新石器革命論、伝播主義、生態学的アプローチ:Neolithic Revolution, Diffusionism, Ecological Approach

ゴードン・チャイルドの新石器革命論

ゴードン・チャイルド(1892-1957)は、オーストラリアのシドニーに生まれ、シドニー大学とオックスフォード大学で考古学を学んだ。在学中に熱心な社会主義者になり、卒業後に労働党出身の州長官の秘書として活動していた。1921年にロンドンに移り、王室考古学研究所の図書館員になった。1925年に、“The Dawn of European Civilisation”(ヨーロッパ文明の夜明け)を出版し、1927年にはエジンバラ大学に移って、オークニー諸島のスカラ・ブレイ遺跡を発掘して大きな業績を残した。


House 1 of Skara Brae(Author:Wknight94)

1936年に、“Man makes himself”(文明の起源)を発表し、1940年にロンドン大学先史ヨーロッパ考古学教授に就任、1942年には“What Happened in History”(歴史のあけぼの)を出版した。チャイルドが提唱した新石器革命論は、世界の考古学、歴史学に大きな影響を与えた。1956年にロンドン大学を辞し、シドニーで引退生活を送っていたが、1957年にブルー山脈中の崖から身を投げて自死した。

チャイルドは、文化史(先史考古学)に、マルクスの唯物史観を導入したことで知られている。

「考古学は、人間の経済や社会的生産制度における急激な変革を追及できるし、また追及するものである」、「考古学は、経済制度の変化や生産手段の改良を観察し、これを年代順に示すことができる。考古学者は先史時代を石器時代、青銅器時代および鉄器時代に三分しているが、・・かれらは、物のきる道具、とくに斧(そしてこの道具はもっとも重要な生産道具の一つである)につかった材料にもとづいている。唯物史観は、社会制度や経済組織の形式を組たて、これを決定するにあたって、生産道具の重要性を主張する」(文献1)

チャイルドが立脚したもうひとつの原理は、進化論である。

「歴史家のいう『進歩』とは、動物学者のいう進化と同種のものである、といっていい。ここで、のぞましいことは、動物学の規則に適用できる標準は、動物学者とか、そのほかの自然科学者の特徴とする公平さや客観的判断を歴史家にもたせるかもしれないことである。さて、生物学者にとって、進歩は(もしこの言葉をつかうとすれば)生存競争における成功を意味することになっている」(文献1)

また、イギリスの産業革命を例にして、旧石器時代から新石器時代への変遷を『革命』と位置づけた。

「歴史上の変革は、それが、われわれ人類の存続と繁殖に役だった度合いによって、判定できる。これは人口表に、あらわすことのできる数字上の標準である。歴史上、われわれは、この数字の標準を直接に応用できる事件にであっている。そのもっとも、いちじるしい例はイギリスの『産業革命』である」


イギリス本国の人口概算表(1500-1800年)(参考:『文明の起源』)

「この数字と曲線の教訓に注意すれば、人類最古の時代にも別種の『革命』があったことを、看破することができるであろう。この『革命』は『産業革命』と同じ工合いに、すなわち人口曲線の上昇のような形であらわれているが、これも、おなじ標準から判定されなくてはならない。本書のおもな目的は、この角度から先史学と古代史を考察することである」(文献1)

そして、「新石器革命」を次のように定義する。

「人類の経済を変えた第一の革命(新石器革命)によって、人類は自分の食料供給を支配するようになった。人類は栽培と耕作をおこない、また食用の雑草、根茎および木をえらびだして、改良をはじめた。また、できるかぎり、ある種の動物に飼料をやり、保護をくわえ、めんどうをみてやった結果、その動物をならして、密接に、自分にむすびつけることに成功した」

新石器革命の特徴として以下の点を列挙している。

磨製石斧:食料生産者の最古の居住地に発見されるが、農耕の無かった時期のバルチック沿岸でも見つかるし、逆に穀物を生産していたナトゥーフ期人は斧を持っていないため、確実な指標ではない。

土器:新石器時代の共同体の一般的な特徴は壷の製作。ただし、ナトゥーフ期人はこれをつかわなかった。

織物:エジプトや西南アジアの新石器時代の遺跡では、亜麻などを材料にした織物の痕跡が見つかる。

村落:新石器時代の村の住居はバラバラでなく、キチンとした秩序で配置されている。共同体の活動を調整するための社会機関があったことを意味する。

なお、チャイルドはマルクス主義者らしく、「われわれは『新石器時代の体制』や『新石器時代の宗教』についての記述はこころみない。こうしたものが存在したことは本当にありそうもない」、「根強くしみこんだ習慣や、熱狂的に信じられた迷信は、社会の変革や、これを必要とする科学的進歩にたいして、あきらかに有害である」と論じている。

今日から見れば、チャイルドのマルクス主義の唯物史観、すなわち労働価値説および余剰価値説によって、古代の社会の構造や変化を説明することは、かなり無理がある。

チャイルドは、当時の「文化移動論者」(太陽巨石文化説)や「ドイツ歴史学派」(ウィーン学派、文化圏説)などの伝播主義を、非科学的であると批判した。さらに、「ヒットラー氏と御用学者たちが公然と説明するファシスト哲学は―しかし、これはときどき、イギリスやアメリカでは優生学というマスクをかぶっているが―進歩というものを、神秘的に表現された生物学上の進化と、まったくおなじもの、とみている」と、優生思想を厳しく批判している。

