西アジアの上部旧石器時代-平衡テリトリーへの移行:Upper Paleolithic age in Southwest Asia-Transition to equilibrium territory

レヴァント地方の4.7万年前以降の旧石器時代は、上部旧石器時代(4.7~2万年前)と終末期旧石器(中石器)時代(2~1万年前)に分けられる。上部旧石器時代の石器技術の特徴は、石核から剥離される石刃と細石刃である。技術系統としては、エミラン、前期アハマリアン、後期アハマリアン、レヴァント地方オーリナシアンなどがある。(*1)


(source:西アジア考古学講義ノート)

上部旧石器時代は、一般には、ネアンデルタール人が衰退し、現生人類が活動の中心になった時代と考えられている。現生人類は、6.5万年前には、すでにオーストラリア大陸へ到達したという報告があり、ヨーロッパでの活動は、4.3~2.6万年前のオーリナシアン(オーリニャック)文化が代表的である。オーリナシアン文化期には、洞窟絵画、動物彫刻、ヴィーナス像など、多彩な創造物が製作された。なお、現生人類が日本列島に到来したのは、4~3万年前とされている。


Venus of Laussel:ローセルのヴィーナス、仏ボルドー、2.5万年前、赤いオーカーが塗られている

上部旧石器時代のレヴァントにおける、ヒトの生活様式や社会構造は、よくわかっていない。遺跡から出土する動物骨で多いのは、ガゼル、ダマジカ、アカシカ、オーロックス、野生ヒツジ、イノシシ、ウマなどである。中部旧石器時代にくらべると、ガゼルなど小型の動物の割合が多くなる。捕獲しやすい大型動物が減少し、敏捷で捕獲が難しい小型動物へと捕獲対象が移ったのであろうか。

上部旧石器時代の重要な遺跡のひとつに、オハロⅡ(Ohalo II)がある。オハロⅡは、ガリラヤ湖の南西海岸に位置し、旱魃によって湖の水位が低下した1989年に発見された。2~3mの水深下にあったため、大量の有機物が保存されていた。遺跡の年代は23,000年前とされ、6か所の焚き火の跡、枝でできた楕円形の小屋、成人男性の墓、ごみ捨て場、石器、150分類群の15万点の植物資料、哺乳類、鳥類、魚類、爬虫類などの動物の骨などが出土した。石器技術の系統は、後期アハマリアンであるが、終末期旧石器のケバランの細石器が含まれる。

出土した膨大な植物資料は、スズメノチャヒキ、オオムギ、スズメノテッポウなどのイネ科植物、ドングリ、アーモンド、ピスタチオ、野生オリーブ、ベリー、ラズベリー、野生イチジク、野生ブドウ、ムラサキ科(Boraginaceae)、キク科(Compositae)などである。(*2)

オオムギ、コムギなどの穀物と小粒の雑穀(small-grained grasses:SGG)については、次のように同定されている。


The primary SGG and cereals at Ohalo II (PNAS. 2004 Jun 29; 101(26): 9551–9555.)

Alopecurus utriculatus:スズメノテッポウ(イネ科)
Bromus pseudobrachystachys:スズメノチャヒキ(イネ科)
Hordeum glaucum:ムギクサ(イネ科オオムギ属)
Hordeum marinum:ムギクサ(イネ科オオムギ属)
Puccinellia cf. convoluta:プシネリア、アルカリグラス(イネ科)
Hordeum spontaneum:野生オオムギ
Triticum dicoccoides:野生コムギ(パレスチナコムギ)


Volume of SGG and wild cereal species occurring in southwest Asian archaeological sites from the UP to the Late PPNB. Average cal B.P. dates were calculated by using the available dates for each site and do not reflect the total time span of occupation. Volume was calculated by using figures by Kislev and colleagues (48-50). PPNA, Prepottery Neolithic A. (PNAS. 2004 Jun 29; 101(26): 9551–9555.)

