アマルナ文書,馭(御),情報プール Amarna letters, Horse training, Information pool

1887年に,エジプト中部のテル・エル・アマルナで,楔形文字が書かれた粘土板が発見された。アマルナは,BC1353年頃に,第18王朝のファラオ,アメンホテプ4世によって建設された新首都だが,アメンホテプ4世の死後(BC1332年)に放棄された。アマルナ文書を発見したのは,地元の農民で,粘土板の大部分は農民たちによって回収され,博物館に売られた。その後の発掘調査で,50枚ほどが発見され,全部で382枚の文書が確認されている。

文書のほとんどは,アメンホテプ3世とその息子のアメンホテプ4世に送られた手紙だ。手紙の相手は,バビロニア,アッシリア,ミタンニ,ヒッタイト,アラシヤ(キプロス),アルザワなど独立国家の王,それに,ダマスカス,ビブロス,アッコ,ハツォル,シェケム,メギド,シドン,エルサレムなど,エジプトの支配下にあった都市国家の統治者らである。

アマルナ文書は,おもに,当時のオリエント世界の共通語として用いられていたアッカド語で書かれている。ノルウェーのJ.A. Knudztonによって翻訳されたものが,標準版となっている。(*1)


Map of the ancient Near East during the Amarna period

EA 1 アメンホテプ3世 → カダシュマン・エンリル(バビロニア王)
・・・貴方は私の娘を貴方の妻として求め,そして,私の父が貴方に与えた私の妹が貴方と一緒にいる。しかし,現在,彼女を見たものが誰もおらず,彼女が生きているか死んでいるかもわからない・・・

EA 2 カダシュマン・エンリル → アメンホテプⅢ
・・・私は貴方の娘を望みます,なぜ彼女と結婚してはいけないのですか?・・私の娘たちは利用可能です,しかし,彼女らの夫は,王であるか王室の血でなければなりません。王室の血でないものに,自分の娘を王は一人もいません。貴方の娘たちは利用可能なのに,なぜ私に一人も与えないのですか?・・・良い馬・・20木製の・・金の・・120シュケル・・貴方への挨拶の贈物を送ります。60シェケルのラピスラズリを貴方の妹への挨拶として送ります・・私の妻・・・

EA 3 カダシュマン・エンリル → アメンホテプⅢ
・・・貴方は使者をすぐに送りだし,私の父にも美しい挨拶の贈物を送った。・・しかし,今私が貴方に使者を送ったとき,貴方は彼を6年間も拘留しました・・・貴方が私に送ったのは,わずか30ミナの金でした。私が得た贈物は,毎年私が貴方に与えた合計に達しません。・・・木製の戦車10頭と10組の馬を,挨拶の贈物として送ります。

EA 4 カダシュマン・エンリル → アメンホテプⅢ
・・・この夏の間,タマズまたはアブの月に,貴方が金を送るなら,私は貴方に私の娘を与えると書きました。それで,貴方が促されたと感じた分の金を送ってください。・・・貴方は私に3000タレントの金を送るかもしれないが,しかし,しかし,私はそれを受け入れません。私はそれを貴方に送り返し,私の娘と結婚させません。

EA 5 アメンホテプⅢ → カダシュマン・エンリル
・・・使者が戻って来たら,私は貴方に(それらを)送ります。 象牙と金箔で装飾された黒檀のベッド1台,金箔の黒檀のベッド3台,金箔の黒檀の1 uruššuを1,金箔の黒檀の椅子1,これらの物,すべての金の重量7ミナ,銀9シェケル,黒檀の足のせ台10,黒檀の・・,金箔の象牙の足のせ台,金の・・,10シェケルと7シェケル,金の・・・

EA 7 ブルナ・ブリアシュⅡ(バビロニア王)→ アメンホテプⅣ
・・・私が貴方に送った使者のサルムのキャラバンは,2回略奪されました。・・・兄弟は,この事件をいつ裁定するのですか?・・・彼の物は彼に返却されるべきであり,彼の損失は補償されるべきです。・・・

EA 8 ブルナ・ブリアシュⅡ → アメンホテプⅣ
・・・男が私の商人を殺し,私が送った彼らのお金を奪いました・・・カナンは 貴方の国であり,その王たちは 貴方の国の僕です。私が略奪されたことを彼らに説明させ,奪ったお金を賠償させてください。私の僕を殺した男たちを殺し,私の血の復讐をして下さい。そして,貴方がその男たちを殺さなければ,彼らは,私のキャラバンであろうと貴方の使者であろうと,再び殺すでしょう。だから私たちの間の使者は,それによって遮断されます・・・

EA 19 トゥシュラタ(ミタンニ王)→ アメンホテプⅢ
・・・私は,また,兄弟に多くの金を求めました。「兄弟が,父が与え,私に送ったよりも多くのものを送ってください。貴方は,私の父に多くの金を送りました。貴方は,彼に,大きな金の壺と金の水差しを送りました。貴方は,彼に複数の金のレンガを送りました。まるで,それらが,銅と全く同等であるかのように」・・・

EA 23 トゥシュラタ(ミタンニ王)→ アメンホテプⅢ
・・・したがって,すべての土地の女神,ニネヴェのシャウスカは言った。私は愛する国へ行き,そして,戻りたい。今,私はここに彼女を送り,彼女は彼女の道を進んでいます・・・

EA 35 アリシア王 → ファラオ
・・・私はここに500タレントの銅を送ります。兄弟への挨拶として送ります。兄弟,銅の量が少ないことを心配しないでください。ネルガルの手は,今,私の国にある。彼は,私の国のすべての人を殺しました,そして一人の銅職人もいません。しかし,心配する必要はありません。すぐに,使者を私の使者と一緒に送ってください。そして,私の兄弟,あなたが要求するどんな銅でもあなたに送ります。あなたは私の兄弟です。彼が私に非常に大量の銀を送ってくれますように。 兄弟よ,私に最高の銀を与えてください。そうすれば,私の兄弟,貴方が要求するものは何でも送ります・・・

EA 38 アリシア王 → ファラオ
・・・兄弟よ,なぜ私にそんなことを言うのですか?「兄弟はこれを知らないのですか?」と。私に関する限り,私はそのようなことは何もしていません。じっさい,ルッカ人たちが,年々,私の国の村々を占領しています・・・

EA 144 Zimriddi(シドン王)→ ファラオ
・・・主君よ,王の射手が到着する前に私が準備をしたことを王は知っているでしょう。私は主君である王の命令に従って,すべてを準備しました。王よ,私の主君よ,我らに対する戦争が非常に厳しいことを知ってください。王が私の責任を負わせたすべての都市は,アピル(ハビル)に対して参加しました・・・

--------------------

オリエントの紀元前14~13世紀は,青銅器時代の最後期である。すなわち,武器と生産手段が,銅から鉄へと大きく転換する直前のオリエント世界の情勢が書かれている。オリエントの大国の王たちは,娘や妹を相手国の王に嫁がせて血縁関係を結び,金,銀,ラスピタズリ,象牙,黒檀,オリーブ油,弓,馬,戦車などを相互に贈与することで,同盟関係あるいは協力的な政治的関係を作っていた。

バビロニア王は,エジプトのファラオに娘や金を求めるが,ファラオはそれほど積極的ではない。バビロニアからは,馬,戦車,ラピスラズリなどが送られ,エジプトからは,金,銀,黒檀,象牙などが送られた。バビロニア王は,カナンでバビロニアの使者が賊に殺害,略奪されたことに対して,ファラオに賊の殺害と賠償させることを要求している。

一方,ミタンニとエジプトの王は,3代にわたって相手の娘を自分の妻に迎えており,緊密な同盟関係を結んでいた。ミタンニからエジプトへは,馬,戦車,弓,剣など大量の武器が送られ,ニネヴェのシャウスカと呼ばれる女神の像が貸し出された。エジプトからは,多くの金がミタンニに送られた。

ミタンニは,紀元前16世紀頃に建国されたフルリ人の国であるが,王,貴族,軍人などの支配層は印欧語族と考えられている。フルリ語は膠着語であるが,王や軍人の名前は印欧語で書かれた。ミタンニは,建国の当初は,トトメス朝のエジプトと戦争していたが,ヒッタイトが台頭すると,ミタンニとエジプトは同盟を結んで,ヒッタイトに対抗した。また,フルリ人は,オリエント世界に馬を供給していたことが知られている。ミタンニは,馬,戦車,弓,銅剣など,軍事技術の先進地で,ミタンニの弓は,ユーラシア草原で発達した強力な複合弓と考えられる。

エジプトへは次のような,多くの武器が送られた。金の装飾の青銅zalleweナイフ1,青銅のzalleweナイフ10,金の装飾の鉄の短剣1,短剣(鉄の刀身,金の装飾の柄)1,短剣(鉄の刀身,金のガード)1,金で装飾されたapisāmūš弓1,apisāmūš弓100,鋭い弓1,000,弓2,000,弓3,000,弓20,とげのある弓20,šukūdu弓20,炎形の弓20,銀箔の盾1,青銅の盾9,金で装飾された青銅の槍,刃が鉄製の投げ槍10,刃が青銅の投げ槍10,槍10,槍10,青銅の槍10,金で装飾された弓1,金で装飾された鞭,鋭い矢,金で装飾された鉄製の槌鉾1,銀が使われた青銅製の斧1,青銅の鎧1・・・。(*2)

アリシアは,キプロス島に存在した王国で,アリシアからエジプトには銅が送られ,エジプトからアリシアへは,銀が送られた。かつては,銅の主産地の一つであったキプロスは,このころには弱体化したようで,「ネルガルの手は,今,私の国にある。彼は,私の国のすべての人を殺しました,そして一人の銅職人もいません」と窮状を訴えている。ネルガル神は鉛のことであり,冶金職人が一人もいないということから,キプロスでは,鉛中毒症が蔓延していたと思われる。

また,アリシアからの手紙には,「ルッカ人たちが,年々,私の国の村々を占領しています」とある。ルッカ人は,アカイワシャ人(ギリシア人),トゥルシア人(エトルリア人),ルッカ人(リュキア人),シェルデン人(サルデーニャ人),シェケレシュ人(シチリア人)と記録された「海の民」の一部族である。すでに,「海の民」の軍事力が優勢になっていることが伺える。

