東アジアのサピエンス Homo sapiens in East Asia

SHINICHIRO HONDA

アフリカを出たヒト(ホモ・サピエンス)は,ヒマラヤの南を通って東に進んだグループ,ユーラシアを西に進んだグループ,ヒマラヤの北を通って東に進んだグループなどに分かれた。


Human migrations and mitochondrial haplogroups(Author:Maulucioni)


World Map of Y-DNA Haplogroups(Author:Chakazul)

東アジアに人類が侵入した証拠は,石器や人骨で見つかるが,ホモ・サピエンス以外のホモ属も石器を作るので,確実なのはヒトの骨である。中国湖南省道県の石灰岩洞窟(鍾乳洞)のひとつの福岩洞から,ヒトの歯の化石が47本出土した。福岩洞には,ジャイアントパンダやハイエナなど数十種の動物の骨化石も堆積していたが,石器は出土していないので,肉食の動物がヒトや動物の遺体を運んだ跡と考えられている。分析によって,出土した歯はホモ・サピエンスの特徴を完全に備えており,その年代は,12万~8万年前と報告されが,年代について疑問視する意見があり,確定していない。(*1)


湖南省福岩洞出土のヒトの歯,12万~8万年前(S. Xing and X-J. Wu)

ヒトがオーストラリア大陸に到達したのは,6.5万前と考えられている(年代について疑問視する意見がある)。中国の考古学では,旧石器時代は,早期(70-10万年前),中期(10-3.5万年前),晩期(3.5万-9000年前)に分けられ,早期はホモ・エレクトス,中期はデニソワ(Homo sapiens ssp. Denisova)およびサピエンス,晩期はサピエンスに対応していると考えられる。

地球環境は,7万年前には最終氷期が始まり1万年前まで続いた。2万年前の山西省沁水県下川遺跡では,細石刃とともに石皿が出土している。また,後期旧石器時代には,華南は礫石器の系統,華中は小型剥片石器群,華北は細石刃石器群と,地域性(テリトリー)が生じている。

東アジアの旧石器時代の特徴は,きわめて古い時代から,土器が出現することである。発見されている最古の土器は,中国南東部の江西省万年県仙人洞遺跡から出土している。仙人洞は,石灰岩の洞穴遺跡で,約29,000年前から人間が利用しており,17,500年前に放棄された後,14,500年前~12,000年前に再び使われていたことが分かっている。下層からは,焼土堆積遺構21基,灰坑2基,土器,石器,骨角器,大量の動物遺体が出土している。1960年代以降に,数百にのぼる土器の破片が見つかっていたが,2009年の再調査で,最古の土器は,20,000~19,000年前のものであることが判明した。土器は20cmほどの丸底型で,縄文の模様が付けられており,表面には焦げ跡やススが付着していた。(*2)

中国南東部では,江西省吊桶環遺跡,湖南省玉塘岩遺跡,広西壮族自治区廟岩遺跡,甑皮岩遺跡,大龍淳鯉魚塀遺跡などからも,古い時代の土器が出土している。(*3) (*4)


江西省仙人洞遺跡出土の縄文の土器(Author:Zhangzhugang)

その次に古い土器が見つかるのは,日本列島である。青森県大平山元I遺跡(16,500年前),茨城県後野遺跡(15,000年前),鹿児島県桐木遺跡,鹿児島県帖地遺跡,神奈川県寺尾遺跡などが知られている。(*4)


大平山元I遺跡より出土した土器片


(帖地遺跡,先史・古代の鹿児島,鹿児島県上野原縄文の森)(*5)

3番目は,アムール川流域および沿海州で,1.3万年ごろから土器が出現する。フーミー遺跡(13,260年前),ガーシャ遺跡(12,960年前),ゴンチャールカ1遺跡(12,500年前),グロマトウーハ遺跡(13,310年前)などがある。(*6) (*7)


オシノヴァヤレーチカ12遺跡 (*6)


(谷口, 2005) (*4)

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モンスーン気候の東アジアでは,年間を通じて雨が多く,河川が多い。

