銅から鉄へ 2 The Transition from Bronze to Iron

SHINICHIRO HONDA

初期の鉄は,銅製錬の副産物として得られたというのは,考古学の証拠から,確実のようである。前3千年紀,前2千年紀のアナトリアで鉄製品が出土するが,金属製利器のほとんどは青銅製であり,ヒッタイトが製鉄技術を発明したのであれば,前10世紀まで鉄製品が増えなかった理由を説明できない。また,ヒッタイトが製鉄技術を発明,独占していたならば,鉄器時代が始まる前の前13世紀に滅亡する理由がない。

本格的な製鉄が始まるのは,前12世紀のキプロスという説は,現在までに判明している考古学的な証拠から導き出されたものであり,現況では矛盾はない。今後,未発見の製鉄遺跡が他の場所で発見される可能性はゼロではないが,キプロスで鉄の製錬炉が発見されれば,より確実な説になるであろう。

ただし,キプロスやパレスチナで製鉄が始まったのは,浸炭技術を発見したからという説明には,説得力が無い。説の通りなら,人間は,前3千年紀から鉄を作る方法を知っており,鉄は金の8~10倍の価格であったのに,2000年以上も浸炭技術を発見できなかったことになる。脱炭には高度な技術を要するが,浸炭や焼き入れは,特別に高度な技術というわけではない。すでに,BC8000年~BC7000年のチャヨヌやアシュクル・ホユックの銅製品には,焼きなました痕跡があった。人間が金属を利用するようになった当初から,金属を炭で熱して鍛錬し,複雑な形の製品を作っていた。

もうひとつ不思議なのは,製鉄技術において先行していたアラシア(キプロス)が,前11世紀に滅亡してしまったことである。製鉄技術は,その後3000年の人類の歴史において,もっとも重要な技術であり,それを発明したアラシア王朝は,鉄の生産を独占して大繁栄できたはずだ。

当時の銅の主産地のひとつであったティムナでは,複数の鉄のブレスレットが見つかっており,この鉄は,銅製錬の過程で,融剤として使用した鉄鉱石に由来するものという。製錬炉内の条件によって,銅インゴットの上面に鉄の層ができることが判明しており,実用的な錬鉄であった。また,鉛同位体の測定により,ティムナの鉱山神殿で発見された宝飾品の鉄は,ティムナの銅製錬炉で製造されたことが確認されている。(*1)

また,長登の銅の製錬実験では,次のように報告されている。原料には,チリ産酸化銅,長登産褐鉄鉱,石灰,木炭を使用した。酸化銅鉱石には,酸化銅と二酸化ケイ素が含まれるが,二酸化ケイ素と酸化鉄を反応させて,スラグ(鉄カンラン石)として溶融させる。酸化銅は,還元されて金属銅になり,スラグの下に溜まる。鉱石と木炭の投入を繰り返すと,炉内には,金属銅とスラグが溜まっていく。カラミ口を開けて,スラグを炉外に流出させる。これを何度か繰り返し,最後に炉底に湯口を開けて,金属銅を流出させる。炉内の温度が低いと,スラグが溶融せずに固まってしまい,温度が高すぎると酸化鉄が還元されて金属鉄が生成し,金属銅が分離しないという。(*2)

二つの銅製錬の実験から,銅製錬の副産物として,金属鉄が生成することは確実であるが,良質な銅の生産には,金属鉄が生成しないほうがよいことがわかる。また,銅製錬の過程で,スラグを頻繁に流出させれば,生成した錬鉄は,長時間,炭と接触するので,鋼が生成することも不思議ではない。

一方,銅を含んだ鉄は,冷間加工性が悪く,銅濃度がわずかであっても,加工時に割れが発生しやすいことが知られている。銅製錬の副産物として錬鉄や鋼が得られても,その錬鉄や鋼には銅が含まれており,鍛造製品に適さなかった可能性がある。スラグは,鍛造によって鉄から除けるが,銅を鉄から除くことは,古代の精錬技術では不可能であろう。浸炭された鋼が前12世紀まで見つからないのは,銅を含んだ鉄のために,浸炭,鍛造,焼き入れができなかったためと考えられる。(*3) (*4) (*5)

アナトリアのカマン・カレホユックでは,BC1200年の前後に,銅の製品は存在するのに鉄製品が見られなくなる。これは,銅の製錬技術の向上によって,金属鉄が生成しなくなったためではないだろうか。ハットゥシリ3世が,手紙のなかで,「良い鉄」の在庫が無いというのは,「良い鉄」は,銅製錬の副産物として偶然に得られたにすぎず,良質の錬鉄や鋼を得る技術は無かった。

