イタドリ、ススキ、マツ:難溶性リン酸を吸収する植物 Reynoutria japonica, Miscanthus, Pine

自然界では、火山の土であっても、砂漠でなければ植物が繁茂する。自然界には難溶性リン酸を吸収するさまざまな植物が存在する。

ルピナス(マメ科):アフリカやアメリカ大陸に分布するルピナス(ルーピン)は、根からクエン酸などの有機酸や酵素のホスファターゼを分泌して、難溶性リン酸を可溶化するといわれている。


ルピナス(マメ科)

ユーカリ(フトモモ科):オーストラリアの酸性土壌に生育するユーカリは、根からクエン酸などキレート性物質を放出して難溶性リン酸を溶解、吸収するといわれている。なお、ユーカリは、外菌根性であり、担子菌のHysterangiumPisolithusと共生関係にある。菌根菌を接種したユーカリは、低濃度のリン酸土壌でも生育することができるという。(*1)


ユーカリの森、オーストラリア(Author:Mattinbgn)

アカシア類(マメ科):オーストラリアのリン酸を吸収しにくい土壌には、マメ科のアカシア類が生息している。これらのアカシア類は、有機酸を放出して鉄やアルミをキレート化し、Fe型あるいはAl型の難溶性リン酸を溶解吸収するとされている。また、アカシアは、窒素を固定する根粒菌だけでなく、アーバスキュラー菌根菌(AM菌)とも共生している。


オーストラリアのアカシア(Author:Mark Marathon)

日本列島には、多くの活火山が存在する。桜島の火山噴出物に覆われた土は、噴火から20年ほど経過すると、地衣類やコケ類が出現する。50年たつと、イタドリ(タデ科)やススキ(イネ科)が侵入する。100年たつと、クロマツの林ができて、ヤシャブシ(カバノキ科ハンノキ属)なども生える。150年以上たつとアラカシ(ブナ科)、タブノキ(クスノキ科)、スダジイ(ブナ科)などの常緑広葉樹林になると考えられている。(*2)

富士山が最後に噴火したのは1707年の宝永大噴火で、山頂部および斜面の一部は、現在でも裸地になっている。富士山の植生は、山頂から低地になるにつれて発達している。噴火後の火山に最初に侵入する植物は、イタドリ(タデ科)やオンタデ(タデ科)とされている。その後は、ミヤマヤナギ(ヤナギ科)、ミヤマハンノキ(カバノキ科ハンノキ属)、ダケカンバ(カバノキ科)、カラマツ(マツ科カラマツ属)、シラビソ(マツ科モミ属)、コメツガ(マツ科ツガ属)へと植生が遷移すると推定されている。

日本の活火山では、初期に侵入する植物は、イタドリ、オンタデなどのタデ科植物だ。また、暖温帯では、ススキ属の植物が初期に侵入する。その次に、カバノキ科ハンノキ属やその他のカバノキ科植物が侵入するが、ハンノキ属の植物は放線菌のフランキア属と共生して窒素を固定することが知られている。その後は、マツ科のマツ属やカラマツ属が繁殖し、暖温帯ではクロマツが、亜高山帯や寒帯ではカラマツが優占するといわれている。


ハンノキ(カバノキ科ハンノキ属)(Author:Σ64)


シラビソ(マツ科モミ属)(Author:Inti-sol)


コメツガ(マツ科ツガ属)

イタドリは、新しい火山の土に最初に侵入する植物であることはよく知られているが、どうしてイタドリが火山の土に侵入できるのかについて調べた論文を見たことがない。ただ、イタドリはソバと同じタデ科植物なので、根からHを放出して、アパタイト中のリン酸を吸収していると考えられる。

しかし、新しい火山の土には窒素が含まれていない。イタドリは、窒素がほとんど存在しない火山の土で旺盛に成長することから、大気中の窒素を固定する何らかの機構を有していると思われる。


イタドリ(タデ科)

イネ科植物のススキも、火山の土に初期に侵入する植物だ。また、日本の黒ボク土地帯では1万年以上もススキの草原がつづいていたといわれている。近年の報告では、ススキが強酸性土壌へ定着するには、AM菌との共生が必要であり、ススキは、耐酸性のAM菌との共生によって、リン酸の一部を得ているという(*3)。ただ、イネ科植物が、酸性土壌の難溶性リン酸を吸収する機構については、解明されていない。

また、火山の土には窒素がほとんど含まれていないので、火山の土で生育するには、大気中の窒素を固定する必要がある。窒素については、イネ科植物の根圏や体内に窒素固定細菌が生息していることが知られている。エンドファイトとは、植物の体内で生活する微生物のことだが、窒素固定能力をもったエンドファイトとして、Acetobacter属、Herbaspirillum属、Azoarcus属などの細菌の存在が報告されている。(*4)

イネ科植物の体内には、窒素固定能をもつ偏性嫌気性細菌と窒素固定能をもたない好気性(通性嫌気性)細菌の両方が生息しており、両者が共同(コンソーシアム)して窒素固定活性を発現していると考えられている。ススキについても、定着生の高い嫌気窒素固定コンソーシアムの存在が確認されている。(*5)


箱根仙石原のススキ野(Author:Jungle)

火山の周辺では、ススキやササの草原にマツ類が侵入する。それが可能なのは、マツ類が難溶性リン酸を溶解、吸収する機構を有しているからだ。

マツ類は菌根性の植物で、無機養分のほとんどを、菌根菌をとおして得ているといわれている。菌根菌は、植物の根に侵入して共生する菌類のことで、生物としてはグロムス門、担子菌門、子嚢菌門などに分類される。また、その形態から、アーバスキュラー菌根、外菌根、ラン菌根、エリコイド菌根、モノトロポイド菌根などに分けられている。

植物のほとんどは菌根菌と共生関係にあるが、アブラナ科、ヒユ科、ナデシコ科、タデ科、ケシ科など、菌根菌非共生の植物もある。また、スイレン目、オモダカ目などの水生植物も菌根菌非共生だ。外菌根と共生する植物は、マツ科、ブナ科、カバノキ科、フタバガキ科、ヤナギ科、フトモモ科などが知られている。外菌根菌は、ハラタケ目に属する担子菌が多いが、セイヨウショウロ科(トリュフ)やチャワンタケ科の子嚢菌、ケカビ門も存在するとされている。

マツ類は、マツタケなどの担子菌と共生し、共生菌に光合成産物(エネルギー)を与える代わりに、菌から水や無機養分を得ている。マツタケには、Al型リン酸を溶解吸収する能力があることが知られている。なお、菌根菌は、可溶性のリン酸が多い肥沃な土壌では、菌根の発達が悪くなるといわれている。(2016年4月20日ブログ)

