イネとスイギュウ:Oryza and water buffalo

野生イネの種子には長い野毛が着いているので、種子を拡散しているのは何らかの草食動物であることはあきらかである。水辺で生活するアジアの草食動物といえば、スイギュウである。スイギュウ属の生息地とイネ属の分布は、重なり合っている。


Oryza rufipogon(source:中国科学院植物研究所)


台湾のスイギュウ(Author:L. Chang)

スイギュウは人間とのかかわりの歴史が長く、栽培イネの成り立ちが複雑なように、スイギュウの成り立ちも複雑である。

スイギュウは、ウシ科(Bovidae)の草食動物で、アフリカスイギュウ属(Syncerus)とアジアスイギュウ属(Bubalus)に分けられる。アフリカスイギュウ属は、アフリカスイギュウ(African buffalo、Syncerus caffer)の1種のみとされるが、いくつかの亜種が認められている。

・ケープバッファロー:Cape buffalo or Southern savanna buffalo, S. c. caffer:大型で南アフリカ、東アフリカに分布

・スーダンバッファロー:Sudanese buffalo, S. c. brachyceros:中型で西アフリカに分布

・ナイルバッファロー:Nile buffalo, S. c. aequinoctialis:中央アフリカのサバナのにみに分布

・マウンテンバッファロー:Mountain buffalo or Virunga buffalo, S. c. mathewsi:コンゴ、ルワンダ、ウガンダの山岳地帯に分布

・フォレストバッファロー:Forest buffalo、Dwarf buffalo, S. c. nanus:肩高120cm未満でもっとも小型。中央アフリカと西アフリカの森林地域に分布。S. c. cafferは2n=52、S. c. nanusは2n=54なので、別種として扱う研究者もいる


Buffalo (syncerus caffer) in the Kalahari desert, South Africa(Author:Charlesjsharp)


Sudanese buffalo(Author:Gregor Rom)


African Forest Buffalo(Author:Jamie Lantzy)

アジアスイギュウ属(Bubalus)の種としては、アノア(低地アノア)、ヤマアノア、タマラオ、アジアスイギュウが知られている。

・アノア:低地アノア, Lowland anoa, B. depressicornis:インドネシアのスラウェシ島のみに生息する小型のスイギュウで、体長150~180cm、肩高80~90cm。低地の森林、湿地などに生息する

・ヤマアノア:Mountain anoa, B. quarlesi:インドネシアのスラウェシ島およびブトン島に生息する。体長150~180cm、肩高60~70cmで、低地アノアよりも小さく、スイギュウの中でもっとも小型。山地の森林に生息する

・タマラオ:Tamaraw or Mindoro dwarf buffalo, B. mindorensis:フィリピンミンドロ島の固有種で、かつてはルソン島にも生息していたといわれる。体長150~180cm、肩高100~110cm。湿地や湿った草地などに生息する

・アジアスイギュウ:Asiatic water buffalo, B. bubalis:南アジアから東南アジアに広く分布する。インドスイギュウともいう。野生のアジアスイギュウは、家畜スイギュウより大型で、オスは体長240~300cm、肩高150~190cm、体重1,200kgになる。インドに1,500頭、東南アジアには数百頭しかいないとされ、絶滅の危機に瀕している


アノア、Lowland anoa(Author:Sakurai Midori)


ヤマアノア、Mountain anoa(Author:JERRYE AND ROY KLOTZ MD)


タマラオ(Author:Gregg Yan)


アジアスイギュウ:A herd of wild water buffalo in Kaziranga National Park, Assam, India.(Author:NejibAhmed)

かつてのアジアでは、河川、湖沼、湿地などの水辺には、多様な生活環境に適応した、多くのスイギュウ属が生息していた。現在では、野生のスイギュウ属は絶滅寸前であり、すでに絶滅してしまった種もいると思われる。そして、野生のイネ属植物も絶滅の危機に瀕している。スイギュウは水辺のイネ科植物の種子拡散者であり、スイギュウがいなくなれば、イネ属植物も衰退するのは必然である。

一方、家畜のスイギュウは、世界全体で1億8千万頭ほどが飼育されている。家畜スイギュウには、沼沢型(swamp type)と河川型(river tipe)の2つの系統があることが知られている。沼沢型は東南アジアおよび中国南部で飼育され、河川型はバングラディッシュからインド、ヨーロッパで飼育されている。

両者は染色体数が異なり、沼沢型が2n=48、河川型が2n=50で、系統間では自然交配しにくい。田中和明氏らの報告によれば、沼沢型スイギュウは、タマラオにもっとも近縁で、河川型スイギュウは、スリランカなどに生存している野生のアジアスイギュウに近い(*1)。系統遺伝学的な研究では、沼沢型と河川型は、亜種レベルに分化した2つの野生原種から家畜化されたと考えられている。(*2)


A phylogenetic tree of the eight Bovinae cytochrome b sequences constructed using the neighbor-joining method. The underlined numbers above the internal branches are bootstrap probabilities (%) based on 1000 bootstrapped maximum-parsimony trees, Numbers with arrows are estimated divergence times (Myr).(source:Phylogenetic relationship among all living species of the genusBubalus based on DNA sequences of the cytochromeb gene)

家畜スイギュウのもっとも古い記録は、インダス文明のモヘンジョダロから出土した印章で、5,000~4,500年前のものである。また、古代メソポタミアのアッカド王朝のシャル・カリ・シャッリ王の印章(4,200年前)にも、家畜スイギュウが描かれている。東南アジアでは、タイの東北部の3,600年前の遺跡から、犂耕に利用されたらしきスイギュウの骨が出土している。


モヘンジョダロ出土の印章、5,000~4,500年前


アッカドのシャル・カリ・シャッリ王の印章、4,200年前

スイギュウ以外のイネ属植物の種子拡散者としては、種子を食べる水鳥や水辺に生息するネズミの仲間が考えられる。ベトナムには田んぼに棲んでイネを食べる「田ねずみ」がいるし、日本でもかつてはクマネズミのことを「田ねずみ」と呼んでいたらしい。

イネの種子が株の周囲に落ちて群落を形成したり、水の流れに乗って広がるであろうが、それだけでは、川下にしか移動できないので、生息域が狭まってしまう。やはり、野生イネの生存には、スイギュウ、水鳥、ネズミなどの種子拡散者の存在が不可欠である。

1年生ルフィポゴンは、毎年、必ず種子をつけるが、多年生ルフィポゴンは、分げつして栄養繁殖できるので、必ずしも種子をつける必要がない。スイギュウの群れがいないときは、種子生産にエネルギーをまわさず、分げつしてできるだけすばやく群落を形成したほうが、ライバルとの競争に有利である。大きな群落を維持できれば、スイギュウの群れを呼び寄せるのに有利であり、種子を遠くまで拡散することができる。

このような現象は、多くの生物で見られる。イネ科、ユリ科、ヒガンバナ科の多年草では、土壌が肥沃で生育条件が良好なときは、分げつ、球根、りん片などで栄養繁殖して群落を形成する。群落を作って、ライバル植物の侵入を防ぐと同時に、昆虫、鳥類、草食動物が集まりやすくする。土壌養分が不足したり、日照不足などで生育条件が悪化すると、種子をつけて、動物たちに種子を拡散してもらう。

イネの苗の栽植密度と分げつの関係について、星川清親(1933-1996)先生は、次のように書いている。

「成苗移植栽培で、1株の苗数を変えて分げつのちがいをみたものである。1本植えでは2次分げつの数が最も多く、3次分げつも10%ほど出ている。3本植えでは1次分げつが主体で60%を占め、2次分げつがこれに次ぎ、3次分げつは出ない。5本植えになると2次分げつの比率が減り、10本植えではほとんどが主稈と1次分げつで占められる。1株苗数が多くなるにつれて、主稈、1次分げつの比率が大きくなる。実験的に1株4本植えで、株間隔を標準に近いもの(a)、密植(b)、10×10cmの超密植(c)として植えてみると、密植(b)では全茎数9で、1個体から1.3本しか分げつしないし、超密植(c)においては全茎数4で、分げつはゼロである。密植で主茎が生長するスペースしかないと、競争者になる分げつは休眠してしまう。しかし、移植まもない、分げつ期の初めころは、たとえ超密植(c)でも苗が小さいので空間も十分あり、分げつが出現しそうに思えるが、実験の結果、まったく分げつが出現しなかった。栽植密度に対するイネの分げつの反応はまだ解明されていない点を多く残しており、これは収量構成の重要要素だけに興味深い。」(『イネつくりコツのコツ』)(*3)

