ケバラン:平衡テリトリー段階の管理狩猟採集/Kebaran: Managed hunter-gatherer in the equilibrium territory

旧石器時代と新石器時代の間の時代については、どのように呼ぶのかが、確定していない。イギリスやロシアの学者は、この時代を“Mesolithic”(中石器時代)と呼ぶが、それ以外の国では、“Epipalaeolithic”(終末期旧石器時代)と呼んでいる。

この時期は農耕が始まる直前であり、チャイルドやクラークのみならず、つねに議論の対象になってきた。どのような社会であったのかはっきりしていないが、終末期旧石器時代に建設が始まるギョベクリ・テペ遺跡(Göbekli Tepe)の存在は、すでに高度に組織化された「社会」や長期的な「規範」や「契約」が存在していたことを示している。また、ヒツジやウシの家畜化が始まる前から、キプロス島に、ムフロン、ベゾアール、オーロックス、イノシシ、ダマジカ、アカシカ、キツネなどが運びこまれていたことは、単に野生動物を捕獲するだけでなく、動物を管理していたことはあきらかである。

レヴァントの終末期旧石器時代は、Kebaran(ケバラン)、Geometric Kebaran(幾何学ケバラン)、Natufian(ナトゥーフィアン)に区分されている。これらの文化の概要は、以下のとおりである。

ケバラン:細石器、細石刃が作られたが、それらは非幾何学形である。
幾何学ケバラン:石器技術としては、台形、長方形、三角形、三日月形などの、幾何学形細石器が製作された。
ナトゥーフィアン:細石器、石臼、石杵などの磨製石器、装飾品、石壁の住居、貯蔵施設、埋葬、家ネズミの存在、人口の増加が報告されている。末期には、本格的な穀物の貯蔵と定住が始まった。


Trapeze-rectangle (1-3, 10-13, 15-21) of the Geometric Kebaran component within the late Natufian levels B-A3 at el-Khiam terrace, Judean desert (after Neuville, 1951, fig. 69).

ケバラン

一般に、終末期旧石器時代には、弓矢の使用とイヌの家畜化が広まったと考えられている。また、ケバランの人々の植物利用については、オハロⅡ遺跡で豊富な資料が出土しているが、それ以外では、あまり見つかっていない。

ガリラヤ湖東岸のエン・ゲヴⅢ(Ein Gev Ⅲ)では、15,000年前の礎石がある小型の小屋の跡や、埋葬された若い女性の骨格などが残されていた。また光沢のあるフリントの刃が出土しており、イネ科の植物が採集利用されていた。エン・ゲヴⅠから出土した動物の骨は、ガゼルが43%、アカシカとノロジカが36%、ヒツジまたはヤギが15.5%、ウシ4.5%、イノシシ1%であった。小屋では、このキャンプが数年間のあいだ、定期的に利用されていた形跡があり、同一の集団が季節的にキャンプを遊動しながら狩猟採集を行っていたと考えられている。(*1)

カルメル山の近くのナハル・オレン(Nahal Oren)では、ケバラン層(16,000年前)から出土した動物骨の77.4%をガゼルが占めている。それ以外では、ウシ3.3%、イノシシ2.6%、シカ1.1%、ヤギ0.1%などがあった。若いガゼルの骨の率が高いことから、ガゼルが家畜化されていたという説があるが、支持されていない。ナハル・オレンでは、時代とともに狩猟対象が変化しており、ケバラン初期にはダマジカは30~40%であったが、時代が下るにつれて14.9%まで減少した。一方、ガゼルは、ケバランとナトゥーフィアンの境界層では82.6%に増加した。なお、ナハル・オレンのケバラン層からは、64種の植物種子が出土しており、野生オオムギ、野生コムギ、イチジク、ブドウなどが含まれている。

ナハル・オレンのように、ガゼルの捕獲割合が増える傾向は、終末期旧石器時代のレヴァントのすべての場所でおきていたわけではない。たとえば、ベイルートに近いクサル・アキル(Ksar Akil)の終末期旧石器時代は、ダマジカ53%、ヤギ30%、ノロジカ15%、ウシ1%、ガゼル1%であった。さらに、ヨルダン高原のワディ・マダマグ(Wadi Madamagh)では、ヤギが82.7%を占め、ウシ、ガゼル、ブタ、ロバ、ウサギも捕獲された。

