農耕の起源と進歩主義・進化主義:Origin of agriculture and progressivism・evolutionism

農耕の起源をめぐる論争

農耕の起源をめぐっては、昔から激しい論争が交わされてきたし、現在も続いている。洋の東西を問わず、人間の社会は「野蛮」「未開」から「文明」に向かって「進歩」「発展」するという価値観と、それと反対の意見が存在する。人類学の分野でも、実証的な議論だけでは話が済まず、「人種」、「民族」、「宗教」、「文化」、「倫理」など、人によって立場や見解が異なる価値観が入り込む。

農耕の起源をめぐって、もっとも重要な学説の一つに、ゴードン・チャイルド(1892-1957)の「新石器革命」がある(文献1)。チャイルドの新石器革命論は、考古学、歴史学、言語学などの人類学に大きな影響を与えた一方で、強い反対意見がある。たとえば、ベストセラーになった、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(1997)では、農耕の起源について長々と書いているにもかかわらず、チャイルドの名前も新石器革命という言葉もまったく出てこない。(文献2)

オーストラリアの考古学者のピーター・ベルウッドは、『農耕起源の人類史』(2005)の序文で、そのあたりの事情を率直に吐露している。

「人類先史における農耕民の拡散の重要性を真剣に考え始めたのは1980年代のことである。その頃、ゴードン・チャイルドの『新石器革命』に反発する考古学者たちは、初期農耕は非常に時間がかかり、遅々として進まないものとみなしていた。世界中のすべての人々はそのはじまりからほとんど定住生活にちかい状態にあり、その文化的特徴は本質的に、それぞれが独立した起源地に生じ、その後ももっぱらその起源地周辺での発達によって変化をとげるという考えが、考古学徒たちのあいだでは支配的であった。西洋の学問において、とりわけ帝国主義時代に犯した罪への告発が強まった時代には、文化は本来進化し競いあうものであったが、差別への反省からか、さまざまな文化を鏡の表面のように均質なものにしてしまった・・」(文献3)

ベルウッドの本の原題は、『First Farmers: The Origins of Agricultural Societies(最初の農民―農耕社会の起源)』である。しかし、「・・そうした農耕の中心地を列挙しようがしまいが、食料生産への依存度が増すに連れ人口集中を生み出す傾向にあり、最終的に人口拡散にいたると私は推測している。本書は農業起源それ自体よりも、農業がおこった結果についてあつかっている」と、タイトルにしている「農耕の起源」というよりも、「農耕の拡散」についての本であると述べている。さらに、「それでも私は確固たる意志をもてずにいた」と書き添えている。

これほどベルウッドが慎重に言葉を選んで、自説の発表をためらうのは、「同僚」の人類学者たちの、「進化主義」、「伝播主義」に対する根強い反発のためである。なお、ベルウッドがケンブリッジ大学で考古学を学んでいたときの学科長は、旧石器・中石器時代の考古学者として高名なグレイアム・クラーク(1907-1995)である。(後述)

日本人は、欧米の人類学者たちの厳しい論争の外にいるために、ベルウッドの逡巡を理解しにくい。『農耕起源の人類史』の監訳者の1人の佐藤洋一郎氏は、解題で次のように書いている。「農業を発明した人びとが、先住民と交流を繰り返しながら結果としてさまざまな言語を世界にひろめていった―これが本書の大きな仮説の一つである。・・しかしこの仮説には、『仮説』と大上段に構えるほどのインパクトがあるのだろうか。・・日本人であるわれわれにはこのことはさほど不思議なこととは思われない。というのも、日本人の多くは、弥生時代のはじめに大きな人の集団が水田稲作の技術と水稲をたずさえて渡来した、と考えてきたからである」(文献3)

進歩主義、進化主義

ヨーロッパで人間社会の進歩や発展についての思想が鮮明になるのは、ホッブズ、ロック、モンテスキュー、ルソーらをはじめとする17~18世紀の啓蒙思想である。なお、ホッブズ(1588-1679)の同時代には、デカルト(1596-1650)がおり、やや遅れてスピノザ(1632-1677)がいる。彼らは真理の源泉を神ではなく自然、理性、思考に求めた。そして、それ以前には、ガリレオ(1564-1642)やコペルニクス(1473-1543)がいる。

ホッブズは、人間の自然状態は闘争状態であり、自己保存のための暴力的な行動は自然権であるとした(『リヴァイアサン』1651)。

To this war of every man against every man, this also is consequent; that nothing can be unjust. The notions of right and wrong, justice and injustice, have there no place. Where there is no common power, there is no law; where no law, no injustice.
「すべての人に対する、すべての人の闘争は、これもまた必然である。それは不条理ではない。正しいと正しくない、正義と不正義の概念は、そこには存在しない。権力が存在しないところでは、法は存在しない。法が存在しないところでは、不正も存在しない」(文献4)

