味覚の進化論その1

 

前回、「味覚」は純粋に化学的な反応であると述べた。しかしそれだけでは、人間の味覚を理解することはできない。化学的な反応だけでは、日本人がおいしいと感じる納豆や塩辛を、外国人が食べられない理由を説明できない。まず、「味覚」という言葉の意味をより正確に表現する必要がある。そこで、化学的な反応の味覚を「感覚味覚」、食文化などを含んだより総合的な味覚を「統合味覚」とする。統合味覚の定義は、人間が食べ物のおいしい味と判断している感覚と認識の統合された総体である。統合味覚は、その要素として、感覚味覚、統合嗅覚、統合食感、統合温感、統合視覚、学習、創造を含む。嗅覚、食感、温感、視覚についても、化学的な反応としての感覚と、感覚と認識の統合を区別して、感覚**、統合**と定義する。学習とは、伝達、共感、知識、経験、認識のことである。わかりやすく集合で書くとこうなる。

統合味覚={感覚味覚,統合嗅覚,統合食感,統合温感,統合視覚,学習,創造}
感覚嗅覚⊂統合嗅覚
感覚食感⊂統合食感
感覚温感⊂統合温感
感覚視覚⊂統合視覚
学習={伝達,共感,知識,経験,認識}

上の要素のうち、感覚味覚感覚嗅覚、感覚食感、感覚温感、感覚視覚は化学的な反応なので、神経細胞と「古い脳」による反応である(P.D.マクリーン説)。そのほかの要素は、伝聞、認識、創造など人間の「新しい脳」の働きによる。つまり、統合味覚というのは、遺伝子の機能だけで説明するのは困難であり、大脳の新皮質の働きによる反応ということである。

seaka

『利己的な遺伝子』の11章ミームで、ドーキンスは、ニュージーランドのセアカホオダレムクドリのさえずりの例から話を始めている。セアカホオダレムクドリの鳴き方には、グループごとに「方言」がある。それらのさえずりのパターンは、親から子ではなく、近所にテリトリーをもつ他の個体のさえずりを「模倣」することで、自分のものにするという。また、若鳥がさえずりを模倣しそこねて、新しいさえずりが唐突に出現することがしばしばあり、この新しいさえずりの出現を「文化的突然変異」と表現している。

ドーキンスは鳥のさえずりの話から、いきなり人間の言語、衣服や食物の様式、儀式・習慣、芸術・建築、技術・工芸などの文化的な変化も、進歩的でありうるとして、文化的進化について述べ始める。そして、生物の遺伝子(ジーン)に対応する概念として、人間の文化伝達の単位として「ミーム」という概念を提出している。

そもそも文化進化や社会進化論の歴史は、ダーウィン進化論よりもはるかに歴史が古く、「人間の社会は、高等な文明に向かって発展・進歩する」という概念は、古来より存在する。思想として鮮明になりはじめるのは、17~18世紀の啓蒙思想で、ルソーは、自然状態の人間(野生人)は、子供のように無知で進歩しなかったが、理性を獲得すると農業や法律が発達し、人間の不平等が生じたと論じた(『人間不平等起源論』1755)。19世紀には、フランスのサン・シモンが社会主義を構想し(『産業階級の教理問答』1823)、その弟子のコントは社会構造の発展を理論化した(『実証哲学講義』1830)。コントは、スペンサーやマルクスに強い影響を与えた。また、同じころに、デンマークの考古学者のクリスチャン・トムセンは、石器時代―青銅器時代―鉄器時代の時代区分を初めて提唱した(『北方古代文化入門』1836)。

19世紀中葉には、イギリスでは、スペンサーが社会進化(進歩)論を創始し(『発達仮説』1852)、ダーウィンは『種の起源』(1859)を発表した。「evolution」を「進化」という意味で最初に使ったのはスペンサーであり、「適者生存」という用語もスペンサーの造語である。また、ヘーゲル弁証法とフォイエルバッハの唯物論を継承したマルクスが、『経済学批判』(1859)、『資本論』(1867)を著し、弁証法的唯物論を唱えた。アメリカでは、モルガンが、インディアンの民族学的な調査を行ない、人類の社会発展は、野蛮―未開―文明の三段階に分けられると主張した(『古代社会』1877)。モルガンの主張は、アメリカの人種差別政策を正当化、恒久化するために使われた。さらに、エンゲルスは、『空想より科学へ』(1880)のなかで、「ダーウィンは、今日の一切の有機的自然、植物も動物もしたがってまた人間も、幾百万年にわたる絶え間ない進化の過程の産物であることを証明し、それによって自然についての形而上学的な見方に強烈な打撃を与えた」と書き、モルガンの『古代社会』をもとにして、『家族・私有財産・国家の起源』(1884)を著して、唯物史観を唱えた。

