味覚の進化論その3

統合味覚は、きわめて速いスピードで変異していく。それは、味覚を完璧に複製することが困難であるからだけでなく、人間の創造力が、きわめて旺盛だからである。味覚は変化・進化するという、人々の共通の認識があるために、味覚や食文化に優劣をつけることに抵抗がないのであろう。すなわち、味覚は、文化であると同時に、「技術革新」であるということだ。技術革新であるならば、たとえば、自動車の性能をレースで競うように、味覚や食文化に格付けを与えることはなんら不思議ではない。

味覚受容体

上の表は、味覚受容体と味覚物質を調べられる範囲でまとめたものである(文献参照)。これをみると、ヒトは何を食べてきたのかがうかがえる。まず「甘味」であるが、自然界で、糖が多く含まれるものは、植物の果実や蜂蜜である。つまり、これらの食べ物を長く多く食べた結果、甘味の感覚味覚が進化してきたのであろう。

「苦味」のほうは数十種類の受容体と苦味物質が存在することがわかっている。植物は、昆虫、爬虫類、哺乳類に食べられるのを防ぐために、アルカロイドなどの毒物を体内に蓄え、さらに有毒であることを動物たちに学習させるために、苦味の味物質を作り出してきた。動物にとって、植物に存在する毒物は生存に直結するので、受容体の機構がこれほど進化したのであろう。ただ、植物のほうからみると、動物に学習させることで食べられなければよいのだから、進化が進めば、苦味はあるが毒はそれほどないという植物のほうが、エネルギーコストが有利になるはずだ。コーヒーのカフェイン、お茶のカテキン、ビールのポップ、ニガウリのモモルデシンなどは、苦味は強いが毒性はそれほど強くない。

「うま味」の味物質であるグルタミン酸は、植物にも動物にも含まれるが、イノシン酸のほうは植物にはほとんど含まれない。イノシン酸は、動物や魚に多く含まれる。チンパンジーもアカコロブスなどの動物を食べるので、ヒトはチンパンジーと分岐する前から動物を食べていたのであろう。ゴリラやオラウータンは動物を食べないとされているが、ヒヒのように動物を食べる霊長類はほかにも多くいるので、霊長類が動物を食べるようになったのは、はるか昔で、ゴリラやオラウータンにもイノシン酸の味覚があるのかもしれない。

「酸味」については、強い酸味はまずいとか腐っていると感じるが、薄い酸味は逆においしいと感じる。植物の果実は、小さいうちは酸味(クエン酸)が強くて食べられないが、成熟してくると酸味が弱まり甘味(糖)が増してくる。一般には、糖酸比13のときが、もっともおいしいと感じるとされている。さらに果実の成熟が進むと、乳酸菌によって乳酸発酵がおこり、乳酸のために他の雑菌は繁殖しにくくなる。次に乳酸に強い酵母が増殖してアルコール発酵がおこり、生成したアルコールが揮発して周囲に甘酸っぱい香りを撒き散らす。つまり、種子拡散者の鳥や動物を、臭いで誘引している。ここで、うまく目的の動物に食べられれば、果肉は消化されて動物のエネルギーと栄養分になり、硬い種子は遠い場所で糞(栄養素)と一緒に排泄される。とくに鳥類は激しい飛翔運動をするために、糖(エネルギー)とリンPを多く必要とし、果実には糖とリンが多く含まれている。すなわち鳥の糞にはリンが多く含まれており、植物→動物→土壌→植物の間を循環している。

さらに発酵がすすんでアルコール濃度が高くなると、自家中毒によって酵母の活動は沈静化する。次に、酢酸菌が繁殖してアルコールを酸化して酢酸に変え、再び酸っぱくなってくる。乳酸菌、酵母、酢酸菌などの微生物は、植物と種子拡散者の間を取り持ちながら共生している。酢酸発酵がさらに進んで酸味が強くなると食べられなくなるのは、落果して、もはや目的の種子拡散者に食べられる確率が小さいので、種子を破壊して食べるような動物や昆虫に食べられるよりも、強い酸味で食べられることを防ぎ、その場で発芽したほうが有利なのかもしれない。あるいは、酢酸の強い殺菌力で、病原菌や腐敗菌から種子を守っているのかもしれない。

なお、脂肪についても、脂肪を感じる機構があるようだが、詳細はわかっていないようだ。

ぱん

チンパンジーはずっと熱帯の森に暮らしてきたが、ヒトは、熱帯の森をでて、サバンナ、海岸地帯、ステップ草原、温帯の森、寒帯の森など、さまざまな環境に進出した。

「すべての生物は、指数関数的な増加率で増えようと悪戦苦闘している」(ダーウィン)ので、熱帯の森にとどまったチンパンジーは、森の中にあるものを、何でも食べないとライバルに敗れて絶滅してしまう。住む空間が森に限られているので、チンパンジーは、人間以上に、苦味や渋味が強い食べ物を多く食べるはずだ。本物の強い毒のある植物を食べる個体(遺伝子)は死んでしまうので、「苦味・渋味は強いが毒性は強くない苦味・渋味」に適応した個体(遺伝子)が、生存する確率がもっとも高い。チンパンジーが食べる食物の種類は200種類ほどといわれている。もっとも多く食べるのは果実で、植物の葉、シロアリなどの昆虫、動物の肉も食べる。ヒトを除く類人猿の中では、もっとも雑食的とされている。

一方、ヒトについては、まとまった統計を見つけられないが、たとえば、野菜は800~1000種類、魚介類700~1000種類、果樹は300~400種類ほどの食物を食べるとされている。ほかにも穀物、肉類、乳製品、昆虫、さらに調味料のような加工食品も加えれば、膨大な種類の食べ物と統合味覚を持っている。これは、ヒトが熱帯の森からでて、地球上のあらゆる環境に進出した結果だ。