--------------------

南レヴァントでは,ハビル(アピル)と呼ばれる武装集団が,ビブロスやシドンなど各地の統治者と戦争している。ハビルの名前は,メソポタミアでは紀元前3000年紀末から登場するが,傭兵,使用人,労働者,あるいは,殺人,強盗,略奪を行う無法の集団として記録されている。ハビルはヘブライ人のことという説が唱えられたことがある。紀元前1550年頃のアナトリアの「ティクナニ・プリズム」には,438名のハビルの名前が,傭兵,労働者として記録されていた。ハビルは,10人ずつの班に編成され,長によって組織されていた。ハビルの大部分はフルリ語の名前で,セム語の名前はごく一部にすぎなかった。


Areas of reported Habiru activity during the Late Bronze IIA period (based on the Amarna letters corpus) (Author : PioGal; © Sémhur / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-3.0; © Sweet Publishing / CC-BY-SA-3.0; the Metropolitan Museum of Art / CC-Zero)

当時の軍事力の中心は,馬と戦車である。戦場では,士官は戦車に乗って弓などで闘うが,戦車の操縦には馭者(御者)が必須である。また,馬を調教できる調教師も必要だ。ヒッタイトの首都ボアズキョイから出土した粘土板に,キックリのテキストがある。これは,2頭立て戦車の馬を調教するための教科書で,紀元前15世紀に書かれた原文を,前13世紀に書き写したものと考えられている。

テキストの冒頭には,「このようにキックリは語る。ミタンニの地から来た馬の調教師」とある。教科書には,約200日間にわたって,戦車の馬を調教する方法や給餌の方法が,詳細に書かれている。温めた湯で馬の身体を洗い,燕麦,大麦,干し草を,少なくとも1日3回給餌した。(*3)(*4)


キックリ文書が刻まれた2枚の粘土板


Hittite Chariot. drawing from an egyptian relief

ハビルは,紀元前3000年頃から記録に現れるようになり,その活動範囲は,オリエント全域である。戦争のときは傭兵,労働者として王に雇われ,戦争が無いときは,殺人,略奪など無法の集団と記録されている。ハビルは,何らかの機能集団であることは間違いなく,その構成員の多くはフルリ人であった。馬に戦車を引かせるには,馬の調教が必須であり,調教の教科書が書かれるほど専門家していた。また,じっさいの戦闘時にも,馭者(御者)が必要である。これらのことから,ハビルは,馬の繁殖,調教を担い,戦場では馭者として戦闘に参加したフルリ人を中心とする集団と考えられる。

中国神話では,馬について書かれたものが多く存在するが,もっとも馬が重要視されているのは,秦の起源神話である。神話では,秦の祖先は,代々,殷や周の帝に仕えた,馬の馭者(御者),調教師,繁殖者であったと書かれている。

秦之先,帝顓頊之苗裔孫曰女修。女修織,玄鳥隕卵,女修吞之,生子大業。大業取少典之子,曰女華。女華生大費,與禹平水土。已成,帝錫玄圭。禹受曰:「非予能成,亦大費為輔。」帝舜曰:「咨爾費,贊禹功,其賜爾皁游。爾後嗣將大出。」乃妻之姚姓之玉女。大費拜受,佐舜調馴鳥獸,鳥獸多馴服,是為柏翳。舜賜姓嬴氏。大費生子二人:一曰大廉,實鳥俗氏;二曰若木,實費氏。其玄孫曰費昌,子孫或在中國,或在夷狄。費昌當夏桀之時,去夏歸商,為湯御,以敗桀於鳴條。大廉玄孫曰孟戲,中衍,鳥身人言。帝太戊聞而卜之使御,吉,遂致使御而妻之。自太戊以下,中衍之後,遂世有功,以佐殷國,故嬴姓多顯,遂為諸侯。其玄孫曰中潏,在西戎,保西垂。生蜚廉。蜚廉生惡來。惡來有力,蜚廉善走,父子俱以材力事殷紂。周武王之伐紂,并殺惡來。是時蜚廉為紂石北方,還,無所報,為壇霍太山而報,得石棺,銘曰「帝令處父不與殷亂,賜爾石棺以華氏」。死,遂葬於霍太山。蜚廉復有子曰季勝。季勝生孟增。孟增幸於周成王,是為宅皋狼。皋狼生衡父,衡父生造父。造父以善御幸於周繆王,得驥,溫驪,驊騮,騄耳之駟,西巡狩,樂而忘歸。徐偃王作亂,造父為繆王御,長驅歸周,一日千里以救亂。繆王以趙城封造父,造父族由此為趙氏。自蜚廉生季勝已下五世至造父,別居趙。趙衰其後也。惡來革者,蜚廉子也,蚤死。有子曰女防。女防生旁皋,旁皋生太幾,太幾生大駱,大駱生非子。以造父之寵,皆蒙趙城,姓趙氏。非子居犬丘,好馬及畜,善養息之。犬丘人言之周孝王,孝王召使主馬于汧渭之閒,馬大蕃息。孝王欲以為大駱適嗣。申侯之女為大駱妻,生子成為適。申侯乃言孝王曰:「昔我先酈山之女,為戎胥軒妻,生中潏,以親故歸周,保西垂,西垂以其故和睦。今我復與大駱妻,生適子成。申駱重婚,西戎皆服,所以為王。王其圖之。」於是孝王曰:「昔伯翳為舜主畜,畜多息,故有土,賜姓嬴。今其後世亦為朕息馬,朕其分土為附庸。」邑之秦,使復續嬴氏祀,號曰秦嬴。亦不廢申侯之女子為駱適者,以和西戎。・・・(『史記,秦本紀』)

秦の先祖は,帝顓頊の後裔である。顓頊の孫を女脩といった。女脩があるとき機を織っていると,燕が卵をおとした。女脩はこれを呑んで,子の大業を生んだ。大業は諸侯の少典の子の女華を娶った。女華は大費を生んだ。大費は禹とともに洪水をおさめて土地をひらいた。その工事が完成すると,帝舜が功をよみして禹に玄圭(黒い玉)を賜うた。禹はそれを受けて,「わたくしがひとりで成就したのではありません。大費が輔けてくれたのです」といった。帝舜は,「ああ,費よ,よく禹の功業をたすけてくれた。なんじには皁游(黒い旗)をあたえよう。なんじの子孫には大いに興隆するものがでるだろう」といって,姚姓(舜の同姓)の美女を娶せた。大費はこれらを拝受して,舜をたすけて鳥獣を調練した。鳥獣は多く馴れしたがった。この大費が柏翳(ハクエイ)である。舜はかれに嬴(エイ)氏という姓を賜うた。大費は子二人を生んだ。一人は大廉といい,鳥俗氏の祖であり,もう一人は若木といい,費氏の祖である。若木の玄孫を費昌という。その子孫はわかれて,あるいは中国に居住し,あるいは夷狄の地に居住した。費昌は夏の桀王の時代の人で,夏を去って殷に帰属し,湯王の御者になって,桀王を鳴条でやぶった。大廉の玄孫を孟戯,中衍という。中衍は身体は鳥で,人語をよくした。帝太戊がこのことを聞いて,中衍を御者にすることの可否を卜った。吉とでたので,側において御者にし,妻をもたせた。帝太戊より後世,中衍の子孫は世々功績があって殷国をたすけた。それ故に,殷では嬴姓のものが多く世にあらわれ,ついに諸侯になった。中衍の玄孫を中潏という。中潏は西戎のなかに住んで西垂の地を領有し,蜚廉を生んだ。蜚廉は惡来を生んだ。惡来は剛力であり,蜚廉はすぐれた走者であった。父子はその才能を生かして殷の紂王につかえた。周の武王が紂王を伐ったとき,あわせて惡来を殺した。このとき,蜚廉は紂王のために北方に使していた。そして,帰ってきたが,紂王は死んでいて報告する相手がなかった。そこで,壇場を霍太山(山西省)につくって,紂王をまつり,それにむかって報告した。たまたま壇を築こうとして土を掘っているとき,石棺をみつけた。その銘に,「天帝は處父(蜚廉の別号)を殷の乱に関係させなかった。そして,ここに,なんじ處父に石棺を賜い,なんじの子孫を光華あらしめんとするものである」とあった。蜚廉が死んで,霍太山に葬られた。蜚廉には,惡来のほかにまた子があり,季勝といった。季勝が孟増を生んだ。孟増は周の成王に寵幸された。これが宅皋狼といわれた人物である。皋狼が衡父を生んだ。衡父が造父を生んだ。造父はすぐれた御者として周の繆王に寵幸され,驥(赤驥,赤色の馬),温驪(盗驪,浅青色の馬),驊駵(鮮紅色の馬),騄耳(緑色に耳の馬)の四俊馬をみいだした。繆王は西方に巡狩して,楽しんで帰ることを忘れた。そのすきに,徐(安徽省)の偃王が乱を起こした。造父は繆王の御者になって,一日に千里も長駆して周に帰り,そのために乱を収拾することができた。繆王はその功を嘉して,造父を趙城に封じた。造父の一族はかくして趙氏になった。蜚廉が季勝を生んでから,のち五世で造父にいたり,造父は嬴姓の同族と別れて趙に居住した。趙衰(趙の祖)はその子孫である。惡來革は蜚廉の子である。若死したが,子があって女防といった。女防が旁皋を生んだ。旁皋が太几を生んだ。太几が大駱を生んだ。大駱が非子を生んだ。当時,造父が周の繆王に寵幸されたおかげで,惡來革の子孫もみな趙城の姓の趙氏を称していた。非子は犬丘(陜西省)に居住していた。馬や畜類を愛好して,それらをよく養った。犬丘の人々がこのことを周の孝王に言上したので,孝王は非子を召して,汧,渭二水のあいだで,馬を主管させた。馬は大いに蕃殖した。孝王は非子を大駱の嫡嗣にしたいと思った。たまたま申侯の女(むすめ)が大駱の妻であって,子の成を生み,成はすでに嫡嗣にきまっていた。そこで,申侯は孝王に言った。「むかし,わが祖先で酈山(陝西省)に居住したものの女が,西戎の胥軒(中衍の曽孫)の妻になって中潏を生みました。中潏は母方の縁故で周に帰服し,西垂の地を保有しました。西垂はこうした理由で周と和睦したのです。いま,わたくしはまた大駱に妻を与えて,嫡子の成をもうけました。つまり,申と駱とが婚姻関係を二重にしましたので,西戎がみな周に帰服し,それによって周が王業をたもちえているわけです。王には,どうかこの点をご熟考ください」そこで,孝王は言った。「むかし,伯翳は舜のために畜類を主管したところが,畜類は大いに蕃殖した。舜はこれを嘉して,伯翳に領土を与え嬴姓を賜うた。いま,その子孫もまた朕のために馬を蕃殖させた。朕も領土を分かちあたえて付庸としよう」かくして,非子に秦の地をあたえ,ふたたび嬴氏の祭祀をつがせ,号して秦嬴といった。また,申侯の女の子で駱の嫡子であったのを廃嫡しないで,西戎と和をたもったのである。・・・(*4)

