中国北部の新石器時代1 Neolithic in Northern China

SHINICHIRO HONDA

人間の社会の変化や集団間の関係を知るには,年代の確定がとても重要だ。中国の歴史や考古学の文献を読んでいると,遺跡の年代について複数の説が存在し,過去に発表された年代と,近年の論文の年代とでは,大きく異なる。なので,古い文献に書かれている遺跡の年代を,あまり利用できない。

じっさい,年代の決定は簡単ではない。2003年に,国立歴史民俗博物館は,弥生時代の始まりは従来考えられてきた前5~4世紀ではなく,500年も古い前10~9世紀と発表した。日本各地の縄文時代の遺跡からは,イネなど穀物のスタンプ痕を持つ土器が多く見つかっている。そのため,以前から,弥生時代の始まりはもっと古いのではないかと思っていたので,歴博の発表自体に驚きはなかったが,年代決定の難しさのほうに驚いた。

ラボックは,磨製石器の出現を,新石器時代の始まりとした。チャイルドは,新石器時代の開始は,農耕の開始であるとし,磨製石斧,土器,織物,定住集落の出現をその指標とした。

しかし,磨製石斧は日本列島やオーストラリアでは,4~3万年前に現れる。磨製石斧は樹を伐るための道具である。石の刃の表面を滑らかに磨かないと,摩擦抵抗が大きくて,硬い木の繊維の中に,石が食い込んでいかない。磨製石斧は,西アジアやヨーロッパでは,定住して樹を伐る生活様式に対応している。一方,日本列島では,木の舟を作るために石斧を使ったので,磨製石斧は漁撈の生活様式と対応している。

土器についても,西アジアでは,定住および農耕の開始後に土器が現れるが,東アジアでは,狩猟採集段階で土器が現れる。東アジアの土器は,魚の油脂の保存食を作るために使われたと考えられる。また,日本列島で発見されている最古の定住集落は,9,500年前(縄文時代早期)の上野原遺跡であり,日本で農耕が始まるはるか前である。

日本では,磨製石器,土器,定住集落の出現は,農耕の開始と対応しないので,土器の出現を「縄文時代」,稲作農耕の開始を「弥生時代」と呼称する。

中国考古学では,西アジアと同様に,農耕の開始を新石器時代としている。しかし,中国南部では,2万年前から土器が出現することから,中国南部は,日本列島と同じような,漁撈に依存する生活文化が存在していたと思われる。今後,中国南部での考古学調査が進めば,4~3万年前の磨製石斧が見つかるのではないだろうか。

時代区分の呼称は,言葉が同じであっても,国によって定義がバラバラでわずらわしい。人間の文化進化がタブー視されていることも,ややこしさを増幅している。しかし,時間の進行は非対称であり,情報が蓄積し増大することは歴史の現実である。ここでは,人間の社会構造と運動について,おおむね,以下のように考える。

段階 運動 生業 延長された表現型
拡散 拡散遊動 狩猟,採集
平衡テリトリー・非貯蔵 テリトリー内遊動 管理狩猟,管理採集 ヒト化
平衡テリトリー・貯蔵 定住+テリトリー内遊動 管理狩猟,管理採集,貯蔵 ヒト化
平衡テリトリー・初期農耕 定住+テリトリー内遊動 管理狩猟,管理採集,貯蔵,初期農耕 ヒト化,栽培化

西アジアの考古学では,旧石器時代は180万~1万年前で,下部,中部,上部,終末期(中石器)に分けられる。終末期旧石器(中石器)は,ケバラン,幾何学ケバラン,ナトゥーフィアンに区分される。

西アジアでは,新石器時代になっても,すぐに土器があらわれなかったので,イェリコを調査したケニヨンは,土器があらわれる前の期間を先土器新石器時代(Pre-Pottery Neolithic:PPN)と名付けた。PPN期は,PPNAとPPNBの2期に分けられ,栽培型のイネ科植物やマメ科植物があらわれるのは,PPNB期になってからである。PPN期の文化の特徴として,次のことがあげられている。

