銅製錬,イナンナの冥界下り,灰かぶり(シンデレラ) Copper smelting, Inana’s descent to the nether world, Cinderella

SHINICHIRO HONDA

銅製錬において,黄銅鉱から純銅を得る化学反応は,以下の化学式で示される。基本的な原理は,古代も現代も同じである。鉄の製錬が還元反応によって行われるのに対し,銅(硫化銅鉱)の製錬では酸化反応が基本になる。

溶融炉
4CuFe2S + 9O2 → 2Cu2S + 2Fe2O3 + 6SO2
2Fe2O3 + C + 4SiO2 → 4FeSiO3 + CO2
SiO2 + CaCO3 → CaSiO3 + CO2
鈹(マット)と鍰(スラグ)に分離
[Cu2S・FeS] ←→ [2FeO・SiO2]

転炉
Cu2S + O2 → 2Cu + SO2

現在の銅製錬は,大きく溶融炉と転炉の2段階で行われる。選別した黄銅鉱(CuFeS2)に,コークス(C),石灰石(CaCO3),ケイ酸(SiO2)を加えて溶融炉で溶融する。すると,鈹(かわ,マット)の上層に,鍰(からみ,スラグ)が分離する。鈹(マット)は,硫化銅と硫化鉄の混合物[Cu2S・FeS]で,鍰(スラグ)は酸化鉄とケイ酸の混合物[2FeO・SiO2]だ。

鈹(マット)を転炉に移して,酸素を吹き込み,硫黄や鉄などの不純物を酸化物にして取り除く。余分のケイ酸はケイ酸カルシウムにして分離する。ここまでで,98%以上の粗銅が得られる。さらに,精錬炉で,ブタンやアンモニアで還元し,酸素や硫黄をほぼ完全に取り除く。かつては,生の丸太を炉に入れて(Poling),水素,一酸化炭素などにより,酸化銅を還元させ,純銅を得ていた。

古代の銅製錬の方法について,西尾銈次郎氏は,次のように書いている。(*1)

勿論奈良朝,平安朝時代に於いては,頗る幼稚を極めたるものにして,地を掘り凹めたるのみか,又は其凹窪の周囲に天然石を配列せし位のものなるべきは,既記菅谷鐵山の例に據りても推量し得べく,又古代エジプト人が「地ヲ浅ク凹メ,其中ニしない銅山ヨリ採掘セシ銅鑛ヲ堆積シ鞴ヲ以テ送風シ製錬セシ」(De Re Metallica, p, 402 footnote)が如きと同一方法を執りしやは察するを得べけん。且つ木炭は古く石器時代にも用ゐられたるは今日屡々同時代に遺蹟より發見せらるゝにても知るべしと雖,此等は或は特に木炭として製造したるものに非ずして,樹木を焚燃せし際に生ぜし消炭なるやも知れず,聖武天皇天平十五年(紀元1403年)奈良東大寺の大佛鋳造に着手せられ,炭二十萬六千六百五十六斛(一萬三千六百八十餘石)を費し(東大寺大佛前版文)たるを見れば,既に木炭は奈良朝時代盛に使用されたるものなれば,當時銅鑛の製錬に於ても當然使用せられたるものと解して差支なかるべし。
前掲平安氏覺書に曰く,「祖父ヨリノ傳聞ニハ元禄年間眞吹方法發明セラレザリシ以前ニ於テハ銅鑛又ハ再三焙燒シテ銅ヲ尻抜キニナシタルモノナリ」とあり。蓋し往古銅鑛製錬なるものは前章銀の製錬の場合の如く,古代人民の思想として單に徹頭徹尾酸化作用を行いしものなるべしと思わる。乃ち先ず銅鑛を碎破して雜石を摘去し,優良たる黄銅鑛のみを集め,時を急がず,燃料を惜まず,勞力を厭はず,先ず燒鑛の作業をなし,成るべく多く硫黄分を酸化分離せしめ,次に素吹の作業に進みしものなり。
斯くて,素吹程度に遷れる燒鑛は盛に鞴風にて熾熱せられ,其鐵分の一部は此幼稚なる爐の底(地)及壁(圍ひ石)と結び付きて鍰(カラミ)となる。此鍰を次第に排除すれば,銅分は硫黄分と鐵分の一部と共に鈹(カワ)を作るべし。尚益々木炭を加ヘ,鼓風を施して,火力を熾にすれば,硫黄分は驅逐せられ,鐵分は幾分の銅を伴いつゝ銅鈇(ドブ)(含銅多き銅鍰)を作り,遂に粗銅を炉底に作るに至る。是即ち後世の所調眞吹(マブキ)の作業に相當するものなり。當時得られたる粗銅は,蓋し現代のものに比すれば,著しく粗悪なるものなりしならん。此の如く酸化製錬法に依りて得られたる銅には少量の硫黄を含有することはGowland教授及其他の靑銅時代の銅器を分析して証明せる(De Re Metallica, p.402 footnote)所なるも,本邦に於ては,銅鉾(鏡鑑,銅鐸は本邦より出土するも蓋し本邦製には非ざるべし)及古錢に就いては幾多分析せられたるも,硫黄分に就いては遺憾ながら不明なるも,必ずや少量の硫黄を残留し居るべしと思われる。(日本鉱業史要)


