多年生植物の栽培化:オオウバユリ、バナナ Domestication of perennial plants:Banana

SHINICHIRO HONDA

イネ科植物の栽培化は、狩猟採集段階から農耕段階への転換をうながした。一方、ウリ科植物では、テリトリー遊動段階の狩猟採集社会においても、植物と人間が「延長された表現型」への関係へと変異することを示している。

わたしの田舎では、山採りしてきたワラビ、ゼンマイ、コゴミ、ワサビ、ミョウガ、タラノキなどを家の周囲に植えて、山に行かなくても収穫できるようにしている。田舎の言い方では、「イケル」(生ける、活ける)とか、「イケテオク」という。(「池」というのは,魚をイケテオク場所のことであろう。)


家の周囲のミョウガ、ゼンマイ、コゴミ、ヤマウドなど

現在でも山村では、山菜を収穫するときには、管理採集がおこなわれている。

「山には所有者があるが、山菜をとるためにはどこの山でも無断で入ってよい。しかし、山の行儀は正確に守らなければならない。つまり、山菜や野草の命を絶やさないことである。ゆりややまいもを掘ったときは、鱗片の一部を埋め、やまいものむかご三粒を穴に埋めもどす。たらの木の芽をかくときも必ず一芽残し、追芽(後から出る芽)は欠かない。(田沢湖町)」(『聞き書 秋田の食事』)(*1)

ユリの鱗片やむかごを穴に埋めもどす行為は、「種子拡散者」としての行為であり、意図していなくても、食料として有用な遺伝子が選択されて、遺伝子プールの中に広がっていく。

オオウバユリは、高さ1.5~2.0mにも成長する大型のユリで、本州の中部以北と北海道に分布する。これは、ウバユリの変種とされている。オオウバユリは、鱗茎に豊富にデンプンを含み、古来より食用にされてきた。とくにアイヌでは、「トゥレプ」と呼ばれ、保存食としてきわめて重要であった。

「おおうばゆりはアイヌ語では「トゥレプ」といい、アイヌの食料としては古くから知られ、しかも有名である。鱗茎から澱粉を採取することはよく知られているが、採取時期には生で焼いて食用とすることもある。その場合、鱗茎には多くの繊維があり、口の中で多少気になるが、一枚一枚にした鱗茎の端を持って歯でしごくようにすると、澱粉質の部分だけが口に残る。繊維質と皮をとり除くと食べやすい。
採取するのは六月中ごろから末にかけてである。どこの家でも、おおうばゆりをたくさん採取して河原で澱粉づくりをやっていたので、最盛期には、樽の中でおおうばゆりを搗く音が河原から響いてきていたという。
多年草で年数を経たもののほうが鱗茎も大きくなっており、見極めは葉の数でする。葉一枚につき鱗茎も一枚であるので、葉の数が五枚、六枚と多いものは年数を経て鱗茎も大きくなっている。葉が一枚か二枚の若く小さいものは、翌年以降のものとして大事にし採取しない。
また、おおはなうどと同じく花の咲くものも採取しない。花の咲くおおうばゆりは雄とされ、掘り出してみても鱗茎がやせている。しかしそのやせた鱗茎のまわりには、小さな鱗茎が多数ついている。また、花が終わるとできる蚕の繭が集まったような特徴的な果実から種をたくさん飛ばすことから、大事にしてむやみに切ったりしない。
この果実は「プップッ」と呼ばれ、祖母に「種をつくって次のおおうばゆりになるのだから、大事にして折って遊んだりしてはだめだ」と何度も教えられたという。今でも葉花の写真などを見せるとその話が出てくる。
採取にはサラニプ(袋)などの入れものと根や葉を切るためのマキリ(小刀)を持って行く。ふつうは葉を手で引くと抜けてくる。しかし、土が固くて抜けないところやほかの植物の根がからんでいるところでは、木の枝などを切りとって先をとがらした棒を使用するが、それらはおおうばゆりの採取用に用意されているものではなく、現地調達する。」(『聞き書 アイヌの食事』)(*2)

