有りふれたもの,無くてはならないもの Things that exist in abundance, Essential things

SHINICHIRO HONDA

以前に,次のような文章を書いた。

日本のように工業化がすすみ人口増が止まった国では,農地の価格がきわめて低くなっています。中世の頃の土地をめぐる戦争のことを想像することが難しいですが,農地の「価値」が無くなっているわけではなく,「何か」に転換しています。蓑が無いミノムシの集団で,蓑があるミノムシが出現したとします。蓑があるミノムシは生存に有利なので,食べ物を多く得て,集団のなかに増えていきます。集団のすべてが,蓑があるミノムシになると,もはや蓑の有利性はなくなって,利益(余剰)が無くなります。では,蓑は必要ないかというと,そうではなく,蓑がなければ,すぐに天敵に食べられて,死んでしまいます。蓑は利益(余剰)を生みませんが,生存に不可欠なものです。自然界でも経済学でも,蓑の価格を計算する方法が無く,「歴史性」(タダの情報の蓄積)に転換してしまいます。著作権が切れて,ネットでタダで読めるのに,それを読まないと死んでしまう小説のようなものです。

これについて,以下の文章で,さらに考察した。

遺伝子の歴史 Gene history

--------------------

「有りふれたもの」は,経済学では自由財と呼ばれる。自由財とは,人間の需要量に比べて,はるかに豊富に存在し,稀少性が無い財のことである。代表的な自由財としては,空気や海水などがある。自由財の価格はゼロであり,市場では取引されない。

一方,「無くてはならないもの」は,必需財と呼ばれる。必需財は,所得の変化率に対して消費量の変化率が下回っており,需要の所得弾力性は1より小さい。奢侈品ではない基本の食料品やトイレットペーパーなどがある。

また,「無くてはならないもの」かつ「価格がゼロ」のものは,公共財と呼ばれる。空気,軍隊,消防,警察,公園などは,公共財である。

一般に,財産権や所有権の概念は,歴史的に獲得されてきた法的概念と考えられている。それは,ホッブズのリヴァイアサン(1651),ロックの統治二論(1689),ルソーの社会契約論(1762),ヘーゲルの弁証法(精神現象学,1807),マルクスの唯物史観(経済学批判,1859)などを紐解くまでもなく,人々の普通の認識であろう。

マルクスは,資本制社会の後の社会について,次のように予測している。

Sind im Laufe der Entwicklung die Klassenunterschiede verschwunden und ist alle Produktion in den Händen der assoziierten Individuen konzentriert, so verliert die öffentliche Gewalt den politischen Charakter. Die politische Gewalt im eigentlichen Sinne ist die organisierte Gewalt einer Klasse zur Unterdrückung einer andern. Wenn das Proletariat im Kampfe gegen die Bourgeoisie sich notwendig zur Klasse vereint, durch eine Revolution sich zur herrschenden Klasse macht und als herrschende Klasse gewaltsam die alten Produktionsverhältnisse aufhebt, so hebt es mit diesen Produktionsverhältnissen die Existenzbedingungen des Klassengegensatzes, die Klassen überhaupt, und damit seine eigene Herrschaft als Klasse auf. An die Stelle der alten bürgerlichen Gesellschaft mit ihren Klassen und Klassengegensätzen tritt eine Assoziation, worin die freie Entwicklung eines jeden die Bedingung für freie Entwicklung aller ist. (*1)

「発展の過程で階級の区別が無くなり,全ての生産が関連する諸個人の手に集中すれば,公権力は政治的性格を失う。真の意味での政治権力とは,ある階級が他の階級を抑圧するための組織的暴力である。プロレタリアートが,ブルジョアジーとの闘いの中で,必然的に階級に団結し,革命によって自らを支配階級とし,支配階級として,古い生産関係を暴力的に廃止するならば,それは,これらの生産関係とともに,階級対立の存在条件,階級一般を廃止し,したがって,階級としての自らの支配を廃止する。階級と階級対立をもつ古いブルジョア社会は,各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる連合に取って代わられる。」

