国家の生産性と企業の生産性

以下は、「FB農業者倶楽部」でのコメント。

生産性を論じるときは、国家の生産性と企業の生産性を別々に考えなければなりません。北欧諸国、ロシア、アメリカ、サウジアラビアのような、資源国や広大な農地を有する国は、自国の領土内にエネルギーや利用資源が豊富に存在するので、国家全体では生産性が高くなります。

国家の生産性が高いと、自国の国民の賃金は、高くなります。賃金が高いと、国内の企業の生産性が低くなるので、国内企業の競争力が低くなります。

製造業など多くの労働者を必要とする企業は、賃金が高い国内では生産できないので、生産拠点を海外に移す、低賃金の外国人労働者を雇う、他国から移民を受け入れるなどの方法をとるしかありません。

北欧諸国、ロシア、サウジアラビアは石油や天然ガスが豊富で豊かですが、民間のグローバル企業は多くありません。スウェーデン発祥のイケアは本社をオランダに移しました。

ドイツ経済が一人勝ちしているのは、ユーロという共通通貨によって通貨高にならず、東欧やトルコからの低賃金労働者を雇用しているからです。

日本国内では東京だけが財政的に潤い、地方の自治体は慢性的に赤字になるのと同じです。一国内であれば地方交付税で均衡がはかれますが、EUでは、技術国のドイツや資源国の北欧以外の国は、財政赤字が膨らみます。

日本や韓国のように、自国内にエネルギーや資源が少なく、移民を入れない国で、賃金が上昇すると、生産コストが上昇して国内企業の競争力が低くなります。

国内製造品の競争力が低くなると、輸出量が減ります。企業はコストを下げるために、国内での生産量を減らしたり、工場を海外に移して労働者を解雇したりします。

企業は輸出で得たドルを円に換えて国内の労働者に賃金を払いますが、国内の生産量や労働者が減るので、円をあまり買わなくなります。つまり、円安になります。

韓国では大幅に賃金を上げたために、ウォンが暴落しています。

日本や韓国は、エネルギーを海外に依存しているので、通貨安になると、石油や穀物の価格が上がってインフレになります。つまり、労働者は、賃金が上がっても、インフレになるので、実質賃金は上がりません。

通貨安になると、輸入が減って輸出が増えるので、貿易収支や為替は、もとの状態にもどっていきます。

結果的には、賃金を上げても労働者の実質賃金が上昇するわけではなく、工場などの生産拠点が海外に移転することになります。

日本国内は団塊の世代が引退して、労働力不足なので、生産拠点が海外に移ることは自然で望ましいのかもしれません。

なお、国内の最低賃金を一律にするという議論がありますが、最低賃金を一律にすることは、低賃金であった地方の使用者にとっては、低賃金の有利性が無くなることを意味します。つまり、いままで低賃金だった県の使用者ほど不利で、高賃金だった県の使用者ほど有利になります。

「農業従事者」といっても、使用者と被用者では、利害がまったく逆になります。ここでは農家=経営者でしょうから、使用者です。

最低賃金を一律にすると、いままで国内の地方に工場を置いていた企業は、地方工場の経営が悪化するので、地方工場の生産量を減らしたり、工場を閉鎖して、ベトナムやインドネシアに工場を移転したりするでしょう。地方では失業者が増えるので、結局、最低賃金をまた下げることになるでしょう。

地域別最低賃金の全国一覧
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/

火山と宮沢賢治

農耕がはじまったのは、火山ではないかと述べた。

子供がまだ小さいときに、夜、寝る前に、童話を読み聞かせていた。手もとに、ちくま文庫の宮沢賢治全集があったので、そのなかから、小さい子供でも理解できる話を選んで、読み聞かせた。

宮沢賢治が生前中に刊行された本は、詩集の『春と修羅』(1924年)と、童話集の『注文の多い料理店』(1924年)の2冊しかない。『注文の多い料理店』の初版は1千部だったが、ほとんどが売れ残ったために、その後の童話集の出版をやめてしまったといわれている。この童話集の2番目に、『狼森と笊森、盗森』という話が掲載されており、1921年11月の日付が書かれている。


宮沢賢治(1896 – 1933)

小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森(オイノもり)で、その次が笊森(ざるもり)、次は黒坂森、北のはづれは盗森(ぬすともり)です。
この森がいつごろどうしてできたのか、どうしてこんな奇体な名前がついたのか、それをいちばんはじめから、すつかり知つてゐるものは、おれ一人だと黒坂森のまんなかの(おほ)きな(いは)が、ある日、威張つてこのおはなしをわたくしに聞かせました。
ずうつと昔、岩手山が、何べんも噴火しました。その灰でそこらはすつかり(うづ)まりました。このまつ黒な巨きな巌も、やつぱり山からはね飛ばされて、今のところに落ちて来たのださうです。
噴火がやつとしづまると、野原や丘には、穂のある草や穂のない草が、南の方からだんだん生えて、たうとうそこらいつぱいになり、それから(かしは)や松も生え出し、しまひに、いまの四つの森ができました。けれども森にはまだ名前もなく、めいめい勝手に、おれはおれだと思つてゐるだけでした。するとある年の秋、水のやうにつめたいすきとほる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくつきり黒くうつゝてゐる日でした。
四人の、けらを着た百姓たちが、山刀(なた)三本鍬(さんぼんぐは)唐鍬(たうぐは)や、すべて山と野原の武器を堅くからだにしばりつけて、東の(かど)ばつた燧石(ひうちいし)の山を越えて、のつしのつしと、この森にかこまれた小さな野原にやつて来ました。よくみるとみんな大きな刀もさしてゐたのです。
先頭の百姓が、そこらの幻燈のやうなけしきを、みんなにあちこち指さして
「どうだ。いゝとこだらう。畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれてゐる。それに日あたりもいゝ。どうだ、俺はもう早くから、こゝと決めて置いたんだ。」と云ひますと、一人の百姓は、
「しかし地味(ちみ)はどうかな。」と言ひながら、(かが)んで一本のすゝきを引き抜いて、その根から土を(てのひら)にふるひ落して、しばらく指でこねたり、ちよつと()めてみたりしてから云ひました。
「うん。地味もひどくよくはないが、またひどく悪くもないな。」
「さあ、それではいよいよこゝときめるか。」
も一人が、なつかしさうにあたりを見まはしながら云ひました。
「よし、さう決めやう。」いままでだまつて立つてゐた、四人目の百姓が云ひました。
四人はそこでよろこんで、せなかの荷物をどしんとおろして、それから来た方へ向いて、高く叫びました。
「おゝい、おゝい。こゝだぞ。早く来お。早く来お。」
すると向ふのすゝきの中から、荷物をたくさんしよつて、顔をまつかにしておかみさんたちが三人出て来ました。見ると、五つ六つより下の子供が九人、わいわい云ひながら走つてついて来るのでした。
そこで四人(よつたり)の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を(そろ)へて叫びました
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建てゝもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました。
「すこし(きい)(もら)つてもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。
男たちはよろこんで手をたゝき、さつきから顔色を変へて、しんとして居た女やこどもらは、にわかにはしやぎだして、子供らはうれしまぎれに喧嘩(けんくわ)をしたり、女たちはその子をぽかぽか(なぐ)つたりしました。
その日、晩方までには、もう(かや)をかぶせた小さな丸太の小屋が出来てゐました。子供たちは、よろこんでそのまはりを飛んだりはねたりしました。次の日から、森はその人たちのきちがひのやうになつて、働らいてゐるのを見ました。男はみんな(くは)をピカリピカリさせて、野原の草を起しました。女たちは、まだ栗鼠(りす)野鼠(のねずみ)に持つて行かれない(くり)の実を集めたり、松を()つて(たきぎ)をつくつたりしました。そしてまもなく、いちめんの雪が来たのです。
その人たちのために、森は冬のあいだ、一生懸命、北からの風を防いでやりました。それでも、小さなこどもらは寒がつて、赤くはれた小さな手を、自分の咽喉(のど)にあてながら、「冷たい、冷たい。」と云つてよく泣きました。
春になつて、小屋が二つになりました。
そして蕎麦(そば)(ひえ)とが播かれたやうでした。そばには白い花が咲き、稗は黒い穂を出しました。その年の秋、穀物がとにかくみのり、新らしい畑がふえ、小屋が三つになつたとき、みんなはあまり嬉しくて大人までがはね歩きました。ところが、土の堅く凍つた朝でした。九人のこどもらのなかの、小さな四人がどうしたのか夜の間に見えなくなつてゐたのです。・・・


