農業技術者、農業指導者としての福岡正信、その4

2003年に福岡さんは、茨城県の自然農法の勉強グループの依頼で、茨城県にやってきた。茨城県阿見町の浅野祐一さんの自宅で粘土団子の製作法を教え、浅野さんの畑を視察して、休耕田を米麦連続不耕起直播の田んぼにする方法の指導を行った。そのときに私も同行させてもらって、さまざまな話を聞かせてもらった。

じつは、私は20年くらい前(1997年か98年ごろ)に、自然農法を始めたばかりのころの浅野さんに会って、話を聞いたことがあった。もともと浅野さんは、竹林なども含めると、耕作面積がかなり広い露地野菜農家であった。奥さんと2人で、柿、タケノコ、野菜などを栽培して、茨城県ではめずらしいのだが、農産物をトラックに積んで近所の住宅地で引き売りをする経営だった。ところが、おじいさんが病気になり、1日おきに病院に連れていかなければならなくなった。広い畑をまわすことができなくなり、窮余の策として、かねてから関心があった、自然農法のやり方で作物を栽培するようになった(97年)。ちょうどそのころに、茨城県には、自然農法の勉強会ができていて、30人くらいのメンバーがいた。会社員、学生、定年して家庭菜園を楽しむ人などさまざまな人がいたが、専業農家は浅野さんだけだった。

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粘土団子を作る装置(2003年)

浅野さんの自然農法の方法は、福岡さんの本を読んで、できるだけテキストに忠実に行うというものだ。粘土団子も本をたよりに、自分で工夫して作っていた。ただし、畑が広くて分散しているために、本にあるように粘土団子を適当にあちらこちらにバラ撒くと、どこに何の種を播いたのか忘れてしまう。収穫のときにとても困るので、適当にバラ撒くのではなく、ある程度場所を決めて、作物によってはスジ播きに粘土団子を撒いていた。また、露地ナスは、友達のナス農家が作った接木苗の余りをもらってきて定植していた。

浅野さんの話では、自然農法に変えてから、トラクターや管理機などの機械はまったく不要になり、農薬も肥料も使わないので、農業の経費はほとんどかからなくなったとのことだった。使用する機械は引き売りに使う軽トラだけで、かかる経費は、車のガソリン代だけだと言っていた。経営的には、奥さんと2人の作業で、年間所得200万円ほどだった(97~98年ごろ)。私は、北海道から沖縄まで全国の農村をまわったが、福岡さんのテキストどおりの栽培方法だけで、専業農家として経営が成り立っている農家に初めて出会った(趣味家の人は大勢いる)。それで、とても驚いたことをはっきりと覚えている。

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浅野さんの畑(2003年)

2003年に福岡さんに話を聞いたときに、「自然農法は、テレビで放送されたりしてさんざん注目されたのに、自然農法はどこにもない。自分の子供でもやらない」と嘆いていた。しかし、浅野さんの畑を見てまわっているときの福岡さんは、終始満足そうで、浅野さんがここはどうすればいいのかとたずねると、「このままでいい」と何度もうなずいていた。畑を遠くからながめながら、「ここに自然農園があるじゃないか」とも言っていた。

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浅野さんの畑(2003年)

福岡さんの主著のひとつである、『無Ⅲ』の第1章には、農業技術の近代化によって農民が窮乏し、農村が衰退していくことが繰り返し書かれている。「機械化田植えは、百姓を楽にするものでなく、百姓を別の労働に駆り出しただけのことである」、「二、三〇〇ヘクタールを耕作する米国農民の収益性が日本の一、二ヘクタール百姓より劣り、その生活ぶりも質素である」、「現在とられている多収穫栽培技術の大半は、純利益の増加に結びつかない」、「科学農法による省力化は、農業からの離職化にすぎない」など。(もちろん、こうした農業の近代化は、経済学者が指摘するように、「食糧に支払う金額が少なくすむ消費者にとっては確実に有利」であり、社会全体で見た場合には「豊か」になったこともまた事実である)

若き日の福岡さんの懊悩の背景には、精力を注いでいる学問の研究は、結局は自分の功名心にすぎず、困窮する農民、衰退する農村とは何の関係もないという思いがあったのではないだろうか(もともと、福岡さんはダンスホールで歌手の淡谷のり子にダンスを申し込むほど、自己顕示欲の強い若者でもあった)。

自然農法の思想の背景には、機械、肥料、農薬を買うことができない貧しい農家の助けになるという気持ちがあったはずだ。浅野さんの農家らしい顔つきや、体つきや、家や納屋や暮らしぶりや畑を見て、そのことを福岡さんが即座に感じ取ったからこそ、「ただ暮らすためだけ」に、忠実に自然農法を実践する浅野さんの畑をあれほどほめたのではないだろうか。

じつは20年前に、浅野さんの畑に行ったとき、草に埋もれて大根やらニンジンやらがあちらこちらに生えているのだが、土を見ようと草をかきわけると、以前に使ったマルチが畑全体に敷きっ放しだった。そのときの浅野さんには、マルチをはぐ余力も残っていなかった。

福岡さんが、浅野さんや私の質問に答えるときの態度は、テレビの中でインタビュアーに答える宗教家や思想家のような福岡さんではなく、まさに農業技術者の態度そのものであった。福岡さんの答えは、きわめて合理的かつ明晰で、質問に対して間髪をいれずに答えていた。

たとえば、福岡さんに、草ぼうぼうの休耕田の雑草対策についてたずねると、「田んぼの中に草の穂が見えたら、ただちに穂を刈り取る。雑草の種がこぼれてしまうと草を減らすことはできない。セイタカアワダチソウのような宿根草の場合は、上を刈っても地下に根が残るので、2~3年かかる」と言ったすぐあとに、「そんな手間がないときは、最初の1~2年は除草剤を使ってもいい」と言う。

福岡さんにとって、自分が見つけ出した自然農法の原則は、目の前の農家の労苦より優先というわけではない。じっさい、『無Ⅲ』には、「最小限度の農薬使用」として、わざわざ農薬の使い方まで書いてある。私が会って話を聞いた福岡さんは、事実と実践を重んじる農業技術者であり、農家の暮らしをおもんばかる農業指導者そのものだった。(つづく)

引用文献
福岡正信、1985、『無Ⅲ自然農法』、春秋社

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投稿者: jcmswordp

著述、企画、編集。農家が教えるシリーズ(農文協)など

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