メソポタミアの灌漑農業 Irrigated agriculture in Mesopotamia

人類が最初に灌漑農業をおこなったとされているウバイド期は、BC6500~3800年の2000年以上もつづいた。しかし、ウバイド期がどのような社会であったのか、よくわかっていない。

わかっているのは、泥の日干しレンガで家屋を建設していたこと、灌漑農業をおこなっていたこと、コムギ、オオムギ、豆類、亜麻などを栽培していたこと、ヒツジ、ヤギ、ウシの牧畜をおこなっていたこと、漁撈をおこなっていたこと、彩色土器がさかんにつくられたこと、10ha以上の「都市」があらわれたこと、社会の階層化が徐々にすすんでいったことなどである。


Ubaid III pottery 5300-4700 BC Louvre Museum (Author:ALFGRN)


Ubaid IV pottery jars 4700-4200 BC Tello, ancient Girsu, Louvre Museum (Author:ALFGRN)

ウバイド期の代表的な遺跡としては、エリドゥがある。エリドゥは、最大時に1万人が居住し、世界でもっとも早く登場した「都市」と考えられている。

最下層(ウバイド1)の深い窪地の中から、祭壇のような施設がある建物が出土している。部屋の中央には焼けた跡があり、供物台があったのではないかと考えられている。この建物は、後のメソポタミアの神殿の特徴を持ち、同じ場所に何度も立て替えられていた。ここは、1000年以上も神聖な場所であったと考えられている。

シュメール王名表の冒頭には、「王の位が天から降りた後、王の位はエリドゥにあった。エリドゥで、アルリムは王になった。彼は28,800年間支配した」と書かれている。また、シュメールの神話では、エリドゥはエンキによって建設されたと伝えられている。


エリドゥの神殿(レベル7)


(*1)

古代のメソポタミアの農業についての研究は、粘土板文書の文献研究が中心で、考古学的な研究がほとんどすすんでいない。文献研究では、前川和也先生の研究がある。(*2)


条播器、カッシート時代(紀元前2000年紀中葉)の印章印影(*3)

メソポタミアでは、オオムギは条播器を使用して条播きされていた。シュメールでは、オオムギの標準の条間は約60cm(50~75cm)だったという。面積の単位は1サルが1ニンダン四方(6×6m)で、100サル=1イク(60×60m)、18イク=1ブル(6.48ha)だ。

オオムギの容量は、180シェ(粒)=1ギン、60ギン=1シラ(1ℓ)、10シラ=1バン、6バン=1バリカ、5バリカ=1グルだ。1ニンダン(6m)当たりの播種量は1ギンで、1ブル当たり播種量は1グルだった。1ブル当たりの予定収穫量は30グルで、播種量の30倍の収穫量が期待されていた。耕地のユニットは、短辺(102~120m)と長辺(2.8~4km)からなる、短冊のような形状だったという。

イラクの圃場を見ると、用水路の間隔は50~60mで、2本の用水路のあいだに正方形の畑が2列にならんでいる。1枚の畑は、30×30mほどで、日本で言えば1反(10a)の面積とほぼ同じ大きさだ。畑1枚が25サルほどで、1イクは畑4枚分になる。


イラクの圃場、用水路の間隔は50~60mで1枚の畑は約30×30m

面積単位
メソポタミアの圃場モデル(前川氏の記述をもとに本田作図)

メソポタミアの土地利用については、ポストゲイト氏の作図がよく知られている。メソポタミア南部では、冬期のトルコの山岳地帯の降雨によって水量が増し、雪解けの4~5月にもっとも水位が高くなる。増水時と渇水時の水位差は、ユーフラテスが3~4m、チグリスの水位差は5mもあった。4~5月は、オオムギやムギの収穫の前なので、洪水がおこれば、収穫前の作物がだめになってしまう。つまり、ムギ類は、増水しても水に浸からない高い場所に作付けられた。


ポストゲイト氏の作図(*4)


ユーフラテス川の水位、中流のラマーディでの観察(1911~32年の平均値)(参考:図説メソポタミア文明)


チグリス川の水位、中流のバクダートでの観察(1906~32年の平均値)(参考:図説メソポタミア文明)


Clay tablet showing a map of canals and irrigation systems to the west of Euphrates, Babylonia (1684-1647 B.C.E.)