狼森、笊森、黒坂森、盗森

この話をはじめて読んだのは、若いころであるから、内容はほとんど忘れてしまっていた。17~18年前に、子供のために読んだときは、とても驚いた。

火山が噴火したあとに、「穂のある草」の草原ができて、その後に柏(ブナ科)や松の森ができる。やがて3~4家族の集団がやってきて、「畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれてゐる」場所に小屋を建てると書いてある。

森ではクリやドングリが管理採集され、松は伐られて薪になる。畑では、ソバ(タデ科)とヒエ(イネ科)が栽培される。ススキの根の土をなめて、「地味」を診断するというのも興味深い。塩基やリンが多い土と少ない土では、味が違うのはそのとおりであろう。「苦土」という言葉があるくらいだ。

わたしが、栽培植物、地質、土壌、リン、イネ科植物、マツ、菌根菌など、山のような文献を調べたことが、100年前の童話に書かれていた。もっとも、これは、同じことを考えていたということではなくて、100年前の日本列島の山村では、このような暮らしがごく普通に営まれていたということだろう。

さらに、話のなかに、「狼が九疋」、「まっくろな手の長い大きな男」、「まっくろな(おほ)きな(いは)」などが登場しており、古代の農耕神話の影響がみられて、とても興味深い。(栽培植物の起源神話)

文献
宮沢賢治. (1921) 狼森と笊森、盗森. 宮沢賢治全集8 ちくま文庫 筑摩書房1986.

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火山と栽培植物の発祥中心地 Volcano and Centre of creation

栽培植物の発祥中心地は、火山ではないだろうかと考えるようになったのは、20年ほど前だ。当時、栽培植物の原産地について調べていた。野菜や果樹の原産地の気候や土壌を知ることができれば、その作物の栽培技術をより深く理解できるのではないかと考えていたからだ。

当時は、栽培植物の原産地を知るには、ヴァヴィロフが1926~1940年にまとめた論文がもっとも重要だった。ヴァヴィロフは、栽培植物の発祥中心地として、Ⅰ:熱帯南アジア地域、Ⅱ:東アジア地域、Ⅲ:南西アジア地域、Ⅳ:地中海沿岸地域、Ⅴ:アビシニア地域、Ⅵ:中央アメリカ地域、Ⅶ南アメリカ・アンデス山系地域の7か所をあげていた。(*1)


(ヴァヴィロフ, 栽培植物発祥地の研究)

最新の研究では、少なくとも11の独立した発祥中心地が提案されており、もっとも古くて重要な「創造の中心」(single centres of creation)は、レヴァント、中国、メキシコの3か所である。(2018年3月15日ブログ)


少なくとも1つの栽培植物、あるいは家畜が生じた発祥中心地。黒線で囲まれたエリアは独立した栽培化の中心地で、矢印は拡散を示す。緑は更新世後期~完新世初期(12,000-8,200B.P.)、紫は完新世中期(8,200-4,200B.P.)に栽培化が行われたエリア。茶色は、栽培化が生物地学的に推測されるエリア(PNAS 111(17)6139-6146)(*2)

作物の原産地を調べたあとに、原産地の気象条件を、手元にあった『高等地図帳』で調べた。そもそもケッペンの気候区分は、植生分布に注目して考案されたものなので、農耕と関係が深いはずだ。しかし、気候区分と発祥中心地には、因果関係はあまり見られない。


ケッペンの気候図(Author:Peel, M. C., Finlayson, B. L., and McMahon, T. A.)

次に、原産地の土壌の条件を調べた。土壌は気候と植生の影響を受けるが、発祥中心地とは関係がないようであった。


世界の土壌帯(青野壽郎監修. 高等地図帳. 二宮書店)

同じ地図帳で地質図を見ると、栽培植物の原産地と火成岩(火山岩と深成岩)地帯が重なっていることがわかった。コムギやオオムギの原産地のレヴァント、トウモロコシやカボチャの原産地のメキシコ南部、ソバの原産地の雲南、長江下流域や珠江流域、ニューギニア東部、デカン高原などが火成岩地帯であることが示されていた。


世界の地質(青野壽郎監修. 高等地図帳. 二宮書店)

もっとも重要な発祥中心地は、レヴァント、中国、メキシコの3か所であるが、これらの中心地に共通するのは、コムギ、オオムギ、アワ、イネ、トウモロコシのイネ科作物が栽培化されたことだ。イネ科植物の頴果(子実)は粒が小さく、食料にするには、収穫、調整、加工に手間がかかる。しかし、頴果は保存性がきわめて高く、10年以上も品質を損なわずに貯蔵することができる。農耕がはじまる前には、長い貯蔵段階があったはずで、貯蔵に適したイネ科植物が栽培化されたのは自然なことだ。

ダーウィンが指摘したように、植物や動物の栽培化(domestication)は「無意識」におこなわれたはずで、「無意識の選択」(=収穫する)と「無意識の繁殖」(=こぼれる、捨てる)をくり返すことで、栽培型の変異が遺伝子プール内に広がる。コムギ、オオムギ、アワ、イネ、トウモロコシの栽培化には、1,000年以上もの時間を要したと考えられている。


栽培植物と家畜が生じた時期(単位:1,000年)。灰色は栽培化と家畜化の過程の時期、青色はプレドメスティケーション(前栽培化・家畜化)、赤色は、栽培化または家畜化による形態的変化が確認された以降(PNAS 111(17)6139-6146)


(PNAS 111(17)6139-6146を元に改変)

しかし、わたしが子供のころに学校で習ったのは、温帯では、草原 → 針葉樹 → 広葉樹へと植生が遷移するということだ。また、土の風化がすすむと、土の中のリンや塩基などの栄養分が次第に失われる。さらに、作物を何年も連作すると、土の栄養分が失われて、生産力が低下してしまう。1,000年以上も連作が可能なところは、土がよほど肥沃でなければならない。

自然界では、イネ科植物の草原が1,000年以上もつづく場所は、サバナやステップ草原しかない。しかし、レヴァント、中国、メキシコの発祥中心がサバナやステップというわけではない。また、サバナやステップは、雨季と乾季がはっきりと分かれているので、乾季には水や食料の獲得が困難だ。広大なステップ草原では、アボリジニやサン族のように、人間の集団(バンド)は水と食料を求めて移動をくり返さなければならないので、貯蔵段階に移行しにくい。貯蔵段階は定住段階なので、栽培植物の発祥中心地は、つねに水が得られる場所でなければならない。

新しい火山の土には、リンが豊富に存在するが、窒素が含まれておらずリン酸も固定されやすい。このため、侵入できる植物がかぎられている。イネ科植物はリンの吸収能力が高く、さらに窒素固定細菌と共生しているので、新しい火山の土に侵入する能力がある。火山の土は、植物にとっては大きなニッチなので、多くの植物が侵入しようとするが、イネ科植物は、ウシ、ヤギ、ヒツジ、シカなどの草食動物と「延長された表現型」の関係を結ぶことで、樹木の侵入を防いで、長期に火山草原を形成することが可能だ。

さまざまな条件を考えると、人間の集団が1,000年以上定住できて、かつイネ科植物の草原が1,000年以上つづくような場所は、火山の草原以外に思い浮かばない。

詳細な地質図を見れば、火山と発祥中心地との関係がよりはっきりする。以下の地質図では、Vの印はVolcanic rock=火山岩(噴出岩)、+の印はIntrusive rock=貫入岩(深成岩)を示している。