御(ギョ),馭,卸の字体は,契文と金文に3種類存在する。『左伝』の服虔注には,「圉(ギョ)人は馬を養ふを掌る臣の賎者なり」とある。また,説文には「圉は囹圄なり,罪人を拘する所以なり」とあり,犯罪者,無法者の意味もあった。(*6)

契文と金文の形を見れば,御,馭は,𠂤(シ,士官)の後に従う従者であり,また,馬を馭(ギョ)する馭者,調教師の象形と考えられる。ギ音には,技,義,羲,犠など,役畜の馭(ギョ)に関する字が多く存在する。

--------------------

超協力タカ派戦略の人間にとって,軍事力が重要であることは当然である。アマルナ文書でも,馬,戦車,弓,剣など,武器の記述がきわめて多い。もうひとつは,秤量貨幣としての金と銀の重要性である。すでに,ウル・ナンムの時代から,銀が秤量貨幣として使われていたが,紀元前15世紀には,金,銀は,国家間の取引の支払いに使われており,すでに国際通貨が成立していた。

一方,銅については,銅の主産地のアリシア(キプロス)の弱体化や,ミタンニ王の「貴方は,彼に複数の金のレンガを送りました。まるで,それらが,銅と全く同等であるかのように」という記述などから,銅は貴重品として扱われていないことがわかる。

当時,オリエントに金を供給していたのはエジプトである。エジプトの金は,ヌビアで採掘されていた。一方,銀は,エジプトでは産出せず,鉛の同位体分析によって,古代エジプトの銀は,ギリシアのラブリオに由来することがわかっている。近年,ラブリオ港の近くで,これまで知られていなかった古代の銀山が発見され,坑道,落書き,陶器,ランプ,石造りのハンマー,壁の採掘跡などが見つかっている。この銀山での採掘は,BC3200年にさかのぼるという。(*7)

そもそも,金,銀は,食べられるわけでもないし,武器や生産手段が作れるわけでもない。にもかかわらず,人々は,金銀を求める。マルクスは,このような貨幣の性質を,”Geldfetisch”(貨幣崇拝),あるいは”Daher die Magie des Geldes”(貨幣の魔術性)と呼んだ。日本語では,「貨幣物神」,「貨幣の物神性」などと訳される。

たとえば,野生のチンパンジーに銀を与えても,チンパンジーは,見向きもしない。しかし,飼育しているチンパンジーに,銀と交換でバナナがもらえることを学習させれば,チンパンジーは,与えられた銀を貯め込むようになるかもしれない。チンパンジーに学習させるには,銀とバナナが常に交換できることを,飼育者が常に保証することが必要である。つまり,銀がバナナの担保であるためには,そのことを保証する保証人が常に存在しなければならならい。もし,保証人(飼育者)がいなくなれば,チンパンジーは野生と同様に,銀に見向きしなくなるだろう。つまり,銀の崇拝に必要なのは,神や魔術ではなく,恒常的な保証人である。

国家においては,貨幣が債権債務の担保であることを保証するのは,王(統治者,政府)とされている。しかし,異民族の国同士の取引では,王は他国の人々の債権債務の保証人になれないので,保証人が存在しない。天空神は,唯一,部族を超越した保証人であるが,天空神は軍事力を持たない「暇な神」なので,効力が無い。また,バビロニア,アッシリア,エジプト,ヒッタイトでは,別々の神概念を作り上げており,国家や民族を超越する絶対神概念は存在していない。

すなわち,紀元前15世紀のオリエントには,絶対神概念とは異なる,超越性,絶対性を有する「保証人」が存在していたことを意味する。それは,武器,生産手段,麦,家畜,衣類などを,国境を越えて等価交換する「市場」の存在である。「市場」こそが,金銀が債権債務の担保であることを保証する保証人である。

オリエントでは,金,銀が通貨であったにのに対し,東アジアでは,早くから,計数貨幣,信用貨幣の銅銭が普及した。これは古代中国では,経済規模に比べて銀が不足していたためと思われるが,中国の帝にとっては,信用貨幣の銅銭を国際通貨にできれば,独占的に貨幣を支配できる。日本で,もっとも早い貨幣は,秤量貨幣の銀であったが,『日本書紀』天武天皇12年(683年)の記述には,「夏四月戊午朔壬申,詔曰,自今以後必用銅錢,莫用銀錢。乙亥詔曰,用銀莫止」とあり,銀の通貨を廃止して,銅銭を用いることを命じている。そして,富本銭や和同銭を自国で発行しようとしたが,結局,日本では,中国に砂金を輸出し,中国から銅銭を輸入して使用していた。当時は,銀の精錬が困難で,黄銅鉱(硫化銅鉱)を効率よく製錬する技術もなかったために,自国で銅銭を製造するよりも,中国銭を輸入したほうが安かったためであろう。

人間の個体間,集団間では,債権債務によって関係性が構築され,債権債務関係は,財の受け渡しによって運動している。財の受け渡しは,個体間,集団間の血縁度によって,無償贈与,平等分配,等価交換,略奪などの形態をとる。貨幣は,債権債務を担保する信号であり,現代の貨幣は,コンピュータのメモリーに書かれた電気信号である。

電気信号が,人間の債権債務の担保であることを保証する保証人は,一般には,国家の統治者とされているが,本当は,保証人は「市場」である。国家の統治者が保証人であるならば,デフォルトが起こるはずがない。市場は,債権債務のネットワークであり,ネットワークで財を等価交換している。ネットワークで,債権債務の担保として運動するのが貨幣(信号)である。

債権債務のネットワークである市場が,民族や国境を越えて拡大するのは,なぜであろうか。

ウナギは,成長すると何千キロも移動してマリアナ諸島の海山に到達し,新月の夜に一斉に産卵する。何十万匹ものウナギが,何十億もの配偶子を一斉に海水中に放出して,遺伝子を交換する。魚類だけでなく,昆虫も鳥類も,何十万,何百万と集合して,一斉に交配する。遺伝子は情報であり,情報を交換することで,ライバルと差異化すると同時に,同種内では同一性を維持する。

人間が他の生物と異なるのは,情報プールを形成することである。財は情報化されたエネルギーであり,財の交換によって,情報を交換している。情報を交換することで,ライバルと差異化すると同時に,同種内では同一性を維持する。

市場は,債権債務のネットワークであり,債権債務のネットワーク上で,財の等価交換が行われる。債権債務のネットワーク形成は,情報の交換の運動であり,情報プールの形成のことである。


債権債務のネットワーク

文献
*1) J.A. Knudzton. (1893). Die El-Amarna-Tafeln. Leipzig, Pfeiffer.
*2) 齊藤麻里江. (2018). 紀元前14世紀における古代エジプトと西アジアを中心とした古代東地中海世界の文化交流 : アマルナ文書に記された工芸品と考古学的資料を中心に. Journal of historical studies (90), 502-547.
*3) Peter Raulwing. (2009). The Kikkuli Text. Hittite Training Instructions for Chariot Horses in the Second Half of the 2nd Millennium B.C. and Their Interdisciplinary Context.
*4)高橋幸一. (1999). F.シュタルケによるキックリ・テキストの馬術論的考察. スポーツ人類学研究 第1999巻第1号 p 79-88.
*5) 司馬遷. 史記. 平凡社, 1968.
*6) 加藤常賢. (1970). 漢字の起源. 角川書店.
*7) Evgenia Choros. (2016). Newly Discovered Greek Silver Mine Rewrites History. GreekReporter.
*8) Tsukamoto, K. (2006). Spawning of eels near a seamount. Nature 439, 929.

