ポトラッチと熊の霊送り Potlatch and sending off the bear

狩猟採集民が大型動物の仔を飼育する例として、北方漁撈部族の「熊の霊送り」がある。

アイヌのクマに関する儀礼は2種類あり、ひとつは狩猟現場で殺したクマに対する儀礼で、もうひとつは、飼育したクマの儀礼だ。クマのメスは、冬ごもり中に仔熊を出産するが、アイヌは、冬眠中の母熊を狩猟し、仔熊を生きたまま捕獲した。捕獲した仔熊を1~3年飼育してから、儀礼をおこなう。


Ainu. Originates from Mr Ludvig Munsterhjelm’s expedition to Sachalin (Sakhalin) 1914(National Museum of Denmark)


イオマンテ、1930

クマを祭る儀礼は、ヨーロッパ、アジア、北米の極北から亜極北の狩猟民族のあいだにひろく存在する。ただし、仔熊を飼育してから殺し、饗宴を催す儀礼は、アイヌ、樺太アイヌ、ニヴフ(ギリャーク)、ナナイ(ゴルド)、オロチ(ナーヌィ)、ウィルタ(オロッコ)、ネギダル(エルカンヴェイェニン)、ウリチ(オルチャ)など北海道、サハリン、アムール川下流域の部族だけに見られる。


仔グマ飼育型クマ送りの広がり(souce:北の異界 古代オホーツクと氷民文化)(*1)

アイヌは、狩猟、漁撈、採集と初歩的な農業をおこなう社会である。男性は狩猟と漁撈に従事し、女性が採集とヒエなどの栽培に従事する。狩猟採集が生業の中心だが、サケ、ユリ、ヒエなどの保存食を貯蔵して定住する。

「かつて、北海道各地のコタン(集落)では、盛大なイヨマンテ(霊送り)が盛んに行なわれていたという。狩猟、採集民であったアイヌ(人間)にとって、イヨマンテは重要な位置を占めていた。アイヌにおける最も一般的な「送り」は、ふつう「熊の霊送り」といわれるイヨマンテである。この祭事は、アイヌにとって村を守る神であるコタンコロカムイ(村の守り神=しまふくろう)送りに次ぐ重要な祭儀でもある。アイヌの神々はカムイモシリ(神の国)で生活をしているが、アイヌモシリ(人間の国)に姿を現わすときはハヨクペ(仮装)して現われると信じられている。キムンカムイ(山の神)は熊の姿、レプンカムイ(沖の神)はしゃちの姿、コタンコロカムイはしまふくろうの姿になって現われる。これらの神々が、アイヌに食物や毛皮を与えるために、人間の国に遊びに来るのである。この「熊の霊送り」には、二通りの行ない方がある。一つは熊猟を行ない、そこで仕留められた成獣が対象となる「カムイホプニレ」である。これは仕留めた熊をその場で解体して、魂をていねいに神の国へ送るものである。もう一つは、一定期間、熊を飼育し神の国へ送り返すというものである。春先に、冬ごもりの穴の中で子熊を捕え、捕えた熊を人間の子と同じように養い、成長するとセッ(檻)に移して飼う。その子熊は、神から飼育するように預けられたものと考えられているので、ていねいに扱い育てられる。ときには、婦人の乳によって赤子のように育てられることもあったという。熊の霊送りは、早ければ子熊を捕えたその年の十一月末から冬にかけて、おそくとも三年目の十一月から一月にかけて行なわれる。しかしその形態は、それぞれのコタンによって、また、それぞれの家系によって違うとされる。神からの預かりものである熊を、神のもとへ送り返す祭儀である熊の霊送りは、ふつう三日間行なわれる。一日目は、神への報告と守護を祈る。二日目が本まつり。そして三日目は、神への祈りと別れを惜しむ儀式の後、人間の国から神の国に魂を送る式を行なう。そこでイヨマンテは終わる。熊の霊送りはアイヌ独自の祭儀ではなく、北方ユーラシアから北アメリカにかけて広範に行なわれていたという。これは前述したように、共同体としての重要な「まつり」であるからであろう。アイヌには山で仕留めた成獣にしろ、村で大切に育てた子熊にしろ、殺すという観念はまったくなく、あくまで「神の国から人間の国へ遊びに来た神を元の神の国へ送り返す、子を親元に帰す」という考えから、祭儀が行なわれてきた。・・・
熊を送る日が決まると、男たちは数日前から準備に追われる。ヌサ(祭壇)に祀るイナウ(木幣)、屋内に飾るイナウル(けずりかけだけの木幣)、ヘペレアイ(花矢)などの製作にである。白老には儀式用の飾り矢が二種類ある。一つは「チノイェアイ」といい、模様が曲線状に施されている。もう一つは「チトッパアイ」で、部分的に平たくけずったような模様が施されている。これらの花矢はまつりの当日に熊に向かって放たれ、またヌサ(祭壇)に束にして飾るためにつくられる。その数は、送る熊の雄、雌によって違っているという。ヌサには、熊に持たせるヘペレシケ(みやげ)を飾る。「ヌサに飾ることによってみやげが何倍にもなって神の国に届く」とされているからである。ヌサにはヘペレアイ(花矢)のほか、串にさしたニッオシト(串だんご)、サッチェプ(干し鮭)、クー(弓)、イカヨプ(矢筒)、エムシ(刀)、タンネプイコロ(長い宝刀)、エムシポイコロ(短い宝刀)、シントコ(行器)などがあり、これらにイナウルをつけて飾る。」(聞き書 アイヌの食事)(*2)