伝播主義

伝播主義は、19世紀末~20世紀前半に、ドイツ、オーストリア、イギリス、アメリカなどで盛んになった人類学の立場である。伝播主義では、異なる文化の間の共通性や類似を、人の移動、あるいは文化の伝播の結果と考える。

代表的な理論の一つに、ウィーン学派の「文化圏説」がある。文化圏説は、ドイツのフロベニウスによって民族学の理論として導入された。つづいて、歴史家のフリッツ・グレープナーは、『民族学方法論』(1911)を著して、様々な民族が、共通の起源から発生したとする進化論(単一起源説)に反論した。その後、文化圏説はドイツ、オーストリアで発展し、ウィーン学派のヴィルヘルム・シュミット(1868-1954)が、『神の思想の起源』(1912-1955)を著した。

シュミットはローマ・カトリック教会の司祭で、ベルリンとウィーンで言語学を学んだ。東南アジア、オーストラリア、オセアニアの言語を研究するなかで、すべての部族には、創造神である原始一神教が存在し、それぞれの文化圏が発展する過程で、多神教が発生した主張した。

一方、イギリスでは、マンチェスター大学の解剖学者のエリオット・スミスとペリーが、世界の文明の起源は古代エジプトであり、世界中の巨石文化などの遺物は、太陽崇拝のエジプトの巨石文化民族が移動して成立したと主張した。これは、「太陽巨石文化説」と呼ばれて大衆には人気があったが、人類学者からは実証に基づかない空論と批判された。

アメリカでは、ボアズと弟子のクローバー、ウィスラーらが、限られた地域内での緻密な分布研究を基に、人の移動や文化の伝播が、文化の成立に果たした役割を実証的に示した。しかし、その後、人類学における伝播主義の影響力は小さくなっていった。

グレイアム・クラークの生態学的アプローチ

チャイルドの新石器革命論に対し、同じ考古学者として批判したのは、グレイアム・クラーク(1907-1995)である。クラークはケンブリッジ大学ピーターハウス・コレッジで学び、同大学のディズニー教授、ピーターハウスのフェロー、学長の要職を長く務めた。クラークは、ヨークシャーのスター・カーの発掘調査(1949-1951)で大きな業績をあげた。

スター・カーは、ヨークシャーの中石器時代の遺跡である。数家族の狩猟民のキャンプ地跡で、最終氷期の氷床が解けて浸水したため、湖底に大量の遺物が残されていた。骨角製遺物をはじめ、多くの有機物が保存されており、気候、植生、動物相などの多岐にわたる情報が得られ、当時の生態環境の復元が可能となった。クラークらは、環境学的、生態学的な手法で総合的な調査を実施し、その後の考古学研究に大きな影響を与えた。


Star Carr collection at Yorkshire museum – mesolithic spear tips from the earliest known post glacial settlement in England(Author:Jonathan Cardy)

クラークは、チャイルドの新石器革命論=「経済や社会的生産制度における急激な変革」に対し、次のように述べる。

「先史時代の人間がコムギ、オオムギあるいはコメ、トウモロコシ、マニオク、カボチャ、マメなどを管理可能な栽培植物として育て始めたまさにその時、突如として新しい次元が開け文明化が可能となったと考えるのは誤りであろう」(文献3)

「インド、中国あるいは西南アジアの最古の農耕社会を理解するためには、先行する先史社会を充分に解き明かす必要がある。世界のあらゆる場所で高文明を支える基礎を敷いた先史時代―中石器時代ないし中間期―を、今や徹底的に調査する必要が生じている」(文献3)

チャイルドの新石器革命論以後、多くの考古学者や人類学者の調査により、新石器革命の理論と一致しない例が数多く存在することが明らかになってきた。たとえば、農耕を行わず、狩猟と採集を生業としていたにもかかわらず、きわめて精巧な土器を製作したり、大きな定住集落が存在した日本の縄文文化は、新石器革命論では説明がつかない。

さらに、農学者のジャック・ハーラン(1917-1998)の実験がある。ハーランは、トルコ南東部の野生コムギが自生する地域で、石器で作った鎌を使用して収穫実験を行った。結果は、野生ヒトツブコムギの1時間当たりの収穫量は、2ポンド(0.9kg)以上であった。これは、狩猟採集民の一家族が、3週間ほど野生コムギの採集をすれば、1年間食べていくのに十分な量である。(文献4)

労働価値説および余剰価値説に基づく唯物史観では、生産力の発展に応じて生産関係が発展するはずである。つまり、狩猟採集民が、狩猟採集社会の状態にあるのは、生産力が小さいためと説明される。ところが、中東の狩猟採集民は、十分な余剰価値を生み出すほど生産力が大きかったにもかかわらず、新たな生産関係に発展しなかったことを意味している(これについては後述)。

文献
1)ゴードン・チャイルド、1936、文明の起源、岩波書店、1951
2)アラン・バーナード、人類学の歴史と理論、明石書店、2005
3)グレイアム・クラーク、中石器時代、雄山閣出版、1989
4)Harlan, J.R., A wild wheat harvest in Turkey, 1967

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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