吹き床による銅製錬法の模式図(葉賀・佐々木, 1998)(*2)


推定される古代の銅製錬の工程(日本の場合)(*2)

ただし,アナトリアで始まった銅の製錬法は,硫化銅鉱の酸化製錬ではなく,酸化銅鉱の還元製錬とされている。銅を含む岩石でもっとも存在量が多いのは黄銅鉱である。しかし,地表面近くの黄銅鉱は,水,酸素,二酸化炭素などの風化作用によって酸化を受け,孔雀石,赤銅鉱,藍銅鉱などの酸化銅に変化する。


銅(Cu)の主な鉱物(オレンジ色太字:主要鉱物)(*3)


からみの中のCu/Sと製錬銅鉱石種の関係(*4)

中国製錬炉
中国,大冶銅緑山の銅精錬炉復元図,前7~3世紀(*5)

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イスラエル南部のティムナ渓谷では,銅鉱石が豊富に産出し,BC4000年からローマ時代にかけての鉱山跡と銅製錬の跡が残されている。

BC4000年頃のサイト39では,スラグの塊が集中する場所から,南アラバ地方で最古の銅製錬炉が見つかっている。それは,単純な地面の穴の形で,穴の周りは小さな石で補強されていた。スラグの分析から,この製錬炉では,半液体スラグからの銅の重力による分離と,炉の底でインゴットの形成に必要な炉の製錬条件に到達するのに,十分な効率のよい吹子を持っていなかったとしている。吹子は,中東地域でベドウィンが多く飼育している山羊の皮で作られたと考えられている。(*6)


サイト39b,石灰岩の銅製錬炉

南アラバでの銅の生産は,前14世紀末から前12世紀中期には,巨大な銅産業に発展していた。そのころの,ティムナ渓谷最大の製錬所の1つであるサイト2では,直径35~50 cmの大きなスラグ「ケーキ」の山がいくつも存在する。中心に丸い穴があるスラグの山もあり,スラグを持ち上げるために開けられた穴と考えられている。

穴があるスラグの山の近くから発見された炉は,深さ40 cm直径40cmほどで,厚い粘土のモルタルで囲まれていた。炉の上部は,地表面から突き出ており,ドーム状のキューポラ型の炉床を覆っていた。製錬炉の上部には,厚いスラグ層が付着しており,炉壁の下方にもスラグが見られた。また,直径約10cmの陶器の管が,炉の背面壁から炉の底部に向けて,斜めに貫通していた。この羽口と吹子は,少なくとも2つあったとされている。

製錬炉の前には浅い窪みがあり,窪みをはさんで長さ80cmの石が置かれており,ここに,スラグを流出させたと推定されている。あらかじめ用意されたスラグ口はなく,製錬の終わりに,炉壁に穴をあけて流動スラグを流出させたと考えられている。


中央に穴が開いたスラグ「ケーキ」,サイト2


キューポラ型製錬炉,FIV,サイト2,製錬炉の前にスラグピットがある


完全なスラグ「ケーキ」,サイト30,層1,サイト30からの羽口,左側は層3–2の小さなタイプ,右の大きな羽口は層1のもの


ティムナ炉復元図, BC4000年頃(左),BC1000年頃(右)(*6)

なお,サイト2の層2では,複数の鉄のブレスレットが見つかっている。分析によって,この鉄は,銅製錬の過程で,鉄鉱石を融剤として使用した副産物として生成したものという。また,銅インゴットの調査では,条件によって,銅インゴットの上面に鉄の層ができることが判明している。銅インゴットの上面にできた鉄は,実用的な錬鉄であるという。また,鉛同位体の測定により,サイト2の鉄,およびティムナ鉱山神殿で発見された宝飾品の鉄は,ティムナの銅製錬炉で製造されたことが確認されている。

