名人農家が教える有機栽培の技術

昨年から、新井俊春さんに無理を言ってお願いして、書いていただいた本がようやく発行できることになりました。新井俊春さんは、1955年に群馬県甘楽町の農家に生まれ、30代のころから有機農業に取り組んできました。施設トマト、露地野菜などで、高い有機栽培の生産技術を有し、甘楽町有機農業研究会の代表も務めています。甘楽町有機農業研究会は、2010年日本農業賞食の架け橋賞優秀賞、2014年環境保全型農業推進コンクール最優秀賞など受賞しています。

『名人農家が教える有機栽培の技術』
発売 2019年8月10日
新井俊春 著
発行 月曜社
税込価格 2,916円(本体価格 2,700円)
四六版 304ページ
巻頭カラー写真 76枚
本文写真(白黒) 約200枚
図データ 38
表データ 49

これほど詳細で実践的な有機栽培の技術の本は、これまでに、なかったと思います。有機農業の生産者だけでなく、多くの栽培者にとって、必読の文献と思います。はっきり言って、値段の10倍の情報の価値があると思います。

初刷り部数はそれほど多くないので、早めに入手したい方は、近くの本屋さんに予約してください。

なお、Radixの会の会員の方は、会員価格で入手できます。後日、事務局のほうから、申し込み方法の連絡があると思います。


農薬をまったく使わず20段まで栽培するトマト(中玉)

猛暑の夏でも色むらがでない
pho8-12(2)
露地のミブナ、ノザワナ、コマツナなど
pho8-13(4)
施設のミニチンゲンサイ、わさび菜、ミブナなど

在来種コマツナ

ノザワナ、芸術品のような野菜ばかりです

2019_08_01_0001 (2)

2019_08_01_0003 (2)

2019_08_01_0004 (2)

2019_08_01_0008 (2)

2019_08_01_0005 (2)

目次

1章 有機農業への転換 8
養蚕業の衰退 8
トマトとネットメロンの栽培 10
有機農業へ転換 15

2章 堆肥づくり 18
堆肥と腐植 18
自家製堆肥の材料 22
堆肥化の過程 24
水分調整 24
C/N比(炭素率) 27
堆積と切り返し 29
熟成 31

3章 土と作物 32
腐植と団粒 32
窒素の吸収 34
地上部と根の伸び方 37
養分吸収 40
結球野菜、ホウレンソウ、ジャガイモ 40 /ネギ、長期どりの果菜類 42 /根菜、カボチャ 43

4章 土壌診断と生育診断 45
堆肥の入れすぎ 45
土壌の診断 48
土壌pH 48
電気伝導度(EC) 50
陽イオン交換容量(CEC) 51
塩基飽和度 52
塩基バランス 53
観察の重要性 55
作物の栄養素 58
窒素(N) 58/カリウム(K) 60/カルシウム(石灰、Ca) 60/マグネシウム(苦土、Mg) 62
微量要素と土壌 63
ホウ素(B) 63/マンガン(Mn) 66/鉄(Fe) 67

5章 トマトの栽培 68
トマトの特徴と作型 68
培養土 70
播種 73
鉢上げ、育苗 76
土壌養分の診断 77
施肥とうね 80
マルチ 84
栽植 86
定植 90
かん水 92
整枝 96
着色対策 98
追肥 99
被覆資材 102
扇風機 103
受粉 103
収穫 104
診断と対策 105
窒素(N) 105/リン酸(P) 106/カリウム(K) 106/カルシウム(石灰、Ca) 108/マグネシウム(苦土、Mg) 111/異常茎 112/乱形果 113/窓あき果、チャック果 114/網入り果 114/裂果 115

6章 トマトの病害虫対策 118
病原菌の特徴 118
菌類(糸状菌) 121
葉かび病 121/すすかび病 122/灰色かび病 122/輪紋病 124/白絹病 125/菌核病 126/うどんこ病 127/萎凋病 127/根腐萎凋病 129/褐色根腐病(コルキールート) 129
細菌(バクテリア) 130
斑点細菌病 130/かいよう病 131/青枯病 132
ウイルス 134
モザイク病 134/黄化えそ病(TSWV) 135/黄化葉巻病(TYLCV) 136
害虫 138
土壌病害対策 143
太陽熱消毒 143/土壌還元消毒 145/糖蜜を利用した土壌還元消毒 146/カラシナ土壌還元消毒 147

7章 ニガウリの栽培 148
ニガウリの特徴と作型 148
播種 149
鉢上げ、育苗 150
施肥、うね立て 152
定植、支柱立て 154
誘引 156
収穫 157
害虫対策 159

8章 葉菜類の栽培 161
品目と作型 161
コマツナ(小松菜) 162
ミブナ(壬生菜) 164
ノザワナ(野沢菜) 165
ミニチンゲンサイ 166
わさび菜 167
肥料と施肥 168
整地と鎮圧 170
播種 172
播種の間隔 173
収穫 176
栄養診断と土壌養分の診断 177

9章 野菜の病害虫対策 180
有機栽培と病害虫 180
生物学的な分類 181
作物をとりまく環境 186
水はけ 186/風通し 188/日当たり 189/温度 190/栄養分 190
菌類(糸状菌) 191
菌核病(スクレロティニア) 191/黒班病(アルタナリア) 193/白絹病(スクレロチウム) 195/うどんこ病 197/萎凋病、つる割病など(フザリウム) 199
原生生物 202
疫病(フィトフトラ) 202/べと病 205/白さび病(アルブゴ) 206/根こぶ病(プラスモディオホラ) 208/立枯病 213
細菌(バクテリア) 216
軟腐病(ペクトバクテリウム) 216/シュードモナス 218/腐敗病 219/斑点細菌病、黒斑細菌病 220/キサントモナス 221/ジャガイモそうか病 223
ウイルス 227
害虫対策 230
除草 230/窒素施用と害虫 232/防虫ネット、不織布 233/不織布のべた掛け 235/被覆資材のトンネル掛け 236/雨よけハウスでの害虫対策 238
線虫 239

10章 野菜の品質保持 243
品質保持の重要性 243
日持ちの内的要因 244
収穫後の鮮度の変化 246
品質劣化の現状と改善点 249
萎れ 250/黄化 252/とろけ(腐敗) 253/カビ 255/裂根、裂球、裂果 256/芯部や先端の変色 258

11章 施設、資材、機械、道具 261
施設 261
肥料 263
遮光ネット 265
ロータリー 267
プラウ 271
プラソイラ 273
管理機 274
鎮圧ローラー、播種機 274
整地道具 275
除草道具 276
マルチの穴あけ 277
ネギの定植道具 278
調整、荷づくり 279

あとがき 280

参考文献・引用文献 284

ポトラッチと家畜化 Potratch and domestication

レヴァントでのヤギ、ヒツジ、ウシの家畜化(遺伝的変異)は、PPNB期にトルコ南東部でおきたことがわかっている。これらの動物は、イヌとは異なり、「意識的」に飼育がはじまったことはあきらかだ。ただし、飼育=家畜化(遺伝的変異)ではない。野生の動物が遺伝的に変異して家畜になるには、「無意識」の選択と繁殖がおこなわれなければならない。


チャヨヌ遺跡の各層から出土する動物の種構成とその相対的な割合(*1)(*2)


チャヨヌ遺跡から出土したウシ(左)とアカシカ(右)のサイズの変遷(*1)(*2)

しかし、どうしてこれほど古い時代に、大型の草食動物を飼育するという、やっかいでめんどうなことをはじめたのであろうか。

草食動物は草原や森で勝手に植物を食べて生きているのだから、必要なときにそれを捕獲するのがもっとも合理的だ。世界中の狩猟民や漁撈民たちは、無秩序に動物を捕獲しているわけではなく、狩りや漁ができる場所(テリトリー)が、厳格に定められている。つまり、たとえ野生の動物であっても、集団の所有権(資源獲得権)が確定している。また、産卵期や繁殖期に捕獲しない、必要以上に捕獲しない、幼体は捕獲しない、若いメスを捕獲しないなど、猟期、捕獲量、捕獲対象などについて、細かい制限や規範があり、野生の動物の繁殖を管理している。

レヴァントでも、古い時代から動物の管理がおこなわれていたことは、遺伝学や考古学の調査からうかがえる。キプロス島では、12,000年前から、イノシシ、ムフロン、ベゾアール、オーロックス、ダマジカ、アカシカ、キツネなどの大型の動物が運びこまれていた。(*3)

また、家畜ヤギは、ハプロAとCがトルコ南東部で家畜化されたが、ハプロCは、もともとは南部ザクロスまたはイラン高原に生息していたベゾアールの系統であり、これがトルコ南東部に移されたあとに家畜化されたと考えられる。(家畜ヤギの起源)

家畜ヒツジも、ハプロタイプがクラスターⅠ(トルコ南東部)とクラスターⅡ(イラン高原)の2つの系統に分けられ、地理的に異なる2つの母系が存在する。また、現在のキプロスムフロンは、イラン高原などに生息していたムフロンの系統であった。(ヒツジの起源)

キプロス、ヤギ、ヒツジなどの例から、12,000年前のレヴァントでは、野生の動物を長距離に移動させる何らかの社会システムを有していたと思われる。そして、レヴァントの12,000年前は、ギョベクリ・テペの建設がはじまった時期と一致する。さらに、PPNB後期の家畜化は、ギョベクリ・テペの放棄と同時期だ。

これらのことから、ベゾアール(野生ヤギ)やムフロン(野生ヒツジ)は、ポトラッチにおける相互贈与の財のひとつであったと考えられる。バンド内で食料を相互贈与するばあいは、捕獲した動物をすぐに分配できる。しかし、他の部族に贈与するばあいは、干し肉などの保存食料にしないかぎりは贈与することはできない。しかし、ヤギやヒツジを生きたまま捕獲して、生きたまま運べば、腐敗せずに価値が維持されるので、財として贈与することができる。ただ、大型の動物を生きたまま捕獲して運ぶのはかなりやっかいである。そこで、仔畜または若い個体を捕獲し、しばらく飼育してから運んだと思われる。ただし、仔畜を飼育するだけでは、家畜化(遺伝的変異)はおこらない。

動物の家畜化において、もうひとつ重要なことは、乳の利用である。地中海地域で飼育されているヒツジとヤギの群れは、ほとんどがメスである。オスは、若いうちに屠殺される。現代でも、ヒツジの肉の多くが、ラムとして消費される。ラムは、生後1年未満のオスの仔羊で、永久歯が生えていない。メスは仔を産ませるためにそのまま育てられ、1年を超えたときに妊娠しなかったメスがホゲットとして消費される。ホゲットは、1歳以上2歳未満のメスだ。マトンは、経産のメスで、2歳以上で4歳ごろまでに消費される。

