私的所有1,資源,生産手段,債権,商人 Private property, Resource, Means of production, Obligation, Merchant

SHINICHIRO HONDA

人間は,超協力タカ派戦略である。このため,もともと,人間の社会では,資源の私的所有は認められない。「私的」というのは,「排他的」,「独り占め」ということである。一方,生産手段については,私的に所有することが容認されている。生産手段の根源は「技術」であり,技術は,「情報化されたエネルギー」(小さなエントロピー)を獲得するための情報(知)のことである。

サン族やアボリジニの社会では,テリトリーの土地やテリトリーから得られる資源を,私的に所有することはできないが,生産手段および武器である槍や弓矢を,私的に所有することは容認されている。(非貯蔵社会における資源分配

サン族:「キャンプに運ばれた肉は,まず最初に,狩猟に参加した数人の人々の間で第一次の分配が行われる。その場合,狩猟に参加しなくても,たとえば,獲物が,射手に預けてあった自分の矢で射られた場合などのような,何らかの理由で,第一次分配に参与できることもありうる。第一次分配については,男たちのうちの年長の者がこれをとりしきり,肉塊の山を中心にぐるりとまわりをとり囲んで座りこんだ人々は,それらの肉塊が,それぞれの家族の取り分としてふり分けられていくさまを見守りながら,『あちらのあばら肉の部分を少し切りとって,こちらの山につけつけ加えた方がよい』などといったことをわめきたてる。」(*1)

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Bush-Men Hottentots armed for an Expedition, 1804

アボリジニ:「ハンターは獲物を獲った後,獲物を自らの所有物とすることは許されず,別の人がそれを接収し,分配を行う。ハンターは自らがしとめた獲物の部位で最悪の部分しか入手することができないうえに,それ以外の部位の分配を行うことも許されていない。実際に獲物の分配を行い,その部分を受け取るのは,ハンターの姻族,義理の父,義理の兄弟であり,その次がハンターの兄弟である。獲物に最初に命中した槍の所有者であるハンターは,最後に残り物を得るに過ぎないのである(Testart 1987: 292)」(*2)

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An Aboriginal encampment near the Adelaide foothills in an 1854 painting by Alexander Schramm

アカ族:「狩猟された獲物の所有者(konja)は,最初にその動物に何らかの打撃を与えた道具の所有者(konja)である。例えば集団槍猟では,たとえ致命的ではなくても最初にその獲物に一撃を与えた槍の所有者(必ずしもハンターとは一致しない)が獲物の所有者である。ネットハンティングでは,獲物のかかったネットの所有者が獲物の所有者であり,罠猟では罠の所有者(ワイヤーの所有者)が獲物の所有者である。肉の分配は3つの段階にわけられる。まずはじめに,解体された肉の特定の部分は狩猟において果たした役割に応じてハンターの間で分配される(第一次分配)。(中略)この分配には義務的で厳密な規則が存在する。第一次分配で分配される肉はmo .bandoと呼ばれる。獲物のどの部分がmo.bandoにあたり,どのような役割を果たした人がどの部分を受け取るかは狩猟方法と獲物の種類によって決まっている。捕獲された動物の肉はキャンプ内のあらかじめ決められた場所や決められた人に集められてから分配されるわけではない。一般的には,その獲物のkonjaもしくは彼の近親者が獲物を解体し分配する。獲物のkonjaや第一次分配で分配を受けた人はその人の判断に基づいてさらに分配をおこなう。この第二次分配は義務的ではなく,また厳密な規則もない。分配の対象者には調査者としてキャンプに滞在していた筆者や一時的な訪問者も含まれた。(中略)肉の第二次分配においては,肉が特定の家族や個人,あるいは特定の親族集団やある一部の位置の住人に集中しないように,キャンプ全体に肉を分けようとしている傾向があるといえよう。肉を分配する人は,キャンプ全体を視野にいれて分配の相手を選択していると考えられる」(*3)

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Aka Pygmies in the Congo basin in 2014