Weiss氏らは、これらの小粒の雑穀(SGG)が、オハロⅡでの主要な食料であったのではないかとしている。その理由として、出土した種子の量が膨大であること、登熟していること、現在でもこれらの雑穀が食料として利用されていることをあげている。また、これらの穀粒は、45cmほどの長さの玄武岩の板の周辺に集中していた。

しかし、2015年の報告では、上記とは別の見方をしている(*3)。オハロⅡから回収された18種類のツールの使用状況が詳細に検討され、玄武岩の板の表面からは150個のデンプン粒子が回収された。そのうちの127個がイネ科植物であり、78個がオオムギ、コムギ、タルホコムギ、およびカラスムギに由来するという。石の板は、穀物の加工に使用され、できた粉を生地にして焼いていたと予想されている。

オハロⅡでは、71個の石器が見つかっているが、そのうち穀物の加工に使われたのは25%以下である。また、2,221個のフリントが存在するが、収穫鎌として使用されたフリントはごくわずかである。イネ科植物の子実が大量に採集されたのは間違いないが、穀物が主要な食料であったナトゥーフ文化に比べれば、きわめて貧弱な粉挽き道具しか存在していない。また、玄武岩の板は、粉挽き専用ではなく、多様な用途に使われていたことが確認された。これらの石器の状況は、穀物の粉の生産が日常的に行われていたわけではなく、ときどき行われたにすぎないことを示しているという。


Ohalo II Locus 1 slab, view of the upward-facing surface. Starch grains were retrieved from this face (Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2015 Nov 19)

Examples of macroscopic wear observed on object 1a59 (active tool). The dotted lines indicate the limits of various wear surfaces. End 1 (on the left) shows a combination of percussion and abrasion at low magnifications, while the surface shows a smooth texture and domed morphology in cross section. Note that the darker spots correspond to natural holes. End 2 (on the right) is dominated by impact marks and the surface shows a rough texture and an irregular cross section. Limits of the area with impact marks can be seen on the top left side of the photo. (Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2015 Nov 19)

Use-wear indicative of utilization observed at high magnifications on the internal surface of a shallow bowl (B87d 90–1360) from Ohalo II. (Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2015 Nov 19)

2015年には、次のような論文も発表されている(*4)。オハロⅡの15万個の植物標本からは、140以上の植物種が確認されている。植物の中には、コムギ、オオムギ、カラスムギが存在するが、同時に農地の雑草として知られる13種の植物があった。13種の雑草種は、15万の標本の10.5%(15,726個)にのぼった。

報告者たちは、この13種の植物を“proto-weeds”(原形雑草)と呼んでいる。雑草とは、環境や生態系がヒトに攪乱されることによって生じる植物のことである。“proto-weeds”(原形雑草)とは、ヒトの初期の活動によって攪乱された環境に侵入して繁殖し、その後に雑草へと進化した植物と定義している。同定された「原形雑草」の大部分(93.2%)は、アカネ科のミナトムグラ(Galium tricornutum)とイネ科のドクムギ(Lolium temulentum)であった。「原形雑草」の存在は、穀物栽培のもっとも初期の小規模な試みを示唆する、考古学的な証拠であるとしている。

また、オハロⅡでは、光沢のあるフリントの刃が5個見つかっている。刃の光沢は、イネ科植物の稈(茎)を切断して、穀物を収穫する際に生じたとされている。


The sickle blade from Ohalo II. (A) Macrograph of the sickle blade. (B) Micrograph showing the use-wear polish produced by cereal harvesting, observed along the sharp edge of the blade (original magnification 200x). (C) Micrograph showing hafting wear including streaks of polish associated with rounding observed along the opposite edge (original magnification 100x). (PLoS One. 2015 Jul 22;10(7))

そして、次のように結論付けている。オハロⅡの遺物は、当時の住民が小規模な栽培を行っていたことを示している。ただし、それ以降の期間に、栽培が継続して行われた痕跡はない。栽培が行われた証拠として以下のことがあげられる。①野生コムギ、野生オオム、野生カラスムギなど穀物の存在、②多数の原形雑草の存在、③非脱粒のオオムギの小穂の存在(36%)、③収穫用のフリント。このように、オハロⅡでは、キャンプの近くで小規模な穀物の栽培が行われ、そのエリアでは、原形雑草が始めて繁殖した。