BC2600年のウルのスタンダードでは、牡牛やヒツジの群れの先頭にヤギが描かれている。


ウルのスタンダード、牡牛、山羊、羊(BC2600)

西アジア、中央アジア、南アジア、ヨーロッパ、モンゴル、ツインドラ地帯、東アフリカなど、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の牧畜民は、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダ、トナカイなどの家畜の乳を利用する。アラブ系牧畜民バッガーラでは、次のように群れの管理がおこなわれているという。

「小頭数の牡畜のみを残し,群の大部分を牝畜で構成させている.牝畜の妊娠・出産・泌乳には選ばれし少数の牡畜のみで要を成すことから,多くの牡畜は生後間もなく間引かれることとなる.30頭の牝畜に1頭の牡畜を交尾のために留める程度である.牝畜は,乳の出が悪くなると,物々交換などに出されたりして,随時更新されていく.ここに,より多くの乳を搾るために,牧畜民による家畜の育種・選択がおこなわれていることが理解される.また,家畜から乳を搾るためには,母仔を分離し,別々の群にして放牧し,母畜の乳が減らないように仔畜への哺乳を制御する必要がある.仔畜に口かせを付けたり,母畜に胸当てを付けたりすることもある.また,本来は自らの仔のみに許容するはずの哺乳を他種動物(ヒト)が搾乳できるようになるためには,仔畜を利用した催乳など,乳を横取りするだけの技術が必要となる.更に,搾乳は群を身近に留めるためのコントロールにも利用されている.搾乳のためには,母仔分離をする.母仔は,匂いと鳴声で互いを認識し合っている.この契られた母仔関係により,母仔を別々の群に分離しても,母畜は仔畜のことが気になり,遠くに行こうとはしない.つまり,搾乳のために母仔を分離し,仔畜群を宿営地の近くに留めておけば,母畜群の集団も結果的に宿営地の近くに留まることになる.」(平田, 2011)(*5)

一方、モンゴルの遊牧民では、飼育している家畜の群れのメスの割合は50%以下で、オスは去勢されて飼育される。

「春営地では,新生仔や母畜の一部がそれ以外の個体と区別して管理される.仔ウシは,生後数日間は寒さとカラスやオオカミの襲撃から守るため,そして母をキャンプに連れ戻すためのおとりとして,また人間が搾乳するために勝手に哺乳させないように,放牧には出されず囲いの中にとどめおかれる.仔ヤギは,寒さに弱く,自由に哨乳させると飲み過ぎて下痢し,また母を見失って迷子になりやすく,母ヤギの方も仔を取り違えて母子ペアの組み合わせに齟齬が生じやすいなどの理由で,ゲルや囲いの中で数週間育てられる.仔ヒツジにはそのような問題がないとして母と一緒に放牧に出される.だが仔ヒツジと出産前後の母ヒツジだけは,それ以外のヒツジ・ヤギ群とは分けられ,キャンプからより近い場所で放牧される.仔ウマは,キャンプから遠く離れた場所で生まれて母やほかの群れメンバーとともに行動する.牧民は春にはウマを数日間にわたってキャンプに連れ戻さないで自由に遊動させるため,仔ウマの誕生に気づかないことも多い.夏営地では,仔ウシと仔ヒツジ・仔ヤギがキャンプ周辺で草を食べはじめるようになる頃にヒツジ・ヤギの搾乳も始まり,仔はキャンプ周辺で,母は離れた場所で放牧される.その後ウマも搾乳期に入り,毎朝キャンプに連れ戻されるようになる.朝,仔ウマは1頭ずつキャンプ内の仔ウマつなぎにつながれ,噛乳できない状態で1日中過ごす.仔ウマがつながれていると,母をはじめ,1頭の種オスによって統率された群れの大部分がキャンプ周辺にとどまる.秋営地に移ると一般にウマとヒツジ・ヤギは搾乳しなくなるため,仔を母の群れに入れて一緒に放牧する.ウシは通年搾乳するため秋以降も仔と母を分けて放牧する.9月初旬には,ヒツジ・ヤギの早すぎる妊娠を防ぐためにヒツジ・ヤギの種オスの管理を外部に委託する.10~11月頃,ヒツジ・ヤギの種オスが群れの中に放たれ,冬営地ではヒツジ・ヤギの全個体が一群として放牧される.以上をまとめると,ハイルハンでは一般的に,年間をとおして家畜を4つ以上の放牧群に分け,別々の場所で放牧している.このように放牧群を分ける理由は次の5つである.(1)1日に移動できる距離や放牧中の移動速度の異なる個体は一緒に放牧できない.(2)新生仔を保護する.(3)仔をおとりとして母を含む群れ全体をキャンプに繋ぎとめる.(4)搾乳量を確保するために,仔畜が自由に哺乳できないようにする.(5)ヒツジ・ヤギについては出産時期を限定するため,性成熟に達したオスとメスを一定期間遠ざけておくことによって交尾を管理する.」(風戸, 2006)(*6)

「牧民は,新しく生まれてくる仔と母との組み合わせをひとつももらさず認知し,成長後も母系の系譜上に位置づけてよく覚えている。ハルザイ(27歳,男性)に,彼の所有する羊・山羊の系譜関係を写真付きの個体カードをもとにたずねたところ,全個体の母子関係を教えてくれた。男性は群れの通年的な母子関係の総合的な知識では女性をしのぐ。しかし,新生仔の母子関係については女性の記憶に頼ることがある。・・・冬の大切な仕事として、家畜の種付けの調整がある。種オスはいつも慎重に選ばれている。選ばれなかったワカオスは去勢される。」(風戸,1999)(*7)

話がそれるが、この「オスを去勢して群れに残す」という群れ管理の方法が、モンゴル帝国の武力と多民族支配の背景にあるのではないだろうか。モンゴルの兵士は全員騎馬で、何頭もの替え馬を連れて長大な距離を行軍した。また、従わない異民族に対しては残忍であったが、帰順する異民族の支配者を殺さず登用した。

家畜の管理と搾乳に仔畜が利用されていたことは、ウバイト期やウルク期の印章からもうかがえる。


Ubaid temple inlaid frieze: cow pen with lunar crescent (Delougaz 1968)


Cylinder seal depicting cows emerging from the cow pen (Delougaz 1968)


Cylinder seal and impression: cattle herd at the cowshed. White limestone, Mesopotamia, Uruk Period (4100 BC–3000 BC).

考古学の調査では、2007年の報告がある。西アジアの新石器時代の遺跡から出土した動物骨を分析し、生後2か月以内のオス(ラム)の割合や、2~4歳のメス(マトン)の割合から、乳利用について調べている。西アジアの新石器時代の遺跡では、ヒツジとヤギの肉利用だけをおこなっていた遺跡はほとんどなく、多くが肉と乳の両方を利用していた。乳利用がおこなわれていたと思われるもっとも古い遺跡は、BC8000年紀前半とBC7000年紀の例があり、西アジアではPPNB中期にはすでに乳利用がおこなわれていたと考えられている。すなわち、ヤギとヒツジを飼育するようになってから、それほど間を置かずに、乳利用がはじまったという。(*8)


TABLE 3. – Frequencies of the main types of harvest profiles of sheep and goats which have been examined in this paper for Near Eastern and Mediterranean Early Neolithic periods. (*8)

直接的な乳利用の証拠としては、2008年の報告がある。西アジアのBC7000年紀の遺跡から出土した土器から乳の脂肪酸が検出されており、とくにトルコ北西部の遺跡に顕著だったという。(*9)


Figure 1, Map showing the locations of sites providing pottery for organicresidue analysis. (*9)

Table 1 Details of sites, dates, sherds, and lipids and their concentrations. (*9)

仔畜をおとりにして動物の群れを管理し、乳を利用したのが牧畜のはじまりであると指摘したのは、梅棹忠夫だ。

「草原の有蹄類のむれを手にいれて、その乳をしぼれるようになった鍵がございます。その鍵はなにかといいますと、家畜の子どもなのです。これを人質にとってしまう。・・・乳しぼりと去勢の二つの技術を前提として、牧畜という生活様式が完成したとわたしはかんがえる」(『狩猟と遊牧の世界』)(*10)

しかし、このような見方は、「乳を利用する」あるいは「牧畜する」という目的が先にあって、その目的を実現する手段として、「仔畜を人質にする」ということであろう。これは、「栽培」という目的が先にあって、野生植物を栽培する過程で栽培植物が生まれた、あるいは、アリはアブラムシを牧畜するという目的が先にあって、野生アブラムシを牧畜する過程で家畜アブラムシが生まれたという論理と同じだ。

そもそも、動物を飼育するのは、動物を食料として利用するためであり、動物を食料にするには、アボリジニ、サン族、漁撈民たちのように、管理狩猟をおこなうのがもっとも効率がよい。管理狩猟でもっとも重要なのは、テリトリー(資源獲得権)を獲得することである。

やっかいでめんどうな動物飼育をはじめたのには、理由が存在するはずで、その理由は、ポトラッチにおける財の贈与と思われる。ポトラッチにおける財の相互贈与は、ライバル部族同士の戦闘を抑止し、部族の資源獲得権を確保するためだ。ポトラッチによって資源獲得権を獲得するために、ベゾアールやムフロンの仔畜を飼育するようになったと考えられる。

仔畜を飼育するなかで、結果的にベゾアールやムフロンの群れを自分たちのテリトリー内にとどめておくことが可能になり、さらに、乳を利用できるようになった。肉と乳を効率よく利用するには、人に慣れず、乳の生産量が低い個体は殺して肉として利用する。逆に、人に慣れて乳がよく出る個体は選択されて繁殖するので、家畜化がすすんだと考えられる。

PPNB期の終わりにギョベクリ・テペが放棄されたのは、ヒツジ、ヤギ、ウシなどの家畜化によって草食動物の所有権が確立し、動物の捕獲権をめぐる調停の場としてのポトラッチが廃れたからであろう。ポトラッチのために家畜化がはじまったが、家畜化がはじまったことで動物の所有権が確立し、ポトラッチの必要性が弱くなった。

文献
*1)本郷一美. (2002) 狩猟採集から食料生産への緩やかな移行 : 南東アナトリアにおける家畜化. 国立民族学博物館調査報告 33 109-158.
*2)本郷一美. (2008) ドメスティケーションの考古学. 総研大ジャーナル 13 30-35.
*3)Jean-Denis Vigne, Antoine Zazzo, Jean-François Saliège, François Poplin, Jean Guilaine, and Alan Simmons. (2009) Pre-Neolithic wild boar management and introduction to Cyprus more than 11,400 years ago. PNAS September 22, 2009. 106 (38) 16135-16138.
*4)三宅 裕. 西アジア型農耕と家畜の乳利用. ユーラシア乾燥地域の農耕民と牧畜民, 六一書房, 2013.
*5)平田昌弘. 牧畜の本質と特徴―生業構造の民族学的視点から. ユーラシア乾燥地域の農耕民と牧畜民, 六一書房, 2013.
*6)風戸真理. (2006) 遊牧民の離合集散と世話のやける家畜たち:モンゴル国アルハンガイ県におけるヒツジ・ヤギの日帰り放牧をめぐる労働の組織化と群れ管理. Asian and African Area Studies, 6 (1): 1-43.
*7)風戸真理. 遊牧民と自然と家畜-遊動と家畜管理. モンゴルの家族とコミュニティ開発, 日本経済評論社, 1999 p21-50.
*8)Vigne, J-D. and D. Helmer. (2007) Was Milk a ‘Secondary Product’ in the Old World Neolithization Process? Its Role in the Domestication of Cattle, Sheep and Goats. Anthropozoologica 42: 9-40.
*9)Evershed, R., Payne, S., Sherratt, A. et al. (2008) Earliest Date for Milk Use in the Near East and Southeastern Europe linked to Cattle Herding. Nature 455: 528-531.
*10)梅棹忠夫. (1976) 狩猟と遊牧の世界. 講談社.