イネの苗は、「密植で主茎が生長するスペースしかないと、競争者になる分げつは休眠してしまう」。これは苗が小さくても同じで、イネの苗は、自分のとなりとの間隔をわかっており、間隔が狭いときは分げつしない。群落ができれば、もはや分げつにエネルギーを投入せず、種子の生産に転換するためであろう。

冬に、コムギやオオムギを踏むと捻実がよくなることはよく知られている。これは、ウシやシカなどの草食動物に踏まれたり、葉を食べられることが、ムギが生殖生長へ転換するシグナルになっているためと思われる。

同様に、多年生のイネも、スイギュウに踏まれたり、葉を食べられたりすることが、栄養繁殖から種子繁殖へ転換するシグナルになっていることが予想される。

たとえば、昔から篤農家たちは、育苗の際に苗を踏んだり、竹や角材を引いて苗を押し倒したりする作業を続けてきた。暖地では、かつては、苗の葉先を剪葉してから田植えすることが行われていたし、生育の初期に、窒素肥料を切らす栽培法もある。さらに、風で強く揺すられる田んぼの周囲の株のほうが、真ん中の株より収穫量が多くなることは、よく知られている。


篤農家は、苗踏みしたり、竹や角材を引いて苗を押し倒したりする。2009年にこの本を作ったときは、イネの多年生の性質を表現しようとしたのだが・・(source:イネつくりコツのコツ)

苗の剪葉については、1984年の青森県農業試験場の報告がある。下図のように、剪葉区は、無剪葉より草丈は短くなるが、葉令はやや優り、第1葉枯葉率は少ない。根については、最長新根長では差がないが、新根数で剪葉区がやや優れる。(*4)


(sorce:中苗の剪葉処理による苗質・活着への影響)

2016年にも青森県農林総合研究所によって、剪葉試験がおこなわれている。剪葉は、苗が徒長したばあい、もしくは徒長しそうなばあいに、園芸用バリカンなどで行う。剪葉程度は、葉身長の半分程度で、剪葉する高さは、2葉期剪葉では10cm程度、3葉期剪葉では15cm程度にしている。結果は、下表のように、2葉期剪葉・追肥区は、わら重が少なく、精玄米重が大きく、屑米が少なく、登熟歩合と整粒歩合が優れると報告されている。(*5)


(source:青森県農林総合研究所.植え痛みを軽減するための徒長苗に対する剪葉処理)

多年草としてのイネの性質について考えるようになったのは、1993年の大冷害のときだ。当時、福島、岩手、青森の農家をまわっていたが、周囲の農家が2~3俵しかとれないにもかかわらず、まれに、6~7俵の収穫がある篤農家がいた。気候や品種の条件が同じなのに、どうして収穫量に大きな差がでるのか不思議であった。そして、収量の違いは、イネの多年生の性質に合った栽培管理が行われていたかどうかの違いであり、それが冷害のときに強くあらわれたのではないかと思うようになった。

文献
*1)Kazuaki Tanaka, Chester D. Solis, Joseph S. Masangkay, Kei-ichiro Maeda, Yoshi Kawamoto, Takao Namikawa.(1996)Phylogenetic relationship among all living species of the genusBubalus based on DNA sequences of the cytochromeb gene. Biochemical Genetics
*2)在来家畜研究会編.(2009)アジアの在来家畜.名古屋大学出版会
*3)農文協編.(2011)農家が教えるイネつくりコツのコツ.農文協
*4)諏訪充.本田勝雄.高城哲男.小林陽.(1984)中苗の剪葉処理による苗質・活着への影響.東北農業研究35,21-22
*5)青森県農林総合研究所.(2016)植え痛みを軽減するための徒長苗に対する剪葉処理.青森県農林水産部

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イネの起源2:Origin of Oryza sativa

イネ科(Poaceae)イネ属(Oryza)の植物は、熱帯、亜熱帯地方に広く分布し、20種あまりが知られている(*1)。イネ属植物の多くは、森の中の日陰の水辺に生息する多年生植物であるが、栽培イネを含むAAゲノムをもつ種は、開けた場所を好み、日当たりのよい川岸や湖沼、湿地、氾濫原などに分布している。


イネ属(参考:農業生物資源ジーンバンク)

人間によって、栽培化(domestication)されたのは次の2種である。

イネ(ジャポニカ、インディカ)
栽培:Oryza sativa L.
野生:Oryza rufipogon Griff.

アフリカイネ
栽培:Oryza glaberrima Steud.
野生:Oryza barthii A. Chev.

野生イネのO. rufipogon(ルフィポゴン)の分布域は、東南アジア、南アジア、ニューギニア、オーストラリア北部である(下図)。


O. rufipogon(ルフィポゴン)の分布(souce:農業生物資源ジーンバンク)

ルフィポゴンには、多年生の系統と1年生の系統があり、1年生の系統は、O. nivara Sharma et Shastry(ニヴァラ)と分類されることもある。1年生の系統を、ルフィポゴンの亜種として扱うときは、O. rufipogon subsp. nivaraと書かれる。

多年生ルフィポゴンは、日当たりがよく、一年中、土壌水分が存在する川辺、湖沼、湿地などに生息している。多年生なので、その性質は、栄養繁殖力が強く、競争力が強く、開花期が遅く、他殖率が高い。栄養繁殖力が強いということは、捻実しない性質(不捻)が強いということである。メコンデルタの農民たちは、多年生野生イネのことを「ゴーストライス」と呼んでいるが、その理由は、多年生野生イネは、穂をつけても種子ができないためという。(*2)

一方、1年生ルフィポゴンは、日当たりがよく、雨期と乾期があって、乾期には土壌が完全に乾燥する場所に生息し、浅水の川辺、低地、氾濫原などに分布している。その性質は、多年生と逆で、種子繁殖し、開花期が早く、種子が確実にできるように自殖率が高い。

気候図で見ると、多年生ルフィポゴンは、Af(熱帯雨林)、Am(熱帯モンスーン)、Aw(サバナ)、Cwa(温帯夏雨)にまたがる広い気候帯に生息しているのに対し、1年生ルフィポゴンは、雨期と乾期があるAw(サバナ)のみに分布している。


Köppen World Map(Author:Peel, M. C., Finlayson, B. L., and McMahon, T. A.)

もともと、ルイフィポゴンの祖先は多年生であり、日当たりがよく、周年で水が存在する川辺や湖沼に生息していたが、1年生の形質を持った系統が、定期的に環境が攪乱されてライバルが少ない場所(ニッチ)に進出したのであろう。サバナ気候帯では雨期と乾期がくり返されるために、定期的に浸水する浅水の湖沼や河川の氾濫原が形成される。そのような場所は、多年生草本や樹木が進出することが難しい。

前回、栽培イネの起源地は珠江中流という報告が予想どおりだったと書いたのは、以下の理由による。

そもそも、『栽培植物の起源』(1882)を著わしたアルフォンス・ドゥ・カンドール(1806-1893)以来、栽培植物の原産地には、その原種となる野生型が存在することが前提である。野生原種が存在しなければ、栽培型が生じるはずがない。野生イネのルイフィポゴンは、長江流域には生息しておらず、分布域の北限は珠江流域である。

そして、新石器時代初期の古い稲作の考古学的な証拠が確認されているのは、長江流域のみである。すなわち、野生原種のルフィポゴンが存在し、かつ長江と距離的にもっとも近いのは珠江流域である。イネの起源地として、もっとも可能性が高いのは珠江流域だろうと思っていた。