サン族

ここで、カラハリ砂漠の狩猟採集民であるサン族の生業スタイルを見てみる(*2)。サン族は、ひとつの遊動域に200~500人が生活している。サン族のもっとも小さな社会単位は家族であり、家族は夫婦と未婚の子供からなる。平均的な家族の数は5人ほどである。家族がいくつか集合して、キャンプを共にする。キャンプは1家族のときもあるし、20家族からなるキャンプもあるが、10家族ていどのキャンプがもっとも多い。キャンプの構成はきわめて流動的で、離散と融合をくり返す。

1か所のキャンプに留まる期間は、1週間から数週間で、1年間に移動する距離は300kmほどである。キャンプの場所はおおよそ決まっていて、植物性食物が豊富に得られ、薪や小屋の材料となる木が得られる場所である。キャンプへの移動は、毎年きちんと決まっているわけではなく、食物となる植物の生育状態に左右される。キャンプの人数が大きく、食べ物が豊富にあるときは、大規模なダンスや病気の悪霊払いが行われる。

仕事は分業化しており、男性は狩猟と道具の製作、女性は採集と料理を行うが、採集には男性も加わる。キャンプ地には動物が寄り付かないので、狩猟はキャンプから10~15kmの場所で行われる。採集は、キャンプから半径5kmの範囲で行われ、食料が少なくなると、次のキャンプに移動する。次のキャンプに着くと、以前のキャンプ跡の近くの適当な木立に小屋を作る。男性が樹を伐採して小屋の材料を集め、女性が数日かけて小屋を作る。小屋の入り口に近い外で、火を焚く。

狩猟は、おもに、弓矢による大型動物の捕獲と、ワナ猟による小型のカモシカなどの捕獲がある。弓矢による猟は、動物に気づかれないように近づいて、毒を塗った矢を射る。サン族の矢には矢羽根がないので、命中率が低い。矢が命中したら、数人の仲間を呼んで、動物の足跡をたどって追跡する。ワナ猟では、5~6個のワナを仕掛けて、毎日見回る。

採集は植物性の食物が中心だが、カメ、アリ、昆虫、小動物も対象になる。サン族が採集する植物は80種以上になるが、重要なのは11種である(表)。サン族は食料をほとんど貯蔵しないが、一度に背負うことができる量の豆と乾燥肉を貯蔵する。


おもな植物性食物の季節的移り変わり(source:ブッシュマン)

Citrullus lanatus:Watermelon:ツァマ・メロン、スイカ:重さ1kgで外観はスイカと同じだが甘みはない。水源として利用
Citrullus naudinianus:Gemsbok cucumber:アフリカのメロン
Bauhiuia macrantha:マメ科植物で豆は小さいので、はじけて落ちてしまうと収集できない
Bauhiuia esculenta:マメ科で豆は直径1.5cmの球形、はじけて落ちるが大きいので拾って収集できる
Terfezia sp.:desert truffles:シューロ:キノコでジャガイモのような形状、美味
Grewia flava:Brandy bush:2mほどの潅木で果実を食用にする
Grewia retinervis:1~3mの潅木で果実を食用にする
Ochna pulchra:Lekkerbreek:5 mほどの樹木で、腎臓形の漿果がなる
Cucumis kalahariensis:ウリ科植物で根茎を食用にする
Coccinia rehmannii:ウリ科植物で根茎を食用にする
Scilla sp.:シラー属で球根を食用にする

クラークは、サン族の狩猟について次のように書いている。「彼らは一般にお面をかぶり、ときには動物たちの啼き声を真似たりして、めざす犠牲に近づく」、「石はとりわけ掻石器(スクレイパー)やドリル形尖頭器ならびに細石器につくり、それらを樹脂で矢に装着して使った。彼等はなお、弓、槍、投棒および発火用のきねを作るのに木を、また矢柄用に葦と葭(よし)を、弓の糸に腱を、柄の先の方や矢の先端部に骨を、紐に木の皮の片を、衣服や容器に獣皮を、小玉(ビーズ)や容器に駝鳥の卵殻を用いていた」。(*3)

狩猟民が動物の仮面をかぶることは、世界中に痕跡が残っている。ヨークシャーの中石器時代のスター・カー遺跡からは、複数のアカシカの仮面が出土しており、フランスの15,000年前のトロワ・フレール洞窟の壁画には、仮面をつけた人が描かれている。クラークは、「世界の多くの部分における狩猟民の間では、仮面は獲物に忍び寄るためにつけられる。これは繁殖期にはとくに有効な方法で、雄は狩人の行動範囲内に容易にひきつけられる」としている。(*3)


