繊維質と皮をとり除くと食べやすい。
採取するのは六月中ごろから末にかけてである。どこの家でも、おおうばゆりをたくさん採取して河原で澱粉づくりをやっていたので、最盛期には、樽の中でおおうばゆりを搗く音が河原から響いてきていたという。
多年草で年数を経たもののほうが鱗茎も大きくなっており、見極めは葉の数でする。葉一枚につき鱗茎も一枚であるので、葉の数が五枚、六枚と多いものは年数を経て鱗茎も大きくなっている。葉が一枚か二枚の若く小さいものは、翌年以降のものとして大事にし採取しない。
また、おおはなうどと同じく花の咲くものも採取しない。花の咲くおおうばゆりは雄とされ、掘り出してみても鱗茎がやせている。しかしそのやせた鱗茎のまわりには、小さな鱗茎が多数ついている。また、花が終わるとできる蚕の繭が集まったような特徴的な果実から種をたくさん飛ばすことから、大事にしてむやみに切ったりしない。
この果実は「プップッ」と呼ばれ、祖母に「種をつくって次のおおうばゆりになるのだから、大事にして折って遊んだりしてはだめだ」と何度も教えられたという。今でも葉花の写真などを見せるとその話が出てくる。
採取にはサラニプ(袋)などの入れものと根や葉を切るためのマキリ(小刀)を持って行く。ふつうは葉を手で引くと抜けてくる。しかし、土が固くて抜けないところやほかの植物の根がからんでいるところでは、木の枝などを切りとって先をとがらした棒を使用するが、それらはおおうばゆりの採取用に用意されているものではなく、現地調達する。」(『聞き書 アイヌの食事』)(*2)

これを見れば、アイヌとオオウバユリは、「延長された表現型」の関係にあることがわかる。すなわち、オオウバユリは単にウバユリの変種の野生植物ではなく、“humanization”によって変異した「ヒト化植物」であることがあきらかだ。同様に、ミョウガ、コゴミ、ワラビ、ゼンマイ、フキ、自然薯、タケノコ、ヤマブドウなど、野生植物と思われている植物も、人間と「延長された表現型」の関係に変異していると思われる。

おおうばゆり・トゥレプ
http://lib.ruralnet.or.jp/syokunou/sirabe2/ai_shoku6.html

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オオウバユリ、青森県大鰐町(Author:Aomorikuma)

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オオウバユリの種、青森県大鰐町(Author:Aomorikuma)

テリトリー遊動段階のアボリジニの社会では、採集の仕方に細かいきまりが多くある。

「彼らはイモのツルをみつけるとその根もとからロート状に掘りすすみ、ヤムイモをとりだす。そのあとツルがついたイモの頂部を切りとり、再びその同じ穴に埋めもどしていた。この場合は、落葉などが堆積して腐葉土ができやすいようにするため、穴を完全に埋めることはしなかった」。(*3)

以上の例を見ると、ワラビ、ユリ、ヤムイモ、樹木など、管理採集の対象は、すべて多年生植物であることがわかる。1年草のイネ科植物では、「採集」から「栽培」への転換はなかなかすすまない。それは、「種を選んで播く」という行為が、高度に目的的だからだ。一方、多年生植物では、人間が保護する行為そのものが、植物を繁殖させるので、比較的容易に「延長された表現型」の関係へと変化するはずだ。

多年生の栽培植物の代表的なものは、バナナ、タロイモ(里芋)、ヤムイモ、キャッサバ、堅果類、漿果類などがある。これらの栽培植物の起源が古いことは、サウアーや中尾佐助らが指摘したが、あまり研究がすすんでおらず、よくわかっていない。


Taro(Author:Thierry Caro)


Yam


フェイバナナ、1906(Author:Coulon)

バショウ属(Musa)の植物は70種ほどが知られており、食用の栽培バナナは、野生のアクミナータ種(M. acuminata)とバルビシアーナ種(M. balbisiana)を起源とするとされている。また、ポリネシアのフェイバナナは、別の野生種から栽培化されたとされる。

野生のアクミナータはマレー半島やインドネシアに原生しており、野生バルビシアーナはインドやフィリピンに分布している。野生種と栽培種のもっとも大きな違いは、栽培種には、単為結果によって果実に種が無い(無核)ことである。

野生のアクミナータは2倍体(AA)であり、バルビシアーナも2倍体(BB)だ。現在の栽培品種には、2倍体のAA、3倍体のAAA、AAB、ABB、4倍体のABBBが存在し、3倍体が主流である。バナナには、非常に多くの在来品種が存在するが、商業生産の品種はキャベンディッシュ(AAA)に特化している。