個々人が自然権を行使することの帰結は果てしない戦闘しかないので、理性によって個々の自然権を制限する自然法が導かれる。自然法に従って、人々は、各々が保持する自然権を一人の主権者に委ねることを契約すると説いた。


The frontispiece of the book Leviathan by Thomas Hobbes

一方、ルソー(1712-1778)は、自然状態の人間(野性人)は、子供のように無知で進歩しなかったが、理性を獲得すると農業や法律が発達し、不平等が生じたと論じた。(『人間不平等起源論』1755)

Let us conclude then that man in a state of nature, wandering up and down the forests, without industry, without speech, and without home, an equal stranger to war and to all ties, neither standing in need of his fellow−creatures nor having any desire to hurt them, and perhaps even not distinguishing them one from another・・・
「自然の状態の人間は、森の中をさまよい、勤勉さはなく、話さず、そして家庭もない。見知らぬ人と戦闘することも、結束することもない。仲間を必要とせず、誰かを傷つける欲求もなく、そして、おそらく互いを区別しないことさえある」(文献5)


Discours sur l’origine et les fondements de l’inégalité parmi les hommes

19世紀にはいると、フランスでは、サン・シモン(1760-1825)が社会主義を構想し(『産業階級の教理問答』1823)、その弟子のオーギュスト・コント(1798-1857)は社会構造の発展を理論化した(『実証哲学講義』1830)。コントの理論は、スペンサーやマルクスに強い影響を与えた。

同じころ、デンマークのクリスチャン・トムセン(1788-1865)は、石器時代→青銅器時代→鉄器時代の3時代区分を初めて提唱している(『北方古代文化入門』1836)。

イギリスでは、ハーバート・スペンサー(1820-1903)が『発達仮説』(1852)をはじめとする多くの論考を発表し、社会進化論を創始した。スペンサーは生物進化の理論を社会学に応用しようとした。

一方、牧師になるためにケンブリッジ大学で学んだダーウィン(1809-1882)は、1831年から1836年にかけてビーグル号の航海に参加した。ダーウィンは、それまでは、神による天地創造を信じていたが、航海中にチャールズ・ライエルの『地質学原理』を読み、地層や地形は長い時間をかけて変化することを知った。そして、神による生き物の創造説に疑念を持つようになり、動物や植物も時間をかけてわずかな変化が蓄積するのでないかと考えるようになった。1838年にはマルサスの『人口論』(1798-1826)を読み、また、スイスの植物学者のカンドールが提唱した「自然の戦争」の概念などから、自然選択の理論を得た。

Hence, as more individuals are produced than can possibly survive, there must in every case be a struggle for existence, either one individual with another of the same species, or with the individuals of distinct species, or with the physical conditions of life. It is the doctrine of Malthus applied with manifold force to the whole animal and vegetable kingdoms;
「したがって、生存可能な個体数より多くの個体が生産されるにつれて、同じ種の別の個体、または異なる種の個体、または生命の物理的状態と、生存のための闘争が存在しなければならない。これは、マルサスの理論であり、すべての動物界と植物界の多方面に、その理論を適用している」(文献6)

ダーウィンは、1859年に『種の起源』を発表したが、はじめは「進化」(evolution)という用語を用いておらず、「変異をともなう世襲」(descent with modification)という言い方をしていた。「evolution」は巻物を転がして広げるという意味だが、これを「進化」という意味で最初に使ったのはスペンサーである。「進化」(evolution)が、『種の起源』に登場するのは第6版からである。さらに、「適者生存」(survival of the fittest)もスペンサーが使用した用語であり、『種の起源』に登場するのは第5版からである。


Charles Darwin’s 1837 sketch, his first diagram of an evolutionary tree from his First Notebook on Transmutation of Species (1837). “I think case must be that one generation should have as many living as now. To do this and to have as many species in same genus (as is) requires extinction . Thus between A + B the immense gap of relation. C + B the finest gradation. B+D rather greater distinction. Thus genera would be formed. Bearing relation” (next page begins) “to ancient types with several extinct forms”

また、ドイツでは、ヘーゲル(1770-1831)が観念論哲学、弁証法的論理学、政治哲学を体系化した。ヘーゲル弁証法とフォイエルバッハの唯物論を継承したマルクス(1818-1883)は、『経済学批判』(1859)、『資本論』(1867)を発表して弁証法的唯物論を唱えた。

