情報(知識)の変異速度:Mutation speed of information / knowledge

武器と道具

1816年に、デンマークの考古学者のクリスチャン・トムセン(1788-1865)は、国立博物館のコレクションを、石器時代、青銅器時代、鉄器時代の3つに区分して展示した。これが、最初の人類学的な時代区分であった。

その後、イギリスのジョン・ラボック(1834-1913)、フランスのG・ド・モルティエ(1821-1898)らによって、石器時代は、旧石器時代と新石器時代に分けられた。さらに、モルティエは、ヨーロッパの旧石器時代をムスティエ、ソリュートレ、オーリニャック、マドレーヌの4期に区分した。

現在のヨーロッパでは、石器時代は、おおよそ以下のように区分されている。なお、日本では、旧石器時代は、中期旧石器時代、後期旧石器時代、縄文時代に区分される。

オルドワン:Oldowanオルドワン石器は、最古の石器群で、おもに、礫を打撃して造る片刃のチョッパーと両刃のチョッピングトゥールからなる。多くはアフリカで製作されたが、ヨーロッパ、アジアからも見つかっている。

 

アシューリアン:Acheuleanアシューリアン石器は、ハンドアックスに代表される長さ15~20cmの打製石器で、石器の両面が加工されている。ホモ・エレクトスが登場した170~180万年前に出現した。アフリカ、西アジア、南アジア、ヨーロッパの多くの地域で製作された。

 

ムステリアン:Mousterianルヴァロワ型石核を用いた剥片剥離が特徴で、16万〜4万年前のネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)が活動していた時期に多く製作された。ヨーロッパ、中東、北アフリカで出土している。

オーリニャック:Aurignacian片刃の石刃など縦長剥片が、ブレード技法と呼ばれる剥離技術で製作されている。4万~3万年前のオーリニャック文化期には、ショーヴェやラスコーの洞窟壁画や動物彫刻も製作された。ヨーロッパ、中東、シベリアで出土している。

細石器:Microlith細石器は長さ1~3cmの小型の石刃で、槍の刃部や弓矢のヤジリとして製作された。木や骨の溝にはめ込んで、替え刃として使用された。ヨーロッパ、北アフリカ、アジア、 オーストラリアで製作された。

 

新石器:Neolithic研磨された磨製石器が特徴で、農耕が始まった時代(15,000BC~)に製作された。ただし、日本やオーストラリアでは、4~2万年前に局部磨製石斧が出現していた。

フランスの先史学者のアンドレ・ルロワ=グーラン(1911-1986)は、原石1kg当たりから製作できる石器の刃の長さを試算している。オルドワンでは40cm、ムステリアンでは4m、オーリニャックでは10m、中石器時代の細石器では100m以上の刃が製作できたという。石器の製作技術は、古い時代ほどゆっくり、新しい時代ほど急速に向上している。

武器や道具は、石器時代を経て、銅器、青銅器、鉄器へと変遷したが、その製作技術は、段階的に向上している。製作技術が向上することは、武器や道具の性能が向上することを意味する。武器や狩猟道具の性能が向上することは、ライバルや獲物を殺傷する能力が大きくなることであり、高性能の武器や狩猟道具を製作する技術を有する個体や集団は、生存闘争において有利になる。

また、製作技術が段階的に向上したということは、材料の物性や製作物の構造についての知識が段階的に蓄積し、保存され、増大したということである。

知識は情報の一部なので、情報の段階的な蓄積、保存、増大は、武器や道具の性能を向上させ、情報を保有する個体や集団の生存を有利にすることを意味している。

情報、記号、知識

日本語の「情報」というのは、最初はフランス語のrenseignementの訳語として使われたらしいが、現在では英語のinformationの意味で使われるのがほとんどである。情報には多くの意味が存在するが、ここでは、情報を次のように定義する。

情報:任意の個体がその記号を認識したとき、同じ物質あるいは同じ行動(運動)につながる記号の集合(f:A→B)

「記号」はsignあるいはcode(符号)のことだが、人が情報を伝達・交換に利用する記号には、表情、叫び声、泣き声、怒声、身振り、言葉の記号など様々なものがある。もっとも多く使用されるのは、言葉の記号である語音と文字なので、ここでは、記号を以下のように定義する。

記号:同じ性質を持ち、並べ替え可能で、個体がそれらを区別可能な物理的実体

「知識」(knowledge)という言葉は、情報とほぼ同じ意味で使われることが多いが、ここでは以下のように定義する。

知識:多くの個体に、有用な情報として選択された情報

情報と知識の関係は次のようになる。

日常では、さまざまな情報が伝達され交換されている。人々が交わす会話やニュースなどは、流れる情報(flow)であるが、これらは、ほとんどが消滅してしまう。また、朝食の内容や考え事などの情報も、その人の脳の中でしばらくは漂っている(float)が、やはり消滅してしまう。

情報のなかで重要なものは、記憶されたり、記録されたりして、一時的に保存される。一時的に保存された情報は、時間がたつにつれて消滅していく情報と、長期にわたって蓄積され、保存される情報(stock)がある。そして、長期に保存される情報の中で、多くの人にとって有用な情報として選択された情報が「知識」(knowledge)である。知識は長期にわたって蓄積され、保存される。

これらの情報の形態(flow、float、memory、record、stock、knowledge)はきわめて流動的であり、固体が液体になったり、液体が固体になったり、あるいは気体になって雲散霧消してしまうように、常に、ゆらいでいる。

情報プール

 ヒトは、集団内の個体同士で情報を伝達したり、交換したりすることが可能である。このような、情報の伝達・交換が可能な集団に存在する情報の総体を、「情報プール」と呼ぶことにする。集団の個体数mが大きいほど、あるいは、蓄積された情報が多いほど、情報プールIは大きくなる。

情報プール内のそれぞれの個体を、b1、b2、・・bmとする(brain)。はじめ、この情報プールでは、弓矢y0の製法(情報・知識)k0を、全員が保有しているとする(f:k→y)。ただし、弓矢y0は原始的な弓矢で、その矢には、矢羽やヤジリが無く、飛距離は短く命中精度は高くない。


I:情報プール
bm:情報プール内の個体
yn:弓矢
kn:ynの製法(知識)
f:k→y
tcn:製法の変異(kn-1→kn)が起きる時間
tsn:情報プール内に製法knが伝播する時間

時間tc1後に、集団の中の器用な人b1が、矢柄に矢羽を装着すると、飛距離と精度が向上することを発見した。この矢羽のある弓矢をy1とし、y1の製法をk1とする。弓矢y1は、他の人が持つ弓矢y0よりも性能が高いので、戦闘や狩猟において有利である。

b1はy1の製法k1を自分の子供や兄弟などに伝授するので、k1は徐々に情報プール内に伝播していく。製法k1が情報プール全体に伝播する時間をts1とする。

製法k1がb1から他の個体へと伝播することは、製法k1が何回も複製(コピー)されることである。ただし、言語による情報の複製は、完全ではないので、情報の一部が欠落したり間違いが生じたりする。この情報の欠落や間違いも、「情報の変異」であるが、欠落や間違った情報をもとに製作された弓矢は、一般には性能が劣る。性能が劣る弓矢は、戦闘や狩猟において勝ち残ることができないので、その製法(情報)は、捨てられてしまう。(ただし、間違って伝わった製法で作られた弓矢が、すべて劣るとは限らない)

複製ミスや間違いなどで性能が劣るような情報の変異を、「不利な情報の変異」とすると、「不利な情報の変異」は生き残ることができず、情報プール内から消滅してしまう。すなわち、「不利な情報の変異」は、情報プールにほとんど影響を与えないので、無視できるはずだ。

弓矢y1の製法k1は、集団全体に広がり、やがて他の集団にも伝播する。すべての集団にk1が伝播すれば、戦闘や狩猟において、y1の有利性はもはや存在しなくなる。

個体は、他者よりも有利性が存在しければ、生存するのが難しくなるので、なんとかして性能の高い弓矢を作ろうとするであろう。逆に言うと、そのような工夫をした個体とその個体が属する集団が、生き残ることができた。

性能の高い弓矢を作ろうと試行錯誤を繰り返すうちに、時間tc2後に、ある人が、矢の先端にフリント(チャート)のヤジリを装着すると、飛距離が長くなり、破壊力も大きくなることを発見した。この弓矢をy2とし、y2の製法をk2とする。y2は戦闘や狩猟において有利なので、k2は情報プール内に伝播していく・・・。

