「窒素(硝酸イオン)が多いとなぜ作物はおいしくないのだろうか?」の解説、その3

どうしてノースダコタあたりまで行って、畑作農家に肥料についてしつこく質問したのかを書く。だいぶ前に、ダイズについて調べていた。また、同じ時期に、リンについても調べていたのだが、それについては別の機会に書く。

ダイズは、野生のツルマメから栽培化されたと考えられている。野性のツルマメは、中国東北部、日本列島、中国南部など、東アジアに広く分布している。ニコライ・ヴァヴィロフ(1887-1943)は、「栽培植物の発祥中心地」(1926)および、「ダーウィン以後における栽培植物の発祥に関する学説」(1940)において、ダイズの起源を東アジア地域(中国中央部および東部の温暖帯と亜熱帯の地域、台湾の大部分、朝鮮半島と日本)としている。栽培ダイズの起源については、まだはっきりとわかっておらず、ダイズの起源地は一つなのか、あるいは複数なのかで研究者の意見が分かれている。たとえば、日本の在来ダイズの品種には、日本に自生する野性ツルマメの特徴が強く残っていたり、縄文時代中期の土器からダイズの圧痕が発見されたりしており、ダイズは日本でも独自に栽培化されたのではないかと考える人もいる。いわゆる「縄文農耕」の評価について激しい論争が続いている。

地域によるダイズの遺伝的な違いについては、伝来した栽培ダイズがその地域の野生ツルマメと交雑したものか、あるいはその地域で栽培化されたものがあとで伝来品種と交雑したのかの判断が難しい。圧痕についても、野生ツルマメなのか栽培ダイズなのかを見分けるのは困難だ。だから論争になる。しかし、一般にマメ科作物では、栽培種か野生種かを判断するのは、サヤが自然にはじけるかどうかの違いなのであるから、サヤがはじける遺伝子を特定し、栽培品種と野生ツルマメの標本をできるだけたくさん集めて、その遺伝的距離を調べれば、原産地を特定できるはずだ。なので、いずれはっきりするであろう。「創造の中心はただ一つ」とするダーウィンの進化論や、ムギやイネの起源と伝播の例から考えれば、栽培ダイズの起源地は中国大陸のどこかの一か所であり、それが周辺に伝来する過程で、それぞれの地域の野生ツルマメと交雑していったと考えるのが妥当だと思う。

ダイズが文献に現れはじめるのは、古代中国の『詩経』からで、これは西周時代(BC1046年頃~BC256)の民謡や祖先の霊を祭る歌などを編纂したものである。また、西周時代の金文(青銅器に刻まれた文字)には、ダイズを意味する「菽(しゅく)」の象形文字が多く残されている(図)。清代の学者である王筠(おういん)はその著書『説文釈例』の中で、菽の象形文字について、次のように解説している。「〈尗〉の文字の横線〈一〉は地を、上下に貫いた縦線〈│〉の上部は茎を、下部は根を表わしている。根の左右は円い点にすべきで、長く曳いて書くべきではない。菽には直根が生えており、左右の細い髭根は描くに足らない。ただし細根の先に豆状のものが累々とついており、この豆状のものは凶年の時は虚浮となり、豊年の時は充実している」。この解釈が正しければ、中国ではすでに西周時代にダイズの根粒について注目していたことになる。また、清代には、根粒の多少と豊凶の関係を認識していた。

菽

菽(大豆)の金文

ダイズは、根に着生する根粒菌によって窒素が供給されるので、一般的には窒素肥料を多く必要としないとされている。たとえば、標準的なダイズの施肥基準は、10a当り窒素1~3㎏、リン酸8~10㎏、カリ8~10㎏などとされている。東アジアはダイズの原産地にもかかわらず、日本のダイズの平均収量は10a当たり200㎏に満たない。もっとも、新潟大学の大山卓爾氏らは、石灰窒素の深層施肥によって、10a当たり600㎏もの子実収量を実現している。