マツタケの子実体は、アカマツを中心に環状に形成される。これは、一般に「シロ」と呼ばれている。シロの先端は、菌根がもっとも活発に成長しているため、活性菌根帯と呼ばれる。活性菌根帯の土壌は細菌や酵母に対して強い抗菌活性を示す。(*6, *7)

この抗菌活性を有する物質は、シュウ酸アルミニウム錯体と報告されており、シュウ酸アルミニウム錯体は、他の微生物に対して抗菌作用があると同時に、マツタケに対して菌糸の成長促進効果があるという。

マツタケは菌根からシュウ酸を放出して、Al型リン酸を溶解してリン酸を吸収すると同時に、シュウ酸アルミニウムの抗菌作用によって土壌中の微生物環境を整えることでシロを拡大しているらしい。

マツタケ菌糸からのシュウ酸放出は、酸性土壌におけるAl型リン酸の溶解吸収、可溶性アルミニウムの解毒、他の土壌微生物の抗菌作用の機能をはたしていると考えられている。

なお、マツタケは、アカマツだけでなく他のマツ属の樹木と共生する。さらに、中国の四川省や雲南省に分布するマツタケは、マツ類ではなくブナ科の樹木(コナラ属、シイ属など)を宿主にしているという。(*8)


(西野, 2017)


富士山の森林限界付近で発芽したカラマツの実生(Author:御粥)

文献
*1)Myra Chu-Chou, Lynette J.Grace. (1982) Mycorrhizal fungi of Eucalyptus in the North Island of New Zealand. Soil Biology and Biochemistry14-2:133-137
*2)上條隆志, 田村憲司, 廣田 充, 西村貴皓, 東 亮太, 藤井美央. (2016) 火山遷移に伴う植生発達と環境形成. 地球環境21(1),21-32.
*3)河原 愛, 佐藤理子, 江沢辰広. (2013) アルミニウム耐性植物ススキのリン酸吸収を担う直接および菌根経路. 日本土壌肥料学会講演要旨集59巻.
*4)南澤 究. (2003) イネ科植物の窒素固定エンドファイト. 日本農芸化学会誌77巻2号 p.126-129
*5)斉藤朝美, 葉 繽, 南澤 究. (2002) ススキへの定着性の高い嫌気窒素固定コンソーシアムの選抜. 日本微生物生態学会講演要旨集(18),100.
*6)西野勝俊ら. (2016) シュウ酸アルミニウムの抗菌作用を利用したマツタケの生長戦略. 日本森林学会学術講演集.
*7)西野勝俊. (2017) マツタケシロの抗菌物質・シュウ酸アルミニウム錯体の化学生態学. 京都大学.
*8)進藤克実, 松下範久, 寳月岱造. (2008) 中国雲南省産のマツタケとブナ科樹木との菌根共生. 第119回日本森林学会大会.

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難溶性リン酸を吸収する作物

酸性やアルカリ性の火山灰土では、リンが土に固定されて、植物が吸収することが難しくなる。しかし、植物のなかには難溶性リン酸を吸収する種が存在するし、栽培植物についても報告がある。

ソバ(タデ科):ソバの原産地は、中国の雲南省と考えられている(*1)。ソバは、根からH(プロトン)を放出して、アパタイトなどCa型リン酸を溶解、吸収するとされている。


ソバ(タデ科)(Author:Koba-chan)

アブラナ科:ナタネ、ダイコン、ハクサイ、カブ、カラシナなどのアブラナ科作物は、根からHを放出して、Ca型リン酸を溶解、吸収する。また、アブラナ科作物とタデ科のソバは、リン肥沃度の低い土中では、「リン獲得根」が伸長すると報告されている。(*2)

ヒユ科:ヒユ科のテンサイ、ホウレンソウは、根からHを放出して、Ca型リン酸を溶解、吸収することが知られている。

ヒヨコマメ(マメ科):ヒヨコマメは、PPNB期に西アジアで栽培化されたきわめて古い作物で、創始作物(founder crop)のひとつとされている。西アジアの創始作物は、アインコルンコムギ、エンマーコムギ、オオムギ、レンズマメ、エンドウマメ、ヒヨコマメ、ビターベッチ、ソラマメ、アマといわれている。ヒヨコマメは、根からクエン酸やコハク酸を放出して、アルカリ土でのCa型リン酸を溶解して吸収する。また、ヒヨコマメは、Fe型リン酸が多い土壌でも生育することから、Fe型リン酸を吸収する可能性もあるといわれている。


ヒヨコマメ


キマメ

キマメ(マメ科):キマメは、インドやアフリカ東部で栽培されている。根からマロン酸、シュウ酸、ピシジン酸を放出し、AlおよびFeとキレート結合して、Al型リン酸、Fe型リン酸を溶解、吸収するとされている。(*3, 4)


(大谷, 阿江, 山縣. 1997)

ラッカセイ(マメ科):ラッカセイは、南アメリカで栽培化され、難溶性のFe型リン酸とAl型リン酸の溶解能があることが知られている。Fe型リン酸の溶解の全活性のうち、一部は根の表面に活性が存在することが報告されており、これは「接触溶解反応」と呼ばれている。溶解活性の反応部位では、3価の陽イオンとのみ特異的に結合するとされている。また、ラッカセイの根は、表面が脱落して、絶えず新しい溶解活性部位が表面に生成していると考えられている。(*5)


ラッカセイ(Author:Delince)

イネ:イネ(陸稲)は、可吸態リン酸が少ない黒ボク土で、リンをよく吸収することが知られているが、イネが難溶性リン酸を吸収する機構は解明されていない。

なお、水田では、畑作に比べて、イネのリン酸吸収が高いことが知られている。湛水下の水田土壌では、リン酸の溶出量は、pH5以下あるいはpH7以上で高くなるが、pH5~7の間では、著しく低くなる。pH5以下で、リン酸の溶出量が増えるのは、リン酸と結合している鉄が還元されて藍鉄鉱[Fe3(PO4)2・8H2O]に変化して溶解度が増大するためと考えられている。いっぽう、pH7以上では、土壌溶液中の鉄(Ⅱ)(Fe2)が、大気中のCO2によって炭酸鉄(Ⅱ)(FeCO3)となって沈殿し、溶液中から除去されて、リン酸の溶出が促進される。一般に水田土壌は中性付近なので、Fe2の沈殿によるリン酸の溶解度上昇が、水田土壌におけるイネのリン酸吸収の増加の要因とされている。(*6)


(飯村, 2005)

文献
*1)Ohmi OHNISHI. (1993) Population genetics of cultivated common buckwheat, Fagopyrum esculentum Moench. VIII. Local differentiation of land races in Europe and the silk road. The Japanese Journal of Genetics Volume 68 Issue 4 Pages 303-316.
*2)船場康司, 南條正巳. (2004) アブラナ科作物のリン獲得根伸長と土壌の可給態リンレベルとの関係. 日本土壌肥料学会講演要旨集50巻 p.143.
*3)大谷 卓, 阿江教治, 山縣真人. (1997) 植物のもつ難溶性リン酸獲得戦略. 農環研ニュースNo.36.
*4)大谷 卓, 阿江教治, 山縣真人. (1999) 黒ボク土中のリン酸に対するキマメおよびラッカセイの特異的吸収・利用機構. 農業環境技術研究所報告17号 p.55-123
*5)阿江教治. (2002) リンの溶解・吸収における細胞壁の関与:ラッカセイの場合. 日本土壌肥料学会講演要旨集48巻 p.183
*6)飯村康二. (2005) 湛水下の水田土壌におけるリン酸の溶解度上昇の原因について. 日本土壌肥料学雑誌76巻2号 p.199-200.