バナナ


野生バナナの果実

バナナは多年草だが、成長がきわめて早く、吸芽(子株)を植えつけてから1年で開花に至る。成長するに従って、古い外葉が順次はがれ、葉が35~45枚出たころに、赤紫色の花序が抽出する。花は雌雄異花同株の無限花序で、放任すると100段以上にもなる。雌花は基部から十数段着生し、次に中性花が1~2段、それ以下は雄花だけの花段が続く。雌花が雄花よりも早く熟す雌性先熟で、自家交配を防いでいる。結実するのは雌花だけで、結実すると、基部から別の吸芽が成長し、翌年の結実母本となる。

栽培バナナは、受精なしで子房が肥大して果実となるので、果実には種子が無い。種が無いということは、吸芽による栄養繁殖でしか子孫を残せない。栄養繁殖では、遠くに遺伝子を拡散できないので、無核の栽培バナナは、人間の助けがないと、繁殖することができない。

野生のバナナでは、コウモリや鳥によって花粉が運ばれ他家受粉するといわれており、果実を食べて種子を拡散するおもな動物は、オオコウモリだ。オオコウモリは、狩猟民には捕獲の対象なので、オオコウモリが減って、野生バナナの分布も減るという関係にある。オーロックスと野生ムギ、スイギュウと野生イネ、マストドンとウリなどの関係と同じ図式がここにもある。


オオコウモリ

栽培化の過程はわかっていないが、テリトリー遊動の狩猟採集民が、果実が大きく種が少ないバナナを選んで食料にすると、人間が種子拡散者となって、果実が大きく種が少ないバナナが遺伝子プールの中に増えるであろう。人間が増えるとオオコウモリは減るので、種が多いバナナの遺伝子は衰退する。

次に、突然変異によって無核の個体があらわれると、その個体は大切に保護される。その株の吸芽が別の場所に植えられることで、栽培化がはじまったと考えられる。

栽培化の直接的なきっかけは、やはり婚姻ではないだろうか。無核のバナナを食べて育った女性が、結婚して他の部族に移るときに、無核バナナの吸芽を持って行ったのであろう。

もっとも古い考古学的な証拠としては、ニューギニアの標高1,600mの湿地帯に位置するクックの初期農業遺跡がある。遺跡は大きく3期に分かれ、最も古い遺跡は10,000年前まで遡る。第2期は、6950〜6440年前の遺構で、花粉、デンプンなどの遺物から、バナナとタロイモの栽培がおこなわれていたと考えられている。(*6)


Kuk swamp in Papua New Guinea highlands, 1560m amsl, mean
annual temp ~19℃,mean annual rainfall ~2700mm

栽培バナナの起源はよくわかっておらず、1万年前、3~4万年前という研究者もいる。人類がオーストラリア大陸に到達したのは、6.5万前と考えられている。7万~1万年前の最終氷期には、マレー半島東岸からインドシナ半島は陸つづきで、スンダランドという広大は陸地が存在していた。また、ニューギニアとオーストラリアもつながっており、サフル大陸と呼ばれている。

スンダランドやサルフ大陸で、拡散遊動からテリトリー遊動に移行した人々が、バナナの種子拡散者となり、やがてバナナと人間の「延長された表現型」の関係がはじまったと考えれば、栽培バナナの起源が3~4万年前という説は、荒唐無稽というわけでもないであろう。


Sunda and Sahul(Author:Maximilian Dörrbecker)

文献
*1)藤田秀司ほか.(1986)聞き書 秋田の食事. 農山漁村文化協会.
*2)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*3)松山利夫.(1994)ユーカリの森に生きる. NHKブックス.
*4)中村武久. (1991) バナナ学入門. 丸善.
*5)Angélique D’Hont, France Denoeud[…]Patrick Wincker. (2012) The banana (Musa acuminata) genome and the evolution of monocotyledonous plants. Nature volume 488, pages 213–217.
*6)Denham TP, Haberle SG, Lentfer C, Fullagar R, Field J, Therin M, Porch N, Winsborough B. (2003) Origins of Agriculture at Kuk Swamp in the Highlands of New Guinea. Science 301(5630):189-93.
*7)Denham, Tim & Golson, J & Hughes, Philip. (2014). Reading Early Agriculture at Kuk Swamp, Wahgi Valley, Papua New Guinea:The Archaeological Features (Phases 1–3). Proceedings of the Prehistoric Society. 70. 259-297.

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