中国南部の珠江や長江支流は,洪水玄武岩や火成岩(花崗岩)の地帯を流れる。花崗岩は,石英(SiO₂)や長石(KAlSi3O8 – NaAlSi3O8 – CaAl2Si2O8)の結晶が大きく成長しているため,圧力の変化や温度の変化によって,岩石が細かく砕ける。風化がすすむと,石英は砂になり,雨が多いところでは,長石のCa,Na,K,Pなどが溶脱し,粘土鉱物のカオリン[Si4Al4O10(OH)8]が生成する。この粘土鉱物は,カオリナイト,陶土と呼ばれ,景徳鎮の高嶺山(カオリン)に由来する。長石から溶脱したリンは,湖,盆地,沖積平野に堆積する。

また,長江は,カンブリア紀にリンが蓄積した地帯を流れるために,河川水に多くのリンが含まれる。長江には植物プランクトンが大繁殖し,植物プランクトンや草を食べる,ソウギョ,アオウオ,コクレン,ハクレン,鯉などの大型の川魚が大繁殖する。長江からは,年間1,300万トンの懸濁態リンが東シナ海に流れ出ているという。


(渡辺ら, 2001) (*8)

アムール川(黒龍江)からバイカル湖にかけては,広大な火山岩の地帯が広がっている。低地は湿地となり,高地にはマツ科の樹木のタイガが形成される。湿地は還元環境になるので,土から鉄とリンの溶出量が多い。また,マツ科の根に共生する菌根菌は,シュウ酸を大量に放出して,土壌中の難溶性リンを溶解する。このため,アムール川は鉄とリンの濃度が高く,大量の鉄とリンがオホーツク海に流れ込む。オーホーツク海は,世界で最も生物生産性が高い海のひとつである。


アムール川流域の地質図 (*9)

日本列島は,火山が多く,雨も多く降るので,土からリンが河川や近海に供給される。黒潮は,太平洋や東シナ海の深海のリンを日本近海にもたらし,北海道の近海にはアムール川からリンと鉄が供給される。日本列島の周辺は,有数の生物生産性が高い海である。


日本列島近海の海流(Author:Tosaka)

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アフリカを出て,ユーラシアに侵入したヒトの生活スタイルは,拡散遊動である。初期のヒトの武器と生産手段は,石器や骨器を利用した槍や銛であった。槍や銛を持ち,集団でマンモス,ゾウ,ケサイ,オオツノジカ,オーロックス,バイソン,スイギュウ,海獣など,動きが遅い大型の哺乳動物を捕獲した。大型哺乳動物を追って,ユーラシア,オーストラリア,新大陸に,人口を増やしながら拡散していった。

マンモスやゾウは,イネ科,カヤツリグサ科の草や樹木の葉を食べる。マンモスやゾウが多く生息するところでは,樹木が成長できず草原が維持される。マンモスやゾウが絶滅すると,雨が多いところでは,草原は森に遷移し,森に棲むイノシシやシカが多くなる。ヒトは,拡散遊動期が終了すると,各地に定着して,テリトリーを形成する。テリトリー内を遊動しながら,ウシ,ウマ,シカ,ムフロン,アイベックス,イノシシなどを捕獲対象にした。

最終氷期は,7万年前~1万年前であるが,最寒冷期の2.1万年前には,氷床が拡大し,海面は現在よりも120mほど低下していた。東南アジアではスンダランドが存在し,ベーリング陸橋によってユーラシアと新大陸は陸続きであった。北海道,樺太,ユーラシア大陸は陸続きで,東シナ海の大部分も陸地となり,対馬海峡も狭くなっていた。


Vegetation types at time of Last Glacial Maximum(Author:Locoluis)

中国南東部で土器が現れるのは2万年前で,この時期は,最終氷期の最寒冷期である。また,古い土器が見つかる遺跡は,すべて河川の近くに存在する。2万年前の中国南東部のテリトリー遊動期の狩猟の対象は,シカ,イノシシに加えて,コイやサケなどの魚の占める割合が高かったことが予想される。