レヴァントの地質図(*4)


イラン北部の地質図(*5)

エンマーコムギとアインコルンコムギの原産地は、トルコ南東部のKaraca Dağ(カラジャ山)の山麓とされている。カラジャ山は、高さ1,952mの楯状火山で、玄武岩質溶岩の噴出によって形成された。カラジャ山の最後の大規模噴出は中期更新世(78~12万年前)とされており、新しい火山である。(2018年3月21日ブログ)

また、オオムギの原産地は、南レヴァントと報告されているが、古いオオムギ栽培の痕跡は、南レヴァントの火山岩地帯に重なっている(2018年3月29日ブログ)。

レヴァントの火山岩地帯は、「肥沃な三日月地帯」と一致する。遺伝子の分析による報告を読む前から、コムギやオオムギの原産地は、レヴァントの火山岩地帯のどこかだろうと思っていた。また、古い農耕神話には、火山の話が多く登場する。

レヴァント5
レヴァント

中国の華北は、レスに広く覆われているので、もともとの地質がわかりにくい。レスというのは黄土のことで、砂漠、乾燥地帯、山岳地帯に堆積した砂やホコリ(シルト)が、風で飛ばされて堆積したものだ。中国の華北地方や北米の中央部などに広く分布する。

華北の代表的な新石器時代の遺跡は、裴李崗文化(河南省)、磁山文化(河北省南部)、仰韶文化(河南省、陝西省、山西省)などだ。華北で栽培化されたアワの原産地はわかっていないが、地質図では、河南省から陝西省にかけて、火山岩地帯が存在する。

タデ科のソバの原産地は雲南省といわれている。タデ科は火山の土に最初に侵入する植物であり、地質図でみると、雲南省の大理や昆明の周辺は火山岩の土であることがわかる。

栽培イネの原産地は珠江流域とされている。イネは水生植物なので、地質は関係ないように思えるが、珠江流域は火成岩(深成岩)の地帯である(後述)。


中国の地質図(*6)

トウモロコシの原産地は、メキシコ南部のバルサス(Balsas)川中流域とされている(2018年4月25日ブログ)。バルサス川中流域は、上部新生代火山岩(Upper Cenozoic volcanic rocks:Cuv)で覆われている。


メキシコ南部の地質図(*7)

以前に、栽培イネの起源地は珠江流域という報告が予想どおりだったと書き、その理由も述べた(2018年4月11日ブロブ)。珠江流域がイネの発祥地ではないかと考えていたもうひとつの理由は、珠江流域が火成岩(深成岩)地帯であったからだ。

深成岩は、マグマが地下の深いところでゆっくり冷えた火成岩で、石英(SiO₂)や長石(KAlSi3O8 – NaAlSi3O8 – CaAl2Si2O8)の結晶が大きく成長している。深成岩には、成分のちがいによって、かんらん岩、斑れい岩、閃緑岩、花崗岩などがある。

花崗岩は高温高圧の環境で形成され、結晶が粒状に成長しているので、圧力の変化や温度の変化によって、岩石が細かく砕けやすい。花崗岩の風化がすすむと、石英は砂として残り、長石類は化学的に変化して粘土鉱物になる。

雨が多く土が酸性化する環境では、花崗岩の土からは、Fe、Al、Si以外のCa、Na、K、Pなどが溶脱してしまう。風化がさらにすすむと、最終的に残るのは砂と粘土鉱物のカオリン[Si4Al4O10(OH)8]といわれている。カオリンは、1:1型層状ケイ酸塩鉱物で、土の中では、単層が10~100重なって積層になっている。この鉱物は、カオリナイト、陶土とも呼ばれる。なお、「カオリン」は、中国の陶磁器の産地である景徳鎮の高嶺山(カオリン)に由来する。

風化すすんだ花崗岩の土は「マサ」と呼ばれている。マサは、砂と粘土が混じった黄褐色の土で、腐植が少なく養分が乏しい。マサなどのカオリン系土壌は、雨が降るとドロドロになる。

深成岩の酸性土壌では、土に含まれている養分が流れてしまうということは、流れた先の沖積土には、養分が多く含まれているということだろう。

日本列島では、弥生時代に水田稲作がはじまる。水田稲作は、初期にはまず、北部九州地方に集落が出現し、西日本各地に広がった。弥生時代の集落遺跡が多いのは、筑紫平野、福岡平野、早良平野、唐津平野、糸島平野、嘉穂平野、岡山平野、摂津平野、河内平野、和泉平野、奈良盆地、濃尾平野などだ。(*10)


弥生時代の主な集落分布図(弥生ミュージアムより)


弥生前期(後半)環濠の地域性(藤原. 2011)(*11)

いっぽう、日本列島の花崗岩の分布は、九州北部、中国地方、四国北部、近畿、東海に多い。弥生遺跡が多い沖積平野と花崗岩地帯にできた沖積平野は、重なっていることがわかる。


日本列島の花崗岩の分布(1Ma:100万年前)(鈴木ら. 2010)(*12)

深成岩地帯の珠江流域でも、沖積土にリンが多く蓄積していたために、野生イネの群落が長期につづき、貯蔵段階と栽培化につながったのではないだろうか。

文献
*1)ニコライ・ヴァヴィロフ. 栽培植物発祥地の研究. 八坂書房 1980.
*2)Larson G, et al. (2014) Current perspectives and the future of domestication studies. PNAS 111(17)6139-6146.
*3)青野壽郎監修 (1981) 高等地図帳. 二宮書店.
*4)Richard M. Pollastro, Amy S. Karshbaum, Roland J. Viger. (2000) MAPS SHOWING GEOLOGY, OIL AND GAS FIELDS AND GEOLOGIC PROVINCES OF THE ARABIAN PENINSULA. U.S. Geological Survey Open File Report 97-470B.
*5)R. M. Pollastro, F. M. Persits, D. W. Steinshouer. (1997) MAP SHOWING GEOLOGY, OIL AND GAS FIELDS, AND GEOLOGIC PROVINCES OF IRAN. U.S. Geological Survey Open File Report 97-470G, ver.1.0.
*6)Douglas W. Steinshouer1, Jin Qiang, Peter J. McCabe, Robert T. Ryder. (1998) MAPS SHOWING GEOLOGY, OIL AND GAS FIELDS, AND GEOLOGIC PROVINCES OF THE ASIA PACIFIC REGION. U.S. Geological Survey Open-File Report 97-470F.
*7)Christopher D. French, Christopher J. Schenk. (1997) Map Showing Geology, Oil and Gas Fields, and Geologic Provinces of the Gulf of Mexico Region. U.S. Geological Survey Open-File Report 97-470-L.
*8)北川隆司. (1999) 花崗岩のマサ化のメカニズムと斜面崩壊. 粘土科学第39巻第1号 37-44.
*9)和田信一郎. (2015) 土壌学. 和田信一郎の土の科学情報.
*10)弥生ミュージアム, 弥生時代集落の分布の傾向:http://www.yoshinogari.jp/ym/episode02/keikou01.html
*11)藤原 哲. (2011)弥生社会における環濠集落の成立と展開. 総研大文化科学研究第7号.
*12)鈴木和恵, 丸山茂徳, 山本伸次, 大森聡一. (2010) 日本列島の大陸地殻は成長したのか? Journal of Geography 119(6)1173—1196.