スター・カー出土のアカシカの仮面(Author:Jonathan Cardy)


トロワ・フレール洞窟の壁画


スペイン レミギア洞窟

アボリジニ

アボリジニについても一瞥する。かつてのアボリジニの社会は、576の部族がそれぞれの領域を持ち、大陸を分割していた。一部族の人数は200~600人ほどで、部族人口の平均は500人とされる。部族はさらにいくつかの父系集団に分かれており、ふだんは、数家族を中心とした20~50人のバンドまたはホルドとよばれる集団で、領域内を遊動する。

それぞれの部族間の関係、あるいは、部族内の集団の構造と関係はきわめて複雑である。領域、言語、父系、母系、半族、トーテム、神話などによって集団と個人の関係が定められており、厳格な行動規範、婚姻規則、資源利用についての規範が存在する(*4)。アボリジニ社会の複雑な社会構造や厳格な社会規範の存在は、テリトリーの平衡がきわめて長期にわたって維持されてきたことを物語っている。

アボリジニの社会では、領域の占有者の了解なしに、狩猟や採集を行うことはできない。また、所属する領域の中であっても、以下のような厳格な食物規制が存在していた。(*5)
・自分のトーテムおよびドリーミングの動物を食べない
・異性の兄弟姉妹は忌避関係であり、姉妹は兄弟が捕獲した獲物を食べることは禁止
・クビナガガメなどは雨季には食べず、サメなどは乾季にしか食べないなど猟期の規制
・若者はある特定の動物の狩猟が禁止
・近縁の親族が死亡したとき、特定の動物を一定期間食べない
・女性は、月経、妊娠、授乳期などの時期ごとに、爬虫類、鳥類など特定の動物を食べない
・筌(うけ)猟で得られた最初の獲物を食べられるのは、老人、成人儀礼まえの子供、子供を2人以上もつ女性
・ガンの卵狩りの最初の猟で得た卵を食べられるのは、老人、子供を2人以上もつ女性、幼児
・食物規制がないのは、成人儀礼まえの子供と、すべての儀礼をおえた老人

採集の仕方にも決まりがあった。「彼らはイモのツルをみつけるとその根もとからロート状に掘りすすみ、ヤムイモをとりだす。そのあとツルがついたイモの頂部を切りとり、再びその同じ穴に埋めもどしていた。この場合は、落葉などが堆積して腐葉土ができやすいようにするため、穴を完全に埋めることはしなかった」。(*5)

食料の貯蔵については、生きたまま一時的に貯蔵できる唯一の動物はクビナガガメで、数十匹のカメを穴などにたくわえておく。これは、雨季になり長雨で狩りができないときの食料にする。(*5)

「拡散段階の狩猟採集」と「平衡テリトリー段階の狩猟採集」

人が足を踏み入れたことがない無人の地を進むのであれば、野生の動物や植物を捕獲採集するのはまったく自由であろう。このような生業スタイルを、「拡散段階の狩猟採集」とする。一方、定住せずに領域内を遊動する非貯蔵社会であっても、平衡テリトリーが安定しているばあいは、テリトリー内の資源の採取権、狩猟権、採集権は確立している。これは私的な所有権とは異なるが、集団による所有権と同じ意味を持っている。現代の国家で言えば、私的所有権の上位にある領有権のようなものだ。

草原でガゼルやカンガルーなどの野生動物が自由に草を食んでいるように見えても、その動物には、持ち主が存在している。野生の動物や植物であっても、その領域を占有する集団の了解がなければ、捕獲採集することは許されない。このような生業スタイルを、「平衡テリトリー段階の狩猟採集」と呼ぶことにする。「拡散段階の狩猟採集」と「平衡テリトリー段階の狩猟採集」は、所有権の有無がまったく異なるだけでなく、狩猟や採集の方法が異なる。

平衡テリトリーで行われる狩猟や採集は、「管理狩猟」であり「管理採集」である。じっさいに、管理された狩猟と採集は、古代社会においても現代の社会においても広く見られる。狩猟や漁撈では、産卵期や繁殖期に捕獲しない、必要以上に捕獲しない、幼体は捕獲しない、若いメスを捕獲しないなど、猟期、捕獲量、捕獲対象についてさまざまな制限がある。