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リンと火山、黒ボク土と縄文人

リンPは、地殻に0.12%しか存在しない。また、リンは土に固定されやすく、難溶化したリンを吸収できる植物は多くない。

一般に雨が多い地方では、土が酸性化する。空気中のCO2が雨水に溶けると、炭酸水(H2CO3)になる。炭酸水は土の中のCaなどの塩基を溶かして流亡させるので、土の中にはHが増えて酸性化する。また、植物は、根から有機酸やHを分泌するので、さらに土が酸性化する。

逆に雨が少ない地方では、地表面から水が多く蒸発するので、地中から水が上昇する。塩基が土壌中から流亡しにくく、アルカリ化しやすい。

リン酸は、酸性土壌では、アルミニウムイオンや鉄イオンと化学的に結合して、難溶化する。また、ゲータイト[FeO(OH)]など金属水酸化物に電気的に吸着されたり、粘土表面に直接取り込まれて吸着する。pH6~7では、比較的易溶性のリン酸塩が存在するが、pH7以上のアルカリ性になると、Caと結合してリン酸カルシウムになり、難溶化する。

日本では、火山灰が風化して生成した黒ボク土が広く分布するが、黒ボク土は、リン酸の固定力が大きい。火山が噴火すると、火口から噴出した火山灰やほこりが積もる。また、流れ出した溶岩が冷えて固まり、安山岩や玄武岩などの火山岩になる。いっぽう、マグマが深層でゆっくり冷えたときは、花崗岩などの深成岩ができる。

これらの火山灰や火成岩の中のリンの多くは、アパタイト[Ca5(PO4)3(F,Cl,OH)1]で存在している。アパタイトは、アルカリ性では溶解しにくいが、酸性では溶解しやすい。また、植物の根から分泌されるキレート能をもつクエン酸やシュウ酸、あるいはHによって溶解する。


P-Ca:Ca型リン、P-non occluded:非結合型リン、P-o:有機態リン、P-occluded:結合態リン
土壌形成期におけるリンの形態と量の経時変化モデル(Walker and Syers, 1976)

酸性土壌では、アパタイトから溶出したリン酸は、活性アルミニウム、活性鉄と反応して難溶化すると考えられている。リン酸イオンと反応する活性Alは、アロフェン、イモゴライト、Al-腐植複合体、カオリン鉱物などに含まれる。いっぽう、活性Feは、ゲータイトやフェリハイドライト([Fe3+5][(OH)9|O3]15-)に含まれる。活性Al・Feは、酸性土壌ほど多い。

下図のように、リン酸は粘土表面に存在するアルミニウムイオンと反応して、非晶質リン酸アルミニウム類似物質へと変化して難溶化すると考えられている。この物質は、植物がきわめて利用しにくい物質とされている。(*1)


(1)(2):アルミニウム水酸化物に吸着
(3):アルミニウムのケイ酸塩鉱物と反応
(4)(5)(6):アルミニウム-腐植複合体と反応
(7):アルミニウムイオンと反応


(南條, 1995)

日本の黒ボク土には、活性Al・Feが多く含まれるので、リン酸の固定が問題になってきた。北海道立十勝農業試験場の報告では、圃場の形態別リン酸含量は、Al型リン酸含量がもっとも多く、全リン酸含量の53~64%を占めるという。次いで、有機態リン酸、Fe型リン酸、Ca型リン酸の順に多い。黒ボク土では、リン酸が下層へあまり溶脱せず、難溶化して蓄積しているといわれている。(*2)


(谷ら, 2011)

ただし、火山灰土であっても、時間とともに活性Al・Feの量が変化することが知られている。ハワイ諸島では、降灰より数十万年後までは、アロフェン、イモゴライト、Al-腐植複合体が生成して、活性Al・Feの含量が増加する。その後、活性Al・Feは、反応性の低い結晶性の鉱物へと変化するために減少し、噴火から410万年後には、強風化土壌であるオキシソルになっているという。このような変化は、火山砕屑物のサイズが小さいほど、Siが少ないほど早くなる。また、温度が高いほど、結晶性の鉱物が早く出現するといわれている。(*3)


ハワイ諸島における時間経過が土壌中の非結晶鉱物(活性Al・Feを主とする鉱物)の量に及ぼす影響(Harsh, et al.)(渡邉, 2016より)

歴史的には、日本の黒ボク土は、ススキやマツしか生えないやせた土壌と言われてきた。それは、酸性の黒ボク土ではリン酸が固定されて、これを吸収できる作物がほとんど無いためだ。しかし、火山の噴出物である火山灰や火山岩は、地球の内部から出てきた新鮮な土なので、植物や動物の成長に必要なP、Ca、K、Mgなどが溶脱しておらず、栄養分が豊富に含まれている(ただし、Nは含まれていない)。

インドのデカン高原は、6700-6500万年前にマグマが噴出して形成された広大な玄武岩台地だ。噴出した玄武岩は、2,000メートル以上の厚さで堆積しているといわれている。この玄武岩が風化した土壌は、レグールと呼ばれる肥沃な土壌である。ヒヨコマメ、キマメ、緑豆、ケツルアズキ、レンズマメ、ラッカイなどの豆類、アワ、キビ、インドビエ、シコクビエ、コド、サマイ、コルネ、コラティ、ソルガム、トウジンビエなどのイネ科雑穀、綿花などが栽培されており、インドの大きな人口を支えている。

インドネシアは、日本と同じ環太平洋火山帯に属し、国土には多くの活火山が存在する。日本もインドネシアも、国土の面積に対して非常に多くの人口を扶養している。アステカ文明がおこったメキシコ高原は、安山岩や玄武岩でできており、インカ文明が栄えたアンデス山脈には多くの活火山が存在し、安山岩などの火山岩で覆われている。アフリカ大陸で農業がさかんで人口が多いのは、エチオピア高原だが、エチオピア高原は玄武岩などの溶岩類に厚く覆われている。

また、日本の縄文遺跡は、黒ボク土地帯に多いことが知られている(*4)。ただし、どうして縄文遺跡が黒ボク土地帯に多くあるのはよくわかっていない。

もともと、縄文人の食料や日本列島の植生から、縄文文化は、東日本のナラ林地帯で栄えたという説が有力であった。しかし、縄文時代にもっとも人口が多かった関東地方は照葉樹林帯に属するので、この説にあわない。

