進化論と遺伝学:Evolution theory and Genetics

ダーウィンは、『種の起源』(1859)の第1章で、変異の法則について次のように述べる。

Perhaps the correct way of viewing the whole subject would be, to look at the inheritance of every character whatever as the rule, and non-inheritance as the anomaly.
The laws governing inheritance are for the most part unknown; no one can say why the same peculiarity in different individuals of the same species, or in different species, is sometimes inherited and sometimes not so; why the child often reverts in certain characteristics to its grandfather or grandmother or more remote ancestor; why a peculiarity is often transmitted from one sex to both sexes, or to one sex alone, more commonly but not exclusively to the like sex.(CHAPTER I)

「おそらく、主題全体を見る正しい方法は、あらゆる形質は法則として遺伝する、そして遺伝しないことは異常として見ることである。
遺伝を支配する法則は、まったくわかっていない。なぜ、同じ種の異なる個体において、あるいは異なる種の個体において、同じ特徴が、ときには遺伝し、ときには遺伝しないのか? なぜ、子供はしばしばその特徴において、祖父または祖母、あるいはより遠い祖先に回帰するのか? なぜ、ある特徴が、片方の性から、両方の性に伝わったり、あるいは片方だけに伝わったり、より普通には、同じ性に伝えられるのか?」

『種の起源』の刊行から6年後の1865年に、グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-1884)が、「植物雑種に関する実験」(メンデルの法則)を発表した。メンデルは、チェコ(当時はオーストリア帝国)の農家に生まれ、オルミュッツ大学で哲学、物理学を学んだ。経済的な理由から修道院に入会して勉強を続け、ウィーン大学に留学して物理学、数学、植物学、生物学を学んだ。このときの物理学の師は、ドップラー効果を発見したクリスチャン・ドップラーであった。

修道院の司祭として生活しながら、1856~1863年にエンドウマメを使って遺伝の研究を行った。まず、数年かけてエンドウマメ品種の純系の選抜を行い、その後に交配実験を行った。そして、分離の法則(染色体の対立遺伝子が2つに分かれ、各配偶子は1つの対立遺伝子を有する)、および優性の法則(対立遺伝子の発現には差がある)を発見した。

しかし、当時は、生物学や遺伝学におけるメンデルの法則の重要性を理解できる生物学者や科学者はおらず、まったく注目されなかった。メンデルの法則は、35年後の1900年に、カール・エーリヒ・コレンス(独)、エーリヒ・フォン・チェルマク(オーストリア)、ユーゴー・ド・フリース(オランダ)の3人の研究者によって独立に再発見された。なお、メンデルは、ダーウィンの進化論を知っていたが、それを批判するメモを残していたという。

1901年に、メンデルの再発見者の一人であるユーゴー・ド・フリース(1848-1935)は、オオマツヨイグサの変異の観察から、進化は突然変異によって起こるという突然変異説を唱えた。翌1902年には、ウォルター・サットン(米、1877-1916)が、染色体の減数分裂の観察から、遺伝子が染色体上にあるという染色体説を提唱した。1913年に、トーマス・ハント・モーガン(米、1866-1945)がショウジョウバエを用いて、サットンの染色体説を証明した。

1930年代にロナルド・フィッシャー(英、1890-1962)ら集団遺伝学者によって、メンデル遺伝学(おもに突然変異説)とダーウィンの自然選択説の融合が行われた。1940年代には、分類学、古生物学、植物学、生態学などの成果を総合して、進化の総合学説(ネオダーウィニズム)が成立した。遺伝学と進化論は進展したが、遺伝子の実体やその仕組みは謎のままであった。

一方、医学者や生理学者によって、核酸の研究が進んでいた。1869年、スイスの生理学者、ヨハネス・フリードリッヒ・ミーシェル(1844-1895)は、細胞核中に核酸を発見して“nuclein”(ヌクレイン)と命名した。核酸にはリンが多く含まれていたので、ミーシェルは、核酸はリンの貯蔵器官と考えていた。

1885~1901年に、ドイツのアルブレヒト・コッセル(1853-1927)らが、核酸の中から、5種類の核酸塩基、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)、ウラシル(U)を分離・命名した。


Nucleic Acids(source:William Reusch, Nucleic Acids)

1928年には、イギリスの細菌学者のフレデリック・グリフィス(1879-1941)が、肺炎レンサ球菌とマウスを用いて、バクテリアの形質を転換できること、さらに、個体から他の個体に遺伝情報を転移できることを発見した。

1929年、ドイツのフィーバス・レヴィーン(1869-1940)が、核酸には、リン酸と核酸塩基以外に2種類の糖が含まれていることを見つけた。すなわち、核酸にはRNA(リボ核酸)とDNA(デオキシリボ核酸)の2種類あることを発見した。


Components of Nucleic Acids(source:William Reusch, Nucleic Acids)

文献
William Reusch, Nucleic Acids
https://www2.chemistry.msu.edu/faculty/Reusch/VirtTxtJml/nucacids.htm

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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