アカ族では,「最初にその獲物に一撃を与えた槍の所有者が獲物の所有者」と表現されているが,より詳しく言うと「槍やネット(生産手段)の所有者に,獲物(獲得資源)の排他的分配権がある」ということである。

同じ「獲物」であっても,自然の状態で生きて運動している獲物と,槍で捕獲した後の獲物では,人間との関係が全く異なる。資源には,「自然に存在する資源」(存在資源)と,人間の行為(運動)と生産手段によって「獲得した資源」(獲得資源)がある。

「所有」とは,資源や情報の排他的管理のことであり,排他的管理には,排他的分配,排他的保蔵,排他的使用,排他的消尽,排他的処分,排他的世襲などの排他的行為がある。また,「権利」は,他者との関係における,未来の行為の期待である。「権利がある」とは,未来の行為を他者から容認される期待が,存在するということである。

排他的管理={排他的分配,排他的保蔵,排他的使用,排他的消尽,排他的処分,排他的世襲,・・・}

原初的な社会では,存在資源および獲得資源の私的所有(排他的管理)は容認されないが,生産手段の私的所有(排他的管理)および獲得資源の排他的分配は容認される。

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「土地」は,狩猟採集民にとってはテリトリーであり,土地の上に直接的に資源(食料や道具)が存在するので,土地と資源はほぼ同じ意味である。一方,農民にとって,土地はテリトリー(資源)でもあるが,草原や原野など天然資源が直接に得られない土地を開墾して農地にすれば,その土地(農地)は生産手段に転換する。

初期社会では,資源(テリトリーとしての土地)の私的所有は禁止であるが,生産手段(農地としての土地)の私的所有は容認される。つまり,土地の私的所有が始まったのは,農耕や牧畜が始まって以降ということである。しかし,土地の私的所有が容認されるのは,人間が農耕を開始してから,かなりのちのことである。

サーヴィスは,上部ナイル河のヌアー族について,次のように書いている。

「ヌアー族には,恒久的な土地の権利というものはない。村は村人全部に土地がわたるように,その用地を選ぶ。ウシは,個人個人が所有するので(ウシは非常にだいじに扱われており,実際,家族同様である),家族によってウシの保有数にいくぶん差ができる。この差はその持ち主の威信と密接に結びついているものの,生活水準のいちじるしい差を生じることはない。村のなかで,さらには近隣の村どうしでも,ものを分けあうことがきわめて多く,全集団がたくわえた食糧を共有しているような印象をうけるほどである。たまたま運がよいか,あるいはほかの人よりウシが多かったり,すぐれていたりして,めぐまれぬ人たちにものをやることができる人はだれでも特権者ということになる。」,「ヌアー族全体は,各々平均五〇〇〇人ほどの八ないし九の大部族と,それよりはるかに小さな数個の部族に分かれている。しかし部族は,共有地を防衛し,一つの呼称のついた集団であり,愛国心と帰属感を表明し共同行動をする人びとの最大単位である。ヌアー族の部族どうしは混乱状態にあり,彼らは共通の言語と文化をもついう意味では同一民族であるが,政治的な意味では民族とはいえない。」(*4)