生存に「不利な情報の変異」は消滅するので、情報プール内の情報の変異速度を左右するのは、生存に「有利な情報の変異」である。そこで、情報プール内で、時間当たりに生じる「有利な情報の変異」の回数を、「情報プールの情報の変異速度」vIとすると、vIは以下のようにあらわされる。

vI=dn/dt
n:情報プール内で生じる有利な情報の変異の回数
vI:情報プールの情報の変異速度

vIの値が大きいほど、ライバル集団との生存闘争において有利である。また、以下の関係が存在する。

・情報プールIが大きいほど、vIが大きい。
・情報プール内の情報の伝播速度が大きい(tsnが小さい)ほど、vIが大きい。
・有利な情報の変異が生じる時間tcnが小さいほど、vIが大きい。

ルロワ=グーランは、ヒト科の種の脳が大きくなるにつれて、石器の製作技術が飛躍的に向上したことを指摘している(先述の図)。古い時代のヒト科ほどvIが小さい理由のひとつは、Iが小さく、tsnが大きいためである。時代が下るほど、情報が蓄積し、言語による情報の伝達能力が向上するので、Iが大きく、tsnが小さくなって、vIが加速度的に大きくなる。

集団内の協力と結束が高いほど、情報の伝達と交換が活発に行われるので、tsnが小さくなる。すなわち、情報プール内の個体の同一性が高いほど、vIが大きくなる。

一方、それぞれの個体が、試行錯誤に専念できる時間が長いほどtcnが小さくなるので、分業化と専門化が進むほどvIが大きくなる。また、個体の試行錯誤の自由度が大きいほど、情報の変異が生じる確率が大きくなる。すなわち、情報プール内の個体間の差異が大きいほど、tcnが小さくなってvIが大きくなる。

これらのことから、情報プール内では、個体の同一化と差異化が拮抗する関係にある。有利な情報の変異が起きた直後は、変異による有利性が大きく資源を多く獲得できるので、同一化して小さな不確実性を選択したほうが有利である。しかし、時間が経過して変異が種内に伝播すると、変異の有利性が失われて資源獲得が困難になるので、差異化して大きな不確実性を選択したほうが有利になる。(つづく)

文献
大貫良夫ほか、世界の歴史1、中央公論社、1998
ホルクハイマー、アドルノ、1947、啓蒙の弁証法、岩波書店、1990
トーマス・クーン、科学革命の構造、1962、みすず書房、1971

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ポトラッチ:漁撈部族間の相互贈与;Potlatch:Mutual gifts among fishery tribes

マルセル・モース(1872-1950)の“Essai sur le don”(The Gift、贈与論)は、世界的な名著の一つにちがいないが、その評価は分かれるようである。ただ、民族学、人類学、神話などの膨大な記録の要約が収録されており、きわめて有用な文献であることに異論はないであろう。

『贈与論』の中心的な概念である「ポトラッチ」は、北アメリカ北西部の海岸地帯の部族の言葉で、「食物を与える」、「消費する」という意味である。モースは、ポトラッチを以下のように定義している。

First, it is not individuals but collectivities that impose obligations of exchange and contract upon each other. The contracting parties are legal entities: clans, tribes, and families who confront and oppose one another either in groups who meet face to face in one spot, or through their chiefs, or in both these ways at once. Moreover, what they exchange is not solely property and wealth, movable and immovable goods, and things economically useful. In particular, such exchanges are acts of politeness: banquets, rituals, military services, women, children, dances, festivals, and fairs, in which economic transaction is only one element, and in which the passing on of wealth is only one feature of a much more general and enduring contract. Finally, these total services and counter-services are committed to in a somewhat voluntary form by presents and gifts, although in the final analysis they are strictly compulsory, on pain of private or public warfare. We propose to call all this the system of total services.
第一に、相互に交換や契約の義務を課すのは、個人ではなく集団である。契約の当事者は、氏族、部族、家族などの法的組織である。彼らは、特定の場所で直接に顔を合わせたり、あるいはその首長を介したり、あるいは同時に両方の方法で対峙する。彼らが交換するものは、財産や不動産など、経済的に有用なものだけではない。この交流は、宴会、儀式、兵役、女性、子供、舞踊、祭事、見本市であり、経済的取引は要素の一つにすぎない。財を渡すことは、永続的な契約の一部にすぎない。最後に、これらの供与と返礼は、贈り物として自発的な行為にまかされているが、突き詰めると、私的あるいは公的な戦闘の上に、厳格に義務づけられている。われわれは、これを全体的な供与のシステムと呼ぶことを提案する。(文献1)

モースは、ポトラッチにおける三つの義務をあげている。

・贈る義務:贈与や歓待は、同族以外の人々に与えなければ意味がない
・受け取る義務:贈り物やポトラッチを拒否することはできない。贈与や歓待を拒否することは、返礼を渋っているとみなされる
・返礼の義務:贈与に対する返礼の義務は強制的である。返礼をしない者は面子を失う

北アメリカ北西部の海岸地帯の部族では、「破壊のポトラッチ」さえ存在する。

In a certain number of cases, it is not even a question of giving and returning gifts, but of destroying, so as not to give the slightest hint of desiring your gift to be reciprocated. Whole boxes of olachen (candlefish) oil or whale oil are burnt, as are houses and thousands of blankets. The most valuable copper objects are broken and thrown into the water, in order to put down and to ‘flatten’ one’s rival.
いくつかの事例では、贈り物の返礼を期待していると相手に思われないように、贈与や返礼はまったく問題でなく、ただ破壊する。ギンダラの油や鯨油が入ったすべての樽が、家屋や何千枚もの毛布と一緒に燃やされる。ライバルを下に置いて「打ちのめす」ために、もっとも貴重な銅製の宝物は破壊されて、水中に投げ込まれる。(文献1)

破壊のポトラッチに何らかの合理性を見出すのは、かなり困難である。たとえば、バタイユ(1897-1962)は、ポトラッチを、地球上に存在する過剰なエネルギーの消尽として解釈しようとしたが、成功していない(文献2)。モースは、破壊のポトラッチは、部族間の「一種の戦争」‘the potlatch is a war’であるとしている。

そこで、財=戦力と考えると、破壊のポトラッチは、ライバル部族の目の前で大量の財(戦力)を破壊することで、自己の部族が有する生産力(戦力)の大きさを誇示する行為と考えられる。

大きな戦力は、大きな殺傷力を意味する。部族の大きな戦力を示す(信号)ことは、戦闘における大きな不確実性を示すことである。資源が足りている平時に大きな不確実性を選択することは、集団の生存にとって不利である。すなわち、自己の部族の大きな戦力をライバルに見せつけることは、ライバルに戦闘開始の決断を思いとどまらせる効果がある。このような、国力・戦力の示威や軍事的な威嚇行動は、現代の国家間でもよく見られる。


w:武器の殺傷力の大きさ
Ra:Aが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
Rb:Bが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
eaw:勝利したAが獲得できる資源量の期待値
eal:負けたAの資源量の期待値

ポトラッチでは大量の財を消尽するので、財の蓄積と貯蔵が不可欠である。サン族のように遊動しながら狩猟採集する非貯蔵社会では、財が蓄積されないので、ポトラッチは成立しない。モースは、『贈与論』を理論化する上で、ポリネシア、メラネシア、北アメリカ北西部海岸の部族社会を取り上げている。

ポリネシアとメラネシアの諸部族は、漁撈と農耕を生業にしている。太平洋地域の農耕文化は、台湾を起点として拡散し、さらにはマダガスカルにまで伝播したことが、近年の比較言語学および考古学的研究によってあきらかにされている(文献3)。台湾への農耕文化の伝播はB.C.3500年ごろ、フィリピンおよびインドネシアへはB.C.2000年ごろ、ミクロネシアがB.C.1500年ごろ、メラネシアがB.C.1400年ごろ、ポリネシアはA.C.600年ごろ、マダガスカルへの伝播はA.C.500年ごろと考えられている(文献4)。マリノフスキ(1884-1942)が、トロブリアンド諸島を調査した1915~1918年には、太平洋地域はすでに農耕と漁撈を営む「貯蔵社会」であった(文献5)。

一方、北アメリカ北西部海岸地帯の部族は、農耕を行わず、狩猟と採集のみで生活していた。モースは次のように記述している。

The tribes, peoples, or rather groups of tribes we shall discuss all reside on the Northwest coast of America, in Alaska: Tlingit and Haïda; and in British Columbia, mainly the Haïda, Tsimshian, and Kwakiutl. They also live from the sea, or from the rivers, from fishing rather than hunting. But, unlike the Melanesians and Polynesians, they have no agriculture. However, they are very rich, and even now their fishing grounds, hunting grounds, and fur-trapping provide them with considerable surpluses, particularly when reckoned in European terms. They have the most solidly built houses of all the American tribes, and a very highly developed cedarwood industry.
われわれが議論する諸部族、人々、あるいは諸部族の集団は、アメリカの北西部海岸、アラスカに住んでいる。トリンギット族、ハイダ族、英領コロンビアではハイダ族、チムシアン族、クワキウトル族である。彼らは、狩猟よりも、海や川での漁撈によって生きている。メラネシア人やポリネシア人とは異なり、農耕を営まない。しかしながら、彼らは非常に豊かであり、現在でも、漁場、猟場に恵まれ、ヨーロッパの基準からみると、毛皮は彼らにかなりの余剰を与える。彼らは、アメリカのすべての部族の中で、もっとも堅牢に建てられた家屋と、きわめて高度に開発された針葉樹の製材業を持っている。(文献1)

