進化論と遺伝学:Evolution theory and Genetics

ダーウィンは、『種の起源』(1859)の第1章で、変異の法則について次のように述べる。

Perhaps the correct way of viewing the whole subject would be, to look at the inheritance of every character whatever as the rule, and non-inheritance as the anomaly.
The laws governing inheritance are for the most part unknown; no one can say why the same peculiarity in different individuals of the same species, or in different species, is sometimes inherited and sometimes not so; why the child often reverts in certain characteristics to its grandfather or grandmother or more remote ancestor; why a peculiarity is often transmitted from one sex to both sexes, or to one sex alone, more commonly but not exclusively to the like sex.(CHAPTER I)

「おそらく、主題全体を見る正しい方法は、あらゆる形質は法則として遺伝する、そして遺伝しないことは異常として見ることである。
遺伝を支配する法則は、まったくわかっていない。なぜ、同じ種の異なる個体において、あるいは異なる種の個体において、同じ特徴が、ときには遺伝し、ときには遺伝しないのか? なぜ、子供はしばしばその特徴において、祖父または祖母、あるいはより遠い祖先に回帰するのか? なぜ、ある特徴が、片方の性から、両方の性に伝わったり、あるいは片方だけに伝わったり、より普通には、同じ性に伝えられるのか?」

『種の起源』の刊行から6年後の1865年に、グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-1884)が、「植物雑種に関する実験」(メンデルの法則)を発表した。メンデルは、チェコ(当時はオーストリア帝国)の農家に生まれ、オルミュッツ大学で哲学、物理学を学んだ。経済的な理由から修道院に入会して勉強を続け、ウィーン大学に留学して物理学、数学、植物学、生物学を学んだ。このときの物理学の師は、ドップラー効果を発見したクリスチャン・ドップラーであった。

修道院の司祭として生活しながら、1856~1863年にエンドウマメを使って遺伝の研究を行った。まず、数年かけてエンドウマメ品種の純系の選抜を行い、その後に交配実験を行った。そして、分離の法則(染色体の対立遺伝子が2つに分かれ、各配偶子は1つの対立遺伝子を有する)、および優性の法則(対立遺伝子の発現には差がある)を発見した。

しかし、当時は、生物学や遺伝学におけるメンデルの法則の重要性を理解できる生物学者や科学者はおらず、まったく注目されなかった。メンデルの法則は、35年後の1900年に、カール・エーリヒ・コレンス(独)、エーリヒ・フォン・チェルマク(オーストリア)、ユーゴー・ド・フリース(オランダ)の3人の研究者によって独立に再発見された。なお、メンデルは、ダーウィンの進化論を知っていたが、それを批判するメモを残していたという。

1901年に、メンデルの再発見者の一人であるユーゴー・ド・フリース(1848-1935)は、オオマツヨイグサの変異の観察から、進化は突然変異によって起こるという突然変異説を唱えた。翌1902年には、ウォルター・サットン(米、1877-1916)が、染色体の減数分裂の観察から、遺伝子が染色体上にあるという染色体説を提唱した。1913年に、トーマス・ハント・モーガン(米、1866-1945)がショウジョウバエを用いて、サットンの染色体説を証明した。

1930年代にロナルド・フィッシャー(英、1890-1962)ら集団遺伝学者によって、メンデル遺伝学(おもに突然変異説)とダーウィンの自然選択説の融合が行われた。1940年代には、分類学、古生物学、植物学、生態学などの成果を総合して、進化の総合学説(ネオダーウィニズム)が成立した。遺伝学と進化論は進展したが、遺伝子の実体やその仕組みは謎のままであった。

一方、医学者や生理学者によって、核酸の研究が進んでいた。1869年、スイスの生理学者、ヨハネス・フリードリッヒ・ミーシェル(1844-1895)は、細胞核中に核酸を発見して“nuclein”(ヌクレイン)と命名した。核酸にはリンが多く含まれていたので、ミーシェルは、核酸はリンの貯蔵器官と考えていた。