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イヌの起源 Origin of the dog

テリトリー遊動や貯蔵段階の管理採集の担い手は、女性であった。すなわち栽培植物や初期農耕文化は、女性の活動から生じたと思われる。一方、管理狩猟の担い手は男性であったために、動物の家畜化については、男性の役割が大きかったと考えられる。遺跡からよく出土する女性像が、ギョベクリ・テペから見つかっていないというのは象徴的だ。ギョベクリ・テペは、部族間の管理狩猟をめぐる交渉と調停の場であったと思われるからだ。

もっとも早くに家畜化された動物は、イヌとされている。イヌの起源は古く、かつ複雑なために、長いあいだ議論がつづいてきた。イヌ(Canis lupus familiaris)の原種は、オオカミ(Canis lupus、タイリクオオカミ、ハイイロオオカミ)であることがわかっている。オオカミは、ユーラシアと北米に広く分布しており、32の亜種が報告されている。

2016年の報告では、多くのオオカミは、2.5万~8,000年前に、数が大きく減少しており、これは、最終氷期の終焉と大型動物の絶滅が関係していると考えられている。イヌは、現在は絶滅した後期更新世のオオカミ個体群に由来すると考えられており、分岐後に各地のオオカミと交配していた。(*1)


Figure 3. The maximum likelihood tree of 30 sequences. Numbers represent node support inferred from 100 bootstrap repetitions. The reference genome boxer was not included. The Israeli golden jackal is the outgroup.(*1)


Figure 5. Demographic history inferred using PSMC. Following Freedman et al. (2014) and Zhang et al. (2014), we used a generation time = 3 and a mutation rate = 1.0 × 10−8 per generation. The Tibetan wolf 1 and Inner Mongolia wolf 4 are shown in all the plots for comparison purposes. (A) All the Asian wolves; (B) all the European wolves, Middle Eastern wolves, and Indian wolf; (C) dogs; (D) Mexican wolf and Yellowstone wolves.(*1)


Figure 6. Demographic model inferred using G-PhoCS. Estimates of divergence times and effective population sizes (Ne) inferred by applying a Bayesian demography inference method (G-PhoCS) to sequence data from 13,647 putative neutral loci in a subset of 22 canid genomes (because of limitations in computational power). Estimates were obtained in four separate analyses (Methods; Supplemental Table 6). Ranges of Ne are shown and correspond to 95% Bayesian credible intervals. Estimates are calibrated by assuming a per-generation mutation rate of μ = 10−8. Mean estimates (vertical lines) and ranges corresponding to 95% Bayesian credible intervals are provided at select nodes. Scales are given in units of years by assuming an average generation time of 3 yr and two different mutation rates: μ = 10−8 (dark blue) and μ = 4 × 10−9 (brown). The model also considered gene flow between different population groups (see Table 1).(*1)

2017年の研究では、イヌの祖先とオオカミの分岐は41,500~36,900年前と報告されている。また、東南アジアのイヌが分岐したのは、23,900~17,500年前であるという。イヌの家畜化は、イヌの祖先が他のオオカミと分岐したあとで、東南アジアのイヌが分岐する前ということになるので、40,000~20,000年前におきたと述べている。(*2)


Figure 5 Demographic model regarding ancient and contemporary dogs and wolves.
(a) The best model fit to both modern and ancient canid data using ADMIXTUREGRAPH on the whole-genome data set. This model had four f4-statistic outliers. Branches are indicated by solid black lines (adjacent numbers indicate estimated drift values in units of f2 distance, parts per thousand), whereas admixture is indicated by coloured dashed lines (adjacent numbers indicate ancestry proportions). Sampled individuals/populations are indicated by solid circles with bold outline. Wolves are labelled as ‘wolf’ and dogs are labelled according to their continental origin. (b) Divergence times of contemporary dogs and wolves inferred using G-PhoCS. Mean estimates are indicated by squares with ranges corresponding to 95% Bayesian credible intervals. Migration bands are shown in grey with associated value representing the inferred total migration rates (the probability that a lineage in the target population will migrate into the source population). The divergence time for HXH and NGD and modern European dogs is inferred using a numerical approach. The proportion of Indian village dog ancestry in CTC is inferred by NGSadmix and the proportion of South China village dog ancestry in HXH and NGD is inferred by f4-ratio test, shown in red.(*2)

オオカミの家畜化は、どのようにおきたのであろうか。アリは意識的にアブラムシを「家畜化」しなかったように、4~2万年前の人間も意識的にオオカミを家畜化しなかったであろう。オオカミと人間が「延長された表現型」の関係になるには、オオカミの無意識の選択と繁殖がおこなわれなければならない。

アフリカを出て、ユーラシア大陸の内部に侵入した人類は、マンモスなどの大型哺乳類を狩猟の対象にしていた。ロシアのドン川の川岸にあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群は、上部旧石器時代(オーリナシアン)の遺跡で、マンモスの骨が大量に出土している。コステンキ14(Kostenki 14)から出土した38,700~36,200年前の男性の骨から、DNAが抽出された。分析の結果、この男性の肌や瞳の色は濃く、中央シベリアの24,000年前のマリタ(Mal’ta)遺跡から出土した少年と近縁であったという。さらに、ヨーロッパの中石器時代の狩猟採集民、現代の西シベリア人、多くの現代ヨーロッパ人へとつながっていた。また、この男性は、東アジア人とは遺伝的に疎遠であったことから、西ユーラシア人と東アジア人は、36,200年より前に分岐したと考えられている。(*3)


Mammoth bones in Kostenky(Author:evatutin)


Fig. 2. Relationships of the K14 sample and MA1, MHG, NEOL,modern Europeans, and the modern populations in the Yeniseiregion . This representation is a possible topology consistent withthe results presented in this study in the context of the relation-ships described by Lazaridis et al.(21) for the modern Europeanpopulations and Raghavan et al.(23) for MA1. Present-day pop-ulations are colored in blue, ancient poplation in red, and ances-tral populations in green. Solid lines represent descent withoutadmixture events, and dashed lines show admixture events. Ar-rows do not depart from ancient samples (K14 and MA1) becausethey represent relationships of population ancestry. We only showthe topology of the potential population tree: There is no notion oftime in this representation. The treeisnottheresultofamodel-fitting procedure but rather a possible topology consistent with thekey results (A, B, and C) of this study.(*3)

新生代第四紀の大量絶滅は、最終氷期とその終了後(7万~1万年前)におきている。絶滅の原因は、気象変動および人類の活動と考えられており、おもに大型の動物が絶滅した。とりわけ大きな打撃を受けたのはゾウ目で、デイノテリウム科、マストドン科、ステゴドン科、ゴンフォテリウム科、ゾウ科マンモス属が絶滅した。

オオカミは、シカ、イノシシ、ムフロンなどを捕獲することはできるが、マンモスを襲うことはできない。一方、4万年前の人間は、マンモスなど動きが遅い大型動物を捕獲できるが、シカなどの走力が優れる動物は、弓矢がないと捕獲するのは難しい。

人間がマンモスのような大きな動物を捕獲すれば、臓器、皮、骨などの捨てる部分が大量にでるはずだ。ふつうのオオカミはマンモスを食料にできないが、人間の近くをうろつくオオカミは、捨てられたマンモスの臓器を食料にすることができる。

人間の近くで暮らすオオカミは、生存に有利なので、その遺伝子は存続できるであろう。すなわち、つねに人間の動きに注目して、人間の近くで暮らすオオカミの形質が、遺伝子プールのなかに増えていくと考えられる。

人間の側から見ると、マンモスを捕獲できるときは、人間の近くで暮らすオオカミの存在は有利でも不利でもない。しかし、マンモスを捕獲できずに食料が不足したときは、オオカミが捕獲したシカを横取りしたり、わなを仕掛けてオオカミを捕獲して食料にしたりするであろう。つまり、人間の近くをうろつくオオカミは、人間にとって不利ではない。

たとえば、わたしの家でも、食べ物が不足する冬になると、毎晩、タヌキが生ごみ堆肥をあさりにくる。アライグマ、ハクビシン、タイワンリスは、庭のカキ、ビワ、クリ、カンキツなどを食べてしまうので退治したいと思うが、タヌキは、人を攻撃しないし、ゴミしか食べないので、退治しようとは思わない。わたしが100年前の人間なら、タヌキを捕獲して、食べるであろう。ちなみに、うちの子供が小学生のときに、わなを仕掛けてタヌキを何度か捕まえたことがある。人間のゴミに依存するタヌキは、子供でも捕まえられるくらいに、簡単に捕獲できる。タヌキと日本人の関係は、「延長された表現型」の関係にあると思われる。

人の近くで暮らすオオカミの遺伝子プールで、人を恐れず人を攻撃しない形質が生じたとする。この「人慣れオオカミ」が、キャンプに入ってきたときに、もし食べ物が不足していれば、人はこれを捕獲して食べてしまうであろう。しかし、食べ物が十分にあれば、人慣れオオカミが、ゴミ捨て場の臓器を食べても放置するであろう。

つまり、マンモスが捕獲できるときは、人慣れオオカミに臓器を与え、マンモスが捕獲できないときは人慣れオオカミを食べればよいので、人慣れオオカミを「貯蔵食料」としてキャンプの周辺に置いておくのが合理的だ。人慣れオオカミを食料にするときは、人によく慣れる個体を残し、人を攻撃する個体を食べるので、次第に人に慣れる個体が選択され、イヌが成立したと考えられる。

以上のように考えると、40,000~20,000年前におきたイヌの「家畜化」というのは、イヌの祖先のオオカミの個体群が、人間の近くで暮らすようになった“humanization”(ヒト化)の段階であった可能性もある。