上記のことから、漁撈を生業とする部族は、たとえ農耕を行わなくても、食糧を貯蔵し財を蓄積する貯蔵社会であることがわかる。しかも、彼らは、サン族やアボリジニのように遊動せず、長期にわたって定住していた。

もっとも、日本では、古代の漁撈社会が貯蔵社会であり、かつ長期にわたって定住する社会であったことはよく知られている。縄文時代の集落跡である青森県の三内丸山遺跡では、B.C.3500~B.C.2000年の1500年もの長期にわたって集落が存続していた(文献6)。さらに、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、墓地、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、ごみ捨て場、道路跡などが出土しており、多くの食料の貯蔵と財の蓄積があったことがうかがえる。

また、縄文時代前期から晩期にいたる石川県の真脇遺跡では、B.C.4000年ごろから4000年間も途切れることなく人々が住み続けていたことが判明している。人々は定住して漁撈と採集で生活しており、300体を超えるイルカの骨、トーテムポールのような彫刻柱、貼床住居址、環状木柱列、縄文土器、磨製石斧、土偶、埋葬人骨、日本最古の仮面などが出土している(文献7)。

超協力タカ派戦略では、部族同士は資源をめぐって生存闘争を繰り広げるライバルである。ポトラッチのような、ライバル部族同士で大量の財(資源)を相互贈与するシステムには、合理性が存在しないように見える。『贈与論』のなかにも、次のような記述がある。

Thus African societies, whether Nigritian or Bantu, either do not have the institution of the potlatch, or in any case have it in a not very developed state, or have perhaps lost it—
ネグリトーでもバントゥーでも、アフリカの社会は、ポットラッチの習慣を持たないか、あるいは、あまり発達していない状態にあるか、たぶんそれを失ってしまった・・(文献1)

北アメリカ海岸地帯の部族同士も、本質的には闘争関係にあり、常に緊張した状態であることは、次の逸話からも読み取れる。

Buleau, a chief, had invited another chief, Bobal, and his people to a banquet, probably the first in a long series. They began to rehearse the dances the whole night through. In the morning they were all in a state of nerves from their sleepless night, the dances, and the songs. As a result of a simple remark made by Buleau, one of Bobal’s men killed him. And the rank and file massacred, pillaged, and carried off the women of the village. ‘Buleau and Bobal were rather friendly, and merely rivals’, Thurnwald was told.
首長のビュローは、別の首長のボバルとその仲間を祝宴に招待した。たぶん、長く続く宴の最初のことであった。彼らは夜通し踊りをリハーサルし始めた。朝には、彼らは夜通しの踊りと歌のために、興奮状態になった。ビュローの何気ない発言の結果、ボバルの男性の1人が彼を殺した。そしてその集団は虐殺され、虐待され、村の女性たちはさらわれた。「ビュローとボバルはどちらかといえば友好的で、単にライバルだった」とトゥルンヴァルト(オーストリアの人類学者)に語った。(文献1)

では、どうして、闘争関係にある部族間において、ポトラッチのようなシステムが発達したのであろうか? モースは、チムシアン族の次のような神話を紹介している。

A princess of one of the Tsimshian villages has conceived in the ‘land of the otters’ and miraculously gives birth to ‘the Little Otter’. She returns with her child to the village where her father is the chief. Little Otter catches a large halibut on which his grandfather regales all his fellow chiefs, from all the tribes. He presents his grandson to everybody and enjoins them not to kill him if they come across him in his animal form while out fishing: ‘Here is my grandson who has brought this food for you and which I have served to you, my guests.’ In this way the grandfather grew rich with all kinds of goods given him when they came to his home to partake of the whales, seals, and fresh fish that Little Otter brought back during the winter famines. But they had forgotten to invite one chief. So, one day when the crew of a boat belonging to the neglected tribe met Little Otter out at sea, holding a large seal in his mouth, the bowman in the boat killed him and took the seal from him. The grandfather and the other tribes searched for Little Otter until they became aware of what had happened to the forgotten tribe. The latter presented its excuses: it did not know who Little Otter was. His mother, the princess, died of grief. The chief who had been the unwitting culprit brought to the chief, the grandfather, all kinds of gifts to expiate his mistake. And the myth concludes: ‘This is why peoples mounted a great festival when the son of a chief was born and was given a name, so that no one should not know who he was.’
チムシアン族のある村の王女は、「カワウソの国」で子を宿し、「カワウソの子」を奇跡的に産んだ。彼女は父親が首長である村に子供と一緒に帰った。カワウソの子は、大きなオヒョウを捕まえ、彼の祖父は仲間の首長を招いて歓待した。彼は皆に孫を紹介し、もし外で動物の姿をしている孫を見つけても殺すことを禁じた。「これが、あなた方のためにこの食べ物を持ってきた、私の孫です」。こうして、祖父は、冬の飢饉のときにカワウソの子が獲ってきたクジラ、アザラシ、新鮮な魚を食べに来た首長たちから、彼に贈られた多種の品物で豊かになった。しかし、彼らは、1人の首長を招待するのを忘れていた。あるとき、無視された部族に属する船の乗組員が、海で口に大きなアザラシをくわえたカワウソの子を見つけ、射手が彼を殺してアザラシを奪った。祖父と他の部族は、忘れられた部族に何が起こったのかを知るまで、カワウソの子を探した。その部族は、カワウソの子が誰であるか知らなかったと弁明した。カワウソの子の母の王女は、悲しみのために死んだ。知らずに犯行を犯した部族の首長は、間違いを償うために、祖父にあらゆる種類の贈り物を贈った。そして、神話はこう結論づける。「首長の息子が生まれ、名前を与えられたとき、大きな祭りを行うのは、彼が誰であるかを知らない人がいないようにするためである」(文献1)

チムシアン族の神話からわかることは、漁撈を生業とする部族の社会では、複数の部族が同じ漁場(=資源)を一緒に利用していることである。このため、突発的な部族間の紛争が頻繁に生じる。


陸地の海岸地帯の漁撈部族
Bn:バンド
Tn:部族


島嶼部の漁撈部族
Bn:バンド
Tn:部族

ポトラッチ、すなわち、部族間の大量の財(資源)の等価交換による相互贈与は、複数の漁撈部族が漁場(資源)を一緒に利用する部族社会に特有に発達したシステムであると考えられる。ポトラッチやクラによって、漁場で生じる部族間の突発的な紛争や戦闘を回避したのであろう。「クラ」は、トロブリアンド諸島などにおける部族間の儀礼的交易のことである。

部族が戦闘を回避することは、小さな不確実性を選択することである。小さな不確実性を選択したほうが有利なのは、資源が充足しているときなので、漁撈部族の社会は、サン族やアボリジニのような遊動狩猟採集部族の社会に比べて、資源の獲得量が安定していることを意味している。それは、陸地の遊動狩猟採集部族の社会では資源の獲得が不安定であることと同義であるが、それについては別の機会に述べる。(つづく)

文献
1)Marcel Mauss, The Gift, 1925(贈与論)
2)ジョルジュ・バタイユ、呪われた部分、1949
3)Austronesian Basic Vocabulary Database
https://abvd.shh.mpg.de/austronesian/research.php
4)Peter Bellwood, First Farmers: The Origins of Agricultural Societies, 2004(邦訳:農耕起源の人類史)
5)ブロニスワフ・マリノフスキ、西太平洋の遠洋航海者、1922
6)特別史跡三内丸山遺跡
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
7)国指定史跡真脇遺跡
http://www.mawakiiseki.jp/index.html

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非貯蔵社会における資源分配:Resource distribution in non-storage society

カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマン)や、オーストラリアのアボリジニは、食料を狩猟と採集のみに依存してきた。彼らは、遊動域内を常に遊動しながら狩猟と採集を行うので、人が背負ったり持ったりして運べる量の食料しか貯蔵することができない。このような「非貯蔵社会」における資源分配について見てみる。

アボリジニ

最新の研究によると、人類がオーストラリア大陸に到達したのは、従来の説よりも古く、約6万5000年前であるという。(文献1)

1828年にイギリスが全土を植民地とし、その後急速にヨーロッパ人の移民が始まった。人類学者のラドクリフ=ブラウン(1881-1955)は、ヨーロッパ人の移入直前の先住民の人口を、約25万人と推計している。図のように、576の部族がそれぞれの領域を持ち、大陸を分割していた。一部族の人数は200~600人ほどで、部族人口の平均は500人とされるが、5000人に達する大きな部族もあった。場所によって、面積当たり時間当たりの利用可能資源量が異なるため、部族の領域は、海岸地帯や森林地帯で狭く、内陸部の乾燥地帯では広い。

