対話15(2020.2.17)

一方,日本では,1956年に富沢長次郎氏(農林省農業技術研究所)が,有機水銀系農薬が,稲わらや籾中に残留することを指摘しましたが,国はこの報告をほとんど黙殺しました。1962年に水俣病の原因物質がメチル水銀であることが判明し,1964年には新潟水俣病が発生しました。化学物質による環境と人体への害が,大きな社会問題になりました。

日本でIPMの取り組みが始まるのは,1967年ごろで,高知県農林技術研究所にいた,桐谷圭治氏(先日亡くなりました),中筋房夫氏らによるものです。桐谷氏は,1964年にカリフォルニア大学の生協で「沈黙の春」を手にしたと回想しています。当時の日本でもっとも問題になったのは,BHC(ベンゼンヘキサクロリド)です。水に溶けにくいBHCは水田の害虫防除に使用されたため,1960年代末には,日本は世界最大のBHC生産国でした。BHCは残留性が高く,最終的には人体に残留します。

桐谷氏らは,1969年に,高知県でのBHCなど塩素系殺虫剤の使用を止めましたが,このとき,農林省植物防疫課から名指しで非難され,顛末書(始末書)を書かされたそうです。1971~72年に,厚生省が母乳の残留農薬を調査したところ,調査対象母乳のすべてから,β-BHCとDDTが,また70%からディルドリンが検出されました(環境白書)。1971年に,BHCの使用が禁止されました。

しかし,ほんとうは,これらのことを世界でもっとも早くに提唱したのは福岡正信です。福岡さんはもともと植物病原菌の研究者でしたが,1937年に横浜植物検査課を退職して,自然農法に取り組むようになりました。しかし戦争が本格化したために,1939年に高知県農事試験場病虫部の主任になり,1943年に,ツマグロヨコバイが稲萎縮病のウイルスを媒介することを,世界で最初に発見しています。

当時は食糧増産が最大の課題であり,そのためにサンカメイチュウ根絶対策を自分が立案して,実施しました。3年間の県をあげての大がかりな根絶事業の結果,わかったことは,どんなに大量の農薬や化学肥料を使って「科学的」な農業を行なっても,ごくわずかな増収しかもたらさないということであったと書いています。

1947年に自費出版した「無」に,次のように書いています。

「益虫だの,害虫だのということも,よく考えると人間のごつごう次第で,どうにでも変ることだともいえる。それは生物界が,相互にきわめて複雑な連結を保っている生物の輪環ということからみても当然であろう。」

「人間が虫の殺滅に努力すればするほどさらに強力な反発を虫はしめしてくる。人間が一地域から,一国から虫を遮断したとき,さらに別の大群がこの囲みに対して強圧を加えてくる。人間の努力が激しくなるにしたがって,虫もまた激しく押し寄せてくるのだ。」

「病害虫防除の研究によって,害虫が絶滅するなどと考えるのは本末を転倒し,木によって魚を求める類である。」

「生物と生物の争闘を,みにくいとして一石を投ずる人間は,彼らの間に起こる混乱を防止し,秩序を回復する為のようで,実はただ彼らの間に更に大きい混乱と破壊をひき起こしたに過ぎない。彼らの弱肉強食の姿は,弱肉強食といえば弱肉強食であるが,また反面相互依存の共存共栄の姿でもある。」

「天敵利用は,生物学的防除で,人間には無関係だから安心だと思っているのだが,本当は生物界の連鎖関係を知るものから見れば,何が天敵やら害虫やらわからないというのが真相で,人間のやることは巨視的に見れば,自然の破壊以外の何ものでもない。」
 
これらは,今日でいうところの,「薬剤抵抗性」,「リサージェンス」,「生物多様性」のことです。福岡さんは,すでに1930~40年代にこれらのことを指摘していました。

一般には,世界で「生物多様性」(biodiversity)という概念が登場するのは,1985年とされています。

日本では,福岡さんは宗教家とか,自然農法と有機農業は違うなどと言って,何もわかっていない人がほとんどですが,IFOAM(国際有機農業運動連盟)は福岡さんを,現代の有機農業の重要な先駆者の1人にあげています。
MASANOBU FUKUOKA
https://www.ifoam.bio/en/masanobu-fukuoka

欧米では,国境を超えて人々が往来するので,知財や特許をめぐる裁判や闘争の長い歴史があります。そのため,何よりもオリジナルや先願主義(先発明主義)を重視,尊重します。

