栽培コムギの起源:Origin of domestic wheat

SHINICHIRO HONDA

栽培コムギの起源については、坂村徹(1888-1980)、木原均(1893-1986)をはじめ、日本の植物学、遺伝学の研究者が大きな成果をあげてきたことは、すでに書いた。

栽培植物の起源の探索には、考古学、遺伝学、民族学、歴史学などの研究方法が組み合わされるが、コムギのように、1万年も昔に栽培化された作物を調べるには、遺伝学と考古学が大きな位置を占める。

日本語の「小麦」や英語の“wheat”という言葉は、分類学的には、イネ科(Poaceae)コムギ属(Triticum)に属する1年草の植物全般を指す。ただ、その内容はきわめて複雑である。スーパーで売られている「小麦粉」は、パンコムギ(別名:普通コムギ、英名:bread wheat、学名: Triticum aestivum)の粉のことである。また、パスタの原料は、デュラムコムギ(別名:マカロニコムギ、英名:durum or macaroni wheat、学名: Triticum durum)である。世界に広く普及しているのは、パンコムギとデュラムコムギであるが、ほかにも多くの種が存在し、品種の総数は数万におよぶであろう。

人間にとって重要とされているおもなコムギの分類は、以下のとおりである。

コムギの種と栽培化については、下図の関係と経過が支持されている。(*1)


コムギの倍数性変異と栽培化、SS≒BB、SS≒GG(参考:麦の自然誌)

図のクサビコムギとタルホコムギは、コムギに近縁なイネ科エギロプス(Aegilops)属植物である。エギロプス属植物の染色体の基本数はコムギとおなじn=7で、2倍体、4倍体、6倍体が存在する。

クサビコムギ:2n=14、SS、英名 tandat bockvete、学名 Aegilops speltoides
クサビコムギは、西アジアから南東ヨーロッパに分布し、飼料として利用されている。4倍体のパレスチナコムギ(2n=28、AABB)は、ウラルツコムギ(2n=14、AA)とクサビコムギ(2n=14、SS)の交雑によって成立したと考えられている。SSゲノムと、BBゲノムおよびGGゲノムはよく似ており、SSからBBとGGが分化したとされる。

タルホコムギ:2n=14、DD、樽穂小麦、英名 tausch’s goatgrass、学名 Aegilops tauschii
タルホコムギは、東ヨーロッパから、コーカサス、インドにかけて分布する。6倍体のパンコムギ(2n=42、AABBDD)は、エンマーコムギ(2n=28、AABB)とタルホコムギ(2n=14、DD)との交雑によって生じた。

分類学的に同種であっても、野生コムギと栽培コムギでは、遺伝子と形態に大きな違いがある。野生コムギは、種子(頴果)が離れやすく(脱粒性)、脱穀しにくく(難脱穀性)、種子の休眠が深く、種子が小さいなどの特徴がある。栽培コムギはその逆で、種子が離れにくく(非脱粒性)、脱穀しやすく(易脱穀性)、種子の休眠が浅く、種子が大きい。これらの形質のなかで、野生―栽培の区別の指標として重要なのは、脱粒―非脱粒の違いである。

野生のコムギは、ウシやシカなどの反芻動物と共生の関係にある(2017.2.12ブログ)。イネ科植物は、難溶リンを吸収できる種が多く、さらに、窒素固定細菌と共生している。肥沃な土壌では、分げつしたり、種を親株の周囲に撒き散らしながら繁殖し、広い群落(草原)を作る。群落(草原)には草食動物の群れが季節的にやってきて、葉は動物に食べられる。ムギは、草食動物に株を踏まれると、稔実がよくなる性質がある。ムギの種子には野毛があり、野毛で動物の毛に付着して遠くまで運ばれる。

野生のムギにとっては、群落を形成したり、野毛で動物の体に付着するには、種子がすぐに離れるのが都合がよい。地面に落ちた種子の一部は、ウシやシカの体に付着するが、多くはネズミ、鳥、昆虫などに食べられる。ネズミは種子を噛み砕いてしまうが、種子を貯蔵する習性があるので、食べ残された種子が翌年に発芽することができる。穀物の種子には、毒のマイコトキシンを生成するカビ(子嚢菌)が生えやすいのは、ネズミがカビの生えた種子を食べ残すように、植物とカビが共生関係にあるためであろう。

鳥には哺乳類のような歯がなく、砂嚢で食べた物を砕く。このとき、消化をまぬがれた種子は、糞といっしょに地面に撒かれる。哺乳類は、タンパク質の代謝によって発生するアンモニアを、尿素に変えて排出するが、爬虫類や鳥類は、アンモニアを水に不溶な尿酸に変え、糞といっしょに排泄する。排泄された尿酸は、ウリカーゼ産生細菌の働きで、急速にアンモニアに分解される。無機化した窒素は、すみやかに植物に吸収される。鳥の糞は、窒素、リン酸、カリウムの含有率が高く、発芽した植物の養分になる。