神概念6 Conceptions of God

「天と地が作られた」という創世神話は,世界中の民族に広く存在する。この話が書かれたもっとも古い神話は,シュメールの神話である。

『エンキとニンマフ』
Enki and Ninmah

天と地が作られたとき,それらの夜,天と地が作られた夜,それらの年,運命が決定された年,アヌナの神々が生まれたとき,女神たちが結婚したとき,女神たちが天と地に分配されたとき,女神たちが・・・妊娠して出産したとき,神々が義務付けられた(?)とき・・・彼らの食事・・・彼らの食事のために,上級の神々がその仕事を監督し,一方,下級の神々が苦労していた。神々が運河を掘り,ハラリの泥を積み上げていた。神々は泥を浚渫し,この生活に不平を言い始めた。そのとき,すべての古い神々の創造者,偉大な知恵の一つであるエンキは眠りから覚めることなく,他の神々が知らない場所,深い地底の淡水の源,流れる水の中で,床に横になっていた。神々は泣きながら言った。「彼は嘆きの原因だ!」古い神々を生んだ原初の母ナンムは,神々の涙を,床で目覚めず,眠っている彼女の息子に持って行った。「貴方は本当に眠っているのか,・・・起きていないのか?神々,貴方の創造物は彼らを破壊している。・・息子よ,床から目覚めなさい!貴方の知恵から生まれた技術を使って,神々の代わり(?)を創造し,彼らが苦労から解放されるようにしなさい!」母のナンムの言葉を聞いて,エンキは床から起き上がった。熟考のための部屋ハルアンクグで,彼はイライラして太ももを叩いた。・・・・創造者エンキは,問題について考えた後,母親のナンムに言った。「母上,貴方が計画した創造物は,本当に存在するでしょう。かごを運ぶ労働を彼らに課しなさい。貴方は,アブズの上部の粘土をこねる必要があります。誕生の女神たちが粘土を切り取り,貴方が形を作ります。ニンマフを貴方の助手として活動させましょう。ニニンマ,クジアナ,ニンマダ,ニンバラグ,ニンマグ,・・・そしてニングナが,貴方が誕生を与えるのを待っている。母上が彼の運命を布告した後,ニンマフにかごを運ぶ仕事を彼に課させましょう。」・・・エンキは,・・・彼らの心に喜びをもたらした。彼は母親のナンムとニンマのためにごちそうを用意した。・・・すべての古い神々は彼を讃えた。・・「偉大な知恵の主よ,貴方と同じくらい賢いのは誰ですか?貴方の行動に匹敵する偉大な主人エンキ・・父のように・・貴方は私の運命を決定する人です。貴方は私です。」エンキとニンマフは,ビールを飲み,彼らは高揚し,ニンマフはエンキに言った。「人間の体は良いか悪いかのどちらかであり,運命を良くするか悪くするかは,私の意思次第です。」エンキはニンマフに答えた。「私は,貴方が偶然に決めた良し悪しの,運命の釣り合いをとる。」ニンマフは,手でアブズの上部から粘土を取り,最初に,伸ばした弱い手を曲げることができない人間を作った。エンキは,伸ばした弱い手を曲げられない男を見て,彼の運命を定めた。エンキは,彼を王の下僕に任命した。2番目に,ニンマフは,光を戻す(?)人間,つねに目を開けている(?)人間を作った。エンキは,光を戻す(?)人間,つねに目を開けている(?)人間を見て,音楽芸術を割り当てる運命を布告し,彼を長にした・・・王の目で。3番目に,ニンマフは,両脚が折れた人間,脚が麻痺した人間を作った。エンキは両脚が折れた人間,脚が麻痺した人間を見て,銀細工師の仕事のための・・・。代わりに,ニンマフは,三つ目を,馬鹿な人間に作った。エンキは,馬鹿として生まれた人間を見て,運命を定めた。エンキは,彼を王の下僕に任命した。4番目に,ニンマフは,尿を抑えることができない人間を作った。尿を抑えられなかった人間を見たエンキは,魔法の水に浸し,ナムタル悪魔を彼の体から追い出した。5番目に,ニンマフは出産できない女を作った。エンキは出産できなかった女性を見て,運命を定めた。エンキは,彼女を女王の家に属(?)させた。・・・6番目に,ニンマフは体にペニスも膣もない人間を作った。エンキはペニスも膣もない人間を見て,それに「ニップルの宦官」と名付け,王の前に立つ運命を定めた。ニンマフは,つまんだ粘土を手から地面に投げ,大きな沈黙が起きた。偉大な主人エンキはニンマフに言った。「私はあなたの生き物の運命を定め,彼らに彼らの毎日のパンを与えた。さあ,今度は,私はあなたのために誰かを作る。そして,あなたはその新しく生まれた人間の運命を定めなければならない。」・・・・

この神話には,「天と地が作られた」としか書いていない。中国神話の『三皇本紀』も同様であり,「天地初立,有天皇氏,十二頭」としか書いていない。一方,バビロニア神話の『エヌマ・エリシュ』,エジプト神話,ギリシア神話などでは,天と地の創造について,いろいろと書かれているが,潤色が多すぎて,もとの意味がよくわからない。

--------------------

ウバイド期(BC6500~3800年)のメソポタミア南部では,灌漑農業の進展によって,多くの集落が形成され,やがて都市が出現した。もっとも古い都市は,エリドゥと考えられており,シュメール王名表の冒頭には,「王の位が天から降りた後,王の位はエリドゥにあった。エリドゥで,アルリムは王になった。彼は28,800年間支配した」と書かれている。エリドゥは,最大時には1万人が住んでいたという。

エリドゥでは,最下層のBC5300年頃の窪地の中から,祭壇のような施設がある建物が出土している。部屋の中央には「焼けた跡」があり,供物台があったのではないかと考えられている。この建物は,後のメソポタミアの神殿の特徴を持ち,同じ場所に何度も立て替えられていた。ここは,1000年以上も神聖な場所であったとされている。


エリドゥの神殿(レベル7)

農業生産を行うには,農地の近くに集落を作らなければならない。都市ができるということは,農業生産に直接に従事しない人々が多数存在するということであり,社会が分業化していることを示している。人口が増大して,農業の生産規模が大きくなれば,生産組織や生産システムが高度化,複雑化する。生産システム内の機能が分化して,専門化,専業化する。

メソポタミア南部では,肥沃な土(リン)と強い太陽光線以外の原材料が少なく,都市を建設するには,木材,石材などを遠方から運ばなければならない。そのためには,交易,運送,建設を担う人間が必要である。灌漑設備の建設には,地形を測量して,ヘッドダムや用水路を建設しなければならないので,専門的な知識を持った技術者が必要だ。また,役牛の飼育と管理には,繁殖,去勢,馴致,訓練,犂の製造,犂耕などの,専門的な知識と技術が必要である。

これらの技術のうちで,運送や役牛飼育については,特定の集団が,技術を長期に独占することは困難である。サービスの需要が多ければ,参入する人が増えて,収穫逓減になる。自由に参入することが困難なのは,冶金術である。冶金では,軍事力による鉱山の独占的所有が可能であり,しかも,生産技術がきわめて高度で複雑なので,他者は簡単には参入できない。

チャイルドは,人間の都市革命の要素として,灌漑,犂,役畜,帆掛舟,車輪付き交通機関,果樹栽培,造酒,冶金術,煉瓦,アーチ,釉薬,印章,太陽暦などをあげている。これらの機能のなかで,長期的な独占が可能なのは,冶金術であり,冶金術によって作られた武器と生産手段が社会の基盤になっている。チャイルドが指摘した都市革命は,情報の変異と蓄積いう点から見れば,「金属革命」あるいは「工業革命」と呼ぶことができる。

日本列島では,灌漑可能な河川が多く,また,良質な砂鉄や樹木(木炭)が豊富で,どこの地方でも製鉄が行えた。一方,雨が降らないメソポタミアでは,土地があっても意味がなく,灌漑水が大きな意味を持っている。1962年の農地改革が始まる前の,イランの地主制について,以下の報告がある。

イランでは1960年にはじめて全国規模の農業センサスがまとめられた。これによると,農民総数の59.2%が分益農(raiyati),12.4%が定額小作の借地農(ejarei)であった。農民全体の71.6%が地主が所有する土地で農業をおこなっていたことになる。一般に分益農制では,農民は生産に必要な農具や役畜をもって自己の労働で農作業を行う。しかし地主もまた土地だけではなく水やその他の生産に必要な資本を提供する。このため,分益農は土地のみを地主から借りる借地農と比べて農業経営への独立性が相対的に弱く,地主もまた経営に関与する。・・・ヘイラーバード村の古老の話によると,地主は50km離れた州都から時々馬に乗ってやって来てさまざまな指示を行ったが,その指示は絶対的なもので意見をはさむことは一切認められなかった。村の紛争に対しては地主が裁決を下し,農民の生存権をも奪う領主裁判権ほどの権限はなかったものの,重大事件を除けば実質的な裁判権を行使した。またポレノウ村の農民の話によると,農民は地主の意思で容易に追放され,農民は「あそこへ行け,こっちへ来いといわれれば,働く場所も住居も移った」。農民は貧困のあまり畑の作物をくすねることもしばしばあったが,地主の差配としてのキャドホダー(kadkhuda)は暴力をもって処罰した。・・・地主の強い権限から農業労働以外にも農民にさまざまな賦課を命じた。・・・とくに地主が土地とともに主要な生産手段である水の所有者であったことが重要である。すでに述べたように,乾燥地では灌漑が農業の条件となり灌漑なしに経営は成り立たないから,水利に権利をもつ者が強い請求権をもつことができた。イランでは水は,土地に付属する属地的な性格をもたず人に帰属する属人的な物権である。このため,土地と水の所有者が分離していることもあり,農業に際して水の所有者と土地の所有者の間で水が売買されることもあった。しかし,オアシス農業地帯では多くの場合,地主は同時に水の所有者でもあり,主要な生産手段を独占していた。・・・農業を成立させる条件でありかつ高い生産性を保証する水は地主によって独占され,この独占が農民に対する地主の強い権限の根拠でもあった。・・・ケルマン地方の場合,農業労働のメンバーは頻繁に交代させられ,「耕した土地を自らの手で収穫できる保障はまったくない」という状況にあったといわれている。・・・灌漑農業では農民は労働と雄牛を負担するか,自らの労働力のみしか負担していない。これに対して非灌漑農業では,農民が労働力に加えて役畜と種を負担する場合が割合として非常に高い。これを地主の負担でみると,灌漑農業では土地,水,種,地方によっては牛も負担したが,非灌漑農業では土地のみの提供者である割合が高い灌漑農業を行うポレノウ村の場合でみると,農民は自分の労働力のみ負担した。もっとも役畜としての雄牛は農民が飼養したが,地主が購入資金を出しており,牛が死ぬか農民が村を出るときには地主はこの資金を回収した。したがって農民自身はこの牛を地主のものと思っていた。・・・マルヴダシト地方の場合でみると,灌漑小麦では地主は土地,水,種,また役畜を負担することで収穫の3分の2に権利をもち,農民は自らの労働を提供することで3分の1を得た。一方,非灌漑小麦では地主は土地のみを提供し農民がその他の要素を負担することで収穫の5分の4を手にした。(後藤,アブドリ. 2006)

--------------------

「天と地が作られた」というのは,地形のことを言っているわけではない。「天」は,天(そら)ではなく,アン(天空神)のことである。「地」は,地面ではなく「マウンド」であり,すなわちエンリル・エンキのことである。

アンは「天」,「空」であり,統治システムには中心が存在しない。ギョベクリ・テペの円形石柱の中心には何も無く,「空」である。一方,「地」(マウンド)のエンリル・エンキは,「空」ではない。エリドゥの最下層(BC5300年頃)の神殿の部屋の中央には,「焼けた跡」があった。焼けた跡は供物台ではなくて,冶金のマウンドの跡ではないだろうか。メソポタミアでは,紀元前3000年期に神殿施設として,巨大なジッグラトが建設されるようになった。

Templo_de_fuego,_Baku,_Azerbaiyán,_2016-09-27,_DD_34
拝火神殿,Eternal flame at Fire Temple of Baku also known as Ateshgah of Baku.