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火山草原、焼畑、ポドゾル Volcanic meadow, Slash-and-burn, Podsol

火山の周辺にできたススキの草原は、時間がたつとマツの林に遷移するといわれている。しかし、日本の黒ボク土は、1万年以上もススキやササの草原がつづいたことで生成したと考えられている。どうして、黒ボク土地帯では、ススキの草原がマツの林に遷移しなかったのであろうか。

阿蘇の調査では、火山の土の植生は、ササ草原(3.2~3万年前) → 気候や火山活動で衰退したササ草原(3~1.3万年前) → ススキ草原(1.3 万年前~現在)へと遷移しており、森林は存在しなかったという。報告では、火山の草原が維持された理由として、人間による火入れ(野焼き)の結果ではないかと推定している。(*1)


(宮縁, 杉山. 2006)


日本土壌図(菅野ら, 2009)

現在の阿蘇の草原が、人間の野焼きによって維持されていることは確かであろう。しかし、それだけでは、3万年以上も前からササやススキの草原がつづいてきたことを説明できない。

ダーウィンは『種の起源』で次のように書いている。

Here there are extensive heaths, with a few clumps of old Scotch firs on the distant hill-tops: within the last ten years large spaces have been enclosed, and self-sown firs are now springing up in multitudes, so close together that all cannot live. When I ascertained that these young trees had not been sown or planted I was so much surprised at their numbers that I went to several points of view, whence I could examine hundreds of acres of the unenclosed heath, and literally I could not see a single Scotch fir, except the old planted clumps. But on looking closely between the stems of the heath, I found a multitude of seedlings and little trees, which had been perpetually browsed down by the cattle. In one square yard, at a point some hundred yards distant from one of the old clumps, I counted thirty-two little trees; and one of them, with twenty-six rings of growth, had, during many years tried to raise its head above the stems of the heath, and had failed. No wonder that, as soon as the land was enclosed, it became thickly clothed with vigorously growing young firs. Yet the heath was so extremely barren and so extensive that no one would ever have imagined that cattle would have so closely and effectually searched it for food. (*3)
「ここには、広いヒースがある。遠くの丘の上には、スコッチパイン(ヨーロッパアカマツ)の群生もいくつかある。スコッチパインの群生は、10年ほど前から柵で囲まれており、自然繁殖して、すべての個体が生き残れないないほど、密に生えている。わたしは、いくつかの場所を見て、これらの若木は、人が播種したり植え付けたりしたものでないことを確認した。そして、その数の多さに驚いた。柵で囲まれていない何百エーカーもあるヒースを調べたときは、植え付けられた古い木立を除いて、一本もスコッチパインを見なかった。しかし、ヒースの草のあいだを詳細に観察すると、長期間にわたってウシに新芽を食べられた苗木や若木をたくさん見つけた。スコッチパインの古い木立から数百ヤード離れた場所の1ヤード四方には、32本の小さな樹があった。そのうちの1本には、26本の年輪があり、長年にわたって茎を上に伸ばそうとしたが、失敗していた。土地が柵で囲まれるやいなや、急成長する若いスコッチパインに覆われるのは、不思議ではない。しかし、このヒースは不毛で何もなく広大である。ウシが丹念にかつ効果的に、食べ物を探しためだとは、誰も想像しなかったであろう。」

大昔の日本列島で火山の草原が長期につづいたのは、ダーウィンが指摘したように、大型の草食動物によって、マツなどの樹木の侵入が妨げられたためではないだろうか。

かつての日本列島には、シカ、イノシシだけでなく、ナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ、マンモス、ヘラジカ、バイソンなどの大型の草食動物が生息していた。ナウマンゾウは、40万年~1.5万年前、ヤベオオツノジカは、30万年~1.2万年前に日本列島に生息していたとされている。


ナウマンゾウ


ヤベオオツノジカ(Author:Momotarou2012)

シベリアで発見されたマンモスの腸内の調査から、マンモスの食べ物は、イネ科植物とスゲ類(イネ目カヤツリグサ科)がもっとも多かったと報告されている。また、少量のカバノキとカラマツの新芽、種々の草やコケなども含まれていた。マンモスは、イネ科、カヤツリグサ科の植物が優占する草原で、カラマツやカバノキなどの疎林が存在するような環境に生息していたと考えられている。(*4)


ルフィニャック洞窟(フランス)の13,000年前の壁画には、158匹ものマンモスが描かれている

いっぽう、アフリカゾウが生息するサバナの植生は、疎林と低木が混じった長草草原である。アフリカのサバナにはアカシアの倒木が多くみられるが、これらは、アフリカゾウがその樹皮を食べるために倒したものだ。ゾウは多くの食物を必要とするので、草だけでなく樹木を倒して樹皮を食べてしまう。ゾウが多く生息する地方では、サバナから樹木が無くなって、低木しか生えない草原になってしまうといわれている。


ボツワナのアフリカゾウ(Author:Charles J Sharp)

現在の阿蘇の火山草原には、ウシ(褐毛和種)が放牧されている。ウシは草原の草を食べるが、アルカロイドの強い毒があるマメ科のクララは食べない。いっぽう、蝶のオオルリシジミの成虫はクララ、ヒメジョオン、シロツメクサなどの花の蜜を吸い、幼虫はクララの花芽だけを食べる。オオルリシジミは、火山草原で見られる大型の蝶で、絶滅危惧種である。オオルリシジミが植物の毒を吸うのは、鳥から身を守るためであり、美しく目立つ姿で、有毒であることを鳥に学習させているのであろう。オオルリシジミの幼虫の尻には蜜腺があって、アリ類と共生関係にある。6月中旬に、幼虫はアリの巣に運ばれて、地中のアリの巣の中で蛹になって越冬する。ウシの放牧と野焼きによって、クララとオオルリシジミの生息が維持されているという。(*5, *6)

火山草原で生息する草食動物、クララ、オオルリシジミ、アリなどの生物が、「延長された表現型」として進化してきたという事実は、日本列島に何百万年も火山草原が存在しつづけてきたことを示している。


クララ(マメ科)

黒ボク土は、ススキやマツしか生えないやせた土壌といわれてきたことはすでに述べた。しかし、ほんとうは、むかしの農民たちは、ススキやマツが難溶性リン酸を吸収する仕組みをたくみに利用して、火山灰土のリンを獲得していた。そのひとつが、火山灰土での焼畑農業だ。日本の焼畑農業は、ほとんど記録されておらず、忘れられてしまったが、むかしの農家の生活の記録から、その一端がうかがえる。

「焼畑はあらき(荒起)とも呼び、火入れは春で、そこに夏作物を播く。土地不足を焼畑小作で補い、ゆいによって耕作するのである。まず、炭焼き後の雑木林を借りてあらき起こしをし、一年目は大豆、二年目はあわ、三年目はふたたび大豆をつくる。大豆とあわをほぼ三回(六年)ほど輪作し、ついでそばを二、三年連作する。焼畑の地力、肥料分をとことん使いきる「止め作」のそばは、少肥、やせ地に適応し、雑草に負けにくい。このあとは、作付けをやめる。三年ほどかやを刈るうちに、あらかじめ残しておいた母樹から落ちた赤松の種子が芽を出してくる。赤松は四〇~四五年で伐採するが、すでにならなどの雑木の下生えが見られる。雑木林に代わって二〇~二五年、ふたたび焼畑時代を迎え、気の遠くなるような八〇年サイクルが形成される。」(岩手県九戸郡軽米町、聞き書 岩手の食事) (*7, *8)

