火山草原、焼畑、ポドゾル Volcanic meadow, Slash-and-burn, Podsol

火山の周辺にできたススキの草原は、時間がたつとマツの林に遷移するといわれている。しかし、日本の黒ボク土は、1万年以上もススキやササの草原がつづいたことで生成したと考えられている。どうして、黒ボク土地帯では、ススキの草原がマツの林に遷移しなかったのであろうか。

阿蘇の調査では、火山の土の植生は、ササ草原(3.2~3万年前) → 気候や火山活動で衰退したササ草原(3~1.3万年前) → ススキ草原(1.3 万年前~現在)へと遷移しており、森林は存在しなかったという。報告では、火山の草原が維持された理由として、人間による火入れ(野焼き)の結果ではないかと推定している。(*1)


(宮縁, 杉山. 2006)


日本土壌図(菅野ら, 2009)

現在の阿蘇の草原が、人間の野焼きによって維持されていることは確かであろう。しかし、それだけでは、3万年以上も前からササやススキの草原がつづいてきたことを説明できない。

ダーウィンは『種の起源』で次のように書いている。

Here there are extensive heaths, with a few clumps of old Scotch firs on the distant hill-tops: within the last ten years large spaces have been enclosed, and self-sown firs are now springing up in multitudes, so close together that all cannot live. When I ascertained that these young trees had not been sown or planted I was so much surprised at their numbers that I went to several points of view, whence I could examine hundreds of acres of the unenclosed heath, and literally I could not see a single Scotch fir, except the old planted clumps. But on looking closely between the stems of the heath, I found a multitude of seedlings and little trees, which had been perpetually browsed down by the cattle. In one square yard, at a point some hundred yards distant from one of the old clumps, I counted thirty-two little trees; and one of them, with twenty-six rings of growth, had, during many years tried to raise its head above the stems of the heath, and had failed. No wonder that, as soon as the land was enclosed, it became thickly clothed with vigorously growing young firs. Yet the heath was so extremely barren and so extensive that no one would ever have imagined that cattle would have so closely and effectually searched it for food. (*3)
「ここには、広いヒースがある。遠くの丘の上には、スコッチパイン(ヨーロッパアカマツ)の群生もいくつかある。スコッチパインの群生は、10年ほど前から柵で囲まれており、自然繁殖して、すべての個体が生き残れないないほど、密に生えている。わたしは、いくつかの場所を見て、これらの若木は、人が播種したり植え付けたりしたものでないことを確認した。そして、その数の多さに驚いた。柵で囲まれていない何百エーカーもあるヒースを調べたときは、植え付けられた古い木立を除いて、一本もスコッチパインを見なかった。しかし、ヒースの草のあいだを詳細に観察すると、長期間にわたってウシに新芽を食べられた苗木や若木をたくさん見つけた。スコッチパインの古い木立から数百ヤード離れた場所の1ヤード四方には、32本の小さな樹があった。そのうちの1本には、26本の年輪があり、長年にわたって茎を上に伸ばそうとしたが、失敗していた。土地が柵で囲まれるやいなや、急成長する若いスコッチパインに覆われるのは、不思議ではない。しかし、このヒースは不毛で何もなく広大である。ウシが丹念にかつ効果的に、食べ物を探しためだとは、誰も想像しなかったであろう。」

大昔の日本列島で火山の草原が長期につづいたのは、ダーウィンが指摘したように、大型の草食動物によって、マツなどの樹木の侵入が妨げられたためではないだろうか。

かつての日本列島には、シカ、イノシシだけでなく、ナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ、マンモス、ヘラジカ、バイソンなどの大型の草食動物が生息していた。ナウマンゾウは、40万年~1.5万年前、ヤベオオツノジカは、30万年~1.2万年前に日本列島に生息していたとされている。


ナウマンゾウ


ヤベオオツノジカ(Author:Momotarou2012)

シベリアで発見されたマンモスの腸内の調査から、マンモスの食べ物は、イネ科植物とスゲ類(イネ目カヤツリグサ科)がもっとも多かったと報告されている。また、少量のカバノキとカラマツの新芽、種々の草やコケなども含まれていた。マンモスは、イネ科、カヤツリグサ科の植物が優占する草原で、カラマツやカバノキなどの疎林が存在するような環境に生息していたと考えられている。(*4)


