「延長された表現型」としての栽培化 Domestication as Extended phenotype

ダーウィンは、『種の起源』で、次のように書いている。(*1)

In the case of most of our anciently domesticated animals and plants, it is not possible to come to any definite conclusion, whether they are descended from one or several wild species. The argument mainly relied on by those who believe in the multiple origin of our domestic animals is, that we find in the most ancient times, on the monuments of Egypt, and in the lake- habitations of Switzerland, much diversity in the breeds; and that some of these ancient breeds closely resemble, or are even identical with, those still existing. But this only throws far backward the history of civilisation, and shows that animals were domesticated at a much earlier period than has hitherto been supposed. The lake-inhabitants of Switzerland cultivated several kinds of wheat and barley, the pea, the poppy for oil and flax; and they possessed several domesticated animals. They also carried on commerce with other nations. All this clearly shows, as Heer has remarked, that they had at this early age progressed considerably in civilisation; and this again implies a long continued previous period of less advanced civilisation, during which the domesticated animals, kept by different tribes in different districts, might have varied and given rise to distinct races. Since the discovery of flint tools in the superficial formations of many parts of the world, all geologists believe that barbarian man existed at an enormously remote period; and we know that at the present day there is hardly a tribe so barbarous as not to have domesticated at least the dog.
The origin of most of our domestic animals will probably forever remain vague.・・・
「古い家畜や栽培植物のほとんどについて、それらの祖先の野生種が、ひとつなのか複数なのか、明確な結論に至ることはできない。家畜の複数起源を信じる人たちがよりどころにしているのは、古代エジプトの記念碑やスイスの湖上住居遺跡では、品種の多様性が非常に高いことである。これらの古代品種のいくつかは、現存する品種ときわめて類似しているか、あるいは同一であることもある。しかし、これは、農耕文明の歴史がより古いことを意味するだけであり、これまで想定されていたよりはるかに早い時期に、野生動物が家畜化されたことを示しているにすぎない。スイスの湖上に住んでいた人々は、いくつかの種類のコムギ、オオムギ、エンドウ、ケシ(油)、亜麻を栽培していた。また、何種類かの家畜を飼育していた。彼らはまた、他の国々と物品を交換していた。ヘーア 氏が指摘したように、これらはすべて、農耕文明がかなり早い段階に進んでいたことを明確に示している。そして、これは再び次のことを意味する。初歩的な農耕文明には、その前の長い期間が存在し、その長い期間に、異なる地域の異なる部族によって飼われた家畜は変化し、異なる品種を生み出した可能性がある。世界中の多くの地域からフリントツール(石器)が発見されて以来、すべての地質学者は、原始の人々は非常に広範囲に離れて存在していたと信じている。また、現在、犬を家畜化していない野蛮な部族はほとんどいないことを知っている。
ほとんどの家畜の起源は、おそらく永遠にあやふやなままであろう。・・・」

ダーウィンは、栽培植物の起源がきわめて古いことを指摘したが、栽培化がどのような経過でおこなわれたのかについては何も言っていない。

多くの人類学者は、植物の栽培化(domestication)の前には、“predomestication cultivation”(前栽培化栽培)と呼ばれる長い期間が存在したと考えている。この言葉を見れば、栽培植物が成立する前には、野生のコムギやオオムギを「栽培」(cultivation)した期間が長く存在し、野生のムギを栽培する過程で、栽培型のムギが登場したと考えていると思われる。

栽培植物が現れる前は、野生の植物を栽培していただろうと考えるのは、当然のようにも見える。しかし、「採集」や「捕食」という行為は、あらゆる動物がおこなうのに対して、「栽培」や「牧畜」は、人間やアリなどごく一部の生物しかおこなわない。動物と人間のあいだには大きな差異があるように、「採集」と「栽培」のあいだには、大きな「情報」の差異がある。

アリは、キノコを「栽培」したり、アブラムシを「牧畜」したりする。栽培種の成立より前に、「栽培」という行為が存在したとすると、ハキリアリが「野生のキノコ」を「栽培」する過程で、「栽培型」のキノコが出現したことになる。「栽培」という高度に目的的な行動が、はじめからアリに存在していたという仮定には、無理がある。アリとキノコは、長い時間のあいだに、「延長された表現型」の関係に変異していったにすぎない。

人間は栽培植物が無ければ生存できないし、栽培植物は人間がいなければ存続できない。植物の栽培化とは、人間と植物が高度な「延長された表現型」の関係になることだ。栽培植物は、中尾佐助が指摘したように、「半栽培」(管理採集)という生業スタイルから生じたにちがいない。(*2)

「こうして生態系撹乱をして、新しい環境に適応したものの中から、有用なものを保護したり、残したりするようになると、これはもうはっきりとした半栽培段階と言ってよいだろう。パラゴムやウスリーナシにその例は見られる。この段階に入ると、植物の品種改良が進行し、また意識的に人為伝播がおこってくるとしてよい。」(農耕の起源と栽培植物)