1885~1901年に、ドイツのアルブレヒト・コッセル(1853-1927)らが、核酸の中から、5種類の核酸塩基、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)、ウラシル(U)を分離・命名した。


Nucleic Acids(source:William Reusch, Nucleic Acids)

1928年には、イギリスの細菌学者のフレデリック・グリフィス(1879-1941)が、肺炎レンサ球菌とマウスを用いて、バクテリアの形質を転換できること、さらに、個体から他の個体に遺伝情報を転移できることを発見した。

1929年、ドイツのフィーバス・レヴィーン(1869-1940)が、核酸には、リン酸と核酸塩基以外に2種類の糖が含まれていることを見つけた。すなわち、核酸にはRNA(リボ核酸)とDNA(デオキシリボ核酸)の2種類あることを発見した。


Components of Nucleic Acids(source:William Reusch, Nucleic Acids)

文献
William Reusch, Nucleic Acids
https://www2.chemistry.msu.edu/faculty/Reusch/VirtTxtJml/nucacids.htm

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日本の農学者たちの研究

栽培植物の起源をめぐっては、日本の農学、遺伝学の研究者たちも、大きな成果をあげてきた。

コムギの起源

木原均(1893-1986)は、日本を代表する遺伝学者の一人で、世界に先駆けて普通コムギ(パンコムギ)の起源を明らかにした。木原は、1893年に東京で生まれ、北海道大学(当時は東北帝国大学農科大学)で植物生理学を学んだ。木原が遺伝学に進むきっかけとなったのは、坂村徹の「遺伝物質の運搬者」と題する講演を聞いたことであった。当時、坂村は大学院生で、木原の先輩であった。(*1)

坂村徹(1888-1980)は広島県で生まれ、北海道大学で植物細胞学・植物生理学を学んだ。坂村は、1918年にコムギの染色体の倍数関係と正確な染色体数を世界で始めて発見した。

コムギ属の倍数性、染色体数、ゲノム、種類は表のように分類されている。この中で、栽培種としてもっとも普及しているのは、普通コムギ(パンコムギ)とマカロニコムギ(デュラム)である。コムギの染色体数は、7を基本とする倍数関係にあり、一粒系2n=14、二粒系2n=28、普通系2n=42であり、それぞれ2倍体、4倍体、6倍体となる。

倍数性 染色体数 ゲノム 種類
2倍性 2n=14 AA 一粒系 野生ヒトツブコムギ、アインコルンコムギなど
4倍性 2n=28 AABB 二粒系 パレスチナコムギ(野生)、エンマーコムギ、マカロニコムギなど
AAGG チモフェービ系 アルメニアコムギ(野生)、チモフェービコムギ
6倍性 2n=42 AABBDD 普通系 スペルタコムギ、パンコムギなど
AAAAGG ジュコフスキー系 ジュコフスキーコムギ

その後、坂村は、ヨーロッパへ留学し、帰国して北海道帝大教授に就任した。1941年に、名著といわれた『植物生理学』を著し、後継の研究者に大きな影響を与えた。

坂村が留学したために、木原が、コムギ研究を坂村から引き継ぐことになった。京都大学に移った木原は、染色体数の異なるコムギをかけあわせて雑種をつくり、その染色体数の変化を調べた。1930年に、コムギは7本の染色体セットが完全な形でそろっているときに、最小限の遺伝的機能を果たしていることを発見し、「生物をその生物たらしめるのに必須な最小限の染色体セット」を「ゲノム」(genome)と名づけた。

1944年に、二粒系コムギ(2n=18、AABB)と、タルホコムギ(2n=14、DD)が交雑して、普通系コムギ(2n=42、AABBDD)になったことを解明し、終戦後の1948年には、じっさいにタルホコムギとマカロニコムギを掛け合わせて、パンコムギを作出することに成功した。