1024px-Atashgah_firetemple_Isfahan
拝火神殿,Fire temple structure on the top of the hill,Isfahan, Iran

古代エジプトの神殿には,銅の板や金で装飾された石柱(オベリスク)が立てられた。このオベリスクの起源は,ベンベンとされている。ベンベンは,尖ったピラミッド型の「マウンド」で,ピラミッドの起源にもなったと考えられている。ヘリオポリスの創造神話では,ベンベンは,原初の水「ヌン」から最初に生まれた「マウンド」のことであり,そのマンウドに創造神アトゥム(天空神)が降りたと書かれている。


Obelisk of Pharaoh Senusret I, Al-Maalla area of Al-Matariyyah district in modern Heliopolis.


Benben stone from the Pyramid of Amenemhat III, Twelfth Dynasty. Egyptian Museum, Cairo.

天と地が作られる前は,部族の神である氏族神概念(古い神々)と,それらの部族を超越した絶対神である天空神概念しか存在していなかった。

天空神アンは,神概念であり,何らかの債権と債務(奉納の受け取りと支払い)につながっている。債権と債務が存在しないのに,個人が奉納を支払う神概念が存在する合理性は存在しない。ただし,天空神アンは,軍事力を有せず,権威のみの「暇な神」である。天空神概念の債権と債務はそれほど大きくなく,神官に支払われる程度の奉納にすぎない。

軍事力は,それぞれの部族(氏族)に存在する。人間は,自分が属する血縁集団の部族あるいは氏族の為にしか,命をかけて戦闘しない。もし,血縁関係がまったく無い集団のために,命を投げ出す個体(遺伝子)が出現しても,その遺伝子が存続する確率は,そうでない遺伝子の存続確率よりも小さいので,その遺伝子は,遺伝子プールに広がらない。氏族神概念は,軍事力につながっているので,債権債務は大きい。氏族神への奉納は,武器製造者と兵に支払われる。

「天と地が作られた」ということは,アンと並ぶ絶対神で,何らかの債権と債務(奉納の受け取りと支払い)を有する神概念が,新たに作られたことを意味する。絶対神というのは,部族や氏族を超越した神概念のことである。

新たな神概念であるエンリル・エンキは,武器と生産手段(灌漑水)を供与する力を有する。武器は領地(土地)の獲得と維持に必須であり,ツルハシはヘッドダムなど灌漑施設の建設に必須である。すなわち,エンリル・エンキは,部族を超える超越性,軍事力,生産の機能を兼ね備えた神概念である。それは,メソポタミア社会が,部族社会から国家へと転換したことから生じたものである。

超協力タカ派戦略における集団戦闘の単位が,「部族」から「国家」へと転換し,部族社会における法と等価交換のシステムから,神権国家における,法と市場(等価交換)のシステムへ転換した。言い換えると,部族社会のポトラッチから,国家のシステムへ転換した。

『エンキとニンマフ』には,人間は,神々の代わりに苦しい労働を行うために,粘土から作られたと書かれている。人間が粘土から作られたという神話は,バビロニア神話,ギリシア神話,中国神話,メラネシアのバンクス諸島の神話など世界中にある。なかでも,シュメールと中国の神話では,下のように,はっきりと階級制度を正当化(合法化)している。

エンキは,伸ばした弱い手を曲げられない男を見て,彼の運命を定めた。エンキは,彼を王の下僕に任命した・・・エンキは,馬鹿として生まれた人間を見て,運命を定めた。エンキは,彼を王の下僕に任命した・・・(エンキとニンマフ)

天地ができあがったが,まだ人間はいなかった。そこで女媧は黄土を手でこねて人間を一人一人造っていった。だが,その仕事はなかなか重労働で,休まず続けても思うようにはできあがらなかった。そこで女媧は縄を泥の中にひたし,それを引きあげて造ることにした。こうして縄から滴り落ちる泥がつぎつぎと人間になったが,黄土を丸めて造った人間が金持や高貴な人間となったのに対し,縄から滴ってできた人間は貧乏人や凡庸な人間となった。(後漢,風俗通義)

部族社会では,集団は血縁関係を基盤にしており,テリトリーから得られる食料は常に平等に分配される。獲物を獲得した人間は,資源を多く獲得することはできないが,面目を保つことができて,集団内での優位な位置を占めることができる。逆に,獲物を獲得できない人間は,面目を保つことができず,優位な位置を占めることができない。そこには,暗黙の債権債務関係が存在する。

部族から国家へと転換すると,血族集団以外の集団や個人との債権債務関係が生じる。そこでは,暗黙の債権債務関係が成立しないので,トークンによって,債権債務を記録するようになった。個人間,集団間の債権債務関係が,数字で記録(記憶)されるようになった。

ウバイド期には,「王」という概念が成立していない。王とは,テリトリーの土地(領地)と生産手段の所有権を有する個人のことだ。王権が成立する前は,領地を所有する特定の個人は存在せず,領地の所有者は,形而上的な神概念であった。

天空神のアンは,暴力を伴わない権威のみの神概念なので,土地(領地)の所有権を有しない。もともとは,土地(領地)の所有権は,軍事力を有する氏族神概念(古い神々)とつながっていた。「天と地が作られた」という神権の成立によって,土地(領地)の所有権は,氏族神とエンリル・エンキが有するようになった。

ただし,メソポタミアでは,河川の流域の外は砂漠である。砂漠の土地をテリトリーにする先住の部族は存在しておらず,無人,無主の土地であった。メソポタミアに進出した人々は,無人,無主の土地に灌漑施設を建設して,土地の領有権を得た。

エンリル・エンキは,軍事力を有しており,土地(領地)と灌漑水の所有者である。王朝の時代には,王が,武器と土地,灌漑水などの生産手段を独占的に所有し,土地と灌漑水の供与を債権にして税(使用料)を徴収したように,神権も,武器と生産手段の供与を債権にして,奉納を支払わせた。

シュメールで,王権が成立するようになったと考えられているのは,初期王朝期以降であるが,神権は依然として存在していた。サルゴンやナラム・シンは,セム語派のアッカド人であり,シュメール人とは異なる民族である。ナラム・シンが,自分を神格化したということは,軍事力で占有した土地と灌漑水の所有権が,シュメールの神権から自分に代わったことの宣言である。

--------------------

『魏志倭人伝』や『三国志』では,卑弥呼は倭国の「王」,「女王」と書かれる。しかし,統治システムにおいて,「王の王」が存在しない場合,その中心は,「天」,「空」になる。邪馬台国において確立した「王の王」が存在しなかったならば,その中心は「天」,「空」であり,卑弥呼は,天空神の声を伝えるシャーマンの役割である。

「神」というのは,説文では「示に従い申の声」とあり,「示」が神の意味である。示は,契文に多く残されており,説文は「天垂象,見吉凶,所以示人也」とし,加藤先生は「机上に肉を載せて血の垂れる形」と言う。白川先生も祭卓(神を祭るときに使う机)の形とし,藤堂先生は神霊が天からくだってくる祭壇としている。

しかし,中国神話の最高神(示)は,天,空であり,実体が存在しない。契文の形は机や祭壇ではなく,実体が存在しないことを表現したものだ。「示」は,部族同士の債権の形而上的保証人である天,空(実体が無いもの)から下ってくる信号の象形である。シャーマンは,その信号を伝える媒体である。

文献
*1) Black, J.A., Cunningham, G., Fluckiger-Hawker, E, Robson, E., and Zólyomi, G., The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature (http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/), Oxford 1998-.
*2) G.J. Wightman. (2007). Sacred Spaces: Religious Architecture in the Ancient World.
*3) 後藤 晃, ケイワン・アブドリ. (2006). イラン土地制度史論(1)―マルヴダシト地方を中心に―. 商経論叢 第41巻第3・4合併号.
*4) 伊藤清司. (1996). 中国の神話・伝説. 東方書店.
*5) 許慎. 説文解字. 中國哲學書電子化計劃.
*6) 加藤常賢. (1970). 漢字の起源. 角川書店.
*7) 白川 静. (2003). 常用字解. 平凡社.
*8) 藤堂明保, 加納善光. (1980). 現代標準漢和辞典. 学研.

銀,キュペレーション,月神ナンナ Silver, Cuperation, Nanna

バビロニアに伝わる碑文には,最上位に,金星,月,太陽が描かれている。金星はイナンナ(イシュタル),月がナンナ(シン,スエン),太陽がウトゥ(シャマシュ)を表している。


Babylonian limestone kudurru TT depicting a turtle, which was a symbol of Enki; 1125BC-1100 BCE (BM 102485). © The Trustees of the British Museum.


The eight-pointed star was Inanna-Ishtar’s most common symbol. Here it is shown alongside the solar disk of her brother Shamash (Sumerian Utu) and the crescent moon of her father Sin (Sumerian Nanna) on a boundary stone of Meli-Shipak II, dating to the twelfth century BC.