ルフィニャック洞窟(フランス)の13,000年前の壁画には、158匹ものマンモスが描かれている

いっぽう、アフリカゾウが生息するサバナの植生は、疎林と低木が混じった長草草原である。アフリカのサバナにはアカシアの倒木が多くみられるが、これらは、アフリカゾウがその樹皮を食べるために倒したものだ。ゾウは多くの食物を必要とするので、草だけでなく樹木を倒して樹皮を食べてしまう。ゾウが多く生息する地方では、サバナから樹木が無くなって、低木しか生えない草原になってしまうといわれている。


ボツワナのアフリカゾウ(Author:Charles J Sharp)

現在の阿蘇の火山草原には、ウシ(褐毛和種)が放牧されている。ウシは草原の草を食べるが、アルカロイドの強い毒があるマメ科のクララは食べない。いっぽう、蝶のオオルリシジミの成虫はクララ、ヒメジョオン、シロツメクサなどの花の蜜を吸い、幼虫はクララの花芽だけを食べる。オオルリシジミは、火山草原で見られる大型の蝶で、絶滅危惧種である。オオルリシジミが植物の毒を吸うのは、鳥から身を守るためであり、美しく目立つ姿で、有毒であることを鳥に学習させているのであろう。オオルリシジミの幼虫の尻には蜜腺があって、アリ類と共生関係にある。6月中旬に、幼虫はアリの巣に運ばれて、地中のアリの巣の中で蛹になって越冬する。ウシの放牧と野焼きによって、クララとオオルリシジミの生息が維持されているという。(*5, *6)

火山草原で生息する草食動物、クララ、オオルリシジミ、アリなどの生物が、「延長された表現型」として進化してきたという事実は、日本列島に何百万年も火山草原が存在しつづけてきたことを示している。


クララ(マメ科)

黒ボク土は、ススキやマツしか生えないやせた土壌といわれてきたことはすでに述べた。しかし、ほんとうは、むかしの農民たちは、ススキやマツが難溶性リン酸を吸収する仕組みをたくみに利用して、火山灰土のリンを獲得していた。そのひとつが、火山灰土での焼畑農業だ。日本の焼畑農業は、ほとんど記録されておらず、忘れられてしまったが、むかしの農家の生活の記録から、その一端がうかがえる。

「焼畑はあらき(荒起)とも呼び、火入れは春で、そこに夏作物を播く。土地不足を焼畑小作で補い、ゆいによって耕作するのである。まず、炭焼き後の雑木林を借りてあらき起こしをし、一年目は大豆、二年目はあわ、三年目はふたたび大豆をつくる。大豆とあわをほぼ三回(六年)ほど輪作し、ついでそばを二、三年連作する。焼畑の地力、肥料分をとことん使いきる「止め作」のそばは、少肥、やせ地に適応し、雑草に負けにくい。このあとは、作付けをやめる。三年ほどかやを刈るうちに、あらかじめ残しておいた母樹から落ちた赤松の種子が芽を出してくる。赤松は四〇~四五年で伐採するが、すでにならなどの雑木の下生えが見られる。雑木林に代わって二〇~二五年、ふたたび焼畑時代を迎え、気の遠くなるような八〇年サイクルが形成される。」(岩手県九戸郡軽米町、聞き書 岩手の食事) (*7, *8)