普通系コムギ(パンコムギ)の起源

1955年、木原は、京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊を組織した。メンバーには、岩村忍(東洋史学)、梅棹忠夫(民族学)、岡崎敬(考古学)、北村四郎(植物学)、今西錦司(生態学)、中尾佐助(植物学)らがいた。ヒンズークシ隊は、パキスタンからカスピ海に至る1万キロを踏破し、マカロギコムギの畑で、雑草のタルホコムギが一緒に生えている場所を発見した。そして、パンコムギの起源地は、カスピ海西岸であると結論づけた。

木原は、コムギの研究のほかにも、スイバ(タデ科の多年草で雌雄異株)を使って、高等植物にも性染色体があることをはじめて発見(1923)したり、種なしスイカを作出するなど、大きな業績を残した。「地球の歴史は地層に、生物の歴史は染色体に記されてある」という言葉を残している。なお、木原は、ニコライ・ヴァヴィロフの友人であり、ヴァヴィロフが調査のために来日した1929年に交流している。

イネの起源

1898年、滋賀県農業試験場長であった高橋久四郎は、人工交配によるイネの新種の作出に初めて成功した。1904年に、農商務省の農事試験場畿内支場で、加藤茂苞(1868-1949)がイネの品種改良を開始した。のちに、加藤は、形態や交配親和性の違いから、イネをインディカとジャポニカの2つの型に分類することを提案した(1928)。

加藤の共同研究者であった安藤広太郎(1871-1958)は、1951年に『日本古代稲作史雑考』を著し、戦後の稲作史研究の指針となった。

九州帝大の盛永俊太郎(1895-1980)は、アブラナ属の種間の遺伝的類縁関係の解析を初めて手がけ(1925)、その後、イネの遺伝学的解析を行った。戦後は、農林省農事試験場長、農業技術研究所長を歴任し、1969年に、安藤広太郎、柳田國男と共著で『稲の日本史』発表した。

また、京都大学の渡部忠世(1924-)は、アジア各地のイネや、遺跡から出土したイネの籾殻の粒形を比較検討し、栽培イネの発祥地を、インド東北部のアッサムと雲南高地とする説を唱えた。

オオムギの起源

高橋隆平(1910-1999)は北海道大学農学部で育種学を学び、農林省農事試験場を経て、大原農業研究所(現在の岡山大学資源植物科学研究所)で、オオムギ研究に従事した。中国を始め、世界中から栽培品種4000種、野生種200種のオオムギ品種を集めた。

高橋は、多数のオオムギ品種の交雑試験を行う過程で、オオムギの脱粒性は、2つの優性遺伝子(Btr1、Btr2)によって支配されており、2つを同時に持つと脱粒性(野生型)となり、どちらか一方でも欠けると非脱粒性(栽培型)になることを発見した。また、Btr2はヨーロッパの品種に多く、Btr1は東アジアの品種に多いことを見出し、西域型(W型)と東亜型(E型)と名づけた。(*2)

これは、栽培オオムギには2つの祖先があり、それぞれが西と東に伝播していったことを意味している。ヨーロッパ、トルコ、エチオピアではW型が80%以上を占め、中国、朝鮮半島、日本ではE型が80%以上となっている。さらに、北アフリカ(エジプト、アルジェリア、チュニジア、モロッコら)では、中東より西にもかかわらず、E型が90%以上を占めており、これは、7世紀以降のイスラム教の隆盛の影響と考えられる。

また、高橋は、日本の在来オオムギの品種を調べ、日本海側には皮麦が多く、太平洋側と瀬戸内には裸麦が多いことを指摘している。

アブラナ属の起源

農事試験場の禹長春(1898-1959)は、水島宇三郎(1903-2000)、永松土己とともに、アブラナ属栽培6種の相互関係を「禹の三角形」として明らかにした(1935)。