ウトゥは,シュメール語で「太陽」,「日」の意味で,メソポタミアの太陽の神とされている。アッカドではシャマシュと呼ばれた。ウトゥは,月の神ナンナの息子で,イナンナの双子の兄弟である。

ナンナは,月の神で,アッカドでは,シンあるいはスエンと呼ばれた。ナンナは,エンリルとニンリルの最初に生まれた息子で,ナンナと妻ニンガルの子供が,ウトゥとイナンナである。

金星のイナンナが,銅のメタファーであれば,月のナンナは,銀のメタファーと考えるが自然だ。ドゴン族に伝わる神話では,「神は二つの白い壺を造り,そのうち一つには赤い螺旋状の銅を捲いて太陽とし,他の一つには白い銅を螺旋状に捲きつけて月とした。」とある。

--------------------

天然銀は,自然界では存在量がきわめて少なく,銀は,方鉛鉱(硫化鉛)や含銀硫化銅鉱などの硫化物に,微量に含まれている。

オリエントで銀の製錬(精錬)が始まるのは,ウルク後期(前3300~3000年)とされ,シリアあるいはアナトリアで,銀の精錬法であるキュペレーション(cupellation,灰吹法)が発明されたと考えられている。キュペレーションは,金属を溶かすための小さなカップであるキュペル(cupel)に由来する。

BC2300年頃のサルゴン碑文には,「サルゴン王は,ツトゥールのダガン(神)に頭を下げた。ダガンは,サルゴンに高い土地を授けた。それはマリ,ヤルムティ,そしてエブラである。それから,杉の森や銀の山々までも」と書かれている。また,BC2100年頃のウル・ナンム法典では,銀が秤量貨幣に定められており,銀は,現代的な意味での最古の貨幣と考えられる。

銀を得るには,まず,含銀方鉛鉱などの鉱石から,鉛と銀の合金(貴船)を作る。鉱石を焼結して鉛を酸化すると同時に,焼き固める。この焼鉱を粒状に砕いて,還元的な雰囲気で製錬すると,鉛と銀の合金が得られる。次に鉛と銀の合金を,キュペルに入れて,酸化的な環境で加熱する。1,000℃ほどに熱すると,溶融した鉛と酸素が結合して酸化鉛が生成する。溶融した酸化鉛は,表面張力が小さいために,毛細管現象によってキュペルの内部に浸み込んでいく。一方,銀は酸素や酸化鉛と反応せず,表面張力が大きいので,キュペルの上面に残る。

Ag + 2Pb + O 2 → 2PbO + Ag

青銅器時代には,キュペルは,多孔質の耐火粘土を使用していたと考えられている。フランスのモンベリアールの遺跡(16世紀後半~17世紀初頭)から出土したキュペルの分析では,次のように報告されている。(*1)


Figure 1 : Schematic drawing of the cupellation of a Cu-Ag alloy with the addition of Pb in a bone ash cupel. (*1)


Figure 2: Line drawing of the cupel from Montbéliard. (*1)

出土したキュペルの成分は,酸化鉛が56wt%,酸化銅が0.7wt%で,微量の銀,亜鉛,アンチモン,ヒ素,バリウムが含まれていた。銀の含有量は0.05wt%で,比較的多くの銀がキュペルに浸み込んでいた。これは,材料中に銅が多く,Pb/Cu比が低いと,酸化銅が形成されて,酸化銅が銀を運ぶためという。逆に,鉛が多すぎると,精錬時間が長くなり,銀が蒸発したり,キュペルへ浸透したりする。また,キュペルの容量と吸収能力が限られているために,鉛をあまり多くできない。

キュペルは,古い時代には,砕いた貝殻,石灰岩,粘土などから作られたが,中世以降に,焼成した骨の灰で作られるようになった。骨の成分の水酸化リン酸カルシウムは,酸化金属と反応せず,毛細管現象によって機械的に溶融金属を吸収するためである。錬金術などの文献では,焼成した骨と焼成した植物が有用な原料として推奨されている。骨灰を十分に洗浄し,ふるいにかけ,金型に押し付けて成型した。

出土したキュペルの分析では,容器の上面はほぼ骨灰であり,添加物は10wt%未満であった。全体では骨と添加物の比率は約1:1で,添加の材料は,木材灰,粘土,細かく砕かれた石灰質材料の混合物であるという。

--------------------

日本で,銀の精錬法である灰吹法が始まるのは,16世紀の石見銀山と言われてきた。ただ,日本書紀には,天武天皇二年(674年)に「三月庚戌朔丙辰,對馬國司守忍海造大國言,銀始出于當國,卽貢上。由是,大國授小錦下位。凡銀有倭國,初出于此時。」とあり,対馬で産出した銀を朝廷に献上したと書かれている。

また,9世紀末の『対馬国貢銀記』には,「其後量於斗斛。置之於高山四面受風之処。以松樹薪焼之数十日。以水洗之。斛別定其率法。其灰為鉛錫。」と書かれており,何らかの製錬が行われていたことが伺える。(*3)

近年の飛鳥池遺跡の調査では,直径5mmの銀粒や直径10cmの球形の坩堝が見つかっており,坩堝には銀が残留していた。さらに,薄手の坩堝片や土器片,径1~3cm,深さ1~2cmのピットを持つ石製坩堝が出土している。薄手の坩堝片や土器片からは,銀,鉛,ビスマスなどが検出され,石製坩堝からも銀と鉛が検出された。これらのことから,日本でも,7世紀に銀の精錬が行われていたと考えられている。また,銀粒の中には,鉛ではなく水銀を伴うものがあり,アマルガム法が行われていた可能性もあるという。2007年の報告には,次のようにある。

方鉛鉱(galena)は,一般に0.03~1%の銀を含む。飛鳥池遺跡でも小さいながら方鉛鉱が出土した。方鉛鉱利用の歴史は古く,これから銀を抽出する技術が cupellation の基本である。ルツボ類の中で,もっとも注目したのがピット状の穴を持つ石製ルツボであり,その石質が凝灰岩系である点である。一般的な凝灰岩は,比較的脆く多孔質であることが特徴である。方鉛鉱は,劈開面を持ち,脆く容易に粉砕でき,これを水簸して濃縮したものをルツボ,あるいは土器上で焼く。鉛は酸化され,先に熔け出し多孔質の土器に吸収されるとともに,大気中にも蒸発する。そして,最後に銀が小さな粒として残る。この小さな銀の粒を集め,さらに粉末化した方鉛鉱を再び加え,凝灰岩製のルツボに詰め炉中で熱する。方鉛鉱から熔け出した鉛は小さな銀の粒を凝集した後,多孔質の凝灰岩に吸収され,銀だけが濃縮して残る。こうして直径5mm程度の銀粒ができたとみられる。この銀粒が,いわゆる「灰吹銀」に相当する。銀の濃度を上げるために,この作業は,何度か繰り返されたことが想定できる。方鉛鉱中の銀を抽出する製錬(smelting)から,それを集めて再び方鉛鉱を加えて銀を濃縮し,純度を上げる作業(refining)に至る一連の作業がcupellationであり,これが飛鳥池遺跡で実施されていたと想定できる。(村上,2007)(*4)


飛鳥池遺跡から出土した銀粒とその表面の拡大(*4)

なお,飛鳥池遺跡は,日本の歴史において,きわめて重要な遺跡である。天武,持統期(7世紀後半~8世紀)に,金,銀,銅,鉄,ガラス,漆などの工房が,業種ごとに配置されていた。確認された炉跡は,総計で300基ほどもあり,8000点にのぼる木簡も発見された。

特に,富本銭を鋳造していた証拠が多数出土し,和同銭に先んじて,銅の硬貨(計数貨幣,名目貨幣)が発行されていたことが判明した。出土した富本銭は200点以上あり,鋳型,溶銅,鋳棹,鋳張り,坩堝,鞴羽口,銅滓,木炭,砥石など,膨大な冶金関連の遺物が見つかっている。


飛鳥池遺跡発掘遺構図(縮尺1:1000)( *5)


富本銭と鋳棹,富本銭鋳型(富本銭土坑B出土) ( *5)


鋳銅関係遺物,木製の様(ためし)と鉄製品( *5)


飛烏池遺跡出土の超小型軒丸瓦と蓮華紋鬼瓦(7世紀第2四半期)( *6)

--------------------

メソポタミアの神話において,月神ナンナ(シン,スエン)が登場するのは,『エンリルとニンリル』である。

Enlil and Ninlil

ニップルに,若者のエンリルと乙女のニンリルがいた。ヌンバルシェグヌは賢明な老夫人だった。ヌンバルシェグヌは,娘のニンリルに,川は神聖なので,川で水浴びしないように,ヌンビルドゥ運河の土手を歩かないようにと助言した。エンリル神が貴方を見つけて,性交するだろうと忠告した。
ニンリルは川に行き,土手を歩いていると,エンリルがニンリルを見て,性交したいと言った。ニンリルは,はじめは拒否したが,エンリルは,従神ヌスクの舟で再びニンリルのところに行き,スエン・アシムバッパルの種を,ニンリルの子宮に注いだ。エンリルは,キウルを歩いているときに,運命を決める50人の偉大な神々と7人の神に逮捕された。
エンリルは町を去り,ニンリルもあとを追って町を去った。エンリルは市の門番に,ニンリルに聞かれても自分の場所を教えてはいけないと言った。ニンリルは,「あなたの主の種,輝く種は私の子宮の中にあります。輝く種,スエンの種は,私の子宮の中にあります。私の主人の種は天に上ることができます。私の種を下に行かせてください。主人の種の代わりに,私の種を下に行かせてください。」と言った。エンリルは,門番になって,ネルガル・メスラムタエアの種を,ニンリルの子宮に注いだ。
エンリルは去り,ニンリルもあとを追って去った。エンリルは人食い川の男に,ニンリルに聞かれても自分の場所を教えてはいけないと言った。ニンリルは,「あなたの主の種,輝く種は私の子宮の中にあります。輝く種,スエンの種は,私の子宮の中にあります。私の主人の種は天に上ることができます。私の種を下に行かせてください。主人の種の代わりに,私の種を下に行かせてください。」と言った。エンリルは,人食い川の男になって,畑の上に測定線を伸ばす王,ニンアズの種を,ニンリルの子宮に注いだ。
エンリルは去り,ニンリルもあとを追って去った。エンリルは渡し舟の男に,ニンリルに聞かれても自分の場所を教えてはいけないと言った。ニンリルは,「あなたの主の種,輝く種は私の子宮の中にあります。輝く種,スエンの種は,私の子宮の中にあります。私の主人の種は天に上ることができます。私の種を下に行かせてください。主人の種の代わりに,私の種を下に行かせてください。」と言った。エンリルは,渡し舟の男になって,運河の検査官であるエンビルルの種を,ニンリルの子宮に注いだ。・・・