こうした先達の努力は,現在の日本の研究者たちにも受け継がれており,天敵利用や生物防除の研究や実践もさかんにすすめられています。

天敵利用研究会
https://tenteki-ipm.org/

富沢長次郎氏,桐谷圭治氏,福岡さんの例を見れば,日本人の研究者のなかには,オリジナルにあふれ,先駆的な人が少なくありません。しかし,お役人のなかには,天下り利権を守るために,社会の変化を嫌う人がたくさんいるのでしょう。ひとりひとりのお役人は,まじめで仕事熱心であっても,組織の利権構造がオリジナルで先駆的な取り組みを黙殺したり妨害したりして,結局,あとになってから欧米をあがめるという状況から抜け出せません。

「組織的」ということは,集団にとって有利な点ですが,同時に不利な点でもあります。

ゴーンは,「日本人はのろま」と言っています。

文献
*1)桐谷圭治.(2004). ​「た​だ​の​虫​」​を​無​視​し​な​い​農​業. 築​地​書​館.
*2)福岡正信. (1947) 無. 自費出版.

対話14(2020.217)

世界で初めて化学農薬が登場するのは,1939年です。1939年に,スイスのパウル・ヘルマン・ミュラーが,DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)に節足動物の殺虫効果があることを発見しました。DDTが合成されたのは,1874年です。

DDTはたちまち世界中で大量に使用されるようになりますが,10年もたたないうちに,DDTによる環境汚染や生態系に対する弊害が警告されています。

1949年に,カリフォルニア大学の昆虫学者たちは,寄生虫と捕食者は,化学農薬よりも害虫に対して効果的であると報告しています(Ray F. Smith and Gordon L. Smith,1949)。彼らはこれを,「害虫の監視者付きコントロール」(Supervised Control of Insects)と呼んでいました。

レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を発表するのは,1962年ですが,このときカーソンに残留性農薬の問題や天敵利用の情報を与えたのは,これらの昆虫学者たちです。

カーソンが,農薬について指摘したのは,おもに以下の点です。

①合成農薬の残留性=DDT(残留性),クロルデン(残留性),ディルドリン(残留性),アルドリン(残留性),BHC(残留性,人体毒性),リンデン(残留性,人体毒性),ヘプタクロル(残留性,人体毒性)など,残留性農薬について警告した。これらの化合物は,化学的にきわめて安定なため,環境中で分解されるのに長い時間がかかる。そのため,食物連鎖を通じて,生物の身体に次々と濃縮され,蓄積される性質がある。ちなみに,ヘプタクロルは,日本では1972年に農薬登録が失効したが,40年以上たった現在でも,農作物から検出されることがある。

②合成農薬の強い毒性=パラチオンなどは,残留性は弱いが,人体や他の生物に対する毒性が非常に強く,農家や周辺生物に大きな農薬被害が生じた。

③農薬に対する抵抗性=病原性の細菌,真菌類,昆虫は,突然変異によって,農薬に対する抵抗性(耐性)を獲得する。耐性を獲得した生物は,生存条件が有利になるために,急速に個体数を増加させる。耐性の病原や昆虫に対して,さらに毒性の強い農薬を開発しなくてはならず,いたちごっこになる。

④合成農薬によるリサージェンス=農薬散布によって,天敵がすべて死滅し,かえって害虫が増加してしまう。

カーソンは,これらの問題に対して,生物学的防除の取り組みを紹介しています。害虫の雄性不妊,性フェロモンによる誘引かく乱,微生物農薬,天敵利用などです。

カーソンは,出版の影響の大きさをあらかじめ認識しており,何人もの科学者や法律の権威などに,事前に原稿をチェックしてもらっています。もちろん,農薬メーカーからの巨額訴訟に備えるためです。

「沈黙の春」が,社会に与えたインパクトは大きく,ケネディ大統領の科学諮問委員会は,残留性の高い農薬の段階的廃止を勧告しました。DDTは,長い論争や裁判を経て,1973年にアメリカで使用禁止になりました。

なお,DDTの使用については,現在まで長い論争が続いています。マラリアが発生するアジアやアフリカでは,価格が安く,残留性が長いDDTは,マラリア予防に効果が高いと考えられています。2006年に,WHOは「マラリア流行地でのDDT使用を推奨する」という声明を出しました。ただし,家の内壁や屋根に塗布する方法を条件にしています。

1950年代に,カリフォルニア大学の昆虫学者たちによって,IPM(Integrated Pest Management)の理念が提起されました。害虫を農薬等によって根絶しようとすると膨大なコストがかかり,しかも根絶することは不可能です。害虫の根絶をめざすのではなく,経済的に許容可能な害虫密度のレベルを定め,そのレベルを超えた場合に管理(防除)するということです。

文献
*1)Ray F. Smith, Gordon L. Smith. (1949). Supervised Control of Insects. CALIFORNIA AGRICULTURE, MAY, 1949.
*2)Rachel Carson. (1962). Silent Spring. Houghton Mifflin.