上記の23,000年前のオハロⅡで、穀物の栽培が行われていたという主張には、あまり賛同できない。もし、オハロⅡの住民が、穀物栽培というきわめて生存に有利な情報(文化)を獲得していたならば、栽培文化を保有する彼らの子孫は、等比級数的に人口を増やしたはずだ。そして、その栽培文化は、周辺地域に急速に広がる。それが、マルサスの理論である。しかし、同時代の他の遺跡からは、栽培文化の痕跡は、まったく見つかっていない。

ヒトが植物を栽培することは、特定の植物を特定の場所で管理し、保護することである。特定の植物を保護することは、環境や生態系に何らかの働きかけを行うことなので、環境や生態系に変化が生じる。太陽からのエネルギー流速度は変化せず、それ以外の環境条件や生態系が変化すると、エネルギー獲得のニッチが生じる。この新しく生じたニッチで、目的の植物以外の植物も生息できるようになる。このときの、目的の植物以外の植物が雑草である。

ダーウィンは、『種の起源』の中で次のように書いている。(*5)

Here there are extensive heaths, with a few clumps of old Scotch firs on the distant hill-tops: within the last ten years large spaces have been enclosed, and self-sown firs are now springing up in multitudes, so close together that all cannot live. When I ascertained that these young trees had not been sown or planted I was so much surprised at their numbers that I went to several points of view, whence I could examine hundreds of acres of the unenclosed heath, and literally I could not see a single Scotch fir, except the old planted clumps. But on looking closely between the stems of the heath, I found a multitude of seedlings and little trees, which had been perpetually browsed down by the cattle. In one square yard, at a point some hundred yards distant from one of the old clumps, I counted thirty-two little trees; and one of them, with twenty-six rings of growth, had, during many years tried to raise its head above the stems of the heath, and had failed. No wonder that, as soon as the land was enclosed, it became thickly clothed with vigorously growing young firs. Yet the heath was so extremely barren and so extensive that no one would ever have imagined that cattle would have so closely and effectually searched it for food.

「ここには、広いヒースがある。遠くの丘の上には、スコッチパイン(ヨーロッパアカマツ)の群生もいくつかある。スコッチパインの群生は、10年ほど前から柵で囲まれており、自然繁殖して、すべての個体が生き残れないないほど、密に生えている。わたしは、いくつかの場所を見て、これらの若木は、人が播種したり植え付けたりしたものでないことを確認した。そして、その数の多さに驚いた。柵で囲まれていない何百エーカーもあるヒースを調べたときは、植え付けられた古い木立を除いて、一本もスコッチパインを見なかった。しかし、ヒースの草のあいだを詳細に観察すると、長期間にわたってウシに新芽を食べられた苗木や若木をたくさん見つけた。スコッチパインの古い木立から数百ヤード離れた場所の1ヤード四方には、32本の小さな樹があった。そのうちの1本には、26本の年輪があり、長年にわたって茎を上に伸ばそうとしたが、失敗していた。土地が柵で囲まれるやいなや、急成長する若いスコッチパインに覆われるのは、不思議ではない。しかし、このヒースは不毛で何もなく広大である。ウシが丹念にかつ効果的に、食べ物を探しためだとは、誰も想像しなかったであろう。」

誰かがこのヒースで、ムギを栽培するために種を播いたとする。その人は、発芽したムギがウシに食べられないように、畑を柵で囲むであろう。すると、スコッチパインはウシに食べられないので、大きく成長するようになる。このスコッチパインが「雑草」である。

ヒトによって、オハロⅡの周辺の環境や生態系が攪乱されたのは確かであろう。しかし、それは、ヒトが穀物を栽培したからではなくて、オーロックスなどの大型の草食動物の数が減ったことの結果であると思われる。大型動物が減少したことで、オハロⅡの周辺の環境や生態系が変化し、ニッチが生じたと考えられる。

そもそも、オハロⅡの人々が、穀物を栽培していたならば、標本中のオオムギ、コムギ、カラスムギの割合がこれほど小さいのは不自然である。小粒の雑穀の多さと種類の雑多さは、穀物を意識的に栽培していないことを示している。

非脱粒のオオムギの小穂は、もともと野生オオムギの集団の中に、確率的に存在している。良質のデンプンを獲得するには、登熟が進んだ種子を採集しなければならない。オオムギの穂の登熟が進むと、脱粒の小穂は落ちてしまうので、非脱粒の小穂が採集される確率が高くなる。標本中に非脱粒の小穂の割合が大きくなるのは不自然というわけではなく、1か所の遺跡のデータだけでは栽培化の証拠となりえない。