なお、栽培化を「延長された表現型」として見ると、「野生型」、「栽培型」という区分には、あまり意味がない。自然界には野生のアブラムシは存在せず、すべてのアブラムシは「家畜アブラムシ」ということになってしまう。

ダーウィンは、次のように書いている。

At the present time, eminent breeders try by methodical selection, with a distinct object in view, to make a new strain or sub-breed, superior to anything of the kind in the country. But, for our purpose, a form of selection, which may be called unconscious, and which results from every one trying to possess and breed from the best individual animals, is more important. Thus, a man who intends keeping pointers naturally tries to get as good dogs as he can, and afterwards breeds from his own best dogs, but he has no wish or expectation of permanently altering the breed. Nevertheless we may infer that this process, continued during centuries, would improve and modify any breed, in the same way as Bakewell, Collins, &c., by this very same process, only carried on more methodically, did greatly modify, even during their lifetimes, the forms and qualities of their cattle.Slow and insensible changes of this kind could never be recognised unless actual measurements or careful drawings of the breeds in question have been made long ago, which may serve for comparison.(Chapter I)
「現在、著名な育種家たちは、国内にあるどの種類よりも優れた新たな系統または亜品種を作るために、はっきりした目的を視野に入れて、系統的な選択を試みている。しかし、我々の目的を果たす上では、『無意識』と呼べる選択の形態、すなわち、すべての人が、最高の個体の動物を所有して、それを繁殖させようとした結果のほうが、より重要である。ポインターを飼い続けることを望む人は、自然と、できるだけ良い犬を得ようとし、その後、彼が所有する最善の犬から繁殖する。しかし、彼は、その種をどんどん変異させることを、望みも期待もしていない。それにもかかわらず、何世紀ものあいだ続けられたプロセスは、あらゆる品種を改善し変異させるであろう。それは、ベルクウィルやコリンズなどの育種家が、彼らの生存期間中に、おなじプロセスをより体系的に実施することで、ウシの形態と品質を大きく変えたのと同じである。このような、ゆっくりで、感知できない変異は、変化を比較できるような品種のじっさいの測定や、注意深い描画がずっと前になされていない限り、決して認識することができない。」

植物や動物の栽培化(domestication)は、個体の変異と選択によっておこなわれるが、ダーウィンは、「最高の個体を所有して、それを繁殖させる」選択のことを、「無意識の選択」(a form of selection, which may be called unconscious)と呼んだ。

しかし、「無意識の選択」という言葉を、ダーウィンが使った意味で使うと、近代的な育種がおこなわれるより前に存在した膨大な栽培植物、家畜、品種は、すべて「無意識」に成立したことになってしまう。それは、あまりにも言葉と実体が乖離している。

「無意識」あるいは「意識」という用語は難解であり、言葉の定義も確立していない。そこで、ここでは「無意識=低度な目的的行動」、「意識的=高度な目的的行動」の意味で使う。また、「半栽培」という言葉もわかりにくいので、「管理採集」という言葉を使う。

これらのことから、初期の栽培植物は、平衡テリトリー遊動あるいは平衡テリトリー貯蔵段階における、「管理採集」の生業スタイルから生じたと考えるのが自然であり、以下のような経過をたどったと考えられる。

段階 生業 行為
平衡テリトリー遊動、平衡テリトリー貯蔵 管理採集、管理狩猟 無意識の選択(収穫する)
無意識の繁殖(こぼれる、捨てる)
意識的な選択(選択して収穫する)
意識的な繁殖(保護する、残す)
平衡テリトリー初期農耕 管理採集、管理狩猟、栽培 意識的な選択(選択する、伝える)
意識的な繁殖(種を播く、伝える)

レヴァントの火山岩地帯で農耕がはじまったと仮定して、栽培植物の成立と狩猟採集段階から農耕段階への転換について考えてみる。

そもそも、どのように、平衡テリトリー遊動から平衡テリトリー貯蔵への転換がおきたのだろうか。

人間は超協力タカ派戦略なので、テリトリーを形成して、各々のテリトリーで集団で生活している。広いテリトリー内の利用資源を効率的に利用するには、短期のキャンプを設けてテリトリー内を遊動するのが合理的だ。アボリジニやサン族の暮らし方だ。遊動の生業スタイルでは、端境期の利用資源量に人口が左右される。

いくつものテリトリーが平衡した状態で、食料を貯蔵して端境期の飢餓を生き延びる集団が現れると、その集団の人口が増加して、食料の獲得に余裕ができる。このような集団は戦闘力が大きくなるので、貯蔵集団は周囲のライバル集団を圧倒して、遊動集団は周辺に追いやられてしまう。人類学者が昔の遺物を発掘して調べると、まるで「貯蔵の文化」が中心から周縁に伝播したかのように見える。