蝦夷島奇観(1860)(*3)

飼育した熊の霊送りは、いつごろからおこなわれてきたかわかっていないが、擦文文化(7~13世紀)に由来するという説やオホーツク文化(3~13世紀)に由来するという説などがある。もっとも古い文献記録としては、1643年にオランダ東インド会社のフリース船隊が、サハリンでクマ檻を目撃したという記録がある。

熊の霊送りは、「神の国から人間の国へ遊びに来た神を元の神の国へ送り返す」儀礼というのが通説である。しかし、人類学者のあいだでは、さまざまな意見がある。

「北海道のオホーツク海沿岸部で展開したオホーツク文化(4~9世紀)には,住居の奥に熊を主に,鹿,狸,アザラシ,オットセイなどの頭骨を積み上げて呪物とする習俗があった。それらの動物のうち熊については,仔熊を飼育し,熊儀礼をしたあと,その骨を保存したことがわかっている。これは,中国の遼寧,黄河中流域で始まり,北はアムール川流域からサハリン,南は東南アジア,オセアニアまで広まった豚を飼い,その頭骨や下顎骨を住居の内外に保存する習俗が,北海道のオホーツク文化において熊などの頭骨におきかわったものである。豚の頭骨や下顎骨を保存するのは,中国の古文献によると,生者を死霊から護るためである。」(春成, 1995)(*4)

「北海道のアイヌは、クマ、ワシやシマフクロウを飼育し、それを送る儀礼を行なっていた。この「飼い型」の送り儀礼の成立を考える上で、筆者が強調したいことは、飼い送られる動物の共通点は、和人社会との交易のなかで、それらは商品(交換)価値が高く、かつ飼育しうる動物であったことである。筆者は、送り儀礼の思想大系は北方諸地域に広く分布するかなり起源的には古いものである一方で、その一亜型である「飼い型」の送り儀礼は、アイヌらの北方交易が進展していく中で成立したものであると主張したい」(岸上, 1997)(*5)

「生きている仔グマの授受がオホーツク文化内の交流、さらには、オホーツク文化と続縄文文化との異文化交流に重要な役割を果たした可能性」(増田, 2002)「子グマ・ギフトをともなう飼いグマ祭りは、従来強調されてきた集団内だけでなく、異集団間の絆を強める機能、あるいは交渉を円滑にすすめる役割をも果たした」(天野, 2002)。(*6)

「ギリヤークとオルチャの熊祭については所謂‘氏族’組織との関係が明かにされている・・・1)アイヌの熊祭は地縁集団としてのshine itokpa groupを独立単位とする団体的儀礼である。2)各shine itokpa groupに属するlocal groupsの間で,また各local groupの家々の間で,習慣的な順番乃至序列があり,個々の家で飼われたクマの殺戮儀礼はその順序に従って挙行された。・・・local groupには中核がある。それは共通の男子祖先から出たとする父系男子親族Shine ekashi ikiruから成る。首長はその中核ebasi ikiruの出身であるのが普通である。・・・熊祭の時季がくると祭礼の実施に先立って各Shine itokpa groupでは,local groupの首長達が,習慣的序列によって筆頭にくる首長の家に会合して,各local groupに於けるクマ殺戮儀礼実施の日取りを決める。その順番は習慣的に定まっていた。・・・クマの飼育は食物のみでなくその獲得に要する時間と労力の浪費である。しかしそれが社会的宗教的価値を生む。またそれは”熊送り”儀礼を通して社会の統合に役立っている。この意味でクマの飼育を伴う熊祭は北西海岸インディアン社会に於けるpotlachに比較し得るものといえよう。potlachは根本的には食物余剰に依存している。」(渡辺, 1964)(*7)