アメリカのダイズと日本のダイズの生産コストを比較すると(表)、日本の生産費はアメリカの15.8倍なのに、反収はアメリカの6割しかない。もっとも差が大きいのは一戸当たりの作付面積でアメリカが約100倍、次が労働費で日本が約63倍である。普通に考えれば、次に来るのは機械代だ。なぜなら、大型機械で大面積を耕作するので、機械の稼働率に大きな差がでるはずだ。ところが、機械代は7.7倍にすぎず、肥料代が20.7倍も違う。農薬代は17.4倍、種代は5.5倍だ。農薬代は、雨が少ないので病気が少ないとか、GMOなので除草の手間が少ないとかで差が出るのはわかる。しかし、ダイズが吸収する養分は日本もアメリカも同じであり、肥料代は収穫量に比例するはずだ。反収はアメリカのほうが多いのであるから、ダイズが吸収する肥料もアメリカのほうが多いはずで、差がもっとも小さくなるのは肥料代のはずだ。肥料は工業製品なので、単価がそれほど違うとは考えられない。農水省が作っている統計資料などをどんなに探しても、肥料代が20倍という理由がどうしてもわからなかった。それで、直接、アメリカの農家に聞いてみるほかないと思った。(つづく)

コスト

国産ダイズと米国産ダイズのコスト比較(「国産大豆の生産コスト」より引用)

文献

ニコライ・ヴァヴィロフ、栽培植物発祥地の研究、八坂書房、1980

郭文韜他、中国農業の伝統と現代、農山漁村文化協会、1989

大山卓爾・ティワリカウサル・高橋能彦、深層施肥と根粒菌接種、農家直伝豆をトコトン楽しむ、農山漁村文化協会、2009

http://www.cacn.jp/technology/dayori_pdf/141_daizu_ohyama.pdf

国産大豆の生産コスト

http://www.jsapa.or.jp/daizu/etc/DaizuCost.pdf

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「小学生が作る1km飛ぶゴム動力飛行機」を飛ばしてみた

「小学生が作る1km飛ぶゴム動力飛行機」を飛ばしてみた。山の上に落ちなければ2分くらい飛んだのでは?

製作の様子。機体の材料は100円ショップで買ったものばかり。翼はアルミニウム管を使わない「クリップ接合」を自分で考案した。翼の角度調整が何度でもできて、壊れにくく、修理が簡単な機体ができた

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「窒素(硝酸イオン)が多いとなぜ作物はおいしくないのだろうか?」の解説、その2

アメリカのふつうの野菜がおいしくないのは、速効性の窒素肥料のせいではないかと書いた。しかし、じっさいにサリナスあたりの野菜農家をまわって、「どんな成分の肥料を使ってますか?」とか「おたくのセロリの硝酸イオン濃度は何ppmですか?」などと聞いたわけではない。あくまでも予想で書いている。そもそもそのよう仕事は、公費でアメリカに出張したり留学したりしているお役人の仕事であって、自分が身銭を切ってやる仕事ではない(くやしまぎれのへらず口)。

どうして、そのような予想をしたかといえば、ひとつは、アメリカの農家は極端に生産コストにシビア(死語?)だとされているからだ。だったら、もっとも使用するのは、価格が安い速効性の肥料(窒素)であろう。また、レタスと書いているのは玉レタス(クリスプヘッド)ではなくて、サラダバックによく入っているグリーンオークリーフ(日本だとベビーリーフなどと呼ばれる)など、収穫までの期間が短いレタスを指している。ホウレンソウやオークリーフは、収穫までの期間が極端に短いので、施用した肥料のかなりの部分が生育の初期に吸収される。その植物体内の硝酸イオン濃度が高い状態で収穫されるため、エグみが強くなるのではないかと考えた。逆にセロリは、収穫までに数ヶ月もかかるので、速効性肥料では途中で窒素が切れてしまい、色も味も薄くなるのではないかと思った。それまでは、腐植率が高いアメリカの土壌は保肥力も高いと思っていたので、どうして野菜の食味が悪くなったり、窒素が流亡したりするのか、ずっと疑問だった。しかし、腐植には、それほど窒素を保持する力がないのならば、そうなるのは当然だろう。