大量の食物を貯蔵するには、多くの貯蔵穴や貯蔵庫が必要なので、その場に定住することになる。定住する場所は、川、泉、湖のほとりなど、つねに水が得られる場所でなければならない。また、小屋を建設したり、薪を入手したりするために、樹木が豊富にある場所が選ばれる。ステップを遊動するサン族は、樹が生えているところにキャンプを設けて小屋を建てる。

水と樹木が豊富に存在する場所に集落をつくり、集落で日常的に生活していたのは、女性、老人、子供であろう。男性は集団でテリトリー内を巡回して狩猟をおこなうと同時に、ライバル部族の侵入を防いでいた。

狩猟採集と農耕をおこなっていたアイヌの暮らしは、次のように伝えられている。(*3)

「織田ステノさんは一九〇一年(明治三十四年)に染退川(静内川)上流の農家コタン(集落。現在の静内町農屋)に生まれた。育ての親の祖母は、アイヌの言葉以外でしゃべることを禁じ、ステノさんは伝統的なアイヌの風習、生活文化の中で成長した。男たちは狩猟や魚労に出かけて、鹿、うさぎなどの肉や、鮭、ますなどをとってくる。女たちは山菜や野草をとり、乾燥させて一年分の保存食をつくる。」
「コタン(集落)の周辺の山野に自生し、季節ごとの味覚を与えてくれる青もの(山菜や野草)を採取したり、わずかではあるが畑作による雑穀類、野菜類を収穫する。これらはおもに女たちの仕事である。きびしい冬が去るとマッネパといわれる女の季節、つまり夏が来て、山狩りに明け暮れていた男たちにかわって、女たちが山に入るのである。アイヌの人々にとっては、春は冬の終わりか夏のはじめであり、秋は夏の終わりか冬のはじめであり、冬と夏が交互にやってきて一年がすぎる。女たちは一年中の食料を考えねばならず、冬の保存食も蓄えておかなければならない。これに対し、男たちの仕事は夏は狩猟のほか漁労が加わり、一年を通しておもに動物の肉や魚の調達をする。」
「養父母は、この世の中で最も恐ろしいものは飢饉である、とよくいっていた。病気は予防できるし、戦争になっても避難できる。しかし飢饉は広い範囲で起こるので、逃げるところはどこにもない。終日空腹に苦悶し、意識がはっきりしたまま亡くなるまでからだ中痛めつけられる。飢饉の恐怖から逃れるために、養父母は寝る時間を惜しんでまで働いて食料を確保し、山野草の干し葉づくりや魚の焼干しづくりをはじめ、さまざまな保存食を常に備えていた。」(『聞き書 アイヌの食事』)

貯蔵の生業スタイルが広範囲に拡大すると、全体の人口が増加して、利用資源が不足するようになる。動物やナッツなどの利用資源が豊富で、多くの食料を得られるのであれば、収穫や加工に手間がかかるコムギやオオムギの頴果をわざわざ採集しないであろう。しかし、飢餓に直面すれば、手間がかかってもムギを採集せざるを得ず、ムギを積極的に利用した集団が生存に有利になる。こうして、穀物を大量に貯蔵する「文化」(情報)が拡大していく。

平衡テリトリー貯蔵段階の狩猟採集は、「管理狩猟」および「管理採集」である。猟期や採集期の制限、捕獲量や採集量の制限、捕獲採集対象の制限、捕獲採集対象の保護や保存について、厳格な規範(法)が存在していた。(ケバラン:平衡テリトリー段階の管理狩猟採集

考古学の調査では、ナトゥーフィアン期には、未熟なムギの穂を収穫していたらしい。登熟がすすむと穂がバラバラになって地面に落ちてしまうからだ。収穫した未熟な穂を乾燥させて、収穫後に登熟させたのであろう。

また、フリントの光沢の分析によって、PPN期のはじめには、未熟な穂が収穫されていたが、次第に登熟がすすんだ穂が多く収穫されるようになったと報告されている(*4)。

さらに、実験によって、初期の農耕民が、登熟しても脱粒しない穂を選んで収穫し、それを翌年に種として播いたならば、ムギの栽培化は、20~30年で達成されるとされている。

未熟な穂だけを収穫したのであれば、収穫による脱粒-非脱粒の形質選択がおこなわれないので、遺伝子プールのなかに栽培型の非脱粒遺伝子は増えていかない。一方、非脱粒の穂を選択して収穫したならば、栽培化は短期間で終了する。栽培化には1000年以上かかったとされているので、当時の収穫の方法は、未熟な穂の収穫でも、非脱粒の穂の選択的収穫でもなかったということだ。