理論的に考えれば、感覚味覚については、チンパンジーのほうがヒトより多くの味物質を同定できるはずだ。とくに、苦味・渋味の感覚味覚を複雑化しないと、植物種が多い熱帯の森で生き残ることができない。チンパンジーは、人間よりも「良薬は口に苦し」と思っているに違いない。ヒトの場合は、感覚味覚を進化させる必要はなく、チンパンジーと分岐する前からもっている感覚味覚や感覚嗅覚で同定できる食べ物を、空間を拡大することで獲得すればよい。魚介類のような、森では見たこともない生物を食べることになるので、新皮質の創造力・柔軟性と、情報の伝播(=文化)によって統合味覚の種類を増やしてきた。ヒトの統合味覚の膨大な多様性は、新皮質の創造力・柔軟性の大きさ、学習能力の高さ、すなわち、遺伝子を凌駕する変異の速度の大きさをあらわしている。

参考文献・引用文献
本田進一郎、あらゆる有機物から肥料を作る方法、2016
ダーウィン、1859、『種の起源』、光文社、2009

あらゆる有機物から肥料を作る方法
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味覚の進化論その2

文化は平等であり、文化の優劣を問うことはタブーであるはずなのに、どういうわけか食文化については、中華が優れているとか、フランスだ、和食だなどと論じても、あまり問題にならない。優劣とはやや異なるが、文化の保護と継承を目的として、ユネスコによって「無形文化遺産」が登録され、食文化もその対象になっている。もっとも、文化の保護と伝承が目的というなら、論理的には、世界のすべての食文化を等しく登録しなければならないはずだ。

いずれにしても、文化を含む統合味覚の進化を論じることは、問題なさそうなので、ダーウィンの『種の起源』にならって、検討してみる。

味覚の伝播

まず、統合味覚は、遺伝子のように伝播するだろうか?これは「伝統食」とか「お袋の味」とか「郷土食」などという言葉があるくらいだから、時間を越えて伝播することは間違いない。また、フランス料理や中華料理のレストランが世界中に存在することから、統合味覚が時間と空間を越えて伝播することはあきらかである。もともと、統合味覚が伝播する理由は、親から子などの血縁集団内(遺伝子プール)に、その食べ物の栄養価が高くかつ毒がないという情報が伝わることが、生存に有利だからである。親や仲間の採食行動を子供がまねるということは、人間だけでなくチンパンジーなどでもみられる。また、フグや毒キノコのように、感覚味覚ではまったく判断できない毒物についても、集団内に危険情報が伝播することはきわめて生存に有利である。あるいは、納豆のように、腐敗したような臭いや味がするにもかかわらず、栄養価が高くて毒性がない食べ物もある。これらも統合味覚として、集団内に伝播していく。

日本人がおいしいと感じる納豆や塩辛を、外国人が食べられないのは、統合味覚の集団内伝播が理由だ。統合味覚は、脳の新皮質の働きなので、最終的には新皮質が「食べられる」か「食べられない」かを判断している。判断の基準は、感覚だけでなく学習(伝達,共感,知識,経験,認識)に左右される。外国人は、子供のころから腐った豆や腐ったイカは食べてはいけないと教えられているので、それによく似た食べ物は、新皮質が拒絶する。だから、外国人が納豆を食べられるようになるには、ただ提供するだけではだめで、学習が必要である。同様に、さまざまな知識を詰め込んで、この食べ物は栄養があって「超おいしい」と学習した人は、その食べ物を食べたときに、本当に心から「超おいしい」と感じているはずだ。

味覚の突然変異

遺伝子の突然変異のように、統合味覚は変異するか?現代人の統合味覚の多くは、突然変異で生まれたものばかりといえるであろう。アイスクリームとか、カップラーメンなどの統合味覚は、それ以前には存在していなかったものだ。麺、寿司、カレー、トンカツ、天ぷら、スナック、ソーセージ、ラーメン、ハンバーガー、コーヒーなど、大昔の人類が食べたことがなかった、きわめて多種多様な統合味覚が存在している。

味覚の生存闘争

新しい統合味覚が次々に登場するということは、統合味覚同士の競争がおきるはずだ。人間は無限に多種類の食べ物を摂取することはできないからだ。当然、競争に敗れて消えていく統合味覚もある。日本人の統合味覚でいえば、昔に食べていた、トチ、シイ、ドングリなどの統合味覚はほとんど絶滅してしまった。アワ、キビ、ヒエ、シコクビエなどの雑穀も、「絶滅危惧味覚」である。さらに、クマ、タヌキ、キツネ、ウサギ、キジ、ヤマドリ、ツグミ、スズメ、ヘビなど野生動物の肉や、イナゴ、カミキリ、蜂の子などの昆虫の統合味覚もほとんど絶滅している。これら以外にも、昔は食べていたが、今は食べなくなった食べ物は山ほどある。

あるいは、牛丼、寿司、ハンバーガー、カレー、ラーメンなどの外食産業の統合味覚も、激しく競争している。そういう意味では、商品として流通しているすべての統合味覚は、「市場」という場で、激しい生存闘争をくり広げている。

味覚の淘汰

統合味覚の激しい生存闘争の結果、消えていく統合味覚がある。また、競争ではないが、危険が判明したために、消滅する統合味覚もある。たとえば、生のレバーの統合味覚は消滅するであろうし、マーガリンの統合味覚もいずれは無くなるであろう。

しかし、長い歴史を経ても無くならない統合味覚がある。それは、長い栽培の歴史を持ち、現在も大量に生産されている農水産物の食べ物である。ムギ、イネ、トウモロコシ、ダイズなどの穀物、トマト、イチゴ、キュウリ、ナス、ピーマン、スイカ、メロンなど果菜類、レタス、キャベツ、ハクサイ、コマツナ、ホウレンソウ、ネギなど葉菜類、ジャガイモ、サツマイモ、ダイコン、ニンジンなど根菜類、カンキツ、リンゴ、ナシ、モモ、ウメ、ブドウなどの果樹、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜、養殖魚や魚介類。このような農水産物から作られるさまざまな食品の統合味覚は、味覚の淘汰の結果、現在まで生き残ってきたといえる。

味覚の変異の法則

味覚が変異するのはなぜか。遺伝子の場合は、変異の原因は遺伝子の複製が完璧ではないことからきている(突然変異)。また有性生殖では交配と減数分裂によって、遺伝子の乗換えと組換えが行われる。