「菅原さんは以前、焼畑によってアワをつくっていた。そのやり方は次のようである。
地の選定:焼畑にはマツ山や雑木山(ナラ、クリ)の伐採跡が選ばれる。菅原さんはマツ山の伐採跡をよく借りた。戦前は借地料として、小作7:地主3の割合で現物を刈り分けしたが、戦後、借り手がなくなってからは無償で借りられるようになった。現在は焼畑をやる人はいない。適地としては、東向きか南向きの山の中腹で、緩傾斜のくぼ地がよく選ばれた。北面や西面は、地味は肥えているが作物が徒長し、日当たりが悪いので病害虫の発生が多いとして嫌われた。また山頂は、平坦地は多いが、瘠せているのであまり利用されなかった。雑木山の跡地は肥沃だが荒起こしに手間がかかり、したがってマツ山跡がよく利用された。
荒起場(あらきば)焼き:伐採した跡地は、冬から春にかけて薪をとれるだけとり、八十八夜(5月初旬)がすぎたころ、天気がつづいた日を選び、警察の許可を得て“ゆいっこ”で多勢の人を集めて荒起場に火を入れる。夕方ちかくになって山頂から火をつけ、下方に向かって焼きはらう。火入れ時刻を夕方ちかくにするのは、焼き終わったあとの残り火がわかりやすいからだ。また上から火を入れるのは、火勢が弱まり満遍なく焼けるので、焼け残しが少なくなるとともに、山火事を防止するためである。終わると手伝ってもらった人たちに夕飯を出して一杯やるが、その夜は荒起場に数人野宿して火を警戒する。
あらきふみ:翌日からゆいっこで“あらきふみ”を行なう。男女が1組になって仕事をするもので、男は“あらきすき”で焼跡を踏み起こす。女は後から“もった”(唐鋤)で、木の根を切って畦に仕上げる。さらにその後から女1人が鎌でダイズの種子を播いていく。これら3人が1組である。あらきすきは一般の鋤より歯が厚く丈夫にできていて、柄の角度は40゜くらいである。焼畑用の鋤は菅原さんの部落のものが産地で評判がよく、わざわざ遠くから買いにきた。あらきすきは丈夫だが大きく重いので、あらきおこしには非常に多くの労力を要した。10aを起こすのに3組で1日はかかった。
播きつけ:90cm幅の畦が傾斜にそってでき上がると、すぐその後から畦の両肩に、鎌でダイズの種子を播く。1年目はダイズで、2年目がアワである。アワ播きは、前年のマメの畦と畦との間に両肩を鍬でけずって播き溝をつくる。これを“おもがえし”という。そこにアワの種子を木灰に混ぜてばら播きにし、足で土をかける。
除草、間引き:除草は主に木の根から芽生えたものを取り除き、間引きと兼ねて2~3回はやる。草の発生が少ないので普通播きより1回は少ない。
収穫:10月ごろ刈り取り、島立てにして乾燥し、その後“また木”で打ち落として収納する。
輪作:1年目にダイズ、2年目にアワ。この繰返しを4年間やり、5年目からは地力が許すかぎりソバを連作する。地力の低下にともなって、やがてカヤが自生し始める。その後はカヤの刈取り収穫が数年つづけられる。カヤは主に屋根替えや炭すご(炭だわら)に使用された。そのうちにマツの自生がみられるようになり、ついにマツ山に変わる。マツ林は30~40年目に伐期に達し、伐採後は再び跡地が焼畑に利用される。地域によってはマツ伐採跡をそのまま放置して、自生してきたナラやクリを雑木林に育てて20年後に伐採し、その跡地を焼畑に利用するところもある。前のばあいは約50年で、後のばあいは約70年で一輪換する。」(岩手県九戸郡軽米町大字上舘、焼畑農法の心を受けついで五十年余 1975年、農家が教える混植・混作・輪作の知恵)(*9)


踏み鋤(アラキスキ)を用いるアイヌの女性

かつての日本列島には、マツの林が多く、マツは薪や木炭などの燃料として重要であった。さらに、松炭は製鉄や鍛冶に利用された。江戸時代には、カマドや囲炉裏に残った灰を箱に入れて貯めておき、これを買い取る「灰買い」という専門の業者がいた。集められた灰は、肥料として売買されていた。


江戸時代の灰買い(守貞謾稿より)

化学肥料が普及する前の日本では、人糞、馬糞、牛糞、山野草、落葉、灰、魚肥などが肥料として利用されていた。

アメリカの土壌学者のF.H.キング(1848-1911)は、1909年に中国、日本、韓国を調査に訪れて、“Farmers of Forty Centuries, or Permanent Agriculture in China, Korea, and Japan”(中国・朝鮮・日本における四千年の永続農業)を著した。キングは、日本の農業統計と現地調査によって、当時の日本の施肥量を計算している。

If we state in round numbers the total nitrogen, phosphorus and potassium thus far enumerated which Japanese farmers apply or return annually to their twenty or twenty−one thousand square miles of cultivated fields, the case stands 385,214 tons of nitrogen, 91,656 tons of phosphorus and 255,778 tons of potassium. These values are only approximations and do not include the large volume and variety of fertilizers prepared from fish, which have long been used. Neither do they include the very large amount of nitrogen derived directly from the atmosphere through their long, extensive and persistent cultivation of soy beans and other legumes. Indeed, from 1903 to 1906 the average area of paddy field upon which was grown a second crop of green manure in the form of some legume was 6.8 per cent of the total area of such fields aggregating 11,000 square miles. In 1906 over 18 per cent of the upland fields also produced some leguminous crop, these fields aggregating between 9,000 and 10,000 square miles.・・・The amounts which have been given are sufficient to provide annually, for each acre of the 21,321 square miles of cultivated land, an application of not less than 56 pounds of nitrogen, 13 pounds of phosphorus and 37 pounds of potassium. (*10)
「日本の農家が、毎年20,000~21,000平方マイルの耕作地に施用したり還元したりしている窒素、リン、カリウムの合計を概数で表記すると、窒素385,214トン、リン91,656トン、カリウム255,778トンになる。これらの値は概算にすぎず、古くから使用されてきた大量かつ多様な魚肥は含まれていない。また、大豆などのマメ科植物の長期で大規模な栽培によって、大気中から得られる大量の窒素も含まれていない。じっさいに、1903~1906年に、二毛作の緑肥をマメ科植物で栽培した水田の平均面積は、11,000平方マイルの圃場総面積の6.8%であった。1906年には、圃場の18%以上でマメ科作物を生産しており、これらの圃場の総計は9,000~10,000平方マイルであった。・・・与えられた量は、21,321平方マイルの農地に、1エーカー当たり毎年56ポンド以上の窒素、13ポンド以上のリン、37ポンド以上のカリウムを施用するのに十分な量である。」


ポドゾル(Author:Amdb73)

ポドゾル(スポドソル)は、北米や北欧の針葉樹林帯に広がる強い酸性土壌で、上層はAlやFeが溶解してケイ酸だけが残って白くなり、下層はAlとFeが析出して赤褐色の粘土質になる。ふつう、ポドゾルの土の酸性化は、蓄積した腐植のフルボ酸が原因と説明されている。しかし、腐植のフルボ酸がポドゾル化の原因であるならば、腐植の多い黒ボク土もポドゾル化しなければ理屈にあわない。

ポドゾル化は、マツ類と共生する菌根菌(担子菌)が、難溶性リン酸を溶解吸収するためにシュウ酸などを大量に放出することが、おもな原因ではないだろうか。それは、ポドゾルの分布が、マツ属、カラマツ属、トウヒ属、モミ属など、マツ科の樹木の分布と重なっていることからもうかがえる。


世界土壌図(菅野ら, 2009)


ヨーロッパアカマツ


ヨーロッパアカマツの分布


フィンランドのトウヒ(Author:Nasu288)


オウシュウトウヒの自然分布


アメリカカラマツ


アメリカカラマツの自然分布

文献
*1)宮縁育夫, 杉山真二. (2006) 阿蘇火山の活動と草原の歴史. 九州の森と林業76.
*2)菅野均志, 平井英明, 高橋正, 南條正巳. (2008) 1/100万日本土壌図(1990)の読替えによる日本の統一的土壌分類体系−第二次案(2002)−の土壌大群名を図示単位とした日本土壌図. ペドロジスト52, 129-133.
*3)Charles Darwin, The Origin of Species, The sixth edition, 1872.
*4)Pavel A.Kosintsev, Elena G.Lapteva, Olga M.Korona, Oksana G.Zanina. (2012) Living environments and diet of the Mongochen mammoth, Gydan Peninsula, Russia. Quaternary International 276-277: 253–268.
*5)村田浩平, 野原啓吾, 阿部正喜. (1998) 野焼きがオオルリシジミの発生に及ぼす影響. 昆蟲 ニューシリーズ1(1),21-33.
*6)村田 浩平, 野原啓吾. (2005) オオルリシジミをとりまく昆虫およびクモの種構成と草原環境. 昆蟲 ニューシリーズ8(3),79-90.
*7)農文協編. (2009) 日本列島の焼畑. 農山漁村文化協会, 農家が教える混植・ 混作・輪作の知恵.
*8)古沢典夫ほか (1984) 聞き書 岩手の食事. 農山漁村文化協会.
*9) 佐々木 虣. (1975) 焼畑農法の心を受けついで五十年余 岩手県九戸郡軽米町 菅原徳右ヱ門さん. 農山漁村文化協会 農家が教える混植・混作・輪作の知恵.
*10)King, Franklin Hiram (1911). Farmers of Forty Centuries, or Permanent Agriculture in China, Korea and Japan.
*11)喜田川守貞. 1837年―. 守貞謾稿.
*12)菅野均志, 平井英明, 高橋正, 南條正巳. (2009) 土壌教育教材としての日本および世界土壌図の試作. 日土肥講要55, p201.

