小農と家族農業 Small farm,Family farm

SHINICHIRO HONDA

「小農」と「家族農業」は,似てはいるが本質的な意味は異なる。農耕の歴史を見れば,家族農業や自作農は歴史的存在であるが,小農という存在は,一時的存在(進化的に安定していない),もしくは経営形態の一部としての存在である。

小農とは,農地,生産手段,経営規模が小さく,少人数で営む農民のことである。英語ではPeasantであるが,これはもともと農奴,小作農,農業労働者など農地を持たない貧しい農民を指す言葉なので,Small farmの用語と使い分けたほうがよいと思う。

一方,家族農業とは,家族(血族集団)を中心に営まれる自作農のことであり,経営規模は関係ない。自作農とは,農地など生産手段を所有し,自分で農作業に従事する農民のことである。

もともと,人間は血族集団を中心とするバンドや部族で生活しており,初期の農耕もバンドや部族の共同作業によって営まれていた。それは,農耕の発祥地であるレヴァントや古代中国でも同じである。農地はバンドや部族が占有するテリトリーの一部であり,個人が農地を所有するという概念は存在していなかった。灌漑や牛を利用した耕起,播種などの作業も,集団の共同作業でおこなわれていた。


古代メソポタミアの条播器、カッシート時代(紀元前2000年紀中葉)の印章印影

製銅,製鉄技術によって武器が高度化すると,特定の集団が武器を独占することが可能になった。武装した王や領主が,武力で領地を支配(所有)するようになると,農民は農奴として作業者になるか,小作農として領主に地代(小作料)を収めて,耕作するようになった。このときも,灌漑や農作業の多くは共同で営まれていた。


クレシーの戦い,1346年,フランス対イングランドの百年戦争


中世の農奴,1310年頃

農奴制や領主制では,領地(農地)の所有権は王あるいは領主にあるので,農奴や小作農は地代を支払う。農業では,数年おきに凶作がやってくるし,数十年おきに大凶作がやってくる。飢饉になると,農民は村から都市や森に逃げてしまう。

奈良,平安時代の荘園では,農民を領地につなぎ留めておくために,鉄製の鎌,鍬,鋤,犂などの農具を,農民に貸し出すことがおこなわれていた。「荘」というのは,鉄製農具を保管しておくための倉のことである。鎌倉時代の領主は,自ら製鉄と鍛冶をおこなうことで,武器と農具(生産手段)を支配していた。

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紀伊国桛田荘絵図,1183年,宝来山神社蔵,1491年


元寇における武装と戦闘,1293年頃

農産物は,完全競争市場なので,一般均衡では利益がゼロになる。また,偶然の自然の変動に生産が大きく左右されるので,運がよい農家は農地を取得して地主化し,運が悪い農家は小作農に転落してしまう。小作農は,耕作権が不安定な農地には投資しないので,次第に生産性が低くなる。

近世には,徳川幕府は,自作農(本百姓)の没落や消滅を防ぐために,田畑永代売買禁止令(1643年)を公布して自作農を維持しようとした。近世の日本は,領主制であったが自作農の割合が高く,小作農であっても永代耕作権が認められていた。

西ヨーロッパでは,次第に農奴制が廃止され,小作農は永代耕作権を持つようになった。イギリスでは,農奴制の廃止や囲い込みによってヨーマン(自作農)が登場し,ジェントリ(郷紳)が資本主義的農業経営に乗り出すようになった。ドイツ東部でも,ユンカー(地主貴族)が,農業経営に乗り出すようになり,資本主義的農業経営がはじまった。イギリスやドイツでの,自作農と資本主義的農業経営が,現在の欧米の農業経営や社会構造の基盤になっている。

たとえば,アメリカ社会の基盤であるジェファーソン流民主主義(Jeffersonian democracy)では,ヨーマン(自作農)が市民の美徳をもっとも体現する存在であり,政府の政策はヨーマンの利益につながるべきという考えがある。


ウェストバージニア州の紋章,1876年


デラウェア州の紋章,1876年


1861年勅令(農奴解放令)を読むロシアの農奴(Author:Grigoriy Myasoyedov,1834–1911)

一方,ロシアでは近代まで農奴制がつづき,中国でも農地改革がおこなわれなかった。革命後のソ連や中国では,農地は国有化され,コルホーズ,ソフホーズ,人民公社などの集団農場が設立された。