1万年前は現在より気温が3~4℃高く、長江流域まで、野生イネの分布が広がっていたという主張もある。しかし、コムギの栽培化の例では、野生コムギの利用が始まってから、栽培型があらわれるまでに1,000年以上を要している。オオムギでは1,500年以上、黄河流域のアワでは4,000年もの時間がかかったと考えられている(2018.3.15ブログ参照)。

栽培型があわれるには、「無意識の選択」(収穫する、捨てる・種播きする)を、1,000年以上も続けなければならない。そのため、栽培イネの起源地は、ルイフィポゴンが1000年以上も安定して大群落を形成できるような場所でなければならない。もともと気候的にルフィポゴンが生息できない長江流域が、すぐにそのような場所に変わるという想定には無理がある。さらに、植物が生存するには、その遺伝子を安定して存続させる種子拡散者の存在が不可欠である(後述)。

オオムギの例では、オオムギの起源地から離れたSekher al-AheimarやSalat Camiでは、周辺に野生オオムギが自然分布しておらず、遺跡からは栽培オオムギのみが出土している。これは、長江流域の遺跡から栽培型のみが出土し、野生イネの存在が確認されていないことと同じである。

また、インディカが栽培されている東南アジアや南アジアでは、新石器時代初期の古い稲作の証拠は見つかっておらず、稲作文化は北方から南下してきたことをうかがわせる証拠が多い。つまり、最初に栽培化されたのはジャポニカであり、その後にインディカが生まれたであろうことは予想されていた。

インディカが生まれた過程は、パンコムギが生まれた過程とよく似ている。パンコムギが、エンマーコムギ(栽培)とタルホコムギ(野生)との交雑によって生じたように、インディカもジャポニカ(栽培)と1年生ルフィポゴン(野生)との交雑によって生じたにちがいないと思っていた。

そして、何よりも、ダーウィンの「創造の一つの中心」説から考えれば、栽培イネの起源地(創造の中心)も一つであり、「創造の中心」から、食料の再生産様式(農耕文化)と栽培型遺伝子が周辺に拡散する過程で、新たな遺伝的形質が生じたはずだ。

倉田氏らの論文には、興味深い報告が含まれている。多年生ルフィポゴンから、ジャポニカが栽培化される過程で、「粒の幅」、「粒の重量」、「柱頭露出度」の3つの強い選択的一掃(selective sweep)が生じたという。さらに、その3つは、「脱粒性」や「草型」と比較して、きわめて強い選択をうけていた。(*3)


a, Whole-genome screening of domestication sweeps in the full population of O. rufipogon and O. sativa. The values of πw/πc are plotted against the position on each chromosome. The horizontal dashed line indicates the genome-wide threshold of selection signals (πw/πc > 3). b–d, A large-scale high-resolution mapping for fifteen domestication-related traits was performed in an O. rufipogon × O. sativa population. The domestication sweeps overlapped with characterized domestication-related QTLs are shown in dark red, and the loci with known causal genes are shown in red. Among them, three strong selective sweeps were found to be associated with grain width (b), grain weight (c) and exserted stigma (d), respectively. In b–d, the likelihood of odds (LOD) values from the composite interval mapping method are plotted against position on the rice chromosomes. Grey horizontal dashed line indicates the threshold (LOD > 3.5). (source:Nature volume 490, pages 497–501)

コムギとオオムギでは、野生型と栽培型を分かつもっとも重要な形質は、脱粒性-非脱粒性であると述べた。ところがイネの場合では、非脱粒よりも、「粒の幅」、「粒の重量」、「柱頭露出度」のほうが重要であったことになる。

栽培化は、ダーウィンが予見した「無意識の選択」によって実現する。具体的には、収穫する→捨てる・種播きするという作業をくり返すことである。「粒の幅」と「粒の重量」という形質が選択されたのは、収穫の際に、できるだけ粒が大きな稲穂を選んだからであることはあきらかである。「柱頭露出度」については、はっきりとはわからないが、稲穂の柱頭露出率が高いのは、一次枝硬よりも、二次枝硬着生頴花であることが知られている。つまり、柱頭露出度が高いほど、二次枝硬の受粉率が高くなり、1穂当たりの着粒数が多くなるのかもしれない。

つまり、米を収穫する際に、米粒が大きく、粒数が多い「大きな穂」を選んで収穫していたと考えられる。しかし、同じイネ科植物で、種子を利用するにもかかわらず、ムギとイネでは、栽培化にかかわる形質が違うのは、どうしてなのであろうか?

古代より、北アメリカの先住民は、イネ科マコモ属植物の種子を食用としてきた。アメリカでは、“wild rice”というのは、マコモの種子のことを指している。


wild rice(マコモの種子)


19th Century tribal women harvesting wild rice in the traditional manner.(1853)(Author:S. Eastman)

マコモは、湖のほとりや流れのゆるい河川の浅い水の中で生息している。先住民は、登熟したマコモの穂をカヌーの上に引き寄せ、穂を木の棒(ノッカー)でたたいて脱穀し、マコモの種子をカヌーの中に落として収穫していた。

なお、農家以外の人にはよくわからないと思うが、「脱穀」とは籾を穂軸からはずすことで、日本語では、「コク」「扱く」「稲扱き」という。籾殻をはずすのは「脱稃」で、「スル」「摺る」「籾摺り」という。脱穀は、「稲扱き」のことをいう場合と、「籾摺り」までを含めていう場合がある。昔の農家はこのような混用はしなかったが、今は言葉があいまいになっている。なお、「精米」、「精白」、「搗精」は、玄米の皮部と胚芽を取ることで、「ツク」「搗く」「米搗き」という。ちなみに、私の田舎では、精米することを「カツ」「刮」と言っていた。

栽培イネのジャポニカがルフィポゴンから栽培化されたときも、アメリカ先住民のように、舟を使って収穫していた可能性がある。このような収穫方法では、籾がしっかりと穂軸に固着しているよりも、適度にはずれやすいほうが、収穫の効率がよい。このため、非脱粒の形質よりも、「大きな穂」の形質のほうが、より強く選択されたのであろう。

ブータンでは、現在でも、適度に脱粒性があるイネの品種が栽培されているが、それは、イネを足で踏んで脱穀(稲扱き)するためだ。非脱粒性のイネの品種だと、足の皮がむけてしまって苦痛だという(*2)。また、アフリカでは、脱粒性の野生イネを、籠を振って収穫する方法が行われていた。

じっさいに、河姆渡遺跡からは、木製の櫂が多く出土している。中国南部でイネを栽培化した人々は、舟をさかんに利用していたために、比較的短い時間で、珠江から長江への稲作の移動が可能だったのかも知れない。ポトラッチに見られるように、漁撈部族は、遠く離れた部族同士が財を贈与交換する文化がある。


河姆渡出土の木製の櫂(source:中国航海博物館)

また、長江下流域の上山遺跡や河姆渡遺跡では、穂摘具などの収穫道具が出土しておらず、崧澤文化(6,000年前)以降に、石犂や鎌が出土する。同様に、長江中流域の彭頭山遺跡でも収穫道具は出土しておらず、石刀や鎌が出現するのは屈家嶺文化(4,500年前)以降である。「石刀」というのは、日本の考古学では石包丁と呼ばれる穂摘具のことで、石刀は黄河流域から長江流域へ伝播したと考えられている。(*4)


磨製石刀:新石器時代晚期、大馬璘文化、台湾南投埔里鎮愛蘭里大馬璘遺址出土(source:中央研究院歷史語言研究所)。台湾に農耕文化が伝播したのは、5,500年前とされている

以上のことから、イネの栽培化は、野生イネの穂を棒でたたいたり、手で()いだり(しごいたり)して収穫することから始まったと思われる。穂摘具で収穫するようになったのはかなりあとで、穂摘具を使用するようになってから、非脱粒性の形質が強く選択されるようになった。

文献
*1)農業生物資源ジーンバンク
*2)佐藤洋一郎.(2008)イネの歴史.京都大学学術出版会
*3)Xuehui Huang, Nori Kurata[…]Bin Han,(2012)A map of rice genome variation reveals the origin of cultivated rice,Nature volume 490, pages 497–501
*4)槙林 啓介.(2013)栽培体系の形成と伝播・拡散から見た先史中国の稲作と地域社会.国際常民文化研究叢書3