禹の三角形

なお、禹の父は乙未事変(閔妃暗殺事件)に加わった、朝鮮王朝武官の禹範善である。禹範善は事変後に日本に亡命し、日本人女性と結婚して、禹長春が生まれた。禹範善は、1903年に、閔妃に仕えていた高永根に広島県呉市の自宅で暗殺された。禹長春は、戦後の1950年に韓国に招かれ、韓国農業科学研究所所長、中央園芸技術院院長を歴任した。渡韓からわずか9年後の1959年に、61歳で亡くなったが、韓国農業発展への貢献は大きく、「韓国農業の父」と呼ばれている。

戦後、東北大学に移った水島宇三郎は、1965年に、角田重三郎(1919-2001)とともに海外学術調査を行った。アブラナ属の野生の基本種3種を収集し、その分布を調べた。そして、アブラナ属作物の起源について、以下のように明らかにした。(*3)

a:アブラナ属は地中海性気候に適応し、地中海周辺でアブラナ科植物の変異がもっとも多い。また、最少染色体数のB. adpressa(n=7)やクロガラシ(n=8)、B. fruticulosa(n=8)は地中海周辺で優勢である。アブラナ属は地中海周辺を故郷とすると考えられる。

b:クロガラシは、インド、エチオピア、地中海島嶼などで古くから薬用、香辛料、油料、疏菜として栽培化されている。

c:キャベツ類の野生型は海岸の急峻な岩崖に生息し、栄養分に富んだ厚肉葉の永年生植物である。古代より疏菜として利用され、栽培化された。さらに、キャベツ類野生型は地中海から、アイルランド南岸、英仏海峡の両岸、ユトランド半島まで自生地を拡げ、様々な栽培型に分化した。

d:アブラナ類(カブ、アブラナなど)の野生型は、地中海域から亜寒帯冬雨気候まで、生育地を北上させた。低温下でよく生育し、小アジアの高原地帯に優勢な生育地がみられる。そこからコーカサス、スカンジナビア、シベリアにまで分布している。油料用やカブとしてヨーロッパ全域で栽培されている。さらに、インドに伝播してインドナタネを生じ、中国東部および日本に伝播して、多様なツケナ類とナタネに分化した。

e:カラシナ類の野生型は、トルコ、イラク、アラビアなどの中東に多く、この地域でクロガラシとアブラナ類の交雑により生じたと考えられる。インドや中国で、油料、葉菜、根菜および香辛料として多数の栽培型が分化した。

f:アビシニアガラシは古来よりエチオピア人の重要疏菜であるが、地中海域にはその野生型が皆無である。エチオピア高原に伝わったキャベツ類と、クロガラシとの交雑に由来すると考えられる。

g:セイヨウアブラナ類の野生型は北欧に見いだされる。セイヨウアブラナ類は、キャベツ類とアブラナ類の間に生じた可能性が高い。セイヨウアブラナ類は、西洋ナタネと飼料カブの2つの系統に分化した。


アブラナ属作物の3基本ゲノム種の自生地の分布と伝播ならびに、3複2倍体種の推定成立地帯(水島・角田, 1969)(source:農業環境技術研究所報告第36号)

青葉高(1916-1999)は、山形大学農学部教授、千葉大学園芸学部教授を歴任し、日本の蔬菜園芸の研究で大きな業績を残した。青葉は、日本のカブの在来品種を調べ、洋種系と和種系の2つが存在し、和カブの系統をたどりと、中国大陸にたどりつくのに対し、洋種カブの系統は、中国東北部からシベリアを経由してヨーロッパにまで到ることを明らかにした。(*5)

カブは、栽培化の早い段階でヨーロッパ系とアジア系に分かれ、ロシア、トルコ、中央アジア、インド、中国、日本などで独自の品種が発達した。また、日本への伝来は、古代に別ルートで2回あったと考えられる。