ナトゥーフィアン初期に定住化がはじまったときに、レヴァントのネズミの種類と臼歯の形状に変化がおきたことは述べた(ナトゥーフィアン=貯蔵社会への転換)。このネズミの遺伝的な変化を、だれも「ネズミの家畜化」とは呼ばない。人間の近くに棲むネズミは、日本語では「イエネズミ」、英語では“House mouse”と呼んで、ペットや実験で使う家畜のマウスと区別している。

アジアのイヌが分岐したのは、23,900~17,500年前と報告されているが、マンモスを求めてアジアに移動する人間といっしょに移動したのは、イヌ、人慣れオオカミ、ヒト化オオカミの3とおりの可能性がある。ヒト化オオカミ→人慣れオオカミ→イヌへの形質変化は、行動においては飛躍的な変化だが、遺伝的な変化は小さいので、連続的にしか見えないはずだ。

いずれにしても、オオカミとヒトの「延長された表現型」の関係への変化がはじまったのは、ヒトの拡散遊動段階だったことは間違いないであろう。

文献
*1)Zhenxin Fan, Pedro Silva, Ilan Gronau, Shuoguo Wang, Aitor Serres Armero, Rena M. Schweizer, Oscar Ramirez, John Pollinger, Marco Galaverni, Diego Ortega Del-Vecchyo, Lianming Du, Wenping Zhang, Zhihe Zhang, Jinchuan Xing, Carles Vilà, Tomas Marques-Bonet, Raquel Godinho, Bisong Yue, and Robert K. Wayne. (2016) Worldwide patterns of genomic variation and admixture in gray wolves. Genome Res. 2016 Feb; 26(2): 163–173.
*2)Laura R. Botigué, Shiya Song, Amelie Scheu, Shyamalika Gopalan, Amanda L. Pendleton, Matthew Oetjens, Angela M. Taravella, Timo Seregély, Andrea Zeeb-Lanz, Rose-Marie Arbogast, Dean Bobo, Kevin Daly, Martina Unterländer, Joachim Burger, Jeffrey M. Kidd & Krishna R. Veeramah. (2017). Ancient European dog genomes reveal continuity since the Early Neolithic. Nature Communications 8:16082.
*3)Andaine Seguin-Orlando, Thorfinn S. Korneliussen, Martin Sikora, Anna-Sapfo Malaspinas, Andrea Manica, Ida Moltke, Anders Albrechtsen, Amy Ko, Ashot Margaryan, Vyacheslav Moiseyev, Ted Goebel, Michael Westaway, David Lambert, Valeri Khartanovich, Jeffrey D. Wall, Philip R. Nigst, Robert A. Foley, Marta Mirazon Lahr, Rasmus Nielsen, Ludovic Orlando, Eske Willerslev. (2014) Genomic structure in Europeans dating back at least 36,200 years. Science28 Nov 2014 : 1113-1118

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ギョベクリ・テペとポトラッチ Göbekli Tepe and Potratch

人類がもっとも早くに建設した大型建造物とされているのは、ギョベクリ・テペ(Göbekli Tepe)である。ギョベクリ・テペは、トルコ南東部のカラジャ山の100キロほど西に位置する。一般には、PPNA(Pre-Pottery Neolithic A)期の遺跡とされており、初期の遺構はBC9130~8800の年代と考えられている。

Lab-Number       Context               cal BCE
Ua-19561            enclosure C         7560~7370
Ua-19562            enclosure B         8280~7970
Hd-20025            Layer III              9110~8620
Hd-20036            Layer III              9130~8800

遺跡は、20もの円形遺構からなり、200本以上の石灰岩の柱などで建造されている。最大の石柱は、長さ6メートル、重さ10トンにもなる。(*1)


Göbekli Tepe. Schematic plan of excavated structures.(Deutsches Archäologisches Institut, Berlin)(*1)


Göbekli Tepe(Author:Teomancimit)


Fox(Author:Zhengan)


Aurochs, fox and crane(Author:Teomancimit)


Gobeklitepe animal sculpture

T字型の柱には、ヘビ、キツネ、イノシシ、ツル、オーロックス、野生ヒツジ、ロバ、ガゼル、ヒョウ、ライオン、ヒグマ、ハゲタカ、クモ、サソリ、図象などのレリーフが彫られている。


* Sometimes a larger number of snakes (> 5) has been depicted in close association. This strong coherence suggests that we are dealing with a unity. For statistical reasons, we decided to count such associations only once, but added the real number of individuals depicted in brackets.
** Including the net-like object (snakes ?) and the three bucrania.(*1)

遺跡では、住居は見つかっていないが、シカ、ガゼル、イノシシ、カモなどの動物の骨が多数出土している。骨には人為的に解体された痕跡があり、集会のために用意された食べ物の廃棄物と考えられている。

発掘者のクラウス・シュミットは、ギョベクリ・テペは石器時代の宗教施設と考えていた。死者崇拝あるいは祖先崇拝の中心的な場所であり、石柱に刻まれた動物は死者を守るためという。しかし、遺跡からは、墓は見つかっていない。また、PPN期の遺跡でよく見られる女性の像も見つかっていない。(*1)

なお、T字型の石柱は、Nevalı Çori、Hamzan Tepe、Karahan Tepe、Harbetsuvan Tepesi、Sefer Tepe、TaslıTepeなど、周辺の遺跡からも出土している。(*2)


Nevalı Çoriの石柱(Hauptmann, 1999)(*3)

ギョベクリ・テペはPPNB期のあとのBC8000年ころに放棄され、建造物は埋められた。なぜ埋められたのかはわかっていない。

一般に、欧米の研究者たちは、ギョベクリ・テペを宗教施設と考え、宗教の起源をここに求める傾向が強いようである。ギョベクリ・テペに見られる当時の人々の行為が、その後の世界の神話や宗教につながっていることは確かであろう。しかし、当時の人々の行為を、「宗教行為」と見るのは、早計であろう。


Fertile crescent Neolithic B circa 7500 BC (Author:Bjoertvedt)

前に、ポトラッチは、北米海岸やポリネシアなどの漁猟部族の社会で発達したシステムではないかと述べた(ポトラッチ:漁撈部族間の相互贈与)。これらの漁撈部族の特徴は、狩猟民でありかつ貯蔵社会であるということだ。また、漁撈の場が海であるために、テリトリーの境界がはっきりしていない。利用資源の捕獲権が確定していないために、資源をめぐって紛争が生じやすい。

モースは、ポトラッチを以下のように定義している。

「第一に、相互に交換や契約の義務を課すのは、個人ではなく集団である。契約の当事者は、氏族、部族、家族などの法的組織である。彼らは、特定の場所で直接に顔を合わせたり、あるいはその首長を介したり、あるいは同時に両方の方法で対峙する。彼らが交換するものは、財産や不動産など、経済的に有用なものだけではない。この交流は、宴会、儀式、兵役、女性、子供、舞踊、祭事、見本市であり、経済的取引は要素の一つにすぎない。財を渡すことは、永続的な契約の一部にすぎない。最後に、これらの供与と返礼は、贈り物として自発的な行為にまかされているが、突き詰めると、私的あるいは公的な戦闘の上に、厳格に義務づけられている。われわれは、これを全体的な供与のシステムと呼ぶことを提案する。」(*4)

さらに、ポトラッチにおける三つの義務をあげている。

・贈る義務:贈与や歓待は、同族以外の人々に与えなければ意味がない
・受け取る義務:贈り物やポトラッチを拒否することはできない。贈与や歓待を拒否することは、返礼を渋っているとみなされる
・返礼の義務:贈与に対する返礼の義務は強制的である。返礼をしない者は面子を失う

人間の超協力タカ派戦略から見れば、ポトラッチは、部族間の紛争を抑止するための契約であると同時に、部族の戦力を信号化(Signalling)して誇示する行為であろう。集団同士の戦闘では、全面戦闘になれば、紛争が長期化して双方に大きな損害がでる。貯蔵によって食料供給が安定しているときは、食料をめぐって殺しあうよりも、戦闘を避けたほうが有利になる。(パン属、ホモ属、ヒトの進化的な安定)(武器と資源獲得の不確実性

自然界では、同種の個体間で、戦力の信号化の例が多くみられる。オスの威嚇、示威、顕示などの行動や形質の変化がおきる。

ゴリラのドラミング
ゾウアザラシの鼻
ライオンのオスのたてがみ
マントヒヒのマント
マンドリルの鼻筋
ニワトリの鶏冠

これらは、じっさいの戦闘では役に立たないが、無駄な小競り合いを少なくしたり、全面戦闘を避けたりして、共倒れを抑止する効果がある。

(話がそれるが、キリンの首が長くなったのは、高いところの葉を食べたからではなく、オス同士が首で闘ったからであろう)

ギョベクリ・テペが、カラジャ山の近くに存在するのは、単なる偶然ではあるまい。カラジャ山の周辺は、コムギ、マメ類などが最初に栽培化され、テリトリー貯蔵段階から、農耕段階への転換がおきた場所だ。(栽培コムギの起源

つまり、PPNA期のカラジャ山の周辺では、狩猟と貯蔵の両方の生活様式が存在していた。さらに、ウシ、シカなどの大型草食動物は、草を求めて季節的に大移動するので、大型動物の捕獲権が確定しない。すなわち、ポトラッチが成立する条件がある。

巨大な石柱は、大勢の人間と強固な組織が存在しなければ建造することは不可能である。巨大な石柱を競いあうように繰り返し立てたのは、部族の生産力と武力の大きさを誇示するためであろう。石が巨大なほど、その部族の戦闘力が大きいことを意味するので、部族間の紛争や交渉において有利になる。

すなわち、石に刻まれた動物や図像は、氏族(シ、clan)もしくは部族(tribe)をあらわしていると思われる。このような、柱に建造者の氏名を入れて力を誇示する行為は、現在でも神社の玉垣などでよく見られる。


和貴宮神社(京都府宮津市)の玉垣には、北前船の往来などによって西日本一帯から参詣した豪商らの名が残る(Author:漱石の猫)

文献
*1)Joris PETERS, Klaus SCHMIDT. (2004) Animals in the symbolic world of Pre-Pottery Neolithic Göbekli Tepe, south-eastern Turkey:a preliminary assessment. Anthropozoologica 39(1)
*2)Bahattin Çelik. ŞANLIURFA BÖLGESİNDE “T” ŞEKLİNDE DİKMETAŞ BULUNAN YERLEŞİMLERİN FARKLILIK VE BENZERLİKLERİ. June 2014
*3)Hauptmann, H., Frühneolithische Steingebäude in Südwestasien. In: Karl W. Beinhauer et al., Studien zur Megalithik: Forschungsstand und ethnoarchäologische Perspektiven / The megalithic phenomenon: recent research and ethnoarchaeological approaches, Beiträge zur Ur- und Frühgeschichte Mitteleuropas 21, (Mannheim 1999).
*4)Marcel Mauss, The Gift, 1925(贈与論)

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多年生植物の栽培化:オオウバユリ、バナナ Domestication of perennial plants:Banana