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イネの起源1:Origin of Oryza sativa

1928年に、農商務省農事試験場の加藤茂苞(1868-1949)は、形態や交配親和性の違いから、イネをジャポニカとインディカの2つの型に分類することを提案した。1977年に、農学者の渡部忠世氏(1924-)は、東南アジアや南アジアの古代遺跡のレンガに残された籾の形を調べ、稲作の起源はアッサムから雲南にかけての地域という説を唱えた。

1973~78年に、浙江省で河姆渡遺跡が発掘され、大量のイネの籾、ヒョウタン、ドングリ、ヒシ、ナツメ、オニバス、ブタ、イヌなどが出土した。河姆渡遺跡は、長江下流域では、7,000~6,500年前に、大規模な稲作を基盤とした農耕文化が存在したことを示していた。


河姆渡遺跡(Author:Jiong Sheng)

その後、長江流域で新石器時代の遺跡が次々と発見された。長江中流の湖南省玉蟾岩遺跡では、12,000年前の層からいくつかのイネの種子が出土したと報じられられた(ただし、イネの年代は未確定)。同じ湖南省の彭頭山遺跡では、9000年前のイネの籾殻などが出土した。長江下流の江蘇省龍虬荘遺跡では、7,000~5200年前の1800年ものあいだ、継続して稲作がおこなわれていたことが報告された。さらに、准河流域の河南省覃糊遺跡からも、さまざまな形をしたイネの種子が出土し、その年代は8,000年前とされている。

近年では、長江下流の浙江省上山遺跡(Shangshan)から、大量の陶片が出土し、陶片の表面やこね土には大量の籾殻が混じっていた。陶片中のイネのプラントオパールの14C分析によって、9,400年前にイネが存在していたことが確認された(*1)


上山遺跡(source:PNAS June 20, 2017. 114 (25) 6486-6491)

中国の古代文明は、黄河文明によって成立したということが、歴史学の常識であった。黄河文明は、アワ・キビの栽培を中心とした農耕文化から始まっている。しかし、長江流域には、稲作の農耕文化を基盤とする「長江文明」が存在したことがあきらかになった。

農学や遺伝学の研究者たちのあいだでは、稲作のアッサム-雲南起源説、長江流域説、東南アジア説など、いろいろな意見が存在していた。ジャポニカとインディカの起源についても、1元説と2元説があり、激しい論争が続けられてきた。長江流域で、きわめて古い稲作文化の証拠が次々と見つかったことで、稲作の長江起源説が支持されるようになっていた。

2012年に、国立遺伝学研究所の倉田のり氏らは、世界各地から収集された栽培イネ(O. sativa)1,083品種と、野生イネ(O. rufipogon)446系統の遺伝子の詳細な解析によって、栽培イネの起源地は、中国の珠江中流域であると発表した。(*2)

イネのゲノム解読を行い、次に、栽培化の過程で選択的一掃が生じた起こった55箇所のゲノム領域を特定した。これらの領域には、脱粒性、草型、粒幅など、栽培化(domestication)にともなう特徴的な遺伝子が存在していた。選択的一掃(selective sweep)とは、強い選択圧によって特定の変異が集団内に広まることで、その周辺領域の多様性が低下することである。


a, Neighbour-joining tree of 446 O. rufipogon accessions, which was calculated from ∼5 million SNPs, identifies the three groups of Or-I (red), Or-II (grey) and Or-III (blue). b, Geographic origins of wild rice accessions. c, The level of genetic differentiation (FST) in O. rufipogon population around the DPL2 gene that underlies indica–japonica hybrid incompatibility in rice. d, Regional Manhattan plots of GWAS for tiller angle in O. rufipogon population identify a known gene, PROG1, using a compressed mixed linear model. The genome-wide significance threshold (1 × 10−6) and the position of the peak SNP are indicated by a horizontal dash-dot line and a vertical red line, respectively.(source:Nature volume 490, pages 497–501)


a, Phylogenetic tree of the full population (446 O. rufipogon accessions and 1,083 O. sativa varieties) calculated from ∼8 million SNPs in O. rufipogon and O. sativa. The double-layer rings indicate O. rufipogon (outer ring: Or-I, Or-II and Or-III are coloured in red, grey and blue, respectively) and O. sativa (inner ring: indica and japonica subspecies are in pink and sky blue, respectively). b, Illustration of genetic diversity and population differentiation in O. rufipogon and O. sativa. The size of the circles represents the level of genetic diversity (π) of the groups, and the FST values between the groups are indicated. ind, indica; jap, japonica. c, The spectrum of allele frequencies at the causal polymorphisms of Ghd7, DPL2 and GS3. (source:Nature volume 490, pages 497–501)


a, Phylogenetic tree of 446 O. rufipogon accessions and 1,083 O. sativa varieties calculated from SNPs in the overall regions of the 55 major domestication sweeps. b, Geographic locations of 62 O. rufipogon accessions, whose phylogenetic positions during domestication are indicated. Colour index represents the average of the genetic distance of O. rufipogon accessions to all cultivated rice accessions. Two major rivers in southern China are labelled in grey in the map. c, The average distance of O. rufipogon accessions from different countries to all cultivars. The distance was estimated by simple matching distance of SNPs around the Bh4 locus or all SNPs within the 55 domestication sweeps. d, The average distance of O. rufipogon accessions from different provinces in southern China to all cultivars. e, Schematics of the origin of cultivated rice. The aus and aromatic rice are minor groups of rice accessions with small geographic distributions.(source:Nature volume 490, pages 497–501)

集められた野生イネ(O. rufipogon)は、系統樹の解析によって、3つのサブグループOr-I、Or-II、Or-IIIに分類された。サブグループの遺伝的な系統と、採取地の地理的な関係は相関していた。イネの全ゲノムと栽培化にかかわるゲノム領域の解析によって、栽培イネと近縁なのは、中国の野生イネであり、さらに広西チワン族自治区(Guangxi)の系統がもっとも近縁であった。

イネの栽培化は、まず、中国南方に分布するOr-IIIaの野生イネからジャポニカが生まれ、次にそのジャポニカと、東南アジアあるいは南アジアのOr-Iの野生イネとの交配によってインディカが誕生したとするのがもっとも合理的であるとしている。

倉田氏らの報告は、従来はあまりなかった説であり、さらに、珠江中流域では、栽培起源地であることを証明する考古学的な証拠が確認されていない。しかし、私には、この報告はまったく意外ではなく、むしろ予想していたとおりの結果であった・・・。(つづく)

文献
*1)Xinxin Zuo, Houyuan Lu, Leping Jiang, Jianping Zhang, Xiaoyan Yang, Xiujia Huan, Keyang He, Can Wang and Naiqin Wu(2017)Dating rice remains through phytolith carbon-14 study reveals domestication at the beginning of the Holocene, PNAS June 20, 2017. 114 (25) 6486-6491
*2)Xuehui Huang, Nori Kurata[…]Bin Han,(2012)A map of rice genome variation reveals the origin of cultivated rice,Nature volume 490, pages 497–501

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栽培オオムギの起源:Origin of domestic barley

イネ科(Poaceae)オオムギ属(Hordeum)植物は、30種ほどが知られており、2倍体、4倍体、6倍体がある。コムギとは異なり、オオムギ属のなかで栽培化されたのは、栽培オオムギの1種のみである。

野生オオムギ
英名:wild barley
学名:Hordeum vulgare L. subsp. spontaneum (K. Koch) Thell.