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長登銅山は,7世紀末から9世紀末まで,官営の銅鉛鉱山として操業していた。長登銅山で生産された銅は,東大寺大仏の建造に利用されたことが知られている。

長登銅山からは,選鉱のための要石や磨石,炉跡,木炭を多含するカラミの大塊,羽口,炉壁,鉱石,銅塊,カラミや鉛が付着した土師器,木炭,粘土採掘坑跡,るつぼ,鹿の頭骨,皮なめし用の軽石,大量の木簡などが出土している。(*7)

ただ,当時の製錬法については,諸説があり,竪型炉(シャフト炉)による酸化銅鉱の還元製錬,地炉による硫化銅鉱の酸化製錬,るつぼ炉による酸化銅鉱の製錬および製品銅の溶解などが提案されている。

近年の長登銅山の銅製錬実験の報告では,次のように報告されている。(*8)(*9)

内径32cm高さ1mの竪型炉を作り,チリ産酸化銅,長登産褐鉄鉱,石灰,木炭を,予熱した炉に交互に投入し,送風する。酸化銅鉱石には,酸化銅と二酸化ケイ素が含まれるが,二酸化ケイ素と酸化鉄を反応させて,スラグ(鉄カンラン石)として溶融させる。石灰は,スラグの溶融温度を下げる作用がある。

酸化銅は,木炭の燃焼によって生じた一酸化炭素によって還元されて金属銅になり,スラグの下に溜まる。鉱石と木炭の投入を繰り返すと,炉内には,金属銅とスラグが溜まっていく。炉底から5cmほど上の炉壁に,カラミ口を開けて,スラグを炉外に流出させる。これを何度か繰り返し,最後に炉底に湯口を開けて,金属銅を流出させる。炉底にも金属銅が残る。

送風が不十分で炉内の温度が低いと,スラグが溶融せずに固まってしまい,温度が高すぎると酸化鉄が還元されて金属鉄が生成し,金属銅が分離しないという。


大切谷の各所で見られるスラグ(Author:のりまき)

長登で生産された銅の納入先は,長門国司の三等官,四等官の掾,少目,二□郷銭司料,太政大殿,大殿,節度使判官犬甘,左官膳大伴□,□官乙□,官布直,□笠殿,膳大伴百嶋とあり,公機関,官人,豪族らに納められていた。「太政大殿」は,藤原不比等の死後の位であり,藤原家に送られたと考えられている。(*7)

なお,森 博達氏は,日本書紀の成立について論じ,日本書紀完成時の最高実力者は,藤原不比等(中臣鎌足の子)であり,日本書紀の書き換えの主導者は不比等と推定している。(*10) (*11)

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『イナンナとエンキ』の神話では,エンキ神は,ビールで酔った勢いで,イナンナに神の力を渡してしまった。『イナンナの冥界下り』では,イナンナは,エンキから得た神の力で冥界に下り,エンキの力で冥界から戻る。

エンキ神が,イナンナに与えてしまった神の力は,多岐にわたる。神話に書かれているのは,英雄,権力,邪悪,正義,都市の略奪,嘆きの声,喜び,欺瞞,反逆者の土地,優しさ,移動,定住,大工の技術,銅細工の技術,書記の技術,鍛冶屋の技術,革細工師の技術,毛織物の工芸品,建造者の工芸品,リード奏者の工芸品,知恵,注意力,聖なる浄化の儀式,羊飼いの小屋,輝く木炭を積み上げること,羊飼い,敬意,畏敬,敬虔な沈黙,火の点火,火の消火,重労働,神官の主人の官職,ラガル神官の官職,神性,偉大な神冠,王位,高貴な笏,職員と羊飼いの杖,高貴なドレス,王権,エギジ神の官職,ニンディンギル神の官職,イシブ神の官職,ルマフ神の官職,ダドゥ神官の官職,不変性,冥界への往来,クルガラ神官,剣と戦棍,儀礼役人のサグウルサグ,黒い衣,華麗な衣服,髪型,軍旗,震え,性交,接吻,娼婦,率直な言葉,欺瞞的な言葉,壮大な言葉,聖なる娼婦,聖なる居酒屋,神聖なニギンガル神社,天の神殿娼婦,大きな楽器,音楽,尊い老い,激しい労働,家族,子孫,戦争,勝利,忠告,慰め,判断,意思決定,女性の魅力などである。

