「延長された意識」 Extended consciousness

久しぶりに東京に来た。

東京の街を行き交う大勢の人が見える。最近は外国人が居ないので,浅草周辺も歩いているのは日本人ばかりだ。年齢,性別,体格,服装など,みな様々である。

古代に日本列島にやって来た人々は,数人から数十人の集団で,陸路や舟で渡ってきたはずだ。小さな集団で次々とやって来た人々が,遺伝子を交換しながら急激に人口を増やして現在の日本人になったのだから,一人一人の遺伝子は,ほとんど同じはずである。

人間が,一人一人違っているのは,遺伝子ではなくて,「意識」である。私が他人と違うことを考えているように,一人一人がまったく違うことを考えている。

人間は,情報プールを形成する動物である。情報プールは,一人一人の意識や書かれたものによって構成され,一人一人の意識は情報プールによって作られる。個々の遺伝子はほぼ同じであっても,個々の意識は大きく異なる。人間が人間である所以である。

人間から風景に目を転ずると,林立する高層ビルが見える。巨大なビル,巨大な電波塔,橋,電車,自動車,さまざまな構造物が,空間を埋めつくしている。

これらの構造物は,野生の自然にはまったく存在しないものであり,すべて人間の「意識」が作り出したものだ。街全体が,形象化され,物質化され,物象化された人間の「意識」である。

人間が作り上げた構造物は,形象化された人間の「意識」なのであるから,人工の構造物も,情報プールの一部であると言える。ドーキンス流に言えば,「延長された意識」,あるいは「延長された情報プール」である。

そんな妙なことを考えながら,様々な店舗が並ぶ東京駅の地下道を歩いていたら,まるで人間の「意識」の中を歩いているような気がした。

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