栽培オオムギ
英名:barley
学名:Hordeum vulgare L. subsp. vulgare

ただ、栽培オオムギは、品種の数が膨大にあり、世界各地の研究施設には、30~50万種類のオオムギが保存されているという(*1)。栽培オオムギは、穂の形態の違いから、二条型と六条型に分かれる。二条型は、小穂に1個の種子が稔実し、六条型は3個稔る。このため、穂を上から見ると、二条型では種子が2列に並び、六条型では6列に並ぶ。


二条型と六条型(Author:Xianmin Chang)

野生オオムギは二条型であり、野生オオムギから、二条型の栽培オオムギが選択され、その後に、二条型から六条型が生じたとされている。欧米では二条型、アジアでは六条型の栽培が多い。種子の数が少ない二条型は、粒が大きくなるため、ビール、ウイスキーなどの醸造用や飼料用で用いられる。六条型は食用と飼料に利用される。

他の形態的な違いとして、皮麦と裸麦の区別がある。皮麦は、種子を包む穀皮が種子と固着しており、裸麦は固着していない。チベットなどアジアではオオムギを食用で利用するため、裸麦の栽培が多い。日本では六条皮麦はおもに東日本で栽培され、裸麦は西日本で多く栽培される。

二条型 皮麦 「二条大麦」「ビール麦」と呼ばれる。醸造、飼料に利用
裸麦 栽培はまれ
六条型 皮麦 「六条大麦」と呼ばれる。麦飯、押し麦、麦茶に利用
裸麦 「裸麦」と呼ばれる。押し麦、麦飯、麦味噌に利用

大原農業研究所(現在の岡山大学資源植物科学研究所)の高橋隆平氏(1910-1999)が、栽培オオムギは、西域型(W型)と東亜型(E型)に大別できることを見出したことは書いた(2018.2.13ブログ)。高橋氏らは、オオムギの脱粒性には、2つの遺伝子が関与しており、2つが同時に働くと脱粒性(野生型)となり、どちらか一方が欠けると非脱粒性(栽培型)になることをあきらかにした。

脱粒に関与する2つの遺伝子は、Btr1Btr2と名づけられている。下図のように、野生オオムギは、Btr1、Btr2の両方が機能することで、小穂がバラバラになって落ちる。一方、栽培オオムギの対立遺伝子は、野生型と遺伝的に異なるbtr1、btr2であると考えられている。W型では、遺伝子の組み合わせがbtr1-Btr2となり、E型では、Btr1-btr2の組み合わせになっている。(*1)


(参考:麦の自然史)

前回のブログで、「野生コムギの遺伝子プールでは、脱粒遺伝子と非脱粒遺伝子が混在している状態が合理的だ」と書いた。オオムギの脱粒性は、Btr1、Btr2の2つの遺伝子がそろわないと機能しないのであるから、コムギよりも、遺伝子プールの中に、非脱粒性の形質の割合が高くなることが予想される。

さらに、野生オオムギでは、小穂が穂の先端から順番に脱落するが、最下段の小穂は脱落せずにとどまることが知られている。自然の状態の野生オオムギの集団では、非脱粒の小穂の割合は、全体の10%ほどとされている。

オオムギの古い考古学的な記録としては、ヨルダン渓谷の新石器時代初期(PPNA期)のGilgal遺跡がある。ここでは、26万粒のオオムギ種子、12万粒のエンバク種子、イチジクの種子、ドングリが出土しており、その年代は11,400年前とされている。出土したオオムギは、野生のオオムギであり、Gilgal遺跡は“predomestication cultivation”(前栽培化栽培)の段階と考えられている。

丹野研一氏とGeorge Willcox氏は、もっとも早い栽培オオムギの証拠が確認できるのは、南レヴァントのTell Aswadであると報告している(*2)。Tell Aswadは、PPNB期初期の遺跡で、その年代は10,500年前である。Tell Aswadで確認された非脱粒の小穂の割合は30%以上であり、すでに栽培オオムギが出現していたことが予想される。

Tell Aswadに近いTell Ramad(9,000年前)では、非脱粒の小穂のほうが脱粒の小穂より多くなっており、栽培化がさらに進んだことがうかがえる。

さらに、北方のSekher al-Aheimar(9,300年前)やSalat Cami (8,300年前)では、非脱粒の小穂(栽培型)しか存在しておらず、この地域は、野生オオムギの自然分布の外であった。


Percentages of barley spikelets from sites in the study. Domestic types at Aswad are low, but a later increase can be seen at the nearby site of Ramad. Further north at Sekher al-Aheimar and Salat Cami Yanu, domestic types are dominant suggesting that domestication proceeded more quickly in this area, possibly because the sites were situated outside the natural distribution area of wild barley(source:Veget Hist Archaeobot (2012) 21:107–115)


Locations of major sites with dates. Sites with predomestic cultivation are marked with. Dates given in bold italic indicate early finds of domestic spikelets.(source:Veget Hist Archaeobot (2012) 21:107–115)

2015年に、小松田隆夫氏、佐藤和広氏らは、ドイツなど6か国の研究機関と共同で、栽培オオムギと野生オオムギの遺伝的な解析を行った(*3)。また、このときに、オオムギでは、小穂に離層が形成されず、軸の節で細胞壁が極端に薄くもろくなり、細胞壁が砕けて脱落することをあきらかにした。オオムギのBtr1、Btr2遺伝子は、この細胞壁を薄くもろくする機作に関与していると予想されている。

分析では、W型の栽培オオムギにもっとも近縁なのは、南レヴァントと中央アジアの野生オオムギであった。最古の栽培オオムギがTell Aswad(10,500年前)で確認されていることから、W型の栽培オオムギの起源は南レヴァントとしている。

一方、E型にもっとも近縁なのは、北西シリアとトルコ南東部の野生オオムギであった。北西シリアに近い考古学的な記録としては、9,750年前のTell Abu Hureyraが知られている(Hillman et al., 1989)。また、トルコ南東部の最古の栽培オオムギは、Sekher al-Aheimar(9,300年前)やSalat Cami (8,300年前)のものである。

遺伝子の解析と考古学的な証拠から、約1万年前に南レヴァントでW型の栽培オオムギが出現し、その後、北レヴァント(北西シリア~南東トルコ)でE型が出現したと結論づけている。


Cultivated Barley Originated from South and North Levant Sites of domestication. The GIS-based map of the Fertile Crescent indicates the collection sites of the wild barley accessions harboring the proposed ancestral btr1 (in purple, located in the southern portion of the Levant and Central Asia) and btr2 (in blue, located in the northern portion of the Levant) alleles. The other wild barley analyzed are indicated with gray dots. Black lines indicate the Levant (left) and Central Asia (right).(source:Evolution of the Grain Dispersal System in Barley. Cell, 162(3), 527-539)

多くの考古学が、PPNA期の初期に、レヴァントの北から南までの広い範囲で、“predomestication cultivation”(前栽培化栽培)が行われていたと考えている。そして、つづくPPNB期の初期に、レヴァントの各地で、栽培植物が出現している。

これらのことから、レヴァントのどこかで、「栽培」という新しい生産様式(創造の中心)が生じ、この生産様式が周辺に広がると、エリア内のあちこちから栽培植物が生じたことがうかがえる。

文献
*1)佐藤洋一郎・加藤鎌司編著(2010). 麦の自然史. 北海道大学出版会
*2)Ken-ichi Tanno & George Willcox,(2012). Distinguishing wild and domestic wheat and barley spikelets from early Holocene sites in the Near East, Veget Hist Archaeobot 21:107–115
*3)Evolution of the Grain Dispersal System in Barley. Cell, 162(3), 527-539, 2015
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(15)00839-9

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栽培コムギの起源:Origin of domestic wheat

栽培コムギの起源については、坂村徹(1888-1980)、木原均(1893-1986)をはじめ、日本の植物学、遺伝学の研究者が大きな成果をあげてきたことは、すでに書いた。

栽培植物の起源の探索には、考古学、遺伝学、民族学、歴史学などの研究方法が組み合わされるが、コムギのように、1万年も昔に栽培化された作物を調べるには、遺伝学と考古学が大きな位置を占める。

日本語の「小麦」や英語の“wheat”という言葉は、分類学的には、イネ科(Poaceae)コムギ属(Triticum)に属する1年草の植物全般を指す。ただ、その内容はきわめて複雑である。スーパーで売られている「小麦粉」は、パンコムギ(別名:普通コムギ、英名:bread wheat、学名: Triticum aestivum)の粉のことである。また、パスタの原料は、デュラムコムギ(別名:マカロニコムギ、英名:durum or macaroni wheat、学名: Triticum durum)である。世界に広く普及しているのは、パンコムギとデュラムコムギであるが、ほかにも多くの種が存在し、品種の総数は数万におよぶであろう。