日本で用水路を建設するには、山を削ったり、水路を掘り下げたりしなければならないので、ツルハシやシャベルなどの道具が必要だ。いっぽう、雨がほとんど降らない氾濫原のメソポタミアでは、泥の日干しレンガを積み上げて、貯水池や用水路を築けばよい。道具は、日干しレンガをつくる木枠があればよい。そのため、青銅器や鉄器が普及していない時代であっても、貯水池や用水路などの灌漑施設を建設することが可能だったのであろう。


Romania Danube Delta making material for constructing

現在のイラクの灌漑システムは、チグリス川、ユーフラテス川を中心に、25か所のダムと堰、275か所の灌漑ポンプ場、総延長約27,000kmの用水路網からなる。近年、チグリス・ユーフラテス川上流のトルコとシリアに大規模ダムが建設されたために、イラクでの水量が大きく減少し、問題になっている。(*5)


イラクの水利、湖、ダム、堰など(*5)


チグリス川のクート堰は、1930年代に周辺地域に灌漑するために建設された。26,440haの農地に給水されている

現在の下流域では、チグリス・ユーフラテスの本流に堰を築いて、用水路に水を導く方法がとられている。堰によって水位が一定になるので、1年をつうじて用水路への給水が可能になる。しかし、古代のメソポタミアでは、本流に堰を築くことはできない。ここで、伝統的なイラクの農業について見てみる。

Abdulamir Hamdani氏という、1965年生まれのイラク人が、1970年代のイラクの伝統的な農村の暮らしを報告している。(*6)

Hamdani氏の出身のAl-Midaq村は、イラク南部のAl-Hammar湿地の北端で、ユーフラテス川の南岸に位置している。村には、約80家族が生活しており、全員がAlbu-Hamdan部族だ。12月~3月の増水期には、村の周囲の低地は、水に浸かって沼沢になる。


ユーフラテス川の下流域、増水期には低地は沼沢になる

増水しても水に浸からない高い土地には、冬作のオオムギ、コムギが作付けられる。4月~11月は低地の水が引くので、夏作のイネ、トウモロコシ、野菜類が作付けられた。冬作のムギ類は灌漑されるが、夏の稲作は沼地の端の湛水した圃場で栽培され、灌漑を必要としない。

村の住民が所有する農地は約1214haで、村の灌漑は1977年にHamdani氏のいとこがポンプを導入するまで機械化されていなかった。シリアで大規模なダムが建設され、ユーフラテス川の水位が下がったために、ポンプによる揚水が重要になっている。

イラクでは、夏はほとんど雨が降らず高温乾燥になるので、農業生産の中心はオオムギ、コムギの冬作物だ。夏作物のコメ、トウモロコシ、綿花、ゴマ、キビ、レンズマメ、インゲン、エンドウなどの生産量は少なく、おもに自家用であった。

ムギ類の播種は11月中旬までに終えなければならず、それ以上遅れると、発芽が遅くなって初霜(1月第1週)の害を受ける。ムギ類への最初の灌漑は、播種後1週間後(11月中旬~12月上旬)で、2回目の灌漑は1月第1週におこなわれる。その後の灌漑は、2月第1週で、さらに3月21日までにもう一度灌漑をおこなう。雨は、2月~5月に降るので、灌漑のタイミングは、降雨に左右される。最後の灌漑は、4月上旬で、ムギ類の収穫は、4月下旬~5月中旬である。

夏作のイネは、5月下旬に作付けされ、11月に収穫される。果物や野菜は、河川や用水路に隣接する集落の近くの果樹園で栽培される。野菜は、作付け中に40回ほど灌漑が必要なので、“dalia”(重りとポールからなる揚水装置)、“noria/saqia”(水汲み水車)、“cherd”(ロバ、雄牛、ラクダによる揚水装置)などを用いて灌漑する。


Egypt, drawing water with a shaduf Egypt 1950 and 1955 Photographer Harris, Eugene V., 1913-1978

かつての村の灌漑施設の管理は、水門の建設と維持、用水路の掘削、用水路に生えるアシやパピルスの除去、用水路からのゴミの除去などだった。

1次用水路の幅は8~12mで、長さは様々であるが、平均的には、5,000~7,500haの農地に水を供給していた。この「灌漑共同体」は、5~6の村からなり、一つの村は10~15世帯で構成されている。2次用水路は、2~3の村の農地を灌漑し、3次用水路は1つの村だけを灌漑する。

近年まで用水路は、土の堤防を補強しただけのものであった。用水路を長く使用していると、土砂が水路に堆積してくる。水路にたまった土砂を除去できなくなると、古い用水路は放棄され、既存の用水路と平行して新しい用水路が建設された。


Topview of a traditional Iraqi irrigation system, drawn by Steven George, 2010. (*6)