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Nuer village, 1862

また,井上 真氏は,ボルネオのケニァ族の土地所有制度について,以下のように報告している。

「言うまでもなく,焼畑耕作をおこなうためには土地が不可欠であり,その土地の保有に関しては,社会的にある決まりができている。まず,一番最初に原生林を伐開して焼畑をつくった人が,その土地の占有権をもつ。つまり先占取得が基本原則である。ただし,他の人も占有者の許可を得れば,無償でその土地を利用することができる。なお,用材林の伐採に関しては,他人の焼畑跡地であっても他人がつけた山刀による目印がないかぎり,占有者の許可なしで利用できることになっている。燃料は自由にどこからでも採集することができる。相続にも,一応の基本原則がある。親が原生林を最初に使ったときに同居していた子供全員に,同等の相続権が与えられるのである。したがって,結婚してすでに家を出た子供は,親と同居中に開いた土地に対してのみ相続権をもち,それ以後開かれた土地の相続人とならない。ただし,相続人から許可を得れば無償で利用できる。さらに相続人(単数でも複数でも同じ)の子供は全員が同等の権利をもつ。しかし,相続権に関して劣位にある他の孫たちも,許可を得ればこれまた無償で焼畑用地として利用できる。これら相続の原則は,本人および周囲の者が正確に認識している土地に限られるので,誰の所有か忘れられた焼畑農地は,村の保有地となる。自分が若い頃使った土地を忘れる人が結構多いこと,および三代目になると一つの土地に対する保有者数が多数にのぼることを考えると,相続は非常に曖昧なものであるといえる。第三の原則は,村からどこかへ移住して出て行った人の焼畑跡地が村の保有地となることである。このほか,伝統的にケニァ族の村では,一種の保安林を設定している。ロングハウスや丸木舟用の板,屋根の木板瓦,棺桶用の木などを残しておくため,焼畑利用が禁じられている森林である。(中略)上記の土地保有制度の典型例はロング・アンプン村でみることができる。しかし,ロング・ペタオ村では,あまりにも急激な人口流出のため,基本的変化はないもの,土地保有制度の後退が見受けられる。この村の人々は,毎年全員が同じ地域にまとまって焼畑を作るので,各人の焼畑跡地は全員によって正確に認識されている。しかし,かなりの人口流出の結果多くの焼畑跡地の二次林が村の保有となっていること,および現在の一二家族全部が血縁関係にあって共通の相続地が多いことから,本人の焼畑跡地以外の二次林はすべて全員の共有地的な認識となっている。(中略)したがって,原則的には個人による占有権の概念はあるものの,焼畑跡地の個人保有は意味をなしていないのが現状である。かつては個人の占有権が認められていなかったというから,むしろその状態に近いのである。」(*5)

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古代のメソポタミアで,王が登場するのは,初期王朝期(BC2900-BC2350)とされている。ウルク第3王朝の王,ルガルザゲシの花瓶碑文には,「すべての国の主人エンリルが,ルガルザゲシに土地の王権を与えたとき,彼は土地の地目を,正当化した。彼は,日の出から日の入りまでの,すべての土地を,自分の足元に投げつけさせた。彼は,彼らを,ひれ伏せさせた。」と書かれている。

ルガルザゲシは,確かに土地(国土)の「所有者」であったが,一人で国土の土地を排他的に使用したわけではない。ルガルザケシの「所有権」の意味は,国土の排他的分配権や徴税権(水の使用料)のことであろう。砂漠気候のメソポタミアでは,灌漑施設によって土地が農地(生産手段)に転換するので,土地そのものを所有することはあまり意味がなく,灌漑施設がより重要である。また,メソポタミアでは,個人が単独で農耕や牧畜を行ったわけではなく,監督官のもとで,集団労働で生産が行われていた。

サルゴン碑文には,「サルゴン王は,ツトゥールのダガン(神)に頭を下げた。ダガンは,サルゴンに高い土地を授けた。それはマリ,ヤルムティ,そしてエブラである。それから,杉の森や銀の山々までも」と書かれた。しかし,サルゴンは,土地や銀を独り占めして排他的に使用したり,保蔵したりしていたわけではない。アッカドでは,毎日,サルゴンの前で5,400人の兵士が食事をし,強力な軍事力を維持していたという。

安土桃山時代の秀吉も,金山や銀山を「所有」したが,黄金の茶室を作って諸大名を招いたり,天正17年(1589年)には,諸大名に3万5千枚の金銀を配ったと伝えられている。ザビエルは,日本人について,「彼らは,財を蓄えず,衣類,武器,家来に対して,持っているものを全部使ってしまう。非常に好戦的で,常に戦争をしている。戦争に最も勝ったものが,最も偉大な支配者になる」と書き残している。

