分子生物学の衝撃:Impact of molecular biology

1920~1930年代に、量子力学が勃興し確立すると、生命現象を微視的な物理現象として探究する気運が高まった。生命物質の分子構造を解析するには、X線回折など物理学の知識が必要なこともあり、1940年代に、デルブリュックをはじめとする多くのドイツの物理学者たちが、生物学や遺伝学に転向した。1944年には、理論物理学者のエルヴィン・シュレーディンガー(1887-1961)が、“What Is Life?”(生命とは何か)を発表して、大きな影響を与えた。

マックス・デルブリュック(1906-1981)はベルリン生まれで、父は高名な歴史学者、母はユストゥス・フォン・リービッヒの孫であった。ゲッティンゲン大学で天体物理学や理論物理学を学んだが、生物学に転向して、カリフォルニア工科大学で遺伝学の研究を始めた。ショウジョウバエやバクテリオファージ(バクテリアのウイルス)を使って研究を行い、デルブリュックが主宰した「ファージ・グループ」は、分子生物学の創設と発展に大きく貢献した。

1942年、デルブリュックは微生物学者のサルバドール・エドワード・ルリア(1912-1991)と共に、細菌は、ウイルスの存在がなくても、ウイルス耐性の突然変異が起きることを示した(ルリア-デルブリュックの実験)。これは、細菌が、偶然に起きる突然変異によって何らかの形質を獲得していることを意味している。


Anatomy and infection cycle of phage T4. 1: Attachment of phage’s fibres to a bacterium, 2: Injection of DNA, 3: Synthesis of phage components, 4: Assembly of new phages, 5: Burst of bacterium and release of infectious phages.(Author:Guido4)

1944年、アメリカの医学研究者のオズワルド・アベリー(米、1877-1955)らが、1928年にグリフィスが発見した肺炎レンサ球菌の遺伝情報の本体がDNAであることをつきとめた。当時、遺伝子の正体がDNAかタンパク質かで論争になっていた。

1946年には、遺伝学者のハーマン・J・マラー(米、1890-1967)が、ショウジョウバエにX線を照射して、人為的に突然変異が誘導できることを発見している。

1950年、生化学者のエルヴィン・シャルガフ(1905-2002)は、様々な生物種のDNAを分析し、生物の種に関係なく、アデニン(A)とチミン(T)の量が等しく、さらに、シトシン(C)とグアニン(G)の量が等しいことを発見した。これは、AとT、CとGがそれぞれペアになっていることを示唆していた。シャルガフは、1952年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに会って、このことを教えた。


Nucleoside Base distribution in DNA(source:William Reusch, Nucleic Acids)

1951年、アメリカの量子化学者、分子生物学者のライナス・ポーリング(米、1901-1994)らが、タンパク質構造の中核である、αヘリックスとβシートの構造を解明した。ポーリングは、20世紀におけるもっとも偉大な化学者の一人で、化学的な現象を量子力学によって記述し、化学結合の性質を理論化した。
オレゴン州で生まれたポーリングは、子供のころに薬剤師の父を亡くし、経済的にめぐまれなかった。オレゴン農業大学(現在のオレゴン州立大学)に入学して、研究室と教室で働きながら勉学を続け、化学工学を学んだ。カリフォルニア工科大学の大学院に進学し、物理化学と数理物理学で博士号を得た。1932年に、原子軌道の混成の理論、さらに電気陰性度の理論を発表した。1939年に、それまでの化学結合に関する研究をまとめた“The Nature of the Chemical Bond”(化学結合の本性)を著して、大きな影響を与えた。
1930年代後半に、生体分子の研究を開始し、タンパク質の構造解析を行った。その後、DNAの構造解析に着手し、DNAは3重らせん構造であると予想した。


Hydrogen bonds in protein secondary structure. Cartoon above, atoms below with nitrogen in blue, oxygen in red(Author: Thomas Shafee)

1952年に、遺伝学者のアルフレッド・ハーシー(1908 -1997)とマーサ・チェイス(1927-2003)が、リンPの放射性同位体であるリン32Pをバクテリオファージに用いて、DNAが遺伝物質であることを確認した(ハーシーとチェイスの実験)。

そして、1953年に、ジェームズ・ワトソン(1928-)とフランシス・クリック(1916-2004)が、DNAの2重らせん構造を発表した。このとき、ワトソンとクリックは、ロザリンド・フランクリン(1920-1958)が撮影した未発表のX線回折写真を参考にしていた。フランクリンの写真は、DNAが2重らせん構造であることを示していた。じつはこの写真は、モーリス・ウィルキンス(1916-2004)が、フランクリンに無断で持ち出したものであり、後年、大きなスキャンダルになった。


X-ray diffraction image of the double helix structure of the DNA molecule, taken 1952 by Raymond Gosling, commonly referred to as “Photo 51”, during work by Rosalind Franklin on the structure of DNA