Cross-section of a head-dam, drawn by Steven George, 2010. (*6)

イラクの灌漑施設で重要な施設に、水門(dam)がある。水門は、1次用水路の取水口に設置され、通水のタイミングと量を制御する。1次用水路の水門の幅は8~12mで、高さは3~5mになる。

水門の建設や修理は、河川の水位が低い7~9月におこなわれた。建設に必要な労働力と資材は、その水門を利用する灌漑共同体全体に割り当てられる。建設および保守についての決定は、部族の首長を中心に、成人男性の合意によっておこなわれる。話し合いがおこなわれるのは、ムディーフ(Mudhif)と呼ばれるゲストハウスで、BC3200年の飼い葉桶にも描かれている。ムディーフでの会合は、厳格な序列と作法にもとづいて運営される。(ムディーフでの会合はポトラッチであろう)


Mudhif at Neserya (Author:Mohamad.bagher.nasery)


Drinking trough; limestone; wide convex ends; impractical, as if it were raised high enough to see the relief decoration, it could not be used as a trough or basin; probably a cult image in the temple of Inanna; decoration shows flocks of sheep approaching reed hut and lambs emerging from it; scene probably reflects fecundity of flocks under Inanna’s protection; high volutes projecting from the hut and repeated elsewhere are symbols of the goddess as are rosettes on the ends. Uruk, c 3,200 BC. (British Museum)

労働力が不足するときは、近隣の村から作業員が手伝いに来ることもあり、相互に労働力の交換がおこなわれた。建設現場の作業員には食事が支給され、工事が終了すると、盛大な宴会が開かれる。

水門の建設を監督するのは、“estad”または“ustadh”と呼ばれる専門家の老人だ。estadが村にいなければ、他の村から招かれる。estadには金銭が支払われ、家畜、ボート、オオムギ、衣服などの贈り物も受ける。estadは首長からも尊敬されており、直接の労働作業には参加せず、建設の監督だけをおこなう。estadとしての監督の仕事は季節的なので、他の期間は、農業や他の仕事に従事している。

水門の警備や保守は1年をとおしておこなわれる。この仕事は、灌漑施設を利用するすべての世帯に義務づけられている。とくに、2月下旬~6月上旬の増水期には、昼夜を問わず水門の警備と監視がおこなわれた。増水期に何らかの原因で水門が壊れると、水が一気に流れ込んで、洪水の危険がある。

もう一つの危険は、敵対する他の部族の破壊行為がある。かつては、河川からの取水について国家の管理がなく、部族が勝手に水を利用していたので、敵対部族同士が水門を破壊する紛争が頻発した。このため、銃で武装した男性1~3人が、終日で水門を警備していた。敵の攻撃などの緊急事態があったときは、村の全員が参加する義務があった。

水門の用水路側には、流入する水流のために土が削られ、大きな池が自然にできる。この池には、さまざまな機能があった。渇水期の貯水池、河川からの土砂の堆積池、洪水のときの調整池、動物の水飲み場、魚の漁場、衣類の洗濯、輸送用の船の停泊場所などだ。水門は、2次用水路と3次用水路の取水口にも、小型のものが建設された。

前川先生は、ウル第三王朝時代の粘土板文書から、“erin”と呼ばれる集団労働組織が存在し、灌漑の専門の仕事に従事していたのではないかと推察している。(*7)

水門、用水路などの灌漑施設の建設と管理は、部族集団の組織的な労働、高度な知識の蓄積、社会の階層化、ポトラッチによる部族間の利害の調整など、社会の高度化をもたらした。そして、都市の登場によって、知識の集積と社会の高度化が急速にすすみ、農耕文明の成立につながっていったと思われる。

文献
*1)G.J. Wightman. (2007). Sacred Spaces: Religious Architecture in the Ancient World.
*2)前田和也. (2011). 図説メソポタミア文明. 河出書房新社.
*3)Donald M. Matthews. (1992). Kassite Glyptic of Nippur. Vandenhoeck & Ruprecht Gmbh & Co.
*4)Nicholas Postgate. (1994). Early Mesopotamia: Society and Economy at the Dawn of History. Routledge.
*5)国際協力機構. (2016). イラク国水資源管理・農業灌漑情報収集・確認調査.
*6)Rost, Stephanie & Hamdani, Abdulamir & George, Steven. (2014). Traditional Dam Construction in Modern Iraq: A Possible Analogy for Ancient Mesopotamian Irrigation Practices. Iraq. 73. 201-220.
*7)前川和也. (1966). 古代シュメールにおける農業生産. オリエント 9巻 2-3号.

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