平衡テリトリー貯蔵段階において、集落の人口が増えると、集落の周辺だけでは植物資源が不足するようになる。そこで、女性たちは集落からはなれた火山草原まででかけて、ムギを大量に収穫、貯蔵するようになるはずだ。新しい火山の土はリンが豊富なので、ムギの生産性が高い。毎年、火山草原でムギを収穫し、集落に運んで乾燥、貯蔵する。火山草原に集落をつくれば便利であるが、火山草原は水や薪を入手することが難しい。

火山草原でムギを収穫するときに、できるだけ大きな粒や大きな穂を選んで収穫するので、粒が大きく粒数が多い遺伝子が選択される。

集落の周辺では、薪の採集のために樹木が伐採されるので、樹木が少なくなる。新石器時代に磨製石斧が登場するのは、樹木の伐採や加工に使うためだ。このとき、ピスタチオやアーモンドなど有用な樹木は残しておいて保護する。同じピスタチオでも、とくに子実が大きく多収の樹を大切に保護する。

集落の周囲では、運搬や脱穀のときにこぼれたムギが発芽して群落ができる。ムギにとっては、樹木が少なくなった集落の周辺は、ニッチである。ライバル植物が少ないニッチでは個体数が増えるので、遺伝子の変異速度が大きくなって、変種が生じやすくなる。

女性たちは、集落の周辺に生えたムギの群落を保護する。収穫のときに未熟な穂を全部刈り取ってしまうと群落が絶えてしまうので、全部刈り取らずに、穂を残しておく。

変異の発生はランダムなので、さまざまな形質の群落が生じる。このとき、粒が大きな群落、粒数が多い群落、非脱粒の群落、脱穀しやすい群落など、食料として有用な形質のムギの集団を、とくに大切に保護して絶えないようにしたはずだ。

集落の周囲には、有用なムギの集団が多くなり、これらの個体同士が交配して、有用な形質をかねそなえた集団=栽培型が現れる。栽培型の遺伝子は保護されるので、遺伝子プールの中に増えていく。PPN期に、次第に登熟がすすんだ穂が収穫されるようになるのは、徐々に非脱粒の遺伝子が増えたからであろう。

次に、「採集」から「栽培」(農耕)への転換は、どのようにおきたのであろうか。ここでは、「栽培」(農耕)の要素を、「高度な繁殖の管理」とする。「高度な繁殖の管理」とは、具体的には、意識的に種を選んで播く行為だ。意識的に「種を選んで播く」行為は、1年後、あるいは将来の収穫を予想した上での行為なので、きわめて高度な目的的行動である。

自然に生えてきたムギを保護することと、特定の形質の種を選んで、適切な場所に種を播く行為のあいだには、大きな差異がある。サン族は、人類学者の問いに対して、『世界にモンゴンゴの実がこんなに沢山あるというのに、どうして植えねばならないのか』と答えている。

「種を選んで播く」という行為のはじまりは、婚姻ではないだろうか。高等生物は、近親交配をさけるばあいが多い。パン属やアウストラロピテクス属は、若いメスが生まれた群れを出て、他の群れに移る傾向があることが知られている。人間の部族社会でも、同じ部族に属する男女は結婚できないことが多く、女性は他の部族の男性と結婚して、男性の部族に移る習慣であったと思われる。

栽培型のムギを食べて育った女性が、結婚した男性の部族に移るときに、ムギの種を持っていったであろう。このような行動は、現代でもよく見られる。移った村で、持ってきたムギの種を播くときに、ただ地面にばら撒くと、鳥やネズミに全部食べられてしまう。そこで、棒で穴を掘って種を入れ、土をかぶせたであろう。せっかく持ってきた大切な種なのであるから、鳥やネズミに食べられないようにするはずだ。

こうして、「種を選んで播く」という、栽培(農耕)の文化がはじまり、そして周辺に広がっていったと考えられる。

文献
*1)Charles Darwin. (1859) The Origin of Species, The sixth edition, 1872.
*2)中尾佐助.(2004)中尾佐助著作集第Ⅰ巻農耕の起源と栽培植物. 北海道大学図書刊行会.
*3)萩中美枝, 藤村久和, 村木美幸, 畑井朝子, 古原敏弘. (1992) 聞き書 アイヌの食事. 農山漁村文化協会.
*4)Peter Bellwood. (2004) First Farmers: The Origins of Agricultural Societies. (邦訳:農耕起源の人類史)

自然農法とは何か: ゆらぎとエントロピー
電子園芸BOOK社 (2016-12-11)
売り上げランキング: 14,414
聞き書 アイヌの食事 (日本の食生活全集)
萩中 美枝 藤村 久和 村木 美幸 畑井 朝子 古原 敏弘
農山漁村文化協会
売り上げランキング: 51,502

投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中