イネ科植物の栽培化は、狩猟採集段階から農耕段階への転換をうながした。一方、ウリ科植物では、テリトリー遊動段階の狩猟採集社会においても、植物と人間が「延長された表現型」への関係へと変異することを示している。

わたしの田舎では、山採りしてきたワラビ、ゼンマイ、コゴミ、ワサビ、ミョウガ、タラノキなどを家の周囲に植えて、山に行かなくても収穫できるようにしている。田舎の言い方では、「イケル」(生ける、活ける)とか、「イケテオク」という。


家の周囲のミョウガ、ゼンマイ、コゴミ、ヤマウドなど

現在でも山村では、山菜を収穫するときには、管理採集がおこなわれている。

「山には所有者があるが、山菜をとるためにはどこの山でも無断で入ってよい。しかし、山の行儀は正確に守らなければならない。つまり、山菜や野草の命を絶やさないことである。ゆりややまいもを掘ったときは、鱗片の一部を埋め、やまいものむかご三粒を穴に埋めもどす。たらの木の芽をかくときも必ず一芽残し、追芽(後から出る芽)は欠かない。(田沢湖町)」(『聞き書 秋田の食事』)(*1)

ユリの鱗片やむかごを穴に埋めもどす行為は、「種子拡散者」としての行為であり、意図していなくても、食料として有用な遺伝子が選択されて、遺伝子プールの中に広がっていく。

オオウバユリは、高さ1.5~2.0mにも成長する大型のユリで、本州の中部以北と北海道に分布する。これは、ウバユリの変種とされている。オオウバユリは、鱗茎に豊富にデンプンを含み、古来より食用にされてきた。とくにアイヌでは、「トゥレプ」と呼ばれ、保存食としてきわめて重要であった。

「おおうばゆりはアイヌ語では「トゥレプ」といい、アイヌの食料としては古くから知られ、しかも有名である。鱗茎から澱粉を採取することはよく知られているが、採取時期には生で焼いて食用とすることもある。その場合、鱗茎には多くの繊維があり、口の中で多少気になるが、一枚一枚にした鱗茎の端を持って歯でしごくようにすると、澱粉質の部分だけが口に残る。繊維質と皮をとり除くと食べやすい。
採取するのは六月中ごろから末にかけてである。どこの家でも、おおうばゆりをたくさん採取して河原で澱粉づくりをやっていたので、最盛期には、樽の中でおおうばゆりを搗く音が河原から響いてきていたという。
多年草で年数を経たもののほうが鱗茎も大きくなっており、見極めは葉の数でする。葉一枚につき鱗茎も一枚であるので、葉の数が五枚、六枚と多いものは年数を経て鱗茎も大きくなっている。葉が一枚か二枚の若く小さいものは、翌年以降のものとして大事にし採取しない。
また、おおはなうどと同じく花の咲くものも採取しない。花の咲くおおうばゆりは雄とされ、掘り出してみても鱗茎がやせている。しかしそのやせた鱗茎のまわりには、小さな鱗茎が多数ついている。また、花が終わるとできる蚕の繭が集まったような特徴的な果実から種をたくさん飛ばすことから、大事にしてむやみに切ったりしない。
この果実は「プップッ」と呼ばれ、祖母に「種をつくって次のおおうばゆりになるのだから、大事にして折って遊んだりしてはだめだ」と何度も教えられたという。今でも葉花の写真などを見せるとその話が出てくる。
採取にはサラニプ(袋)などの入れものと根や葉を切るためのマキリ(小刀)を持って行く。ふつうは葉を手で引くと抜けてくる。しかし、土が固くて抜けないところやほかの植物の根がからんでいるところでは、木の枝などを切りとって先をとがらした棒を使用するが、それらはおおうばゆりの採取用に用意されているものではなく、現地調達する。」(『聞き書 アイヌの食事』)(*2)

これを見れば、アイヌとオオウバユリは、「延長された表現型」の関係にあることがわかる。すなわち、オオウバユリは単にウバユリの変種の野生植物ではなく、“humanization”によって変異した「ヒト化植物」であることがあきらかだ。同様に、ミョウガ、コゴミ、ワラビ、ゼンマイ、フキ、自然薯、タケノコ、ヤマブドウなど、野生植物と思われている植物も、人間と「延長された表現型」の関係に変異していると思われる。

おおうばゆり・トゥレプ
http://lib.ruralnet.or.jp/syokunou/sirabe2/ai_shoku6.html

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オオウバユリ、青森県大鰐町(Author:Aomorikuma)

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オオウバユリの種、青森県大鰐町(Author:Aomorikuma)

テリトリー遊動段階のアボリジニの社会では、採集の仕方に細かいきまりが多くある。

「彼らはイモのツルをみつけるとその根もとからロート状に掘りすすみ、ヤムイモをとりだす。そのあとツルがついたイモの頂部を切りとり、再びその同じ穴に埋めもどしていた。この場合は、落葉などが堆積して腐葉土ができやすいようにするため、穴を完全に埋めることはしなかった」。(*3)

以上の例を見ると、ワラビ、ユリ、ヤムイモ、樹木など、管理採集の対象は、すべて多年生植物であることがわかる。1年草のイネ科植物では、「採集」から「栽培」への転換はなかなかすすまない。それは、「種を選んで播く」という行為が、高度に目的的だからだ。一方、多年生植物では、人間が保護する行為そのものが、植物を繁殖させるので、比較的容易に「延長された表現型」の関係へと変化するはずだ。

多年生の栽培植物の代表的なものは、バナナ、タロイモ(里芋)、ヤムイモ、キャッサバ、堅果類、漿果類などがある。これらの栽培植物の起源が古いことは、サウアーや中尾佐助らが指摘したが、あまり研究がすすんでおらず、よくわかっていない。


Taro(Author:Thierry Caro)


Yam


フェイバナナ、1906(Author:Coulon)

バショウ属(Musa)の植物は70種ほどが知られており、食用の栽培バナナは、野生のアクミナータ種(M. acuminata)とバルビシアーナ種(M. balbisiana)を起源とするとされている。また、ポリネシアのフェイバナナは、別の野生種から栽培化されたとされる。

野生のアクミナータはマレー半島やインドネシアに原生しており、野生バルビシアーナはインドやフィリピンに分布している。野生種と栽培種のもっとも大きな違いは、栽培種には、単為結果によって果実に種が無い(無核)ことである。

野生のアクミナータは2倍体(AA)であり、バルビシアーナも2倍体(BB)だ。現在の栽培品種には、2倍体のAA、3倍体のAAA、AAB、ABB、4倍体のABBBが存在し、3倍体が主流である。バナナには、非常に多くの在来品種が存在するが、商業生産の品種はキャベンディッシュ(AAA)に特化している。


バナナ


野生バナナの果実

バナナは多年草だが、成長がきわめて早く、吸芽(子株)を植えつけてから1年で開花に至る。成長するに従って、古い外葉が順次はがれ、葉が35~45枚出たころに、赤紫色の花序が抽出する。花は雌雄異花同株の無限花序で、放任すると100段以上にもなる。雌花は基部から十数段着生し、次に中性花が1~2段、それ以下は雄花だけの花段が続く。雌花が雄花よりも早く熟す雌性先熟で、自家交配を防いでいる。結実するのは雌花だけで、結実すると、基部から別の吸芽が成長し、翌年の結実母本となる。

栽培バナナは、受精なしで子房が肥大して果実となるので、果実には種子が無い。種が無いということは、吸芽による栄養繁殖でしか子孫を残せない。栄養繁殖では、遠くに遺伝子を拡散できないので、無核の栽培バナナは、人間の助けがないと、繁殖することができない。

野生のバナナでは、コウモリや鳥によって花粉が運ばれ他家受粉するといわれており、果実を食べて種子を拡散するおもな動物は、オオコウモリだ。オオコウモリは、狩猟民には捕獲の対象なので、オオコウモリが減って、野生バナナの分布も減るという関係にある。オーロックスと野生ムギ、スイギュウと野生イネ、マストドンとウリなどの関係と同じ図式がここにもある。


オオコウモリ

栽培化の過程はわかっていないが、テリトリー遊動の狩猟採集民が、果実が大きく種が少ないバナナを選んで食料にすると、人間が種子拡散者となって、果実が大きく種が少ないバナナが遺伝子プールの中に増えるであろう。人間が増えるとオオコウモリは減るので、種が多いバナナの遺伝子は衰退する。

次に、突然変異によって無核の個体があらわれると、その個体は大切に保護される。その株の吸芽が別の場所に植えられることで、栽培化がはじまったと考えられる。

栽培化の直接的なきっかけは、やはり婚姻ではないだろうか。無核のバナナを食べて育った女性が、結婚して他の部族に移るときに、無核バナナの吸芽を持って行ったのであろう。

もっとも古い考古学的な証拠としては、ニューギニアの標高1,600mの湿地帯に位置するクックの初期農業遺跡がある。遺跡は大きく3期に分かれ、最も古い遺跡は10,000年前まで遡る。第2期は、6950〜6440年前の遺構で、花粉、デンプンなどの遺物から、バナナとタロイモの栽培がおこなわれていたと考えられている。(*6)


Kuk swamp in Papua New Guinea highlands, 1560m amsl, mean
annual temp ~19℃,mean annual rainfall ~2700mm

栽培バナナの起源はよくわかっておらず、1万年前、3~4万年前という研究者もいる。人類がオーストラリア大陸に到達したのは、6.5万前と考えられている。7万~1万年前の最終氷期には、マレー半島東岸からインドシナ半島は陸つづきで、スンダランドという広大は陸地が存在していた。また、ニューギニアとオーストラリアもつながっており、サフル大陸と呼ばれている。

スンダランドやサルフ大陸で、拡散遊動からテリトリー遊動に移行した人々が、バナナの種子拡散者となり、やがてバナナと人間の「延長された表現型」の関係がはじまったと考えれば、栽培バナナの起源が3~4万年前という説は、荒唐無稽というわけでもないであろう。


Sunda and Sahul(Author:Maximilian Dörrbecker)

文献
*1)藤田秀司ほか.(1986)聞き書 秋田の食事. 農山漁村文化協会.
*2)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*3)松山利夫.(1994)ユーカリの森に生きる. NHKブックス.
*4)中村武久. (1991) バナナ学入門. 丸善.
*5)Angélique D’Hont, France Denoeud[…]Patrick Wincker. (2012) The banana (Musa acuminata) genome and the evolution of monocotyledonous plants. Nature volume 488, pages 213–217.
*6)Denham TP, Haberle SG, Lentfer C, Fullagar R, Field J, Therin M, Porch N, Winsborough B. (2003) Origins of Agriculture at Kuk Swamp in the Highlands of New Guinea. Science 301(5630):189-93.
*7)Denham, Tim & Golson, J & Hughes, Philip. (2014). Reading Early Agriculture at Kuk Swamp, Wahgi Valley, Papua New Guinea:The Archaeological Features (Phases 1–3). Proceedings of the Prehistoric Society. 70. 259-297.