しかし、すべての種子が落ちてしまうのも好ましくない。群落の中ではもうそれ以上、個体数を増やす場所がないので、株の近くに多くの種子を落とすことは無駄になる。できるだけ遠くの多様な環境に運ばれたほうが、遺伝子が存続できる確率が高くなる。

種子がすべて落ちずに、一部が残れば、茎葉といっしょにウシやシカに食べられる。噛み砕かれなかった種子は、遠くに運ばれて糞といっしょに地面に落ちる。糞の中は、水分が適度に保たれるし、ネズミや鳥に食べられない。発芽する確率が高く、糞には養分が多いので生育にも有利である。

ムギの個体の遺伝子は、他の個体の遺伝子のコピーである。環境収容力(利用できる資源と空間)には限界があるので、すべての個体の遺伝子が生き残ることは不可能であり、生き残る必要もない。集団の一部分が生き残りさえすれば、自己複製してまた繁殖できる。多数が生き残る可能性よりも、一部分でもいいからどんなことがあっても生き残る可能性が高いほうが、長期的には有利である。

つまり、野生コムギの遺伝子プールでは、脱粒遺伝子と非脱粒遺伝子が混在している状態が合理的だ。

人間は収穫したムギを石臼で挽いて粉にしてしまうので、人間の糞から拡散することはできない。人間がウシと違うのは、種子を大量に貯蔵することだ。貯蔵されたムギは、少しずつ食べられるが、カビが生えたり、食べ残されたりしたムギは、そのまま放置されたり、捨てられるであろう。また、収穫物を運んだり、脱穀したり、製粉したりする途中で、こぼれた種子があちこちにばら撒かれる。ムギからみると、人間はネズミと同じである。人間がどこかに種子を運んで、食べ残せば、遺伝子を拡散して、存続する確率が高くなる。さらに、人間が、食べ残した種子を「意識的」に播種するようになれば、そのときが「栽培」の始まりである。

非脱粒性の遺伝子の種子は、地面に落ちないので、人間に収穫(選択)され続ける確率が高い。人間が「無意識」に収穫(選択)と播種(繁殖)をくり返すことで、しだいに非脱粒性遺伝子が、遺伝子プール内に広がる。これが、栽培コムギが成立する過程と考えられる。

ダーウィンが指摘した「無意識」と「意識的」には、2つの段階がある。1つは、「無意識の選択」(収穫する)から「意識的な選択」(選ぶ、伝える)への転換であり、2つめが「無意識の繁殖」(捨てる)から「意識的な繁殖」(種播き)への転換である。そして、その時間的な順番は、次のとおりである。

・ 無意識の選択(収穫する)
・ 無意識の繁殖(こぼれる、捨てる)
・ 意識的な選択(選ぶ、伝える)
・ 意識的な繁殖(種播き)

遺伝子の分析から、コムギの起源地についての有力な説が報告されたのは、1997年である。ドイツのManfred Heun氏らは、世界各地の栽培アインコルンコムギと、肥沃な三日月地帯およびバルカン半島の自生地から採集した野生アインコルンコムギのDNAを解析した。そして、栽培アイルコルンにもっとも近縁なのは、トルコ南東部のKaraca Dağの近くの野生アインコルンという結果がでた。(*2)


Sampling sites of 338 einkorn wheat lines.(surce:Science Vol. 278, Issue 5341, pp. 1312-1314)

一方、西アジアの新石器時代の遺跡からは、エンマーコムギが多数出土している。2005年にドイツのH. Ozkan氏らは、エンマーコムギと、エンマーコムギの野生型であるパレスチナコムギのDNA解析を行った。そして、エンマーコムギともっとも近縁なのは、トルコ南東部のKaraca Dağの近くのパレスチナコムギとの結果になった。つまり、2倍体の栽培アインコルンコムギも、4倍体のエンマーコムギも、同じトルコ南東部を起源とすることがあきらかになった。(*3)


Sampling locations of Triticum dicoccoides wild lines in the Fertile Crescent.(sorce:Theor Appl Genet (2005) 110: 1052–1060)

考古学では、2006年に報告された、丹野研一氏とGeorge Willcox氏の研究がある。野生コムギは、種子が成熟すると、小穂に離層が形成されて脱落する(写真のA、B、C)。栽培コムギでは離層は形成されないので、自然には脱落しない。人為的に小穂をバラバラにするために、折れた穂軸の一部が固着する(D、E)。ふつう、種子や小穂は微生物に分解されてしまうが、焼けて炭化した小穂は分解をまぬがれて残るので、これを観察すれば、野生型と栽培型を区別できる。