もうひとつは、アメリカの有機農家とじっさいに話をしたときに、以下のような話をしばしば聞いたからである。

アースバウンドファームは世界最大の有機農場で、2014年の売上額は、5.8億ドル(650億円)、2015年の時点で管理する有機栽培の面積は、5万エーカー(2万ha)という規模である。2003年に、当時アースバウンドファームの農場長であったマーク・マリノさんに取材を申し込んで、話を聞いた。マリノさんは、農場の管理と商品開発をすべてまかされており、1997年にこの会社にスカウトされたそうだが、その前は農家として20年間、有機農業を実践していたという。40代なかばに見えるのだが、野菜、果樹、品種、土壌、肥料、昆虫などについてめちゃくちゃ詳しく、私の質問によどみなく答える。たとえば、果樹の草生栽培の話になったとき、たまたま持っていたナギナタガヤの写真を見せて、「日本の果樹農家では、こんなのがはやってますよ~」というと、「ああ、フェスキュー(fescueウシノケグサ)ね。これは前に試験したことあるけど、あんまり成績よくなかったんだよね~」と当然のように答える。日本名ナギナタガヤは、欧米ではフェスキュー(fescue)と呼ばれ、牧場の飼料として利用されているが、それを果樹園の緑肥に試験している人は、マリノさんだけだった。それどころか、他の10人くらいのカリフォルニアの果樹農家に、フェスキュー(fescue)のことを聞いてみたが、誰も名前さえも知らなかった。

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農場長(当時)のマーク・マリノさん(2003年)

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アースバウンドファームの農場。草が全然なくて虫に食われてもいない(2003年)

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天敵を温存するためのホストクラップ(宿主作物)(2003年)

そのマリノさんが、何度も強調していたのは、有機栽培では、「養分が土の中の生物(細菌、菌類、せん虫、原生動物、ミミズなど)を介して、ゆっくり作物に運ばれるので、おいしくなる」ということだ。アメリカ人は実証を重視するので、日本のオーガニックのように、「ミネラルが多いからおいしい」のような、科学的根拠が希薄なことは言わない(文献参照)。とにかく、「ゆっくり効くからいい」と言う。

同じことは、フレズノで有機レーズンを作っているマイク・マッカチオンさんも言っていた。マッカチオンさんの有機レーズンは、アメリカのみならず世界中に出荷されていて、日本の自然食品店でもふつうに売っている。マッカチオンさんは、若いころはNASAの関連企業に勤めており、惑星探査機ボイジャーのプロジェクトに参加して、衛星と地上との通信業務を担当していたというバリバリのエンジニアだ。1972年にお父さんが亡くなったため、1979に会社を退職して農場を引き継いだ。とても勉強熱心で、オフィス(といっても農作業小屋の一角)には、栽培技術の専門書がずらりと並んでいる。どんな勉強をしているのか本を見せてもらったが、たとえば天敵の本には大きなカラー写真がたくさんのっていて、解説もついている。「めちゃくちゃ詳しいですね!こんな本はどこで手に入れるんですか?」というと、どっかの大学の農学部が開くセミナーに定期的に参加していて、そこで資料も購入できるという。「これはいくらするんですか?高そうですね~」というと、目玉を丸くして、「すげえ高いよ~(1冊2万円くらい)」という。そのマッカチオンさんも、「有機栽培のどこがいいんですか?」と聞くと、有機栽培のブドウ園では、「土壌中の養分がいつも適切な状態に保たれ、養分の吸収と同化がスムーズなために、病害虫の侵入に対して、ブドウの自然免疫力が高まる」と言う(やはり「ミネラルが多い」などとは言わない)。

マリノさんとマッカチオンさんの話を聞いて、よっぽどアメリカの農家は、肥料(窒素)が速効きすることに悩んでいるんだなと思った。(つづく)

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マイク・マッカチオンさん。ブドウの品種はトンプソン・シードレス(2003年)

 

文献

有機農産物の品質

https://shop.takii.co.jp/tsk/bn/pdf/20090869.pdf

なお、コメの食味については、Mg/K・N値は食味評価と正の有意な相関を示すことが知られている。

栃木県における米の食味評価 ・ 選抜

http://www.agrinet.pref.tochigi.lg.jp/nousi/kenpou/kp_043/kp_043_02.pdf

有機農業と未来: アメリカの有機農業から何が見えるか
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「窒素(硝酸イオン)が多いとなぜ作物はおいしくないのだろうか?」の解説、その1