統合味覚も遺伝子と同様に、完璧に複製することは困難である。いくら、詳細な料理のレシピが残されていたとしても、材料の品質は微妙に変化していく。たとえば「トマト」とレシピに書いてあっても、昔のトマト品種と現在のトマト品種では、味や香りが異なる。また、和食、洋食、中華など、異なる統合味覚同士が組み合わされることで、新しい統合味覚が生まれることがしばしばおきる。

さらに、統合味覚は脳の新皮質の働きであるために、遺伝子にはない変異の能力がある。それは、新皮質による「創造性」である。人間の創造性と創造力によって、それまで見たこともないような新しい統合味覚が次々と作り出されていく。これが、人間が人間である所以であり、人間が「利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できる」であろう理由である。(ただし、創造性とは何か?あるいは創造性の根源は何か?という問題はここでは問わない)

味覚の多様性

統合味覚は次々と変異していくので、生物多様性と同様、味覚多様性になる。ちょっと商店街やスーパーマーケットに出かければ、多種多様な味覚があふれている。また、ハンバーガーチェーンとかコーヒーチェーンが新しく日本市場に参入することは、外来種の侵入と同じで、「外来味覚」の侵入ということもできる。もっとも、生物と違って、外来味覚が侵入することは何の問題もない。

味覚の系統樹

味覚の変異と伝播の法則から、生物種と同様に味覚の系統樹が作れる。下に寿司の系統樹を作ってみた。まず、大昔に大陸のどこかで、穀物と魚を漬けて発酵させた「なれずし」が登場した。これは、穀物と魚が微生物の働きで分解と変成をうけた保存食だ。乳酸菌が生成する乳酸や酵母が生成するアルコールで、カビなどの雑菌の繁殖を抑えている。そのなれずしが、日本列島に伝えられ、「ふなずし」などが生まれた。なれずしは、自然の微生物の働きを利用するので、製造がきわめて難しく、失敗することも多い。そこで、江戸時代に、自然発酵ではなく、あらかじめ醸造した食酢(酢酸)をごはんに混ぜて、そこに魚を加える「早鮨」が生まれた。これが、関西では箱寿司や棒寿司になり、関東では握り寿司、巻き寿司になったらしい。

寿司

味覚の分類

系統樹が作れるなら、生物のように目、科、属、種の分類も作れる。地域、原料、加工法などで分類すると以下のとおりに表せる。

分類

(つづく)

 

文献
ダーウィン、1859、『種の起源』、光文社、2009
日本の食生活全集、農山漁村文化協会、1993

味覚の進化論その1

 

前回、「味覚」は純粋に化学的な反応であると述べた。しかしそれだけでは、人間の味覚を理解することはできない。化学的な反応だけでは、日本人がおいしいと感じる納豆や塩辛を、外国人が食べられない理由を説明できない。まず、「味覚」という言葉の意味をより正確に表現する必要がある。そこで、化学的な反応の味覚を「感覚味覚」、食文化などを含んだより総合的な味覚を「統合味覚」とする。統合味覚の定義は、人間が食べ物のおいしい味と判断している感覚と認識の統合された総体である。統合味覚は、その要素として、感覚味覚、統合嗅覚、統合食感、統合温感、統合視覚、学習、創造を含む。嗅覚、食感、温感、視覚についても、化学的な反応としての感覚と、感覚と認識の統合を区別して、感覚**、統合**と定義する。学習とは、伝達、共感、知識、経験、認識のことである。わかりやすく集合で書くとこうなる。

統合味覚={感覚味覚,統合嗅覚,統合食感,統合温感,統合視覚,学習,創造}
感覚嗅覚⊂統合嗅覚
感覚食感⊂統合食感
感覚温感⊂統合温感
感覚視覚⊂統合視覚
学習={伝達,共感,知識,経験,認識}

上の要素のうち、感覚味覚感覚嗅覚、感覚食感、感覚温感、感覚視覚は化学的な反応なので、神経細胞と「古い脳」による反応である(P.D.マクリーン説)。そのほかの要素は、伝聞、認識、創造など人間の「新しい脳」の働きによる。つまり、統合味覚というのは、遺伝子の機能だけで説明するのは困難であり、大脳の新皮質の働きによる反応ということである。

seaka

『利己的な遺伝子』の11章ミームで、ドーキンスは、ニュージーランドのセアカホオダレムクドリのさえずりの例から話を始めている。セアカホオダレムクドリの鳴き方には、グループごとに「方言」がある。それらのさえずりのパターンは、親から子ではなく、近所にテリトリーをもつ他の個体のさえずりを「模倣」することで、自分のものにするという。また、若鳥がさえずりを模倣しそこねて、新しいさえずりが唐突に出現することがしばしばあり、この新しいさえずりの出現を「文化的突然変異」と表現している。

ドーキンスは鳥のさえずりの話から、いきなり人間の言語、衣服や食物の様式、儀式・習慣、芸術・建築、技術・工芸などの文化的な変化も、進歩的でありうるとして、文化的進化について述べ始める。そして、生物の遺伝子(ジーン)に対応する概念として、人間の文化伝達の単位として「ミーム」という概念を提出している。

そもそも文化進化や社会進化論の歴史は、ダーウィン進化論よりもはるかに歴史が古く、「人間の社会は、高等な文明に向かって発展・進歩する」という概念は、古来より存在する。思想として鮮明になりはじめるのは、17~18世紀の啓蒙思想で、ルソーは、自然状態の人間(野生人)は、子供のように無知で進歩しなかったが、理性を獲得すると農業や法律が発達し、人間の不平等が生じたと論じた(『人間不平等起源論』1755)。19世紀には、フランスのサン・シモンが社会主義を構想し(『産業階級の教理問答』1823)、その弟子のコントは社会構造の発展を理論化した(『実証哲学講義』1830)。コントは、スペンサーやマルクスに強い影響を与えた。また、同じころに、デンマークの考古学者のクリスチャン・トムセンは、石器時代―青銅器時代―鉄器時代の時代区分を初めて提唱した(『北方古代文化入門』1836)。