(Source:Science 31 Mar 2006:Vol. 311, Issue 5769, pp. 1886)

丹野氏らは、10,200~6500年前の炭化種子9,844個を調査し、栽培コムギの出現率を評価した。新石器時代初期(PPNA期)のカラメル遺跡(Qaramel)では栽培型は存在せず、その次のPPNB期のネヴァル・チョリ遺跡(Nevali Cori)で栽培型が現れた。時代が下るにつれて栽培型の割合が増え、栽培型が野生型に置き換わるには、3000年以上の時間を要したことがあきらかにされた。(*4)

ネヴァル・チョリ遺跡は、Karaca Dağの西方100kmほどのところに位置し、遺伝学的な推論と丹野氏らの考古学的な検証が一致している。


Karaca Dağ(右), Nevali Cori(左中), Göbekli Tepe(左下)

トルコ南東部のKaraca Dağは、高さ1952mの楯状火山で、玄武岩質溶岩の噴出によって形成された。玄武岩質溶岩は、粘性が低く、流れやすいため、緩やかに傾斜する楯状になる。Karaca Dağの最後の大規模噴出は中期更新世(78~12万年前)とされており、新しい火山である。Karaca Dağ周辺の気候は、ステップ気候であるが、地中海性気候の影響を受けて、夏季は乾燥し、冬季に雨が降る。近年までは多くの森林が存在したが、現在は、森林は一部しか残っていないようだ。

トルコ語の“Dağ”は山という意味なので、日本語では「カラジャ山」と呼ばれる。また、“Karaca”は「ノロジカ」または「卵」のことなので、「ノロジカ山」という意味になるのであろう。


Karaca Dağ(Author:Christian1311)

Karaca Dağとネヴァル・チョリ遺跡の近くには、ギョベクリ・テペ遺跡(Göbekli Tepe)がある。ギョベクリ・テペは、新石器時代の遺跡で、構造物が建造されたのは、12,000~10,000年前とされている。また、立てられていた多数の石柱は、高さ6m、重さ10tにもなる。発掘者であるドイツのクラウス・シュミット(1953-2014)は、ギョベクリ・テペは石器時代の神殿と考えていた(*5)。これが神殿(宗教施設)であるならば、農耕文明が始まるはるか昔の狩猟採集民の手で、このような巨大な神殿が建造されていたことになる。これは、これまでの人類学の常識を根底からくつがえすものであり、世界中の教科書が、書き換えられること意味する。ここは、人類史にとって、きわめて重要で、かつ大きな謎につつまれた場所である。


Göbekli Tepe(Author:Teomancimit)


Gobekli Tepe, Urfa(Author:Teomancimit)

(敬称略)

文献
*1)佐藤洋一郎・加藤鎌司編著 (2010). 麦の自然史. 北海道大学出版会
*2)Manfred Heun, Ralf Schäfer-Pregl, Dieter Klawan, Renato Castagna, Monica Accerbi, Basilio Borghi, Francesco Salamini, (1997). Site of Einkorn Wheat Domestication Identified by DNA Fingerprinting, Science Vol. 278, Issue 5341, pp. 1312-1314
*3)H. OzkanA. BrandoliniC. PozziS. EffgenJ. WunderF. Salamini. (2005). A reconsideration of the domestication geography of tetraploid wheats, Theor Appl Genet 110: 1052–1060
*4)Tanno, K. and Willcox, G. (2006a). How fast was wild wheat domesticated? Science Vol. 311, Issue 5769, pp. 1886
*5)Peters J. & Schmidt K. 2004. – Animals in the symbolic world of Pre-Pottery Neolithic Göbekli Tepe, south-eastern Turkey: a preliminary assessment. Anthropozoologica 39 (1) : 179-218.

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“栽培コムギの起源:Origin of domestic wheat” への 2 件のフィードバック

  1. 記事を興味深く拝読しました。農業の始まりとギョベクリテぺに関する書の著者です。学際アプローチに基づく以下の本ですが、ご参考に。中邑徹「蛇、鳥と夢」近代文藝社2017年4月。

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    1. コメントありがとうございます。機会があれば一読したいと思います。ギョベクリ・テペの発見以降、欧米の人類学者たちは、農耕より宗教が先で、宗教が農耕への移行を促したと考える人が多いようです。しかし、私はそのように短絡的には考えていません。じつは、このブログはまだまだ先が長くあり、そのことを書くはかなりあとになる予定です。

      いいね: 1人

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