なお、カブと同様に、同じアブラナ科のダイコン属にも、2つの伝来ルートが予想される。ダイコンの近縁種は、地中海沿岸や黒海周辺にみられることから、この地方が原産地であろうと考えられている。ダイコンは、栽培の歴史が長く、ヨーロッパ、インド、中国、日本などで、その地方の気候に適応して多くの品種が分化している。大きくは欧州系とアジア系に分けられ、アジア系はさらに、低温乾燥に適応した華北群と、温暖多湿を好む華南群に分けられる。日本の大根の多くは華南群に属するといわれるが、華北群との交雑種など、独自の在来種が各地に発展している。

中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』

中尾佐助(1916-1993)は、京都学派の代表的な植物学者で、モンゴル、ネパール、ブータン、インドなどを探検して、植物の学術調査を行った。1966年に『栽培植物と農耕の起源』を発表し、豊富な植物学の知見に、栽培法、収穫法、利用法などの人類学的視点を加え、世界の栽培植物と農耕の起源を論じた。日本人研究者としては、初めての取り組みであり画期的な論考であった。

中尾は、アルフォンス・ドゥ・カンドールやヴァヴィロフの業績を評価する一方で、当時のイギリス研究者の単系文化進化主義を強く批判している。そして、サウアーとマードックの説に触れながら、自分の説は、マードック説に近いと述べ、以下の4つの農耕文化起源地を挙げている。(*6)

a:根菜農耕文化
マレー半島やニューギニア島を中心とする東南アジアの熱帯雨林地域が発祥地。バナナ、ヤムイモ、タロイモ、サトウキビ、サゴヤシ、パンノキなどを栽培化し、ブタ、ニワトリを家畜化。

b:サバンナ農耕文化
ニジェール川流域、エチオピア、インドのサバンナ地帯が発祥地。雑穀(アワ、キビ、モロコシなど)、マメ類、ウリ類、ゴマ、アブラヤシ、イネなどを栽培化。

c:地中海農耕文化
地中海性気候の中東地域が発祥地。コムギ、オオムギ、ライムギ、エンバク、エンドウ、ソラマメ、ナタネ類を栽培化し、ウシ、ヒツジ、ヤギ、ウマ、ロバを家畜化。

d:新大陸の農耕文化
メキシコ、アンデス高地、南米北部が発祥地。トウモロコシ、マメ類、トマト、ジャガイモ、カボチャ、トウガラシ、サツマイモ、キャッサバなどを栽培化。

中尾は、サウアー説にならって、旧大陸の3箇所の農耕起源地の中では、根菜農耕文化がもっとも古いと考えていた。また、根菜農耕文化が温帯の照葉樹林帯に伝播し、照葉樹林文化が発達したと唱えた。アッサム、雲南、長江流域、日本列島にいたる照葉樹林帯では、ワラビ、コンニャク、ヤマノイモ、シソ、カイコ、ムクロジ、ウルシ、チャ、ミカン、ヤマモモ、ビワなどの作物が共通してみられ、文化要素としては、アク抜き、発酵茶、絹の利用、漆器、バラ麹などの利用も共通しているとした。70年代以降に、中尾は佐々木高明とともに、照葉樹林文化論を積極的に提唱するようになり、日本の民族学などに大きな影響を与えたが、考古学者や農学者からの批判も多かった。

(敬称略)

文献
*1)木原ゆり子、木原均先生小伝、北海道大学総合博物館、2015
*2)武田和義、オオムギの進化と多様性、麦の自然史、北海道出版会、2010
*3)水島宇三郎、アブラナ連植物の進化と育種、化学と生物 Vol. 10、1972
*4)遺伝子組換えセイヨウアブラナの生物多様性影響評価に必要なカラシナ(Brassica juncea)、アブラナ(B. rapa)、セイヨウアブラナ(B. napus)の生物情報集、農業環境技術研究所報告第36号、2016
*5)青葉高、カブ、農業技術大系野菜編第9巻、農山漁村文化協会
*6)中尾佐助、栽培植物と農耕の起源、岩波新書、1966

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ダーウィンの「創造の一つの中心」:Single centres of creation