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カボチャとヒョウタンの起源 Origin of pumpkin and lagenaria

“domestication” is “humanization”

初期の栽培植物は、平衡テリトリー遊動あるいは平衡テリトリー貯蔵段階における、「管理採集」の生業スタイルから生じたと考えられると書いた。

段階 生業 行為
平衡テリトリー遊動、平衡テリトリー貯蔵 管理採集、管理狩猟 無意識の選択(収穫する)
無意識の繁殖(こぼれる、捨てる)
意識的な選択(選択して収穫する)
意識的な繁殖(保護する、残す)
平衡テリトリー初期農耕 管理採集、管理狩猟、栽培 意識的な選択(選択する、伝える)
意識的な繁殖(種を播く、伝える)

「延長された表現型」として栽培化がはじまったと考えれば、どこの発祥中心地であっても、上と同様の経過をたどったはずだ。しかし、作物の種類によって、その経路はさまざまである。

家庭菜園をやっている人や農家なら知っていると思うが、生ごみ堆肥を入れた畑や生ごみの捨て場からは、毎年、カボチャが勝手に生えてくる。


生ごみ堆肥から勝手に生えたカボチャ

イネ科植物と違って、カボチャなどのウリ科植物には、次のような特徴がある。

ウリ科植物の果実には、強い苦み成分のククルビタシンが含まれる。このため、野生のウリは、苦みと毒性が強くて食べられない。最初にウリを食用にした人は、苦みが少ない個体を選んで食べたであろう。また、イネ科植物の頴果とちがって、果実が比較的に大きいので、個体の特徴を見分けやすい。つまり、ウリ科植物の採集では、はじめから意識的な選択がはたらく。

また、果肉を食べて、種は食べずに捨てたり、排泄したりするので、選択(採集)と繁殖(捨てる)がつねにセットになっている。

これらのことから、ウリ科の植物は、定住しない平衡テリトリー遊動段階であっても、遺伝的な変異の蓄積=栽培化がおこることが予想される。

カボチャ(カボチャ属:Cucurbita)の栽培化のもっとも古い証拠は、メキシコ、オアハカのGuiláNaquitz洞窟で見つかっている(*1)。出土したヘポカボチャの種子や果皮の断片は、野生のカボチャと比較して、種子が長く、茎の直径が太く、果実の形と色が変化していた。このことから、栽培化されたカボチャと判定されている。14Cによる年代の測定では、8,000~10,000年前との年代がでており、これは、Balsas川中流域で発見されたトウモロコシの痕跡よりも古い年代だ。


Fig. 2. (A) Cucurbita pepo peduncle from zone B of Guila´ Naquitz that yielded an AMS 14C date of 7340 6 60 14C years B.P. (note diagnostic alternating large and small ridges). (B) Cucurbita pepo fruit end fragment from zone B of Guila´ Naquitz that retains orange rind color and yielded an AMS 14C date of 6980 6 50 14C years B.P. (C) A squash seed from zone C of Guila´ Naquitz 13.8 mm in length that exhibits marginal ridge and hair morphology diagnostic of C. pepo and yielded an AMS 14C date of 8910 6 50 14C years B.P.(Science 09 May 1997:Vol. 276, Issue 5314, pp. 932-934)

栽培トウモロコシは、メキシコBalsas川中流域に自生するZ. mays L. subsp. parviglumisから生じ、栽培化は1回だけであったことがわかっている。(トウモロコシの起源)

一方、栽培カボチャは、mtDNAの分析によって、少なくとも6つの異なる野生種から、別々に栽培化されたという。(*2)


Figure 1 (A and B) Geographic range of putative wild ancestors of domesticated Cucurbita spp. in the U.S., Central America, and South America. Numbers on the maps are individual numbers for wild taxa listed in Table 1 and in supporting information on the PNAS web site (www.pnas.org). Question marks indicate potential areas of domestication for species that presently lack a wild ancestor.


Figure 2 ML tree for 11 species of Cucurbita. Individual numbers in parentheses are those listed in Table 1 and in supporting information on the PNAS web site (www.pnas.org). Taxa in bold print are domesticated species. Bootstrap values above the branches: parsimony in bold (100 bootstraps); distance in italics (1,000 bootstraps). Values below the branches represent ML steps (50,000 puzzle steps).(PNAS January 8, 2002 99 (1) 535-540)

これらのことから、カボチャの栽培化は、トウモロコシの栽培がはじまる前の、狩猟採集段階でおきたことがうかがえる。

ちなみに、近年の研究では、アメリカ大陸の野生のカボチャやヒョウタンの種子拡散者は、絶滅したマストドンであったという。野生のカボチャやヒョウタンは、苦みが強くて人間を含む哺乳類はこれを食べないが、マストドンの糞にはこれらの種が多く含まれている。ゾウは苦みに対する耐性が高いという。(*3)

すなわち、マストドンが生存しているうちは、苦いウリの種子拡散者はマストドンであった。マストドンが絶滅してしまうと、苦いウリの種子拡散者はいなくなってしまう。次に、人間が苦みが少ないウリを選択的に採集して、その種子を環境中に拡散するようになると、人間が苦くないウリ=カボチャの種子拡散者になった。

ウリ科のヒョウタン(ユウガオ属 Lagenaria)については、日本の縄文時代の鳥浜貝塚(6,000~5,500年前)から種が出土しており、きわめて古い時代から人間が利用してきたことが知られている。

ヒョウタン(ユウガオ属)は、世界中で利用されているが、苦み成分のククルビタシンが高濃度で含まれているので、おもに容器として利用されてきた。食用としての利用が多いのは、東アジア、東南アジア、南アジアなどで、日本では、苦みの少ない品種であるユウガオをカンピョウにして食す。


南米でマテ茶を飲むためのクイア(Author:Mariano-J)


ヤシ酒を入れたヒョウタン容器、コンゴ(Author:Nick Hobgood)

近年の研究では、ヒョウタン(ユウガオ属)は、アジア、アメリカ、アフリカで別々に栽培化されたと考えられている。

2005年に、DNAの分析から、アメリカのヒョウタンは、10,000年前にアジアから持ち込まれたという研究が発表された(*4)。しかし、熱帯地方の植物であるヒョウタンが、寒冷なベーリング海峡経由で持ち込まれることは難しいという理由で、異論が出ていた。

2014年に、別のチームが、BC8000年~BC1925年のアメリカ大陸のヒョウタンのDNAを分析し、アメリカ大陸のヒョウタンは、アフリカ大陸の系統であると結論づけた。すなわち、アフリカ大陸のヒョウタンが大西洋を横断してアメリカ大陸に漂着し、その後に栽培化されたと考えられている。(*5)


Fig. 1. Sample map showing modern domestic gourds (□), modern wild gourds (★), and archaeological gourd rind samples (■) used here. Dates reported with archaeological specimens give the weighted mean of the calibrated age invoking the IntCal.09 calibration curve (8) in Oxcal 4.2 (7). See Table 1 for complete details of archaeological samples, and Table S1 for modern sample information.


Fig. 2. Maximum clade credibility tree of modern and ancient bottle gourd LSC plastid genome data, showing Bayesian posterior probability at nodes where Bayesian posterior probability ≥0.9. Ancient branches and samples are shown in red, and the scale bar assumes an evolutionary rate of 1.0 × 10−9 substitutions site−1 per year−1. The two subspecies, ssp. siceraria and ssp. asiatica [after Heiser (18)], are outlined, and a wild gourd from Zimbabwe [described by Decker-Walters et al. (25)] and one of only two known wild populations) forms an outgroup to all others, indicating some of the intraspecific diversity lost in L. siceraria during recent population declines. The Argentinian specimen within the asiatica lineage, from Heiser’s (18) collections (Table S1), may represent a historic introduction to South America. Alternatively, it may be of particular interest regarding possible prehistoric contact, material culture exchange, and domesticated germplasm transmission between Polynesia and South America (15, 19). The asiatica lineage is subtended by a domestic Ethiopian landrace, whereas a wild gourd from Kenya falls at the base of the siceraria group, suggesting that the Horn of Africa might have been an important ancestral center of Lagenaria diversity, and a source region for asiatica gourds dispersing from Africa north and east into Eurasia, as discussed elsewhere (15).


Fig. 3. Results of oceanic drift simulation experiments summarized in 10° latitude bins (Tables S3 and S4). African coastal bins give the minimum, average, and maximum drifter crossing success under all configurations of model parameters, and the average crossing times of successful drifters. New World figures indicate the minimum, average, and maximum percentage of all successful drifters arriving in a given bin, and the average crossing times of local arrivals. The Inset shows successful drifter paths over the course of three selected experiments (Table S3), with colors reflecting different departure latitude bands: yellow, 20°–10° S; magenta, 10°–0° S; cyan, 0°–10° N; red, 10°–20° N; black, 20°–30° N.

ここまで読んでくると、「栽培化」という言葉に、違和感を感じるであろう。カボチャやヒョウタンの例からわかることは、定住せずにキャンプ生活をしながら遊動する狩猟採集の段階で、植物の「栽培化」がすすんだということである。「栽培」や「農耕」をおこなわない狩猟採集民が、「栽培植物」を作りだしたことになる。じっさいには、狩猟採集民は、苦くないウリ(カボチャ)や大きなウリ(ヒョウタン)の種子拡散者にすぎない。

ここで思い出すのは、ナトゥーフィアン期のテル・アブ・フレイラの栽培型のライムギのことである。テル・アブ・フレイラでは、13,000BPの9個の粒の大きなライムギが出土しているが、この時期に農耕がはじまっていたかどうかについては、結論がでていない。(ナトゥーフィアン=貯蔵社会への転換)

テルアブフレイラ

これは、考古学的証拠が不十分というだけでなく、従来の「栽培」“cultivation”によって、「栽培化」“domestication”がおきたという概念では、「栽培化」の過程を論理的に説明できないためだ。さらに、「栽培化」“domestication”はもともと人間の行為をあらわす言葉(飼い慣らす)であるが、これを植物の遺伝的変異をあらわすことばとして使用しているので、うまく表現できない。

前回、栽培化を「延長された表現型」として見ると、「野生型」、「栽培型」という区分には意味がないと書いた。アリがアブラムシを「牧畜」していると考えると、自然界には野生のアブラムシは存在せず、すべてのアブラムシは「家畜アブラムシ」ということになってしまう。しかし、人間の手が加わっていない自然界の生物は、すべて「野生」のはずだ。