「かれらは定住することなく遊動的な生活を送っていた。日常生活の単位は寝食をともにする家族で、基本的には一人の男性と1人または複数の妻とその子供たちである。そして2、3組の家族を中心とした20~50人のバンドまたはホルドとよばれる集団をつくる。これが基本的な社会経済単位であった。(中略)特定の場所や土地を共有する精神単位とでも呼ぶべき集団がある。これは親族組織を中心として、特定の土地にかかわるドリーミングと呼ばれる思想によって統合される集団である。バンドの成員は流動的でつねに離合集散をくりかえしているのにたいし、この集団名は固定されて変わることがない。つまり出自集団は経済生活の単位であるバンドをゆるやかに包括するものである。その統合の基礎は神話伝承であり、それにかかわる儀礼であった。さらにおおきな集団としての部族があるが、オーストラリアの部族は世界の他の地域の部族とくらべると政治的な機能をもたず、組織や編成論理がよわく曖昧なので、部族というよりは言語集団とよぶべきではないかとする意見もある」(文献2、20p)

「アボリジニの社会はふたつの半族(モイエテイ)にわけられている。そして同じ半族の男女は、結婚してはならないという外婚の規則がある。そのうえで、かれらは父親の系譜にしたがってすすんでいる。そのグループは一般に父系氏族とよばれるものである。父系氏族の構成員は、世代によってさらにふたつにわけられている。連続する世代は結婚してはいけない規則がある」(文献2、92p)

アボリジニ同士の争いについて、小山修三氏は次のように書いている。

「若者が他人の妻(老人に独占された形になっている)を盗んだときはヤリでふとももを刺したという。それでも、そのために不具になった人はほとんどないそうで、『ヤリで刺しておけばそれにこりて若い者は二度とそんなことはしなくなるだろう』といばっていった老人があった。その老人もふとももに傷跡をもっていた。アボリジニ社会はみかけの荒々しさに比べ、本質は意外に優しいものである。暴力を否定してみかけは平穏だが、一旦それがおこると最悪の事態にまでいたる西洋社会とは実情がまるで逆になっている。(中略)結果的にみれば暴力についてはアボリジニ社会の方が効率的であり、洗練されているといえるだろう」(文献2、110p)

一方、ピンカーは、オーストラリアのムルンギン族が戦闘で死亡する割合を20~30%とし、次のような話を紹介している。19世紀初頭のオーストラリアで、収容所から脱走したウィリアム・バックリーという囚人が、ワザールング族と30年間一緒に暮らした体験を書き残している。

「敵の居場所の近くまでくると、彼らは地面に横たわって待ち伏せした。あたりが静まり、男たちのほぼ全員が数人ずつ固まって眠りにつくのを見計らって、いっせいに襲いかかるのだ。その場で三人が殺され、何人かが負傷した。大慌てで逃げ出した敵の残した武器は、こちらのものとなった。男たちは負傷した者をブーメランで叩き殺し、三回、勝利の雄叫びをあげた。帰ってきた男たちを見ると、女たちも大声をあげ、残忍な恍惚感に浸って踊った。持ち帰った死体を地面に投げ出すと、男たちはそれを棒で叩いた。誰も彼もが狂ったように興奮していた」(文献3、104p)

このように、まったく様相が異なる2種類の闘争が存在するのは、前者はバンド内あるいは部族内での闘争であり、後者は部族間の闘争であるためである。

アボリジニの婚姻体系がきわめて複雑に発達していたことは知られているが、同様に食料分配の方法も複雑に発達していた。

「ハンターは獲物を獲った後,獲物を自らの所有物とすることは許されず,別の人がそれを接収し,分配を行う。ハンターは自らがしとめた獲物の部位で最悪の部分しか入手することができないうえに,それ以外の部位の分配を行うことも許されていない。実際に獲物の分配を行い,その部分を受け取るのは,ハンターの姻族,義理の父,義理の兄弟であり,その次がハンターの兄弟である。獲物に最初に命中した槍の所有者であるハンターは,最後に残り物を得るに過ぎないのである(Testart 1987: 292)」(文献4)

サン族(ブッシュマン)

カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマン)は、いくつかの一夫一婦もしくは一夫多妻の核家族が集まって、数十人の「キャンプ」を作る。キャンプは、狩猟と採集を行いながら、数日~1か月ほどで遊動している。キャンプの構成メンバーは流動的で、離合集散を繰り返す。キャンプを含む大きな地域集団は200人ほどであるという。親族組織は未発達で、親族の認知の範囲は上下に5世代、同世代ではイトコまでにすぎない。また、近縁の異性(忌避関係)とは結婚できない。

サン族では、近縁の親族内では食料の分配は徹底されており、平等が原則である。そして、親族関係が遠くなるにしたがって、分配の強制力は弱くなる。

「キリンや大きなカモシカなど、大型の獲物は、キャンプに持ち帰られると、原則として、キャンプに居合わせるすべての人に平等に分け与えられる。分配の方法は、この社会独特のものであって、けっして最初から全員に等分したりしない。(中略)分配をとりしきる男は、てきぱきと肉の配分を終える。背中の部分の肉はかならず射手がとり、彼は首から背中にかけての腱をとっておいて、さまざまな道具を作るための糸にする。毛皮もまた、射手の所有物となる」(文献5)

アカ族(ピグミー)

中央アフリカの熱帯雨林に住むアカ族(ピグミー)は、1年の4~8か月ほどを森ですごし、狩猟と採集で暮らしている。他の期間は、バントゥー系農耕民の近くのキャンプで生活し、農作業などの仕事に従事する。

アカ族は、3~20家族が集まって、15~100人ほどの集団で生活するが、メンバーの流動性は高い。結婚後の一定期間は妻方で暮らし、婚資を払ったあとは夫方で居住する習慣がある。

アカ族の食料分配につては、次のように報告されている。

「狩猟された獲物の所有者(konja)は,最初にその動物に何らかの打撃を与えた道具の所有者(konja)である。例えば集団槍猟では,たとえ致命的ではなくても最初にその獲物に一撃を与えた槍の所有者(必ずしもハンターとは一致しない)が獲物の所有者である。ネットハンティングでは,獲物のかかったネットの所有者が獲物の所有者であり,罠猟では罠の所有者(ワイヤーの所有者)が獲物の所有者である。肉の分配は3つの段階にわけられる。まずはじめに,解体された肉の特定の部分は狩猟において果たした役割に応じてハンターの間で分配される(第一次分配)。(中略)この分配には義務的で厳密な規則が存在する。第一次分配で分配される肉はmo .bandoと呼ばれる。獲物のどの部分がmo.bandoにあたり,どのような役割を果たした人がどの部分を受け取るかは狩猟方法と獲物の種類によって決まっている。捕獲された動物の肉はキャンプ内のあらかじめ決められた場所や決められた人に集められてから分配されるわけではない。一般的には,その獲物のkonjaもしくは彼の近親者が獲物を解体し分配する。獲物のkonjaや第一次分配で分配を受けた人はその人の判断に基づいてさらに分配をおこなう。この第二次分配は義務的ではなく,また厳密な規則もない。分配の対象者には調査者としてキャンプに滞在していた筆者や一時的な訪問者も含まれた」(文献6)

「肉の第二次分配においては,肉が特定の家族や個人,あるいは特定の親族集団やある一部の位置の住人に集中しないように,キャンプ全体に肉を分けようとしている傾向があるといえよう。肉を分配する人は,キャンプ全体を視野にいれて分配の相手を選択していると考えられる」(文献6)


d:遺伝的距離
Rg:与える資源量(時間当たり)、give
Rt:受け取る資源量(時間当たり)、take

狩猟採集しながら遊動する非貯蔵社会では、集団が占有する領域(なわばり)から得られる資源の集団内での分配は、近縁親族への無償贈与、あるいは集団内メンバー間の等価交換による相互贈与が合理的である。そうでなければ、集団内での個体同士の協力と結束が得られない。そして、協力と結束が強い集団でなければ、集団同士の戦闘においてなわばりを維持できず、生き残れない。

ただし、集団内で平等に分配しない資源も存在する。それは、武器あるいは狩猟道具(生産手段)である。サン族では、獲物の部位でもっとも重要なのは首から背中にかけての腱であり、これは射手が優先的に獲得する。動物の腱は、道具を製作する糸として利用される。

アカ族の場合では、私的所有がさらに進んでいる。獲物の第一の「所有者」は、狩猟道具(生産手段)の所有者であり、これは、生産手段の所有者(資本家や株主)に生産物の所有権が存在する現代社会と同じである。ただし、アカ族では獲物はキャンプ全体に平等に分配されるので、「所有」の意味と内容が異なる。

ヒトは、他の哺乳動物に比べて華奢な身体で犬歯も無いが、その代わりに常に武器を携えている。ヒトにとって、武器は「身体化」しており、武器は、ヒトの「延長された表現型」である。そして、武器の身体化こそが、ヒトの私的所有の起源であろう。

文献
1)考古学: オーストラリアへの到達年代がさらに早まった
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/87566
2)小山修三、狩人の大地、雄山閣、1992
3)スティーブン・ピンカー、暴力の人類史、2011、青土社、2015
4)岸上伸啓、狩猟採集民社会における食物分配、国立民族学博物館研究報告27、2003
5)田中二郎、ブッシュマン、思索社、1971
6)北西功一、狩猟採集民アカにおける食物分配と居住集団、アフリカ研究51、1997

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武器と資源獲得の不確実性:Weapons and Uncertainty of resource acquisition

ホッブズは、自然状態のヒトは、闘争状態にあると言った。

To this war of every man against every man, this also is consequent; that nothing can be unjust. The notions of right and wrong, justice and injustice, have there no place. Where there is no common power, there is no law; where no law, no injustice.