テリトリー遊動では,ある程度決まった場所に短期的なキャンプを設営しながら,テリトリー内を遊動する。一方,サケ目、キュウリウオ目,コイ目の魚は,産卵期に何十万匹も川を遡上して,一斉に産卵,交配する習性がある。仙人洞や吊桶環などの石灰岩の洞穴は,毎年,魚が産卵に集まる場所の近くに設けられたキャンプ地と考えられる。

サケ目やキュウリウオ目の魚は,脂肪を多く含んでおり,これらの魚を土器で煮て,脂肪を分離し,油脂の保存食を作っていたと考えられる。北海道帯広市の大正3遺跡と福井県鳥浜貝塚の土器片の多くから,魚の脂質に由来する脂肪酸が検出されている(*10)。土器は,魚の油脂の保存食を作るために作られたと考えられる。分離した油脂は,動物の膀胱や魚の胃袋に保存した。


カムチャツカの漁撈部族 (Описание земли Камчатки. 1755)


クヨイ(kuy-oy),動物の膀胱でつくった水入れ袋 (平取町立二風谷アイヌ文化博物館) Copyright (C)2010 Nibutani Ainu Culture Museum.

仙人洞遺跡と吊桶環遺跡の西側には,広大なポーヤン湖が存在し,ポーヤン湖は魚の宝庫であった。また,仙人洞の北方50kmには,景徳鎮が存在し,火成岩(花崗岩)が広がる地帯である。ポーヤン湖の生物産性が高いのは,火成岩(花崗岩)から豊富なリンが流れ込むためだ。もちろん,カオリナイトは,土器の材料に最適である。


仙人洞,景徳鎮,ポーヤン湖

次第に温暖化するにしたがって,サケ目やキュウリウオ目が遡上する河川が北上した。サケ目,キュウリウオ目,コイ目の産卵地の北上にともなって,中国南東部→日本列島→アムールへと,土器制作と油脂保存食の文化も北上したと考えられる。

文化(生活様式)の伝搬には,さまざま形態が存在する。テリトリーが存在せず,無人の土地であれば,ヒトの移動を妨げるものはないので,ヒトがそのまま移動する。テリトリー平衡のときは,異部族間の男性の移動は頻繁には行われないが,女性の移動は行われる。また,部族間でポトラッチが成立していれば,黒曜石などの武器,装飾品,土器,保存食料などの財も頻繁に相互贈与される。

cf.
漁撈部族の貯蔵食料
縄文土器と漁撈部族
リンと人間の運動

文献
*1) Liu, W., Martinón-Torres, M., Cai, Y. et al. (2015). The earliest unequivocally modern humans in southern China. Nature 526, 696–699.
*2) Xiaohong Wu, et al. (2012). Early Pottery at 20,000 Years Ago in Xianrendong Cave, China. Science Vol. 336, Issue 6089, pp. 1696-1700.
*3) 王 小慶. (2010). 東アジアにおける土器の起源について. Tohoku Univ. Museum, No. 9, pp. 41–47.
*4) 谷口康浩. (2005). 極東における土器出現の年代と初期の用途. 名古屋大学加速器質量分析計業績報告書16, 34-53.
*5) 鹿児島県上野原縄文の森. 帖地遺跡,先史・古代の鹿児島.
*6) 橋詰 潤, 内田和典, I. Y. Shevkomud, M. V. Gorshikov, S. F. Kositsyna, E. A. Bochkaryova, 小野 昭. (2011). アムール下流域における土器出現期の研究 (1). 資源環境と人類 第1号, 27-45.
*7) 橋詰 潤, I. Y. シェフコムード, 内田和典, M. V. ガルシコフ. (2015). アムール下流域における土器出現期の研究 (2). 資源環境と人類 第5号, 19-36.
*8) 渡辺正孝ら. (2001). 東シナ海における長江経由の汚染・汚濁物質の動態と生態系影響評価に関する研究.
*9) F. M. Persits, G. F. Ulmishek, D. W. Steinshouer. (1997). MAPS SHOWING GEOLOGY, OIL AND GAS FIELDS AND GEOLOGIC PROVINCES OF THE FORMER SOVIET UNION. U.S. Geological Survey Open-File Report 97-470E.
*10) O. E. Craig, et al. (2013). Earliest evidence for the use of pottery. Nature volume 496, pages 351–354.

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