19世紀中葉には、イギリスでは、スペンサーが社会進化(進歩)論を創始し(『発達仮説』1852)、ダーウィンは『種の起源』(1859)を発表した。「evolution」を「進化」という意味で最初に使ったのはスペンサーであり、「適者生存」という用語もスペンサーの造語である。また、ヘーゲル弁証法とフォイエルバッハの唯物論を継承したマルクスが、『経済学批判』(1859)、『資本論』(1867)を著し、弁証法的唯物論を唱えた。アメリカでは、モルガンが、インディアンの民族学的な調査を行ない、人類の社会発展は、野蛮―未開―文明の三段階に分けられると主張した(『古代社会』1877)。モルガンの主張は、アメリカの人種差別政策を正当化、恒久化するために使われた。さらに、エンゲルスは、『空想より科学へ』(1880)のなかで、「ダーウィンは、今日の一切の有機的自然、植物も動物もしたがってまた人間も、幾百万年にわたる絶え間ない進化の過程の産物であることを証明し、それによって自然についての形而上学的な見方に強烈な打撃を与えた」と書き、モルガンの『古代社会』をもとにして、『家族・私有財産・国家の起源』(1884)を著して、唯物史観を唱えた。

今日では、進化論を人間や文化に安易にあてはめることはタブーである。ダーウィン進化論を最初に人類学に導入したのは、ダーウィンの隣に住んでいて親交が深かった考古学者のラボックである。ラボックは、ダーウィン進化論を文化進化と人類進化に導入して、人間集団は、自然淘汰の結果、その文化のみならず、生物的な能力も変化すると主張した。そして、ヨーロッパの先史時代の石器の年代や製作技術の面から、「旧石器」、「新石器」という2つの段階を規定した(『先史時代』1865)。

また、人類学の草分けであるタイラーは、ダーウィン進化論から敷衍して文化や宗教の進化(進歩)を想定した。タイラーは、宗教は原始的な自然崇拝から始まり、死者や呪物崇拝を経て多神教が成立し、最後に一神教へ進化したと論じた(『原始文化』1871)。タイラーに影響を受けたフレイザーは、夥しい数の未開社会の呪術、神話、信仰、風習、宗教を収集し、『金枝篇』(1890-1936)を著した。

さらに、ダーウィン進化論を、人間の改良にまで拡大したのが優生思想である。優生学という用語を初めて使ったのは、ダーウィンの従兄で、遺伝学、統計学者であったフランシス・ゴルトンである。ゴルトンは、進化論をもとに、「遺伝的に優良」な人間の子孫を増やし、「劣悪」な人間は子孫を残さないようにすれば、より良い社会が実現できると主張した(『遺伝的天才』1869)。その後、優生運動はアメリカ、イギリスで盛んになり、アメリカでは1907年に断種法が制定された。1930年代には、ナチスの優生政策、人種政策に利用され、人類の尊厳と生存に甚大な被害を与えた。

このような19世紀の進歩・進化主義の隆盛に対して、文化相対主義を主張したのは、フランツ・ボアズである。ドイツのユダヤ人のもとに生まれたボアズは、バフィン島のイヌイットの調査から、『未開人のこころ』(1911)を発表し、未開人も文明人もその心や知性は同等であり、その文化は平等であると唱え、台頭しつつあった人種差別主義に対抗した。ボアズはコロンビア大学で、ロバート・ローウィ、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミードら多くの弟子たちを指導し、20世紀のアメリカの人類学研究の中心的存在となった。そして、長きにわたって多大な影響をおよぼした。

このような進化論と人間または社会をめぐるあつれきを、ドーキンスが知らないはずはない。『利己的な遺伝子』の中には、マーガレット・ミードの名前もでてくる。ドーキンスが、わざわざタブーに触れる章を設けたのは、あえて物議を醸すためだと思われる。『利己的な遺伝子』論の理論的支柱の一人である集団遺伝学者のR・A・フィッシャー(1890-1962)は、優生学の推進者であったため、戦後は冷遇された。また、フィッシャーの影響をうけて集団遺伝学に進み、血縁選択説を唱えたW・D・ハミルトン(1936-2000)も、優生思想を支持していたために、批判をあびていた。

ドーキンスが、あえてタブーを冒すようなことをしたのは、フィッシャーやハミルトンなどへの批判をやわらげ、社会的にも再評価されることが目的であったのではないだろうか。11章の最後の結論では「われわれは遺伝子機械として組立てられ、ミーム機械として教科されてきた。しかしわれわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである」と書いて、それまで述べてきた文化進化の主張を投げ打っている。さらに、補注11-8では、「私たちの脳は、遺伝子に対して反逆できるほどには十分に、遺伝子から分離独立した存在なのである」と書き加え、人間の脳=新皮質を、遺伝子より上位に置いている。すなわち、フィッシャーやハミルトンらは、学問的主張として優生思想をとなえたけれども、それは彼らが差別主義者だったからというわけではなく、時代的な限界であったことを暗に伝えようとしているのではないだろうか。

もちろん、これらの論争の起源は、ダーウィン進化論にある。慎重な科学者であったダーウィンは、進化論を人間にあてはめることをしなかったが、『種の起源』第3章生存闘争の最後の文章は次のように書かれている。

「すべての生物は、指数関数的な増加率で増えようと悪戦苦闘している。しかも、一生のうちのある期間、一年のうちのある時期、各世代、あるいはときに応じて、生存をかけた闘争を演じ、大量の死を被らなければならない。この事実を肝に銘じることくらいしか、われわれにできることはない。そうした闘争について考えると悲嘆したくなるかもしれないが、慰めもなくはない。自然の闘いは絶え間なく続くわけではなく、一般に死は即座に訪れるもので、恐れは感じないし、頑強で健康で運のよい個体が生き残って繁殖するのだと固く信じれば慰めもあるというものだ」

ダーウィンは、生物の激しい生存闘争と、その結果としての膨大な死を前にして、慰めにもなっていない慰めを書くほかはなかった(人間には適応していない)。一方、ドーキンスは、進化論以後の歴史をふまえ、遺伝子に対して脳(新皮質)という人間存在の「希望」を対置して、自分自身と我々を鼓舞しているのであろう。(つづく)

文献
ダーウィン、1859、『種の起源』、光文社、2009
リチャード・ドーキンス、1976、『利己的な遺伝子』、紀伊國屋書店、2006
ほかは文中の書名を参照

利己的な遺伝子

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味覚と栄養分貯蔵(肥満)の関係

 

前回のブログを書いたときに、「味覚」についての論文をたくさん読んだので、忘れないうちに、味覚と栄養分貯蔵について書いてみる。「生物は、自分の現在の身体のおおよその代謝条件とか栄養状態を「認知」しており、「自己の状態」と「食べ物」を比較しながら、摂取するべきかどうかを判断している」と書いたが、「自己の状態」というのは何のことをさすのか?