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生物は,生存に有利な状態(ある形質によって余剰が生じる)のときは,同一化(変異速度を小さく)したほうが生存する期待値が大きく,生存に不利な状態(ある形質によって余剰が生じない)のときは,差異化(変異速度を大きく)したほうが生存する期待値が大きくなる。このため,生物は,生存に有利な条件のときは,無性生殖で複製し,生存に不利な条件のときは,有性生殖で複製する。

差異性向、不確実性性向


ケルコゾアの生活環,プラスモディオホラ(Plasmodiophora)

一方,ある有利な機能を持った表現型の遺伝子Δg1は,ライバルよりも生存に有利なので,遺伝子プールに広がる。しかし,g1は,環境飽和力Kを超えて増えることはできないので,増加率はr=1になる。r=1の遺伝子プールでは,ライバルは「自分のコピー」なので,繁殖コスト(闘争コスト)は無限大になる。表現型遺伝子Δg1は,繁殖の「有利さ」(余剰,利益)を生み出す源泉であったが,r=1になった瞬間に,余剰を生じなくなり,有利さが消滅する。

遺伝子の歴史


w = k / p
c ∝ w
w:運動エネルギー
p:隣が居なくなる確率
k:係数
c:繁殖コスト


Caddis pupae stuck to the bottom side of a rock(Author:Waldemarpaetz)

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酸化銅鉱や鉄鉱石の製錬には,還元剤および熱源として,木炭を使用している。銅や鉄の生産には,大量の木炭が必要で,大量の木炭を作るには,さらに大量の木材が必要だ。大量の木材を生産するには,広大な山林を所有しなければならず,何千年間も銅の生産を続けるには,何百年もかけて,森林を育成,管理しなければならない。

サルゴン碑文には,「サルゴン王は,ツトゥールのダガン(神)に頭を下げた。ダガンは,サルゴンに高い土地を授けた。それはマリ,ヤルムティ,そしてエブラである。それから,杉の森や銀の山々までも」と書かれている。また,『ギルガメシュ叙事詩』では,ギルガメシュとエンキドゥは,杉の森の番人のフンババを殺し,杉の森を荒らしため,神々の怒りにふれて,エンキドゥは死んだと伝えている。

レバノン杉は,「杉」と訳されるが,じっさいにはマツ科の樹木であり,日本の杉とは科が異なる。日本でも,金属の製錬や鍛造に用いられるのは,松と雑木の炭である。


レバノンスギ(Cedrus libani)


Distribution map of Cedrus libani (Lebanon cedar)(Author:Giovanni Caudullo)

日本の古代の製鉄は,良質の砂鉄がとれる地方で行われたが,製錬炉は,木炭用の樹木が得られる場所に作られた。周辺に樹木が無くなると,樹木の多いところに移って,炭焼き窯と製錬炉を作った。近世の,銅,銀,金,鉄の生産者は,木炭を生産するために,広大な山林を所有していた。

広大な山林を所有し,樹木を育成管理し,伐採して木炭を生産するには,非常に多くの労働力が必要である。鉱石の採掘,選鉱,運搬などにも,多くの時間と人手を要する。大量の労働力に対しては,大量の労賃の支払いが必要で,大量の銀が必要である。

古代オリエントの銅の生産者は,将来,銅の生産で利益(余剰)が出ると予想しているときは,銅の生産に資源と労働力を投資して銅を生産する。生産した銅と交換で銀を獲得し,銀を蓄積しておく。常に,利益(余剰)を最大化しようと行動するので,利益が得られる期待値が小さい生産には,投資しない。そして,将来,銅の生産では利益(余剰)が出ないと予想したときに,貨幣を,別の新しい生産物の生産に投資する。

オリエントで,4000年以上も銅の時代が続いたのは,銅の生産者が,銅の生産で利益(余剰)が出ると予想してきたからである。そして,前12世紀に,銅から鉄への転換が起きたのは,浸炭技術を発見したからではなく,銅の生産者が,将来,銅の生産では利益(余剰)が出ないと予想したからである。

アマルナ文書が書かれた前14世紀は,オリエントの青銅器時代の末期である。手紙の内容から,銅の主産地のミタンニとアラシアでは,国際通貨の金,銀が不足し,銅の価格が下落していたことが伺える。アラシアでは,ネルガル神(鉛中毒の蔓延)によって,銅職人が一人もいないと書いているが,銅職人が一人もいないのであれば,銅の供給ができなくなって,銅価格は高騰するはずである。ところが,アラシア王は,ファラオが要求するどんな銅でも送ると書いている。つまり,銅価格の下落の原因は,銅の過剰供給であり,その原因を作っていると思われるのは,「海の民」のルッカ人である。