イネ科植物の子実は小さく、硬い殻と皮に包まれている。これを食用にするには、収穫→乾燥→脱穀(稈からはずす)→脱稃(殻をはずす)→製粉(皮をはずす)→篩(フルイにかける)という工程を経なければならない。さらに、得られた粉に熱を加えて、デンプンをアルファ化しないと消化効率が低い。

もちろん、旧石器時代の人々が行っていたのは、より原始的な加工方法だろう。野生の穀物は脱粒性なので、登熟するとほとんどの穀粒が地面に落ちてしまう。未登熟だと良質なデンプンが得られないので、登熟して種子が落ちる寸前の穂を選びながら採集することになる。穂を手でしごいたり、穂首をフリントのナイフで切ったりして、皮の袋に集める。集めた穂や種子を、地面に広げて乾燥させる。あるいは、焚き火のまわりに置いたり、焼いた石の上に置いて、軽く炙ったかもしれない。野生の穀物種子は殻も皮もはずれにくいので、そのまま石の板の上に置いて、磨石でたたいてつぶす。砕けた胚乳部が粉状または果粒状になって、殻からはずれる。この混合物から殻を手で除くと、粉、果粒、皮の混合物が得られる。これに水を加えて、円盤状にして焼く。

穀物を食料にするには非常に手間がかかる上に、重労働である。このような重労働は、よほどのことがなければ、やろうとしないであろう。オハロⅡの住民は、面倒な穀物を食べなければならないほど、食料の入手が困難な状態であったと思われる。ただ、当時の人々が、イネ科の穀物を食料にする方法をすでに知っていたことは確かである。

オハロⅡで重要なことは、彼らが、なぜ、食べるのに面倒な穀物を収集せざるを得なかったのかということだ。ふつうは、食べ物が不足したら、ウシやシカが多い場所に移動するのが合理的だ。

ヒトは、超協力タカ派戦略をとっており、バンドや部族などの集団で生活している。ヒトの数が少ないあいだは、人口を増やしながら、食料を求めて自由に移動し、生息域を拡大していく。しかし、生活可能な陸地への拡散が終わると、それぞれの部族が、なわばりを画定して、近隣集団をなわばりに入れないようになる。アボリジニやサン族は、自分たちのテリトリーへの他の部族の侵入を許さず、テリトリー内を季節的に遊動する生業スタイルをとっている。(2017.9.2ブログ

このように、複数の部族が自分たちのテリトリーを画定して、平衡状態になっている社会構造を、「平衡テリトリー」と呼ぶことにする。テリトリーの平衡は、永久的に安定しているわけでない。平衡テリトリーでは、凶作年で食料が少なくなっても、勝手に他の部族のテリトリーに入ることはできない。無理に侵入することは、集団戦闘になることを意味する。

オハロⅡから大量に出土したイネ科植物の穀粒は、上部旧石器時代末のレヴァントでは、ヒトの集団が拡散期から平衡テリトリー期に移行していたことを示しているのではないだろうか。

文献
*1)藤井純夫ほか.(2013)西アジア考古学講義ノート. 日本西アジア考古学会
*2)Ehud Weiss, Wilma Wetterstrom, Dani Nadel, and Ofer Bar-Yosef. (2004) The broad spectrum revisited: Evidence from plant remains. PNAS. 2004 Jun 29; 101(26): 9551–9555.
*3)Laure Dubreuil, Dani Nadel. (2015) The development of plant food processing in the Levant: insights from use-wear analysis of Early Epipalaeolithic ground stone tools. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2015 Nov 19; 370(1682)
*4)Ainit Snir, Dani Nadel, Iris Groman-Yaroslavski, Yoel Melamed, Marcelo Sternberg, Ofer Bar-Yosef, Ehud Weiss. (2015) The Origin of Cultivation and Proto-Weeds, Long Before Neolithic Farming. PLoS One. 2015 Jul 22;10(7):e0131422.
*5)Charles Darwin, The Origin of Species, The sixth edition, 1872

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