ドーキンスの定義によれば、個々の人間は、「遺伝子の乗り物、すなわち遺伝子機械」とされる。別の言い方では、「生存機械」、「遺伝子の受動的な避難所」、「ライバルとの化学的な戦いや偶然の分子の衝撃の被害から身をまもる壁」と定義されている。なお、ここで使われている「遺伝子」(gene)の定義はかなりややこしい。「遺伝子」は、「十分に存続しうるほどには短く、自然淘汰の意味のある単位としてはたらきうるほど十分に長い染色体の一片」と定義されている。別の言い方では、「自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部」とか「複製忠実度のすぐれた自己複製子」などとあらわされている。また、有性生殖を行う生物では、「性と交叉によって遺伝子プールはよくかきまぜられ、遺伝子は部分的にまぜられる」状態にあり、「遺伝子は、死ぬべき運命にある生存機械を次々につくっていくために、遺伝子プールから相ついでひきだされてくる仲間の集団と協力して、生活をたてている」。

乗り物

人間が食べ物を摂取するのは、もちろん生存するためである。すこし細かく見ると次のようになる。

おなかがすく→食べたい→口に入れる→おいしい→たくさん食べる→満腹になる→生存する→自己複製する

これは、おいしいもの食べることで、自己複製子が存続することにつながり、反応と結果に矛盾がない。ところが、現代人では、次のようになることがしばしばある。

おなかがすく→食べたい→口に入れる→おいしい→たくさん食べる→満腹になる→肥満になる→健康を害する

これは、「遺伝子の乗り物」である人間の反応としては矛盾である。この遺伝子は自己複製が困難になり、絶滅する運命にあるからだ。このアルゴリズムのどこに問題があるのであろうか。「おなかがすく→食べたい→口に入れる→おいしい→たくさん食べる→満腹になる」までの反応は、流動する栄養状態の変動に左右される。つまり、流動栄養分が不足するとおなかがすき、栄養が吸収されて流動栄養分が充足すると満腹になる。吸収された栄養分のうち、充足分と成長分をひいた余剰分は貯蔵部に移行し、不溶性となって流動栄養状態に影響を与えなくなる。つまり、どんなに貯蔵量が多くても、時間がくれば「おなかがすく」状態になる。

「おなかがすく」から「口に入れる」までの反応は、生物としてあたりまえの反応なので、これを否定する人はいない。そこで、ふつうは、「おいしい」と「たくさん食べる」という反応に問題があるのではないかと考える。このため、現代人は味覚がおかしくなっていて、本当のおいしさを知らず、何を食べているかわからなくなっているとか、現代の食べ物のおいしさは人工的に作られた「まやかし」であり、「本物のおいしさ」は別にあるはずと考える人もいる。「たくさん食べる」ことについては、飽食は悪だと考えている。これは、アフリカの飢えた子供の姿を見せるだけで十分だ。私などは、なぜだかよくわからないが、やせた小さな子供の姿を見た瞬間に心が苦しくなって食欲が減退する。年をとった自分よりも、小さな子供のほうが遺伝子を存続させる可能性が高いため、「乗り物」である私がそう感じるように、遺伝子に操られているのであろう。

しかしながら、最新の分子生物学によれば、「味覚」は純粋に化学的な反応であって、誰でも同じ感覚を感じているはずである。栄養状態の違いや遺伝的な変異を別にすれば、甘いものはすべての人が甘いと感じるのであって、甘いものを辛いと感じる人はいない。そもそも、人間が「食べたい」とか、食べ物が「おいしい」と感じる反応は、きわめて合理的で誤りがないはずだ。なぜなら、その反応に基づいて食べるという行動を何万年も続けてきた結果、人類は存続し、繁栄できたからだ。もし、味覚や摂取行動に誤りがあれば、とっくに絶滅しているはずだ。なので、人が「おいしい」と感じておなかいっぱいになるまで食べることには、論理的には矛盾がない。

次に「肥満になる」について検討してみる。人間が栄養分を身体内にたくさん貯蔵することは、「肥満」と呼ばれている。また、一般に「肥満」というのは、脂肪の蓄積のことを指している。しかし、じっさいには貯蔵部に蓄積される栄養分は脂肪だけではない。栄養分を多く貯蔵している臓器には以下のものがある。

脂肪:貯蔵されるのはエネルギーであり、元素は炭素C、水素H、酸素O。
筋肉:エネルギーと、窒素N、リンP、硫黄Sなどの元素。
骨:カルシウムCa、リンP、マグネシウムMgなどの元素。
体液:カリウムK、ナトリウムNa、カルシウムCa、塩素Cl、リンP、硫黄S、鉄Feなど。
肝臓:エネルギーのグリコーゲン、元素は炭素C、水素H、酸素O。

上のように、人体はエネルギーと元素を多く蓄えることができるが、水を多く蓄えることができない。そのため、水を摂取しつづけないと生存できない。なぜ、エネルギーと有用元素を貯蔵するのかといえば、もちろん、自然の状態では、食べ物を摂取できない期間がしばしば存在するからだ。人間だけでなく、ほとんどの生物は貯蔵機構を有している。誰でも知っているのはクマで、ヒグマは4か月間も絶食状態で冬眠し、冬眠中は蓄えた栄養分だけで生存している。人間に近い類人猿では、ゴリラやオラウータンを飼育下において食べ物をたくさん与えると、肥満になることが知られている。一方、チンパンジーは、飼育下でも肥満にならず、たくさん食べても脂肪がつきにくいという。樹上で生活し、群れ同士が激しく闘争するチンパージーは、脂肪ではなく筋肉にエネルギーと有用元素を貯蔵するほうが生存に有利だったのであろう。