一般には,『エンリルとニンリル』の神話は,セックスや多産の神話と言われている。しかし,月の神ナンナが,銀のメタファーとすれば,神話はまったく別の意味になる。

ナンナ(スエン)が銀であれば,ニンリルの子宮はキュペルであり,ネルガル,ニンアズ,エンビルルは鉛である。

キュペレーションは,繰り返し行われ,ニンリルは,「輝く種,スエンの種は私の子宮の中にあります。私の主人の種は天に上ることができます。私の種を下に行かせてください。主人の種の代わりに,私の種を下に行かせてください。」と言う。すなわち,銀(スエン)はキュペルの上面に残り,鉛(ネルガル,ニンアズ,エンビルル)はキュペルの下方に浸透する。

キュペルの下方に浸み込むネルガル,ニンアズ,エンビルルは,酸化鉛あるいはスラグである。ネルガルは,ペストと疫病の神,悪魔と悪の勢力とされ,冥界の神エレシュキガルと結婚して,共同で冥界を統治した。ニンアズは,冥界の神の一人であり,エレシュキガルの息子である。

これらのことから,『エンリルとニンリル』の神話は,銀のキュペレーションのメタファーと考えられる。

文献
*1) Marcos Martinón-Torres, Nicolas Thomas, Thilo Rehren and Aude Mongiatti. (2008). Some problems and potentials of the study of cupellation remains: the case of post-medieval Montbéliard, France. Problèmes et perspectives à partir de l’étude des vestiges archéologiques issus de la coupellation : l’exemple du site de Montbéliard (France). ArcheoSciences Revue d’archéométrie 32.
*2) 西尾銈次郎. (1943). 日本鉱業史要. 十一組出版部.
*3) 吾妻 潔. (1975). 対馬国貢銀記とその製錬法. 日本鉱業会誌 91巻1051号.
*4) 村上 隆. (2007). 古代の金・銀精錬を考える-飛鳥池遺跡の事例を中心に-. 奈良文化財研究所紀要, 2007, pp.30-31.
*5) 花谷 浩. (1999). 飛鳥池工房の発掘調査成果とその意義. 日本考古学第6巻8号p.117-126.
*6) 奈良研. (2000). 飛鳥池遺跡の調査―第98次・第99-6次, 第106次. 奈良研 年報/2000-11.
*7) Black, J.A., Cunningham, G., Fluckiger-Hawker, E, Robson, E., and Zólyomi, G., The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature (http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/), Oxford 1998-.

銅製錬,イナンナの冥界下り,灰かぶり Copper smelting, Inana’s descent to the nether world, Cinderella

銅製錬において,黄銅鉱から純銅を得る化学反応は,以下の化学式で示される。基本的な原理は,古代も現代も同じである。鉄の製錬が還元反応によって行われるのに対し,銅(硫化銅鉱)の製錬では酸化反応が基本になる。

溶融炉
4CuFe2S + 9O2 → 2Cu2S + 2Fe2O3 + 6SO2
2Fe2O3 + C + 4SiO2 → 4FeSiO3 + CO2
SiO2 + CaCO3 → CaSiO3 + CO2
鈹(マット)と鍰(スラグ)に分離
[Cu2S・FeS] ←→ [2FeO・SiO2]

転炉
Cu2S + O2 → 2Cu + SO2

現在の銅製錬は,大きく溶融炉と転炉の2段階で行われる。選別した黄銅鉱(CuFeS2)に,コークス(C),石灰石(CaCO3),ケイ酸(SiO2)を加えて溶融炉で溶融する。すると,鈹(かわ,マット)の上層に,鍰(からみ,スラグ)が分離する。鈹(マット)は,硫化銅と硫化鉄の混合物[Cu2S・FeS]で,鍰(スラグ)は酸化鉄とケイ酸の混合物[2FeO・SiO2]だ。

鈹(マット)を転炉に移して,酸素を吹き込み,硫黄や鉄などの不純物を酸化物にして取り除く。余分のケイ酸はケイ酸カルシウムにして分離する。ここまでで,98%以上の粗銅が得られる。さらに,精錬炉で,ブタンやアンモニアで還元し,酸素や硫黄をほぼ完全に取り除く。かつては,生の丸太を炉に入れて(Poling),水素,一酸化炭素などにより,酸化銅を還元させ,純銅を得ていた。

古代の銅製錬の方法について,西尾銈次郎先生は,次のように書いている。(*1)

勿論奈良朝,平安朝時代に於いては,頗る幼稚を極めたるものにして,地を掘り凹めたるのみか,又は其凹窪の周囲に天然石を配列せし位のものなるべきは,既記菅谷鐵山の例に據りても推量し得べく,又古代エジプト人が「地ヲ浅ク凹メ,其中ニしない銅山ヨリ採掘セシ銅鑛ヲ堆積シ鞴ヲ以テ送風シ製錬セシ」(De Re Metallica, p, 402 footnote)が如きと同一方法を執りしやは察するを得べけん。且つ木炭は古く石器時代にも用ゐられたるは今日屡々同時代に遺蹟より發見せらるゝにても知るべしと雖,此等は或は特に木炭として製造したるものに非ずして,樹木を焚燃せし際に生ぜし消炭なるやも知れず,聖武天皇天平十五年(紀元1403年)奈良東大寺の大佛鋳造に着手せられ,炭二十萬六千六百五十六斛(一萬三千六百八十餘石)を費し(東大寺大佛前版文)たるを見れば,既に木炭は奈良朝時代盛に使用されたるものなれば,當時銅鑛の製錬に於ても當然使用せられたるものと解して差支なかるべし。
前掲平安氏覺書に曰く,「祖父ヨリノ傳聞ニハ元禄年間眞吹方法發明セラレザリシ以前ニ於テハ銅鑛又ハ再三焙燒シテ銅ヲ尻抜キニナシタルモノナリ」とあり。蓋し往古銅鑛製錬なるものは前章銀の製錬の場合の如く,古代人民の思想として單に徹頭徹尾酸化作用を行いしものなるべしと思わる。乃ち先ず銅鑛を碎破して雜石を摘去し,優良たる黄銅鑛のみを集め,時を急がず,燃料を惜まず,勞力を厭はず,先ず燒鑛の作業をなし,成るべく多く硫黄分を酸化分離せしめ,次に素吹の作業に進みしものなり。
斯くて,素吹程度に遷れる燒鑛は盛に鞴風にて熾熱せられ,其鐵分の一部は此幼稚なる爐の底(地)及壁(圍ひ石)と結び付きて鍰(カラミ)となる。此鍰を次第に排除すれば,銅分は硫黄分と鐵分の一部と共に鈹(カワ)を作るべし。尚益々木炭を加ヘ,鼓風を施して,火力を熾にすれば,硫黄分は驅逐せられ,鐵分は幾分の銅を伴いつゝ銅鈇(ドブ)(含銅多き銅鍰)を作り,遂に粗銅を炉底に作るに至る。是即ち後世の所調眞吹(マブキ)の作業に相當するものなり。當時得られたる粗銅は,蓋し現代のものに比すれば,著しく粗悪なるものなりしならん。此の如く酸化製錬法に依りて得られたる銅には少量の硫黄を含有することはGowland教授及其他の靑銅時代の銅器を分析して証明せる(De Re Metallica, p.402 footnote)所なるも,本邦に於ては,銅鉾(鏡鑑,銅鐸は本邦より出土するも蓋し本邦製には非ざるべし)及古錢に就いては幾多分析せられたるも,硫黄分に就いては遺憾ながら不明なるも,必ずや少量の硫黄を残留し居るべしと思われる。(日本鉱業史要)


吹き床による銅製錬法の模式図(葉賀・佐々木, 1998)(*2)


推定される古代の銅製錬の工程(日本の場合)(*2)

ただし,アナトリアで始まった銅の製錬法は,硫化銅鉱の酸化製錬ではなく,酸化銅鉱の還元製錬とされている。銅を含む岩石でもっとも存在量が多いのは黄銅鉱である。しかし,地表面近くの黄銅鉱は,水,酸素,二酸化炭素などの風化作用によって酸化を受け,孔雀石,赤銅鉱,藍銅鉱などの酸化銅に変化する。


銅(Cu)の主な鉱物(オレンジ色太字:主要鉱物)(*3)


からみの中のCu/Sと製錬銅鉱石種の関係(*4)

中国製錬炉
中国,大冶銅緑山の銅精錬炉復元図,前7~3世紀(*5)

--------------------

イスラエル南部のティムナ渓谷では,銅鉱石が豊富に産出し,BC4000年からローマ時代にかけての鉱山跡と銅製錬の跡が残されている。

BC4000年頃のサイト39では,スラグの塊が集中する場所から,南アラバ地方で最古の銅製錬炉が見つかっている。それは,単純な地面の穴の形で,穴の周りは小さな石で補強されていた。スラグの分析から,この製錬炉では,半液体スラグからの銅の重力による分離と,炉の底でインゴットの形成に必要な炉の製錬条件に到達するのに,十分な効率のよい吹子を持っていなかったとしている。吹子は,中東地域でベドウィンが多く飼育している山羊の皮で作られたと考えられている。(*6)


サイト39b,石灰岩の銅製錬炉

南アラバでの銅の生産は,前14世紀末から前12世紀中期には,巨大な銅産業に発展していた。そのころの,ティムナ渓谷最大の製錬所の1つであるサイト2では,直径35~50 cmの大きなスラグ「ケーキ」の山がいくつも存在する。中心に丸い穴があるスラグの山もあり,スラグを持ち上げるために開けられた穴と考えられている。

穴があるスラグの山の近くから発見された炉は,深さ40 cm直径40cmほどで,厚い粘土のモルタルで囲まれていた。炉の上部は,地表面から突き出ており,ドーム状のキューポラ型の炉床を覆っていた。製錬炉の上部には,厚いスラグ層が付着しており,炉壁の下方にもスラグが見られた。また,直径約10cmの陶器の管が,炉の背面壁から炉の底部に向けて,斜めに貫通していた。この羽口と吹子は,少なくとも2つあったとされている。

