縄文土器と漁撈部族 Jomon pottery and fishing tribe

人類が、粘土を焼成した造形物を製作するようになったのは、かなり古い時代であるようだ。これまでに発見されたもっとも古い焼きものは、チェコ南部のドルニ・ヴェストニッツェ遺跡から出土したヴィーナス像である。遺跡は上部旧石器時代の集落跡で、マンモスなどの動物の骨、埋葬された人、塑像、装飾品なども残されていた。高さ43cmの像は、500~800℃で焼成されたもので、製作された年代は、3.1~2.7万年前とされる。ほかにも、マンモス、ライオン、ウマ、クマ、キツネ、フクロウなどの形の焼きものが多数見つかっている。(*1)


Venus of Dolní Věstonice(Author:Petr Novák, Wikipedia)

世界で古い土器が多く見つかるのは、東アジアである。長江中流域の仙人洞遺跡(Xianrendong Cave)からは、最古級の土器片が出土している。土器が出土した地層の動物骨のC14年代測定では、2.0~1.9万前と報告されている(*2)。中国では、広西壮族自治区廟岩遺跡、湖南省玉蟾岩遺跡、江西省吊桶環遺跡などからも、古い土器が見つかっている。

日本列島も、世界でもっとも古い土器が多く見つかる場所だ。日本列島の最古の土器は、青森県蟹田町の大平山元I遺跡から出土している。遺跡からは、掻器、彫器、石刃、石斧、石鏃など多数の石器と、78点の土器片が見つかった。土器片には、煮炊きに使用されたことを示すコゲやススの炭化物が付着しており、炭化物のC14年代は、1.6万年前とされている。


縄文草創期の土器、大平山元I遺跡

ほかにも、帯広市大正3遺跡、富良野市東麓郷2遺跡、茨城県後野遺跡、神奈川県寺尾遺跡、新潟県壬遺跡、長崎県福井洞穴、長崎県泉福寺洞穴、鹿児島県帖地遺跡などから、1万年よりも古い土器が発見されている。


縄文草創期、神奈川県花見山遺跡出土

また、アムール川流域ではガーシャ遺跡、ゴンチャールカ1遺跡、フーミー遺跡、ノヴォペトロフカ遺跡、グロマトゥーハ遺跡、沿海州ではチェルニゴフカ1遺跡、ウスチノフカ3遺跡、シベリア東部では、ウスチ・カレンガ遺跡、ウスチ・キャフタ遺跡などで、1.2万~1万年前の古い土器群が発見されている。(*4)


(谷口, 2005)

一方、もっとも早くから農耕社会に移行した西アジアでは、コムギの栽培や家畜の飼育が始まっても、すぐには土器は出現していない。土器がつくられるようになるのは、9,000年前からであり、コムギやオオムギの栽培が始まってから、2,000年ほどあとである。

新石器革命論をとなえたチャイルドは、新石器革命の特徴のひとつとして、土器の存在をあげている(2017.12.16ブログ)。しかし、西アジアでは、農耕や家畜飼育よりもかなり遅れて土器が出現しており、狩猟採集段階の日本列島やアムール川流域では古くから土器が使われた。これらのことは、農耕文化の形成に必須の要素として土器がつくられたわけではないことを示している。

サン族やアボリジニは、時代が下っても土器をもたなかった。遊動する狩猟採集民は、手で持ち運べる分の財しかもたないので、土器のような重くて壊れやすい道具は邪魔になる。つまり、土器の製作と密接に関係があるのは、「農耕」ではなくて、「貯蔵」という生業スタイルだ。古代の遺跡から出土する土器片は、その集団が貯蔵という生業スタイルを採用していたことを示してしる。

日本列島の縄文時代早期以降には、定住集落や土器が出現するので、貯蔵社会であったと考えられる。縄文時代の貯蔵食料としてよく知られているのはドングリであり、縄文遺跡からは、ドングリや貯蔵穴がたくさん見つかっている。

ドングリには、タンニンやサポニンなどの渋が多く含まれており、渋抜きしないと食べられない。縄文土器は、ドングリの渋抜きのためにつくられるようになったという説があるが、確証はない。古代にはどのような方法で、ドングリを加工していたのかと思って、『雑穀・そば』(2010年)という本をつくったときに、日本列島に残っている伝統的な渋抜きの方法を調べたことがある。

「しだみは「下味」から由来するとされるが、どんぐりのことで、一般にはなら(楢)類の実で、かしわ(柏)の実も含んでいる。しだみは、大量に採取でき、凶作年でも実ること、量感があって腹もちがよいこと、栄養があること、食味がさほど悪くないこと、貯蔵性にきわめて富み、備蓄できること、加工の技術と手数がさほどでないことなどから、岩手を代表する救荒食であった。備蓄の場合は、殻のまま三十分以上煮て、天日で四、五日乾かし、いろりの上の火棚や天井裏に干して、十年以上も蓄えておく。すぐ食べる場合は、煮るか、または四、五日以上水に漬けて虫を殺し、殻が割れるまで天日乾燥をし、水車、踏みから臼、つちなどで実と殻とを分け、箕で殻をとり去る。つぎに、あく抜きをするが、昔は木灰か青笹の葉を使い、三回以上水をとり替えながら中火で煮た。これをさらに、三、四回水を替えて一昼夜水に浸し、水気を切って天日に干す。その後、生乾きのままで臼で搗き、完全に粉とする。これをふきんで包み、固くしぼる。本来が土をかむような味であるが、きな粉を別に皿に盛り、これをまぶして食べるのが古来のものであろう。また大正年代には、しだみ粉を味噌汁で練って食べたり、麦がゆに混ぜたり、ひえ飯にふりかけたりして食べたとのことである。古老のなかには、そのような体験をもっている人もいる。外観は土色で、食べすぎると便秘をするとか、下痢止めの薬だったともいわれている。とち(栃)の実は、しだみよりも苦みや渋みが強く、いっそうまずいものとされる。やはり水漬にして干すと、十年以上も虫がつかず、変質しないといわれている。しだみと同じように、水漬にしてから干して皮をとり、臼などで打ち砕いて袋でこし、木灰の上澄み液で煮てあく抜きをし、水を替えながら漂白する。粗い粒を袋に入れ、流水中に木枠を組んでこの中に沈めておくあく抜き法が有効だったらしく、この木枠を「とちたな」といっている。」(『聞き書 岩手の食事』)(*6)