サン族

上の図は、狩猟採集民であるサン族(ブッシュマン)が利用する植物性食物の季節的移り変わりをあらわしている。2種のメロンは水源として利用される。1~8月のおもな食料は2種の豆である。カラハリ砂漠では、9~10月の乾季は雨がまったく降らず、かん木や草は枯れ尽くす。動物も人間も飢えて、食料が不足する苦しい時期をすごす。豆を貯蔵しておけばよいと思うが、キャンプを移動しながら狩猟採集しているサン族は、一度に背負うことができる分しか貯蔵できない。乾季後半~翌1月までのおもな食料は、2種の根茎である。なお、動物の肉は、労力がかかるわりには、入手できる量が少ない。ふだんの時期の1日1人当たりの植物性食物の摂取量は800g、動物性食物は200gという。なお、日本人の成人の食事摂取基準では、炭水化物250~400g、タンパク質50~60g、脂質50~80g、その他40~50gなので、サン族のふだんの摂取量のほうが、日本人よりやや多い。

人類の歴史のほとんどは、サン族のような狩猟と採集の生活である。サン族の暮らしをみれば、どうして人間は、肥満になるほど食べるのかはあきらかである。もともと人間は、食料が入手しやすい時期は満腹になるまでたくさん食べて、身体内に栄養分を貯蔵する。そして、貯蔵した栄養分で食料入手が困難な時期を乗り越えてきた。このような行動をとる遺伝子のみが、現在まで存続してきた。現代人は、満腹になるまで食べて、ダイエットをくり返すことは、何かうしろめたいことのように感じている。しかし、本来の人類の生活条件や身体条件からみれば、むしろそちらのほうが自然であたりまえの姿であるということもできる。

文献
リチャード・ドーキンス、1976、『利己的な遺伝子』、紀伊國屋書店、増補新装版、2006
池田清和・柴田克己編、食べ物と健康1、化学同人、2004
田中二郎、ブッシュマン、思索社、1971
日本人の食事摂取基準(2015 年版)の概要

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000041955.pdf

 

 

 

種あり(有核)の果実はなぜ糖度が高くなるのか?

ブドウ栽培などでは、よく知られていることであるが、ジベレリン処理して単為結果させて種無し(無核)にすると、果実の粒は大きくなり、果実糖度は低くなる。シャインマスカットの場合は、有核の果粒重が9.9gに対して、無核の果粒重は12.0gになる(下の表)。また、有核の糖度が20.6%に対して、無核の糖度は19.4%に下がる。さらに、一般に、ブドウの房を大きくして粒数を多くすると、やはり果実糖度が下がる。

シャイマス

トマト栽培でも、トマトトーンで単為結果させるより、マルハナバチを放飼して交配・結実させたほうが糖度が高くなると経験的にいわれている。では、単為結果させて種無しにすると、どうして果実が肥大して、糖度が低くなるのであろうか?

植物の構造1

前回のブログに書いた植物の構造と生育のモデルで考えてみると、夜に果実が生長するときに、窒素、リン酸、カルシウムなどの無機養分や糖分が、果実の組織の生長に使われる。このとき、単為結果した果実には種子がないので、本来は種子の生長に使われる分の養分が、果実の肥大に使われると考えられる(ただしこのときの植物ホルモンの機作はよくわからない)。果実が肥大すると、果実の容積が増える。一方、光合成によって生産される糖分の量は、光エネルギーの利用量に依存するので、果実に蓄積される糖分の量は変わらない(分配比率は植物によって最適化されているのであろう)。種無しの果実は容積が増大しているために、結果的に糖分の濃度が低くなる。これが、種無し果実が大きくなって、糖度が下がる理由と考えられる。ブドウ果実の粒数が多くなると糖度が下がる理由は、種子の有無とは別の話だが、糖分量に対して果実体積が大きくなるために、やはり糖分濃度が低くなる。

トマトの単為結果果実には空洞果が多いことや、交配した果実との糖度の違いも同じ理屈で説明できる。ただ、トマトの味は、糖分濃度による「甘さ」だけでなく、「うま味」とか「酸味」とか「コク」とかに左右される(ブドウもそうだけど)。すなわち、トマトの味は、糖分、アミノ酸、有機酸、無機養分などの濃度に影響されると考えられる。オランダのトマト品種と日本の品種を比較した試験によると、日本の品種は収量では劣るが、糖度、アミノ酸、有機酸の濃度は高い(文献参照)。これは、トマトをサラダで食べることが多い日本人の習慣に合わせて、育種がおこなわれてきた結果だ。最近は、オランダの施設園芸のやり方ばかりが注目されるが、逆に日本の野菜品種のすばらしさをもっと海外にアピールしたほうがいいのではないか。

糖度

トマトアミノ酸

なお、近年、分子生物学の進展によって、味覚のメカニズムの解明がすすんでいる(文献参照)。ただ、食べ物に含まれる甘味物質、うま味物質、苦味物質、酸味物質、塩味物質を定量的に計ることができたとしても、その人がじっさいに感じている食べ物の味を知ることはできない。なぜなら、人間が食べ物を摂取するのは、生存するためであり、生存のために摂取する栄養分の種類や量は、生存条件によって変化するからだ。たとえば、夏の暑い日に運動して汗をたくさんかいた人に、一番必要な物質は水であり、どんなに甘いケーキやうま味たっぷりのステーキよりも、水そのものとかスイカをおいしいと感じる。すなわち、生物は、自分の現在の身体のおおよその代謝条件とか栄養状態を「認知」しており、「自己の状態」と「食べ物」を比較しながら、摂取するべきかどうかを判断している。逆にみれば、自分がどんな食べ物を「うまい」と感じるのかを注意深く観察すれば、現在の自分の生存環境や自分の生存状態を認識することができるのではないだろうか。