・集落の大規模化。PPNA期で3ha,PPNB期では16haの集落もある
・日干しレンガ,石灰プラスターを使用する。方形家屋が登場する
・石柱やシンボルの建造
・人の頭蓋骨を祭る
・磨製石斧,尖頭器,錐などの石器
・フリント製の鎌

中国の考古学では,旧石器時代は,早期(70~10万年前),中期(10~3.5万年前),晩期(3.5万~9000年前)に分けられる。早期はホモ・エレクトス,中期はデニソア(Homo sapiens ssp. Denisova)およびサピエンス,晩期はサピエンスに対応していると考えられる。旧石器時代の次は,中石器時代としているが,中石器時代の出土例は少ない(山西省下川遺跡など)。

中国の考古学者は,農耕の開始を新石器時代としており,農耕の開始の指標は,栽培植物の登場と考えているようである。しかし,これまで見てきたように,ヒト型植物と栽培型植物を,出土した穀粒から判別するのは不可能である。

たとえば,宮本一夫氏は,河北省磁山遺跡について,「この時期すでにかなり成熟した農耕社会へと転化してしたことを示しており,農耕出現期直後の状況ではない」としている(*1)。一方,岡村秀典氏は,「河北省磁山遺跡ではアワなどの穀物が充填した貯蔵穴群が発見されているが,狩猟・漁労・採集といった自然に依存する生業がなお相当の比重を占め,世帯を単位とした数十人ほどの小さな集団が,一定期間をおいて定住と移動をくりかえす農耕社会の萌芽段階であった」としている(*2)。

物質と時間が連続的であるのか非連続であるのかよくわからないが,人間の運動の時間から見れば,植物の遺伝的変異は連続的である。アワやキビの遺伝的変異である「ヒト化」は,テリトリー遊動段階から始まっており,種を播いて土を被せるという,初歩的な栽培行為も,結婚して集団を移動する女性たちによって,テリトリー遊動段階から始まっていた。

ただ,アワやキビは,通年での定住が難しい乾燥ステップで,長期に優占する植物である。このため,アワ,キビの本格的な農耕が始まるのは,水が通年で得られる場所で,貯蔵と定住が始まってからと思われる。

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人間が,自然物を粉状に粉砕するための石器を利用し始めたのは,オーカーを作るためであり,その開始は20~30万年よりも古い。一方,イネ科植物の子実や塊根などを粉状に粉砕するための石臼が出現するのは,3~4万年前である。(西アジアの旧石器時代

イタリア南部のパグリッチ洞窟では,中部旧石器時代の石器,ビャクシン,ピスタチオ,スモモ,ドングリ,マツ,ヤナギ,ポプラ,カエデ,ナツメ,トネリコなどの植物が出土している。3.3万年前の層から出土した石杵には,イネ科植物の澱粉が付着していた。野生のカラスムギなどの子実をすりつぶして,食料にしていたと報告されている。

イタリア中部のビランチーノ遺跡では,3万年前の石杵,石臼が出土し,それらに付着した澱粉の分析から,イネ科植物,ミナトカモジグサ属植物,ガマの根茎などが加工されていたという。(*3)


(A) Bilancino II grindstone and pestle grinder and wear traces. (B) Kostenki 16-Uglyanka, pestle and wear traces (C) Pavlov VI pestle grinder and wear traces. (PNAS November 2, 2010. 107 (44) 18815-18819) (*3)

ロシア南部のコステンキ遺跡では,3万年前の石杵の表面から,ハナワラビ属の根茎の澱粉が確認され,チェコのパヴロフ遺跡では,3万年前の石杵に,ガマの根茎,シダ植物の根茎の澱粉が付着していた。

オーストラリアのカディー・スプリングスでは,3万年前の粉砕用の石器が出土している。使用痕や残滓の分析から,草木の子実をすりつぶして食用にしていたとされている。(*4)


Surface grindstone from the Cuddie Springs lake floor with morphology, usewear and residues consistent with a seed-grinding function: a millstone according to the classifications of Smith.(Photo Carlo Bento.) (Antiquity 71, 300–307) (*4)

ガリラヤ湖の南西海岸のオハロⅡ遺跡(2.3万年前)では,玄武岩の板の表面から150個の澱粉粒子が回収された。そのうちの127個がイネ科植物であり,78個がオオムギ,コムギ,タルホコムギ,およびカラスムギに由来するという(*5)。(西アジアの上部旧石器時代