南アフリカのズールー族では,次のようにある。

「観念上の,あるいは,象徴上の革新は,国王の地位の強化と国家の統一にとって,やがてきわめて重要な要素となった。まず第一に,国王は国家自体を象徴し,その健康が国家の安寧であった。この国王と国家の同一性は,初穂の祭に劇的に表象されたが,その祭式では国王は国家が強力なものとなるために呪医の治療をうけた。国王は,また,国家の祖先を象徴するさまざまな神聖な呪物の管理者であった。このように国王のみが,国を助けるため,たとえば雨乞いのために,それらと意思を通じることができた。」,「風景のなかに散在するのはズールー族のクラールである。これは,ふつういくつかのミツバチの巣のかたちをした草ぶき小屋が円環をなしており,それは,夜間,ウシの小さな群れを収容し,昼間は乳しぼりのためにかこう柵をめぐらせた領域をとりまいている。とげのあるサボテンやオジギソウを植えてできた外側の生けがきがクラール全体をとりかこんでいる,ズールー族はふつうは一夫多妻で,おのおのの小屋がひとりの妻とそのこどもたちの家庭となる。クラールは,主として自給自足の経済単位である」,「土地はすべて国王の所有物であると考えられている。しかしながら,使用するために土地を分配することは,より直接的に地域の首長の責任であり,彼は個々のクラールの名においてそれを割りあてる。クラールは,適当と思う土地を使用するが,それを譲渡することはできない。畑地に使用されない土地は公共の放牧地となる。クラール自体の所有物は男子長老の手で管理され,長子がそれを相続する。個人の所有物にはもちろん武器や衣類などがある。それに加えて,個々の妻は自分の小屋と家庭用品を所有する。ウシはいっしょに集められ,クラールの長がその究極的管轄権をもつが,ウシは個人の所有物と考えられ,妻にはおのおのその群れのわずかな分け前が割りあてられる。」(*4)

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Only known drawing of King Shaka Zulu holding an assegai and heavy shield, 1824.

現代の王政の産油国では,王が油田を所有し,王族たちは豊かな生活を享受している。しかし,王は,石油で得た貨幣を全て独り占めできるわけではなく,軍備を増強したり,国民に貨幣を分配したりして,国民の生活や安全を保障しなければならない。もし,王が国家を私物化し,貨幣を独り占めして国民が飢える状態になれば,たちまち革命が起きて,王は殺されるであろう。王の油田の所有は,国民の生活と安全が守られている限りにおいて容認されており,国民の生活安全とトレードオフである。

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一方,債権の独り占めは,原初的な社会でも容認されていた。サーヴィスは,サン族について,次のように述べている。

「彼らの社会は,所有物やヘッドマンの地位が父から長男に移行するという意味では父系的な傾向をもっている。しかし土地や食物や水といった資源は全体としてのバンドによって「所有」されている(占有されている)し,個人の私有物のほとんどは死んだときに壊されて,実際にはほんの少数の投げ槍とか装身具などの,めずらしくて貴重な品だけが相続される。また,ヘッドマンの地位もたいして重要な地位ではなく,いつもそれが父親から息子に引き継がれるというわけではなく,そうすることが期待されているというにすぎない。ヘッドマンのおもな義務のひとつは,資源や水との関連でバンドの移動を調節することである。つぎに挙げる一節はサン社会における指導者というものの性格をよくあらわしている。エリザベス・マーシャル・トマスは,より正当な相続権をもっていたふたりの男をしのいで高い地位についたトマという重要な男について次のように述べている。
しかし二人ともトマと指導者としての地位を争ったことはない。というのはトマはその地位を腕力や圧力で手に入れたのではなく,知恵と能力でかちとったからである。そしてひとびともかれの指導のもとで豊かに暮らしていたからである。サン人は誰も目立つことを望まないが,トマは誰よりもそれを避けた。かれはほとんどなにももっていなかったし,たまたま手に入ったものはすべて他のひとびとにやってしまった。かれは策略家であった。かれは自ら演出した貧乏との交換に人びとの尊敬と支持を得たのである。」(*4)