すなわち、「家畜アブラムシ」ではなく、正確には、「アリと延長された表現型の関係にあるアブラムシ」といわなければならない。同様に人間でも、次のような表現になる。

wild、野生 → ヒトと延長された表現型の関係にない
domestication、栽培化 → ヒトと延長された表現型の関係にある

「ヒトと延長された表現型の関係にある」では、あまりにも長ったらしいので、短く表現するならば、「ヒト化」であろう。“domestication”ではなくて、“humanization”のほうがうまく表現できる。

延長された

カラハリ砂漠で生活するサン族は、表面水が得られない時期は、2種のメロン (Citrullus lanatus、Citrullus naudinianus )、植物の根っこ(Rhaphionacme burkei、Coccinia rehmannii)、多肉植物(Aloe zebrina)などを水源として利用している。(*6)

とりわけ、ツァマ・メロン(Citrullus lanatus)は、ほぼ1年中利用できるため、きわめて重要だ。多い時期には1人が1日に5キロもツァマ・メロンを食べるという。ツァマ・メロンは、外観はスイカにそっくりで「甘味はなく、むしろ苦いものや酸っぱいものがまじっている」という。一方、根っこのRhaphionacme burkeiは苦くてまずいという。乾燥したステップで生きるサン族にとっては、ツァマ・メロンは、生存を左右するほど重要な植物である。


おもな水源植物の季節的移り変わり(source:ブッシュマン)


Citrullus lanatus ツァマ・メロン


Citrullus naudinianus


Rhaphionacme burkeiの根(source:ブッシュマン)

サン族は、農耕をまったくおこなわない狩猟採集民なので、人類学者や植物学者は、ツァマ・メロンを「野生のスイカ」と考えている。しかし、ほんとうは、サン族とツァマ・メロンは、「延長された表現型」の関係にあるにちがいない。野生のウリは苦くて食べられないはずで、1日5キロも食べるツァマ・メロンは、野生でないことはあきらかだ。水分が多く苦くないウリ=ツァマ・メロンの種子拡散者は、サン族だ。「野生のスイカ」ではなくて、「ヒト化スイカ」あるいは「ヒト型スイカ」と見るべきであろう。


Tsamma-Melonen in der Kalahari (Author:Genet)

文献
*1)Bruce D. Smith. (1997) The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago. Science Vol. 276, Issue 5314, pp. 932-934.
*2)Oris I. Sanjur, Dolores R. Piperno, Thomas C. Andres, Linda Wessel-Beaver. (2002) Phylogenetic relationships among domesticated and wild species of Cucurbita (Cucurbitaceae) inferred from a mitochondrial gene: Implications for crop plant evolution and areas of origin. PNAS 99 (1) 535-540.
*3)Logan Kistler, Lee A. Newsom, Timothy M. Ryan, Andrew C. Clarke, Bruce D. Smith,  George H. Perry. (2015) Gourds and squashes (Cucurbita spp.) adapted to megafaunal extinction and ecological anachronism through domestication. PNAS 112 (49) 15107-15112.
*4)David L. Erickson, Bruce D. Smith, Andrew C. Clarke, Daniel H. Sandweiss, Noreen Tuross. (2005) An Asian origin for a 10,000-year-old domesticated plant in the Americas. PNAS 102 (51) 18315-18320.
*5)Logan Kistler, Álvaro Montenegro, Bruce D. Smith, John A. Gifford, Richard E. Green, Lee A. Newsom, Beth Shapiro. (2014) Transoceanic drift and the domestication of African bottle gourds in the Americas. PNAS 111 (8) 2937-2941.
*6)田中二郎.(1971)ブッシュマン. 思索社.

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「延長された表現型」としての栽培化 Domestication as Extended phenotype

ダーウィンは、『種の起源』で、次のように書いている。(*1)

In the case of most of our anciently domesticated animals and plants, it is not possible to come to any definite conclusion, whether they are descended from one or several wild species. The argument mainly relied on by those who believe in the multiple origin of our domestic animals is, that we find in the most ancient times, on the monuments of Egypt, and in the lake- habitations of Switzerland, much diversity in the breeds; and that some of these ancient breeds closely resemble, or are even identical with, those still existing. But this only throws far backward the history of civilisation, and shows that animals were domesticated at a much earlier period than has hitherto been supposed. The lake-inhabitants of Switzerland cultivated several kinds of wheat and barley, the pea, the poppy for oil and flax; and they possessed several domesticated animals. They also carried on commerce with other nations. All this clearly shows, as Heer has remarked, that they had at this early age progressed considerably in civilisation; and this again implies a long continued previous period of less advanced civilisation, during which the domesticated animals, kept by different tribes in different districts, might have varied and given rise to distinct races. Since the discovery of flint tools in the superficial formations of many parts of the world, all geologists believe that barbarian man existed at an enormously remote period; and we know that at the present day there is hardly a tribe so barbarous as not to have domesticated at least the dog.
The origin of most of our domestic animals will probably forever remain vague.・・・
「古い家畜や栽培植物のほとんどについて、それらの祖先の野生種が、ひとつなのか複数なのか、明確な結論に至ることはできない。家畜の複数起源を信じる人たちがよりどころにしているのは、古代エジプトの記念碑やスイスの湖上住居遺跡では、品種の多様性が非常に高いことである。これらの古代品種のいくつかは、現存する品種ときわめて類似しているか、あるいは同一であることもある。しかし、これは、農耕文明の歴史がより古いことを意味するだけであり、これまで想定されていたよりはるかに早い時期に、野生動物が家畜化されたことを示しているにすぎない。スイスの湖上に住んでいた人々は、いくつかの種類のコムギ、オオムギ、エンドウ、ケシ(油)、亜麻を栽培していた。また、何種類かの家畜を飼育していた。彼らはまた、他の国々と物品を交換していた。ヘーア 氏が指摘したように、これらはすべて、農耕文明がかなり早い段階に進んでいたことを明確に示している。そして、これは再び次のことを意味する。初歩的な農耕文明には、その前の長い期間が存在し、その長い期間に、異なる地域の異なる部族によって飼われた家畜は変化し、異なる品種を生み出した可能性がある。世界中の多くの地域からフリントツール(石器)が発見されて以来、すべての地質学者は、原始の人々は非常に広範囲に離れて存在していたと信じている。また、現在、犬を家畜化していない野蛮な部族はほとんどいないことを知っている。
ほとんどの家畜の起源は、おそらく永遠にあやふやなままであろう。・・・」

ダーウィンは、栽培植物の起源がきわめて古いことを指摘したが、栽培化がどのような経過でおこなわれたのかについては何も言っていない。

多くの人類学者は、植物の栽培化(domestication)の前には、“predomestication cultivation”(前栽培化栽培)と呼ばれる長い期間が存在したと考えている。この言葉を見れば、栽培植物が成立する前には、野生のコムギやオオムギを「栽培」(cultivation)した期間が長く存在し、野生のムギを栽培する過程で、栽培型のムギが登場したと考えていると思われる。

栽培植物が現れる前は、野生の植物を栽培していただろうと考えるのは、当然のようにも見える。しかし、「採集」や「捕食」という行為は、あらゆる動物がおこなうのに対して、「栽培」や「牧畜」は、人間やアリなどごく一部の生物しかおこなわない。動物と人間のあいだには大きな差異があるように、「採集」と「栽培」のあいだには、大きな「情報」の差異がある。

アリは、キノコを「栽培」したり、アブラムシを「牧畜」したりする。栽培種の成立より前に、「栽培」という行為が存在したとすると、ハキリアリが「野生のキノコ」を「栽培」する過程で、「栽培型」のキノコが出現したことになる。「栽培」という高度に目的的な行動が、はじめからアリに存在していたという仮定には、無理がある。アリとキノコは、長い時間のあいだに、「延長された表現型」の関係に変異していったにすぎない。

人間は栽培植物が無ければ生存できないし、栽培植物は人間がいなければ存続できない。植物の栽培化とは、人間と植物が高度な「延長された表現型」の関係になることだ。栽培植物は、中尾佐助が指摘したように、「半栽培」(管理採集)という生業スタイルから生じたにちがいない。(*2)

「こうして生態系撹乱をして、新しい環境に適応したものの中から、有用なものを保護したり、残したりするようになると、これはもうはっきりとした半栽培段階と言ってよいだろう。パラゴムやウスリーナシにその例は見られる。この段階に入ると、植物の品種改良が進行し、また意識的に人為伝播がおこってくるとしてよい。」(農耕の起源と栽培植物)

なお、栽培化を「延長された表現型」として見ると、「野生型」、「栽培型」という区分には、あまり意味がない。自然界には野生のアブラムシは存在せず、すべてのアブラムシは「家畜アブラムシ」ということになってしまう。

ダーウィンは、次のように書いている。

At the present time, eminent breeders try by methodical selection, with a distinct object in view, to make a new strain or sub-breed, superior to anything of the kind in the country. But, for our purpose, a form of selection, which may be called unconscious, and which results from every one trying to possess and breed from the best individual animals, is more important. Thus, a man who intends keeping pointers naturally tries to get as good dogs as he can, and afterwards breeds from his own best dogs, but he has no wish or expectation of permanently altering the breed. Nevertheless we may infer that this process, continued during centuries, would improve and modify any breed, in the same way as Bakewell, Collins, &c., by this very same process, only carried on more methodically, did greatly modify, even during their lifetimes, the forms and qualities of their cattle.Slow and insensible changes of this kind could never be recognised unless actual measurements or careful drawings of the breeds in question have been made long ago, which may serve for comparison.(Chapter I)
「現在、著名な育種家たちは、国内にあるどの種類よりも優れた新たな系統または亜品種を作るために、はっきりした目的を視野に入れて、系統的な選択を試みている。しかし、我々の目的を果たす上では、『無意識』と呼べる選択の形態、すなわち、すべての人が、最高の個体の動物を所有して、それを繁殖させようとした結果のほうが、より重要である。ポインターを飼い続けることを望む人は、自然と、できるだけ良い犬を得ようとし、その後、彼が所有する最善の犬から繁殖する。しかし、彼は、その種をどんどん変異させることを、望みも期待もしていない。それにもかかわらず、何世紀ものあいだ続けられたプロセスは、あらゆる品種を改善し変異させるであろう。それは、ベルクウィルやコリンズなどの育種家が、彼らの生存期間中に、おなじプロセスをより体系的に実施することで、ウシの形態と品質を大きく変えたのと同じである。このような、ゆっくりで、感知できない変異は、変化を比較できるような品種のじっさいの測定や、注意深い描画がずっと前になされていない限り、決して認識することができない。」

植物や動物の栽培化(domestication)は、個体の変異と選択によっておこなわれるが、ダーウィンは、「最高の個体を所有して、それを繁殖させる」選択のことを、「無意識の選択」(a form of selection, which may be called unconscious)と呼んだ。

しかし、「無意識の選択」という言葉を、ダーウィンが使った意味で使うと、近代的な育種がおこなわれるより前に存在した膨大な栽培植物、家畜、品種は、すべて「無意識」に成立したことになってしまう。それは、あまりにも言葉と実体が乖離している。