人間にとって重要とされているおもなコムギの分類は、以下のとおりである。

コムギの種と栽培化については、下図の関係と経過が支持されている。(*1)


コムギの倍数性変異と栽培化、SS≒BB、SS≒GG(参考:麦の自然誌)

図のクサビコムギとタルホコムギは、コムギに近縁なイネ科エギロプス(Aegilops)属植物である。エギロプス属植物の染色体の基本数はコムギとおなじn=7で、2倍体、4倍体、6倍体が存在する。

クサビコムギ:2n=14、SS、英名 tandat bockvete、学名 Aegilops speltoides
クサビコムギは、西アジアから南東ヨーロッパに分布し、飼料として利用されている。4倍体のパレスチナコムギ(2n=28、AABB)は、ウラルツコムギ(2n=14、AA)とクサビコムギ(2n=14、SS)の交雑によって成立したと考えられている。SSゲノムと、BBゲノムおよびGGゲノムはよく似ており、SSからBBとGGが分化したとされる。

タルホコムギ:2n=14、DD、樽穂小麦、英名 tausch’s goatgrass、学名 Aegilops tauschii
タルホコムギは、東ヨーロッパから、コーカサス、インドにかけて分布する。6倍体のパンコムギ(2n=42、AABBDD)は、エンマーコムギ(2n=28、AABB)とタルホコムギ(2n=14、DD)との交雑によって生じた。

分類学的に同種であっても、野生コムギと栽培コムギでは、遺伝子と形態に大きな違いがある。野生コムギは、種子(頴果)が離れやすく(脱粒性)、脱穀しにくく(難脱穀性)、種子の休眠が深く、種子が小さいなどの特徴がある。栽培コムギはその逆で、種子が離れにくく(非脱粒性)、脱穀しやすく(易脱穀性)、種子の休眠が浅く、種子が大きい。これらの形質のなかで、野生―栽培の区別の指標として重要なのは、脱粒―非脱粒の違いである。

野生のコムギは、ウシやシカなどの反芻動物と共生の関係にある(2017.2.12ブログ)。イネ科植物は、難溶リンを吸収できる種が多く、さらに、窒素固定細菌と共生している。肥沃な土壌では、分げつしたり、種を親株の周囲に撒き散らしながら繁殖し、広い群落(草原)を作る。群落(草原)には草食動物の群れが季節的にやってきて、葉茎は動物に食べられる。ムギは、草食動物に株を踏まれると、稔実がよくなる性質がある。ムギの種子には野毛があり、野毛で動物の毛に付着して遠くまで運ばれる。

野生のムギにとっては、群落を形成したり、野毛で動物の体に付着するには、種子がすぐに離れるのが都合がよい。地面に落ちた種子の一部は、ウシやシカの体に付着するが、多くはネズミ、鳥、昆虫などに食べられる。ネズミは種子を噛み砕いてしまうが、種子を貯蔵する習性があるので、食べ残された種子が翌年に発芽することができる。穀物の種子には、毒のマイコトキシンを生成するカビ(子嚢菌)が生えやすいのは、ネズミがカビの生えた種子を食べ残すように、植物とカビが共生関係にあるためであろう。

鳥には哺乳類のような歯がなく、砂嚢で食べた物を砕く。このとき、消化をまぬがれた種子は、糞といっしょに地面に撒かれる。哺乳類は、タンパク質の代謝によって発生するアンモニアを、尿素に変えて排出するが、爬虫類や鳥類は、アンモニアを水に不溶な尿酸に変え、糞といっしょに排泄する。排泄された尿酸は、ウリカーゼ産生細菌の働きで、急速にアンモニアに分解される。無機化した窒素は、すみやかに植物に吸収される。鳥の糞は、窒素、リン酸、カリウムの含有率が高く、発芽した植物の養分になる。

しかし、すべての種子が落ちてしまうのも好ましくない。群落の中ではもうそれ以上、個体数を増やす場所がないので、株の近くに多くの種子を落とすことは無駄になる。できるだけ遠くの多様な環境に運ばれたほうが、遺伝子が存続できる確率が高くなる。

種子がすべて落ちずに、一部が残れば、葉茎といっしょにウシやシカに食べられる。噛み砕かれなかった種子は、遠くに運ばれて糞といっしょに地面に落ちる。糞の中は、水分が適度に保たれるし、ネズミや鳥に食べられない。発芽する確率が高く、糞には養分が多いので生育にも有利である。

ムギの個体の遺伝子は、他の個体の遺伝子のコピーである。環境収容力(利用できる資源と空間)には限界があるので、すべての個体の遺伝子が生き残ることは不可能であり、生き残る必要もない。集団の一部分が生き残りさえすれば、自己複製してまた繁殖できる。多数が生き残る可能性よりも、一部分でもいいからどんなことがあっても生き残る可能性が高いほうが、長期的には有利である。

つまり、野生コムギの遺伝子プールでは、脱粒遺伝子と非脱粒遺伝子が混在している状態が合理的だ。

人間は収穫したムギを石臼で挽いて粉にしてしまうので、人間の糞から拡散することはできない。人間がウシと違うのは、種子を大量に貯蔵することだ。貯蔵されたムギは、少しずつ食べられるが、カビが生えたり、食べ残されたりしたムギは、そのまま放置されたり、捨てられるであろう。また、収穫物を運んだり、脱穀したり、製粉したりする途中で、こぼれた種子があちこちにばら撒かれる。ムギからみると、人間はネズミと同じである。人間がどこかに種子を運んで、食べ残せば、遺伝子を拡散して、存続する確率が高くなる。さらに、人間が、食べ残した種子を「意識的」に播種するようになれば、そのときが「栽培」(predomestication cultivation)の始まりである。

非脱粒性の遺伝子の種子は、地面に落ちないので、人間に収穫(選択)され続ける確率が高い。人間が「無意識」に収穫(選択)と播種(繁殖)をくり返すことで、しだいに非脱粒性遺伝子が、遺伝子プール内に広がる。これが、栽培コムギが成立する過程と考えられる。

ダーウィンが指摘した「無意識」と「意識的」には、2つの段階がある。1つは、「無意識の繁殖」(捨てる)から「意識的な繁殖」(種播き)への転換であり、2つめが「無意識の選択」(収穫する)から「意識的な選択」(選ぶ、伝える)への転換である。そして、その時間的な順番は、次のとおりである。

・ 無意識の選択(収穫する)
・ 無意識の繁殖(捨てる)
・ 意識的な繁殖(種播き)
・ 意識的な選択(選ぶ、伝える)

遺伝子の分析から、コムギの起源地についての有力な説が報告されたのは、1997年である。ドイツのManfred Heun氏らは、世界各地の栽培アインコルンコムギと、肥沃な三日月地帯およびバルカン半島の自生地から採集した野生アインコルンコムギのDNAを解析した。そして、栽培アイルコルンにもっとも近縁なのは、トルコ南東部のKaraca Dağの近くの野生アインコルンという結果がでた。(*2)


Sampling sites of 338 einkorn wheat lines.(surce:Science Vol. 278, Issue 5341, pp. 1312-1314)

一方、西アジアの新石器時代の遺跡からは、エンマーコムギが多数出土している。2005年にドイツのH. Ozkan氏らは、エンマーコムギと、エンマーコムギの野生型であるパレスチナコムギのDNA解析を行った。そして、エンマーコムギともっとも近縁なのは、トルコ南東部のKaraca Dağの近くのパレスチナコムギとの結果になった。つまり、2倍体の栽培アインコルンコムギも、4倍体のエンマーコムギも、同じトルコ南東部を起源とすることがあきらかになった。(*3)


Sampling locations of Triticum dicoccoides wild lines in the Fertile Crescent.(sorce:Theor Appl Genet (2005) 110: 1052–1060)