ダーウィンは、『種の起源』の12章で、“single centres of creation”(創造の一つの中心)について論じている。

Some few families, many subfamilies, very many genera, a still greater number of sections of genera, are confined to a single region; and it has been observed by several naturalists that the most natural genera, or those genera in which the species are most closely related to each other, are generally confined to the same country, or if they have a wide range that their range is continuous.(Chapter XII)

「いくつかの科、多くの亜科、非常に多くの属、さらに多くの属の節が、一つの地域に限定されている。 もっとも自然な属、すなわちそれに含まれる種がもっともお互いに近縁な属は、一般的に同じ地域に限定されているか、あるいは広い範囲に連続的に生息していることが、博物学者たちによって観察されている。」

Hence, it seems to me, as it has to many other naturalists, that the view of each species having been produced in one area alone, and having subsequently migrated from that area as far as its powers of migration and subsistence under past and present conditions permitted, is the most probable. (Chapter XII)

「したがって、私には次のように思え、それは、多くの博物学者もそうであろう。各々の種は、一つの地域のみで生み出され、その後、過去および現在の条件が許す範囲で、その移動力と生存力によって可能なかぎり遠くまで、移動した可能性がもっとも高い。」

このような、「創造」が起きやすい場所についても、2章および4章で考察している。

Alphonse de Candolle and others have shown that plants which have very wide ranges generally present varieties; and this might have been expected, as they are exposed to diverse physical conditions, and as they come into competition (which, as we shall hereafter see, is a far more important circumstance) with different sets of organic beings. But my tables further show that, in any limited country, the species which are the most common, that is abound most in individuals, and the species which are most widely diffused within their own country (and this is a different consideration from wide range, and to a certain extent from commonness), oftenest give rise to varieties sufficiently well-marked to have been recorded in botanical works.Hence it is the most flourishing, or, as they may be called, the dominant species,— those which range widely, are the most diffused in their own country, and are the most numerous in individuals,— which oftenest produce well-marked varieties, or, as I consider them, incipient species.(Chapter II)

「アルフォンス・ドゥ・カンドールおよび他の研究者たちは、非常に広い範囲に分布する植物は、変種を生じやすいとを示した。このような種は、多様な物理的条件にさらされ、他の生物種と競争する(後述するように、こちらのほうがはるかに重要である)ので、このことは、予想されるであろう。しかし、私の表では、以下のことを示している。限られた地域では、もっとも個体数が多く、もっとも広く拡散している種(これは単に生息域が広いという意味ではないし、単に数が多いという意味とも違う)から、植物学の研究に変種として記録されるような、十分に明確な変種が生まれることが、もっとも一般的である。つまり、優占種(分布域が広く、かつその地域でもっとも普及しており、もっとも個体数が多い種)と呼ばれるもっとも繁栄している種が、しばしば記録されるような変種(いわば、発端の種)を生み出す。」

To sum up, as far as the extreme intricacy of the subject permits, the circumstances favourable and unfavourable for the production of new species through natural selection. I conclude that for terrestrial productions a large continental area, which has undergone many oscillations of level, will have been the most favourable for the production of many new forms of life, fitted to endure for a long time and to spread widely.(CHAPTER IV)

「主題は極端に複雑ではあるが、可能な範囲で、自然選択によって新しい種が生成する有利な状況と不利な状況について要約する。私は、地上では、多くの水準の振動を経験してきた広い大陸のエリアが、長期に存続し広範囲に生息できるような新種の生成に、もっとも有利であると結論づける。」

さらに、創造の中心から離れ、隔離された地域について、以下のように述べる。

The importance of isolation is likewise great in preventing, after any physical change in the conditions, such as of climate, elevation of the land, &c., the immigration of better adapted organisms; and thus new places in the natural economy of the district will be left open to be filled up by the modification of the old inhabitants. Lastly, isolation will give time for a new variety to be improved at a slow rate; and this may sometimes be of much importance. If, however, an isolated area be very small, either from being surrounded by barriers, or from having very peculiar physical conditions, the total number of the inhabitants will be small; and this will retard the production of new species through natural selection, by decreasing the chances of favourable variations arising.(CHAPTER IV.)