人間の社会では,他者に資源を多く贈与する者の序列が高くなる。他者への贈与によって,序列が高くなるのは,資源を与えた側には債権(貸し)が蓄積し,資源を与えられた側に債務(借り)が蓄積するからである。債権と債務の不均衡によって両者の間に差異が生じ,債権を有する側が,債務を有する側よりも序列が高くなる。

債権は,文字の無い社会では「記憶」としてその情報が記録され,商品(取引される資源)が登場すると,トークンで記録されるようになった。そして,文字が登場すると,タブレット(粘土板)に記録された。

文字の起源,貨幣の起源

不特定の個人が参加する市場が現れると,貨幣が登場する。ウル第3王朝の初代の王ウル・ナンム(BC2115-BC2095)によって発布されたウル・ナンム法典には,損害賠償を銀で支払うことや,秤量貨幣としての銀の重さの単位が定められていた。

ハムラビから4代あとのアミツァドゥカ(BC1646-BC1626)の勅令には,債権を無効にする命令がある。(古代メソポタミアの徳政令

Whoever has given silver or barley to an Akkadian or Amorite as an interest-bearing loan, or to gain a return (ana melqetim), and had a written document (lit. a tablet) executed, because the king has established justice in the land (mesaram sakanum), his document is voided (lit. his tablet is broken). He may not collect the barley or silver on the basis of this document.

「利子付貸付として,あるいは,返済を得るために(ana melqetim),銀や大麦を,アッカド人またはアモリ人に与え,そして,書かれた文書(タブレット)を作成した者は,王が国土(mesaram sakanum)に正義を確立したので,彼の文書は無効になる(彼のタブレットは破棄される)。彼は,その文書に基づいて大麦または銀を集めることはできない。」

メソポタミアでは,遅くとも紀元前21世紀には銀の貨幣が存在した。また,紀元前24世紀のラガシュ都市国家で徳政令が公布された記録があり,その後もしばしば公布された。すなわち,債権債務の蓄積とその消滅が繰り返されていた。古代メソポタミアでは,債権の独り占めが実体的に存在し,債権は銀(貨幣)と交換されたことから,銀(貨幣)の独り占めが実体的に存在していた。

人間は超協力タカ派戦略であり,仲間を裏切って資源を独り占めする者は,集団から追い出されたり,仲間から殺されたりする。一方,商人は,集団と集団の隙間に存在する。もし,商人がどちらか一方の集団に属せば,その商人は属する集団に有利な取引しかできないので,いつも損をする側の集団は,その商人と取引しなくなる。そのため,商人は,どちらの集団にも属さず,集団と集団の隙間にしか存在できない。商人は,本質的に「外部者」(アウトサイダー)である。

貨幣は債権を担保する信号であるが,不変の実在物である銀に形象化されている。銀を貨幣とする市場が一度形成されてしまえば,銀は常に資源と交換できるので,銀は資源の信号として機能する。銀は,債権の信号であり,かつ,資源の信号である。資源の私的所有は長く禁止されてきたが,債権の私的所有は古来より容認されてきた。銀は債権なので,銀の私的所有は容認される。また,銀は資源と同じなので,銀の私的所有は資源の私的所有と同じことである。

王による,土地や資源の所有は容認されたが,それは人々の生活や安全とトレードオフであった。何ものにも拘束されない資源の私的所有の起源は,商人による貨幣(銀)の私的所有と考えられる。

存在資源の私的所有 生産手段の私的所有 債権の私的所有 獲得資源の排他的分配 獲得資源の私的所有
バンド
部族
首長
初期国家
近代国家

✕:禁止, △:特定者のみ容認, 〇:容認

Reference,Citation
*1) 田中二郎. 1971. ブッシュマン. 思索社.
*2) 小山修三. 1992. 狩人の大地. 雄山閣.
*3) 北西功一. 1997. 狩猟採集民アカにおける食物分配と居住集団. アフリカ研究51.
*4) エルマン・R・サーヴィス, 池田孝一ほか訳. 民族の世界. 講談社. 1991.
*5) 井上 真. 1991. 熱帯雨林の生活. 築地書館.

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