「すべての人に対する、すべての人の闘争は、これもまた必然である。それは不条理ではない。正しいと正しくない、正義と不正義の概念は、そこには存在しない。権力が存在しないところでは、法は存在しない。法が存在しないところでは、不正も存在しない」(『リヴァイアサン』1651)

一方、ルソーは、自然状態のヒトは、他者と敵対することも、戦闘することもなく、無垢で平等な存在であると考えた。

Let us conclude then that man in a state of nature, wandering up and down the forests, without industry, without speech, and without home, an equal stranger to war and to all ties, neither standing in need of his fellow−creatures nor having any desire to hurt them, and perhaps even not distinguishing them one from another・・・

「自然の状態の人間は、森の中をさまよい、勤勉さはなく、話さず、そして家庭もない。見知らぬ人と戦闘することも、結束することもない。仲間を必要とせず、誰かを傷つける欲求もなく、そして、おそらく互いを区別しないことさえある」(『人間不平等起源論』1755)

人類学者のローレンス・キーリーは、先史時代のヒトや原始的な生活を維持する狩猟民は、平和な社会ではないと述べる。例えば、サウスダコタ州クロウクリークの14世紀初頭の墳墓では、頭皮が剥がされ、虐殺された500人以上の男性、女性、子供の遺体が出土している。当時の集落の人口は800人と推定されており、死亡者の割合は60%に及ぶ(文献3)。

政治学者のアザー・ガットは、キーリーを引用して、同様に論じている。ガットは、戦後、70年以上も大国間の大戦がない理由を、核戦争の脅威が存在する状況で、自由民主主義諸国が、戦争ではなく、各国の相互依存と協調によって共通の利益を認めたためとしている(文献4)。

心理学者のスティーブン・ピンカーも、戦闘や暴力による死亡率は、狩猟民など部族社会のほうが高く、現代社会はもっとも平和な社会であると説く。戦闘や暴力による死亡率が減少したのは、道徳の変化、国家の成立と法による支配、貿易や商取引による利益、共感や相互依存などによると主張している(文献5)。

なお、「法による支配」を実行するのは暴力装置であり、暴力装置の源泉は、特定集団による殺傷力の高い武器の独占である。

ここで、超協力タカ派の集団Aと集団Bが、闘争状態にあるとする。Aが保有する武器の殺傷力の大きさをwとする。wの値は、例えば、時間当たりに相手を殺傷できる人数とする。殺傷力wの武器を使用して、集団Bの大多数を殺傷できる確率をpaとする。wがゼロであっても、ヒトは素手で相手を殺すことができる。しかし、素手で集団の大多数を殺傷するのは困難なので、wがゼロのときは、paはごく小さい値になる。武器の殺傷力が、素手で殴る→ハンドアックス→槍→弓矢→銃と大きくなるほど、paは大きくなる(0<pa≦1)。


w:武器の殺傷力の大きさ
pa:ライバル集団の大多数を殺傷できる確率

次に、Aが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量をRa、BのそれをRbとする。AがBの大多数を殺傷して勝利すれば、Bのなわばりをすべて奪うことができる。勝利したAが獲得できる資源量の期待値をeaw負けたBの資源量の期待値をeblとすると、eaweblは次の式で与えられる。

eaw=Ra+Rb・pa
ebl=Rb-Rb・pa

AとBは、同種の集団であり、「自分のコピー」である。すなわち、AとBの立場が逆の状態もありえるので、以下のようにあらわせる。

ebw=Rb+Ra・pb
eal=Ra-Ra・pb


Ra:Aが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
Rb:Bが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
eaw:勝利したAが獲得できる資源量の期待値
eal:負けたAの資源量の期待値
ebw:勝利したBが獲得できる資源量の期待値
ebl:負けたBの資源量の期待値

ここで、Aが勝った場合と負けた場合の資源の期待値の差をuaとし、Bのそれをubとする。

ua=eaw-eal
=Rb・pa+Ra・pb
ub=ebw-ebl
=Ra・pb+Rb・pa
ua=ub
u:戦闘によって獲得できる資源量の期待値の幅(期待値幅)

期待値の幅が小さいほど不確実性が小さく、期待値の幅が大きいほど不確実性が大きいことを意味する。また、武器の殺傷力が大きいほど、戦闘によって獲得できる時間当たり資源量の期待値の幅(不確実性)が大きくなる。

種全体から見ると、資源量が十分にあるときは、不確実性が小さいほうが有利であり、資源が不足したときは、不確実性が大きいほうが有利である。言い換えると、資源量が十分なときは、武器を持たない集団で構成された社会のほうが、種の存続に有利であり、資源が不足したときは、それぞれが強力な武器を有する集団からなる社会のほうが、種の存続に有利である。資源欠乏時に、強力な武器を使用する集団同士が闘って大きな損害が出たとしても、そのような状況を乗り越えて生き残った集団もしくは個体が存在すれば、種は存続できるからである。

しかし、個々の集団からみると、小さな不確実性(小さな殺傷力の武器)でも、大きな不確実性(大きな殺傷力の武器)でも、獲得できる資源量の期待値の平均値は同じである。なぜなら、同種では、各々の集団は「自分のコピー」なので、各集団が保有する武器の殺傷力は、いずれ同じになるからだ。すなわち、個々の集団にとっては、獲得資源量の期待値は、武器の殺傷力の大きさではなく、おもに資源量に左右される。

すなわち、先史時代から現在まで、戦闘や暴力による死亡率が減少してきたのは、農業、石炭、石油、原子力のエネルギー革命(情報の変異)によって、ヒトが利用できる時間当たり資源量が増大してきたためと考えられる。(つづく)

文献
1)Thomas Hobbes, Leviathan, 1651(リヴァイアサン)
2)Jean-Jacques Rousseau, Discourse on Inequality, 1755(人間不平等起源論)
3)Lawrence H.Keeley, War Before Civilization, 1997
4)Azar Gat, War in Human Civilization, 2006(邦訳:文明と戦争)
5)Steven Pinker, The Better Angels of Our Nature, 2011(邦訳:暴力の人類史)
6)Richard Wrangham, Demonic males, 1996(邦訳:男の凶暴性はどこから来たのか)

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超協力タカ派戦略と資源分配:Super-cooperative hawk strategy and resource distribution

超協力タカ派戦略では、集団内の同一性が高いほど、他の集団との闘争に有利なので、なわばり内の資源を、平等あるいは公平に分配する必要がある。特定の個人が資源(食料)を独占するのは、厳禁(タブー)であり、そのような、平等で結束の強い集団だけが、ライバルに勝って存続できたはずだ。

資源を獲得する能力を有する個体Aからみた場合、Aが他の個体に与える(分配する)時間当たりの資源量をRg、Aが他の個体から受けとる(分配される)時間当たり資源量をRtとする。また、Aと他の個体との遺伝的距離をdとする。Rt/Rgは、資源を「与える量/受け取る量」、あるいは資源の「分配量/被分配量」、あるいは資源の「交換比率」である。


d:遺伝的距離
Rg:与える資源量(時間当たり)、give
Rt:受け取る資源量(時間当たり)、take

Aと遺伝的にもっとも近縁なのは、Aの親、子、兄弟姉妹であり、近縁度は1/2である。次が、祖父母、孫、オジ、オバ、甥、姪で、近縁度は1/4である。これらの近縁親族はAのコピーなので、Aが彼らに資源を与えるときは、無償(Rt/Rg=0)が合理的である。血縁関係が薄くなるにしたがって交換比率は大きくなり、同じ集団内では、等価交換(Rt/Rg=1)による相互贈与になる。等価交換による相互贈与でなければ、集団の中に不満が生じて、集団の協力と結束を維持できないためだ。