今日では、進化論を人間や文化に安易にあてはめることはタブーである。ダーウィン進化論を最初に人類学に導入したのは、ダーウィンの隣に住んでいて親交が深かった考古学者のラボックである。ラボックは、ダーウィン進化論を文化進化と人類進化に導入して、人間集団は、自然淘汰の結果、その文化のみならず、生物的な能力も変化すると主張した。そして、ヨーロッパの先史時代の石器の年代や製作技術の面から、「旧石器」、「新石器」という2つの段階を規定した(『先史時代』1865)。

また、人類学の草分けであるタイラーは、ダーウィン進化論から敷衍して文化や宗教の進化(進歩)を想定した。タイラーは、宗教は原始的な自然崇拝から始まり、死者や呪物崇拝を経て多神教が成立し、最後に一神教へ進化したと論じた(『原始文化』1871)。タイラーに影響を受けたフレイザーは、夥しい数の未開社会の呪術、神話、信仰、風習、宗教を収集し、『金枝篇』(1890-1936)を著した。

さらに、ダーウィン進化論を、人間の改良にまで拡大したのが優生思想である。優生学という用語を初めて使ったのは、ダーウィンの従兄で、遺伝学、統計学者であったフランシス・ゴルトンである。ゴルトンは、進化論をもとに、「遺伝的に優良」な人間の子孫を増やし、「劣悪」な人間は子孫を残さないようにすれば、より良い社会が実現できると主張した(『遺伝的天才』1869)。その後、優生運動はアメリカ、イギリスで盛んになり、アメリカでは1907年に断種法が制定された。1930年代には、ナチスの優生政策、人種政策に利用され、人類の尊厳と生存に甚大な被害を与えた。

このような19世紀の進歩・進化主義の隆盛に対して、文化相対主義を主張したのは、フランツ・ボアズである。ドイツのユダヤ人のもとに生まれたボアズは、バフィン島のイヌイットの調査から、『未開人のこころ』(1887)を発表し、未開人も文明人もその心や知性は同等であり、その文化は平等であると唱え、台頭しつつあった人種差別主義に対抗した。ボアズはコロンビア大学で、ロバート・ローウィ、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミードら多くの弟子たちを指導し、20世紀のアメリカの人類学研究の中心的存在となった。そして、長きにわたって多大な影響をおよぼした。

このような進化論と人間または社会をめぐるあつれきを、ドーキンスが知らないはずはない。『利己的な遺伝子』の中には、マーガレット・ミードの名前もでてくる。ドーキンスが、わざわざタブーに触れる章を設けたのは、あえて物議を醸すためだと思われる。『利己的な遺伝子』論の理論的支柱の一人である集団遺伝学者のR・A・フィッシャー(1890-1962)は、優生学の推進者であったため、戦後は冷遇された。また、フィッシャーの影響をうけて集団遺伝学に進み、血縁選択説を唱えたW・D・ハミルトン(1936-2000)も、優生思想を支持していたために、批判をあびていた。

ドーキンスが、あえてタブーを冒すようなことをしたのは、フィッシャーやハミルトンなどへの批判をやわらげ、社会的にも再評価されることが目的であったのではないだろうか。11章の最後の結論では「われわれは遺伝子機械として組立てられ、ミーム機械として教科されてきた。しかしわれわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである」と書いて、それまで述べてきた文化進化の主張を投げ打っている。さらに、補注11-8では、「私たちの脳は、遺伝子に対して反逆できるほどには十分に、遺伝子から分離独立した存在なのである」と書き加え、人間の脳=新皮質を、遺伝子より上位に置いている。すなわち、フィッシャーやハミルトンらは、学問的主張として優生思想をとなえたけれども、それは彼らが差別主義者だったからというわけではなく、時代的な限界であったことを暗に伝えようとしているのではないだろうか。

もちろん、これらの論争の起源は、ダーウィン進化論にある。慎重な科学者であったダーウィンは、進化論を人間にあてはめることをしなかったが、『種の起源』第3章生存闘争の最後の文章は次のように書かれている。

「すべての生物は、指数関数的な増加率で増えようと悪戦苦闘している。しかも、一生のうちのある期間、一年のうちのある時期、各世代、あるいはときに応じて、生存をかけた闘争を演じ、大量の死を被らなければならない。この事実を肝に銘じることくらいしか、われわれにできることはない。そうした闘争について考えると悲嘆したくなるかもしれないが、慰めもなくはない。自然の闘いは絶え間なく続くわけではなく、一般に死は即座に訪れるもので、恐れは感じないし、頑強で健康で運のよい個体が生き残って繁殖するのだと固く信じれば慰めもあるというものだ」

ダーウィンは、生物の激しい生存闘争と、その結果としての膨大な死を前にして、慰めにもなっていない慰めを書くほかはなかった(人間には適応していない)。一方、ドーキンスは、進化論以後の歴史をふまえ、遺伝子に対して脳(新皮質)という人間存在の「希望」を対置して、自分自身と我々を鼓舞しているのであろう。(つづく)

文献
ダーウィン、1859、『種の起源』、光文社、2009
リチャード・ドーキンス、1976、『利己的な遺伝子』、紀伊國屋書店、2006
ほかは文中の書名を参照

利己的な遺伝子

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズ(農文協)など

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