考古学では、2006年に報告された、丹野研一氏とGeorge Willcox氏の研究がある。野生コムギは、種子が成熟すると、小穂に離層が形成されて脱落する(写真のA、B、C)。栽培コムギでは離層は形成されないので、自然には脱落しない。人為的に小穂をバラバラにするために、折れた穂軸の一部が固着する(D、E)。ふつう、種子や小穂は微生物に分解されてしまうが、焼けて炭化した小穂は分解をまぬがれて残るので、これを観察すれば、野生型と栽培型を区別できる。


(Source:Science 31 Mar 2006:Vol. 311, Issue 5769, pp. 1886)

丹野氏らは、10,200~6500年前の炭化種子9,844個を調査し、栽培コムギの出現率を評価した。新石器時代初期(PPNA期)のカラメル遺跡(Qaramel)では栽培型は存在せず、その次のPPNB期のネヴァル・チュリ遺跡(Nevali Cori)で栽培型が現れた。時代が下るにつれて栽培型の割合が増え、栽培型が野生型に置き換わるには、3000年以上の時間を要したことがあきらかにされた。(*4)

ネヴァル・チュリ遺跡は、Karaca Dağの西方100kmほどのところに位置し、遺伝学的な推論と丹野氏らの考古学的な検証が一致している。


Karaca Dağ(右), Nevali Cori(左中), Göbekli Tepe(左下)

トルコ南東部のKaraca Dağは、高さ1952mの楯状火山で、玄武岩質溶岩の噴出によって形成された。玄武岩質溶岩は、粘性が低く、流れやすいため、緩やかに傾斜する楯状になる。Karaca Dağの最後の大規模噴出は中期更新世(78~12万年前)とされており、新しい火山である。Karaca Dağ周辺の気候は、ステップ気候であるが、地中海性気候の影響を受けて、夏季は乾燥し、冬季に雨が降る。近年までは多くの森林が存在したが、現在は、森林は一部しか残っていないようだ。

トルコ語の“Dağ”は山という意味なので、日本語では「カラジャ山」と呼ばれる。また、“Karaca”は「ノロジカ」または「卵」のことなので、「ノロジカ山」という意味になるのであろう。


Karaca Dağ(Author:Christian1311)

Karaca Dağとネヴァル・チュリ遺跡の近くには、ギョベクリ・テペ遺跡(Göbekli Tepe)がある。ギョベクリ・テペは、新石器時代の遺跡で、構造物が建造されたのは、12,000~10,000年前とされている。また、立てられていた多数の石柱は、高さ6m、重さ20tにもなる。発掘者であるドイツのクラウス・シュミット(1953-2014)は、ギョベクリ・テペは石器時代の神殿と考えていた(*5)。これが神殿(宗教施設)であるならば、農耕文明が始まるはるか昔の狩猟採集民の手で、このような巨大な神殿が建造されていたことになる。これは、これまでの人類学の常識を根底からくつがえすものであり、世界中の教科書が、書き換えられること意味する。ここは、人類史にとって、きわめて重要で、かつ大きな謎につつまれた場所である。


Göbekli Tepe(Author:Teomancimit)


Gobekli Tepe, Urfa(Author:Teomancimit)

(敬称略)

文献
*1)佐藤洋一郎・加藤鎌司編著 (2010). 麦の自然史. 北海道大学出版会
*2)Manfred Heun, Ralf Schäfer-Pregl, Dieter Klawan, Renato Castagna, Monica Accerbi, Basilio Borghi, Francesco Salamini, (1997). Site of Einkorn Wheat Domestication Identified by DNA Fingerprinting, Science Vol. 278, Issue 5341, pp. 1312-1314
*3)H. OzkanA. BrandoliniC. PozziS. EffgenJ. WunderF. Salamini. (2005). A reconsideration of the domestication geography of tetraploid wheats, Theor Appl Genet 110: 1052–1060
*4)Tanno, K. and Willcox, G. (2006a). How fast was wild wheat domesticated? Science Vol. 311, Issue 5769, pp. 1886
*5)Peters J. & Schmidt K. 2004. – Animals in the symbolic world of Pre-Pottery Neolithic Göbekli Tepe, south-eastern Turkey: a preliminary assessment. Anthropozoologica 39 (1) : 179-218.

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栽培化(domestication)についての最近の研究(総論)

2011年に、アメリカ国立進化総合センター(The United States National Evolutionary Synthesis Center)において、遺伝学、古生物学、地理学、考古学の分野で、栽培化・家畜化(domestication)について研究する25人の研究者たちが議論している。(*1)

食料生産のための植物の栽培化と動物の家畜化は、最終氷期から現在の間氷期へ移行中の12,000~11,000年前に、全世界で始まった。少なくとも11の独立した発祥中心地が確認されたが、さらに数か所の発祥地が提案された。栽培化の年代は、完新世初期(12,000〜9,000B.P.)と完新世中期(7,000〜4,000B.P.)に大きく分けられる。ただし、イヌだけは3万年以前に家畜化された。


少なくとも1つの栽培植物、あるいは家畜が生じた発祥中心地。黒線で囲まれたエリアは独立した栽培化の中心地で、矢印は拡散を示す。緑は更新世後期~完新世初期(12,000-8,200B.P.)、紫は完新世中期(8,200-4,200B.P.)に栽培化が行われたエリア。茶色は、栽培化が生物地学的に推測されるエリア(source:PNAS, 2014 Apr 29; 111(17): 6139–6146)


栽培植物と家畜が生じた時期(単位:1000年)。灰色は栽培化と家畜化の過程の時期、青色はプレドメスティケーション(前栽培化・家畜化)、赤色は、栽培化または家畜化による形態的変化が確認された以降(source:PNAS, 2014 Apr 29; 111(17): 6139–6146)


(source:PNAS, 2014 Apr 29; 111(17): 6139–6146)を元に改変

20万年前にホモ・サピエンスが登場して以来、95%の期間は、狩猟と採集の生活を続けてきた。なぜ人類が、狩猟採集の戦略を捨てて、農耕社会への移行したのかについては、激しい議論が続けられている。気候変動、人口圧力、競争の激化など、多くの説が唱えられているが、大多数の考古学者を満足させられる回答は得られていない。

栽培化された植物の特徴は、種子拡散能力の低下、毒性やトゲなど防御機能の低下、分岐の減少、種子の減少、浅い種子休眠、種子の大型化、花序の大型化、斉一な発芽などである。また、家畜化された動物では、小型化、従順、毛色の変化、耳が垂れる、幼い顔、などの変化がみられる。

コムギ、オオムギでは、脱粒性の野生種から非脱粒性の栽培種に置き換わるまでに、2,000〜4,000年を要したことがわかっている。

栽培化に長期の時間がかかったということは、“predomestication cultivation”(PDC:前栽培化栽培)と呼ばれる期間が存在したことを意味する。PDCは、西アジアや中国に栽培植物が登場する以前に、何世紀にもわたって続いていたと考えられる。

植物や動物の栽培化は、個体の「選択」によって行われる。選択には「無意識の選択」と「意識的な選択」があり、これは、ダーウィンが予想したとおりの状況だったと考えられる。ダーウィンは、『種の起源』で、次のように書いている。(*2)

At the present time, eminent breeders try by methodical selection, with a distinct object in view, to make a new strain or sub-breed, superior to anything of the kind in the country. But, for our purpose, a form of selection, which may be called unconscious, and which results from every one trying to possess and breed from the best individual animals, is more important. Thus, a man who intends keeping pointers naturally tries to get as good dogs as he can, and afterwards breeds from his own best dogs, but he has no wish or expectation of permanently altering the breed. Nevertheless we may infer that this process, continued during centuries, would improve and modify any breed, in the same way as Bakewell, Collins, &c., by this very same process, only carried on more methodically, did greatly modify, even during their lifetimes, the forms and qualities of their cattle.Slow and insensible changes of this kind could never be recognised unless actual measurements or careful drawings of the breeds in question have been made long ago, which may serve for comparison.(Chapter I)