先日、「窒素(硝酸イオン)が多いとなぜ作物はおいしくないのだろうか?」を書いた。短い文章なので、なかなかうまく伝わらないのであろうが、ほんとうは、この文章には、いくつもの、世間や農業界に流布している「常識」に対する、私の長年の「疑問」が含まれている。もとは、その前に書いた「腐植の成り立ちと機能」から続く文章だ。文章が短いのは、くわしく、一冊の本になるほど書いても、文章で生活している私には、一銭の得にもならないから。本を作ったとしても、そんな本を買う人はほとんどおらず、出版しても赤字になるので、出版社は出版しない。雑誌などに投稿しても、しぼりだすように書いた文章の原稿料はすずめの涙で腹が立つだけで書かないほうがましだ。お金にできないので、ただのブログに適当に書いている。(下品で無駄口が多すぎた)

かなり専門的な農業書であっても、市販されている肥料や土壌の本には、「腐植は、粘土鉱物と同様に陽イオン交換を行ない、各種の金属イオンと錯体を形成して陽イオン交換容量(CEC)を高める」のようなことが書いてある。作物の養分となる陽イオンはアンモニウムイオン、カリウムイオン、カルシウムイオン、マグネシウムイオンなど、と教科書に書いてあるので、これを続けて読めば、腐植が多い土壌は、アンモニウムイオンやカルシウムイオンをしっかり保持して、保肥力が高くなると誰でも思うであろう。

これは本当にそうなのか?とずっと疑問に思っていた。マイナスイオンの硝酸イオンは保持しにくいから、流亡しやすいのはわかるが、もし、腐植が電気的にしっかりとアンモニウムイオンを保持しているのであれば、硝化菌はあれほど簡単に窒素を硝化することができないのではないだろうか?

じっさいの現象としては、日本では腐植率の高い黒ボク土壌であっても、腐植率がきわめて高いアメリカのプレーリー土であっても、窒素の流亡が大問題になっている。地下水や河川を汚染するということで、環境を気にする消費者から、化学肥料と慣行農家が目の敵にされる。難解な農芸化学など理解不能(私でも難しい)な一部の消費者は、化学肥料を使わず堆肥を使えばいいのにといい、有機農家を聖人かなにかのようにあつかう。農業のことに詳しい人なら、「なんかおかしい」と思うはずだが、ふつうの役人は世間体と保身が一番大事なので、何も言わずうけながす。

この「腐植信仰」、「堆肥信仰」のもとになっている、腐植のことをもう一回、調べなおすことにした。日本に限らず、世界でも腐植の研究をしている研究者はごくわずかしかいない(金にならないから)。熊田恭一先生の本が出版されたのは1981年だし、筒木潔先生の本は1994年でしかも単著ではない。もうずいぶん昔の本であるが、こんなマニアックな本は世間の人のみならず、農業の研究者でもごく一部の土壌の専門家以外はほとんど読んでいないのではないだろうか。入手することさえ難しい。

九州大学の和田信一郎先生が、最近、学生のために書かれた教科書をサイトにあげておられ、その解説には、「腐植酸やフルボ酸は多量のカルボキシ基を持っている.土壌中ではこれらの大部分はアルミニウムイオン,鉄イオンなどの多価金属イオンと結合して安定な錯体を形成している.しかし一部のカルボキシ基は遊離であり,土壌のpHによっては,カルシウムイオン,マグネシウムイオン,カリウムイオンなどを保持する.また,カルボキシ基は銅イオン,亜鉛イオンなどの微量必須元素とも安定な錯体を形成する.腐植物質のカルボキシ基は弱酸的であり,通常の土壌pHでの解離度は大きくない.そのため,アルカリ土類金属やアルカリ金属,アンモニウムイオンなどの保持への寄与はあまり大きいとは言えない.しかし,安定な錯体を作る銅や亜鉛などの遷移金属イオンの保持に対する寄与は大きい」とある。

なんだ、やっぱりそうだったんだと思った。(仕事に追われているので、つづく)

 