文献
品種詳細-シャインマスカット
http://www.naro.affrc.go.jp/patent/breed/0400/0411/001262/
ブドウ「巨峰」無核果実の成熟過程における品質の特性
http://www.naro.affrc.go.jp/org/karc/seika/kyushu_seika/2007/2007177.html
日蘭トマト品種の果実成分と収量性
https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/vt_bulletin_14_20150310_4.pdf
「おいしさ」を感じる仕組み〜味覚と嗅覚の生理学
https://sites.google.com/site/coffeetambe/coffeescience/physiology/tasteandodor

 

作物の1日の生育モデルを考える:Growth model of a day of plants

 

せっかくなので、作物の1日の生育についてもまとめようと思ったのだが、これがかなりの難物だ。教科書には書かれていないし、データもほとんどない。しょうがないので、「植物はもっとも合理的、効率的な生理反応をするはず」という前提に基づいて、理論的に考えてみる。温帯の植物でわかっていることは、おおよそ以下のとおり。

①光合成は昼に行われる。
②光呼吸が小さい場合は、光合成速度は光の強さに比例する。
③組織合成は、おもに夜におこなわれるらしい(前回ブログ参照)。ただし、植物の根は、昼間に細胞分裂することは昔から観察されている。
④硝酸イオン濃度(地上部)は、1日の周期で変動しており、夜に高く、昼に低くなる(下図、文献参照)。
nion
⑤太陽の日射量に比例して、たくさんの水分を葉から蒸散する(=根から吸水する)。(下図、文献参照)。
蒸散量イチゴ
⑥夜間の蒸散量は、条件によって異なるが、昼の10%くらいである(文献参照)。
⑦植物の気孔は青色光などの刺激で開き、アブシジン酸などの働きで閉じる(下図、文献参照)。
気孔
気孔2

まず、植物の複雑な構造を単純化して整理してみる。温帯の植物は、昼にたくさんの水を根から吸収し、葉から蒸散させている。ふつう、生物は、水が体内にたくさん入ってきても、代謝生理に影響はでない。たとえば、人間は、大量の水を飲んでも、血液の濃度はまったく変動しない。もしも、水を飲むたびに、血液の濃度が大きく変動するようなことになれば、代謝反応をうまく進めることができなくなって死んでしまう。水を飲むことは命がけになる。代謝反応は、人間も植物も同じである。つまり、人間が消化器官の内壁(境界)で体内と外界を隔てているように、植物の導管内水と師管内水は、境界によって分離していなければならない。さらに、人間の血液の濃度が一定なように、師管内の樹液の濃度は一定でないといけない。つまり、夜に地上部の硝酸イオン濃度が高いのなら、夜の地下部の硝酸イオン濃度は低くなければいけない。昼は逆に地上部の養分濃度は低くなるので、地下部の養分濃度は高くなるのが道理だ。

そもそも、植物が硝酸イオンを集める(濃度を高める)おもな目的は、窒素からタンパク質を合成して生長するためだ。植物は一般に旺盛に生長する生育初期に、養分濃度が高くなる。養分濃度が高いということは、水の量が少ないということであり、じっさいに生長する前段の状態にあることを意味する。養分濃度が一番高い時点は、生長速度の時間変化量(=加速度)が一番大きい時点と一致する。

植物は、活性酸素による阻害をさけて夜に生長するらしいので、夜に地上部の硝酸イオン濃度が高くなるのは合理的な現象だ。一方、根のほうは昼に養分濃度が高くなることが予想されるので、昼に生長していると思われる。地下部は光合成をしているわけではないので、活性酸素の発生が多くなく、根の生育を阻害しないのであろう。

昼に大量の水を吸収しているときに、土壌中の養分も一緒に吸収される。しかし、水と一緒に養分を地上部に送るのはまずい。地上部では水がどんどん蒸発するので、葉に無機養分が蓄積してしまうからだ。じっさいに昼間は地上部の養分濃度は低いのであるから、無機養分の多くは地下部(もしくは貯蔵部)にとどまっており、ほとんど水だけが地上部に送られている。

植物が水を吸収するのは、水ポテンシャルと根圧によると考えられている。水ポテンシャルの機作は近年研究が進んでいて、導管は1本のストローのようになっている。このストローを途中で切ると、吸水できなくなるはずだが、ヘチマ水がとれることから、植物は根圧によっても吸水していると考えられている。この根圧のメカニズムはよくわかっていない。しかし、ヘチマ水は、夜にたくさん出ることから、根圧は、師管系に由来し、師管内水は夜間に地下部から地上部に上昇していることがわかる。

植物に果実がなっている場合は、根に同化産物(糖分)を送る時間帯に、果実にも糖分を送るのが効率がよい。一方、花芽や果実の生長組織は、細胞分裂がおきて新たな組織が形成されているので、地上部が生長する夜に、生長するのが効率的だ。なお、トマト、キュウリ、ナス、施設イチゴなどの主要作物では、花芽分化と果実の生長肥大が連続しておきている。以上をもとに、構造と生育のモデルを作ってみる。

植物の構造1

1日生育1

1日生育2

上のモデルが、じっさいの作物の栽培とあっているのかみてみる。水分の吸水量は、光合成速度におおよそ比例するので、かん水は朝から昼すぎくらいまでに行ったほうがよい。これは、昔から経験的に農家や園芸家がおこなっていることで、矛盾はない。最近の促成栽培では、日中にハウス内が乾燥すると、気孔が閉じてCO2を吸収できなくなるので、早朝からハウス内湿度を高く保つ管理が行われるようになっている(飽差管理)。

昼に地下部の養分濃度が高く、夜に地上部の養分濃度が高くなるので、鉢上げ、定植など、根を伸ばしたいときの栽培管理は、午前中に行ったほうがよい。接木は、地上部に師管内水が上昇する夕方に行ったほうがよい。これらも、農家の間では昔から経験的に言われていることである。なお、接木のあとに萎れを恐れて湿度を高く管理する人がいるが、どうせ夜間は気孔が閉じているので蒸散には関係がない。あまり湿度を高くしないほうが、病気の侵入を防げる。

昔から、植物は夜に生長するといわれているが、じっさいに植物の伸長量を測定すると、朝も夜も同じ量だけ伸長しているという報告がある。この生長モデルでは、朝に測定しても夜に測定しても同じ伸長量になるので矛盾はない。