「隔離の重要性は、気候、標高、より適応した生物の移動など、条件の物理的変化を妨げることである。そして、このような、地域の自然経済における新しい場所は、古い住民の変化によって満たされるように開いたままにされる。最後に、隔離は、新しい種がゆっくりした速度で変異する時間を与える。ときにはこれが非常に重要になる。しかしながら、隔離された区域は非常に小さく、障壁で囲まれたり、特異な物理的条件であることから、生物の個体の総数は少なくなる。これは、有利な変異が起きる可能性を減少させるので、自然選択による新種の生成を遅らせる。」

ダーウィンの、「創造の中心はただ一つ」という説は、植物学者のヴァヴィロフだけでなく、人類学者にも影響を与えた。

アメリカの人類学者のクラーク・ウィッスラー(1870-1947)は、インディアナ大学やコロンビア大学で心理学を学び、のちにボアズに師事して人類学に転じた。ニューヨーク自然史博物館で40年間にわたって指導し、『アメリカインディアン』(1917)を著した。

ウィスラーは、それぞれの部族の文化的な特徴を、言語、食文化、衣類、建築、冶金、芸術、社会制度、神話、儀礼などの要素によって分類し、「文化領域」の概念を提案した。さらに、文化領域の地理的な分布を調べることで、「年代領域原理」を提唱した。

ウィッスラーの年代領域仮説によれば、新しい文化形質は、文化の中心地域で繰り返し起こり、それが、同心円状に、文化領域の周縁に向かって拡散してく。文化の形質がほぼ同じ速度で広がるならば、文化形質の地理的範囲と年代との間には関連性が存在する。そして、文化領域のより周縁で見られる文化的形質は、中心地域で見られる形質よりも古い。(*2)


How to Make Blackfoot Moccasins Circa, Excerpt from “Material Culture of the Blackfoot” by Clark Wissler , 1909

ここで、ダーウィンの「創造の一つの中心」のモデルを考える。


Nn:ニッチ
Kn:環境収容力
gn:遺伝子プール
mn:遺伝子プールの個体数
l:遺伝子プール間の距離

以前のブログで、遺伝子プールの表現型変異の速度rmを以下のように導いた。

rm=p0m/tg
rm:遺伝子プールの表現型変異の速度
p0:個体の1回の複製時に表現型変異が起きる確率
mn:遺伝子プールの個体数
tg:世代時間

上記の式から、遺伝子プールの個体数が長期的に安定である場合、p0およびtgが同じ値ならば、個体数mが大きいほど、変異速度rmは大きくなる。遺伝子プールの個体数mは、ニッチNの環境収容力Kが大きいほど大きくなり、変異速度rmも大きくなる。

また、存在する個体数に比べて環境収容力Kが大きい場合は、遺伝子プールの個体数は増加してdm/dt>0、drm/dt>0となり、変種や新種が生じる確率が大きくなる。

遺伝子プール同士は、時間の経過に比例して、遺伝子プール間の遺伝的距離dmが大きくなる。環境の違いは蓄積される変異に差をもたらす。g2とg3のように遺伝子プール間の距離lが小さい場合は、異なる遺伝子プールに属する個体同士が接合する確率が大きくなり、g2-g3間の遺伝的距離dm23はあまり大きくならない。ただ、この場合、遺伝的差異が存在する個体同士が接合するので、単独の遺伝子プールの変異速度に比べて、g2-g3全体の変異速度rm23は大きくなる。なお、遺伝子プール間の遺伝的距離は、遺伝子プール間の物理的距離と時間的距離が大きいほど、大きくなる。

g1のように他の遺伝子プールとの距離lが大きく、隔絶している場合は、他の遺伝子プールに属する個体と接合できないので、次第に遺伝的距離dmは大きくなる。このとき、環境収容力K1が小さければ、個体数m1は小さくなり、かつ遺伝的に近い個体同士でしか接合できないので、g1の変異速度rm1は小さくなる。すなわち、“ isolation will give time for a new variety to be improved at a slow rate”=隔離は、新しい種がゆっくりした速度で変異する時間を与える。