引用文献

和田信一郎、(2015)、土壌学

http://sky.geocities.jp/alloimo/

農業技術者、農業指導者としての福岡正信、その5

前回に書いたことを、福岡さんのテキストから読み取ってみる。『無Ⅲ』には、自然農法の原則として、1、無耕耘(不耕起)、2、無肥料、3、無除草、4、無農薬の4つの原則があげられている。ふつうに本を読んだ人なら、この4つの原則に従う農法が自然農法と考えるであろう。しかし、『無Ⅲ』序章のいちばん最後の文章をみると、「『何もしない』が出発点であり、結論であり、手段ともなる。すなわち、楽で、たのしい百姓道に通ずる。『何もしない』無手勝流のダルマ農法であるから、不耕起、無肥料、無農薬、無除草が四大原則である」と書かれている。

これを読めば、「無知・無為の道」の自然農法には、「楽で、たのしい百姓道に通ずる」という、結果(目的)が存在していると読める。「何もしない」は、「出発点であり、結論であり、手段」にすぎない。

また、『無Ⅲ』の第2章「自然科学の幻想」において、福岡さんは、科学農法を多方面から批判しているが、よく読めば、「科学的分析知は部分的であり不完全知であり、それら不完全知をいくら集積しても完全知になることはない」と、科学の不完全性を指摘している(不可知論)。

さらに、「あとがき」では、「土壌学の横井教授が、私の田の土壌の変化は、常に気をつけて調査する価値があるが、解釈したり、今までの常識で批評してはならない、科学者は謙虚にただ黙って、土の変化を見ておればよい、と同伴の技術者にいつも注意しておられたことなどは異例のことである。科学の領域を知る人であった」、「緑肥が茂る中で、見事に出来た麦に素直に感激してくれた牧草の権威・川瀬先生や、麦の足もとにいく種かの雑草を見つけて嬉々として観察する古代植物史の広江先生の姿などは、私には嬉しいものであった」と、事実と観察を重視する科学者の姿勢を高く評価している。

そして、目の前の事実や現象には目を向けず、「科学の世界に、哲学や宗教をもちこむのは迷惑だ」と発言する「ある大学の教授」の態度を批判している。福岡さんが嫌悪したのは、近代科学のパラダイム、イデオロギーに疑問を持たず、そこに安住する、学者を名のる俗物だ。

福岡さんは、科学や理性に疑念をいだき、「知」とは何なのかを、徹底的に科学的に突き詰めようとしていた。その意味では、徹頭徹尾、「科学者」であったと思う。(福岡さんの項終わり。ここで書いたことはすべて個人的な見解であり、他の人が福岡さんのテキストをどのように読もうが私には関心がない。つづく)

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麦刈りあとを耕起せず、種もみを直播きして、麦わらで覆っておく(『イネの有機栽培』農文協より)

文献
福岡正信、(1985)、『無Ⅲ自然農法』、春秋社
トーマス・クーン、(1962)、『科学革命の構造』、みすず書房(1971)
マイケル・S・ガザニガ、(2010)、『人間らしさとはなにか? 』、インターシフト
リチャード・ドーキンス、(1976)、『利己的な遺伝子』、紀伊國屋書店、増補新装版(2006)

農業技術者、農業指導者としての福岡正信、その4

2003年に福岡さんは、茨城県の自然農法の勉強グループの依頼で、茨城県にやってきた。茨城県阿見町の浅野祐一さんの自宅で粘土団子の製作法を教え、浅野さんの畑を視察して、休耕田を米麦連続不耕起直播の田んぼにする方法の指導を行った。そのときに私も同行させてもらって、さまざまな話を聞かせてもらった。

じつは、私は20年くらい前(1997年か98年ごろ)に、自然農法を始めたばかりのころの浅野さんに会って、話を聞いたことがあった。もともと浅野さんは、竹林なども含めると、耕作面積がかなり広い露地野菜農家であった。奥さんと2人で、柿、タケノコ、野菜などを栽培して、茨城県ではめずらしいのだが、農産物をトラックに積んで近所の住宅地で引き売りをする経営だった。ところが、おじいさんが病気になり、1日おきに病院に連れていかなければならなくなった。広い畑をまわすことができなくなり、窮余の策として、かねてから関心があった、自然農法のやり方で作物を栽培するようになった(97年)。ちょうどそのころに、茨城県には、自然農法の勉強会ができていて、30人くらいのメンバーがいた。会社員、学生、定年して家庭菜園を楽しむ人などさまざまな人がいたが、専業農家は浅野さんだけだった。

