火山と宮沢賢治

農耕がはじまったのは、火山ではないかと述べた。

子供がまだ小さいときに、夜、寝る前に、童話を読み聞かせていた。手もとに、ちくま文庫の宮沢賢治全集があったので、そのなかから、小さい子供でも理解できる話を選んで、読み聞かせた。

宮沢賢治が生前中に刊行された本は、詩集の『春と修羅』(1924年)と、童話集の『注文の多い料理店』(1924年)の2冊しかない。『注文の多い料理店』の初版は1千部だったが、ほとんどが売れ残ったために、その後の童話集の出版をやめてしまったといわれている。この童話集の2番目に、『狼森と笊森、盗森』という話が掲載されており、1921年11月の日付が書かれている。


宮沢賢治(1896 – 1933)

小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森(オイノもり)で、その次が笊森(ざるもり)、次は黒坂森、北のはづれは盗森(ぬすともり)です。
この森がいつごろどうしてできたのか、どうしてこんな奇体な名前がついたのか、それをいちばんはじめから、すつかり知つてゐるものは、おれ一人だと黒坂森のまんなかの(おほ)きな(いは)が、ある日、威張つてこのおはなしをわたくしに聞かせました。
ずうつと昔、岩手山が、何べんも噴火しました。その灰でそこらはすつかり(うづ)まりました。このまつ黒な巨きな巌も、やつぱり山からはね飛ばされて、今のところに落ちて来たのださうです。
噴火がやつとしづまると、野原や丘には、穂のある草や穂のない草が、南の方からだんだん生えて、たうとうそこらいつぱいになり、それから(かしは)や松も生え出し、しまひに、いまの四つの森ができました。けれども森にはまだ名前もなく、めいめい勝手に、おれはおれだと思つてゐるだけでした。するとある年の秋、水のやうにつめたいすきとほる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくつきり黒くうつゝてゐる日でした。
四人の、けらを着た百姓たちが、山刀(なた)三本鍬(さんぼんぐは)唐鍬(たうぐは)や、すべて山と野原の武器を堅くからだにしばりつけて、東の(かど)ばつた燧石(ひうちいし)の山を越えて、のつしのつしと、この森にかこまれた小さな野原にやつて来ました。よくみるとみんな大きな刀もさしてゐたのです。
先頭の百姓が、そこらの幻燈のやうなけしきを、みんなにあちこち指さして
「どうだ。いゝとこだらう。畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれてゐる。それに日あたりもいゝ。どうだ、俺はもう早くから、こゝと決めて置いたんだ。」と云ひますと、一人の百姓は、
「しかし地味(ちみ)はどうかな。」と言ひながら、(かが)んで一本のすゝきを引き抜いて、その根から土を(てのひら)にふるひ落して、しばらく指でこねたり、ちよつと()めてみたりしてから云ひました。
「うん。地味もひどくよくはないが、またひどく悪くもないな。」
「さあ、それではいよいよこゝときめるか。」
も一人が、なつかしさうにあたりを見まはしながら云ひました。
「よし、さう決めやう。」いままでだまつて立つてゐた、四人目の百姓が云ひました。
四人はそこでよろこんで、せなかの荷物をどしんとおろして、それから来た方へ向いて、高く叫びました。
「おゝい、おゝい。こゝだぞ。早く来お。早く来お。」
すると向ふのすゝきの中から、荷物をたくさんしよつて、顔をまつかにしておかみさんたちが三人出て来ました。見ると、五つ六つより下の子供が九人、わいわい云ひながら走つてついて来るのでした。
そこで四人(よつたり)の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を(そろ)へて叫びました
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建てゝもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました。
「すこし(きい)(もら)つてもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。
男たちはよろこんで手をたゝき、さつきから顔色を変へて、しんとして居た女やこどもらは、にわかにはしやぎだして、子供らはうれしまぎれに喧嘩(けんくわ)をしたり、女たちはその子をぽかぽか(なぐ)つたりしました。
その日、晩方までには、もう(かや)をかぶせた小さな丸太の小屋が出来てゐました。子供たちは、よろこんでそのまはりを飛んだりはねたりしました。次の日から、森はその人たちのきちがひのやうになつて、働らいてゐるのを見ました。男はみんな(くは)をピカリピカリさせて、野原の草を起しました。女たちは、まだ栗鼠(りす)野鼠(のねずみ)に持つて行かれない(くり)の実を集めたり、松を()つて(たきぎ)をつくつたりしました。そしてまもなく、いちめんの雪が来たのです。
その人たちのために、森は冬のあいだ、一生懸命、北からの風を防いでやりました。それでも、小さなこどもらは寒がつて、赤くはれた小さな手を、自分の咽喉(のど)にあてながら、「冷たい、冷たい。」と云つてよく泣きました。
春になつて、小屋が二つになりました。
そして蕎麦(そば)(ひえ)とが播かれたやうでした。そばには白い花が咲き、稗は黒い穂を出しました。その年の秋、穀物がとにかくみのり、新らしい畑がふえ、小屋が三つになつたとき、みんなはあまり嬉しくて大人までがはね歩きました。ところが、土の堅く凍つた朝でした。九人のこどもらのなかの、小さな四人がどうしたのか夜の間に見えなくなつてゐたのです。・・・


狼森、笊森、黒坂森、盗森

この話をはじめて読んだのは、若いころであるから、内容はほとんど忘れてしまっていた。17~18年前に、子供のために読んだときは、とても驚いた。

火山が噴火したあとに、「穂のある草」の草原ができて、その後に柏(ブナ科)や松の森ができる。やがて3~4家族の集団がやってきて、「畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれてゐる」場所に小屋を建てると書いてある。

森ではクリやドングリが管理採集され、松は伐られて薪になる。畑では、ソバ(タデ科)とヒエ(イネ科)が栽培される。ススキの根の土をなめて、「地味」を診断するというのも興味深い。塩基やリンが多い土と少ない土では、味が違うのはそのとおりであろう。「苦土」という言葉があるくらいだ。

わたしが、栽培植物、地質、土壌、リン、イネ科植物、マツ、菌根菌など、山のような文献を調べたことが、100年前の童話に書かれていた。もっとも、これは、同じことを考えていたということではなくて、100年前の日本列島の山村では、このような暮らしがごく普通に営まれていたということだろう。

さらに、話のなかに、「狼が九疋」、「まっくろな手の長い大きな男」、「まっくろな(おほ)きな(いは)」などが登場しており、古代の農耕神話の影響がみられて、とても興味深い。(栽培植物の起源神話)

文献
宮沢賢治. (1921) 狼森と笊森、盗森. 宮沢賢治全集8 ちくま文庫 筑摩書房1986.

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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