「菅原さんは以前、焼畑によってアワをつくっていた。そのやり方は次のようである。
地の選定:焼畑にはマツ山や雑木山(ナラ、クリ)の伐採跡が選ばれる。菅原さんはマツ山の伐採跡をよく借りた。戦前は借地料として、小作7:地主3の割合で現物を刈り分けしたが、戦後、借り手がなくなってからは無償で借りられるようになった。現在は焼畑をやる人はいない。適地としては、東向きか南向きの山の中腹で、緩傾斜のくぼ地がよく選ばれた。北面や西面は、地味は肥えているが作物が徒長し、日当たりが悪いので病害虫の発生が多いとして嫌われた。また山頂は、平坦地は多いが、瘠せているのであまり利用されなかった。雑木山の跡地は肥沃だが荒起こしに手間がかかり、したがってマツ山跡がよく利用された。
荒起場(あらきば)焼き:伐採した跡地は、冬から春にかけて薪をとれるだけとり、八十八夜(5月初旬)がすぎたころ、天気がつづいた日を選び、警察の許可を得て“ゆいっこ”で多勢の人を集めて荒起場に火を入れる。夕方ちかくになって山頂から火をつけ、下方に向かって焼きはらう。火入れ時刻を夕方ちかくにするのは、焼き終わったあとの残り火がわかりやすいからだ。また上から火を入れるのは、火勢が弱まり満遍なく焼けるので、焼け残しが少なくなるとともに、山火事を防止するためである。終わると手伝ってもらった人たちに夕飯を出して一杯やるが、その夜は荒起場に数人野宿して火を警戒する。
あらきふみ:翌日からゆいっこで“あらきふみ”を行なう。男女が1組になって仕事をするもので、男は“あらきすき”で焼跡を踏み起こす。女は後から“もった”(唐鋤)で、木の根を切って畦に仕上げる。さらにその後から女1人が鎌でダイズの種子を播いていく。これら3人が1組である。あらきすきは一般の鋤より歯が厚く丈夫にできていて、柄の角度は40゜くらいである。焼畑用の鋤は菅原さんの部落のものが産地で評判がよく、わざわざ遠くから買いにきた。あらきすきは丈夫だが大きく重いので、あらきおこしには非常に多くの労力を要した。10aを起こすのに3組で1日はかかった。
播きつけ:90cm幅の畦が傾斜にそってでき上がると、すぐその後から畦の両肩に、鎌でダイズの種子を播く。1年目はダイズで、2年目がアワである。アワ播きは、前年のマメの畦と畦との間に両肩を鍬でけずって播き溝をつくる。これを“おもがえし”という。そこにアワの種子を木灰に混ぜてばら播きにし、足で土をかける。
除草、間引き:除草は主に木の根から芽生えたものを取り除き、間引きと兼ねて2~3回はやる。草の発生が少ないので普通播きより1回は少ない。
収穫:10月ごろ刈り取り、島立てにして乾燥し、その後“また木”で打ち落として収納する。
輪作:1年目にダイズ、2年目にアワ。この繰返しを4年間やり、5年目からは地力が許すかぎりソバを連作する。地力の低下にともなって、やがてカヤが自生し始める。その後はカヤの刈取り収穫が数年つづけられる。カヤは主に屋根替えや炭すご(炭だわら)に使用された。そのうちにマツの自生がみられるようになり、ついにマツ山に変わる。マツ林は30~40年目に伐期に達し、伐採後は再び跡地が焼畑に利用される。地域によってはマツ伐採跡をそのまま放置して、自生してきたナラやクリを雑木林に育てて20年後に伐採し、その跡地を焼畑に利用するところもある。前のばあいは約50年で、後のばあいは約70年で一輪換する。」(岩手県九戸郡軽米町大字上舘、焼畑農法の心を受けついで五十年余 1975年、農家が教える混植・混作・輪作の知恵)(*9)


踏み鋤(アラキスキ)を用いるアイヌの女性

かつての日本列島には、マツの林が多く、マツは薪や木炭などの燃料として重要であった。さらに、松炭は製鉄や鍛冶に利用された。江戸時代には、カマドや囲炉裏に残った灰を箱に入れて貯めておき、これを買い取る「灰買い」という専門の業者がいた。集められた灰は、肥料として売買されていた。


江戸時代の灰買い(守貞謾稿より)

化学肥料が普及する前の日本では、人糞、馬糞、牛糞、山野草、落葉、灰、魚肥などが肥料として利用されていた。

アメリカの土壌学者のF.H.キング(1848-1911)は、1909年に中国、日本、韓国を調査に訪れて、“Farmers of Forty Centuries, or Permanent Agriculture in China, Korea, and Japan”(中国・朝鮮・日本における四千年の永続農業)を著した。キングは、日本の農業統計と現地調査によって、当時の日本の施肥量を計算している。

