非貯蔵社会における資源分配:Resource distribution in non-storage society

カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマン)や、オーストラリアのアボリジニは、食料を狩猟と採集のみに依存してきた。彼らは、遊動域内を常に遊動しながら狩猟と採集を行うので、人が背負ったり持ったりして運べる量の食料しか貯蔵することができない。このような「非貯蔵社会」における資源分配について見てみる。

アボリジニ

最新の研究によると、人類がオーストラリア大陸に到達したのは、従来の説よりも古く、約6万5000年前であるという。(文献1)

1828年にイギリスが全土を植民地とし、その後急速にヨーロッパ人の移民が始まった。人類学者のラドクリフ=ブラウン(1881-1955)は、ヨーロッパ人の移入直前の先住民の人口を、約25万人と推計している。図のように、576の部族がそれぞれの領域を持ち、大陸を分割していた。一部族の人数は200~600人ほどで、部族人口の平均は500人とされるが、5000人に達する大きな部族もあった。場所によって、面積当たり時間当たりの利用可能資源量が異なるため、部族の領域は、海岸地帯や森林地帯で狭く、内陸部の乾燥地帯では広い。

「かれらは定住することなく遊動的な生活を送っていた。日常生活の単位は寝食をともにする家族で、基本的には一人の男性と1人または複数の妻とその子供たちである。そして2、3組の家族を中心とした20~50人のバンドまたはホルドとよばれる集団をつくる。これが基本的な社会経済単位であった。(中略)特定の場所や土地を共有する精神単位とでも呼ぶべき集団がある。これは親族組織を中心として、特定の土地にかかわるドリーミングと呼ばれる思想によって統合される集団である。バンドの成員は流動的でつねに離合集散をくりかえしているのにたいし、この集団名は固定されて変わることがない。つまり出自集団は経済生活の単位であるバンドをゆるやかに包括するものである。その統合の基礎は神話伝承であり、それにかかわる儀礼であった。さらにおおきな集団としての部族があるが、オーストラリアの部族は世界の他の地域の部族とくらべると政治的な機能をもたず、組織や編成論理がよわく曖昧なので、部族というよりは言語集団とよぶべきではないかとする意見もある」(文献2、20p)

「アボリジニの社会はふたつの半族(モイエテイ)にわけられている。そして同じ半族の男女は、結婚してはならないという外婚の規則がある。そのうえで、かれらは父親の系譜にしたがってすすんでいる。そのグループは一般に父系氏族とよばれるものである。父系氏族の構成員は、世代によってさらにふたつにわけられている。連続する世代は結婚してはいけない規則がある」(文献2、92p)

アボリジニ同士の争いについて、小山修三氏は次のように書いている。

「若者が他人の妻(老人に独占された形になっている)を盗んだときはヤリでふとももを刺したという。それでも、そのために不具になった人はほとんどないそうで、『ヤリで刺しておけばそれにこりて若い者は二度とそんなことはしなくなるだろう』といばっていった老人があった。その老人もふとももに傷跡をもっていた。アボリジニ社会はみかけの荒々しさに比べ、本質は意外に優しいものである。暴力を否定してみかけは平穏だが、一旦それがおこると最悪の事態にまでいたる西洋社会とは実情がまるで逆になっている。(中略)結果的にみれば暴力についてはアボリジニ社会の方が効率的であり、洗練されているといえるだろう」(文献2、110p)

一方、ピンカーは、オーストラリアのムルンギン族が戦闘で死亡する割合を20~30%とし、次のような話を紹介している。19世紀初頭のオーストラリアで、収容所から脱走したウィリアム・バックリーという囚人が、ワザールング族と30年間一緒に暮らした体験を書き残している。

「敵の居場所の近くまでくると、彼らは地面に横たわって待ち伏せした。あたりが静まり、男たちのほぼ全員が数人ずつ固まって眠りにつくのを見計らって、いっせいに襲いかかるのだ。その場で三人が殺され、何人かが負傷した。大慌てで逃げ出した敵の残した武器は、こちらのものとなった。男たちは負傷した者をブーメランで叩き殺し、三回、勝利の雄叫びをあげた。帰ってきた男たちを見ると、女たちも大声をあげ、残忍な恍惚感に浸って踊った。持ち帰った死体を地面に投げ出すと、男たちはそれを棒で叩いた。誰も彼もが狂ったように興奮していた」(文献3、104p)

このように、まったく様相が異なる2種類の闘争が存在するのは、前者はバンド内あるいは部族内での闘争であり、後者は部族間の闘争であるためである。

アボリジニの婚姻体系がきわめて複雑に発達していたことは知られているが、同様に食料分配の方法も複雑に発達していた。

「ハンターは獲物を獲った後,獲物を自らの所有物とすることは許されず,別の人がそれを接収し,分配を行う。ハンターは自らがしとめた獲物の部位で最悪の部分しか入手することができないうえに,それ以外の部位の分配を行うことも許されていない。実際に獲物の分配を行い,その部分を受け取るのは,ハンターの姻族,義理の父,義理の兄弟であり,その次がハンターの兄弟である。獲物に最初に命中した槍の所有者であるハンターは,最後に残り物を得るに過ぎないのである(Testart 1987: 292)」(文献4)

サン族(ブッシュマン)

カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマン)は、いくつかの一夫一婦もしくは一夫多妻の核家族が集まって、数十人の「キャンプ」を作る。キャンプは、狩猟と採集を行いながら、数日~1か月ほどで遊動している。キャンプの構成メンバーは流動的で、離合集散を繰り返す。キャンプを含む大きな地域集団は200人ほどであるという。親族組織は未発達で、親族の認知の範囲は上下に5世代、同世代ではイトコまでにすぎない。また、近縁の異性(忌避関係)とは結婚できない。

サン族では、近縁の親族内では食料の分配は徹底されており、平等が原則である。そして、親族関係が遠くなるにしたがって、分配の強制力は弱くなる。

「キリンや大きなカモシカなど、大型の獲物は、キャンプに持ち帰られると、原則として、キャンプに居合わせるすべての人に平等に分け与えられる。分配の方法は、この社会独特のものであって、けっして最初から全員に等分したりしない。(中略)分配をとりしきる男は、てきぱきと肉の配分を終える。背中の部分の肉はかならず射手がとり、彼は首から背中にかけての腱をとっておいて、さまざまな道具を作るための糸にする。毛皮もまた、射手の所有物となる」(文献5)

アカ族(ピグミー)

中央アフリカの熱帯雨林に住むアカ族(ピグミー)は、1年の4~8か月ほどを森ですごし、狩猟と採集で暮らしている。他の期間は、バントゥー系農耕民の近くのキャンプで生活し、農作業などの仕事に従事する。

アカ族は、3~20家族が集まって、15~100人ほどの集団で生活するが、メンバーの流動性は高い。結婚後の一定期間は妻方で暮らし、婚資を払ったあとは夫方で居住する習慣がある。

アカ族の食料分配につては、次のように報告されている。

「狩猟された獲物の所有者(konja)は,最初にその動物に何らかの打撃を与えた道具の所有者(konja)である。例えば集団槍猟では,たとえ致命的ではなくても最初にその獲物に一撃を与えた槍の所有者(必ずしもハンターとは一致しない)が獲物の所有者である。ネットハンティングでは,獲物のかかったネットの所有者が獲物の所有者であり,罠猟では罠の所有者(ワイヤーの所有者)が獲物の所有者である。肉の分配は3つの段階にわけられる。まずはじめに,解体された肉の特定の部分は狩猟において果たした役割に応じてハンターの間で分配される(第一次分配)。(中略)この分配には義務的で厳密な規則が存在する。第一次分配で分配される肉はmo .bandoと呼ばれる。獲物のどの部分がmo.bandoにあたり,どのような役割を果たした人がどの部分を受け取るかは狩猟方法と獲物の種類によって決まっている。捕獲された動物の肉はキャンプ内のあらかじめ決められた場所や決められた人に集められてから分配されるわけではない。一般的には,その獲物のkonjaもしくは彼の近親者が獲物を解体し分配する。獲物のkonjaや第一次分配で分配を受けた人はその人の判断に基づいてさらに分配をおこなう。この第二次分配は義務的ではなく,また厳密な規則もない。分配の対象者には調査者としてキャンプに滞在していた筆者や一時的な訪問者も含まれた」(文献6)

「肉の第二次分配においては,肉が特定の家族や個人,あるいは特定の親族集団やある一部の位置の住人に集中しないように,キャンプ全体に肉を分けようとしている傾向があるといえよう。肉を分配する人は,キャンプ全体を視野にいれて分配の相手を選択していると考えられる」(文献6)


d:遺伝的距離
Rg:与える資源量(時間当たり)、give
Rt:受け取る資源量(時間当たり)、take

狩猟採集しながら遊動する非貯蔵社会では、集団が占有する領域(なわばり)から得られる資源の集団内での分配は、近縁親族への無償贈与、あるいは集団内メンバー間の等価交換による相互贈与が合理的である。そうでなければ、集団内での個体同士の協力と結束が得られない。そして、協力と結束が強い集団でなければ、集団同士の戦闘においてなわばりを維持できず、生き残れない。

ただし、集団内で平等に分配しない資源も存在する。それは、武器あるいは狩猟道具(生産手段)である。サン族では、獲物の部位でもっとも重要なのは首から背中にかけての腱であり、これは射手が優先的に獲得する。動物の腱は、道具を製作する糸として利用される。

アカ族の場合では、私的所有がさらに進んでいる。獲物の第一の「所有者」は、狩猟道具(生産手段)の所有者であり、これは、生産手段の所有者(資本家や株主)に生産物の所有権が存在する現代社会と同じである。ただし、アカ族では獲物はキャンプ全体に平等に分配されるので、「所有」の意味と内容が異なる。

ヒトは、他の哺乳動物に比べて華奢な身体で犬歯も無いが、その代わりに常に武器を携えている。ヒトにとって、武器は「身体化」しており、武器は、ヒトの「延長された表現型」である。そして、武器の身体化こそが、ヒトの私的所有の起源であろう。

文献
1)考古学: オーストラリアへの到達年代がさらに早まった
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/87566
2)小山修三、狩人の大地、雄山閣、1992
3)スティーブン・ピンカー、暴力の人類史、2011、青土社、2015
4)岸上伸啓、狩猟採集民社会における食物分配、国立民族学博物館研究報告27、2003
5)田中二郎、ブッシュマン、思索社、1971
6)北西功一、狩猟採集民アカにおける食物分配と居住集団、アフリカ研究51、1997

堆肥と土壌の作り方: 身近な有機物を利用する
電子園芸BOOK社 (2016-09-19)
売り上げランキング: 38,211
広告

投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中