「無意識」あるいは「意識」という用語は難解であり、言葉の定義も確立していない。そこで、ここでは「無意識=低度な目的的行動」、「意識的=高度な目的的行動」の意味で使う。また、「半栽培」という言葉もわかりにくいので、「管理採集」という言葉を使う。

これらのことから、初期の栽培植物は、平衡テリトリー遊動あるいは平衡テリトリー貯蔵段階における、「管理採集」の生業スタイルから生じたと考えるのが自然であり、以下のような経過をたどったと考えられる。

段階 生業 行為
平衡テリトリー遊動、平衡テリトリー貯蔵 管理採集、管理狩猟 無意識の選択(収穫する)
無意識の繁殖(こぼれる、捨てる)
意識的な選択(選択して収穫する)
意識的な繁殖(保護する、残す)
平衡テリトリー初期農耕 管理採集、管理狩猟、栽培 意識的な選択(選択する、伝える)
意識的な繁殖(種を播く、伝える)

レヴァントの火山岩地帯で農耕がはじまったと仮定して、栽培植物の成立と狩猟採集段階から農耕段階への転換について考えてみる。

そもそも、どのように、平衡テリトリー遊動から平衡テリトリー貯蔵への転換がおきたのだろうか。

人間は超協力タカ派戦略なので、テリトリーを形成して、各々のテリトリーで集団で生活している。広いテリトリー内の利用資源を効率的に利用するには、短期のキャンプを設けてテリトリー内を遊動するのが合理的だ。アボリジニやサン族の暮らし方だ。遊動の生業スタイルでは、端境期の利用資源量に人口が左右される。

いくつものテリトリーが平衡した状態で、食料を貯蔵して端境期の飢餓を生き延びる集団が現れると、その集団の人口が増加して、食料の獲得に余裕ができる。このような集団は戦闘力が大きくなるので、貯蔵集団は周囲のライバル集団を圧倒して、遊動集団は周辺に追いやられてしまう。人類学者が昔の遺物を発掘して調べると、まるで「貯蔵の文化」が中心から周縁に伝播したかのように見える。

大量の食物を貯蔵するには、多くの貯蔵穴や貯蔵庫が必要なので、その場に定住することになる。定住する場所は、川、泉、湖のほとりなど、つねに水が得られる場所でなければならない。また、小屋を建設したり、薪を入手したりするために、樹木が豊富にある場所が選ばれる。ステップを遊動するサン族は、樹が生えているところにキャンプを設けて小屋を建てる。

水と樹木が豊富に存在する場所に集落をつくり、集落で日常的に生活していたのは、女性、老人、子供であろう。男性は集団でテリトリー内を巡回して狩猟をおこなうと同時に、ライバル部族の侵入を防いでいた。

狩猟採集と農耕をおこなっていたアイヌの暮らしは、次のように伝えられている。(*3)

「織田ステノさんは一九〇一年(明治三十四年)に染退川(静内川)上流の農家コタン(集落。現在の静内町農屋)に生まれた。育ての親の祖母は、アイヌの言葉以外でしゃべることを禁じ、ステノさんは伝統的なアイヌの風習、生活文化の中で成長した。男たちは狩猟や魚労に出かけて、鹿、うさぎなどの肉や、鮭、ますなどをとってくる。女たちは山菜や野草をとり、乾燥させて一年分の保存食をつくる。」
「コタン(集落)の周辺の山野に自生し、季節ごとの味覚を与えてくれる青もの(山菜や野草)を採取したり、わずかではあるが畑作による雑穀類、野菜類を収穫する。これらはおもに女たちの仕事である。きびしい冬が去るとマッネパといわれる女の季節、つまり夏が来て、山狩りに明け暮れていた男たちにかわって、女たちが山に入るのである。アイヌの人々にとっては、春は冬の終わりか夏のはじめであり、秋は夏の終わりか冬のはじめであり、冬と夏が交互にやってきて一年がすぎる。女たちは一年中の食料を考えねばならず、冬の保存食も蓄えておかなければならない。これに対し、男たちの仕事は夏は狩猟のほか漁労が加わり、一年を通しておもに動物の肉や魚の調達をする。」
「養父母は、この世の中で最も恐ろしいものは飢饉である、とよくいっていた。病気は予防できるし、戦争になっても避難できる。しかし飢饉は広い範囲で起こるので、逃げるところはどこにもない。終日空腹に苦悶し、意識がはっきりしたまま亡くなるまでからだ中痛めつけられる。飢饉の恐怖から逃れるために、養父母は寝る時間を惜しんでまで働いて食料を確保し、山野草の干し葉づくりや魚の焼干しづくりをはじめ、さまざまな保存食を常に備えていた。」(『聞き書 アイヌの食事』)

貯蔵の生業スタイルが広範囲に拡大すると、全体の人口が増加して、利用資源が不足するようになる。動物やナッツなどの利用資源が豊富で、多くの食料を得られるのであれば、収穫や加工に手間がかかるコムギやオオムギの頴果をわざわざ採集しないであろう。しかし、飢餓に直面すれば、手間がかかってもムギを採集せざるを得ず、ムギを積極的に利用した集団が生存に有利になる。こうして、穀物を大量に貯蔵する「文化」(情報)が拡大していく。

平衡テリトリー貯蔵段階の狩猟採集は、「管理狩猟」および「管理採集」である。猟期や採集期の制限、捕獲量や採集量の制限、捕獲採集対象の制限、捕獲採集対象の保護や保存について、厳格な規範(法)が存在していた。(ケバラン:平衡テリトリー段階の管理狩猟採集

考古学の調査では、ナトゥーフィアン期には、未熟なムギの穂を収穫していたらしい。登熟がすすむと穂がバラバラになって地面に落ちてしまうからだ。収穫した未熟な穂を乾燥させて、収穫後に登熟させたのであろう。

また、フリントの光沢の分析によって、PPN期のはじめには、未熟な穂が収穫されていたが、次第に登熟がすすんだ穂が多く収穫されるようになったと報告されている(*4)。

さらに、実験によって、初期の農耕民が、登熟しても脱粒しない穂を選んで収穫し、それを翌年に種として播いたならば、ムギの栽培化は、20~30年で達成されるとされている。

未熟な穂だけを収穫したのであれば、収穫による脱粒-非脱粒の形質選択がおこなわれないので、遺伝子プールのなかに栽培型の非脱粒遺伝子は増えていかない。一方、非脱粒の穂を選択して収穫したならば、栽培化は短期間で終了する。栽培化には1000年以上かかったとされているので、当時の収穫の方法は、未熟な穂の収穫でも、非脱粒の穂の選択的収穫でもなかったということだ。

平衡テリトリー貯蔵段階において、集落の人口が増えると、集落の周辺だけでは植物資源が不足するようになる。そこで、女性たちは集落からはなれた火山草原まででかけて、ムギを大量に収穫、貯蔵するようになるはずだ。新しい火山の土はリンが豊富なので、ムギの生産性が高い。毎年、火山草原でムギを収穫し、集落に運んで乾燥、貯蔵する。火山草原に集落をつくれば便利であるが、火山草原は水や薪を入手することが難しい。

火山草原でムギを収穫するときに、できるだけ大きな粒や大きな穂を選んで収穫するので、粒が大きく粒数が多い遺伝子が選択される。

集落の周辺では、薪の採集のために樹木が伐採されるので、樹木が少なくなる。新石器時代に磨製石斧が登場するのは、樹木の伐採や加工に使うためだ。このとき、ピスタチオやアーモンドなど有用な樹木は残しておいて保護する。同じピスタチオでも、とくに子実が大きく多収の樹を大切に保護する。

集落の周囲では、運搬や脱穀のときにこぼれたムギが発芽して群落ができる。ムギにとっては、樹木が少なくなった集落の周辺は、ニッチである。ライバル植物が少ないニッチでは個体数が増えるので、遺伝子の変異速度が大きくなって、変種が生じやすくなる。

女性たちは、集落の周辺に生えたムギの群落を保護する。収穫のときに未熟な穂を全部刈り取ってしまうと群落が絶えてしまうので、全部刈り取らずに、穂を残しておく。

変異の発生はランダムなので、さまざまな形質の群落が生じる。このとき、粒が大きな群落、粒数が多い群落、非脱粒の群落、脱穀しやすい群落など、食料として有用な形質のムギの集団を、とくに大切に保護して絶えないようにしたはずだ。

集落の周囲には、有用なムギの集団が多くなり、これらの個体同士が交配して、有用な形質をかねそなえた集団=栽培型が現れる。栽培型の遺伝子は保護されるので、遺伝子プールの中に増えていく。PPN期に、次第に登熟がすすんだ穂が収穫されるようになるのは、徐々に非脱粒の遺伝子が増えたからであろう。

次に、「採集」から「栽培」(農耕)への転換は、どのようにおきたのであろうか。ここでは、「栽培」(農耕)の要素を、「高度な繁殖の管理」とする。「高度な繁殖の管理」とは、具体的には、意識的に種を選んで播く行為だ。意識的に「種を選んで播く」行為は、1年後、あるいは将来の収穫を予想した上での行為なので、きわめて高度な目的的行動である。

自然に生えてきたムギを保護することと、特定の形質の種を選んで、適切な場所に種を播く行為のあいだには、大きな差異がある。サン族は、人類学者の問いに対して、『世界にモンゴンゴの実がこんなに沢山あるというのに、どうして植えねばならないのか』と答えている。

「種を選んで播く」という行為のはじまりは、婚姻ではないだろうか。高等生物は、近親交配をさけるばあいが多い。パン属やアウストラロピテクス属は、若いメスが生まれた群れを出て、他の群れに移る傾向があることが知られている。人間の部族社会でも、同じ部族に属する男女は結婚できないことが多く、女性は他の部族の男性と結婚して、男性の部族に移る習慣であったと思われる。

栽培型のムギを食べて育った女性が、結婚した男性の部族に移るときに、ムギの種を持っていったであろう。このような行動は、現代でもよく見られる。移った村で、持ってきたムギの種を播くときに、ただ地面にばら撒くと、鳥やネズミに全部食べられてしまう。そこで、棒で穴を掘って種を入れ、土をかぶせたであろう。せっかく持ってきた大切な種なのであるから、鳥やネズミに食べられないようにするはずだ。

こうして、「種を選んで播く」という、栽培(農耕)の文化がはじまり、そして周辺に広がっていったと考えられる。

文献
*1)Charles Darwin. (1859) The Origin of Species, The sixth edition, 1872.
*2)中尾佐助.(2004)中尾佐助著作集第Ⅰ巻農耕の起源と栽培植物. 北海道大学図書刊行会.
*3)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*4)Peter Bellwood. (2004) First Farmers: The Origins of Agricultural Societies. (邦訳:農耕起源の人類史)

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農山漁村文化協会
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