ノーメンクラトゥーラや集団農場のテクノクラートは,短期的な計画の達成を重視するので,一時的には生産性が向上する。しかし,農民の永代耕作権が不安定なので,農民は農地への投資をおこなわず,収奪的な農業生産様式を採用する。このため,長期的には生産性が低下してしまう。

ソ連や中国の集団農場では,設立の初期には生産量が増大し,5か年計画の優位性や大躍進が宣伝されたが,その後の生産力の低下によって大凶作に見舞われた。大躍進後の中国では,1千万人以上の餓死者を出したといわれている。結局,集団農場は解体され,農家生産請負制や自作農化によって,生産性が向上した。


コルホーズ,1938年


人民公社の食堂,1958年

農業経営は,公営化,株式会社化などの集団化によって,一時的に生産性が向上する。それは,規模の優位性だけでなく,集団的な生産組織では,短期的な生産性の向上を重視して,土地収奪的な生産様式を採用するからである。集団化によって,個人の永代耕作権が不確定になると,農民は土地に投資しなくなり,持続的な生産様式を放棄してしまう。

逆に,株式会社などの法人組織であっても,血族集団による家族経営で,かつ農地を所有していれば,相続による永代耕作権が確定しているので,持続的な生産様式を採用する。

世界の持続的な農業生産の実現には,とりわけ「小農」が重要ということではない。耕作者の永代耕作権を安定させ,収奪的な生産様式ではなく,持続的な生産様式の採用を促すことが重要である。


アメリカノースダコタの家族農場。ネルソン農場は,ロジャーさん(上)と2人の息子のグレッグ、ロドニー(下)の3家族が共同で経営している。耕作面積は3600haで、うち2800haは借地(2003年当時)。中心の働き手は、ロジャー、グレッグ、ロドニーの3人で、周年の雇用は2人だけという

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“小農と家族農業 Small farm,Family farm” への 2 件のフィードバック

  1. 永続的な農地の所有が農地の生産性、ひいては農家の生産性に寄与すると言うのは良いレポートです。
    しかし私は、持たない経営と言う事で全て借地で賄う事で、作物に応じた適切な期間の投資に対して作物に最適化された収益環境を作ることで、特定の農地に縛られない、高品質の農作物と収益を得て、労働生産性を高めることで、農業労働時間を大きく抑えた豊かな生活を手にしております。
    もちろんこれは40年前に日本の一部から始まった、特殊事情のニッチなやり方でかもしれません。

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    1. この論は,土壌論と世界の食料生産の側面から,ひとつの歴史認識を提示し,制度(法)を論じたものです。法とは,国民全体の利益を最大化するためのルールのことであり,個々の農家の利益と一致しないのは当然です。とくに,消費者の利益と農家の利益は対立します。
      ここでは,農業経営については,述べていません。農業経営では,個々の農家が利潤を大きくすることが目的であり,土壌が肥沃になることや,作物が豊作になることは,農家の利潤とは全く関係がありません。むしろ逆であり,農家は,豊作の年は赤字になり,不作の年が儲かります。個々の農家は,自分の利潤を最大化するように行動するのが合理的であり,当然のことです。
      若いころに,全国の農村をまわっていましたが,茨城や群馬あたりに行くと,「産地投師」と呼ばれる人たちがいました。休耕している畑を借りて,白菜などを大規模に作付けます。数年間栽培して,畑の地力が落ちたり,連作障害が出ると,別の休耕畑を借ります。関東だけでなく,青森県など東北各地まで作付けに行っていました。時期をずらして大きなロットで出荷するので,卸,量販店,市場に対して有利に価格交渉できます。中国まで作付けにいく人もいました。それが一番儲かるのでしょう。
      また,先進国と途上国では大きく状況が違いますし,食料は国家の安全保障や豊凶など,さまざまな側面があります。日本には日本独自の状況があり,農耕の一般論だけで論ずることはできません。
      生物は,個々の個体の寿命が短かく,寿命のあいだに自分の利益を最大化しようと行動することは合理的です。しかし,未来を含めた種全体では,大きな損害を被ったり,資源が枯渇したりして,絶滅してしまうことがよくあります。
      農家は個性的でないと生き残れない(新しい技術は農家の収入を減らす)

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