また、黒ボク土は、縄文人の火入れなどの活動によって形成されたという説も唱えられている(*5)。しかし、黒ボク土が縄文人の活動でできたという説は、縄文遺跡がないところに黒ボク土が存在することを説明できないし、ほとんどの土壌学者からも支持されていない。




(枝村, 熊谷, 2009)

ごくふつうに考えれば、黒ボク土地帯に縄文遺跡が多いのは、新鮮な火山灰が堆積した土からは、アパタイト中のリン酸が多量に溶解するために、生物の生産力が大きくなるからであろう。

新しい火山灰が堆積した台地や、溶岩が堆積した台地で優占する植物は、タデ科のイタドリ、イネ科植物、イネ科のススキ、ササなどである。これらの植物は、リンの吸収能力が高く、栄養価が高い。縄文人が食料にしていた動物はシカとイノシシが多いが、シカはススキ、ササ、その他のイネ科植物を好んで食べるし、イノシシはササの地下茎やススキの根をよく食べる。

また、火山の土から溶脱したリンは、川から海に流れるので、河川の周囲の海はリンの濃度が高くなって、貝の生産量が多くなることが予想される。

すなわち、黒ボク土地帯に縄文遺跡が多いのは、新鮮な火山の土から、多くのリンが生物に供給されるためと考えられる。

文献
*1)南條正巳. (1995) 土壌コロイドとリン酸イオン. 粘土科学第35巻第3号108-119.
*2)谷 昌幸ら. (2011) 化学肥料と牛ふん堆肥を25年間連用した淡色黒ボク土畑土壌におけるリン酸の蓄積互と形態. 日本土壌肥料学雑誌 82(3), 224-227.
*3)渡邉哲弘. (2016) 火山灰土壌の分布と特殊性. 地球環境 21(1), 11-20.
*4)阪口 豊. (1987) 黒ボク土文化. 科学,57,352-361
*5)山野井徹. (1996) 黒土の成因に関する地質学的検討. 地質学雑誌第102巻第6号 526−544.
*6)枝村俊郎, 熊谷樹一郎. (2009) 縄文遺跡の立地性向. Theory and Applications of GIS, Vol. 17, No.1, pp.63-72

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ストックが大きくなると小さな不確実性を選択する

ストックがある値を超えて大きくなると、投資を控えて小さな不確実性を選択するようになる。これは、生物および人間の本来的な生存戦略と考えられる。

生物は、利用資源が豊富なときは、小さな差異、小さな不確実性を選択したほうが有利であり、生存条件が悪化したときは、大きな差異、大きな不確実性を選択したほうが有利である。

差異性向、不確実性性向:Preference of difference, preference of uncertainty

d:遺伝的な差異
pd:自分に存在しない形質が、異性に存在する確率
dt:接合可能な遺伝的差異の大きさ
ef:有利さの期待値
ei:不利さの期待値
Rc:複製によって得られる有利さ
Rf:異性との接合によって得られる有利さ
Ri:異性との接合によって生じる不利さ
u:有利さの期待値と不利さの期待値の幅(不確実性)
ef=Rc+Rf・pd
ei=Rc+Ri・pd (Ri<0)
u=ef-ei=(Rf-Ri)pd

人間の超協力タカ派戦略からみても、資源量が十分にあるときは、不確実性が小さいほうが有利であり、資源が不足したときは、不確実性が大きいほうが有利である。

武器と資源獲得の不確実性:Weapons and Uncertainty of resource acquisition

w:武器の殺傷力の大きさ
pa:ライバル集団の大多数を殺傷できる確率
Ra:Aが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
Rb:Bが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
eaw:勝利したAが獲得できる資源量の期待値
eal:負けたAの資源量の期待値
ebw:勝利したBが獲得できる資源量の期待値
ebl:負けたBの資源量の期待値
u:戦闘によって獲得できる資源量の期待値の幅(不確実性)
eaw=Ra+Rb・pa
ebl=Rb-Rb・pa
eaw=Ra+Rb・pa
ebl=Rb-Rb・pa
ebw=Rb+Ra・pb
eal=Ra-Ra・pb
ua=eaw-eal=Rb・pa+Ra・pb
ub=ebw-ebl=Ra・pb+Rb・pa
ua=ub

ストックが増大して、フローとフロートが停滞している現在の状況は、国家や社会が安定した状態が長くつづき、資源の獲得と所有が固定しつつあることを示している。

ただし、生物や人間の歴史において、そのような状態が長くつづいたことはない。

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インフレなき財政ファイナンスの条件

最近、MMT(Modern Monetary Theory)という主張がはやっているらしい。超低金利では政府債務は問題でないという理由のようだが、それではなぜ超低金利になっているのかの説明になっておらず、超低金利が根本的な理由でもない。

超低金利の理由は、世界的に貨幣のストックが増大し、フローとフロートが停滞しているためだ。

不況と恐慌の本質
ストックされた貨幣の増大
恒常所得と貨幣量
貨幣の供給


Mt:貨幣の総量
Ms:とうぶん使う予定がなくストックされた貨幣量(stock)
Mft:自由に使えるが流通していない貨幣量(float)
Mfw:財と交換され流通している貨幣量(flow)
Mt=Mfw+Mft+Ms

ストックが増大してフローとフロートが停滞するということは、使ったり活用したりせずに貯めておくお金が増えることなので、低金利になるのは当然だ。ストックが増大する理由は、世界戦争や革命がなく、ストックを保有する先進国の人口増加が停止し、かつ富裕層からの徴税が困難なためだ。投資先は国内法が及ばない他国なので、投資がそれほどすすまず、フローとフロートが大きくならない。賃金が安い国は社会が不安定なばあいが多く、投資のリスクが大きいためだが、最近は移民政策も支持されなくなっている。

次に、日銀が財政ファイナンスによって貨幣を増やしても、インフレにならない理由は、日本の人口が増えず、賃金が上がらず、日本人が生産する商品の競争力が大きいためである。

発行した貨幣は、社会保障や財政支出に使われるので、その分の円のフローは増える。しかし、日本人がつくる商品は競争力が大きいので、輸出量が多い。海外で日本の商品を買って日本の企業にドルで支払うと、日本の企業は賃金を払うためにドルを売って円を買う。貨幣を発行しても市場では円が買われて円安にならず、国内人口は増えず、賃金は上昇せず、増やした貨幣は貯蓄されるので、インフレにならない。