Aにとって、他のバンドや部族は、資源をめぐって闘争するライバルなので、資源のやり取りは、「略奪」か「被略奪」かのどちらかである。闘争に勝てば資源(なわばり)を奪うことができ、負ければ資源(なわばり)を奪われる。

集団同士は、資源が豊富なときは、闘争しないほうが有利だが、資源が不足するときは、相手から資源を奪わない限り、自分たちが生存することができない。食料となる植物や動物は、季節や年次で変動する。資源が豊富なときは、個体数が指数関数的に増大する(マルサス)ので、なわばり内の利用可能な時間当たり資源量が不足するのは、論理的に必然である。すなわち、時間当たり資源量が無尽蔵であるか、個体数の増加を抑制しないかぎり、生存闘争は不可避である。

ダーウィンは、生存闘争について次のように述べる。

A struggle for existence inevitably follows from the high rate at which all organic beings tend to increase. Every being, which during its natural lifetime produces several eggs or seeds, must suffer destruction during some period of its life, and during some season or occasional year, otherwise, on the principle of geometrical increase, its numbers would quickly become so inordinately great that no country could support the product. Hence, as more individuals are produced than can possibly survive, there must in every case be a struggle for existence, either one individual with another of the same species, or with the individuals of distinct species, or with the physical conditions of life. It is the doctrine of Malthus applied with manifold force to the whole animal and vegetable kingdoms; for in this case there can be no artificial increase of food, and no prudential restraint from marriage. Although some species may be now increasing, more or less rapidly, in numbers, all cannot do so, for the world would not hold them.

「生存のための闘争は、すべての生物が増加する傾向が高率であることから、必然的に導かれる。生存期間中に卵や種子を生産するすべての生物は、一生のある時点、ある季節、ある年に破壊されなければならない。そうでなければ、幾何級数的な増加の原則によって、個体数は、どんな地域でも生産物を支えることができないほど、急速に非常に大きくなる。したがって、生存可能な個体数より多くの個体が生産されるにつれて、同じ種の別の個体、または異なる種の個体、または生命の物理的状態と、生存のための闘争が存在しなければならない。これは、マルサスの理論であり、すべての動物界と植物界の多方面に、その理論を適用している。動物界や植物界では、人為的な食料の増加はなく、結婚の慎重な制限もないためである。現在のいくつかの種は、個体数が急速に増加しているかもしれないが、地球が支えられないため、すべての種がそうなることは不可能である」(種の起源、第3章)
(つづく)

文献
Charles Darwin, The Origin of Species, 1859-1872
Malthus, An Essay on the Principle of Population, 1798-1826

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パン属、ホモ属、ヒトの進化的な安定:Evolutionary stability of Pan, Homo, H. sapiens

超協力∩(タカ派∪超タカ派∪ハト派)戦略:Super-cooperative ∩(hawk ∪ super-hawk ∪ dove)strategy of Homo sapiens

ヒト科ホモ属は、超協力超タカ派戦略ではないかと述べた(2017.1.26ブログ)。現在、生存しているホモ属の種はヒト(Homo sapiens)のみであり、他のホモ属の種は、ヒトとの生存闘争に敗れて絶滅したと考えられる。ダーウィンは、「競争が最も厳しいのは、習性や体質、構造などの面で互いにきわめて近縁な種類間」と指摘している・・・。

パン属

ヒト科パン属のチンパンジーは、成年オス、成年メス、子供からなる20~100頭の群れを形成し、数十km2の広大な縄張りの中を遊動している。成年のオスとメスは、複数の異性と交尾をする乱婚であり、オスは自分の子供がわからないとされている。

成年オスたちは、協力して縄張りの周辺を巡回し、他の群れのオスと激しく闘争する。ある群れのオスが別の群れのオスのほとんどを殺戮し、敗けたほうの群れのメスが、勝ったほうの群れにすべて取り込まれた例も観察されている。しかし、いくら闘争が激しくても、双方のオスが共倒れで死んでしまうほどではなく、チンパンジーは、超協力タカ派戦略と考えられる。

集団で暮らし、知能が高いチンパンジーには、有力な捕食者(天敵)は存在しないといわれる。まず、パン属の進化的な安定について考えてみる。

超協力タカ派のパン属の群れが、なわばりを守りながら、熱帯雨林を分割して平衡状態にあるとする。群れG1の中では、常に遺伝的な変異が生じる。オスのタカ派遺伝子Aで占められる群れの中で、犬歯が長く、腕力が強く、攻撃的な超タカ派の遺伝子Aが生じたとする。オスは、群れ内での順位をめぐって激しく闘争する。A vs A+の闘いでは、攻撃的なA+は有利なので、上位の位置を占める。A+は食料を多く獲得し、多くのメスと交尾して、G1内にA+遺伝子が広がる。G1内にAが増えてくると、闘いはA+ vs A+になる。「自分のコピー」との闘いでは、しっぺ返しによって、闘争コストがきわめて大きくなる。超タカ派同士なので、双方が共倒れして死亡する確率が高くなる。

また、A+は、群れのボスとして、近隣の群れとの闘争の先頭に立つので、ここでも死亡する確率が高くなる。群れ内の闘争でも、群れ間の闘争でも死亡する確率が高いので、A+は、G1内の多数派になることができず、ごく少数派に留まる。


G:群れ
A:タカ派(hawk)
A+:超タカ派(super-hawk)
A:ハト派(dove)

次に、G1の中で、ハト派の遺伝子Aが生じたとする。Aは、犬歯が小さく、腕力が弱く、争いを好まない。ライバルと闘わずにすぐに逃げ出すので、Aは、G1内の下位の位置に置かれる。食料を多く獲得することができず、メスと交尾するのも不利である。しかし、闘わずにすぐに逃げるので、傷ついたり、死亡したりする確率は小さい。群れのなわばりは広いので、食料を得られないわけではなく、メスの数も多いので、まったく交尾できないわけではない。メスのほうは、オスがタカ派かハト派かにはあまり関係なく、自分との遺伝的な距離が大きいオスを選択するので、Aのオスには交尾のチャンスが少なからずある。

また、他の群れとの闘いでも、Aはすぐに逃げるので、死亡率が低い。すなわち、A遺伝子は、G1内に広がる条件がある。しかし、G1内にAが多くなると、G1は他の群れとの闘いで負けてしまうので、なわばりを守ることができず死滅する。ハト派遺伝子Aは、G1内にある程度は広がるが、多数派になることができず、少数派に留まる。

すなわち、パン属の遺伝子プールでは、以下の遺伝子が混在する状態で、進化的に安定になるはずだ。
・多数のタカ派
・少数のハト派
・ごく少数の超タカ派

パン属はチンパンジー1種ではなく、ボノボ(ピグミーチンパンジー)が存在する。ボノボのオスは、チンパンジーのオスに比べると、攻撃的でなく、闘争のときでも、噛み付いたり激しく追いかけたりしない。また、群れ同士の闘争においても、致死的な闘争に至った例は観察されていない(文献1)。群れの中のオスの間には、優劣関係が存在し、上位のオスほどメスとの交尾頻度が高いが、下位のオスたちでも交尾をする機会は皆無ではない(文献1)。


ボノボのオスの交尾度数

最新の研究では、ボノボは、パン属の少数の個体が、最近(100万年または180万年前)になってコンゴ川の左岸に移入し、定着したと考えられている(文献2)。このとき、コンゴ川を渡ったのは、パン属の中のハト派であったことが予想される。その後、地理的に隔離されために、タカ派遺伝子が侵入できず、ハト派の遺伝子が生き延びることができたのであろう。

パン属の例から考えると、犬歯が小さく身体が華奢なホモ属の祖先(アルディピテクス、アウストラロピテクス)も、もともとは、闘いを避けて逃げるハト派であったことが予想される。ホモ属の祖先は、共通祖先からハト派が分岐したのち、タカ派との生存闘争を続ける中で、2本足で走り、手で武器を持って闘うタカ派の形質を獲得したのであろう。

ちなみに、ボノボのオスが相手を攻撃するときは、2メートルほどの枝を折ってこれをうしろにひきずりながら走る」(「枝ひきずり」)ことが観察されている(文献3)。

ホモ属

ホモ属は、数十~100人ほどの集団を形成し、オスが協力して近隣の集団となわばり(資源)をめぐって、激しく戦闘する。戦闘は複数vs複数で行われるので、ライバル集団との戦闘に勝つには、集団内のオスは結束が強いほうが有利である。オスが出自集団にとどまって、父系の血縁集団を形成することで、オス同士の協力度、結束力が高まる。しかし、集団の同一性が高くなると、遺伝子の変異速度が小さくなって不利になる。そこで、若いメスが、他の集団に移ることで、遺伝的な差異を大きくし、集団の遺伝子の変異速度を維持している。さらに、メスの移動は、種全体の遺伝子プールを大きくし、種全体の遺伝子の変異速度を大きくする効果がある。