対話13(2020.2.3)

ふつう生物は,自己複製するときに,ごくわずかだけ変異します。変異(差異化)することで,ライバルよりもエネルギーを多く得られた遺伝子が生き残ります。

このとき,大きく変異すると,大きな利益(余剰)を得る可能性もありますが,同じだけ大きな損失が出る可能性もあり,不確実性が大きくなります。

環境が大きく変わったときは,大きな不確実性のほうが有利ですが,環境が安定しているときは,小さな不確実性のほうが有利です。

また,資源(エネルギーと有用物質)が豊富に存在するときは,小さな不確実性を選択したほうが有利であり,資源が不足しているときは,大きな不確実性を選択したほうが有利です。

地球の環境変化の時間の長さに比べると,生物の世代時間はきわめて短いので,大きな不確実性を選択した遺伝子が存続できるのは,ごくまれです。つまり,ふつうは,小さな不確実性を選択したほうが有利です。

差異性向、不確実性性向

人間の脳(の情報)は,遺伝子(の情報)からかなり独立していると考えられるので,同列にはできませんが,人間のばあいで考えてみます。

上記のことから,人間が財を獲得しようとするときは,大きな不確実性(大きな差異)を選択する人よりも,小さな不確実性(小さな差異)を選択する人のほうが多いことが予想されます。

たとえば,トヨタのプリウスとホンダのインサントとは,ほんの少ししか燃費の差はありませんでしたが,販売台数は天と地ほど差がでました。一方,リーフのほうがはるかに燃費がよいのに,新しいシステムなので,ふつうの人は躊躇して買いません。

人間は,「論理的」にあきらかに有利であっても,大きな差異があるものは,不確実性が大きくなるので選択することを「感情的」に避けようとします。人間の脳は,「論理」よりも「感情」に支配されやすいことが知られています。

緑色のブロッコリーのなかに,真っ赤なブロッコリーを並べたとき,たとえそれが大きくても,赤のブロッコリーを選択する消費者はそれほど多くないことが予想できます。たとえ大きくても,食べたことがないものは不確実性が大きいので,選択するのを躊躇します。逆に,軸が少しだけ太くて軸もおいしいとか,葉っぱもゆでて食べられるとか,「ほんの少しだけ」差異があるものを,「強く」選択します。

小さな差異を積み重ね,それを継続していくというのが,一般的な生物のやり方です。しかし,全員がこのような方法を採用すると,差異化できなくって利益(余剰)が得られなくなります。そこで,遠方に移動するとか,環境を変えるとか,別のやり方で差異化したり,他者に寄生したりする遺伝子が生き残ったりします。

参考
マイケル・S・ガザニガ. (2010). 人間らしさとはなにか?. インターシフト

対話12(2020.2.2)

市場社会では,次第に貨幣が蓄積し,一方では欠乏がおきます。富裕層から徴税して,蓄積した貨幣を供給するのは困難で,どこの国でも成功していません。選挙ではお金が無いと政治家になれないので,先進国では富裕層への重税を支持する政治家が少ないからです。

一方,貨幣が欠乏して貧困層が増加すると,社会が不安定になって,国家社会主義化しやすく,他国や異民族に対して攻撃的になります。国内の矛盾を隠蔽して,矛先を他の集団に向けるのが楽だからです。戦前の日本やドイツのようになります。

なので,貨幣を増やして,国民に配ることが必要です。

問題は,お金の配り方です。低所得者という理由だけでお金を配ると,消費が増えて景気がよくなりますが,国民は低所得になることを恐れなくなって競争しなくなるので,賃金が上昇して財の競争力が小さくなります。財の競争力が無くなると,輸出が減って,円が買われなくなって,円安になります。円安になると,エネルギー価格(石油,天然ガス,穀物)が上昇して,インフレになります。