製錬炉の前には浅い窪みがあり,窪みをはさんで長さ80cmの石が置かれており,ここに,スラグを流出させたと推定されている。あらかじめ用意されたスラグ口はなく,製錬の終わりに,炉壁に穴をあけて流動スラグを流出させたと考えられている。


中央に穴が開いたスラグ「ケーキ」,サイト2


キューポラ型製錬炉,FIV,サイト2,製錬炉の前にスラグピットがある


完全なスラグ「ケーキ」,サイト30,層1,サイト30からの羽口,左側は層3–2の小さなタイプ,右の大きな羽口は層1のもの


ティムナ炉復元図, BC4000年頃(左),BC1000年頃(右)(*6)

なお,サイト2の層2では,複数の鉄のブレスレットが見つかっている。分析によって,この鉄は,銅製錬の過程で,鉄鉱石を融剤として使用した副産物として生成したものという。また,銅インゴットの調査では,条件によって,銅インゴットの上面に鉄の層ができることが判明している。銅インゴットの上面にできた鉄は,実用的な錬鉄であるという。また,鉛同位体の測定により,サイト2の鉄,およびティムナ鉱山神殿で発見された宝飾品の鉄は,ティムナの銅製錬炉で製造されたことが確認されている。

--------------------

長登銅山は,7世紀末から9世紀末まで,官営の銅鉛鉱山として操業していた。長登銅山で生産された銅は,東大寺大仏の建造に利用されたことが知られている。

長登銅山からは,選鉱のための要石や磨石,炉跡,木炭を多含するカラミの大塊,羽口,炉壁,鉱石,銅塊,カラミや鉛が付着した土師器,木炭,粘土採掘坑跡,るつぼ,鹿の頭骨,皮なめし用の軽石,大量の木簡などが出土している。(*7)

ただ,当時の製錬法については,諸説があり,竪型炉(シャフト炉)による酸化銅鉱の還元製錬,地炉による硫化銅鉱の酸化製錬,るつぼ炉による酸化銅鉱の製錬および製品銅の溶解などが提案されている。

近年の長登銅山の銅製錬実験の報告では,次のように報告されている。(*8)(*9)

内径32cm高さ1mの竪型炉を作り,チリ産酸化銅,長登産褐鉄鉱,石灰,木炭を,予熱した炉に交互に投入し,送風する。酸化銅鉱石には,酸化銅と二酸化ケイ素が含まれるが,二酸化ケイ素と酸化鉄を反応させて,スラグ(鉄カンラン石)として溶融させる。石灰は,スラグの溶融温度を下げる作用がある。

酸化銅は,木炭の燃焼によって生じた一酸化炭素によって還元されて金属銅になり,スラグの下に溜まる。鉱石と木炭の投入を繰り返すと,炉内には,金属銅とスラグが溜まっていく。炉底から5cmほど上の炉壁に,カラミ口を開けて,スラグを炉外に流出させる。これを何度か繰り返し,最後に炉底に湯口を開けて,金属銅を流出させる。炉底にも金属銅が残る。

送風が不十分で炉内の温度が低いと,スラグが溶融せずに固まってしまい,温度が高すぎると酸化鉄が還元されて金属鉄が生成し,金属銅が分離しないという。


大切谷の各所で見られるスラグ(Author:のりまき)

長登で生産された銅の納入先は,長門国司の三等官,四等官の掾,少目,二□郷銭司料,太政大殿,大殿,節度使判官犬甘,左官膳大伴□,□官乙□,官布直,□笠殿,膳大伴百嶋とあり,公機関,官人,豪族らに納められていた。「太政大殿」は,藤原不比等の死後の位であり,藤原家に送られたと考えられている。(*7)

なお,森 博達氏は,日本書紀の成立について論じ,日本書紀完成時の最高実力者は,藤原不比等(中臣鎌足の子)であり,日本書紀の書き換えの主導者は不比等と推定している。(*10) (*11)

--------------------

『イナンナとエンキ』の神話では,エンキ神は,ビールで酔った勢いで,イナンナに神の力を渡してしまった。『イナンナの冥界下り』では,イナンナは,エンキから得た神の力で冥界に下り,エンキの力で冥界から戻る。

エンキ神が,イナンナに与えてしまった神の力は,多岐にわたる。神話に書かれているのは,英雄,権力,邪悪,正義,都市の略奪,嘆きの声,喜び,欺瞞,反逆者の土地,優しさ,移動,定住,大工の技術,銅細工の技術,書記の技術,鍛冶屋の技術,革細工師の技術,毛織物の工芸品,建造者の工芸品,リード奏者の工芸品,知恵,注意力,聖なる浄化の儀式,羊飼いの小屋,輝く木炭を積み上げること,羊飼い,敬意,畏敬,敬虔な沈黙,火の点火,火の消火,重労働,神官の主人の官職,ラガル神官の官職,神性,偉大な神冠,王位,高貴な笏,職員と羊飼いの杖,高貴なドレス,王権,エギジ神の官職,ニンディンギル神の官職,イシブ神の官職,ルマフ神の官職,ダドゥ神官の官職,不変性,冥界への往来,クルガラ神官,剣と戦棍,儀礼役人のサグウルサグ,黒い衣,華麗な衣服,髪型,軍旗,震え,性交,接吻,娼婦,率直な言葉,欺瞞的な言葉,壮大な言葉,聖なる娼婦,聖なる居酒屋,神聖なニギンガル神社,天の神殿娼婦,大きな楽器,音楽,尊い老い,激しい労働,家族,子孫,戦争,勝利,忠告,慰め,判断,意思決定,女性の魅力などである。

これらの神の力のなかで,冶金に関すると思われるものは,銅細工の技術,鍛冶屋の技術,革細工師の技術,輝く木炭を積み上げること,火の点火,火の消火,高貴な笏(吹子の管と羽口?)などだ。

イナンナは,エンキから神の力を得て,冥界に下る。イナンナが冥界に下るときに,身に着けたものは,ターバンと国を開くためのヘッドギア,額にかつら,ラピスラズリのビーズ,双子の卵形のビーズ,婦人のドレス,「男を来させ,彼を来させる」と呼ばれるマスカラ,「さあ,来て」と呼ばれる胸飾り,金の指輪,ラピスラズリの測定棒と測定縄である。


Sumerian necklaces and headgear discovered in the royal (and individual) graves of the Royal Cemetery at Ur (Source/Photographer:JMiall)


Jewellery PG 580


Scepter, tomb PG 1236. Royal Cemetery at Ur (Author:Gary Todd)

これらは,何のことかさっぱりわからない。しかし,イナンナの姉で冥界の神エレシュキガルは,冥界の七つの門を閉め,門を一つ開けるごとに,イナンナが身に着けた物を取り去り,最後は裸にした。これは,銅鉱石の選鉱のことである。

イナンナは,冥界で死の宣告を受けて,死体はフックに掛けられた。イナンナの従神ニンシュブルは,エンリル,ナンナ,エンキに,イナンナを生き返らせるよう頼むが,このとき,「貴重な金属を冥界の塵と合金化させないでください」という言葉を何度も繰り返している。

すなわち,『イナンナの冥界下り』は,銅冶金における選鉱と銅製錬のメタファーとして書かれた神話である。神話のなかで,同じやりとりを何度も繰り返すのは,鉱石と木炭の投入やスラグの流出作業を繰り返すという意味である。

姉が冥界の神,妹が豊穣と性愛の神,姉妹の確執,冥界の塵の中から貴重な金属が生まれるなどの内容から,『イナンナの冥界下り』は,最古の灰かぶりの話であることがわかる。

炉壁に開けた穴から先に出る(生まれる)のが姉で,姉は,スラグ=エレシュキガルである。竈の灰の中に残るのが妹で,妹が,銅インゴット=ロゼット=イナンナである。


Copper ingots from Hazor (Section drawings and photos, courtesy of the Hazor expedition).( *13)


Plate from PG 789. Royal Cemetery at Ur

文献
*1) 西尾銈次郎. (1943). 日本鉱業史要. 十一組出版部.
*2) 佐々木 稔. (2004). 古代西アジアにおける初期の金属精錬法. 西アジア考古学第5号p1-10.
*3) 山口大学工学部学術資料展示館. 銅鉱.
*4) 新井 宏. (2000). 金属を通して歴史を観る 15 奈良大仏の銅の製錬. Boundary.
*5) 林 巳奈夫. (2009). 中国古代の生活史. 吉川弘文館.
*6) Beno Rothenberg. (1995). RESEARCHES IN THE SOUTHERN ARABAH 1959–1990 Summary of Thirty Years of Archaeo-Metallurgical Field Work in the Timna Valley, the Wadi Amram and the Southern Arabah (Israel). Arx 2–3 (1996–97), 5–42.
*7) 池田善文. (2004). 古代の美祢. 美東町史・通史.
*8) 中西哲也. (2012). 生産遺跡における製錬スラグの科学的分析と体系化に関する研究. 研究成果報告書.
*9) 中西哲也. (2018). 奈良時代の古代銅製錬に挑む. 九州大学総合研究博物館ニュース.
*10) 森 博達. (1999). 日本書紀の謎を解く―述作者は誰か. 中央公論新社.
*11) 森 博達. (2011). 日本書紀成立の真実 書き換えの主導者は誰か. 中央公論新社.
*12) Black, J.A., Cunningham, G., Fluckiger-Hawker, E, Robson, E., and Zólyomi, G., The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature (http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/), Oxford 1998-.
*13) Yahalom-Mack, Naama & Galili, Ehud & Segal, Irina & Eliyahu Behar, Adi & Boaretto, Elisabetta & Shilstein, Sana & Finkelstein, Israel. (2014). New Insights into Levantine Copper Trade: Analysis of Ingots from the Bronze and Iron Ages in Israel. Journal of Archaeological Science. 45. 10.1016/j.jas.2014.02.004.