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イタドリ、ススキ、マツ:難溶性リン酸を吸収する植物 Reynoutria japonica, Miscanthus, Pine

自然界では、火山の土であっても、砂漠でなければ植物が繁茂する。自然界には難溶性リン酸を吸収するさまざまな植物が存在する。

ルピナス(マメ科):アフリカやアメリカ大陸に分布するルピナス(ルーピン)は、根からクエン酸などの有機酸や酵素のホスファターゼを分泌して、難溶性リン酸を可溶化するといわれている。


ルピナス(マメ科)

ユーカリ(フトモモ科):オーストラリアの酸性土壌に生育するユーカリは、根からクエン酸などキレート性物質を放出して難溶性リン酸を溶解、吸収するといわれている。なお、ユーカリは、外菌根性であり、担子菌のHysterangiumPisolithusと共生関係にある。菌根菌を接種したユーカリは、低濃度のリン酸土壌でも生育することができるという。(*1)


ユーカリの森、オーストラリア(Author:Mattinbgn)

アカシア類(マメ科):オーストラリアのリン酸を吸収しにくい土壌には、マメ科のアカシア類が生息している。これらのアカシア類は、有機酸を放出して鉄やアルミをキレート化し、Fe型あるいはAl型の難溶性リン酸を溶解吸収するとされている。また、アカシアは、窒素を固定する根粒菌だけでなく、アーバスキュラー菌根菌(AM菌)とも共生している。


オーストラリアのアカシア(Author:Mark Marathon)

日本列島には、多くの活火山が存在する。桜島の火山噴出物に覆われた土は、噴火から20年ほど経過すると、地衣類やコケ類が出現する。50年たつと、イタドリ(タデ科)やススキ(イネ科)が侵入する。100年たつと、クロマツの林ができて、ヤシャブシ(カバノキ科ハンノキ属)なども生える。150年以上たつとアラカシ(ブナ科)、タブノキ(クスノキ科)、スダジイ(ブナ科)などの常緑広葉樹林になると考えられている。(*2)

富士山が最後に噴火したのは1707年の宝永大噴火で、山頂部および斜面の一部は、現在でも裸地になっている。富士山の植生は、山頂から低地になるにつれて発達している。噴火後の火山に最初に侵入する植物は、イタドリ(タデ科)やオンタデ(タデ科)とされている。その後は、ミヤマヤナギ(ヤナギ科)、ミヤマハンノキ(カバノキ科ハンノキ属)、ダケカンバ(カバノキ科)、カラマツ(マツ科カラマツ属)、シラビソ(マツ科モミ属)、コメツガ(マツ科ツガ属)へと植生が遷移すると推定されている。

日本の活火山では、初期に侵入する植物は、イタドリ、オンタデなどのタデ科植物だ。また、暖温帯では、ススキ属の植物が初期に侵入する。その次に、カバノキ科ハンノキ属やその他のカバノキ科植物が侵入するが、ハンノキ属の植物は放線菌のフランキア属と共生して窒素を固定することが知られている。その後は、マツ科のマツ属やカラマツ属が繁殖し、暖温帯ではクロマツが、亜高山帯や寒帯ではカラマツが優占するといわれている。


ハンノキ(カバノキ科ハンノキ属)(Author:Σ64)


シラビソ(マツ科モミ属)(Author:Inti-sol)


コメツガ(マツ科ツガ属)

イタドリは、新しい火山の土に最初に侵入する植物であることはよく知られているが、どうしてイタドリが火山の土に侵入できるのかについて調べた論文を見たことがない。ただ、イタドリはソバと同じタデ科植物なので、根からHを放出して、アパタイト中のリン酸を吸収していると考えられる。

しかし、新しい火山の土には窒素が含まれていない。イタドリは、窒素がほとんど存在しない火山の土で旺盛に成長することから、大気中の窒素を固定する何らかの機構を有していると思われる。


イタドリ(タデ科)

イネ科植物のススキも、火山の土に初期に侵入する植物だ。また、日本の黒ボク土地帯では1万年以上もススキの草原がつづいていたといわれている。近年の報告では、ススキが強酸性土壌へ定着するには、AM菌との共生が必要であり、ススキは、耐酸性のAM菌との共生によって、リン酸の一部を得ているという(*3)。ただ、イネ科植物が、酸性土壌の難溶性リン酸を吸収する機構については、解明されていない。

また、火山の土には窒素がほとんど含まれていないので、火山の土で生育するには、大気中の窒素を固定する必要がある。窒素については、イネ科植物の根圏や体内に窒素固定細菌が生息していることが知られている。エンドファイトとは、植物の体内で生活する微生物のことだが、窒素固定能力をもったエンドファイトとして、Acetobacter属、Herbaspirillum属、Azoarcus属などの細菌の存在が報告されている。(*4)

イネ科植物の体内には、窒素固定能をもつ偏性嫌気性細菌と窒素固定能をもたない好気性(通性嫌気性)細菌の両方が生息しており、両者が共同(コンソーシアム)して窒素固定活性を発現していると考えられている。ススキについても、定着生の高い嫌気窒素固定コンソーシアムの存在が確認されている。(*5)


箱根仙石原のススキ野(Author:Jungle)

火山の周辺では、ススキやササの草原にマツ類が侵入する。それが可能なのは、マツ類が難溶性リン酸を溶解、吸収する機構を有しているからだ。

マツ類は菌根性の植物で、無機養分のほとんどを、菌根菌をとおして得ているといわれている。菌根菌は、植物の根に侵入して共生する菌類のことで、生物としてはグロムス門、担子菌門、子嚢菌門などに分類される。また、その形態から、アーバスキュラー菌根、外菌根、ラン菌根、エリコイド菌根、モノトロポイド菌根などに分けられている。

植物のほとんどは菌根菌と共生関係にあるが、アブラナ科、ヒユ科、ナデシコ科、タデ科、ケシ科など、菌根菌非共生の植物もある。また、スイレン目、オモダカ目などの水生植物も菌根菌非共生だ。外菌根と共生する植物は、マツ科、ブナ科、カバノキ科、フタバガキ科、ヤナギ科、フトモモ科などが知られている。外菌根菌は、ハラタケ目に属する担子菌が多いが、セイヨウショウロ科(トリュフ)やチャワンタケ科の子嚢菌、ケカビ門も存在するとされている。

マツ類は、マツタケなどの担子菌と共生し、共生菌に光合成産物(エネルギー)を与える代わりに、菌から水や無機養分を得ている。マツタケには、Al型リン酸を溶解吸収する能力があることが知られている。なお、菌根菌は、可溶性のリン酸が多い肥沃な土壌では、菌根の発達が悪くなるといわれている。(2016年4月20日ブログ)

マツタケの子実体は、アカマツを中心に環状に形成される。これは、一般に「シロ」と呼ばれている。シロの先端は、菌根がもっとも活発に成長しているため、活性菌根帯と呼ばれる。活性菌根帯の土壌は細菌や酵母に対して強い抗菌活性を示す。(*6, *7)