インフレになるのは、中国や東南アジアなど、投資が増えて賃金が上昇し、フローとフロートが増大する国だ。

なお、日本がインフレになるのは、おもな輸入品であるエネルギー(石油、天然ガス、穀物)の価格が上昇したときだ。

しかし、国家の財政規律が緩んで、政府が労働者と企業を過剰に保護するようになると、社会の競争力が小さくなる。競争力が無くなると、輸出が減って市場で円が買われないので円安になってインフレになり、貨幣を発行すればインフレが加速する。80年代の原油安で、ルーブルを乱発して崩壊したソ連の状態になる。

インフレなき財政ファイナンスが可能なのは、競争力が大きい国だけある。

また、財政ファイナンスによって政府債務が増大しても、将来世代の負担が大きくなるわけではない。なぜなら、政府と中央銀行は本質的には同一であって、債務者と債権者が同一だ。債権者と債務者が同じなので、全体としては債務と債券の合計はゼロである。つまり、将来も大きな競争力が維持されることとエネルギーの確保が重要なのであって、財政ファイナンスによる政府債務そのものは重要ではない。財政ファイナンスによる政府債務の増加は、それだけ貨幣を印刷して増やしたということにすぎない。

cf
古代メソポタミアの徳政令
為替と賃金
財、貨幣、価格の根源-エネルギーと差異

リンと人間の運動 Phosphorus and human movement

発見されているもっとも古い農業書は、ウル第三王朝時代に書かれた『農夫の教え』という粘土板だ。ウル第三王朝は、紀元前22~21世紀にメソポタミアを支配した王朝である。『農夫の教え』は学校の教科書として書かれたもので、ウルとニップルから出土している。この農業書には、灌水、耕耘、作条、播種などの方法について詳しく書かれているが、肥料については何もふれられていない。

古代のチグリス・ユーフラテス下流域では、作物の生産性がきわめて高かった。しかし、繁栄を誇ったメソポタミア文明が、数千年で衰退してしまったことから考えても、メソポタミアでは肥料を積極的に施用していなかったのかもしれない。


ウル・ナンム(BC.2100)が建造したとされるウルのジッグラト

ヨーロッパの農業書では、古代ローマの大カトー(Marcus Porcius Cato Censorius, BC.234-149)が書いた“De Agri Cultura”がある。この農業指導書には、牛や豚などの糞尿を肥料として作物に与えることが記されている。(*1)


古代ローマのハーベスター

いっぽう、古代中国では、春秋戦国時代の『荀子』(BC.313?-238?)富国編に、「多糞肥田、是農夫衆庶之事也」(肥料を多くして田を肥やすのは、農夫衆庶の仕事である)とあり、『韓非子』(BC.280?-233)解老編には、「積力於田疇、必且糞灌」(田に力を注ぐならば、必ず肥料と灌漑をおこなう)と伝えられている。前漢晩期に書かれた『氾勝之書』には、「春草生、布糞田、復耕、平摩之」(春草が生えたら、田に糞(こやし)を散布し、耕して平摩(鎮圧)する)と書かれている。北魏の賈思勰が書いた『斉民要術』(6世紀)には、「其踏糞法、凡人家秋收治田後、場上所有穰、穀禾戠等、並須收貯一處。每日布牛腳下、三寸厚」(踏糞法とは、およそ農家は秋収、治田が終わったら、作業場にある一切のわら、刈株の類をすべて一か所に取り集め、毎日これを牛舎に三寸厚に敷く)とあり、敷きわらと牛の糞尿から堆肥を製造していたことがわかる。(*2)

南宋の陳旉(1076-?)による『陳旉農書』には、農家が使うべき肥料として、大糞(人糞)、鶏糞、苗糞(栽培した緑肥)、草糞(野草、樹木の葉、雑草、糠、秕を利用して作った肥料)、火糞(燻土、燻肥等の肥料)、泥糞(溝や他の泥を人の糞尿と混ぜたもの)があげられている。その他にも、禽獣の羽毛、皮革、石灰、蚕沙(蚕の排泄物および食べ残した桑の葉)、旧屋の壁土、草木灰、馬蹄や羊角の灰、魚を洗った水、米のとぎ汁、米麦の糠、豆殻等も肥料にされた。


神農氏

日本では、奈良時代初期に編纂された『播磨風土記』(713年~)に、苗代に敷草をしくことが書かれており、平安時代中期の『延喜式』(905年~)には、内膳の菜園で馬糞、牛糞が施されていたことが記されている。江戸初期に会津藩の村役人である佐瀬与次右衛門が書いた『会津農書』(1684年)には、刈敷き、落葉、馬糞、人糞を田畑に施用することがくり返し書かれている。1697年には、農学者の宮崎安貞が『農業全書』を著し、田畑を肥やす肥料として、苗糞(緑肥)、草糞、灰糞、泥糞、油糟、干鰯、人糞などがあげられている。(*3、4)

ヨーロッパや中国には見られず、日本で使われた肥料として魚肥がある。近世の日本では、干鰯、干鰊、〆粕、白子などの魚肥がさかんに利用されていた。干鰯、干鰊は、イワシ、ニシンを乾燥させたもので、〆粕はイワシ、ニシン、サンマなどを煮沸または蒸熱して搾油し、搾りかすを乾燥させたものだ。魚肥には、窒素とリン酸が豊富に含まれており、現代でも魚粉や魚かすとして用いられている。


魚かすの肥料成分(%)(山根, 1986)

干鰯が肥料として使われるようになったのは、戦国時代といわれているが、さかんに利用されるようになったのは江戸時代である。兵庫や堺に魚肥市場が早くから成立していたが、1624年に大坂の永代浜に干鰯揚場ができて、干鰯問屋が栄えて流通を担った。綿や茶などの換金作物にさかんに使用され、畿内では魚肥の需要に供給が追いつかなくなり、干鰯の供給地を関東に求めるようになった。房総半島の太平洋沿岸地域では、紀伊国から進出した漁民や問屋によって干鰯の生産と流通が始まり、代表的な魚肥の生産地域になった。(*5、6)

房総で生産された魚肥は、干鰯問屋によって浦賀に集荷され、関西方面に出荷されていた。元禄期以降には新田開発によって関東でも魚肥の需要が増大し、上総国の太平洋岸以北で生産された魚肥は、北関東地方に出荷されるようになった。

関西では、関東からの干鰯など鰯肥料の供給が減少したために、蝦夷地の干鰊や白子などの鰊肥料を求めるようになった。魚肥の需要の増大による干鰯価格の高騰で、農民と干鰯問屋が対立して国訴に発展するほどであった。


大坂における魚肥価格の推移(古田, 1990)



(古田, 1990)

江戸時代の江戸は、18世紀初頭には人口が100万人を超える世界最大の都市であったと推定されている。文明の中心地であった中国やヨーロッパではなく、極東の辺境地である日本に世界最大の都市が成立したのは、水田作や屎尿などの利用に加えて、豊富な魚肥のリンによって、大都市の人口を支える食料の供給が可能であったためであろう。