インフレになることは,貨幣の蓄積量が減少することなので,国内では好ましいのですが,貨幣安は外貨やエネルギーとの交換比率が不利になるので,国全体では貨幣量が減って,長期的には不利になります。60年代のイギリス病とか,90年代に原油安でルーブルを乱発して崩壊したソ連の状態になります。

貨幣の供給は,国家と国民の競争力を弱めないように,注意深く配らなければなりません。教育(子供や親に直接お金を配る)やエネルギー開発(エネルギー代を安くする)などがまず先でしょう。配り方も,「子供や親に直接お金を配る」ことが重要で,戦略なく学校に補助金を配ると,学校はお役人の天下り先になり,教育の質や公平さが低下して,結果的には競争力が弱くなります。

対話11(2020.1.29)

吉田武彦先生が翻訳された,リービヒの「化学の農業と生理学への応用」(1842年)の一節です。

「山が多く、最大でも国土の半分しか耕作できないのに、住民数は大ブリテンよりも多い島帝国日本は、草地も、飼料作も、グアノ、骨粉、チリ硝石の輸入もなしに、住民のあらゆる栄養を完全に生産しているばかりでなく、開国以来、毎年少なからぬ量の生活物資の輸出さえしている。中国および日本の農業は、経験と観察にみちびかれて、土地を永久に肥沃に保ち、その収穫性を人口の増加に応じて高めてゆくのに適した、無類の農法をつくりあげた。
中国と日本の農業の基本は、土壌から収穫物中に持ち出された全植物養分を完全に還元することにある。日本の農民は輪作による強制については何も知っておらず、ただ最も有利と思われるものを作るだけである。彼の土壌からの収穫物は地力の利子なのであって、この利子を引き出さねばならぬ資本に手をつけることは、けっしてない。
われわれが荒廃と不毛に陥ったのを見てきたスペイン、イタリア、ペルシャなどの国々一般と同様に、ヨーロッパの農業は日本農業とは完全に対照的であって、肥沃性の諸条件に関しては耕地の略奪に頼りきっている。」

参考
ユストゥス・フォン・リービヒ. (1842). 化学の農業と生理学への応用. 北海道大学図書刊行会 吉田武彦 訳, 2007.

対話10(2020.1.31)

前にEUの環境保全型農業について書きましたが,80年代にEUが環境保全などと言い出したのは,別に環境を守るためなどではありません。イギリスなど農業競争力が弱い国が,スペインなどの農業国からの輸出攻勢にさらされたため,自国の農民(安全保障)に補助金を払うための方便です。「環境」と言えば,保護主義に対する批判をかわせるからです。

対話9(2020.1.18)

「環境保全的農業」(environmentally friendly farming)という概念が登場するのは,80年代のECのCAP(共通農業政策:Common Agricultural Policy)です。

ECでは,60年代に,マンスホルト(オランダ)の主導によって,農産物の共通市場化と構造改革(近代化,大規模化)がすすめられました。

「黄金の60年代」と呼ばれるように,60年代は世界的な経済成長によって農業農村の近代化がすすみました。しかし,70年代には成長が鈍化し,各国は農産物の生産過剰と財政赤字に悩まされるようになりました。また,山岳地域など条件不利地域の農村は成長から取り残され,衰退するようになりました。

70~80年代に条件不利地域に対する財政支援がおこなわれるようになり,85年には,「環境保全」という概念が,CAPに登場しました。

イギリスのマクシャリーの提案によって,92年に,CAPは従来の価格支持から直接支払いへと大きく転換しました。このときに,作付面積に応じた直接支払い,自然的ハンディの補償,環境保全的農業への助成という,3つの直接支払いが明確にされました。

日本も,CAPをお手本にして,中山間地農業や環境保全型農業への財政支援をはじめるようになりました。
近年,世界では,SDGs,家族農業,小農宣言,GAPなどがはやっていますが,これらは,共通市場化によってヨーロッパで70~80年代におきたことが,世界中でおきているということでしょう。

世界市場化と途上国の近代化によって,世界中で貨幣が富裕層や企業に蓄積し,途上国の農村では貨幣が欠乏しているということです。

論理的には,貨幣の供給,途上国への投資,農地改革をおこなうことが必要ですが,じっさいに起こっているのは,ベネズエラ,イエメン,シリア,アフガンなどに象徴されるように,失業と戦争です。