最上徳内の『蝦夷国風俗人情之沙汰』(1790年)には、以下のようにある。

「蝦夷村々乙名の家に飼置く赤熊成長し、大赤熊と成りたるを撰び、其乙名、其赤熊に向ひ因果因縁を解示して曰、大幸なる哉我熊、能く聞け、此秋の氏神の牲犠に備ふなり。必未夾は人間と變生すべし。依て是を樂んで潔く牲犠に立つべしと云含、其後其赤熊を縛縊し、一室に索(ひき)到り、前後左右より繋き留め、土人大勢群集し枷、杻、桎を容れ、堅固に囲ひて。扨、首前に幣を建て、鉾、太刀、長刀、其外種々の長[武]器を飾り、其後其村の乙名を初、其親類及び近郷近村の乙名及び長立たる者集りて大祭禮の祝儀あり。此時、家格、新古等に因りて其席に前後上下ありて其席々に急[屹]度着座あり。於レ是射禮あり。銘々次第を揃て矢を放つ。蟇目の射法の如し。其式禮終れは、赤熊猛勢弱り死に臨んとす。此時を待、大勢群り、棒責にして殺す也。殺し終りて後其死骸に種々の供物をそなへ、佛家の百味の飲食をそなへ、施餓鬼供養するに似たり。此式禮終わりて、其供物を似て近郷近村の老若男女に分ちあたへ、賑恤する事甚し。其後其熊を、皮を剥き、肉を料理て喰ふなり。扨、皮は首を正面に向け、耳鐶を掛け、靈前に飾り置く。前庭には二行に旗幟を建て武具を飾り嚴重に見へにけり。祝儀の大酒宴あり。赤熊の肉を肴とし次に鹿肉、狐肉、魚肉澤山にして終日終夜にぎはふ也。是を毎秋乙名家、豪富の名利とする。此時は衣服を改め、器財寶物を披露し、藝術を以て鳴り、才徳器量を輝して格式を採んことを策となり。才徳爵祿を布くは此大祭禮の入用を一人にて度々するを以なる也。土人此大祭禮を名つけて、イヨウマンテといふなり。年中海上にて漁獵を無難にする祝儀なりといふ。」(高倉編, 1969)(*8)

最上徳内の記録で注目すべきは、「氏神の牲犠に備ふ」、「鉾、太刀、長刀、其外種々の長[武]器を飾り」、「近郷近村の乙名及び長立たる者集りて大祭禮の祝儀あり」、「家格、新古等に因りて其席に前後上下あり」、「是を毎秋乙名家、豪富の名利とする」、「衣服を改め、器財寶物を披露し」などだ。

また、招かれる部族は、「召客トテハ三十里程ノウチノ乙名ヲ使ヲ以テ招寄セ、近所七八里ノ内ハ小児マテ不残、前日ヨリ相集リ」(北海記)(*8)との記録があり、240キロの範囲の氏族や部族を招いていたことになる。『北海記』は、1785~1786年に幕吏が蝦夷地を巡見した際の記録である。

これらのことから、飼育した熊の霊送りは、北方漁撈部族によるポトラッチであると思われる。ポトラッチは、部族間の財の相互贈与と、部族の戦力の信号化(Signalling)によって、戦闘による共倒れを抑止し、部族の資源獲得権を調整するシステムだ。クマは、部族間で相互に贈与される財のひとつであり、ポトラッチのシステムのなかから、大型動物の「飼育」という行為が生じたと思われる。

北方漁撈部族は、食料をサケや海獣に依存しているが、サケや海獣は部族のテリトリーを超えて移動するので、捕獲権をめぐって紛争が頻繁に発生したのであろう。(漁撈部族の貯蔵食料)(ポトラッチ:漁撈部族間の相互贈与)

熊の飼育には大きなコストが生じるが、コストが大きいほど部族の戦力を誇示することができる。そして、そのコストは、全面戦闘による共倒れにくらべれば、はるかに小さい。

なお、君主同士のポトラッチとしては、「朝貢」がある。朝貢がさかんにおこなわれたのは、古代メソポタミア、アケメネス朝ペルシア、古代中国などが知られている。朝貢を受けた側は、贈与された財の数倍から数十倍の財を返礼として贈与し、贈与する財が多いほど、相手より上位の序列にあることを示していた(Signalling)。朝貢のコストは、大きいように見えるが、軍事費や戦争にくらべればはるかに小さかったので、経済的に優れた安全保障システムであったといわれている。

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ウルのスタンダード(BC2600)


アケメネス朝ペルシア帝国の都、ペルセポリス(BC520~)のレリーフ(Author:Phillip Maiwald)


6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯、鄧至、狼牙修、倭、亀茲、百済、波斯、滑/嚈噠からの使者

文献
*1)宇田川 洋. オホーツク「クマ祀り」の世界. 北の異界 古代オホーツクと氷民文化, 2002.
*2)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*3)秦檍丸. (1860) 蝦夷島奇観.
*4)春成秀爾. (1995) 熊祭りの起源. 国立歴史民俗博物館研究報告 (60), 57-106.
*5)岸上伸啓. (1997) アイヌの「飼い型」の送り儀礼と北方交易. 民博通信 76, 109-115.
*6)増田隆一, 天野哲也, 小野裕子. (2002) 古代DNA分析による礼文島香深井A遺跡出土ヒグマ遺存体の起源―オホーツク文化における飼育型クマ送り儀礼の成立と異文化交流―. 動物考古学 19.
*7)渡辺 仁. (1964) アイヌの熊祭の社会的機能並びにその発展に関する生態的要因. 民族学研究 29(3):206-217.
*8)池田貴夫. (2007) クマ祭り(飼育を伴うクマの霊送り)の研究 : 民族文化情報とその表現をめぐる諸問題. 名古屋大学.

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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