特定のオスがメスを独占すると、オス同士の結束が得られないので、婚姻の形態は、乱婚制あるいは一夫一婦制が有利であるが、一夫一婦制のほうが交尾の機会が均等になるので、より平等である。ただ、オスは戦闘で死亡して数が減るので、一夫多妻制も一部に存在する。

集団のオスの戦闘力・結束力は、個体の同一性が高いほど強く(有利)なり、個体の差異が大きいほど弱く(不利)なる。しかし、集団の遺伝子の変異速度からみると、集団の同一性が高いほど変異速度は小さく(不利)なり、集団内の差異が大きいほど、変異速度は大きく(有利)なる。集団内の遺伝子の同一化と差異化は、常にせめぎ合う関係にある。

集団戦闘に勝ち残るための遺伝的な形質として、以下のような要素があげられる。
・集団内のオス同士の協力度が高く、結束力が強い
・個体間の意思疎通能力が高い
・記憶力が高い
・走力、持久力が高い
・武器の製作能力が高い
・武器を使う能力が高い
・戦略に優れる(先読み能力)

「戦略」という言葉は、確定した定義がないが、ゲーム理論のミニマックス戦略などでは、「先読み」の能力に左右される。

生物の生存闘争では、遺伝子の変異速度が大きいほうが有利であるが、脳の新皮質が発達したホモ属では、脳による情報の変異速度の大きさに左右される。いずれにしても、最終的には「自分のコピー」との戦いになり、超タカ派の場合は、「しっぺ返し」によって闘争コストがきわめて大きくなり、共倒れの確率が高くなる。

ちなみに、霊長目の中で、体毛が無いのはヒトだけである。ヒトは他の霊長目に比べて、走力、持久力が突出して優れている。長い時間を走り続けると、体温が上昇してしまうので、体温を下げるために大量の汗を出す必要がある。体毛がある動物が大量の汗を出すと、体表面の水分率が高くなるので、細菌や菌類に寄生されるリスクが高くなる。また、運動を停止したときに、濡れた体毛からの水分の蒸発によって体温が奪われ、免疫力が低下してしまう。体毛が無ければ、汗は流れてしまい、すぐに乾いて微生物に寄生されにくく、体温低下も防げる。長距離を走ることによる体温変動に対応するには、体毛が無いほうが、生存に有利だったのであろう。

ただし、体毛が無いと、紫外線の悪影響を受けるので、メラニンが多い形質が広がった。また、蚊やアブなどに刺されやすくなるので、皮膚を紫外線や昆虫から守るために、オーカーを塗る習慣が生じたと考えられる。オーカーを全身に塗ることで、さらに無毛化が進んだ。ヒトがオーカーを使うようになった証拠はきわめて古く、ヨーロッパでは25万年前、アフリカでは28万年前の出土例がある(文献4)。

また、ヒトは、物を投げる能力が、動物全体の中で傑出している。ヒトが他のライバル種に勝つには、武器を投げる形質が重要であったことがうかがえる。

ヒト

次に、ヒトの進化的な安定について考察する。ヒトは殺傷力の高い武器を使用して、個人同士で争ったり、集団で戦闘したりして多数の死亡者を出すことがしばしばあるので、パン属に比べると、はるかに超タカ派であることがうかがえる。しかし、共倒れでヒトの個体数(人口)が減っているわけではなく、逆に増えている。もっとも、将来、大戦争が起きて、人類が衰退する可能性もゼロではない。

パン属のモデルと同様に、超協力タカ派のヒトの集団(band)が、自分たちのなわばりを守りながら、陸地を分割して平衡状態にあるとする。

オスのタカ派遺伝子Aが多数を占める集団B1の中で、攻撃性が高い超タカ派の遺伝子Aが生じると、AはB1内の他の個体を攻撃して、多くの資源と配偶者を獲得しようとするであろう。しかし、ヒトの集団は、協力度や結束力が高いために、1人が資源や配偶者を独占することを許さず、複数の他の個体から反撃を受ける。Aがいくら攻撃力が高くても、多数を相手に勝つことは不可能なので、Aは集団の上位の位置を占めることができない。また、AがB1内に広がったとしても、A+ vs A+の闘いになって、共倒れする確率が高くなる。

他の集団との闘いのときは、攻撃的なA+は、戦闘の先頭に立つ機会が多いので、他の個体よりも死亡する確率が高い。すなわち、遺伝子A+は、B1内で多数派を占めることができず、少数派に留まる。

次に、B1内でハト派の遺伝子Aが生じたとする。Aは、争いを好まず、すぐに逃げ出すので、集団の中では立場が弱く、食料や配偶者を獲得するのが不利である。他の集団との闘いのときは、Aはすぐに逃げてしまうので、死亡率が低いが、他の個体から卑怯な行動を非難されて立場が弱くなる。たとえ、B1内にAが広がったとしても、B1は他の集団との闘争で負けてしまい存続できない。すなわち、ハト派Aは、多数派になることができず、少数派に留まる。

以上のことから、ヒトの遺伝子プールでは、以下の遺伝子が混在する状態で進化的に安定になると考えられる。
・多数のタカ派
・少数の超タカ派
・少数のハト派

戦闘に勝つためには、ヒトでは、遺伝的な形質だけでなく、脳による情報の変異の影響が大きくなることが予想される。なぜなら、集団が勝ち残るには、出自集団の中ではタカ派あるいはハト派として行動し、他の集団に対しては超タカ派として行動するのが合理的だ。このような形質は、遺伝的な形質として獲得するのは困難である。目の前の相手が、同じ集団に属するか他の集団に属するかを、外見や匂いなどの遺伝的形質で判断することはできないので、学習によって出自集団のメンバーを認識し記憶するほかない(神話、トーテム)。メンバーの数は多いほど有利である。さらに、遺伝的に備わっている個々のタカ派・ハト派の形質を、学習によって矯正し、相手に応じて行動を変化させなければならない。(ただし、学習による個体の性質と、遺伝子による個体の性質の関係はよくわからない)

狩猟採集民などの「非貯蔵社会」では、域内の個体数は、凶作年の端境期に獲得可能な食料の量に左右される。食料の欠乏期がやってくるたびに、多くの個体が死滅するので、少数派のハト派や超タカ派遺伝子は死滅し、多数派のタカ派遺伝子のみが存続する確率が高い。

すなわち、非貯蔵社会では、遺伝子プールはほぼタカ派で占められ、「超協力タカ派」の状態で進化的に安定になる。農業を行わず狩猟と採集のみで暮らしていたオーストラリアのアボリジニの社会では、ブーメランや投げ槍などの武器は存在するが、より殺傷力の高い弓矢は出現しなかった。カラハリ砂漠の狩猟採集民であるサン族(ブッシュマン)は、弓矢を使用するが、その矢には矢羽が無く、飛距離が短く命中率も低い。

一方、農業革命を経た「貯蔵社会」では、凶作年の端境期であっても貯蔵した食料によって生き延びることができるので人口が増加する。人口が増加している間は、「表現型変異の非生存」以外はすべて生存できるので、タカ派、超タカ派、ハト派のすべてが存続できる。域内の人口が増加して慢性的な資源不足になると、集団内や集団間で資源を奪いあうようになる。闘争では、よりタカ派の方が有利なので、武器の殺傷力が際限なく大きくなる。

ヒトの社会構造

ヒトの社会構造について検討する。ヒトの基本の集団は、夫婦を中心とする親族集団であり、親族集団が集まって、数十~100人ほどの父系集団(band)を形成する。男性は出自バンドに留まる傾向があり、若い女性は出自バンドを出て、他のバンドに移る傾向がある。女性が移動する範囲が母系集団であり、母系集団は1次言語集団になる。1次言語集団は、部族(tribe)を形成する。

非貯蔵社会の場合は、集団の個体数に対して、なわばりの範囲には限度がある。また、集団vs集団の闘いでは、相手を皆殺しにするのは困難で、生き残った相手から報復を受ける。このため、複数のバンドと複数の部族が並存する平衡状態になりやすい(図の左)。父系集団の男系は、他の父系と自分たちを区別する必要があるので、氏族(clan)を形成する。


mn:男系(male)
fn:女系(female)
Bn:父系集団(band)
Fn:母系集団
1Ln:1次言語集団
Tn:部族(tribe)
Cn:氏族(clan)

一方、貯蔵社会では、超タカ派戦略の父系集団が、他のバンドの父系集団を倒して、部族のエリア全体を支配する(上図の右)。部族内に勝利した父系の氏族(clan)が拡大する。