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粘土団子を作る装置(2003年)

浅野さんの自然農法の方法は、福岡さんの本を読んで、できるだけテキストに忠実に行うというものだ。粘土団子も本をたよりに、自分で工夫して作っていた。ただし、畑が広くて分散しているために、本にあるように粘土団子を適当にあちらこちらにバラ撒くと、どこに何の種を播いたのか忘れてしまう。収穫のときにとても困るので、適当にバラ撒くのではなく、ある程度場所を決めて、作物によってはスジ播きに粘土団子を撒いていた。また、露地ナスは、友達のナス農家が作った接木苗の余りをもらってきて定植していた。

浅野さんの話では、自然農法に変えてから、トラクターや管理機などの機械はまったく不要になり、農薬も肥料も使わないので、農業の経費はほとんどかからなくなったとのことだった。使用する機械は引き売りに使う軽トラだけで、かかる経費は、車のガソリン代だけだと言っていた。経営的には、奥さんと2人の作業で、年間所得200万円ほどだった(97~98年ごろ)。私は、北海道から沖縄まで全国の農村をまわったが、福岡さんのテキストどおりの栽培方法だけで、専業農家として経営が成り立っている農家に初めて出会った(趣味家の人は大勢いる)。それで、とても驚いたことをはっきりと覚えている。

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浅野さんの畑(2003年)

2003年に福岡さんに話を聞いたときに、「自然農法は、テレビで放送されたりしてさんざん注目されたのに、自然農法はどこにもない。自分の子供でもやらない」と嘆いていた。しかし、浅野さんの畑を見てまわっているときの福岡さんは、終始満足そうで、浅野さんがここはどうすればいいのかとたずねると、「このままでいい」と何度もうなずいていた。畑を遠くからながめながら、「ここに自然農園があるじゃないか」とも言っていた。

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浅野さんの畑(2003年)

福岡さんの主著のひとつである、『無Ⅲ』の第1章には、農業技術の近代化によって農民が窮乏し、農村が衰退していくことが繰り返し書かれている。「機械化田植えは、百姓を楽にするものでなく、百姓を別の労働に駆り出しただけのことである」、「二、三〇〇ヘクタールを耕作する米国農民の収益性が日本の一、二ヘクタール百姓より劣り、その生活ぶりも質素である」、「現在とられている多収穫栽培技術の大半は、純利益の増加に結びつかない」、「科学農法による省力化は、農業からの離職化にすぎない」など。(もちろん、こうした農業の近代化は、経済学者が指摘するように、「食糧に支払う金額が少なくすむ消費者にとっては確実に有利」であり、社会全体で見た場合には「豊か」になったこともまた事実である)

若き日の福岡さんの懊悩の背景には、精力を注いでいる学問の研究は、結局は自分の功名心にすぎず、困窮する農民、衰退する農村とは何の関係もないという思いがあったのではないだろうか(もともと、福岡さんはダンスホールで歌手の淡谷のり子にダンスを申し込むほど、自己顕示欲の強い若者でもあった)。

自然農法の思想の背景には、機械、肥料、農薬を買うことができない貧しい農家の助けになるという気持ちがあったはずだ。浅野さんの農家らしい顔つきや、体つきや、家や納屋や暮らしぶりや畑を見て、そのことを福岡さんが即座に感じ取ったからこそ、「ただ暮らすためだけ」に、忠実に自然農法を実践する浅野さんの畑をあれほどほめたのではないだろうか。

じつは20年前に、浅野さんの畑に行ったとき、草に埋もれて大根やらニンジンやらがあちらこちらに生えているのだが、土を見ようと草をかきわけると、以前に使ったマルチが畑全体に敷きっ放しだった。そのときの浅野さんには、マルチをはぐ余力も残っていなかった。

福岡さんが、浅野さんや私の質問に答えるときの態度は、テレビの中でインタビュアーに答える宗教家や思想家のような福岡さんではなく、まさに農業技術者の態度そのものであった。福岡さんの答えは、きわめて合理的かつ明晰で、質問に対して間髪をいれずに答えていた。