革命後のソ連や中国では,多くの農地や工場が国有化あるいは公有化され,「全ての生産が関連する諸個人の手に集中」したにも関わらず,「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる連合」は実現しなかった。「各人の自由な発展」は大きく制限されていたし,「万人」の間では激しい闘争が続けられた。

土地や工場や鉱山が公共の財産となっても,人々は序列を作ることを止めず,学校でも,企業でも,政党でも序列が付けられる。「各人の自由な発展」には,人と人との闘争が避けられず,序列を作ることで,闘争が常態になることを抑制している。

--------------------

星雲に存在するガスの多くは水素Hであり,ヘリウムHe,水H2O,メタンCH4, アンモニアNH3なども存在する。このことから,地球の原始大気は,星雲ガスと同様の成分であったと考えられている。HやHeなどの軽い元素は,太陽風によって宇宙空間へ吹き飛ばされ,その後の火山活動や小惑星の衝突によって,窒素N2や二酸化炭素CO2が大気中に放出された。また,CO2の大部分は水に溶解し,炭酸塩の堆積物が蓄積した。

38~35億年前に,生物の共通祖先が現れたと考えられているが,最初の生物は,嫌気性および好熱性の化学合成独立栄養生物であったようだ。35億年前に光合成を行うシアノバクテリアが現れて繁殖すると,24~21億年前に酸素濃度が急上昇した。嫌気性生物にとって高反応性遊離酸素は有害であるので,このときに多くの生物が絶滅したと考えられている。緑藻植物や陸上植物(4.5億年前)の登場によって,酸素濃度はさらに上昇し続け,石炭紀(3.589~2.989億年前)には大気の35%に達した。

2.85億年前のペルム紀後期に,急激に酸素濃度が減少し,海洋の無酸素状態が2000万年も続いたことから,ペルム紀末の大絶滅が起きた。これは,白色腐朽菌の大繁殖による酸素吸収とリグノセルロース分解によるCO2放出,火山活動などによる影響と考えられる。

リグニン,白色腐朽菌,ペルオキシダーゼ,キチン,キチナーゼ,放線菌,籾殻
ペルム紀末の大絶滅の理由―ペルオキシダーゼ遺伝子による有機炭素の崩壊


過去10億年の大気中の酸素濃度の変化

生物にとって,酸素は,あるときは毒であり,あるときは排出物であり,あるときは「無くてはならないもの」である。また,年代によって,「有りふれたもの」であったり,「希少なもの」であったりする。生物の酸素との関係は,相対的であり,時間的に変化する。

人間にとって,空気は,人間が登場したときから「有りふれたもの」であった。1960年代に酸性雨による水質汚染や森林破壊が世界中で問題となり,1990年代のアメリカで硫黄酸化物(SOX)の排出証取引が行われるようになった。酸性雨の原因となるSOXの排出限度が定められ,排出限度を上回った者は,排出限度を下回った者から証券を購入しなければならない。この排出権取引は,温室効果ガスの排出量削減にも導入されている。

SOXの排出枠を買うことは,「きれいな空気」を買うのと同じことである。すなわち,先史時代から自由財であった「空気」が,現代では,市場で取引されるようになったことを意味している。

--------------------

日本の人口は2008年をピークに減少し続けており,中国の人口も2022年に減少に転じた。21世紀後半には,世界人口が減少に転ずると予測されている。日本の人口が今の半分になったり,世界の人口がピーク時の半分になったりしたら,土地の需要は急速に減少するであろう。土地の需要が小さくなれば,土地は「有りふれたもの」になり,価格はゼロに近づくはずだ。

過疎の山村である私の郷里では,集落にほとんど住人がいなくなった。田んぼは原野に変わり,植林された山の手入れをする人が誰もいなくなった。杉や檜を売ろうとしても,木材価格より伐採の手数料のほうが高いので,伐採すると損になる。固定資産税など山林の維持にはお金がかかるので,山林を所有するメリットが何もない。高齢の親が死んでしまったあとは,山林を手放したい人が多くいるが,買う人はおらず,国土を外国に売るわけにもいかない。人が居なくなった山村では,土地は,空気のような存在(有りふれたもの,無くてはならないもの)になりつつある。

Reference,Citation
*1) Karl Marx. 1848. Manifest der Kommunistischen Partei.

コメントを残す