人口が増加し続ける貯蔵社会は不安定なので、人口増と交通の発達にともない、部族社会が解体し、部族連合、クニ、nationが形成される。これにより、2次言語集団ができる。(つづく)


2Ln:2次言語集団
Nn:部族連合、クニ、nation
Cn:氏族(clan)

文献
1)加納隆至、ボノボのオスの順位と交尾頻度、霊長類研究、1994
2)竹元博幸、川本芳、古市剛史、ボノボはどのようにしてコンゴ川左岸に分布するようになったのか?、2015
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2015/151019_2.html
3)黒田末寿、ピグミー・チンパンジー、筑摩書房、1982
4)A Milk and Ochre Paint Mixture Used 49,000 Years Ago at Sibudu, South Africa
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0131273
5)クロード・レヴィ=ストロース、今日のトーテミスム、1962、みすず書房、1970
6)クロード・レヴィ=ストロース、野生の思考、1962、みすず書房、1976

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不況と恐慌の本質:Essence of recession and depression

ドーキンスは、「この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できる」と書いている。人間が遺伝子の支配から独立でいられるのは、脳における情報の変異速度が、遺伝子の情報の変異速度を凌駕しているからである。

人間の社会は、情報の変異速度が大きく、複雑に変動するので、不況や恐慌のような基本的な経済現象についてさえ、よくわかっていない。

マルクスは、恐慌について次のように述べる。

Now one stream of commodities follows another, and finally it is discovered that the previous streams had been absorbed only apparently by consumption. The commodity-capitals compete with one another for a place in the market. Late-comers, to sell at all, sell at lower prices. The former streams have not yet been disposed of when payment for them falls due. Their owners must declare their insolvency or sell at any price to meet their obligations. This sale has nothing whatever to do with the actual state of the demand. It only concerns the demand for payment, the pressing necessity of transforming commodities into money. Then a crisis breaks out. It becomes visible not in the direct decrease of consumer demand, the demand for individual consumption, but in the decrease of exchanges of capital for capital, of the reproductive process of capital.
「今や、一つ商品の流れに、別の流れが続く。前の流れは、最後は消費によって吸収される。商品資本は、市場の中で場所を得るために、お互いに競争している。後から来た流れは、とにかく売るために、より安く売る。前の流れは、支払い期日までに、まだ処分されていない。その商品の所有者は、支払い義務を果たすために破産を宣告するか、あるいはどんな価格であっても売却しなければならない。この売却は、実際の需要の状態とは何の関係もない。それは、支払いの要求、すなわち、商品をお金に変えるという緊急の必要性にしか関係していない。こうして、恐慌が起きる。それは消費需要(個人消費の需要)の直接的な減少ではなく、資本のための資本の交換の減少、資本の再生産過程の減少として現われる」(文献1、第2部第1編第2章)

マルクスは、過剰生産によって果てしない価格競争に陥り、財と貨幣の流れが破れることで恐慌がおきると考えた。

ケインズも、基本的にはこれと同様の見方をしており、過剰生産による不況を克服するためには、総需要を大きくするほかなく、そのための財政政策を唱えた。

This analysis supplies us with an explanation of the paradox of poverty in the midst of plenty. For the mere existence of an insufficiency of effective demand may, and often will, bring the increase of employment to a standstill before a level of full employment has been reached. The insufficiency of effective demand will inhibit the process of production in spite of the fact that the marginal product of labour still exceeds in value the marginal disutility of employment.
「この分析は、豊かさの真っ最中に貧困が起きるパラドックスを説明するものである。有効な需要の不足の存在は、完全雇用のレベルに達する前に、雇用の増加を停止させる。有効需要の不足は、労働の限界生産が、依然として、雇用の限界的な負の効用を上回っているという事実にもかかわらず、生産過程を阻害するであろう」(文献2、第3編)

Consumption — to repeat the obvious — is the sole end and object of all economic activity. Opportunities for employment are necessarily limited by the extent of aggregate demand. Aggregate demand can be derived only from present consumption or from present provision for future consumption. The consumption for which we can profitably provide in advance cannot be pushed indefinitely into the future. We cannot, as a community, provide for future consumption by financial expedients but only by current physical output. In so far as our social and business organisation separates financial provision for the future from physical provision for the future so that efforts to secure the former do not necessarily carry the latter with them, financial prudence will be liable to diminish aggregate demand and thus impair well-being, as there are many examples to testify.
「消費は―あきらかなことを繰り返すと―すべての経済活動の唯一の終点であり目的である。雇用の機会は、必然的に、総需要の大きさに制約される。総需要は、現在の消費か、あるいは、将来の消費のための現在の調達(投資)からしか派生しない。消費、すなわち将来に有利さをもたらすような事前の調達(投資)を、無期限に先送りすることはできない。社会全体としては、財政的な方法(貯蓄)では、将来の消費につながるような調達(投資)を実現できず、現在の実際の物理的な生産によるしかない。社会および企業が、将来のための財政的な調達(貯蓄)と、将来のための物理的な調達(投資)と分離して、前者(貯蓄)を確保しようとする努力が、必ずしも後者(投資)を担保しない限り、財政的な慎重さは総需要を減少させ、経済は健全さを損なう。そう証言する多くの例がある」(文献2、第8編)

アメリカのマルクス経済学者のスウィージーは、マルクスの恐慌の論述は、「未完成の事業のリストに残されざるをえなかった」と書いて、マルクスとはやや異なる見方をしている。

「必要なことは、利潤率が通常の水準以下にまで減退し、そのために資本家たちが、より有利なる状態が回復するまで、かれらの資本を貨幣形態において保蔵しはじめるということである。かくして、流通過程の継続性はやぶれ、そして恐慌が襲来するのである」(文献3)

スウィージーは、「かれらの資本を貨幣形態において保蔵しはじめる」ことが、直接の要因と考えていた。

一方、自由主義者のフリードマンは、大恐慌について、次のように述べる。

「1929年7月から33年3月までの間にアメリカの通貨供給量は三分の一減少した。減少のうち三分の二は、英国の金本位離脱後に起きている。通貨供給量の減少は食い止めるべきだったし、それは十分に可能だったと考えられる。もしそれができていたら、不況はもっと短く、もっと穏やかだったろう。(中略)私の知る限りでは、どの国のどの時代にも深刻な不況は必ず通貨供給量の減少を伴っているし、逆に通貨供給量の大幅減は、必ず深刻な不況を引き起こしている」(文献4)

恐慌の本質を、スウィージーは「貨幣の保蔵」と言い、フリードマンは「通貨供給量の減少」と言う。まったく立場の異なる2人の経済学者は、違う言葉を使ってはいるが、じつは同じ事を言っている。

ここで、視点を変えて、自然界での資源の流れを見てみる。

光合成生物は、地球に注ぐ太陽エネルギーを利用して、糖類と有用物質を集積する。光合成生物を、動物性プランクトン、昆虫、草食動物などが摂取し、さらに、肉食生物がそれらを摂取する。食物連鎖によって有機物が分解され、別の化合物が合成される。最後は、微生物によって、原子や分子にまで分解される。分解された物資は、再び光合成生物に利用される。

全体から見れば、地球に注ぐ太陽の光エネルギーは、熱として宇宙空間に放出される。熱力学第一法則により、全体のエネルギーは一定であるが、熱力学第二法則によりエントロピーが増大する。ただし、生物の内部ではエントロピーは増大せず、安定の状態にある。シュレーディンガーは、このことを次のように表現した。

What an organism feeds upon is negative entropy. Or, to put it less paradoxically, the essential thing in metabolism is that the organism succeeds in freeing itself from all the entropy it cannot help producing while alive.
「生物が食べているものは、負のエントロピーである。あるいは、逆説的ではないならば、代謝における本質的なことは、生物は、生きている間に、生産の邪魔になるすべてのエントロピーから自由でありつづけることである」(文献5)


e:エネルギー
s:エントロピー

生物は、系の外部に、エントロピーが増大したエネルギーや物質を排出することで、系の内部のエントロピーの増大を防いでいる。また、生物から見ると、「生産」とは、エネルギーと物質を獲得することであり、「消費」とは自己複製することである。

生物間の資源の受け渡しは、無償で贈与される。もしも、生物が、人間のように財(資源)と引き換えに貨幣(物質)を交換したらどうなるであろうか。生産者である光合成生物のもとには、莫大な量の貨幣(物質)が集中して、光合成生物は生存できなくなるであろう。分解者のほうは、貨幣(物質)が無くなってしまい、財(資源)を入手できなくなって死滅するであろう。(つづく)

文献
1)Karl Marx, Capital, 1867
2)John Maynard Keynes, The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936
3)ポール・スウィージー、資本主義発展の理論、1942、日本評論社、1951
4)ミルトン・フリードマン、資本主義と自由、1962、日経BP、2008
5)Erwin Schrödinger, What Is Life?, 1944

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