「とちの木はふつう、日陰に生えている。一本の木から一石以上の実がひろえるので、食糧源として大切にされている。大正時代ごろまでは「寄り合い栃」といって、とちの実だけは村の共有とされ、三、四本の木からみなでいっせいにひろったものを平等に分配していたほどである。実が落ちはじめて、一五日間くらいのうちにこまめにひろっておかないと、ねずみに食べられて皮だけにされてしまう。(中略)山からひろってきたとちの実は、すぐ水桶に四、五日間つけて虫を殺してから、よく乾燥させ、袋などに入れてあま(天井の網代)の上にのせて保存しておく。食べるのは冬になってからで、まず五升なべに湯をわかして桶に移し、この中に乾燥させておいたとちの実を入れ、八時間ほどそのままにしておく。夜、ゆるり端の夜なべ仕事に、おじいもおばあも若い衆もそろって、この固い皮を口でむく。大変苦いので、干し柿をつくるさいに出た皮を干して保存しておいたものを食べ、その甘さにまぎらかしては皮むきを続ける。むいた実はゆすぎかごに入れ、翌日から一週間ほど沢の淵につけて流水でさらし、持ち帰ってから今度は桶に入れる。とちの実一升に対し木灰を二升の割合で入れ、煮たったお湯をたっぷりかけて実が完全に浸るようにする。この作業のことを「とちの実を灰がえた」という。つける日数は五~七日で、この間に水の色は鮮やかな黄色に変わっている。灰がえるときに灰の量が足りない場合には、ここでいったんきれいに洗ってから、再び桶に入れ、今度はあく汁に七日間ほどつける。なお、この地方では、一般にいうあく抜きのあくのことを「苦味」といい、その苦味を抜くための灰汁のことを「あく」という。このようにして苦味を抜いたとちの実は、あくの効いている状態なら赤みを帯びている。これでようやく食べられるようになるのである。」(『聞き書 静岡の食事』)(*7)


トチノキ(Author:M.S. del., J.N.Fitch lith.1917)

昔のやり方を読むと、ドングリやトチの渋抜きには、土器が必要ではないことがわかる。舟に水を入れて、焼き石を入れれば、大量の湯をわかすことができるからだ。

わたしが縄文人なら、ドングリの渋を抜くために、少しの量しか処理できず、壊れやすい土器は使わない。舟に水を入れて焼き石を入れてわかすほうが、はるかに効率がよい。

縄文人が土器をつくったのは、重要な貯蔵食料であった魚の油脂を採取するためと思われる。北アメリカ北西部海岸の先住民が、ooligan greaseをつくるときのように、一度に大量の油脂を製造するのなら、舟と焼き石を利用したほうが効率がよい。しかし、少量の魚や、サケのハラスから油脂を抽出するのであれば、舟と焼き石では効率が悪い。土器に湯をわかして、サケのハラスを入れて、棒でかき混ぜながら煮れば、短時間で油脂を分離できる。油脂の採取がおもな用途であれば、湯がわく程度の温度でよいので、低温で焼成した素焼きの土器でも割れにくいはずだ。


カムチャツカの漁撈部族(Описание земли Камчатки. 1755)

最近の研究では、1.5~1.1万年の縄文土器は、サケなどの魚の煮炊きに使用していたと報告されている。北海道帯広市の大正3遺跡と福井県鳥浜貝塚の土器片の多くから、魚の脂質に由来する脂肪酸が検出されている。残っていた脂肪酸には、海水系と淡水系の成分があるため、川を遡上してきたサケを捕獲して煮ていた可能性があるという。(*8)

文献
*1)春成秀爾 (2012) 旧石器時代の女性像と線刻棒. 国立歴史民俗博物館研究報告第172集
*2)Xiaohong Wu, et al. (2012) Early Pottery at 20,000 Years Ago in Xianrendong Cave, China. Science Vol. 336, Issue 6089, pp. 1696-1700
*3)王小慶 (2010) 東アジアにおける土器の起源について. Tohoku Univ. Museum, No. 9, pp. 41–47
*4)谷口康浩 (2005) 極東における土器出現の年代と初期の用途.名古屋大学加速器質量分析計業績報告書16, 34-53
*5)農文協編 (2010) 農家が教える 雑穀・ソバ 育て方・食べ方. 農山漁村文化協会
*6)古沢典夫ほか (1984) 聞き書 岩手の食事. 農山漁村文化協会
*7)日本の食生活全集静岡編集委員会 (1986) 聞き書 静岡の食事. 農山漁村文化協会
*8)O. E. Craig, et al. (2013) Earliest evidence for the use of pottery. Nature volume 496, pages 351–354

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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