武器と資源獲得の不確実性:Weapons and Uncertainty of resource acquisition

ホッブズは、自然状態のヒトは、闘争状態にあると言った。

To this war of every man against every man, this also is consequent; that nothing can be unjust. The notions of right and wrong, justice and injustice, have there no place. Where there is no common power, there is no law; where no law, no injustice.

「すべての人に対する、すべての人の闘争は、これもまた必然である。それは不条理ではない。正しいと正しくない、正義と不正義の概念は、そこには存在しない。権力が存在しないところでは、法は存在しない。法が存在しないところでは、不正も存在しない」(『リヴァイアサン』1651)

一方、ルソーは、自然状態のヒトは、他者と敵対することも、戦闘することもなく、無垢で平等な存在であると考えた。

Let us conclude then that man in a state of nature, wandering up and down the forests, without industry, without speech, and without home, an equal stranger to war and to all ties, neither standing in need of his fellow−creatures nor having any desire to hurt them, and perhaps even not distinguishing them one from another・・・

「自然の状態の人間は、森の中をさまよい、勤勉さはなく、話さず、そして家庭もない。見知らぬ人と戦闘することも、結束することもない。仲間を必要とせず、誰かを傷つける欲求もなく、そして、おそらく互いを区別しないことさえある」(『人間不平等起源論』1755)

人類学者のローレンス・キーリーは、先史時代のヒトや原始的な生活を維持する狩猟民は、平和な社会ではないと述べる。例えば、サウスダコタ州クロウクリークの14世紀初頭の墳墓では、頭皮が剥がされ、虐殺された500人以上の男性、女性、子供の遺体が出土している。当時の集落の人口は800人と推定されており、死亡者の割合は60%に及ぶ(文献3)。

政治学者のアザー・ガットは、キーリーを引用して、同様に論じている。ガットは、戦後、70年以上も大国間の大戦がない理由を、核戦争の脅威が存在する状況で、自由民主主義諸国が、戦争ではなく、各国の相互依存と協調によって共通の利益を認めたためとしている(文献4)。

心理学者のスティーブン・ピンカーも、戦闘や暴力による死亡率は、狩猟民など部族社会のほうが高く、現代社会はもっとも平和な社会であると説く。戦闘や暴力による死亡率が減少したのは、道徳の変化、国家の成立と法による支配、貿易や商取引による利益、共感や相互依存などによると主張している(文献5)。

なお、「法による支配」を実行するのは暴力装置であり、暴力装置の源泉は、特定集団による殺傷力の高い武器の独占である。

ここで、超協力タカ派の集団Aと集団Bが、闘争状態にあるとする。Aが保有する武器の殺傷力の大きさをwとする。wの値は、例えば、時間当たりに相手を殺傷できる人数とする。殺傷力wの武器を使用して、集団Bの大多数を殺傷できる確率をpaとする。wがゼロであっても、ヒトは素手で相手を殺すことができる。しかし、素手で集団の大多数を殺傷するのは困難なので、wがゼロのときは、paはごく小さい値になる。武器の殺傷力が、素手で殴る→ハンドアックス→槍→弓矢→銃と大きくなるほど、paは大きくなる(0<pa<1)。


w:武器の殺傷力の大きさ
pa:ライバル集団の大多数を殺傷できる確率

次に、Aが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量をRa、BのそれをRbとする。AがBの大多数を殺傷して勝利すれば、Bのなわばりをすべて奪うことができる。勝利したAが獲得できる資源量の期待値をeaw負けたBの資源量の期待値をeblとすると、eaweblは次の式で与えられる。

eaw=Ra+Rb・pa
ebl=Rb-Rb・pa

AとBは、同種の集団であり、「自分のコピー」である。すなわち、AとBの立場が逆の状態もありえるので、以下のようにあらわせる。

ebw=Rb+Ra・pb
eal=Ra-Ra・pb


Ra:Aが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
Rb:Bが占有するなわばりから得られる時間当たりの資源量
eaw:勝利したAが獲得できる資源量の期待値
eal:負けたAの資源量の期待値
ebw:勝利したBが獲得できる資源量の期待値
ebl:負けたBの資源量の期待値

ここで、Aが勝った場合と負けた場合の資源の期待値の差をuaとし、Bのそれをubとする。

ua=eaw-eal
=Rb・pa+Ra・pb
ub=ebw-ebl
=Ra・pb+Rb・pa
ua=ub
u:戦闘によって獲得できる資源量の期待値の幅(期待値幅)

期待値の幅が小さいほど不確実性が小さく、期待値の幅が大きいほど不確実性が大きいことを意味する。また、武器の殺傷力が大きいほど、戦闘によって獲得できる時間当たり資源量の期待値の幅(不確実性)が大きくなる。

種全体から見ると、資源量が十分にあるときは、不確実性が小さいほうが有利であり、資源が不足したときは、不確実性が大きいほうが有利である。言い換えると、資源量が十分なときは、武器を持たない集団で構成された社会のほうが、種の存続に有利であり、資源が不足したときは、それぞれが強力な武器を有する集団からなる社会のほうが、種の存続に有利である。資源欠乏時に、強力な武器を使用する集団同士が闘って大きな損害が出たとしても、そのような状況を乗り越えて生き残った集団もしくは個体が存在すれば、種は存続できるからである。

しかし、個々の集団からみると、小さな不確実性(小さな殺傷力の武器)でも、大きな不確実性(大きな殺傷力の武器)でも、獲得できる資源量の期待値の平均値は同じである。なぜなら、同種では、各々の集団は「自分のコピー」なので、各集団が保有する武器の殺傷力は、いずれ同じになるからだ。すなわち、個々の集団にとっては、獲得資源量の期待値は、武器の殺傷力の大きさではなく、おもに資源量に左右される。

すなわち、先史時代から現在まで、戦闘や暴力による死亡率が減少してきたのは、農業、石炭、石油、原子力のエネルギー革命(情報の変異)によって、ヒトが利用できる時間当たり資源量が増大してきたためと考えられる。(つづく)

文献
1)Thomas Hobbes, Leviathan, 1651(リヴァイアサン)
2)Jean-Jacques Rousseau, Discourse on Inequality, 1755(人間不平等起源論)
3)Lawrence H.Keeley, War Before Civilization, 1997
4)Azar Gat, War in Human Civilization, 2006(邦訳:文明と戦争)
5)Steven Pinker, The Better Angels of Our Nature, 2011(邦訳:暴力の人類史)
6)Richard Wrangham, Demonic males, 1996(邦訳:男の凶暴性はどこから来たのか)

有機農業と未来: アメリカの有機農業から何が見えるか
本田進一郎 (2016-02-13)
売り上げランキング: 46,136
広告

投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズなど

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中