これを見れば、アイヌとオオウバユリは、「延長された表現型」の関係にあることがわかる。すなわち、オオウバユリは単にウバユリの変種の野生植物ではなく、“humanization”によって変異した「ヒト化植物」であることがあきらかだ。同様に、ミョウガ、コゴミ、ワラビ、ゼンマイ、フキ、自然薯、タケノコ、ヤマブドウなど、野生植物と思われている植物も、人間と「延長された表現型」の関係に変異していると思われる。

おおうばゆり・トゥレプ
http://lib.ruralnet.or.jp/syokunou/sirabe2/ai_shoku6.html

1024px-Ooubayuri_Oowani_Aomori_20080513
オオウバユリ、青森県大鰐町(Author:Aomorikuma)

Ooubayuri_Seed_Oowani_Aomori_20071118
オオウバユリの種、青森県大鰐町(Author:Aomorikuma)

テリトリー遊動段階のアボリジニの社会では、採集の仕方に細かいきまりが多くある。

「彼らはイモのツルをみつけるとその根もとからロート状に掘りすすみ、ヤムイモをとりだす。そのあとツルがついたイモの頂部を切りとり、再びその同じ穴に埋めもどしていた。この場合は、落葉などが堆積して腐葉土ができやすいようにするため、穴を完全に埋めることはしなかった」。(*3)

以上の例を見ると、ワラビ、ユリ、ヤムイモ、樹木など、管理採集の対象は、すべて多年生植物であることがわかる。1年草のイネ科植物では、「採集」から「栽培」への転換はなかなかすすまない。それは、「種を選んで播く」という行為が、高度に目的的だからだ。一方、多年生植物では、人間が保護する行為そのものが、植物を繁殖させるので、比較的容易に「延長された表現型」の関係へと変化するはずだ。

多年生の栽培植物の代表的なものは、バナナ、タロイモ(里芋)、ヤムイモ、キャッサバ、堅果類、漿果類などがある。これらの栽培植物の起源が古いことは、サウアーや中尾佐助らが指摘したが、あまり研究がすすんでおらず、よくわかっていない。


Taro(Author:Thierry Caro)


Yam


フェイバナナ、1906(Author:Coulon)

バショウ属(Musa)の植物は70種ほどが知られており、食用の栽培バナナは、野生のアクミナータ種(M. acuminata)とバルビシアーナ種(M. balbisiana)を起源とするとされている。また、ポリネシアのフェイバナナは、別の野生種から栽培化されたとされる。

野生のアクミナータはマレー半島やインドネシアに原生しており、野生バルビシアーナはインドやフィリピンに分布している。野生種と栽培種のもっとも大きな違いは、栽培種には、単為結果によって果実に種が無い(無核)ことである。

野生のアクミナータは2倍体(AA)であり、バルビシアーナも2倍体(BB)だ。現在の栽培品種には、2倍体のAA、3倍体のAAA、AAB、ABB、4倍体のABBBが存在し、3倍体が主流である。バナナには、非常に多くの在来品種が存在するが、商業生産の品種はキャベンディッシュ(AAA)に特化している。


バナナ


野生バナナの果実

バナナは多年草だが、成長がきわめて早く、吸芽(子株)を植えつけてから1年で開花に至る。成長するに従って、古い外葉が順次はがれ、葉が35~45枚出たころに、赤紫色の花序が抽出する。花は雌雄異花同株の無限花序で、放任すると100段以上にもなる。雌花は基部から十数段着生し、次に中性花が1~2段、それ以下は雄花だけの花段が続く。雌花が雄花よりも早く熟す雌性先熟で、自家交配を防いでいる。結実するのは雌花だけで、結実すると、基部から別の吸芽が成長し、翌年の結実母本となる。

栽培バナナは、受精なしで子房が肥大して果実となるので、果実には種子が無い。種が無いということは、吸芽による栄養繁殖でしか子孫を残せない。栄養繁殖では、遠くに遺伝子を拡散できないので、無核の栽培バナナは、人間の助けがないと、繁殖することができない。