日本の近海が世界でも生産性が高い漁場であるのは、大陸の河川と海流によって、リンの供給が多いためである。日本列島の太平洋側を流れる黒潮は、長江から流れ出る豊富なリンを運んでくる。長江の河川水には、きわめて豊富なリンが含まれていることが知られており、年間1,300万トンの懸濁態リンが流れ出ているという。(*7)


(渡辺ら, 2001)

また、オホーツク海や北海道近海には、アムール川(黒竜江)から、豊富な河川水が流れ込んでいる。針葉樹林帯、湿地帯、火成岩地帯を流れるアムール川は、リンや鉄の溶存量が豊富で、オホーツク海や北海道の周辺は、きわめて生産力が高い漁場である。(*8)


アムール川(右側)とウスリー川(左側)の合流点(Author:Ondřej Žváček)

アムール川(Author:Kmusser)

なお、日本では江戸時代の中期以降に、ウシ、ウマ、クジラ、マグロ、カツオなどの骨を肥料として商う問屋が存在し、「山建座」や「海建座」と呼ばれた。骨の主成分はリン酸カルシウムである。薩摩藩では、シラス(火山灰土壌)の改良が課題であった。薩摩の門ノ浦(知覧町)の出身で、海運業を営む仲覚兵衛(1715-1800)は、大坂の渡辺村で廃棄物として大量に捨てられていた獣骨に注目し、骨粉肥料を開発した。大量の獣骨を大坂から薩摩に運び、水車で骨粉にして、菜種の肥料にした。南薩地方の菜種の生産高は倍増し、一大産地になった。薩摩では1830年に山建座(獣骨取扱所)が設けられて、各地から獣骨が集められ、骨粉肥料が普及した。(*9)


仲覚兵衛屋敷跡(南九州市知覧町南別府門之浦)

ヨーロッパでリン酸肥料が利用されるようになったのは、18世紀のイギリスである。イギリスでは、リン酸肥料の原料として、動物や人間の骨が利用された。骨が肥料として利用されるようになったのには、いくつかの伝承がある。

シェフィールドは11世紀のころから鉄器の製造がさかんであったが、のちに、刃物産業が栄えた。刃物の製造では、柄に動物の骨、角、象牙などが利用されたので、骨や角の削りクズが廃棄物として大量に発生した。18世紀に、骨クズを廃棄した場所では植物の生育が良いことが知られるようになり、骨クズが肥料とて利用されるようになった。骨クズは肥料効果が高く、やがて、商品として取引されるようになった。

ヨークシャー地方でも18世紀の末に獣骨が肥料として利用されるようになり、骨を粉砕するための専用の機械が発明された。骨粉は、肥効をあげるために、堆肥と混ぜて施用されたという。

骨粉中に含まれるリン酸は、リン酸三カルシウム(3Ca3(PO4)2・Ca(OH)2)である。骨粉肥料の平均保証成分は、窒素3.4%、リン酸18.7%で、肥効は緩効性である。

骨粉中のリン酸は、水に溶けにくいが、その60~70%は、2%クエン酸に溶け(ク溶性)、粒が細かいほど肥効が早い。活性アルミニウムが多い日本の火山灰土壌では、リンが固定されやすい。しかし、酸性の火山灰土壌では、骨粉が溶解しやすいので、有効なリン酸肥料になる。いっぽう、カルシウムが多いアルカリ性土壌では、骨粉が溶解しにくく肥効が悪くなる。

1808年にアイルランドのジェームズ・マレイ(James Murray)が、骨を硫酸で処理すると、植物にリン酸が吸収されやすくなることを発見した。

1836年に、ジョン・ベネット・ローズ(John Bennet Lawes, 1814~1900)は、3年にわたってカブに骨粉を施用したが、肥料効果が無かった。ローズの農場があるロザムステッドは、石灰岩質の土壌であった。1839年に、骨粉を硫酸で処理して施用したところ、大きな効果があった。ローズは、1842年に過リン酸石灰の特許を取得し、すぐに工場を建設して製造を開始した。

なお、1840年にドイツのリービヒも、骨粉に希硫酸を加えると、施肥効果が高まることを報告している。


ローズが1843年に設立したロザムステッド試験場(Rothamsted Research)

話が脱線するが、ローズとリービヒのあいだで、窒素の施用をめぐって論争がおきた。リービヒは、1840年に刊行した『有機化学の農業および生理学への応用』(Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf der Agrikultur und Physiologie)(1843年改定)において、作物は窒素を大気中から得ているので、農業上も十分であると主張した。ローズは、ギーセン大学のリービヒの下で学んだジョセフ・ヘンリー・ギルバート(Joseph Henry Gilbert)をロザムステッドに迎えていたが、リービヒの説に疑問を抱き、1843年に栽培実験を始めた。

その結果、ミネラルのみを施用したコムギの収量は、無肥料の圃場の収量とほとんど同じであった。いっぽう、少量の硫安を施用した圃場は収量が多くなり、それは大量の厩肥を施用した圃場と同等であった。ローズとギルバートは、1845年に論文を発表し、窒素の施用は必要ないとするリービヒの説に反論した。ローズが1843年に設立したロザムステッド試験場では、1856年に開始された長期の栽培実験(Park Grass Experiment)が現在までつづけられており、現代科学のもっとも長い実験の一つである。(*11)



(犬伏, 1988)

過リン酸石灰の発明によって、ヨーロッパ中から動物骨や人骨が集められて、リン酸肥料が大量に製造されるようになった。イギリスでは骨が不足して、代わりのリン酸肥料として、ペルー産グアノが使われるようになった。


グアノ

1~7世紀のペルー海岸のモチェ文化では、灌漑農業が発達していた。長大な灌漑用水が建設され、トウモロコシ、ジャガイモ、ピーナツ、トウガラシなどが生産された。ペルーの沖合の島には、海鳥の糞が堆積した「ファヌ」と呼ばれる肥料が豊富に存在し、これを農地に施用していた。ファヌとはグアノのことだ。

13世紀のインカ帝国でも、グアノは重用され、大きな農業生産力を実現していた。16世紀のインカ帝国には、80の民族と1,600万の人口が存在したとされている。

ペルー沿岸では沿岸湧昇が発生し、海水が深層から表層へ湧き上がるように流れる。このため、海底のリンが海面近くに押し上げられて、プランクトンが大発生する。プランクトンを食べるイワシやニシンが大量に増殖して、それを食べるカツオドリ、カモメ、ペリカンなどが大繁殖する。海鳥が営巣する海岸部の島では、大量の糞が排泄されるが、ペルーの沿岸部は乾燥して雨が降らないので、30mもの厚さで糞が堆積していた。インカでは、海鳥の営巣を妨げたものは死刑に処せられたという。

ドイツの地理学者のフンボルト(1769-1859)は、1799~1804年に中南米を探検して、グアノの肥料効果をヨーロッパに報告した。なお、ダーウインがビーグル号でガラパゴス諸島を訪れたのは、1835年である。