EA 35 アラシア王 → ファラオ
・・・私はここに500タレントの銅を送ります。兄弟への挨拶として送ります。兄弟,銅の量が少ないことを心配しないでください。ネルガルの手は,今,私の国にある。彼は,私の国のすべての人を殺しました,そして一人の銅職人もいません。しかし,心配する必要はありません。すぐに,使者を私の使者と一緒に送ってください。そして,私の兄弟,あなたが要求するどんな銅でもあなたに送ります。あなたは私の兄弟です。彼が私に非常に大量の銀を送ってくれますように。 兄弟よ,私に最高の銀を与えてください。そうすれば,私の兄弟,貴方が要求するものは何でも送ります・・・

EA 38 アラシア王 → ファラオ
・・・兄弟よ,なぜ私にそんなことを言うのですか?「兄弟はこれを知らないのですか?」と。私に関する限り,私はそのようなことは何もしていません。じっさい,ルッカ人たちが,年々,私の国の村々を占領しています・・・

青銅器時代末期のオリエントでは,森林の消尽による木炭価格の上昇や,鉛中毒の蔓延によって,銅の生産コストが上昇したのであろう。一方,森林資源が豊富なヨーロッパの安価な銅が,「海の民」によってオリエントに流入するようになり,オリエントの銅は,価格競争でヨーロッパに太刀打ちできなくなったと思われる。


Aire de diffusion de la métallurgie à l’âge de bronze(Source:Own work, after M. Otte (2007) Vers la Préhistoire, de Boeck, Bruxelles)

前1286年頃に,エジプトとヒッタイトは,南レヴァントの支配権をめぐって,カデシュで会戦した。南レヴァントの都市国家は,オリエント世界とヨーロッパ世界の物流の拠点である。すなわち,エジプトとヒッタイトは,オリエントとヨーロッパの物流拠点を支配するために争った。さらに,前13世紀に,「海の民」とオリエントのあいだで戦争が起きたのは,オリエント世界が,軍事力によって,ヨーロッパの銅を市場から締め出そうとしたためであろう。ホメーロスが,前8世紀に,『イーリアス』と『オデュッセイア』のなかで書き残したトロイヤ戦争が起きたのは,前13世紀中葉と考えられている。


Achilles tending the wounded Patroclus (Attic red-figure kylix, c. 500 BC)

「海の民」からの攻撃を受けたのは,ヒッタイト,アラシア,エジプト,ミケーネ,南レヴァントなど,銅の生産と物流を支配していた国と都市国家である。そして,「後期青銅器時代の崩壊」によって滅亡したのは,ヒッタイト,ミタン二,アラシアなど,オリエントの銅の主産地の王権である。

戦争に勝利するには,戦車,馬,弓矢,槍,剣,盾,兵士,馭者,船,兵站など,敵を上まわる軍備が必要である。軍備を拡大するには,国際通貨の銀が必要で,トロイヤ戦争でアカイア人が勝利する,あるいは「海の民」が勝利するということは,ヨーロッパがオリエントよりも,多くの銀を蓄積していたことを意味する。

ヨーロッパがオリエントの銅の独占支配を打倒したことで,ヨーロッパの安い銅が,ますますオリエントに流入した。アラシアでは,木炭価格の上昇,鉛中毒の蔓延,銅価格の下落に直面したことで,銅の生産で利益(余剰)を出す見通しが立たなくなった。それが,銅の生産者が,鉄の製錬技術の開発に投資した理由と考えられる。

しかし,鉄の生産において先行したはずのアラシアは,前11世紀に滅亡してしまった。レバノン杉(マツ)の森林を消尽してしまったアラシアでは,木炭の価格が高く,鉄の生産においても,競争力を維持できなったのであろう。前11世紀には,鉄の産地は,森林資源が豊富な,東アナトリアのウラルトゥに移ってしまった。

銅は,鉱山が限定されているので,軍事力で鉱山を支配すれば長期に独占が可能である。一方,鉄鉱石は,どこにでも存在するので,製鉄の技術が確立してしまえば,一地方が独占することは不可能である。製鉄技術は,またたく間にユーラシアとアフリカの全域に伝搬した。

文献
*1) Beno Rothenberg. (1995). RESEARCHES IN THE SOUTHERN ARABAH 1959–1990 Summary of Thirty Years of Archaeo-Metallurgical Field Work in the Timna Valley, the Wadi Amram and the Southern Arabah (Israel). Arx 2–3 (1996–97), 5–42.
*2) 中西哲也. (2018). 奈良時代の古代銅製錬に挑む. 九州大学総合研究博物館ニュース.
*3) 木浪信之, 佐野 恵. (2017). 赤目砂鉄を原料として古代製鉄技術によって生成される鉧の研究. 2017年度実績報告書.
*4) 山口勉功. (2009). 化合物飽和析出による鉄スクラップからの銅の除去. JFE21世紀財団, 大学研究助成技術研究報告書.
*5) 松井章敏, 内田祐一, 髙橋幸雄. (2016). 鉄スクラップ利用拡大のための浴銑脱銅技術. JFE技報No.38, 58-62.

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