「創造の中心」から遠く隔絶した例としては、以下の生物がある。

カモノハシは、哺乳綱単孔目カモノハシ科カモノハシ属に分類されるが、カモノハシ科カモノハシ属は1種のみである。オーストラリアの森林地帯の河川や湖沼などの淡水域に分布し、群れは作らず単独で生活する。1億5000万年前に他の哺乳類から分岐したグループの末裔で、卵を産むことや、乳首がないなど、他の哺乳類にはない原始的な特徴を多く残している。卵を産む哺乳類である単孔類は、かつては多くの種が存在したが、現在はカモノハシとハリモグラしか生存していない。(*2)


カモノハシ(Author:Klaus)

ハイギョ(肺魚)は、肉鰭綱・肺魚亜綱に属する。肉鰭綱(にくきこう)は、肉質の鰭(ひれ)を持つ原始的な魚類で、現存する系統はハイギョ類とシーラカンス類のみである。ハイギョは、肺や内鼻孔などの両生類的な特徴を持つ魚で、4億年前に出現し、古生物学では64属280種が知られる。現存する種はオーストラリアハイギョ1種、ミナミアメリカハイギョ1種、アフリカハイギョ4種のみで、これらは全て淡水域に生息している。


オーストラリアハイギョ(Author:Tannin)

アマミノクロウサギは、兎形目ウサギ科アマミノクロウサギ属に分類され、1種のみが存在する。日本の奄美大島および徳之島の固有種で、DNA解析や形態から、原始的形質を多く残した種とされている。


アマミノクロウサギの剥製(Author:Momotarou2012)

なお、ダーウィンは、『種の起源』4章で、“living fossils”(生きた化石)として、カモノハシとハイギョを例にあげている。

All fresh water basins, taken together, make a small area compared with that of the sea or of the land. Consequently, the competition between fresh water productions will have been less severe than elsewhere; new forms will have been more slowly produced, and old forms more slowly exterminated. And it is in fresh water basins that we find seven genera of Ganoid fishes, remnants of a once preponderant order: and in fresh water we find some of the most anomalous forms now known in the world, as the Ornithorhynchus and Lepidosiren, which, like fossils, connect to a certain extent orders at present widely separated in the natural scale. These anomalous forms may be called living fossils; they have endured to the present day, from having inhabited a confined area, and from having been exposed to less varied, and therefore less severe, competition. (CHAPTER IV)

「淡水域は、それをすべてあわせても、海や陸地に比べて面積が小さい。その結果、淡水生物間の競争は、他の地域と比べてそれほど厳しくはないであろう。新しい形質はゆっくりと発生し、古い形質はよりゆっくりと消滅するであろう。かつて優位な地位を占めていた硬鱗魚類7属は、すべて淡水域で発見されている。そして、淡水域では、カモノハシやレピドシレン(Lepidosiren:ミナミアメリカハイギョ)のような、世界でもっとも異常な形質が見つかる。それらは、化石のように、現在では自然の階層が遠く離れた種類をつないでいる。これらの異常な形質は、『生きた化石』と呼べるであろう。彼らは限られた地域に住んでいて、それほど変化がなく、あまり厳しくない競争にさらされていたため、今日まで耐えてきた。」


South American lungfish (Lepidosiren paradoxa)

文献
*1)Charles Darwin, The Origin of Species, The sixth edition, 1872
*2)Stanley A.Freed and Ruths.Freed, Clark Wissler, National Academy of Sciences, 1992
*3)How the Venomous, Egg-Laying Platypus Evolved
https://news.nationalgeographic.com/2016/07/animals-platypus-evolution-science/

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