集荷などの問題を度外視すれば、ホウレンソウやコマツナなどの葉菜類は、葉の硝酸イオン濃度が低く、かつ葉に同化養分(糖分)が多い、午後から夕方にかけて収穫すると、エグミが少なく糖度が高い野菜が食べられる。川上村などのレタス産地では、深夜から収穫が始まるが、レタスはもともと硝酸イオン濃度が低いので、養分濃度が高く、かつ品温が低い深夜のほうが鮮度が長持ちするのであろう。食べる前に水で洗うので、濃度が高いほうが、すぐに吸水してパリッとなるので都合がよい。

果樹や果菜類(トマトなど)のように、糖度を重視する果実の場合は、果実の組織生長(肥大)が停止して、かつ糖分の蓄積量がもっとも多いときに収穫するのがよい。モデルから判断すると、深夜から夜明け前にかけての時間帯になる。夏の暑い時期は、農家の年寄りは、夜明け前から畑に出て一仕事する。農作物がもっともおいしい時間帯を経験的に知っているのであろう。「早起きは三文の徳」ということわざもある。

なお、哺乳動物の多くは夜行性だが、天敵爬虫類から逃れるだけでなく、深夜のもっとも果実が甘いときとか、草が甘い夕方の時間帯に食べているのかもしれない。草食の哺乳類は、植物の種子の拡散者なので、植物にとっても動物にとっても合理的である。(以上はあくまでも仮説です)

文献
野菜の硝酸イオン低減化マニュアル
https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/shousanmanual.pdf
いちご「とちおとめ」の蒸散量
http://www.pref.tochigi.lg.jp/g61/seika/documents/sep_020_23.pdf
暗期の湿度がキュウリ幼植物の生育、蒸散、養分吸収、乾物生産に及ぼす影響
http://www.pref.chiba.lg.jp/lab-nourin/nourin/kenkyuuhoukoku/documents/carc02_p001_011.pdf
気孔の開口を駆動する細胞膜H+-ATPase
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2006&number=5107&file=UUtFs1ZHSubA7XX8HlqUjQ==
新しい気孔閉鎖メカニズムを発見
https://www.kyushu-u.ac.jp/f/1215/2013_02_18.pdf

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植物の生長の謎

植物の生長については、じつはわかっていないことだらけだ。たとえば、「植物は1日のうちでいつ生長するのか?」とか、「植物に、いつかん水すればいいのか?」など、もっとも基本的な疑問についてさえ、科学的に明確に答えている文献を見たことがない。こうしたことは、ごく最近になって、少しづつそのメカニズムの一端が明らかになってきたに過ぎない。

たとえば、前回、合理的に推論すれば、植物が自分の生育量を把握しているのは、師管か道管のどこかにちがいないと書いた。最近、名古屋大学の打田直行氏らは、植物が背丈のサイズをコントロールする際の、引き金となる物質とスイッチの組み合わせを発見した(文献参照)。その活性物質(EPFL4とEPFL6)は茎の内皮組織で生み出され、一方の受容体(ERECTA)は茎の師部で働くという。すなわち、植物は背丈のコントロールについて、内皮から情報を発信し、その情報を師部で受け取るコミュニケーションをとっているらしい。ただし、植物は茎の細胞間で情報を伝達していることはわかったが、そもそも植物が、背丈をどのような仕組みでコントロールしているのかはわかっていない。

師管

また、伸長のメカニズムについても、オーキシンが関与していることは昔からわかっていたが、詳細な機作はわかっていなかった。最近、名古屋大学の木下俊則氏らは、以下のメカニズムを報告している(文献参照)。オーキシンが細胞膜プロトンポンプ(水素イオンを輸送するポンプ)のリン酸化レベルを上昇させて活性化する→水素イオンが細胞外へ放出され酸性化する→酸性化によって細胞壁がゆるみ膜電位も変化する→カリウムイオンが流入する→水が流入して細胞が大きくなる→植物が伸長生長するという。ただし、オーキシンには細胞を伸長させる適度な濃度があり、濃度が高すぎると逆に伸長を抑制する働きがある。この報告だけでは、その仕組みが説明できないので、さらに隠れた機作があると思われる。

オーキシンポンブ

また、天然オーキシンにはIAA(インドール-3-酢酸)とPAA(フェニル酢酸)がある。IAAが重力方向(下の方)に移動して、茎を上に曲げたり、根を下に曲げたりすることはよく知られている。先述のように、オーキシンは適度な濃度で伸長させ(茎)、濃度が高すぎると伸長抑制する(根)のでこうなる。理化学研究所の笠原博幸氏らによれば、IAAの輸送は重力に影響されるが、PAAの輸送は重力に影響されないという(文献参照)。植物が、PAAとIAAの両方で伸長や伸長停止をコントロールしているのは確かであるが、じっさいに植物が生活環境のなかで、どのようにこの2種類を使って生育をコントロールしているのかはわかっていない。

オーキシンpaa

さらに、植物は夜に生長するのか昼に生長するのかについても、基礎的な研究が、最近に報告されたばかりである。国立遺伝学研究所の宮城島進也氏らは、単細胞の藻類(紅藻)の細胞内には、1日を刻む生物時計があり、そのスイッチによって、細胞分裂は夜に引き起こされることを明らかにしている。なぜかといえば、昼は光合成や呼吸によって活性酸素が多く発生するため、活性酸素によるダメージが少ない夜に細胞分裂するという(文献参照)。活性酸素の存在は、生物の生存にとってきわめて重大な問題であり、この研究が進めば、生物はどうして夜に眠るのかの理由も明らかになるであろう(つづく)。

光合成昼

文献
植物の背丈をコントロールするスイッチを発見!
http://bsw3.naist.jp/research/index.php?id=737
植物ホルモン・オーキシンによる植物の伸長生長のメカニズムを世界で始めて発見
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20120418_sci.pdf
重力によって移動方向が変わらないオーキシンを発見
http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150625_1/
昼に光合成、夜に細胞分裂が起こるのはなぜか?その謎を解明!
https://www.nig.ac.jp/assets/images/research_highlights/PR20140509.pdf

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