「現在、著名な育種家たちは、国内にあるどの種類よりも優れた新たな系統または亜品種を作るために、はっきりした目的を視野に入れて、系統的な選択を試みている。しかし、我々の目的を果たす上では、『無意識』と呼べる選択の形態、すなわち、すべての人が、最高の個体の動物を所有して、それを繁殖させようとした結果のほうが、より重要である。ポインターを飼い続けることを望む人は、自然と、できるだけ良い犬を得ようとし、その後、彼が所有する最善の犬から繁殖する。しかし、彼は、その種をどんどん変異させることを、望みも期待もしていない。それにもかかわらず、何世紀ものあいだ続けられたプロセスは、あらゆる品種を改善し変異させるであろう。それは、ベルクウィルやコリンズなどの育種家が、彼らの生存期間中に、おなじプロセスをより体系的に実施することで、ウシの形態と品質を大きく変えたのと同じである。このような、ゆっくりで、感知できない変異は、変化を比較できるような品種のじっさいの測定や、注意深い描画がずっと前になされていない限り、決して認識することができない。」

例えば、栽培ムギや栽培イネの非脱粒性は、穂首や茎をナイフで刈り取るとう収穫方法を続けた結果、非脱粒性の個体が無意識に選択され、広まった。

なお、日本で栽培化された作物として報告されているのは、アズキ(Vigna angularis)、ダイズ(Glycine max)、エゴマ(Perilla frutescens)、ゴボウ(Arctium lappa)である。ダイズは、中国とは別々に栽培化されたという説をあげている。

個人的に興味深いのは、報告では栽培化(野生種から栽培種への変化)について、遺伝学の立場から詳細に論じているのに対して、農耕文化そのものや農耕文化の「伝播」については、まったく触れていないことである。そのため、発祥中心地どうしの関係性がよくわからない。ベルウッドがためらう理由(2017.12.3ブログ)を、目のあたりにするようである。

文献
*1)Current perspectives and the future of domestication studies. PNAS 2014 April, 111 (17) 6139-6146.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24757054
*2)Charles Darwin, The Origin of Species, The sixth edition, 1872

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古代メソポタミアの徳政令:Debt cancellation in Mesopotamia

貨幣の供給(2017.10.20ブログ)の補足

オリエント学の前川和也氏は、以下のような興味深い指摘をしている。(*1)

古代メソポタミアの著名な法典としては、ウル・ナンム法典(B.C.2050)、リピト・イシュタル法典(B.C.1934-1924)、ハムラビ法典(B.C.1754)、エシュヌンナ法典(B.C.1930)などがある。

これらの法典に共通するのは、「正義」と「自由」についての記述であるという。

ウル・ナンム(B.C.2047-2030)は、メソポタミア南部のウル第3王朝の初代の王で、彼が制定した法典は、発見されている世界最古の法典である。

…after An and Enlil had turned over the Kingship of Ur to Nanna, at that time did Ur-Nammu, son born of Ninsun, for his beloved mother who bore him, in accordance with his principles of equity and truth… Then did Ur-Nammu the mighty warrior, king of Ur, king of Sumer and Akkad, by the might of Nanna, lord of the city, and in accordance with the true word of Utu, establish equity in the land; he banished malediction, violence and strife,…(*2)

「・・・アンとエンリルがウルの王をナンナに向かわせた後、そのとき、ニンサンの息子であるウル・ナンムが、彼の愛した母親のために、彼の平等と真実の原則に従って・・・それから、ウルの王、シュメルとアッカドの王のウル・ナンムは、都市の主であるナンナによって、そして、ウトゥの真実の言葉に従って、国土に平等を確立した。彼は、虐待、暴力、紛争を追放した···」


Ur Nammu code Istanbul(Author:oncenawhile)

リピト・イシュタル(在位:B.C.1934-1924)は、古代メソポタミア、イシン第1王朝の第5代王であり、リピト・イシュタル法典の前文には次のような文章が書かれていた。

Eridu, the suitable lord of Erech, [king] of I[sin], [kin]g of Sum[er and Akkad], who am f[it] for the heart of Inanna, [estab]lished [jus]tice in [Su]mer and Akkad in accordance with the word of Enlil. ・・・・Verily, in those [days] I procured the [fre]edom of the [so]ns and daughters of [Nippur], the [so]ns and daughters of Ur, the sons and daughters of [I]sin, the [so]ns and daughters of [Sum]er and Akkad upon whom….slaveship…..had been imposed.(*3)

「イナンナの心に合った、シュメルとアッカドの王、イシンの王、ウルクの適切な領主であるエリドゥは、エンリルの言葉に従ってシュメルとアッカドに正義を確立した。···本当に、そのとき、私は、奴隷を課せられていた、ニップルの息子と娘たち、ウルの息子と娘たち、イシンの息子と娘たち、シュメルとアッカドの息子と娘たちを、自由の身にした。」


The Code of Lipit-Ishtar(Author:Francis Rue Steele, 1915-2004)

ハムラビ(B.C.1810-1750)は、バビロン第1王朝の第6代の王であり、エラム、ラルサ、エシュヌンナ、マリなどの都市国家を征服してメソポタミア全域を支配した。ハムラビ法典は、ハムラビが王に即位する際の所信表明という説がある。

—at that time, Anu and Bel called me, Hammurabi, the exalted prince, the worshiper of the gods, to cause justice to prevail in the land, to destroy the wicked and the evil, to prevent the strong from oppressing the weak, to go forth like the Sun over the Black Head Race, to enlighten the land and to further the welfare of the people….(*4)

「・・そのとき、アヌとエンリルは、私を、ハムラビ、高貴な王子、神の崇拝者と呼んだ。正義が国土に生じるために、悪を滅ぼすために、強者が弱者を圧迫するのを防ぐために、黒い頭の種族の上の太陽が前進するために、国土を教化するために、人々の福祉をさらに向上させるために。・・」


Code de Hammurabi

ハムラビから4代あとのアミツァドゥカ(Ammi-Saduqa:B.C.1646-1626)の勅令が発見されており、「王が国土に正義を確立したときに聞くことを命じられた法の粘土板」とある。そして、2条、3条、4条、20条には、これまでの債権を無効にする命令があるという。アミツァドゥカなど、古バビロニアの王たちは、治世のはじめに、まず「自由」と「正義」を確立し、同時に徳政令を公布していたらしい。

Whoever has given silver or barley to an Akkadian or Amorite as an interest-bearing loan, or to gain a return (ana melqetim), and had a written document (lit. a tablet) executed, because the king has established justice in the land (mesaram sakanum), his document is voided (lit. his tablet is broken). He may not collect the barley or silver on the basis of this document. (*5)

「利子付貸付として、あるいは、返済を得るために、銀貨や大麦を、アッカド人やアモリ人に与え、そして、書かれた文書を作成した者は、王が国土に正義を確立したので、彼の文書は無効になる。彼は、その文書に基づいて大麦または銀を集めることはできない。」

このような徳政令は、すでに紀元前24世紀のラガシュ都市国家に見られ、支配者であったエンメテナやウルイニムギナは、債務奴隷を「母のもとにもどし」、債務から解放していたという。前川氏は、ほかにも、王たちが物品の標準価格や労働賃金を定めた例をあげて、次のような文章で結んでいる。

「当時、私的な経済が大発展をとげていたことはうたがいない。それにともなって生じた社会的な混乱を解決するために、王たちは標準価格を設定し、また徳政令を公布したのであろう。」(*1)

文献
*1)大貫良夫、前川和也ほか、人類の起源と古代オリエント、中央公論社、1998
*2)Code of Ur-Nammu
http://www.polk.k12.ga.us/userfiles/644/Classes/177912/Code%20of%20Ur-Nammu.pdf
*3)Francis R. Steele, The Code of Lipit Ishtar – University of Pennsylvania Museum Monographs, 1948 – includes complete text and analysis of all fragments [reprinted from American Journal of Archaeology 52 (1948)]
*4)The Code of Hammurabi
http://oll.libertyfund.org/titles/hammurabi-the-code-of-hammurabi
*5)The Edict of Ammi-saduqa
http://www.worldhistory.biz/ancient-history/71292-text-14-1-the-edict-of-ammi-saduqa.html

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