Ohalo II Locus 1 slab, view of the upward-facing surface. Starch grains were retrieved from this face (Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2015 Nov 19) (*5)

アフリカを出たサピエンスは,マンモスや海獣を追って,ユーラシア,オ-トラリア,新大陸に拡散した。拡散遊動期に,イネ科植物の子実を食べていたかどうかはわからないが,拡散遊動段階で,穀物を粉にする石臼ができることはない。石臼は,穀物を石器で何年も継続して粉砕することで,形成されるからだ。

狩猟採集民は,キャンプを移動するときに,重い石臼や磨石を持っていかない。植物の子実や塊根を磨りつぶす石器の存在は,毎年,有用植物が実る時期に,同じバンドが,同じ場所でキャンプを設け,子実や塊根の採集と加工を,長期に繰り返していたことを意味する。

石臼の存在は,その地域では,拡散遊動が終了し,集団はテリトリーを形成して,テリトリー内を,キャンプを設けながら遊動する生活様式に移行したことを示している。すなわち,植物を粉砕する石臼が出土するところでは,周辺の環境で,採集植物の遺伝子変異(ヒト化)が始まっていたことが予想される。

ちなみに,日本列島で,石皿,磨石が出土するようになるのは,縄文時代草創期の遺跡である。鹿児島市の約11,500年前の掃除山遺跡からは,竪穴住居跡2棟,煙道付炉穴,調理用の炉,多数の隆帯文土器,石皿,磨石,石鏃,石斧,石核,楔形石器,剥片石器など2,000点あまりが出土している。掃除山遺跡は,定住集落ではなく,遊動する狩猟採集民の一時的なキャンプ地と考えられている。

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中国大陸の旧石器時代において,植物の子実や塊根を粉砕するための石器は,陝西省龍王辿遺跡,山西省沁水県下川遺跡,山西省柿子灘遺跡などで見つかっている。

山西省柿子灘遺跡(Shizitan site, 23,000 – 19,500 cal. B.P.)から出土した3つの粉砕石器(grinding stone)には,澱粉粒が残留していた。澱粉粒の分析から,コムギ連,キビ連,ササゲ,ヤムイモ,キカラスウリの塊根などを,石器で粉砕加工していたと報告している。当時は最終氷期の最寒冷期であり,気候は乾燥して寒く,周辺の環境は草原であったという。(*6)

ただし,粉砕に使用した石の大きさや形状を見ると,大量のイネ科植物の穀粒を,脱稃したり粉砕したりできるものではなく,食料としての穀物の利用は,限定的であったと思われる。


Fig. 1. Site location and artifacts analyzed. (A) Major localities of the Shizitan site cluster in Jixian, Shanxi. (B) Grinding stones analyzed and sampling locations on the tools. (*6)

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河北省徐水県の南荘頭遺跡(Nanzhuangtou site)では,中国北部で最も古い土器が出土することで知られている。石器,骨角器,15点の土器片,磨盤,磨棒,多くの植物遺体,シカ科を主体とする野生動物の骨が出土している。2012年の報告では,遺跡の年代は,11,500 – 11,000 cal BPとされている。(*7)

出土した磨盤と磨棒の2つからは,400個以上の澱粉粒が回収された。このうち255個はイネ科植物の澱粉粒で,うち205個はキビ連植物の澱粉に特徴的な形状であるという。キビ連澱粉のうち,野生キビ連の特徴であるしわのある表面と粗い角の澱粉粒は38%で,栽培キビ連に特徴的なサイズが14μmを超える澱粉粒は,46.8%を占めたと報告されている。


Fig. 1. Location of study region and archaeological sites. The Nanzhuangtou and Donghulin sites are indicated by the red rectangle and triangle, respectively (Right). The red star is the locality of Beijing, and the red dots are the localities of other sites mentioned in the text. The light-to-dark green shading indicates low-to-high elevation. (*7)