この抗菌活性を有する物質は、シュウ酸アルミニウム錯体と報告されており、シュウ酸アルミニウム錯体は、他の微生物に対して抗菌作用があると同時に、マツタケに対して菌糸の成長促進効果があるという。

マツタケは菌根からシュウ酸を放出して、Al型リン酸を溶解してリン酸を吸収すると同時に、シュウ酸アルミニウムの抗菌作用によって土壌中の微生物環境を整えることでシロを拡大しているらしい。

マツタケ菌糸からのシュウ酸放出は、酸性土壌におけるAl型リン酸の溶解吸収、可溶性アルミニウムの解毒、他の土壌微生物の抗菌作用の機能をはたしていると考えられている。

なお、マツタケは、アカマツだけでなく他のマツ属の樹木と共生する。さらに、中国の四川省や雲南省に分布するマツタケは、マツ類ではなくブナ科の樹木(コナラ属、シイ属など)を宿主にしているという。(*8)


(西野, 2017)


富士山の森林限界付近で発芽したカラマツの実生(Author:御粥)

文献
*1)Myra Chu-Chou, Lynette J.Grace. (1982) Mycorrhizal fungi of Eucalyptus in the North Island of New Zealand. Soil Biology and Biochemistry14-2:133-137
*2)上條隆志, 田村憲司, 廣田 充, 西村貴皓, 東 亮太, 藤井美央. (2016) 火山遷移に伴う植生発達と環境形成. 地球環境21(1),21-32.
*3)河原 愛, 佐藤理子, 江沢辰広. (2013) アルミニウム耐性植物ススキのリン酸吸収を担う直接および菌根経路. 日本土壌肥料学会講演要旨集59巻.
*4)南澤 究. (2003) イネ科植物の窒素固定エンドファイト. 日本農芸化学会誌77巻2号 p.126-129
*5)斉藤朝美, 葉 繽, 南澤 究. (2002) ススキへの定着性の高い嫌気窒素固定コンソーシアムの選抜. 日本微生物生態学会講演要旨集(18),100.
*6)西野勝俊ら. (2016) シュウ酸アルミニウムの抗菌作用を利用したマツタケの生長戦略. 日本森林学会学術講演集.
*7)西野勝俊. (2017) マツタケシロの抗菌物質・シュウ酸アルミニウム錯体の化学生態学. 京都大学.
*8)進藤克実, 松下範久, 寳月岱造. (2008) 中国雲南省産のマツタケとブナ科樹木との菌根共生. 第119回日本森林学会大会.

堆肥と土壌の作り方: 身近な有機物を利用する
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難溶性リン酸を吸収する作物

酸性やアルカリ性の火山灰土では、リンが土に固定されて、植物が吸収することが難しくなる。しかし、植物のなかには難溶性リン酸を吸収する種が存在するし、栽培植物についても報告がある。

ソバ(タデ科):ソバの原産地は、中国の雲南省と考えられている(*1)。ソバは、根からH(プロトン)を放出して、アパタイトなどCa型リン酸を溶解、吸収するとされている。


ソバ(タデ科)(Author:Koba-chan)

アブラナ科:ナタネ、ダイコン、ハクサイ、カブ、カラシナなどのアブラナ科作物は、根からHを放出して、Ca型リン酸を溶解、吸収する。また、アブラナ科作物とタデ科のソバは、リン肥沃度の低い土中では、「リン獲得根」が伸長すると報告されている。(*2)

ヒユ科:ヒユ科のテンサイ、ホウレンソウは、根からHを放出して、Ca型リン酸を溶解、吸収することが知られている。

ヒヨコマメ(マメ科):ヒヨコマメは、PPNB期に西アジアで栽培化されたきわめて古い作物で、創始作物(founder crop)のひとつとされている。西アジアの創始作物は、アインコルンコムギ、エンマーコムギ、オオムギ、レンズマメ、エンドウマメ、ヒヨコマメ、ビターベッチ、ソラマメ、アマといわれている。ヒヨコマメは、根からクエン酸やコハク酸を放出して、アルカリ土でのCa型リン酸を溶解して吸収する。また、ヒヨコマメは、Fe型リン酸が多い土壌でも生育することから、Fe型リン酸を吸収する可能性もあるといわれている。


ヒヨコマメ


キマメ

キマメ(マメ科):キマメは、インドやアフリカ東部で栽培されている。根からマロン酸、シュウ酸、ピシジン酸を放出し、AlおよびFeとキレート結合して、Al型リン酸、Fe型リン酸を溶解、吸収するとされている。(*3, 4)


(大谷, 阿江, 山縣. 1997)

ラッカセイ(マメ科):ラッカセイは、南アメリカで栽培化され、難溶性のFe型リン酸とAl型リン酸の溶解能があることが知られている。Fe型リン酸の溶解の全活性のうち、一部は根の表面に活性が存在することが報告されており、これは「接触溶解反応」と呼ばれている。溶解活性の反応部位では、3価の陽イオンとのみ特異的に結合するとされている。また、ラッカセイの根は、表面が脱落して、絶えず新しい溶解活性部位が表面に生成していると考えられている。(*5)


ラッカセイ(Author:Delince)

イネ:イネ(陸稲)は、可吸態リン酸が少ない黒ボク土で、リンをよく吸収することが知られているが、イネが難溶性リン酸を吸収する機構は解明されていない。

なお、水田では、畑作に比べて、イネのリン酸吸収が高いことが知られている。湛水下の水田土壌では、リン酸の溶出量は、pH5以下あるいはpH7以上で高くなるが、pH5~7の間では、著しく低くなる。pH5以下で、リン酸の溶出量が増えるのは、リン酸と結合している鉄が還元されて藍鉄鉱[Fe3(PO4)2・8H2O]に変化して溶解度が増大するためと考えられている。いっぽう、pH7以上では、土壌溶液中の鉄(Ⅱ)(Fe2)が、大気中のCO2によって炭酸鉄(Ⅱ)(FeCO3)となって沈殿し、溶液中から除去されて、リン酸の溶出が促進される。一般に水田土壌は中性付近なので、Fe2の沈殿によるリン酸の溶解度上昇が、水田土壌におけるイネのリン酸吸収の増加の要因とされている。(*6)


(飯村, 2005)

文献
*1)Ohmi OHNISHI. (1993) Population genetics of cultivated common buckwheat, Fagopyrum esculentum Moench. VIII. Local differentiation of land races in Europe and the silk road. The Japanese Journal of Genetics Volume 68 Issue 4 Pages 303-316.
*2)船場康司, 南條正巳. (2004) アブラナ科作物のリン獲得根伸長と土壌の可給態リンレベルとの関係. 日本土壌肥料学会講演要旨集50巻 p.143.
*3)大谷 卓, 阿江教治, 山縣真人. (1997) 植物のもつ難溶性リン酸獲得戦略. 農環研ニュースNo.36.
*4)大谷 卓, 阿江教治, 山縣真人. (1999) 黒ボク土中のリン酸に対するキマメおよびラッカセイの特異的吸収・利用機構. 農業環境技術研究所報告17号 p.55-123
*5)阿江教治. (2002) リンの溶解・吸収における細胞壁の関与:ラッカセイの場合. 日本土壌肥料学会講演要旨集48巻 p.183
*6)飯村康二. (2005) 湛水下の水田土壌におけるリン酸の溶解度上昇の原因について. 日本土壌肥料学雑誌76巻2号 p.199-200.