たとえば、福岡さんに、草ぼうぼうの休耕田の雑草対策についてたずねると、「田んぼの中に草の穂が見えたら、ただちに穂を刈り取る。雑草の種がこぼれてしまうと草を減らすことはできない。セイタカアワダチソウのような宿根草の場合は、上を刈っても地下に根が残るので、2~3年かかる」と言ったすぐあとに、「そんな手間がないときは、最初の1~2年は除草剤を使ってもいい」と言う。

福岡さんにとって、自分が見つけ出した自然農法の原則は、目の前の農家の労苦より優先というわけではない。じっさい、『無Ⅲ』には、「最小限度の農薬使用」として、わざわざ農薬の使い方まで書いてある。私が会って話を聞いた福岡さんは、事実と実践を重んじる農業技術者であり、農家の暮らしをおもんばかる農業指導者そのものだった。(つづく)

引用文献
福岡正信、1985、『無Ⅲ自然農法』、春秋社

農業技術者、農業指導者としての福岡正信、その3

福岡さんの弟子は、2人しかいない。ギリシャで自然農法を実践しているパノス・マニキス氏と本間裕子さんだ。70~80年代の自然農園には大勢の研修生がいたが、福岡さんは、あるときから「男は、自然農法を理解できない」と言って、男性の弟子をいっさいとらなくなっていた。

本間さんは、大学院を卒業後に、埼玉県で和紙職人になるための修行をしていたが、コウゾ栽培のために畑仕事を体験するなかで、次第に農業に関心を持つようになった。1996年に福岡さんの講演を聞き、緑化活動を手伝ってくれる女性指導員を募集していること知った。福岡さんは、自分の活動を継ぐ者が一人もいないと訴えていた。本間さんは、自然農園に行くことを決心し、福岡さんに手紙を書いた。自然農園の山小屋での生活が始まったが、福岡さんはこのときすでに83歳で、脚も弱っており、歩いて自然農園まで行くことが出来なくなっていた。その後、本間さんと同じように女性指導員に応募した女性2人が加わったが、最後まで山小屋に残ったのは本間さんだけだった。

山小屋での生活は、荒れた小屋を修理することから始まったが、本間さんが与えられたもっとも重要な仕事は、割れない粘土団子を作ることだった。福岡さんは、「米麦連続不耕起直播」の種播きに、はじめは円盤型直播機を使用していたが、機械を使用しなくてもできる、粘土団子による播種法の研究を続けていた。粘土団子は、製造がうまくいかないときは、1回雨が降るだけで団子が簡単に壊れてしまい、種もみを鳥やネズミに食べられてしまう。本間さんは何もノウハウが無いし、福岡さんは何もアドバイスしてくれないので、まったくの手探り状態で、雨にあたっても割れない粘土団子の製作法に取り組んだ。

本間さんは、「米麦連続不耕起直播」の栽培法を福岡さんから教わった。福岡さんの息子さんは有機農家で、稲作も大規模に経営している。その田んぼの一角に、福岡さんが育成した米の品種であるハッピーヒルの採種のための田んぼをもうけていた。イネ以外にも、自分が食べるための野菜を栽培し、余ったものを地元の農産物直売所で販売した。本間さんは96年から2年間、山小屋で生活したが、その後、福岡さんを手伝って緑化運動にたずさわるようになった。

私が会ったころは、福岡さんの活動を直接に支えていたのは、本間さんと山小屋で一緒に生活していたもう一人の女性だけだった。福岡さんは、その少し前に、アメリカのアグリビジネスや日本の団体との間で、知的財産権をめぐるトラブルにまきこまれそうになったため、著作などの知財についてかなり神経質になっていたようだ。福岡さんが粘土団子の特許をとったり、ハッピーヒルを品種登録したりしたのも、知財が企業や団体に占有されることを恐れためだ。当時、自分の本を出版していた版元に対しても、自然農法を普及するためではなく、儲けるためだけに売っていると言って、著作の増刷さえもストップしていた。(お名前など当時のまま、つづく)

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粘土団子を作るための簡易な装置。自転車を利用している(2003年10月)