南荘頭遺跡出土の磨盤,磨棒

一方,東胡林遺跡(Donghulin site)は,北京市の西方78kmの山間地に位置し,初期(11,150 – 10,500 BP)と後期(10,500 – 9,450 BP)の2層からなる。多数の石器,粉砕用の石器,土器の破片,アカシカ,イノシシ,ツキノワグマなど10,000以上の骨片,埋葬された1体の人骨が出土している。植物では,エノキ,キビ,アカザ,ブドウ,ササゲ,ドングリの種子や炭化した種子が回収された。

植物の粉砕に使用した2つの石,炭化残渣,堆積物から,793以上の澱粉粒が回収され,うち742個はイネ科植物の子実由来の澱粉粒であった。742個のうち525個がキビ連植物由来の澱粉であり,217個はコムギ連植物の澱粉であった。

キビ連のうち,初期層では,野生キビ連の特徴である,表面にしわがあり角が粗い澱粉粒が32.3%を占めていた。後期層では,澱粉粒の14.9%がしわがあり角が粗い澱粉粒であった。14μm以上の澱粉粒は,初期層の36.2%から,後期層では51.4%に増加した。


Fig. 4. Site assemblage compositions of diagnostic characteristics of millet starch grains. From left to right, Nanzhuangtou (NZT), the early occupation of Donghulin (DHLE), and the late occupation at Donghulin (DHLL). The blue and red graph shows the ratio of starch grains with wrinkled surfaces to those that are smooth. The yellow graph shows the ratio of starch grains that are >14 μm to those <14 μm.

報告者は,キビ連の遺伝子変異は,11,000 BPにおけるキビ連の栽培管理に起因している可能性があると主張している。しかし,南荘頭,東胡林とも,貯蔵跡や長期の住居跡が無く,農具も存在しない。穀物の粉砕に使用した石器の数もわずかだ。食料に占めるキビ連穀物の利用は限定的で,栽培が行われていたとは思われない。

周辺の地質や地形を見ると,南荘頭の北方100kmには広大な火山岩地帯が存在し,気候区分は夏に雨が降るステップ気候帯である。アワやキビが長期に優占する場所が,テリトリー内に存在し,夏期にキャンプを設けて,キビやアワを採集したのであろう。一方,南荘頭遺跡の東側には,大きな湖沼地帯が存在するので,冬期は湖沼近くでキャンプを設け,魚貝類を捕獲し,土器で油脂を保存加工していたと考えられる。


中国北部の地質

テル・アブ・フレイラのライムギと同様に,南荘頭,東胡林では,テリトリー遊動によるキビの長期的な繰り返し採集によって,キビの遺伝子変異(ヒト化)が生じていたと考えられる。

文献
*1) 宮本一夫. 2005. 神話から歴史へ 神話時代夏王朝, 中国の歴史. 講談社.
*2) 岡村秀典. 2008. 中国文明農業と礼制の考古学. 京都大学学術出版会.
*3) Anna Revedin, Biancamaria Aranguren, Roberto Becattini, Laura Longo, Emanuele Marconi, Marta Mariotti Lippi, Natalia Skakun, Andrey Sinitsyn, Elena Spiridonova, and Jiří Svoboda. (2010). Thirty thousand-year-old evidence of plant food processing. PNAS, 107 (44) 18815-18819.
*4) Fullagar R, Field J. (1997). Pleistocene seed-grinding implements from the Australian arid zone. Antiquity 71, 300–307.
*5) Laure Dubreuil, Dani Nadel. (2015). The development of plant food processing in the Levant: insights from use-wear analysis of Early Epipalaeolithic ground stone tools. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci, 370(1682).
*6) Li Liu, Sheahan Bestel, Jinming Shi, Yanhua Song, Xingcan Chen. (2013). Human exploitation of plant foods in LGM China. PNAS, 110 (14) 5380-5385; DOI: 10.1073/pnas.1217864110.
*7) Xiaoyan Yang, Zhiwei Wan, Linda Perry, Houyuan Lu, Qiang Wang, Chaohong Zhao, Jun Li, Fei Xie, Jincheng Yu, Tianxing Cui, Tao Wang, Mingqi Li, Quansheng Ge . (2012). Early millet use in China. PNAS, 109 (10) 3726-3730; DOI: 10.1073/pnas.1115430109.

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