野生のバナナでは、コウモリや鳥によって花粉が運ばれ他家受粉するといわれており、果実を食べて種子を拡散するおもな動物は、オオコウモリだ。オオコウモリは、狩猟民には捕獲の対象なので、オオコウモリが減って、野生バナナの分布も減るという関係にある。オーロックスと野生ムギ、スイギュウと野生イネ、マストドンとウリなどの関係と同じ図式がここにもある。


オオコウモリ

栽培化の過程はわかっていないが、テリトリー遊動の狩猟採集民が、果実が大きく種が少ないバナナを選んで食料にすると、人間が種子拡散者となって、果実が大きく種が少ないバナナが遺伝子プールの中に増えるであろう。人間が増えるとオオコウモリは減るので、種が多いバナナの遺伝子は衰退する。

次に、突然変異によって無核の個体があらわれると、その個体は大切に保護される。その株の吸芽が別の場所に植えられることで、栽培化がはじまったと考えられる。

栽培化の直接的なきっかけは、やはり婚姻ではないだろうか。無核のバナナを食べて育った女性が、結婚して他の集団に移るときに、無核バナナの吸芽を持って行ったのであろう。

もっとも古い考古学的な証拠としては、ニューギニアの標高1,600mの湿地帯に位置するクックの初期農業遺跡がある。遺跡は大きく3期に分かれ、最も古い遺跡は10,000年前まで遡る。第2期は、6950〜6440年前の遺構で、花粉、デンプンなどの遺物から、バナナとタロイモの栽培がおこなわれていたと考えられている。(*6)


Kuk swamp in Papua New Guinea highlands, 1560m amsl, mean
annual temp ~19℃,mean annual rainfall ~2700mm

栽培バナナの起源はよくわかっておらず、1万年前、3~4万年前という研究者もいる。人類がオーストラリア大陸に到達したのは、6.5万前と考えられている。7万~1万年前の最終氷期には、マレー半島東岸からインドシナ半島は陸つづきで、スンダランドという広大は陸地が存在していた。また、ニューギニアとオーストラリアもつながっており、サフル大陸と呼ばれている。

スンダランドやサルフ大陸で、拡散遊動からテリトリー遊動に移行した人々が、バナナの種子拡散者となり、やがてバナナと人間の「延長された表現型」の関係がはじまったと考えれば、栽培バナナの起源が3~4万年前という説は、荒唐無稽というわけでもないであろう。


Sunda and Sahul(Author:Maximilian Dörrbecker)

文献
*1)藤田秀司ほか.(1986)聞き書 秋田の食事. 農山漁村文化協会.
*2)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*3)松山利夫.(1994)ユーカリの森に生きる. NHKブックス.
*4)中村武久. (1991) バナナ学入門. 丸善.
*5)Angélique D’Hont, France Denoeud[…]Patrick Wincker. (2012) The banana (Musa acuminata) genome and the evolution of monocotyledonous plants. Nature volume 488, pages 213–217.
*6)Denham TP, Haberle SG, Lentfer C, Fullagar R, Field J, Therin M, Porch N, Winsborough B. (2003) Origins of Agriculture at Kuk Swamp in the Highlands of New Guinea. Science 301(5630):189-93.
*7)Denham, Tim & Golson, J & Hughes, Philip. (2014). Reading Early Agriculture at Kuk Swamp, Wahgi Valley, Papua New Guinea:The Archaeological Features (Phases 1–3). Proceedings of the Prehistoric Society. 70. 259-297.

農家が教える果樹62種育て方楽しみ方
農山漁村文化協会
売り上げランキング: 567,820
聞き書 アイヌの食事 (日本の食生活全集)
萩中 美枝 藤村 久和 村木 美幸 畑井 朝子 古原 敏弘
農山漁村文化協会
売り上げランキング: 191,268

 

コメントを残す