植物の採集についても、採集期と採集量の制限、採集対象の保護、採集後の保存などの習慣が広く存在している。
「山には所有者があるが、山菜をとるためにはどこの山でも無断で入ってよい。しかし、山の行儀は正確に守らなければならない。つまり、山菜や野草の命を絶やさないことである。ゆりややまいもを掘ったときは、鱗片の一部を埋め、やまいものむかご三粒を穴に埋めもどす。たらの木の芽をかくときも必ず一芽残し、追芽(後から出る芽)は欠かない。(田沢湖町)」(*7)

また、三内丸山では縄文前期末~中期に、台地斜面から台地縁付近にほぼクリの純林が形成されていたと推定されている(*8)。このことは、縄文時代にクリを栽培していたことの証拠にはならないが、当時の人々がクリを保護していたことは確実である。

なお、このような、植物の栽培化前の段階を「半栽培段階」として、はじめて言及したのは、中尾佐助である。
「自然生態系を人間が撹乱、破壊すると、それに植物の側が反応して、突然変異などの遺伝的変異も含めて、新らしい環境への適応がおこる。そうした植物の中から、人間が利用をはじめると、植物の側から適応力を更に進めていくこともおこり得る。こうしたことが何千年も積みかさなると、狩猟採集の段階でも、人為的環境の中で経済がいとなまれることになる。その段階では人間は意識的に栽培をすることはなくても、農耕の予備段階に入ったと言えよう。それは広義の半栽培の段階とも言えよう。或いはもっと適格に言えば、生態系撹乱段階と言ってもよいだろう。こうして生態系撹乱をして、新らしい環境に適応したものの中から、有用なものを保護したり、残したりするようになると、これはもうはっきりとした半栽培段階と言ってよいだろう。パラゴムやウスリーナシにその例は見られる。この段階に入ると、植物の品種改良が進行し、また意識的に人為伝播がおこってくるとしてよい」(*9)

レヴァントのケバラン期において、場所によって捕獲対象に違いがみられるのは、平衡テリトリー内で部族ごとに管理狩猟が行われていたためであろう。自分たちのテリトリー内でしか捕獲できなければ、テリトリーに固有の動物の捕獲が多くなる。また、ナハル・オレンで若いガゼルの骨が多いのは、狩猟方法によるのかもしれない。ガゼルの仮面をつけて繁殖期の群れに近づけば、なわばりに入り込んだオスと間違えて狩人に近づいてくる若いオスを捕獲する確率が高くなるであろう。草食動物の群れの繁殖数を左右するのは、メスと少数のオスである。若いオスが選択的に捕獲されれば、群れの個体数は減少しないので、長期にわたってガゼルを捕獲することが可能となる。

補足
中尾佐助の業績はもっと評価されるべきと思うが、「自然生態系を人間が撹乱、破壊すると、それに植物の側が反応して、突然変異などの遺伝的変異も含めて、新らしい環境への適応がおこる。そうした植物の中から、人間が利用をはじめると、植物の側から適応力を更に進めていくこともおこり得る」という表現には違和感を覚える。そのように見えるだけである。突然変異は生物が環境に反応しておこるわけではなく、自己複製のたびにランダムに起きる。また、生物が主体的に適応力を進めるわけでななく、自然選択の結果、生き残った遺伝子が生き残る。

文献
*1)James Mellaart. (1976) Neolithic of the Near East. Macmillan Pub Co; First Edition edition
*2)田中二郎.(1971)ブッシュマン. 思索社
*3)G. クラーク, S. ビゴット.(1970)先史時代の社会. 法政大学出版局
*4)門口充徳.(2014)アボリジニ社会から構造主義へ. 成蹊大学文学部紀要第49号
*5)松山利夫.(1994)ユーカリの森に生きる. NHKブックス
*6)小山修三.(1992)狩人の大地. 有山閣出版
*7)藤田秀司ほか.(1986)聞き書 秋田の食事. 農山漁村文化協会
*8)吉川昌伸.(2011)クリ花粉の散布と三内丸山遺跡周辺における縄文時代のクリ林の分布状況. 植生史研究第18巻第2号
*9)中尾佐助.(2004)中尾佐助著作集第Ⅰ巻農耕の起源と栽培植物. 北海道大学図書刊行会

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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