DNA model built by Crick and Watson in 1953, on display in the National Science Museum of London.(Author:Alkivar)


The structure of DNA showing with detail showing the structure of the four bases, adenine, cytosine, guanine and thymine, and the location of the major and minor groove.(Author:Zephyris)

このDNAの2重らせん構造の発見を境に、分子生物学は猛烈なスピードで進展し始めた。なぜなら、この2重らせん構造こそが、遺伝の法則とタンパク質生成の仕組みを表現していたからである。

1958年に、クリックは、“On Protein Synthesis”を公表した(*2)。これは、「セントラルドグマ」と呼ばれており、クリックは、タンパク質の生成には、遺伝情報が、DNA→転写→mRNA→翻訳→タンパク質の順に伝わると予想した。セントラルドグマは、以後の研究の大きな指針となった。(*3)


(souce:”Central dogma of molecular biology” . Nature. 227)


(source:William Reusch, Nucleic Acids)

1960年代に、マーシャル・ウォーレン・ニーレンバーグ(1927-2010)、ハー・ゴビンド・コラナ(1922-2011)らは、タンパク質合成の遺伝暗号の翻訳に成功した。DNAの配列では、ヌクレオチド3個の組み合わせで、1個のアミノ酸に対応している。アミノ酸を鎖状に連結することで、設計図どおりのタンパク質の生成を実現している。


Phe:フェニルアラニン、Leu:ロイシン、Ile:イソロイシン、Met:メチオニン、Val:バリン、Ser:セリン、Pro:プロリン、Thr:トレオニン、Ala:アラニン、Tyr:チロシン、His:ヒスチジン、Gln:グルタミン、Asn:アスパラギン、Lys:リシン、Asp:アスパラギン酸、Glu:グルタミン酸、Cys:システイン、Trp:トリプトファン、Arg:アルギニン、Ser:セリン、Gly:グリシン

1962年に、生物学者のエミール・ズッカーカンドル(1922-2013)とポーリングが、異なる生物種間のヘモグロビンのアミノ酸α鎖の配列の差の数は、両種が分岐した時間に比例することに気がついた。生物間の分子構造の変化量を調べれば、おおよその分岐時期が推定されることになり、これを分子時計と名付けた。1963年には、エマニュエル・マーゴリアッシュ(1920-2008)が、シトクロムcの配列の差の数が、遺伝的距離に対応することを報告した。(*5)


(souce:Proc Natl Acad Sci U S A.)

なお、分子時計の発見は、日本の集団遺伝学者の木村資生(1924-1994)にも大きな影響を与えた。木村は、1968年に、遺伝子の突然変異の大部分は表現型に影響しない「中立的」な変異であると指摘した。表現型でない中立的な変異は、自然選択には関与しないので、遺伝的浮動の遺伝子プール内への広がりを決定するのは、偶然にすぎない。

1970年代後半に、ミトコンドリアDNAの研究がアメリカで始まった。1987年、アラン・ウィルソン、レベッカ・キャン、マーク・ストーンキングのグループは、多数の民族からなる147人のミトコンドリアDNAを解析した。そして、現生人類のミトコンドリアDNAは、20万年前にアフリカにいた一人の女性に由来すると発表した(ミトコンドリア・イブ説)。(*6)


This is a map that has been translated from Spanish to English. The description of the original map was “Hypothesized map of human migration based on mitochondrial DNA.”(Author:Maulucioni)

この研究の衝撃は大きく、生物学や人類学の研究者のみならず、人々の人間観、歴史観に大きな影響を与えた。さらに、2000年には、数十の集団から抽出したY染色体の解析をもとに、父系のルーツもアフリカの一人の男性にたどりつくことが明らかになった。(*7)


World Map of Y-DNA Haplogroups – Dominant Haplogroups in Pre-Colonial Populations with Possible Migrations Routes(Author:Y-dna data file)

文献
*1)H・F・ジャドソン、分子生物学の夜明け、東京化学同人、1982
*2)On Protein Synthesis (1958) – Profiles in Science
https://profiles.nlm.nih.gov/ps/retrieve/ResourceMetadata/SCBBZY
*3)Crick, F (August 1970). “Central dogma of molecular biology” (PDF). Nature. 227 (5258): 561–3.
https://www.nature.com/nature/focus/crick/pdf/crick227.pdf
*4)William Reusch, Nucleic Acids
https://www2.chemistry.msu.edu/faculty/Reusch/VirtTxtJml/nucacids.htm
*5)E.Margoliash,PRIMARY STRUCTURE AND EVOLUTION OF CYTOCHROME C,Proc Natl Acad Sci U S A. 1963 Oct; 50(4): 672–679.
*6)Rebecca L. Cann, Mark Stoneking, Allan C. Wilson (1987). “Mitochondrial DNA and human evolution”. Nature 325
*7)Peter A. Underhill et al. (2000). “Y chromosome sequence variation and the history of human populations”. Nature Genetics 26

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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