If we state in round numbers the total nitrogen, phosphorus and potassium thus far enumerated which Japanese farmers apply or return annually to their twenty or twenty−one thousand square miles of cultivated fields, the case stands 385,214 tons of nitrogen, 91,656 tons of phosphorus and 255,778 tons of potassium. These values are only approximations and do not include the large volume and variety of fertilizers prepared from fish, which have long been used. Neither do they include the very large amount of nitrogen derived directly from the atmosphere through their long, extensive and persistent cultivation of soy beans and other legumes. Indeed, from 1903 to 1906 the average area of paddy field upon which was grown a second crop of green manure in the form of some legume was 6.8 per cent of the total area of such fields aggregating 11,000 square miles. In 1906 over 18 per cent of the upland fields also produced some leguminous crop, these fields aggregating between 9,000 and 10,000 square miles.・・・The amounts which have been given are sufficient to provide annually, for each acre of the 21,321 square miles of cultivated land, an application of not less than 56 pounds of nitrogen, 13 pounds of phosphorus and 37 pounds of potassium. (*10)
「日本の農家が、毎年20,000~21,000平方マイルの耕作地に施用したり還元したりしている窒素、リン、カリウムの合計を概数で表記すると、窒素385,214トン、リン91,656トン、カリウム255,778トンになる。これらの値は概算にすぎず、古くから使用されてきた大量かつ多様な魚肥は含まれていない。また、大豆などのマメ科植物の長期で大規模な栽培によって、大気中から得られる大量の窒素も含まれていない。じっさいに、1903~1906年に、二毛作の緑肥をマメ科植物で栽培した水田の平均面積は、11,000平方マイルの圃場総面積の6.8%であった。1906年には、圃場の18%以上でマメ科作物を生産しており、これらの圃場の総計は9,000~10,000平方マイルであった。・・・与えられた量は、21,321平方マイルの農地に、1エーカー当たり毎年56ポンド以上の窒素、13ポンド以上のリン、37ポンド以上のカリウムを施用するのに十分な量である。」


ポドゾル(Author:Amdb73)

ポドゾル(スポドソル)は、北米や北欧の針葉樹林帯に広がる強い酸性土壌で、上層はAlやFeが溶解してケイ酸だけが残って白くなり、下層はAlとFeが析出して赤褐色の粘土質になる。ふつう、ポドゾルの土の酸性化は、蓄積した腐植のフルボ酸が原因と説明されている。しかし、腐植のフルボ酸がポドゾル化の原因であるならば、腐植の多い黒ボク土もポドゾル化しなければ理屈にあわない。

ポドゾル化は、マツ類と共生する菌根菌(担子菌)が、難溶性リン酸を溶解吸収するためにシュウ酸などを大量に放出することが、おもな原因ではないだろうか。それは、ポドゾルの分布が、マツ属、カラマツ属、トウヒ属、モミ属など、マツ科の樹木の分布と重なっていることからもうかがえる。


世界土壌図(菅野ら, 2009)


ヨーロッパアカマツ


ヨーロッパアカマツの分布


フィンランドのトウヒ(Author:Nasu288)


オウシュウトウヒの自然分布


アメリカカラマツ


アメリカカラマツの自然分布

文献
*1)宮縁育夫, 杉山真二. (2006) 阿蘇火山の活動と草原の歴史. 九州の森と林業76.
*2)菅野均志, 平井英明, 高橋正, 南條正巳. (2008) 1/100万日本土壌図(1990)の読替えによる日本の統一的土壌分類体系−第二次案(2002)−の土壌大群名を図示単位とした日本土壌図. ペドロジスト52, 129-133.
*3)Charles Darwin, The Origin of Species, The sixth edition, 1872.
*4)Pavel A.Kosintsev, Elena G.Lapteva, Olga M.Korona, Oksana G.Zanina. (2012) Living environments and diet of the Mongochen mammoth, Gydan Peninsula, Russia. Quaternary International 276-277: 253–268.
*5)村田浩平, 野原啓吾, 阿部正喜. (1998) 野焼きがオオルリシジミの発生に及ぼす影響. 昆蟲 ニューシリーズ1(1),21-33.
*6)村田 浩平, 野原啓吾. (2005) オオルリシジミをとりまく昆虫およびクモの種構成と草原環境. 昆蟲 ニューシリーズ8(3),79-90.
*7)農文協編. (2009) 日本列島の焼畑. 農山漁村文化協会, 農家が教える混植・ 混作・輪作の知恵.
*8)古沢典夫ほか (1984) 聞き書 岩手の食事. 農山漁村文化協会.
*9) 佐々木 虣. (1975) 焼畑農法の心を受けついで五十年余 岩手県九戸郡軽米町 菅原徳右ヱ門さん. 農山漁村文化協会 農家が教える混植・混作・輪作の知恵.
*10)King, Franklin Hiram (1911). Farmers of Forty Centuries, or Permanent Agriculture in China, Korea and Japan.
*11)喜田川守貞. 1837年―. 守貞謾稿.
*12)菅野均志, 平井英明, 高橋正, 南條正巳. (2009) 土壌教育教材としての日本および世界土壌図の試作. 日土肥講要55, p201.

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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