グアノには、窒素質グアノ(N:11~16%、P:8~12%)と、リン酸質グアノ(N:4~6%、P:20~25%)の2種類がある。窒素質グアノは、可溶性のリン酸が多く、そのまま圃場に施用できる。リン酸質グアノは、長期間の風化で窒素が溶脱し、リン酸は卵の殻や下層のサンゴのカルシウムと結合して難溶化、鉱物化している。

スペイン人が新大陸の金や銀の採掘に熱中したのに対し、グアノの価値にいち早く注目したのはイギリスであった。1840年にペルーのグアノがリバプールのマイヤーズ商会を通じてヨーロッパに輸出され、グアノの高い生産力がヨーロッパに広く知られるようになった。

1843年からは、グアノはアメリカに輸出されて、南部のタバコや綿花の生産者に大きな利益をもたらした。そのころ、アメリカ南部や東部の農場では、肥料を施さずに作物を栽培してきたために、大幅な減収に悩まされていた。アメリカでは、1840~50年代に「グアノラッシュ」がおこり、ペルー沿岸やカリブ海の島のグアノをめぐって、国家規模の紛争が発生した。(*11)


チンチャ諸島(Chincha Islands)、1910

チンチャ諸島のグアノ鉱山、1860

チンチャ諸島、1863

チンチャ諸島、1863

アメリカは、1850年代に、グアノを求めて海外へ領土拡張するようになった。ハワイでは、1850年に外国人の土地私有が認められるようになり、1858年にジョンストン島でグアノの採掘がはじまった。日本にペリーが来航したのは1853年である。

1867年に、アメリカのサウスカロライナでリン鉱石が発見され、ロシアのコラ半島(1885年)やフロリダ(1888年)でもリンの鉱床が発見された。リン酸肥料は、リン鉱石から製造されるようになった。

リンを獲得する運動は、エネルギーの獲得とならんで、人間の歴史の変遷の原動力である。

追記
リンの獲得とヒトの運動をホワイト流に書くと、次のようになる。

樹上生活  果実のリン
狩猟採集  動物、子実、根茎のリン
農耕牧畜  イネ科植物のリン
近世    骨のリン
近代    グアノ、鉱石のリン


中国雲南省のリン鉱石、カンブリア紀の生物が濃縮して堆積した鉱物(Author:James St. Joh)

文献
*1)Cato the Elder (BC.234-149) De Agri Cultura.
*2)郭文韜ら (1989) 中国農業の伝統と現代. 農山漁村文化協会.
*3)滝川勉 (2004) 東アジア農業における地力再生産を考える―糞尿利用の歴史的考察. アジア経済45巻3号p59-76.
*4)佐瀬与次右衛門. (1684) 会津農書.
*5)古田悦造 (1990) 近世近江国における魚肥の魚種転換と流通構造. 人文地理第42巻第5号.
*6)古田悦造 (1996) 近世魚肥流通の地域的展開. 古今書院.
*7)渡辺正孝ら (2001) 東シナ海における長江経由の汚染・汚濁物質の動態と生態系影響評価に関する研究.
*8)白岩孝行 (2011) 魚附林の地球環境学. 昭和堂.
*9)高橋英一 (2004) 肥料になった鉱物の物語. 研成社.
*10)犬伏和之 (1988) イギリスの四季ーロザムステッドを中心として. 肥料科学 第11号 79-98.
*11)Jimmy M. Skaggs (1995) The Great Guano Rush: Entrepreneurs and American Overseas Expansio. Palgrave Macmillan.

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リンと生物 Phosphorus and life

「近代農学の祖」と呼ばれているのは、ドイツのアルブレヒト・テーア (Albrecht Daniel Thaer, 1752-1828)だ。テーアはザクセン州の医師の家に生まれ、ゲッティンゲン大学で医学を学んだ。医師として仕事をしながら、園芸や農業に強い興味を持ち、農地を購入して花や果樹などさまざまな植物を栽培した。農業に専念しようとしていたところ、イギリスの王(ジュージ3世)の個人医を委嘱された。

当時のドイツは、イギリスにくらべて農業技術や制度が遅れていた。テーアは、イギリスの最新の農業をドイツに紹介するために、1798年に、“Einleitung zur Kenntniß der englischen Landwirthschaft und ihrer neueren practischen und theoretischen Fortschritte in Rücksicht auf Vervollkommnung deutscher Landwirthschaft”(イギリス農業の知識とドイツ農業の改善に関する最近の実際的および理論的進歩)を書いた。


アルブレヒト・テーア(Albrecht Daniel Thaer, 1752-1828)

1802年に、ツェレにドイツで最初の農業学校を設立したが、1804年にヴリーツェンに移転した。1809~1812年に“Grundsätze der rationellen Landwirthschaft”(合理的農業の原理)を著して、近代農学を創設した。

テーアは、土壌を分析して、埴土、壌土、砂土などに分け、泥炭、泥灰質土壌、石灰土壌、腐植土などの階級に分類した。そして、土の肥沃さは腐植に由来し、腐植が多いほど、生産力が高いとした。また腐植のもとになるのは堆厩肥などの動植物に由来する肥料と考えていた。テーアが「腐植栄養説」を唱えたのは、腐植は植物性物質であり、植物は、植物に類似した物質を栄養にしていると仮定したからだ。

「作物にその養分の最も本質的なもの、かつ必須の部分を与えるものは、本来的にはただ動植物によってつくり出される堆厩肥だけ、すなわちまさに分解可能な状態にある腐食質(いわゆるフムス「腐植」)だけである」(*3)

カール・シュプレンゲル(Carl Sprengel, 1787-1859)は、ドイツ北部のハノーバーに生まれ、早くから農夫になることを望んでいた。15歳のときにテーアの農業学校に入学し、農業学校で働きながら学んだ。その後、農業のコンサルタントとして働き、ヨーロッパ各地を旅行して農業を研究した。1821年に34歳でゲッティンゲン大学に入学して、化学、物理学、植物学、鉱物学、地質学、数学を学んだ。卒業後に大学に残って農業化学の講義をおこなった。


カール・シュプレンゲル(Carl Sprengel, 1787-1859)

シュプレンゲルは、1826年に、植物の灰から、硝酸、硫酸塩、塩化物、リン酸塩を抽出して論文として報告した。テーアは腐植そのものが植物の栄養素と考えていたが、シュプレンゲルは、植物が栄養にしているのは肥料や腐植に含まれるミネラル(鉱物、無機物)であり、植物中に存在するミネラルが、植物に必須の栄養素であるとした。

1828年には、植物の無機栄養素として、窒素、リン、カリウム、イオウ、マグネシウム、カルシウムなど20種の元素を提示した。また、植物の成長に12の物質が必要ならば、そのうち1つでも不足すれば、植物は成長できないとする「最小律」をあきらかにした。1837年から、土壌や植物栄養についての3冊の教科書を著し、1842年には念願であった農業学校をレーゲンヴァルデに設立した。