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リンと火山、黒ボク土と縄文人

リンPは、地殻に0.12%しか存在しない。また、リンは土に固定されやすく、難溶化したリンを吸収できる植物は多くない。

一般に雨が多い地方では、土が酸性化する。空気中のCO2が雨水に溶けると、炭酸水(H2CO3)になる。炭酸水は土の中のCaなどの塩基を溶かして流亡させるので、土の中にはHが増えて酸性化する。また、植物は、根から有機酸やHを分泌するので、さらに土が酸性化する。

逆に雨が少ない地方では、地表面から水が多く蒸発するので、地中から水が上昇する。塩基が土壌中から流亡しにくく、アルカリ化しやすい。

リン酸は、酸性土壌では、アルミニウムイオンや鉄イオンと化学的に結合して、難溶化する。また、ゲータイト[FeO(OH)]など金属水酸化物に電気的に吸着されたり、粘土表面に直接取り込まれて吸着する。pH6~7では、比較的易溶性のリン酸塩が存在するが、pH7以上のアルカリ性になると、Caと結合してリン酸カルシウムになり、難溶化する。

日本では、火山灰が風化して生成した黒ボク土が広く分布するが、黒ボク土は、リン酸の固定力が大きい。火山が噴火すると、火口から噴出した火山灰やほこりが積もる。また、流れ出した溶岩が冷えて固まり、安山岩や玄武岩などの火山岩になる。いっぽう、マグマが深層でゆっくり冷えたときは、花崗岩などの深成岩ができる。

これらの火山灰や火成岩の中のリンの多くは、アパタイト[Ca5(PO4)3(F,Cl,OH)1]で存在している。アパタイトは、アルカリ性では溶解しにくいが、酸性では溶解しやすい。また、植物の根から分泌されるキレート能をもつクエン酸やシュウ酸、あるいはHによって溶解する。


P-Ca:Ca型リン、P-non occluded:非結合型リン、P-o:有機態リン、P-occluded:結合態リン
土壌形成期におけるリンの形態と量の経時変化モデル(Walker and Syers, 1976)

酸性土壌では、アパタイトから溶出したリン酸は、活性アルミニウム、活性鉄と反応して難溶化すると考えられている。リン酸イオンと反応する活性Alは、アロフェン、イモゴライト、Al-腐植複合体、カオリン鉱物などに含まれる。いっぽう、活性Feは、ゲータイトやフェリハイドライト([Fe3+5][(OH)9|O3]15-)に含まれる。活性Al・Feは、酸性土壌ほど多い。

下図のように、リン酸は粘土表面に存在するアルミニウムイオンと反応して、非晶質リン酸アルミニウム類似物質へと変化して難溶化すると考えられている。この物質は、植物がきわめて利用しにくい物質とされている。(*1)


(1)(2):アルミニウム水酸化物に吸着
(3):アルミニウムのケイ酸塩鉱物と反応
(4)(5)(6):アルミニウム-腐植複合体と反応
(7):アルミニウムイオンと反応


(南條, 1995)

日本の黒ボク土には、活性Al・Feが多く含まれるので、リン酸の固定が問題になってきた。北海道立十勝農業試験場の報告では、圃場の形態別リン酸含量は、Al型リン酸含量がもっとも多く、全リン酸含量の53~64%を占めるという。次いで、有機態リン酸、Fe型リン酸、Ca型リン酸の順に多い。黒ボク土では、リン酸が下層へあまり溶脱せず、難溶化して蓄積しているといわれている。(*2)


(谷ら, 2011)

ただし、火山灰土であっても、時間とともに活性Al・Feの量が変化することが知られている。ハワイ諸島では、降灰より数十万年後までは、アロフェン、イモゴライト、Al-腐植複合体が生成して、活性Al・Feの含量が増加する。その後、活性Al・Feは、反応性の低い結晶性の鉱物へと変化するために減少し、噴火から410万年後には、強風化土壌であるオキシソルになっているという。このような変化は、火山砕屑物のサイズが小さいほど、Siが少ないほど早くなる。また、温度が高いほど、結晶性の鉱物が早く出現するといわれている。(*3)


ハワイ諸島における時間経過が土壌中の非結晶鉱物(活性Al・Feを主とする鉱物)の量に及ぼす影響(Harsh, et al.)(渡邉, 2016より)

歴史的には、日本の黒ボク土は、ススキやマツしか生えないやせた土壌と言われてきた。それは、酸性の黒ボク土ではリン酸が固定されて、これを吸収できる作物がほとんど無いためだ。しかし、火山の噴出物である火山灰や火山岩は、地球の内部から出てきた新鮮な土なので、植物や動物の成長に必要なP、Ca、K、Mgなどが溶脱しておらず、栄養分が豊富に含まれている(ただし、Nは含まれていない)。

インドのデカン高原は、6700-6500万年前にマグマが噴出して形成された広大な玄武岩台地だ。噴出した玄武岩は、2,000メートル以上の厚さで堆積しているといわれている。この玄武岩が風化した土壌は、レグールと呼ばれる肥沃な土壌である。ヒヨコマメ、キマメ、緑豆、ケツルアズキ、レンズマメ、ラッカイなどの豆類、アワ、キビ、インドビエ、シコクビエ、コド、サマイ、コルネ、コラティ、ソルガム、トウジンビエなどのイネ科雑穀、綿花などが栽培されており、インドの大きな人口を支えている。

インドネシアは、日本と同じ環太平洋火山帯に属し、国土には多くの活火山が存在する。日本もインドネシアも、国土の面積に対して非常に多くの人口を扶養している。アステカ文明がおこったメキシコ高原は、安山岩や玄武岩でできており、インカ文明が栄えたアンデス山脈には多くの活火山が存在し、安山岩などの火山岩で覆われている。アフリカ大陸で農業がさかんで人口が多いのは、エチオピア高原だが、エチオピア高原は玄武岩などの溶岩類に厚く覆われている。

また、日本の縄文遺跡は、黒ボク土地帯に多いことが知られている(*4)。ただし、どうして縄文遺跡が黒ボク土地帯に多くあるのはよくわかっていない。

もともと、縄文人の食料や日本列島の植生から、縄文文化は、東日本のナラ林地帯で栄えたという説が有力であった。しかし、縄文時代にもっとも人口が多かった関東地方は照葉樹林帯に属するので、この説にあわない。

また、黒ボク土は、縄文人の火入れなどの活動によって形成されたという説も唱えられている(*5)。しかし、黒ボク土が縄文人の活動でできたという説は、縄文遺跡がないところに黒ボク土が存在することを説明できないし、ほとんどの土壌学者からも支持されていない。




(枝村, 熊谷, 2009)

ごくふつうに考えれば、黒ボク土地帯に縄文遺跡が多いのは、新鮮な火山灰が堆積した土からは、アパタイト中のリン酸が多量に溶解するために、生物の生産力が大きくなるからであろう。

新しい火山灰が堆積した台地や、溶岩が堆積した台地で優占する植物は、タデ科のイタドリ、イネ科植物、イネ科のススキ、ササなどである。これらの植物は、リンの吸収能力が高く、栄養価が高い。縄文人が食料にしていた動物はシカとイノシシが多いが、シカはススキ、ササ、その他のイネ科植物を好んで食べるし、イノシシはササの地下茎やススキの根をよく食べる。

また、火山の土から溶脱したリンは、川から海に流れるので、河川の周囲の海はリンの濃度が高くなって、貝の生産量が多くなることが予想される。

すなわち、黒ボク土地帯に縄文遺跡が多いのは、新鮮な火山の土から、多くのリンが生物に供給されるためと考えられる。

文献
*1)南條正巳. (1995) 土壌コロイドとリン酸イオン. 粘土科学第35巻第3号108-119.
*2)谷 昌幸ら. (2011) 化学肥料と牛ふん堆肥を25年間連用した淡色黒ボク土畑土壌におけるリン酸の蓄積互と形態. 日本土壌肥料学雑誌 82(3), 224-227.
*3)渡邉哲弘. (2016) 火山灰土壌の分布と特殊性. 地球環境 21(1), 11-20.
*4)阪口 豊. (1987) 黒ボク土文化. 科学,57,352-361
*5)山野井徹. (1996) 黒土の成因に関する地質学的検討. 地質学雑誌第102巻第6号 526−544.
*6)枝村俊郎, 熊谷樹一郎. (2009) 縄文遺跡の立地性向. Theory and Applications of GIS, Vol. 17, No.1, pp.63-72

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