マルクスはダーウィンの『種の起源』を高く評価していたが、ダーウィンの進化論は、マルクスが毛嫌いした保守派のマルサスの『人口論』から生まれたことは皮肉である。

マルサス(1766-1834)は、プロテスタントの牧師であり、保守派の経済学者だったが、マルサスの父親は弁護士で植物学者のダニエル・マルサスで、ルソーとも親交があった啓蒙主義者であった。マルサスが『人口論』を書いたのは、自分の父親やニコラ・ド・コンドルセやウィリアム・ゴドウィンなど、啓蒙主義者や社会革命推進派への反論のためであった。コンドルセ(1743-1794)は、1789年のフランス革命ではパリ・コミューンに参加し、啓蒙主義者、共和主義者として当時を代表する思想家である。コンドルセは、1795年に『人間精神進歩の歴史』を書いて、コントをはじめ19世紀の社会主義者に大きな影響を与えた。

このため、マルサスの『人口論』をもっとも激しく攻撃したのは、マルクスやプルードンをはじめとする社会主義者であった。とくにマルクスは『資本論』のなかで、マルサスを口汚く罵倒している。(文献7)

ダーウィンの『種の起源』は、生物学のみならず、社会学、考古学、民族学、人類学などに多大な影響を及ぼした。「新石器」という言葉を最初に使ったのは、ダーウィンと親交が深かった考古学者のジョン・ラボック(1834-1913)である。ラボックの生家の隣には、ダーウィンの住まいがあり、頻繁に行き来していた。ラボックは、ダーウィン進化論を人類の進化にも導入して、人間集団は、自然淘汰の結果、その文化のみならず、生物的な能力も変化すると主張した。そして、ヨーロッパの先史時代の石器の年代や製作技術の面から、「旧石器」、「新石器」という二つの段階を規定した(『先史時代』1865)。

なお、同じころにフランスのG・ド・モルティエ(1821-1898)も、ヨーロッパの先史時代には一つの文化的断絶があることを主張し、その相違を15項目にわたって列挙した。この主張は当時の学会に強烈な影響を与え、その後の多くの考古学者が、ヨーロッパの先史時代には、明確な断絶が存在すると考えるようになった。

人類学の草分けであるエドワード・バーネット・タイラー(1832-1917)は、ダーウィン進化論から敷衍して文化や宗教の進化(進歩)を想定した。タイラーは、宗教は最も原始的な自然崇拝から始まり、死者や呪物崇拝を経て多神教が成立し、最後に一神教へ進化したと論じた(『原始文化』1871)。

タイラーに影響を受けて人類学、民族学の道に進んだジェームズ・フレイザー(1854-1941)は、おびただしい数の未開社会の呪術、神話、信仰、風習、宗教を収集し、『金枝篇』(1890-1936)を著した。

アメリカではルイス・ヘンリー・モーガン(1818-1881)が、インディアンの民族学的な調査をもとに、『古代社会』(1877)を著した。モルガンは、人類の社会発展は、野蛮―未開―文明の三段階に分けられると主張し、アメリカの人種差別政策を正当化した。

エンゲルスは、『空想より科学へ』(1880)のなかで、「ダーウィンは、今日の一切の有機的自然、植物も動物もしたがってまた人間も、幾百万年にわたる絶え間ない進化の過程の産物であることを証明し、それによって自然についての形而上学的な見方に強烈な打撃を与えた」と書いている(文献8)。また、マルクスとエンゲルスは、モーガンの『古代社会』に大きな影響を受け、エンゲルスは、これをもとにして、『家族・私有財産・国家の起源』(1884)を書いた。

こうした、社会の進歩主義、進化主義の思想は、列強諸国の帝国主義政策、植民地支配、教化政策、イデオロギーの正当性を学問的に支えるものとなった。

さらに、ダーウィン進化論を、人間の改良にまで拡大解釈したのが優生学である。優生学という用語を初めて使ったのは、ダーウィンの従兄で、遺伝学、統計学者であったフランシス・ゴルトン(1822-1911)である。ゴルトンは、進化論をもとに、「遺伝的に優良」な人間の子孫を増やし、「劣悪」な人間は子孫を残さないようにすれば、より良い社会が実現できると主張した(『遺伝的天才』1869)。

その後、優生運動はアメリカ、イギリスで盛んになり、アメリカでは1907年に断種法が制定され、梅毒患者、性犯罪者、知的障害者らに対する断種が行われた。1930年代には、ナチスドイツの優生政策、人種政策に利用され、人類の尊厳と生存に甚大な被害を与えた。

文献
1)ゴードン・チャイルド、1936、文明の起源、岩波新書、1951
2)ジャレド・ダイアモンド、1997、銃・病原菌・鉄、草思社、2000
3)ピーター・ベルウッド、2004、農耕起源の人類史、京都大学学術出版会、2008
4)Thomas Hobbes, Leviathan, 1651(リヴァイアサン)
5)Jean-Jacques Rousseau, Discourse on Inequality, 1755(人間不平等起源論)
6)Charles Darwin, The Origin of Species, The sixth edition, 1872
7)Karl Marx, Capital, 1867
8)フリードリヒ・エンゲルス、1880、空想より科学へ、岩波文庫、1966

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

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