なお、シュプレンゲル以前にも、スイスの化学者のドゥ・ソシュールは、1804年に、種々の塩類(とくにリン酸、カリ、カルシウム)が植物の生育に必要なことを示した。また、イギリスのデイヴィは、1813年に、無機物が植物栄養分の一部になると指摘していた。

それまでの農業の歴史では、作物の肥料は、動物の糞尿や動植物の遺体に由来するものであったが、1840年代のヨーロッパでは、ペルー産グアノとチリ硝石が輸入されて、肥料として使われるようになっていた。シュプレンゲルらの無機栄養説によって、鉱物を肥料として利用できることがあきらかになり、グアノ、リン鉱石、硝石が肥料として大量に使用されるようになった。この「肥料革命」は、食料と人口を増大させ、ヨーロッパの産業革命の大きな要素の一つであった。

なお、一般には無機栄養説と最小律は、ユストゥス・フォン・リービヒ(Justus Freiherr von Liebig, 1803-1873)による発見といわれている。これは、リービヒがシュプレンゲルの論文引用を示さず、無機栄養説を自分の説としたためで、リービヒの成功と名声によって、シュプレンゲルの業績は忘れられてしまった。

1950年ごろに、ドイツの研究者によって、忘れられていたシュプレンゲルの業績が報告され、1951年には、三沢嶽郎氏もドイツの歴史的な文献を調べ、無機栄養説と最小律はシュプレンゲルの業績であることを指摘している。最小律の説明として、ドベネックが考案した桶のモデルがよく知られている。


ドベネックの桶(source:Soils and soil fertility)

以前(2016.5.29ブログ)にも書いたが、地球の地殻に存在する元素を多い順から並べると、O、Si、Al、Fe、Ca、Na、K、Mg、Ti、H、P、Mn、F・・である。O、Si、Al、Fe、Caの5つで、91%を占める。つまり「土」の91%は酸素、ケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウムでできている。リンPは、重量あたりで0.12%なので、土1tのなかに1.2kg含まれる。

最初の生命は海で誕生したと考えられているが、海水に含まれる元素は、Cl、Na、Mg、S、Ca、K、Br、C、N、Sr、B、Si、O、F、Ar、Li、Rb、P・・の順になる。リンPは、水1tのなかにわずかに0.062gしか含まれていない。地殻に多いケイ素、鉄、アルミニウム、リンが海水中に少ないのは、水に溶けにくく、重いためだ。

リンは植物の成長に必須な元素で、葉や果実などの組織中の養分の濃度は、N、K、Ca、Mg、Pの順だ(次表)。いっぽう、土壌液中のリンの濃度は他の元素に比べてきわめて低い。植物の根は、培地中のリンを、1,000~10,000倍の濃度勾配を超えて吸収することができるとされている。

土壌中の無機養分は、水と一緒に根から吸収されて道管に入るが、道管汁液中の養分濃度は、植物が薄めている可能性がある(2016.6.19ブログ参照)。そこで、組織濃度と土壌液中の濃度から、濃縮係数(T/S)を別に計算してみる。濃縮係数の大きさは、P、N、K、Ca、Mgの順で、リンは他の元素にくらべて100倍以上も濃縮されている。

植物が、エネルギーを使って能動的に無機養分を吸収していると仮定して、組織濃度に濃縮係数をかけてコストを概算すると表の右側のようになる。キウイフルーツは、無機養分の獲得に要するコストの80%以上を、リンの獲得のために費やしている。

イクラ(サケの卵)の金属元素濃度を見ると、リンの濃度がもっとも高く、P、K、Mg、Ca、Na、Zn、Fe、Cu、Sr、Se、Mn・・の順になる。濃縮係数は、Fe、Hg、Mn、P、Cu、Zn、Co、Ag・・の順だ。これらの金属元素の濃縮係数が大きいのは、元素が重く海底に沈んでしまうので、海水中の存在量が少ないためだ。いっぽう、Na、Mg、Sr、Uについては、コストをかけて外部に排出している。

サケが金属元素を獲得するためのコストを見るために、濃度と濃縮係数をかけると、表の右側になる。獲得コストは、P、Fe、Zn、Cu、Mn、Se、K・・の順であり、リンが全体の96%を占める。また、リンと鉄を合わせると、99.4%にも達する。なお、地殻にきわめて存在量が多いアルミニウムが、イクラにまったく含まれていないのは興味深い。

金属元素だけで見れば、海の生物はほとんどリンを獲得するために、海の中を動き回っているようなものだ。生物が海から陸上に進出した理由のひとつは、リンを獲得するためであろう。また、これほど、海水中にリンが不足していることからすると、海に棲む生物のリンの循環は、海底に沈殿したリンが大きな位置を占めていることが予想される。海底の泥のなかに棲む微生物、センチュウ、貝類、甲殻類などが、海のリン循環に大きな役割を果たしていると考えられる。

生物の生存に必要なのは、エネルギーと物質だ。地球上の生物が利用できるおもなエネルギーは、太陽に由来するエネルギーと、地球内部の熱に由来するエネルギーである。生物は、エネルギーを利用して構造を構築しながらエントロピーを排出するシステムであり、そのシステムを構築するのは情報(自己複製する遺伝子)と物質だ。そして、システムの構築に有用な物質を、地球の環境中から獲得している。


e:エネルギー
s:エントロピー

エネルギーと水が存在するところでは、生物がもっともコストをかけて獲得している物質はリンであり、シュプレンゲルの最小律から考えれば、リンの獲得量に生物量が大きく左右される。生物の個体同士や種同士は、リンをめぐって激しい生存闘争をくりひろげていると見ることもできる。

文献
*1)Albrecht Daniel Thaer (1809-1812) Grundsätze der rationellen Landwirthschaft.
*2)三沢嶽郎 (1951) リービッヒの思想とその農業経営史上における意義. 農業技術研究所報告. H, 經營土地利用.
*3)熊澤喜久雄 (2008) テーアの「合理的農業の原理」における土壌・肥料. 肥料科学,第30号,89~138.
*4)西尾道徳 (2015) 植物の無機栄養説と最小律の発見者はリービッヒではなかった.
*5)西尾道徳 (2015) 植物の無機栄養説と最小律の発見者はリービッヒではなかった:その2.
(三沢嶽郎論文の存在を指摘した読者というのはわたしです)
*6)佐々木泰子 (1976) リンの吸収と生理作用,農業技術大系土壌施肥編.農山漁村文化協会.
*7)原口紘炁, 松浦博孝 (2004) 生体金属支援機能科学と生物細胞全元素分析.
*8)農文協編 (2011) 肥料を知る土を知る. 農山漁村文化協会.

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