これらの神の力のなかで,冶金に関すると思われるものは,銅細工の技術,鍛冶屋の技術,革細工師の技術,輝く木炭を積み上げること,火の点火,火の消火,高貴な笏(吹子の羽口?)などだ。

イナンナは,エンキから神の力を得て,冥界に下る。イナンナが冥界に下るときに,身に着けたものは,ターバンと国を開くためのヘッドギア,額にかつら,ラピスラズリのビーズ,双子の卵形のビーズ,婦人のドレス,「男を来させ,彼を来させる」と呼ばれるマスカラ,「さあ,来て」と呼ばれる胸飾り,金の指輪,ラピスラズリの測定棒と測定縄である。


Sumerian necklaces and headgear discovered in the royal (and individual) graves of the Royal Cemetery at Ur (Source/Photographer:JMiall)


Jewellery PG 580


Scepter, tomb PG 1236. Royal Cemetery at Ur (Author:Gary Todd)

これらは,何のことかさっぱりわからない。しかし,イナンナの姉で冥界の神エレシュキガルは,冥界の七つの門を閉め,門を一つ開けるごとに,イナンナが身に着けた物を取り去り,最後は裸にした。これは,銅鉱石の選鉱のことである。

イナンナは,冥界で死の宣告を受けて,死体はフックに掛けられた。イナンナの従神ニンシュブルは,エンリル,ナンナ,エンキに,イナンナを生き返らせるよう頼むが,このとき,「貴重な金属を冥界の塵と合金化させないでください」という言葉を何度も繰り返している。

すなわち,『イナンナの冥界下り』は,銅冶金における選鉱と銅製錬のメタファーとして書かれた神話である。神話のなかで,同じやりとりを何度も繰り返すのは,鉱石と木炭の投入やスラグの流出作業を繰り返すという意味である。

姉が冥界の神,妹が豊穣と性愛の神,姉妹の確執,冥界の塵の中から貴重な金属が生まれるなどの内容から,『イナンナの冥界下り』は,最古の灰かぶり(シンデレラ)の話であることがわかる。(神話 Myth

炉(竃,子宮)に開けた穴から先に出る(生まれる)のが姉で,姉は,スラグ=エレシュキガルである。竈の灰の中に残るのが妹で,妹が,銅インゴット=ロゼット=イナンナである。


Copper ingots from Hazor (Section drawings and photos, courtesy of the Hazor expedition).( *13)


Plate from PG 789. Royal Cemetery at Ur

追記
イナンナ(INANNA),インゴット(ingot),英語のin,漢字の因,院,隠,印は同根であろう。

文献
*1) 西尾銈次郎. (1943). 日本鉱業史要. 十一組出版部.
*2) 佐々木 稔. (2004). 古代西アジアにおける初期の金属精錬法. 西アジア考古学第5号p1-10.
*3) 山口大学工学部学術資料展示館. 銅鉱.
*4) 新井 宏. (2000). 金属を通して歴史を観る 15 奈良大仏の銅の製錬. Boundary.
*5) 林 巳奈夫. (2009). 中国古代の生活史. 吉川弘文館.
*6) Beno Rothenberg. (1995). RESEARCHES IN THE SOUTHERN ARABAH 1959–1990 Summary of Thirty Years of Archaeo-Metallurgical Field Work in the Timna Valley, the Wadi Amram and the Southern Arabah (Israel). Arx 2–3 (1996–97), 5–42.
*7) 池田善文. (2004). 古代の美祢. 美東町史・通史.
*8) 中西哲也. (2012). 生産遺跡における製錬スラグの科学的分析と体系化に関する研究. 研究成果報告書.
*9) 中西哲也. (2018). 奈良時代の古代銅製錬に挑む. 九州大学総合研究博物館ニュース.
*10) 森 博達. (1999). 日本書紀の謎を解く―述作者は誰か. 中央公論新社.
*11) 森 博達. (2011). 日本書紀成立の真実 書き換えの主導者は誰か. 中央公論新社.
*12) Black, J.A., Cunningham, G., Fluckiger-Hawker, E, Robson, E., and Zólyomi, G., The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature (http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/), Oxford 1998-.
*13) Yahalom-Mack, Naama & Galili, Ehud & Segal, Irina & Eliyahu Behar, Adi & Boaretto, Elisabetta & Shilstein, Sana & Finkelstein, Israel. (2014). New Insights into Levantine Copper Trade: Analysis of Ingots from the Bronze and Iron Ages in Israel. Journal of Archaeological Science. 45. 10.1016/j.jas.2014.02.004.

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